一枚の紙を真ん中でベリっと破いたように、昨日と今日の関係が断絶する時がある。
クライストチャーチの時もそう思ったし、今回の3月11日におこった日本での災害でも同じように、前後の関係が破かれたような気がした。
地震のあった日の昼間(日本時間の朝)に書いたブログの記事の内容が、奇妙な空間に浮かんでいるような感じがする。 その記事を書いた時は、「日本にもいつか地震がくるっていうし、クライストチャーチの経験を活かしてもらいたい。 じゃないと、クライストチャーチで亡くなった方々の命がもったいなさ過ぎる。」と思っていた。
今は、その時の時間から、ベリっと切り離されて、全く違う場所に感情も経験も吹き飛ばされたような気分になっている。
被災された方々が安全な場所に避難できる事を、
行方不明の方々が早急に見つかる事を、
ご家族、ご友人を亡くされた方に人びとの優しさが届く事を祈っています。
そして亡くなられた方々には、深い哀悼の意を。
2011-03-13
2011-03-11
地震の後に思う事
2月22日の地震から気がつけば二週間以上が経った。 早いような、長いような…。
地震当初は、救命とサバイバルが最も重要な事だった。 被災した方がサバイブできるように、そして行方不明者の方々を救命する事が何よりも重要視されていた。 本当に非常事態だった。 短期戦。
現在は、復興に向けてのミッションにステージが移行している。 これは本当に長期戦。 この地震の処理をするのには、被災者の方からしたら、もしかしたら一生かかるかもしれない。 そして街単位でも数十年、国単位でも長い時間がかかるだろう。
私が今回の事で強く思ったのは、私達がいかに、この長期戦に入ってからのクライストチャーチの政策にアテンションを払わなくてはいけないかと言う事だ。
阪神大震災の時、私は日本にいたけれども子供だったから、被災者の方々にどのような社会保障が行われたのか、地域の事業にどのような援助が出たのか、被災してから何日後にどうやって行われたのか全く知らない。
今回の地震では私は大人になっていたから、被災後にどのような助けと、どのような人生があるのだろうかと考えさせざるを得なかった。 もしその時自分が雇用されていなかったら? パートタームで働いていたら? 職場が壊れていたら? 怪我をしたら? 家のローンがあったら? 子供がいたら? 病気だったら? 自分の貯金でいったいどれだけの期間、国からの保証無し、仕事無しの状況でサバイブできるだろうか、などなど。 考えたらぞっとした。
それは回りにいた人達にとっても同じだった様子。 周りの人達とは、震災直後の非常事態を乗り切る事と、同じ位のウェイトで、その後の自分の人生の立て直しと復興についての話をするようになった。
今回、クライストチャーチでは被災後一週間の時点で、今後六週間に個人個人に支払われる緊急エコノミーパックの発表があった。 勤務状態にあわせて、週$500から$300支払われる事になった。 (これは本当に生活にぎりぎりな金額で、何かを買い直すとかってのに使える額ではない)
日本のニュースは短期戦の部分をとてもよく報道してくれた。 でも、この国の被災者がどのような社会保障を、どの段階からどう受け始めているのかとか、生活を立て直す為には何が必要なのかなどはあまり報道されていないような気がした。
自分が同じ立場に立った時に、比較対象を知っているというのはとても心強い事です。 どうか遠くの国の事だと思わずに、比較、批評材料として、災害後復興へのプロセスを観察してもらいたいと思います。
今回のことで強く思ったのは、自分の住んでいる地域共同体の人達の意識そのものが自分自身の運命を決めるという事でした。
知識や比較対象を持っている人達が多い共同体に属している事が、自分の命を守る事に繋がります。 どうか、自分のためにも、自分の周囲の人のためにも、震災後の様々なステージに関する情報を持つようにして下さい。
地震当初は、救命とサバイバルが最も重要な事だった。 被災した方がサバイブできるように、そして行方不明者の方々を救命する事が何よりも重要視されていた。 本当に非常事態だった。 短期戦。
現在は、復興に向けてのミッションにステージが移行している。 これは本当に長期戦。 この地震の処理をするのには、被災者の方からしたら、もしかしたら一生かかるかもしれない。 そして街単位でも数十年、国単位でも長い時間がかかるだろう。
私が今回の事で強く思ったのは、私達がいかに、この長期戦に入ってからのクライストチャーチの政策にアテンションを払わなくてはいけないかと言う事だ。
阪神大震災の時、私は日本にいたけれども子供だったから、被災者の方々にどのような社会保障が行われたのか、地域の事業にどのような援助が出たのか、被災してから何日後にどうやって行われたのか全く知らない。
今回の地震では私は大人になっていたから、被災後にどのような助けと、どのような人生があるのだろうかと考えさせざるを得なかった。 もしその時自分が雇用されていなかったら? パートタームで働いていたら? 職場が壊れていたら? 怪我をしたら? 家のローンがあったら? 子供がいたら? 病気だったら? 自分の貯金でいったいどれだけの期間、国からの保証無し、仕事無しの状況でサバイブできるだろうか、などなど。 考えたらぞっとした。
それは回りにいた人達にとっても同じだった様子。 周りの人達とは、震災直後の非常事態を乗り切る事と、同じ位のウェイトで、その後の自分の人生の立て直しと復興についての話をするようになった。
今回、クライストチャーチでは被災後一週間の時点で、今後六週間に個人個人に支払われる緊急エコノミーパックの発表があった。 勤務状態にあわせて、週$500から$300支払われる事になった。 (これは本当に生活にぎりぎりな金額で、何かを買い直すとかってのに使える額ではない)
日本のニュースは短期戦の部分をとてもよく報道してくれた。 でも、この国の被災者がどのような社会保障を、どの段階からどう受け始めているのかとか、生活を立て直す為には何が必要なのかなどはあまり報道されていないような気がした。
自分が同じ立場に立った時に、比較対象を知っているというのはとても心強い事です。 どうか遠くの国の事だと思わずに、比較、批評材料として、災害後復興へのプロセスを観察してもらいたいと思います。
今回のことで強く思ったのは、自分の住んでいる地域共同体の人達の意識そのものが自分自身の運命を決めるという事でした。
知識や比較対象を持っている人達が多い共同体に属している事が、自分の命を守る事に繋がります。 どうか、自分のためにも、自分の周囲の人のためにも、震災後の様々なステージに関する情報を持つようにして下さい。
2011-03-03
ーー
話しはがらっと変わるんだけど、日本人のジャーナリストがNZでプロフェッショナリズムにかけた態度をとっていたって話しを聞いた。 この場合欠けていると言われたプロフェッショナリズムは、自分自身がいる場所での優先順位の理解と配慮だったのだと思う。 結果として、逮捕されたり、プレスパスを取り上げられたり、地元のNZ人達が日本人被害者の家族を"日本のパパラッチ"達から守る為に動いたぐらいに嫌な行動を取っていたらしい。
初めその事を知った時は、かちんと来た。
