2009-07-11

歩いても 歩いても

 ああ、何回目かしら。 毎年毎年、同じ事に喜んでいてごめんなさい。 今年もやってきました、映画祭! The New Zealand International Film Festivalsだ! イーハー! 2週間、毎日20本近くミニシアター系の世界中の映画が上映されるのでかなり楽しい。 ただ、アホみたいに映画を見続けるのだ。



 今日は私のこけら落としで、「歩いても 歩いても」を見た。 "ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを 聽きにゆく"ってのりで日本映画を見て来た。 素晴らしかった。 是枝監督はすごい。 この監督は自分の信じているモラルやらメッセージの主張を映画でしすぎる気がする。 そこにだけは臭いなと思って抵抗感があるんだけど、彼と彼のチームが持っている確実な表現力の高さのおかげでそこまでは気にならない。 私はそこにかなりの尊敬を持ってしまうのだ。 己の臭さを超越する堅実な表現力と技術力。 芸術ってその先にあるものだと常々思う。 耽美過ぎる映像にも、ナルシスティックな感じも、結局そんな苦みを超えた喜びがある映画だった。 こんなに見応えがある映画を作れるってすごいよなあ…。

 この作品上映の前に、フェスティバルの総合監督をしている映画批評家の男性が短いスピーチをしたんだけど、その中で「20年後、30年後でも鑑賞に堪えられる秀作。 今回の映画祭で最も美しい映画」と言っていた。 見終わった後に、本当にそうだよなと思えた。 だって、堅実なんだもん! メチャクチャ丁寧に作られていた。 始まった途端から、最後まで泣きっぱなしで見た。 あまりにも緻密に、丁寧に練り上げられた話しと映像で、そしてかなり良い話しを語りかけられてしまい、自分でも呆れるぐらいに心が揺さぶられてしまった。 家に帰って、同居人に映画の説明をしながらまた泣いてしまった。 樹木希林の演技の話しをしていたら「お母さんに会いたい」と思ってほろほろと涙が出て、「お母さんってすごいよね」と言って同居人まで泣かせた。 一体私は何をやってるんだ。

 家族の価値とかを考える時に、また誰かの残した空白や喪失感について思い馳せる時、自分の心の中にジレンマとして浮き上がる考え一つ一つに役柄と役割を与えられているような映画で、全ての登場人物にコネクトする事が出来た。 ただ優しくなりたいと映画を見た後に思った。 だから同居人と、鶏肉とアプリコットのことこと煮を作ってソファーの上で毛布にくるまりながら食べた。

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