2010-02-09

ちょっと真面目な話し

 トムとマフューの結婚式では一応指輪交換とかっていう儀式的な事も行われた。 

 演出、司会、出演、全部本人たちっていうカジュアルさ。 「えーっと、象徴交換と言うことで、これから指輪を交換したいと思います。」とかって言いながらもぞもぞ自分たちで指輪を交換していて微笑ましかった。

  指輪交換の後、トムがなんでマフューと結婚するに至ったかのスピーチがあった。 とても誠実で、自然で、当たり前の素晴らしさに溢れたスピーチだった。  彼が言った事は、私が何年もかけて、目の前で見てきた事で、彼らの態度がいつも示してきていた事だった。 今私が持っている価値観は、こうやっていろんな 友達が周りで行動してきてくれた事の結果なんだよなと実感。 私、いつも彼らからすごく沢山の影響を受けている。

 横を見たら連れ合いが落涙していて微笑ましかった。 「こんなにミニマルで綺麗な言葉があるんだね。 アンナ、今本当にトムとマフューの事を誇りに思ってるでしょ。」と彼が言った。 ばれてたか。 私は、本当にその時誇りに思ってたさー。 もう、嬉しくて、本当に誇りだった。

「私はそのミニマルで綺麗な状態を、彼らの行動を見ていてずっと知ってたんだ。 だって、私、トムとマフューの大親友だもん!! うらやましいだろ!」とむやみやたらな自慢をしてしまった。

  なんかさ、この結婚を祝福するパーティーではいろんな事を思ったよ。 私ももしパーティーするなら、夏が良いなとか、やっぱり泳げる場所はいるよなとか、 泊まりがけで、普通のパーティーの延長線上でやりたいなとか、「あー! めーいっぱい遊んだ!」って思えるようなのにしたいとかさ。

 そして、ちょっとドライな話になるんだけどシビルユニオンっていう制度の重要さもつくづく感じた。

 日本には二人の人間が新しい家族になる為の法的方法が一つしか無い。 あたかも宇宙の理だってぐらいに、男女間の結婚(特に私の世代だと恋愛結婚)しか存在しない。

 でも所が変わればそうじゃない。 例えばニュージーランドだと、社会的に認められた新しい家族を作る方法は、1.日本でいうところの結婚、2.一緒に住んでいる時間の長さで決まる事実婚、3.そして結婚と似ているけど性別の規正が無いシビルユニオンと三種類ある。 

  私たちは民主主義の国に住んでいる近代人だから、法律も制度も全部、本当は自分たちの為に変えられるし、毎日公平さを求めて変化できる。 問題提起して、 話し合って、選択するべきだ。 だけど、なんか日本でだとそこが「天から降ってきた真理」的な扱いで、硬直している気がする。 「結婚願望がある」とか言われると、制度に自分の欲望を合わせるってどういう事だと私は不思議な気持ちになるけど、結構そういう人多い気がする。 揺るぎない制度だと思うから、あ のたかが一枚の紙にものすごい量の象徴が宿るのだろう。 しかもそこに漫画的なロマンティック願望が混ざるからなんかすごい事になってる。

  背景の歴史が全く違うんだろうなと思う。 私は社会的な仕組みを理解し始めた時には既に、結構リベラルな法で律されたニュージーランドにいた。 なので当然私の 中の近代史には、ミルクを始めとする沢山の同性愛者達の社会へ向けたアピールと、それの実現の為に協力しあった大人達の存在がある。 ゲイもヘテロも関係なく、自分の住んでいるコミュニティーを平等にする為に、私たちの親世代はすごく頑張ったっていう印象がある。 そして同時に私たちの親世代は自由恋愛と か恋愛結婚とかが激しかった世代で、恋愛の消滅とともにかなり多くの人達が離婚をし、それを見てきた私たち世代は、結構堅実にパートナーシップを結婚の前 からするようになっている。

 でも日本ではそれが当然の過去としては無いのだろう。 日本には日本の背景がある。 私はそれをよく知らな いから、批判は出来ない。 ただ一つ言える事は、別に今日ないから、明日もないって思わなくても良いってことだ。 特に法律に関してはそうだ。 いろんな形のパートナーシップが法律的に組める仕組みを作ってもらいたいし、目指すべきだと思う。 

 例えば日本でテレビでゲイやおかまが でてくると、フリーク的な扱いとしてちやほやしているけど、友達としては意識していないんじゃないかなと思う。 私は同い年の友達で結構ゲイの子達がい る。 ニュージーランドでは彼らは当然、好きな人と生活共同体になっている。 でも日本でだと出来ない。 私のゲイの友達は日本にいる限り、それは不可能なのだ。 私はヘテロだから出来る。 これはどういう事なんだろう? どうして友達になれる位にほとんど似通っている私たちが、かたっぽは社会からのサ ポートを受けれて、もう片方は受けられないのか。 もし、自分には与えられていて、他の人には与えられていない事があったら、少なくとも一回はどうしてなのか、そしてそれにより与えられていない人達はどういう人生の質を損なわれているのかを考えた方が良い。