文脈読めよ、それこそ「空気読めよ!」って。
でもその後すぐに、そこだけに日本の人達のアテンションが注がれるのは嫌だなと思った。 同族嫌悪にのまれてほしくない。 それだけじゃないんだよとすごく言いたい。
一般的なNZでの海外プレスに対する印象は、とても好意的なものだと思う。 先日もニュースサイトの一面に、日本から来たジャーナリストが現地の教会で、被災した人達に対してどれだけエンパシーを感じているかとスピーチをしている映像が出ていた。 世界中の人達が自分達を助けてくれている、勇気をわけてくれている事実の方が、被災地でパパラッチしている奴らがいるっていうよりも、注目されている。 そして、感謝されている。 善意をひしひしと感じている。
日本の一部のマスコミがネガティブな行動を取っている事に気を取られるよりも、自分達の行っている善意やサポートがNZを今支えている事を誇りに思ってもらいたいと思う。 そこに注目をして、そして次に繫げてもらいたい。 批評をする事も、改善を訴えかける事も大切なのは勿論の事だけど、でも、それ以上に、自分が人をサポートできている事、ポジティブな事で人びとの記憶と心に残っている事を誇りに思ってもらいたいなと思う。
ネガティブな事を批評するのと同じぐらい、自分達が出来た事、人を支えられた事を誇りに思う事で次の行動をよりよく出来ると思うんだ。
少なくとも私の日本の友達が送ってくれた温かい言葉や、募金とかの事を考えると、本当に自分の取った行動を誇りに思ってもらいたいと思う。
話しはがらっと変わるんだけど、日本人のジャーナリストがNZでプロフェッショナリズムにかけた態度をとっていたって話しを聞いた。 この場合欠けていると言われたプロフェッショナリズムは、自分自身がいる場所での優先順位の理解と配慮だったのだと思う。 結果として、逮捕されたり、プレスパスを取り上げられたり、地元のNZ人達が日本人被害者の家族を"日本のパパラッチ"達から守る為に動いたぐらいに嫌な行動を取っていたらしい。
初めその事を知った時は、かちんと来た。
文脈読めよ、それこそ「空気読めよ!」って。
でもその後すぐに、そこだけに日本の人達のアテンションが注がれるのは嫌だなと思った。 同族嫌悪にのまれてほしくない。 それだけじゃないんだよとすごく言いたい。
一般的なNZでの海外プレスに対する印象は、とても好意的なものだと思う。 先日もニュースサイトの一面に、日本から来たジャーナリストが現地の教会で、被災した人達に対してどれだけエンパシーを感じているかとスピーチをしている映像が出ていた。 世界中の人達が自分達を助けてくれている、勇気をわけてくれている事実の方が、被災地でパパラッチしている奴らがいるっていうよりも、注目されている。 そして、感謝されている。 善意をひしひしと感じている。
日本の一部のマスコミがネガティブな行動を取っている事に気を取られるよりも、自分達の行っている善意やサポートがNZを今支えている事を誇りに思ってもらいたいと思う。 そこに注目をして、そして次に繫げてもらいたい。 批評をする事も、改善を訴えかける事も大切なのは勿論の事だけど、でも、それ以上に、自分が人をサポートできている事、ポジティブな事で人びとの記憶と心に残っている事を誇りに思ってもらいたいなと思う。
ネガティブな事を批評するのと同じぐらい、自分達が出来た事、人を支えられた事を誇りに思う事で次の行動をよりよく出来ると思うんだ。
少なくとも私の日本の友達が送ってくれた温かい言葉や、募金とかの事を考えると、本当に自分の取った行動を誇りに思ってもらいたいと思う。
表現の差
同じ事を取り扱っていても、表現の方法によって伝わってくる情報が変わる。
黙祷の時の映像を見比べてみて思った。
TVNewZealandが先日の二分の黙祷を報道したときの映像がこれ。
2分間まるまる見せ、音もかぶせない。 主要な都市からライブで映像を送っていた。 カメラも動かない。 カメラマンも一緒に黙祷をしているような見せ方。 人が動く様子が入ると、映像が切り替わっているようにも見えるから、ある種の意図も感じる。 でも、これは報道というよりも、多分、追悼の一環なので、しょうがないのかもしれない。 追悼に対する真っ当さと、sincereさを示したかったんだろう。 国内でこの映像を見る人の感情を配慮している。
アルジャジーラのは情報量がとても多くて驚いた。 1分27秒の間にこれだけ詰めれるのかと、感心した。 NZに住んでいない人達からしたら珍しいんじゃないかと思う箇所もきちんと映っている。 短い時間の間にNZの持つコンテクストを読み解く情報が沢山入っている。 儀式の前にマオリの長老が祈り、女性が歌う事。 首相の前に置かれているレンガが、震災を象徴している事。 公式発表で手話がつく事。(会社でも会議の時とか、ミーティングには手話がつく) 世界中から人々が助けに来てくれた事。 黙祷の規模の大きさを伝えているし、これがとても感情的な儀式だった事も映している。 こういう文化背景を持っている人達なのねってのを、短い時間で伝えるのが上手なんじゃないかと思う。(あと、印象でしかないんだけど、アルジャジーラって、その場のマイノリティーの人達への扱いを意識的に多く撮って入れている気がする。)
日本の報道は、顔のアップが多い。 文化的背景を知る事を通じて相手に対する親近感を育てるというよりかは、もっと直接的な人間の感情表現を見せる事によって共感させようとしているのかもしれない。 あとニュースに限らないんだけど、日本映画とか、漫画とか、ドラマでも顔のアップが多いよなぁと思う。 感情表現を顔から読み解くのが得意なのかも。 広告もバストアップの写真多いよね。 顔が体のパーツの中でもずば抜けて好きなんだろう。 そして、多くの日本人の方が行方不明になっている事もあり、その事についても報道されている。
BBCの動画は黙祷の様子と、首相へのインタビューで構成されていた。インタビューに答える事によって、首相から国民、世界へとメッセージを送らせている。
同じ素材を報道している2分間弱の報道でも「誰に見せるか」によってとても変わる。 視聴者が世界規模か、それとも現地の人間か、特定の国の国内向けかによってニュースは変わる。
見比べていると興味深い。
黙祷の時の映像を見比べてみて思った。
TVNewZealandが先日の二分の黙祷を報道したときの映像がこれ。
2分間まるまる見せ、音もかぶせない。 主要な都市からライブで映像を送っていた。 カメラも動かない。 カメラマンも一緒に黙祷をしているような見せ方。 人が動く様子が入ると、映像が切り替わっているようにも見えるから、ある種の意図も感じる。 でも、これは報道というよりも、多分、追悼の一環なので、しょうがないのかもしれない。 追悼に対する真っ当さと、sincereさを示したかったんだろう。 国内でこの映像を見る人の感情を配慮している。
