週末は職場の同僚の結婚式だった。 彼女と私は名前、年齢、大学のあった街、入社した時期が同じ。 私が工業デザイナー、彼女がグラフィックデザイナーなので、一緒に仕事をする事も多い。 しかも住んでいた場所も長いこと近かったので、一時期は通勤も一緒だった。 会社ではデザインに関して質問があったら、「どっちかのアンナにとりあえず聞いておけ」って風潮があり、ほとんど同じ人扱いを受けている。
でも私は東アジア人で、彼女はイギリス系ニュージーランド人。 文化背景と生活様式と信仰が全く違う。 私は比較的リベラルな環境で育ち、無宗教で科学に信頼を置いているのに対して、彼女は結構保守的な環境で育った福音派キリスト教徒で、原理主義者だから、勿論進化論なんか信じてない。 聖書に書いてある事が原則全て、文字通りに正しいと信じているタイプの人だ。
お互い「まあ、悪い人じゃない。 仕事をする仲間としては好きだ。 個人的な話になると全く通じないが」と思いながら、同僚愛を育んでいる。 宗教が違うと、世界観が全く違うから、個人的なレベルになるとどっかで話が噛み合ないんだよね。 でも誠実で実直で真面目で勤労を尊ぶ彼女の信仰から得ている美徳は、一緒に仕事をする相手としては素晴らしい!
私は彼女に会うまで信仰や戒律が人生の真ん中にある人達に会った事がそんなになかったので、すごく沢山の事を彼女から教わった。 キリスト教の素晴らしい側面も、そして理解出来ないと思う側面も、生活様式も、戒律も、彼女と一緒に仕事をする事で知った事ばかりで、とても、とても感謝している。 願わくば、彼女も私から若干のアジア文化の長所やら短所やらに触れて、興味を持ってくれたら良いなと思う。
そんな彼女の結婚式! 私は彼女が旦那さんとつきあい始めた日の事も、プロポーズされた日の事も、婚約パーティーも、結婚の準備も、ヘンズナイトも一連のイベントを横で見て来たので、(それどころか始めて手を繋いだ日、始めてキスした日も知っている!)感動もひとしお。
そして古式ゆかしき生活様式を、建前や"ごっこ"でなく、信仰とともに行われている彼女の結婚式を見るのは、とてもとても楽しみだった。 そして実際、結婚式の最中は、終止「なるほどっっっ」の連発だったよ。
英語圏のキリスト教徒の結婚式の、基本的な雛形は、教会で神父さんが執り行う儀式と披露宴に別れている。
1. 教会で神父さんが執り行う結婚式
まずキリスト教徒にとっての結婚の意味やらを聖書から説教される。 家庭は小さな教会であり、信仰の場であり、夫婦関係は男と女、そして神様の三位一体で成り立つものだと説教。 そして細かい結婚に関する戒律と信仰をキリスト教者として守れるかと問われ、守れると新郎新婦が誓う。 儀式に参加している人皆で祈ったり、歌ったり、誓いの証人になったりといろいろする。
彼女達は「死が二人を分つまで〜」っていう古典的な誓いの言葉を神様に対して誓い、指輪を交換して、契約書にサインして、結婚成立。
その神父さん曰く、結婚ってのは神様が一番はじめに人間に対して作った制度なのだそうだ。 アダムを作った後に、「男が一人でうろうろしているのはよろしくない。 男にはそばに付き添いがいる。 って事でそばの骨(肋骨)からイブを作った。 女は男の付き添いとして作られた。 それが女の存在理由である。」と説教。 結婚する人達の人柄を話すときも、新郎の勇敢さや人格の素晴らしさを話した後に、新婦にたいして「この人はこの男の良い付き添いになれるだろう」というスタイルだった。 そして多分、これは彼らにとっては比喩とか寓話とかじゃなくて、歴史的事実。 説得力を増すために、三分に一度「イエスキリストはこうおっしゃった」とか「聖書にはこう書いてある」などなど、イエスキリストと聖書に価値を置いている人達からしてみたら、「間違えねぇ」ってなるような話し方をしていた。 が、関係ない人達からすると、文化人類学や民族学的には興味深いが、個人的には違和感のある話。 福岡伸一さんとかその場にいたら、速攻で「意義あり!!!」と手を挙げただろう。
私はここで、親世代がフェミニズムとかに本気で打ち込んだ動機が実感できた。 結構、リベラルな人間たちの動機と、反抗心が納得出来た。
そして同僚の持っている女性観とかも、こういう環境で育まれるのだなあと納得。 腑に落ちました。
