今日は22日に地震がおこった時刻12時51分から2分間、国中で黙祷をした。
私は職場のオフィスが近い人達と集まって、ラジオを流した。 クライストチャーチ出身のラジオパーソナリティーの女性が、自分が黙祷を呼びかけることについて「こんなに悲しい報道をしなくてはいけないなんて」と言っていた。 自分の地元が破壊されてしまった事に対する黙祷を、人びとに呼びかけるなんて、胸の張り裂けるような痛みがあるだろう…。
そして二分間の沈黙。 職場の人達は皆目を真っ赤にしていた。
ニュージーランドは、マオリ語ではアオテアロアという。 白く長い雲のたなびく島という意味なんだそう。 今日のオークランドは本当に晴れていた。 名前の通り、白く長い雲が真っ青な空にたなびいていて、黙祷の間は風の音と、鳥の鳴き声、蝉の声だけが響いていた。 それ以外の音は、全くしなかった。 本当に、人間の作る音がなかった。 沈黙は、自分が大地の上に立っているのだと言う事を、強烈に私に伝えてきた。 自分が、アオテアロアと呼ばれる大地の上に立ち、大地に慈しまれ、育まれ、そして、大地の運命に翻弄されるのだと奇妙に納得させられた。 私も泣けてきた。
黙祷の間、亡くなった人達の顔を出来る限り思い浮かべた。
黙祷の後は、国歌が流れた。 一番目はマオリ語で、そして二番目は英語で歌われる。 ポリネシアのリズムとヨーロッパのリズムが混ざった演奏だった。
youtubeのこの映像で流れているのと全く同じヴァージョンが使われていた。
ポリネシアのリズムは、ニュージーランドにとてもよく似合う。 というか、ニュージーランドの音が集まると、ポリネシアのリズムになるのだと思う。 優しくて、強い。
亡くなった方のご家族、ご友人の事の痛みを思うと、涙が出る。 私だったかもしれないから。 自分がどの立場であってもおかしくない。 日常的に住んでる所、NZか日本だもん。 地震が少ないとは言えない場所だよ。 行方不明になっている方のご家族、ご友人の事を思っても、涙が出る。 そんな立場に、誰一人として立ってほしくない。 だって、自分が絶対に立ちたくないから。 被災された方々の今と、そしてこれからを思うと、その険しさに、"支えなくては"と思わさせられる。
最初、黙祷をすると聞いた時に「そんな事をするのになんの意味があるんだろう」と思った。 でもやってみたら、自分の中にあった悲しい気持ちに対して、「今は悲しんでいいんだよ、亡くなった人の事を思っていいんだよ、悲しみと不安の中にいる人達に感情移入をしていいんだよ」と共同体に許してもらえたような気分になった。 今回のことで自分自身が持った不安や悲しみの解放を許された気がした。 これはお葬式だったのだと後になって気がついた。
そして「これがどうしようもない現実なんだ」という感覚に襲われた。 多分、黙祷するまで、死や喪失にたいして、どこか現実的に感じていなかったのだと思う。 NZに帰ってきてからのこの2日間は、夢の中にいるような感じだった。 まさかこんなのが現実なはずがないって。 でも黙祷を国中でしていて、みんなで黙って、泣いて、国歌まで聞いてるなんて、これはまさしく、本当におこったことなのだと、実感させられた。
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