 トムのスピーチはとてもシンプルだった。 「彼のいるところに帰りたい。 彼がいるところが家だと思えた。 一緒に朝起きるのが嬉しい。  僕たちはもう家族なんだ。 だから今日はみんなの前でそれを宣言したいし、新しい家族が始まった事を祝福してもらいたい。」と彼が言った。 今日の世の中で、これ以上にシンプルな家族のモチベーションは無いと思う。

 こういう事今更いちいち考えるのってださいよなと、与えられた側として思うけど、これを読んでいる日本語を話す私の友達はヘテロであれゲイであれ、シビルユニオン的制度は与えられていない。 なんか考えさせられるよね。


 民主主義をただの自分の利益とかってだけで使っちゃうと、ただのモノポリーになってしまう。 マイノリティーはマイノリティーであるだけで始めっから勝てなくなる。 だから一旦ちょっと自分自身の社会で与えられた身分とか立場は切り離して、出来るだけ中立的に判断を下すべきだと思う。 じゃないと、本当に一部の人達はただ元来少数派だったってだけで人生の質が損なわれてしまう。

 同い年の仲良しの友達が、上の世代の偏見や差別心、今日的でない規範感の所為で、当然の権利を得れていない場合は助け合いたい。 変化を起こそう。 自分たちが動かなかったら変わらないから。 特に日本でだと私達の世代はそもそもの数が少ないから、始めっから色々と立場が弱い。 だからこそ余計に意識的でいたいなと思った。

3 comments:

mizuho said...

すげー心にしみたさ。んでもって、ほんとに丁度パートナーシップとか家族とか、人間関係について考えてた。シンクロだ!あんなとは違う側面からだけど。

あと、すごく感動したのは、今日ないから明日もないって思わないことってとこ。まさに今、そのこのことを考えまくっている最中で、ちょっと勇気づけられたよ。ありがとうね。

Lefol said...

トムのスピーチでじわっとした人間がここにも。

私も日本人のゲイの友人が何人かいますが、
彼らは日本では自分のままで生きる道がない、と
海外に出ています。
ゲイユニオンのようなところにすら、
「就職するなら会社には隠すべき」と言われて失望したそう。

それと、ほかにも日本の結婚という観念では認められにくい
友人カップルがいて、でもどう考えてもツガイのようなふたりなのに、
法律や社会で認めてもらう術がないのは不条理だな、と
思わされます。
内縁の妻・夫というのがそうなのか…それも消化不良ですが。

ほかにもいろいろなことがあって、日本はまだ
先進国とは言えない国なんだな、との思いが濃くなるばかり。
何からどうすればいいのか、と思っています。

Anna said...

みーちゃん

私もすっげーじーんときた。
愛が空間に溢れていたよ。

そう、今日無いから明日も無いって考えるのは無謀。 危ない、危ない!

Lefolさん

なんか日本の結婚って敷居高いですよね。

「カメハメ波」的というか、緊張して緊張して力を貯めて、一気に放出って、突っ切るってイメージがあります。 もっと地に足着いて、張りつめていない方法があるんでないかと思うんだけどね。 必殺技である必要はないと思うんですよ。

 受験にしろ、なんにしろ、結構そういう一発勝負が日本は好きですよね。
 あと、柔道の投げ技とか…。

 同い年の日本の友達が以前「ちゃんとした仕事をしていないと結婚が出来ない」って言っていたのが印象的でした。 勿論、それはそうで、依存関係にならないように自立している事は大切。 しかし一人では人間ふがいないし、か弱いからチームワークをパートナーとするっていう側面も強いじゃん。 敷居を上げ過ぎたら、相方や共同生活者が必要な人ほど、孤独になっている気もする。 成功って思われる範疇が狭いんだろうな。

>ほかにもいろいろなことがあって、日本はまだ先進国とは言えない国なんだな、との思いが濃くなるばかり。
何からどうすればいいのか、と思っています。

私もニュージーランド社会の価値観で日本のニュースや出来事を眺めると、同じような感想を持ちます。

勿論日本目線でニュージーランドを見て、「なんだ、このジャングル?」って思う事も多々ありますが。 先進国だなんだって前に、ジュラ紀抜けてない感があります。

私はただのへなちょこデザイナーで、大きな事を言えるような教養も知性も無いのですが、一つこれは大切なのではないかとニュージーランドやイギリスに住んで思ったのは、ある程度機能している二大政党制の有意義さです。

ニュージーランドでだと、労働党と国民党がだいたい選挙でぎりぎり五分五分の勝負になります。 多分、その状態が一番国民のメジャーなイシューに対しての解決法を両方の党が提案できているってことなんですよね。 だからどっちに転んでもある程度は機能する。 そして、どの小さな政党と連立を組むかが実質与党になれるかに影響を与えるのですが、それによって経済や外交っていう時事的メインストリームのイシュー意外もカバーされるし、小さな政党に投票する価値が出てきている気がします。 ニュージーランドはグリーンパーティーとか、マイノリティーの人権問題に関して意識的なパーティーとか、そういう専門系なパーティーに意外と存在感があるんですよね。

一党で全部やろうっていう無謀さがない。

かなり大雑把に言ってしまっていますが(そしてもしかしたら見当はずれかもしれない)、多分公平さを保つ為のお膳立てを、みんなで真剣にやるのが大切なんだろうなあ。