アルジャジーラのは情報量がとても多くて驚いた。 1分27秒の間にこれだけ詰めれるのかと、感心した。 NZに住んでいない人達からしたら珍しいんじゃないかと思う箇所もきちんと映っている。 短い時間の間にNZの持つコンテクストを読み解く情報が沢山入っている。 儀式の前にマオリの長老が祈り、女性が歌う事。 首相の前に置かれているレンガが、震災を象徴している事。 公式発表で手話がつく事。(会社でも会議の時とか、ミーティングには手話がつく) 世界中から人々が助けに来てくれた事。 黙祷の規模の大きさを伝えているし、これがとても感情的な儀式だった事も映している。 こういう文化背景を持っている人達なのねってのを、短い時間で伝えるのが上手なんじゃないかと思う。(あと、印象でしかないんだけど、アルジャジーラって、その場のマイノリティーの人達への扱いを意識的に多く撮って入れている気がする。)
日本の報道は、顔のアップが多い。 文化的背景を知る事を通じて相手に対する親近感を育てるというよりかは、もっと直接的な人間の感情表現を見せる事によって共感させようとしているのかもしれない。 あとニュースに限らないんだけど、日本映画とか、漫画とか、ドラマでも顔のアップが多いよなぁと思う。 感情表現を顔から読み解くのが得意なのかも。 広告もバストアップの写真多いよね。 顔が体のパーツの中でもずば抜けて好きなんだろう。 そして、多くの日本人の方が行方不明になっている事もあり、その事についても報道されている。
BBCの動画は黙祷の様子と、首相へのインタビューで構成されていた。インタビューに答える事によって、首相から国民、世界へとメッセージを送らせている。
同じ素材を報道している2分間弱の報道でも「誰に見せるか」によってとても変わる。 視聴者が世界規模か、それとも現地の人間か、特定の国の国内向けかによってニュースは変わる。
見比べていると興味深い。
2011-03-01
黙祷
今日でクライストチャーチでの地震から一週間経った。
今日は22日に地震がおこった時刻12時51分から2分間、国中で黙祷をした。
私は職場のオフィスが近い人達と集まって、ラジオを流した。 クライストチャーチ出身のラジオパーソナリティーの女性が、自分が黙祷を呼びかけることについて「こんなに悲しい報道をしなくてはいけないなんて」と言っていた。 自分の地元が破壊されてしまった事に対する黙祷を、人びとに呼びかけるなんて、胸の張り裂けるような痛みがあるだろう…。
そして二分間の沈黙。 職場の人達は皆目を真っ赤にしていた。
ニュージーランドは、マオリ語ではアオテアロアという。 白く長い雲のたなびく島という意味なんだそう。 今日のオークランドは本当に晴れていた。 名前の通り、白く長い雲が真っ青な空にたなびいていて、黙祷の間は風の音と、鳥の鳴き声、蝉の声だけが響いていた。 それ以外の音は、全くしなかった。 本当に、人間の作る音がなかった。 沈黙は、自分が大地の上に立っているのだと言う事を、強烈に私に伝えてきた。 自分が、アオテアロアと呼ばれる大地の上に立ち、大地に慈しまれ、育まれ、そして、大地の運命に翻弄されるのだと奇妙に納得させられた。 私も泣けてきた。
黙祷の間、亡くなった人達の顔を出来る限り思い浮かべた。
黙祷の後は、国歌が流れた。 一番目はマオリ語で、そして二番目は英語で歌われる。 ポリネシアのリズムとヨーロッパのリズムが混ざった演奏だった。
youtubeのこの映像で流れているのと全く同じヴァージョンが使われていた。
そして「これがどうしようもない現実なんだ」という感覚に襲われた。 多分、黙祷するまで、死や喪失にたいして、どこか現実的に感じていなかったのだと思う。 NZに帰ってきてからのこの2日間は、夢の中にいるような感じだった。 まさかこんなのが現実なはずがないって。 でも黙祷を国中でしていて、みんなで黙って、泣いて、国歌まで聞いてるなんて、これはまさしく、本当におこったことなのだと、実感させられた。
今日は22日に地震がおこった時刻12時51分から2分間、国中で黙祷をした。
私は職場のオフィスが近い人達と集まって、ラジオを流した。 クライストチャーチ出身のラジオパーソナリティーの女性が、自分が黙祷を呼びかけることについて「こんなに悲しい報道をしなくてはいけないなんて」と言っていた。 自分の地元が破壊されてしまった事に対する黙祷を、人びとに呼びかけるなんて、胸の張り裂けるような痛みがあるだろう…。
そして二分間の沈黙。 職場の人達は皆目を真っ赤にしていた。
ニュージーランドは、マオリ語ではアオテアロアという。 白く長い雲のたなびく島という意味なんだそう。 今日のオークランドは本当に晴れていた。 名前の通り、白く長い雲が真っ青な空にたなびいていて、黙祷の間は風の音と、鳥の鳴き声、蝉の声だけが響いていた。 それ以外の音は、全くしなかった。 本当に、人間の作る音がなかった。 沈黙は、自分が大地の上に立っているのだと言う事を、強烈に私に伝えてきた。 自分が、アオテアロアと呼ばれる大地の上に立ち、大地に慈しまれ、育まれ、そして、大地の運命に翻弄されるのだと奇妙に納得させられた。 私も泣けてきた。
黙祷の間、亡くなった人達の顔を出来る限り思い浮かべた。
黙祷の後は、国歌が流れた。 一番目はマオリ語で、そして二番目は英語で歌われる。 ポリネシアのリズムとヨーロッパのリズムが混ざった演奏だった。
youtubeのこの映像で流れているのと全く同じヴァージョンが使われていた。
ポリネシアのリズムは、ニュージーランドにとてもよく似合う。 というか、ニュージーランドの音が集まると、ポリネシアのリズムになるのだと思う。 優しくて、強い。
亡くなった方のご家族、ご友人の事の痛みを思うと、涙が出る。 私だったかもしれないから。 自分がどの立場であってもおかしくない。 日常的に住んでる所、NZか日本だもん。 地震が少ないとは言えない場所だよ。 行方不明になっている方のご家族、ご友人の事を思っても、涙が出る。 そんな立場に、誰一人として立ってほしくない。 だって、自分が絶対に立ちたくないから。 被災された方々の今と、そしてこれからを思うと、その険しさに、"支えなくては"と思わさせられる。
最初、黙祷をすると聞いた時に「そんな事をするのになんの意味があるんだろう」と思った。 でもやってみたら、自分の中にあった悲しい気持ちに対して、「今は悲しんでいいんだよ、亡くなった人の事を思っていいんだよ、悲しみと不安の中にいる人達に感情移入をしていいんだよ」と共同体に許してもらえたような気分になった。 今回のことで自分自身が持った不安や悲しみの解放を許された気がした。 これはお葬式だったのだと後になって気がついた。
そして「これがどうしようもない現実なんだ」という感覚に襲われた。 多分、黙祷するまで、死や喪失にたいして、どこか現実的に感じていなかったのだと思う。 NZに帰ってきてからのこの2日間は、夢の中にいるような感じだった。 まさかこんなのが現実なはずがないって。 でも黙祷を国中でしていて、みんなで黙って、泣いて、国歌まで聞いてるなんて、これはまさしく、本当におこったことなのだと、実感させられた。
クライストチャーチ震災
お久しぶりの人もそうじゃない人も!
元気ですか?
私は元気です。
地震の事で心配してくれた人、どうもありがとう。
たまたま地震がおこった直後が私の27歳(!!!!!!!!!!)の誕生日だったので誕生日のメッセージとともに、結構な数の心配の言葉をかけてもらいました。 本当に、ありがとう。 そうじゃない人も、私といつも友達でいてくれてありがとう。 皆大好き!
