2007-02-17

小さいけれども確かな幸せ その2

全く予想だにしなかった事を人から教えてもらうと、とても嬉しい。


"ああ、なんとなく想像していたよ"とか、 そんな次元のことじゃなくてさ、本当に全く知らなかった事。 特に常識的な事で、自分と真横の人とかもやっている行動なんかが、嬉しい発見に繋がる事は多いです。


さて、今回私が発見したちょっと驚きの事実は、携帯のメールに関してです。


日本の人たちのメールの使い方(もしくは私が知らないだけで、世界中の人の)は平安時代のように文化的だ!



先日、友人がおもむろに「杏奈の携帯メールってミニマムだよね」とおっしゃった。 


不思議に思いなんでかねと訊ねると、「句読点をうたないし、三行以上は書かないし、まず第一に漢字の変換すらしないじゃん。 あと絵文字とか絶対に使ってこないし。」と言われた。


例として出すと、私の携帯のメールはだいたい、

「へい いま どこ 
わたし はしもと」 
「きょうは なんじ」
「よい」
「まだ」
「おけ」
「ラブ!」


よっぽど気合いが入っている時や、あまり知らない人にメールを書く時以外はこんな感じ。私から全文ひらがなメールが届いた時はよっぽど近い関係なのだと思ってください。 そして、よっぽど近い関係の友人以外とは滅多に、滅多にメールはしない。


Macからのメールは”手紙”で、携帯のメールは”モールス信号”ってぐらいにしか思ってなかったから、待ち合わせとか約束のため以外に使った事がなかった。


そんな私へのメールは勿論
「よい」
「まだ」
「よし」
「9」(時間の指定)
「なし」
ぐらいだから、余計にそんなもんだと思っていた。 


たまに、メールの文章にハートとかの絵文字をつけて私に送ってくる人の事は、私の事をとっても、だいっすきで悶え苦しんでいるんだろうと勝手に思っていたし、顔文字を使ってメールを送ってくる人の事はアキバ系と呼ぶんだと思っていた。 本当に社会の5%もいない変わった人なんだと思っておりましたの。


友達は私が知らなくてそういう無愛想なメールを送っているんじゃなくて、私の美意識やらなんやらでそうしているんだと思っていたみたい。 でも、全然違う。 私は携帯のメールが、あんなにちっちゃなスクリーンが、そんなにナイスな文化的媒体になっていると気がついていなくて、”携帯=緊急=モールス信号”っていう次元から進化していなかった。


一番私が感心したのは、遊んだ後にメールを送ってきてくれる人のその高い文化力。 数人の友人は遊んだ後に「今日は楽しかったね! 〜〜〜〜〜〜、○○○○、×××××、!! ♪♪」的なメールを送ってくる人に、私は「そうか、そんなに楽しかったのか、へえー。」ぐらいに思っていた。 だから「そいつはよかったね」的に終了で返事も別にしていなかった。 ただ、この人は私の事が大好きなんだなあとは思っていた。 


でも私の友人曰く、これは当然の礼儀/マナーなんだそうだ。 別に、私の事を猛烈に好きだとかじゃなくてさ。 これって凄いよ! 同い年の人間がそこまで礼儀深いのかと思い私は心から驚いた。 私はこれは本当に凄い事だと思う。 マイナスな見方をする事も沢山できると思う。 だけれども、結構心からこれは豊な文化だと思うのだ。 絵を使い、文字を使い、状況を使い、人々はモールス信号を超えた、様式を今作り上げて行っているのだ。 これって凄くない? アイヤァと思いましたわな。 頭には平安時代の文を交換し合っている人たちが浮かんだよ。 すごい!





 

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