新婦の父親が、ヴァージンロードを新婦と歩き、新郎に引き渡す理由も分かる。
婚前交渉は戒律に違反するので、本当にヴァージンロードはヴァージンロード。
この"ごっこ"感がない所にはあっぱれ。
家族の価値の高さがそこから伺える。
家族の価値が高いから、家族を作るまでの人生に与えられている戒律を守るし、儀式にも嘘がない。 私はその誠実さにはすごく胸がうたれた。
私はキリスト教徒じゃないので、「結婚は神様が作った制度」だとか、「結婚とは夫婦と神様、三者のためのもの」と言われると、「分かった、私は結婚はしない」と思ってしまう。 誰かとユナイトするときは、シビルユニオンが良い。 (NZにはシビルユニオンという、条件は結婚と同じだけど、教会と聖書に対してではなく、市民として役所でする二人の人間のユナイトの方法がある。シビルユニオンには性別の限定がないので、同性愛者の人達も使える) 私の友達が今回教会でやったぐらいに、自分の人生と家族観に対して誠実に行いたい。
2.その後のレセプション(披露宴)
結婚式が本当に、父性、父なるもののための真面目な儀式だったのと比べて、レセプションはもっとパーティーパーティーしている。
新郎新婦と、新郎のベストマン、新婦のブライズメイドのグループをまとめて、ブライダルパーティーという。 ブライダルパーティーは会場全体を見渡せるところに座り、参加する人達は決められた席に座る。
新婦の父がスピーチをして、その後新郎の父が祈りを捧げる。 会場一同で祈る。
その後に食事。
これは美しい習慣だよなと思う。 新しい家族が出来た日の、始めての家族の食事は、こんなに沢山の大切な人達と食されるのだ。 素直に、「ああ、この家族の一番最初の食事を一緒にさせてもらえるってうれしいな」と思った。 そしてとてもおいしいご飯だった!
ご飯の後にブライダルパーティーの人達がスピーチをする。 新郎新婦から始まって、ベストマンとブライズメイドが新郎新婦に関して話す。 スピーチもやっぱり"天国ネタ"とか、"地獄ネタ"とか、宗教的ジョークが散らばった、軽く聖☆おにいさん状態のもので、笑っていいのかこっちは軽く困る。
その後にケーキカットをして、皆で食べる。
で、ファーストダンスをする。 まず新婦が父親とワルツを踊って、父親が新郎にバトンタッチ。 で、新郎新婦で踊る。
曲が終わると、みんなで会場を出て、新郎新婦を初夜/ハネムーンに送り出す。 この奪ってとんずらする感じ、あっぱれ。 本当に間髪入れずに新郎自ら運転する車で去っていった。
こうやって結婚の日はおしまい。
女の子側からすると、どんなドレスかとか会場かとか、愛らしくて美しいものに結婚式の話しは集約される。 その間、男同士は粛々と女の受け渡しを行い、受け渡された瞬間に去る。 分かりやすいね。
非常に、多方面で合点のいく、異文化結婚式だった。 彼女と私の日頃の関係と一緒で、「意味は分かるが、理解は出来ん」が終始貫かれた。 だからといって、お祝いの気持ちが少ないとかってのは勿論なくて、所々本当に胸が温かくなったし、幸福だった。 彼女が幸せならそれでいい。 多分、この距離感が"異文化"って事なのだろう。
最後に、私は父親から、他の男に渡されたいか…と考えると、なんだか拒否感が胸にわき起こる。 なんだかねぇ。 私、父さんだけの子じゃないし。 じゃあ、両親揃って私を引き渡してくれたら…?と考えても、いやだよ、とらわれの宇宙人じゃないんだから。 ワシは市場の牛か? プライドが傷つく。 じゃあ私も、相手も、両方の親に付き添われて、右と左とかから入場して真ん中で会ったら…?って考えると、お前は幼稚園生かとつっこみたくなる。
昔は父親と歩くときには、是非スターウォーズの帝国の逆襲のテーマをながしたいものだとか、新郎と退場する際にはマリオのテーマをかけて踊りながら退場したいとか、若干の少女趣味もあったものだが、この年になると「法律関係の契約書をしっかり書いて、その後親しい人達と美味い飯を食してお祝いしたい」程度に集約されていくよ…。 どう考えても自分、もう少女じゃないしねぇ。
信仰がある人生とない人生についても考えさせられた。
なんか結婚式って考えさせられるね。 幸福な気持ちになりつつも、考えさせられたよ。
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