私自身は北島にあるオークランドという街に住んでいるので、被害はありませんでした。 たまたまその時はアメリカに出張していたから、本当に、ピンピンと元気よく仕事をしております。 二日前にNZに帰ってきました。
さて本題。
多分皆様ご存知だと思うのですが…、先日私の住んでいるNZの南島にあるクライストチャーチという街でかなり大規模な地震がありました。
クライストチャーチは去年の9月にもM7.1の巨大な地震に襲われていたんだ。 その時はロイヤルストレートフラッシュ的な奇跡が起こり、建物やインフラはダメージを受けたものの、死者は出なかった。
結構マジで、クライストチャーチって、"キリスト様の協会"って名前なだけあって、神様に愛されてる?アマデウス?と国家レベルでこの奇跡に胸を撫で下ろしたのですが、しかし、とんでもない事に、先日M6.3の直下型、そして震源地が非常に浅い地震がおこりました。
これってとんでもない悲劇だよ! 多くの建物が前回からの地震のダメージを修理でききっていないところで、エネルギー的には阪神大震災と同じぐらいの地震を受けたから、無惨としか言いようがないよ。 街が壊滅してしまった。
そして日本でも報道されていると思うけど、とても沢山の方が亡くなった。
ちょっとした背景説明なのですが、NZは人口が400万人をちょっと超えたぐらいの、日本でいうと横浜市よりちょっと大きい規模の国なんだ。 小さい上に、世界で一番隣国が遠い国でもある。 しかも隣の陸地は、オーストラリアと南極。 オーストラリアも天災ばっかり最近おこって満身創痍だし、南極は…、孤独はいやしてはくれない。
なので、どこの街を拠点にして仕事や生活をしても、常に人同士の交流が盛んにある。 じゃないと何も機能しないんだ。 大きいと言われている市でも横浜市の区ぐらいの人口規模だからさ。
私も日々一緒に仕事をしているとても大切な関係の人達や、学生時代の友人たちがクライストチャーチに沢山住んでる。 また私の周りの人達も皆、なんだかの形でクライストチャーチとの関係を持ってる。
横浜の区同士が協力し合うような感じで、いつも、常にお互いと関係し合いながら生活している。
NZの"存在感がないことだけが存在感"っていう現首相が、被災者に向けて、今回はっきりと良いスピーチをしたんだけど、その中に"On behalf of New Zealand let me say to all of you: We feel your pain, as only a small nation can, for none of us feel removed from this event./ニュージーランドの代表としてみんなに言わせてもらう:君の痛みを私たちは感じているよ。小さな国家だからこそ、だれも、この出来事から自分は関係ないとは思っていない"という言葉があった。 まったくもってそうで、結構マジで、I feel their painな感じになっています…。
例えば常に仕事を一緒にしている写真家は、今回の地震で家とスタジオとオフィス全てが全壊し、仕事道具も含めて全てを失う結果になった。 オークランドでの身近な人達の中には、まだクライストチャーチにいる親戚や友人と連絡がとれていない人達もいる。 新しい情報を知る度に、心がどんどんと冷えていって、単純に大泣きしたくなるんだ。 うわーんって。 被災した人達と自分の関係が生々しい分、相手が痛みを受けているその姿を思うだけで泣けてくる。
首相が"All New Zealanders have a piece of our heart in Christchurch."とも言っていて、これが本当にごもっともで驚いた。 いつもは小馬鹿にしていたクライストチャーチなのに、実際こういう事がおこってみると、"全てのニュージーランド人の心の一部がクライストチャーチにある"ってのがすごく的確だって分かるんだ。 ニュージーランド人じゃない私の心の一部も、やっぱりいつも、常に、クライストチャーチにあったんだ。 だから痛い。
同時にさ、私今回アメリカにいる間にこれがおったじゃん、そうしたら会う人会う人に、「お前NZ訛だな! 大丈夫か? どの街から来たんだ?!」って言われたよ。 「募金するよ」とも沢山言われた。 地震があった日は、私がもしかしたらニュースを知らないのかもと思った人達に、ものすごく心配されて遠慮されながら、「あのニュースの事しってる?」って言われたりした。 勿論、日本の友達もいっぱいメールくれてありがとう。 距離が近くなくても、逆に距離が近くないからこそ持てる、優しさと余裕があるんだなと痛感した。 これって凄いことだよね! 人って優しい!
NZからは痛みを感じて、他の人達からは人道を感じた。
お前は回し者かってぐらいに、存在感の無い首相のスピーチの引用を続けるんだけど、彼が"この国は被災者の真後ろに立って、僕たちの持っている力を全部使って君たちを支える。 そして世界は僕たちと一緒にいる。 近所のオーストラリ人やイギリスやアメリカの友達、世界中の偉大な国々が、君たちの車輪をまたまわすために肩を並べてくれている。"って言っていて、結構個人レベルでそれを感じたし、それを信じたい。(オーストラリア人はただの近所の人で、友達はイギリスとアメリカなんだなという、この微妙な言葉遣いに、ちょっと吹き出しつつも。)
NZの政府もすごく頑張っている。 世界中の協力を受けながら、被害を最小限にしようとしている。 医療現場の友人たちは、クライストチャーチに送られたり、重症の患者をオークランドに向かい入れて、すごい勢いで仕事をしている。 看護士の友人たちも、身体だけじゃなく、精神的なダメージを癒すために、沢山のプログラムをやっている。 私の友達も沢山献血しているし、様々な形で寄付をしている。
首相が被災した人達に対してスピーチで言った、"On behalf of the Government, let me be clear that no one will be left to walk this journey alone. New Zealand will walk this journey with you. We will be there every step of the way./政府の代表として、この事は明確にしたい。誰1人としてこの旅路を、孤独に歩く人はいない。ニュージーランドはこの旅路を君と歩く。君の歩く全ての道のりで僕たちは一緒にいる。"ってのを、実行するために頑張っているし、実行させるために被災しなかった人達も協力して、アテンションを払っている。 被災した人達の傷を最小限にしようとしている気配は、ひしひしと感じる。
でも同時に、胸が張り裂けそうな人達や、身体が傷つけられた人が多すぎて、優しさはどれだけあっても、ありすぎる事にはならないなと思わさせられるような、悲劇的な情報が沢山流れてる。
そう、だから、出来れば私の友達であるみんなにも、なんだかのアクションをしてもらいたいんだ。
まず自分自身が被災したらどうなるかってのをシュミレーションして、自分の為に必要な物や(eg薬、コンタクトレンズ、水)落ちて来たら危険な物を棚からどかしたり、仕事場で被災した場合の家への帰り方なんかを考えてもらいたい。
そして自分が被災した場合に、他人にやってもらいたい事を、是非、今被災している人達にやってあげてほしい。 例えば募金とか。
以下のところから募金ができる様子↓
【オンライン募金】
・ インターネット募金「ニュージーランド地震救援金」 (Yahoo!ボランティア)
http://volunteer.yahoo.co.jp/donation/detail/1301020/index.html
・ 日本赤十字社(銀行振込でも受付)
http://www.jrc.or.jp/contribution/l3/Vcms3_00002021.html
・ Salvation Army(ニュージーランド救世軍)
http://www.salvationarmy.org.nz/giving-back/donate-online/disaster-appeals/canterbury-earthquake-appeal/
・ New Zealand Red Cross(ニュージーランド赤十字 ここがクレジットカードで簡単に募金ができる)
http://www.redcross.org.nz/donate
(この募金リストは、このサイトからコピペした。 日本語で情報がまとまっているページだから是非見てみて。 http://greenz.jp/2011/02/24/nz_earthquake/ )
ただ、ちょっと考えてくれるだけで良いんだ。 何が出来るかを、何がされるべきかを。せっかく、私という子を通して、NZとも若干の縁がみんあある訳だし。
心配してくれた人もどうもありがとう。 優しさいたみいる。
アメリカからNZに帰ってきた日は、本当にびっくりした。 新聞の紙面の背景が真っ黒に塗られていて、亡くなった人達の顔写真が一面にずらっと並んでいるの。 本当に心が痛いよ。 誰1人として、「この人って地震で死にそう」なんて顔をしていないんだ。 本当に、本当に、そこらへんの普通の人達。 それを見て、また胸がぐしゃっとなった。 私だったかもしれないし、あなただったかもしれない。 なんて悲しいんだろう。
でも泣いていても仕方ないから、強くいなくちゃなと思う。
そして日本でも報道されていると思うけど、とても沢山の方が亡くなった。
ちょっとした背景説明なのですが、NZは人口が400万人をちょっと超えたぐらいの、日本でいうと横浜市よりちょっと大きい規模の国なんだ。 小さい上に、世界で一番隣国が遠い国でもある。 しかも隣の陸地は、オーストラリアと南極。 オーストラリアも天災ばっかり最近おこって満身創痍だし、南極は…、孤独はいやしてはくれない。
なので、どこの街を拠点にして仕事や生活をしても、常に人同士の交流が盛んにある。 じゃないと何も機能しないんだ。 大きいと言われている市でも横浜市の区ぐらいの人口規模だからさ。
私も日々一緒に仕事をしているとても大切な関係の人達や、学生時代の友人たちがクライストチャーチに沢山住んでる。 また私の周りの人達も皆、なんだかの形でクライストチャーチとの関係を持ってる。
横浜の区同士が協力し合うような感じで、いつも、常にお互いと関係し合いながら生活している。
NZの"存在感がないことだけが存在感"っていう現首相が、被災者に向けて、今回はっきりと良いスピーチをしたんだけど、その中に"On behalf of New Zealand let me say to all of you: We feel your pain, as only a small nation can, for none of us feel removed from this event./ニュージーランドの代表としてみんなに言わせてもらう:君の痛みを私たちは感じているよ。小さな国家だからこそ、だれも、この出来事から自分は関係ないとは思っていない"という言葉があった。 まったくもってそうで、結構マジで、I feel their painな感じになっています…。
例えば常に仕事を一緒にしている写真家は、今回の地震で家とスタジオとオフィス全てが全壊し、仕事道具も含めて全てを失う結果になった。 オークランドでの身近な人達の中には、まだクライストチャーチにいる親戚や友人と連絡がとれていない人達もいる。 新しい情報を知る度に、心がどんどんと冷えていって、単純に大泣きしたくなるんだ。 うわーんって。 被災した人達と自分の関係が生々しい分、相手が痛みを受けているその姿を思うだけで泣けてくる。
首相が"All New Zealanders have a piece of our heart in Christchurch."とも言っていて、これが本当にごもっともで驚いた。 いつもは小馬鹿にしていたクライストチャーチなのに、実際こういう事がおこってみると、"全てのニュージーランド人の心の一部がクライストチャーチにある"ってのがすごく的確だって分かるんだ。 ニュージーランド人じゃない私の心の一部も、やっぱりいつも、常に、クライストチャーチにあったんだ。 だから痛い。
同時にさ、私今回アメリカにいる間にこれがおったじゃん、そうしたら会う人会う人に、「お前NZ訛だな! 大丈夫か? どの街から来たんだ?!」って言われたよ。 「募金するよ」とも沢山言われた。 地震があった日は、私がもしかしたらニュースを知らないのかもと思った人達に、ものすごく心配されて遠慮されながら、「あのニュースの事しってる?」って言われたりした。 勿論、日本の友達もいっぱいメールくれてありがとう。 距離が近くなくても、逆に距離が近くないからこそ持てる、優しさと余裕があるんだなと痛感した。 これって凄いことだよね! 人って優しい!
NZからは痛みを感じて、他の人達からは人道を感じた。
お前は回し者かってぐらいに、存在感の無い首相のスピーチの引用を続けるんだけど、彼が"この国は被災者の真後ろに立って、僕たちの持っている力を全部使って君たちを支える。 そして世界は僕たちと一緒にいる。 近所のオーストラリ人やイギリスやアメリカの友達、世界中の偉大な国々が、君たちの車輪をまたまわすために肩を並べてくれている。"って言っていて、結構個人レベルでそれを感じたし、それを信じたい。(オーストラリア人はただの近所の人で、友達はイギリスとアメリカなんだなという、この微妙な言葉遣いに、ちょっと吹き出しつつも。)
NZの政府もすごく頑張っている。 世界中の協力を受けながら、被害を最小限にしようとしている。 医療現場の友人たちは、クライストチャーチに送られたり、重症の患者をオークランドに向かい入れて、すごい勢いで仕事をしている。 看護士の友人たちも、身体だけじゃなく、精神的なダメージを癒すために、沢山のプログラムをやっている。 私の友達も沢山献血しているし、様々な形で寄付をしている。
首相が被災した人達に対してスピーチで言った、"On behalf of the Government, let me be clear that no one will be left to walk this journey alone. New Zealand will walk this journey with you. We will be there every step of the way./政府の代表として、この事は明確にしたい。誰1人としてこの旅路を、孤独に歩く人はいない。ニュージーランドはこの旅路を君と歩く。君の歩く全ての道のりで僕たちは一緒にいる。"ってのを、実行するために頑張っているし、実行させるために被災しなかった人達も協力して、アテンションを払っている。 被災した人達の傷を最小限にしようとしている気配は、ひしひしと感じる。
でも同時に、胸が張り裂けそうな人達や、身体が傷つけられた人が多すぎて、優しさはどれだけあっても、ありすぎる事にはならないなと思わさせられるような、悲劇的な情報が沢山流れてる。
そう、だから、出来れば私の友達であるみんなにも、なんだかのアクションをしてもらいたいんだ。
まず自分自身が被災したらどうなるかってのをシュミレーションして、自分の為に必要な物や(eg薬、コンタクトレンズ、水)落ちて来たら危険な物を棚からどかしたり、仕事場で被災した場合の家への帰り方なんかを考えてもらいたい。
そして自分が被災した場合に、他人にやってもらいたい事を、是非、今被災している人達にやってあげてほしい。 例えば募金とか。
以下のところから募金ができる様子↓
【オンライン募金】
・ インターネット募金「ニュージーランド地震救援金」 (Yahoo!ボランティア)
http://volunteer.yahoo.co.jp/donation/detail/1301020/index.html
・ 日本赤十字社(銀行振込でも受付)
http://www.jrc.or.jp/contribution/l3/Vcms3_00002021.html
・ Salvation Army(ニュージーランド救世軍)
http://www.salvationarmy.org.nz/giving-back/donate-online/disaster-appeals/canterbury-earthquake-appeal/
・ New Zealand Red Cross(ニュージーランド赤十字 ここがクレジットカードで簡単に募金ができる)
http://www.redcross.org.nz/donate
(この募金リストは、このサイトからコピペした。 日本語で情報がまとまっているページだから是非見てみて。 http://greenz.jp/2011/02/24/nz_earthquake/ )
ただ、ちょっと考えてくれるだけで良いんだ。 何が出来るかを、何がされるべきかを。せっかく、私という子を通して、NZとも若干の縁がみんあある訳だし。
心配してくれた人もどうもありがとう。 優しさいたみいる。
アメリカからNZに帰ってきた日は、本当にびっくりした。 新聞の紙面の背景が真っ黒に塗られていて、亡くなった人達の顔写真が一面にずらっと並んでいるの。 本当に心が痛いよ。 誰1人として、「この人って地震で死にそう」なんて顔をしていないんだ。 本当に、本当に、そこらへんの普通の人達。 それを見て、また胸がぐしゃっとなった。 私だったかもしれないし、あなただったかもしれない。 なんて悲しいんだろう。
でも泣いていても仕方ないから、強くいなくちゃなと思う。
泣きたいのはクライストチャーチにいる人で、私は支える側なのだから。
長いのを読んでくれてありがとう。
じゃあまた!
2011-02-20
海
オークランド近郊のビーチ。 暑かった。
この時は、ここはオークランド郊外にある鳥のサンクチュアリの奥にあるビーチに行った。
NZって人類が入植するまで地上の動物は鳥類とコウモリしかいなかったんだって。 で、鳥もそこまで環境を独り占めできるようになると、飛ぶのをやめるらしく、飛べない鳥とか、ぼけーっとした鳥とかに進化した。 そんな箱入り娘のような鳥達は人類が来た途端に、持ち込まれた他の動物(犬やら猫やらネズミやら)に食べられ、旧来の生態系はぐちゃぐちゃになってしまった。 なので今は、NZには所々、森ごとまるまるフェンスで囲み他の動物が入れなないようになっているサンクチュアリを作り、鳥達を保護している。
夏の鳥のサンクチュアリには、一回チャンスがあったら是非行ってもらいたい。 そこは音のパラダイスでもある。 聞いた事がないぐらいの量の鳥達の歌声! 行くたびにに満天の星空を思い出すんだ。 満天の星空を見ると結構圧倒されるじゃん、あれと同じような感覚が、鳥の歌声から得られる。 不思議な空間。 人類が来る前のNZって、どこでも鳥達のさえずりがすごかったんだろうなぁ。 夏はセミも鳴いているから、大合唱なの! かなり圧倒的!
そんなサンクチュアリを散歩して、奥の方にずんずん歩いていくと、突然、「はいっ、陸はここでばっさり終わり!」ってはさみで布を切ったかのように、急にどーんと海になる。 世界がひっくり返るような感じ。 陸上の生態系が突然途絶えて、今度は水中の生態系が始まる。 この、ころっと生命の住処がひっくり返る感じが好きだ。 面白い。
私たちはイーハー!と興奮しながら服を脱いで海に突入する。 海って不思議で、見ているときの印象と入ってみたからの感じが、全く、全く違う。 入った途端に入る前の感覚と突然断絶される。 体の重さも、体を包む温度も、体に与えられるリズムも、途端に変わる。

ゴロゴロしている人達の横で私もゴロゴロした。 典型的な週末の数時間。
舗装されていない道を走って、目指すは海。
着く頃には車が砂で真っ白になっている。
この時は、ここはオークランド郊外にある鳥のサンクチュアリの奥にあるビーチに行った。
NZって人類が入植するまで地上の動物は鳥類とコウモリしかいなかったんだって。 で、鳥もそこまで環境を独り占めできるようになると、飛ぶのをやめるらしく、飛べない鳥とか、ぼけーっとした鳥とかに進化した。 そんな箱入り娘のような鳥達は人類が来た途端に、持ち込まれた他の動物(犬やら猫やらネズミやら)に食べられ、旧来の生態系はぐちゃぐちゃになってしまった。 なので今は、NZには所々、森ごとまるまるフェンスで囲み他の動物が入れなないようになっているサンクチュアリを作り、鳥達を保護している。
夏の鳥のサンクチュアリには、一回チャンスがあったら是非行ってもらいたい。 そこは音のパラダイスでもある。 聞いた事がないぐらいの量の鳥達の歌声! 行くたびにに満天の星空を思い出すんだ。 満天の星空を見ると結構圧倒されるじゃん、あれと同じような感覚が、鳥の歌声から得られる。 不思議な空間。 人類が来る前のNZって、どこでも鳥達のさえずりがすごかったんだろうなぁ。 夏はセミも鳴いているから、大合唱なの! かなり圧倒的!
そんなサンクチュアリを散歩して、奥の方にずんずん歩いていくと、突然、「はいっ、陸はここでばっさり終わり!」ってはさみで布を切ったかのように、急にどーんと海になる。 世界がひっくり返るような感じ。 陸上の生態系が突然途絶えて、今度は水中の生態系が始まる。 この、ころっと生命の住処がひっくり返る感じが好きだ。 面白い。
私たちはイーハー!と興奮しながら服を脱いで海に突入する。 海って不思議で、見ているときの印象と入ってみたからの感じが、全く、全く違う。 入った途端に入る前の感覚と突然断絶される。 体の重さも、体を包む温度も、体に与えられるリズムも、途端に変わる。
ゴロゴロしている人達の横で私もゴロゴロした。 典型的な週末の数時間。
2011-02-18
ぽっかりと空き時間
さっきまで結構忙しかったのに、今急にぽっかりとした空き時間が出来た。
はー、今週はなんか息をつく暇もなかったよ。 ちょっぴりへこたれてしまったりしておりました。
世の中には私なんかと比べ物にならない程大変で責任の重い仕事をしている人達がいる。
親しい友達が緊急治療室の看護婦さんとお医者さんで、彼らの話を聞いていると、私の仕事なんて、本当に遊びの一環だから、愚痴を言うのも申し訳なくなる。
そういう意味では工業デザイナーでいるってのは、素晴らしい事だなと思う。 ひたすら謙虚になれる。勿論、どういう市場で仕事をしているかにもよるけど、私の場合は、本当に世の中に喜びと贅沢を振りまく事が仕事なので…、謙虚な態度でいるしかない。 忙しいなんて言えないし、ストレスフルだとも言えない。
たまにもっと世の中に対して責任があって、世の中のルールを作ったり、社会の中でリーダーシップをとれるような仕事につければ良かったのにと思う時がある。 なぜだか、世の中と言うよりは、個人レベルの人々に向かって、喜びと贅沢を提供する不思議産業で働く人になってしまった。 まあ、きっと、他の仕事よりかは向いているんだろう。
はー、今週はなんか息をつく暇もなかったよ。 ちょっぴりへこたれてしまったりしておりました。
世の中には私なんかと比べ物にならない程大変で責任の重い仕事をしている人達がいる。
親しい友達が緊急治療室の看護婦さんとお医者さんで、彼らの話を聞いていると、私の仕事なんて、本当に遊びの一環だから、愚痴を言うのも申し訳なくなる。
そういう意味では工業デザイナーでいるってのは、素晴らしい事だなと思う。 ひたすら謙虚になれる。勿論、どういう市場で仕事をしているかにもよるけど、私の場合は、本当に世の中に喜びと贅沢を振りまく事が仕事なので…、謙虚な態度でいるしかない。 忙しいなんて言えないし、ストレスフルだとも言えない。
たまにもっと世の中に対して責任があって、世の中のルールを作ったり、社会の中でリーダーシップをとれるような仕事につければ良かったのにと思う時がある。 なぜだか、世の中と言うよりは、個人レベルの人々に向かって、喜びと贅沢を提供する不思議産業で働く人になってしまった。 まあ、きっと、他の仕事よりかは向いているんだろう。
2011-02-14
2011-02-07
異文化の人達の結婚式
週末は職場の同僚の結婚式だった。 彼女と私は名前、年齢、大学のあった街、入社した時期が同じ。 私が工業デザイナー、彼女がグラフィックデザイナーなので、一緒に仕事をする事も多い。 しかも住んでいた場所も長いこと近かったので、一時期は通勤も一緒だった。 会社ではデザインに関して質問があったら、「どっちかのアンナにとりあえず聞いておけ」って風潮があり、ほとんど同じ人扱いを受けている。
でも私は東アジア人で、彼女はイギリス系ニュージーランド人。 文化背景と生活様式と信仰が全く違う。 私は比較的リベラルな環境で育ち、無宗教で科学に信頼を置いているのに対して、彼女は結構保守的な環境で育った福音派キリスト教徒で、原理主義者だから、勿論進化論なんか信じてない。 聖書に書いてある事が原則全て、文字通りに正しいと信じているタイプの人だ。
お互い「まあ、悪い人じゃない。 仕事をする仲間としては好きだ。 個人的な話になると全く通じないが」と思いながら、同僚愛を育んでいる。 宗教が違うと、世界観が全く違うから、個人的なレベルになるとどっかで話が噛み合ないんだよね。 でも誠実で実直で真面目で勤労を尊ぶ彼女の信仰から得ている美徳は、一緒に仕事をする相手としては素晴らしい!
私は彼女に会うまで信仰や戒律が人生の真ん中にある人達に会った事がそんなになかったので、すごく沢山の事を彼女から教わった。 キリスト教の素晴らしい側面も、そして理解出来ないと思う側面も、生活様式も、戒律も、彼女と一緒に仕事をする事で知った事ばかりで、とても、とても感謝している。 願わくば、彼女も私から若干のアジア文化の長所やら短所やらに触れて、興味を持ってくれたら良いなと思う。
そんな彼女の結婚式! 私は彼女が旦那さんとつきあい始めた日の事も、プロポーズされた日の事も、婚約パーティーも、結婚の準備も、ヘンズナイトも一連のイベントを横で見て来たので、(それどころか始めて手を繋いだ日、始めてキスした日も知っている!)感動もひとしお。
そして古式ゆかしき生活様式を、建前や"ごっこ"でなく、信仰とともに行われている彼女の結婚式を見るのは、とてもとても楽しみだった。 そして実際、結婚式の最中は、終止「なるほどっっっ」の連発だったよ。
英語圏のキリスト教徒の結婚式の、基本的な雛形は、教会で神父さんが執り行う儀式と披露宴に別れている。
1. 教会で神父さんが執り行う結婚式
まずキリスト教徒にとっての結婚の意味やらを聖書から説教される。 家庭は小さな教会であり、信仰の場であり、夫婦関係は男と女、そして神様の三位一体で成り立つものだと説教。 そして細かい結婚に関する戒律と信仰をキリスト教者として守れるかと問われ、守れると新郎新婦が誓う。 儀式に参加している人皆で祈ったり、歌ったり、誓いの証人になったりといろいろする。
彼女達は「死が二人を分つまで〜」っていう古典的な誓いの言葉を神様に対して誓い、指輪を交換して、契約書にサインして、結婚成立。
その神父さん曰く、結婚ってのは神様が一番はじめに人間に対して作った制度なのだそうだ。 アダムを作った後に、「男が一人でうろうろしているのはよろしくない。 男にはそばに付き添いがいる。 って事でそばの骨(肋骨)からイブを作った。 女は男の付き添いとして作られた。 それが女の存在理由である。」と説教。 結婚する人達の人柄を話すときも、新郎の勇敢さや人格の素晴らしさを話した後に、新婦にたいして「この人はこの男の良い付き添いになれるだろう」というスタイルだった。 そして多分、これは彼らにとっては比喩とか寓話とかじゃなくて、歴史的事実。 説得力を増すために、三分に一度「イエスキリストはこうおっしゃった」とか「聖書にはこう書いてある」などなど、イエスキリストと聖書に価値を置いている人達からしてみたら、「間違えねぇ」ってなるような話し方をしていた。 が、関係ない人達からすると、文化人類学や民族学的には興味深いが、個人的には違和感のある話。 福岡伸一さんとかその場にいたら、速攻で「意義あり!!!」と手を挙げただろう。
私はここで、親世代がフェミニズムとかに本気で打ち込んだ動機が実感できた。 結構、リベラルな人間たちの動機と、反抗心が納得出来た。
そして同僚の持っている女性観とかも、こういう環境で育まれるのだなあと納得。 腑に落ちました。
新婦の父親が、ヴァージンロードを新婦と歩き、新郎に引き渡す理由も分かる。
婚前交渉は戒律に違反するので、本当にヴァージンロードはヴァージンロード。
この"ごっこ"感がない所にはあっぱれ。
家族の価値の高さがそこから伺える。
家族の価値が高いから、家族を作るまでの人生に与えられている戒律を守るし、儀式にも嘘がない。 私はその誠実さにはすごく胸がうたれた。
私はキリスト教徒じゃないので、「結婚は神様が作った制度」だとか、「結婚とは夫婦と神様、三者のためのもの」と言われると、「分かった、私は結婚はしない」と思ってしまう。 誰かとユナイトするときは、シビルユニオンが良い。 (NZにはシビルユニオンという、条件は結婚と同じだけど、教会と聖書に対してではなく、市民として役所でする二人の人間のユナイトの方法がある。シビルユニオンには性別の限定がないので、同性愛者の人達も使える) 私の友達が今回教会でやったぐらいに、自分の人生と家族観に対して誠実に行いたい。
2.その後のレセプション(披露宴)
結婚式が本当に、父性、父なるもののための真面目な儀式だったのと比べて、レセプションはもっとパーティーパーティーしている。
新郎新婦と、新郎のベストマン、新婦のブライズメイドのグループをまとめて、ブライダルパーティーという。 ブライダルパーティーは会場全体を見渡せるところに座り、参加する人達は決められた席に座る。
新婦の父がスピーチをして、その後新郎の父が祈りを捧げる。 会場一同で祈る。
その後に食事。
これは美しい習慣だよなと思う。 新しい家族が出来た日の、始めての家族の食事は、こんなに沢山の大切な人達と食されるのだ。 素直に、「ああ、この家族の一番最初の食事を一緒にさせてもらえるってうれしいな」と思った。 そしてとてもおいしいご飯だった!
ご飯の後にブライダルパーティーの人達がスピーチをする。 新郎新婦から始まって、ベストマンとブライズメイドが新郎新婦に関して話す。 スピーチもやっぱり"天国ネタ"とか、"地獄ネタ"とか、宗教的ジョークが散らばった、軽く聖☆おにいさん状態のもので、笑っていいのかこっちは軽く困る。
その後にケーキカットをして、皆で食べる。
で、ファーストダンスをする。 まず新婦が父親とワルツを踊って、父親が新郎にバトンタッチ。 で、新郎新婦で踊る。
曲が終わると、みんなで会場を出て、新郎新婦を初夜/ハネムーンに送り出す。 この奪ってとんずらする感じ、あっぱれ。 本当に間髪入れずに新郎自ら運転する車で去っていった。
こうやって結婚の日はおしまい。
女の子側からすると、どんなドレスかとか会場かとか、愛らしくて美しいものに結婚式の話しは集約される。 その間、男同士は粛々と女の受け渡しを行い、受け渡された瞬間に去る。 分かりやすいね。
非常に、多方面で合点のいく、異文化結婚式だった。 彼女と私の日頃の関係と一緒で、「意味は分かるが、理解は出来ん」が終始貫かれた。 だからといって、お祝いの気持ちが少ないとかってのは勿論なくて、所々本当に胸が温かくなったし、幸福だった。 彼女が幸せならそれでいい。 多分、この距離感が"異文化"って事なのだろう。
最後に、私は父親から、他の男に渡されたいか…と考えると、なんだか拒否感が胸にわき起こる。 なんだかねぇ。 私、父さんだけの子じゃないし。 じゃあ、両親揃って私を引き渡してくれたら…?と考えても、いやだよ、とらわれの宇宙人じゃないんだから。 ワシは市場の牛か? プライドが傷つく。 じゃあ私も、相手も、両方の親に付き添われて、右と左とかから入場して真ん中で会ったら…?って考えると、お前は幼稚園生かとつっこみたくなる。
昔は父親と歩くときには、是非スターウォーズの帝国の逆襲のテーマをながしたいものだとか、新郎と退場する際にはマリオのテーマをかけて踊りながら退場したいとか、若干の少女趣味もあったものだが、この年になると「法律関係の契約書をしっかり書いて、その後親しい人達と美味い飯を食してお祝いしたい」程度に集約されていくよ…。 どう考えても自分、もう少女じゃないしねぇ。
信仰がある人生とない人生についても考えさせられた。
なんか結婚式って考えさせられるね。 幸福な気持ちになりつつも、考えさせられたよ。
でも私は東アジア人で、彼女はイギリス系ニュージーランド人。 文化背景と生活様式と信仰が全く違う。 私は比較的リベラルな環境で育ち、無宗教で科学に信頼を置いているのに対して、彼女は結構保守的な環境で育った福音派キリスト教徒で、原理主義者だから、勿論進化論なんか信じてない。 聖書に書いてある事が原則全て、文字通りに正しいと信じているタイプの人だ。
お互い「まあ、悪い人じゃない。 仕事をする仲間としては好きだ。 個人的な話になると全く通じないが」と思いながら、同僚愛を育んでいる。 宗教が違うと、世界観が全く違うから、個人的なレベルになるとどっかで話が噛み合ないんだよね。 でも誠実で実直で真面目で勤労を尊ぶ彼女の信仰から得ている美徳は、一緒に仕事をする相手としては素晴らしい!
私は彼女に会うまで信仰や戒律が人生の真ん中にある人達に会った事がそんなになかったので、すごく沢山の事を彼女から教わった。 キリスト教の素晴らしい側面も、そして理解出来ないと思う側面も、生活様式も、戒律も、彼女と一緒に仕事をする事で知った事ばかりで、とても、とても感謝している。 願わくば、彼女も私から若干のアジア文化の長所やら短所やらに触れて、興味を持ってくれたら良いなと思う。
そんな彼女の結婚式! 私は彼女が旦那さんとつきあい始めた日の事も、プロポーズされた日の事も、婚約パーティーも、結婚の準備も、ヘンズナイトも一連のイベントを横で見て来たので、(それどころか始めて手を繋いだ日、始めてキスした日も知っている!)感動もひとしお。
そして古式ゆかしき生活様式を、建前や"ごっこ"でなく、信仰とともに行われている彼女の結婚式を見るのは、とてもとても楽しみだった。 そして実際、結婚式の最中は、終止「なるほどっっっ」の連発だったよ。
英語圏のキリスト教徒の結婚式の、基本的な雛形は、教会で神父さんが執り行う儀式と披露宴に別れている。
1. 教会で神父さんが執り行う結婚式
まずキリスト教徒にとっての結婚の意味やらを聖書から説教される。 家庭は小さな教会であり、信仰の場であり、夫婦関係は男と女、そして神様の三位一体で成り立つものだと説教。 そして細かい結婚に関する戒律と信仰をキリスト教者として守れるかと問われ、守れると新郎新婦が誓う。 儀式に参加している人皆で祈ったり、歌ったり、誓いの証人になったりといろいろする。
彼女達は「死が二人を分つまで〜」っていう古典的な誓いの言葉を神様に対して誓い、指輪を交換して、契約書にサインして、結婚成立。
その神父さん曰く、結婚ってのは神様が一番はじめに人間に対して作った制度なのだそうだ。 アダムを作った後に、「男が一人でうろうろしているのはよろしくない。 男にはそばに付き添いがいる。 って事でそばの骨(肋骨)からイブを作った。 女は男の付き添いとして作られた。 それが女の存在理由である。」と説教。 結婚する人達の人柄を話すときも、新郎の勇敢さや人格の素晴らしさを話した後に、新婦にたいして「この人はこの男の良い付き添いになれるだろう」というスタイルだった。 そして多分、これは彼らにとっては比喩とか寓話とかじゃなくて、歴史的事実。 説得力を増すために、三分に一度「イエスキリストはこうおっしゃった」とか「聖書にはこう書いてある」などなど、イエスキリストと聖書に価値を置いている人達からしてみたら、「間違えねぇ」ってなるような話し方をしていた。 が、関係ない人達からすると、文化人類学や民族学的には興味深いが、個人的には違和感のある話。 福岡伸一さんとかその場にいたら、速攻で「意義あり!!!」と手を挙げただろう。
私はここで、親世代がフェミニズムとかに本気で打ち込んだ動機が実感できた。 結構、リベラルな人間たちの動機と、反抗心が納得出来た。
そして同僚の持っている女性観とかも、こういう環境で育まれるのだなあと納得。 腑に落ちました。
新婦の父親が、ヴァージンロードを新婦と歩き、新郎に引き渡す理由も分かる。
婚前交渉は戒律に違反するので、本当にヴァージンロードはヴァージンロード。
この"ごっこ"感がない所にはあっぱれ。
家族の価値の高さがそこから伺える。
家族の価値が高いから、家族を作るまでの人生に与えられている戒律を守るし、儀式にも嘘がない。 私はその誠実さにはすごく胸がうたれた。
私はキリスト教徒じゃないので、「結婚は神様が作った制度」だとか、「結婚とは夫婦と神様、三者のためのもの」と言われると、「分かった、私は結婚はしない」と思ってしまう。 誰かとユナイトするときは、シビルユニオンが良い。 (NZにはシビルユニオンという、条件は結婚と同じだけど、教会と聖書に対してではなく、市民として役所でする二人の人間のユナイトの方法がある。シビルユニオンには性別の限定がないので、同性愛者の人達も使える) 私の友達が今回教会でやったぐらいに、自分の人生と家族観に対して誠実に行いたい。
2.その後のレセプション(披露宴)
結婚式が本当に、父性、父なるもののための真面目な儀式だったのと比べて、レセプションはもっとパーティーパーティーしている。
新郎新婦と、新郎のベストマン、新婦のブライズメイドのグループをまとめて、ブライダルパーティーという。 ブライダルパーティーは会場全体を見渡せるところに座り、参加する人達は決められた席に座る。
新婦の父がスピーチをして、その後新郎の父が祈りを捧げる。 会場一同で祈る。
その後に食事。
これは美しい習慣だよなと思う。 新しい家族が出来た日の、始めての家族の食事は、こんなに沢山の大切な人達と食されるのだ。 素直に、「ああ、この家族の一番最初の食事を一緒にさせてもらえるってうれしいな」と思った。 そしてとてもおいしいご飯だった!
ご飯の後にブライダルパーティーの人達がスピーチをする。 新郎新婦から始まって、ベストマンとブライズメイドが新郎新婦に関して話す。 スピーチもやっぱり"天国ネタ"とか、"地獄ネタ"とか、宗教的ジョークが散らばった、軽く聖☆おにいさん状態のもので、笑っていいのかこっちは軽く困る。
その後にケーキカットをして、皆で食べる。
で、ファーストダンスをする。 まず新婦が父親とワルツを踊って、父親が新郎にバトンタッチ。 で、新郎新婦で踊る。
曲が終わると、みんなで会場を出て、新郎新婦を初夜/ハネムーンに送り出す。 この奪ってとんずらする感じ、あっぱれ。 本当に間髪入れずに新郎自ら運転する車で去っていった。
こうやって結婚の日はおしまい。
女の子側からすると、どんなドレスかとか会場かとか、愛らしくて美しいものに結婚式の話しは集約される。 その間、男同士は粛々と女の受け渡しを行い、受け渡された瞬間に去る。 分かりやすいね。
非常に、多方面で合点のいく、異文化結婚式だった。 彼女と私の日頃の関係と一緒で、「意味は分かるが、理解は出来ん」が終始貫かれた。 だからといって、お祝いの気持ちが少ないとかってのは勿論なくて、所々本当に胸が温かくなったし、幸福だった。 彼女が幸せならそれでいい。 多分、この距離感が"異文化"って事なのだろう。
最後に、私は父親から、他の男に渡されたいか…と考えると、なんだか拒否感が胸にわき起こる。 なんだかねぇ。 私、父さんだけの子じゃないし。 じゃあ、両親揃って私を引き渡してくれたら…?と考えても、いやだよ、とらわれの宇宙人じゃないんだから。 ワシは市場の牛か? プライドが傷つく。 じゃあ私も、相手も、両方の親に付き添われて、右と左とかから入場して真ん中で会ったら…?って考えると、お前は幼稚園生かとつっこみたくなる。
昔は父親と歩くときには、是非スターウォーズの帝国の逆襲のテーマをながしたいものだとか、新郎と退場する際にはマリオのテーマをかけて踊りながら退場したいとか、若干の少女趣味もあったものだが、この年になると「法律関係の契約書をしっかり書いて、その後親しい人達と美味い飯を食してお祝いしたい」程度に集約されていくよ…。 どう考えても自分、もう少女じゃないしねぇ。
信仰がある人生とない人生についても考えさせられた。
なんか結婚式って考えさせられるね。 幸福な気持ちになりつつも、考えさせられたよ。
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