2009-08-25

ケイスケとパイナップル ミズホと彪

 日本の大学時代の友達ケイスケにアレクサンダーワンのワンピースを買って送れと頼んだら「無理です」とさらっと断られた。 でも働きはじめて半年経った事を丁寧に誉めてもらえた。 彼は偉い! 友達の人生に訪れている要所要所をちゃんと気にかけてくれて、色々と言葉をかけてくれて、そして色々と聞いてくれる。 君の存在こそがプレゼントだ!!!

 仕事を初めて半年過ぎて、リ・ブランディングと新しいプロダクトの発表会も終わった。 つい一ヶ月前ぐらいに「本当にこのプロジェクトが終わる日は訪れるのだろうか…?」と思っていたのに、気がついたら色んなプロジェクトが一段階終了していた。 不思議な気分だ…。
実際に手元にちょっとでも自分が関わった仕事が戻ってきた時に思わずぶわっと色んな喜びが胸に湧く。 なんかどっかワンダフルで、ファンタスティックな経験なんだよ。 そして前にも書いたけど、いろんな人にやけに感謝してしまう。

 ケイスケは間違えなくその中でも五本の指に入る、私の大切な友達だ。 彼の気遣いに感謝してもし足りない。 この半年間コンスタントに気をかけてくれて、色々と支えてくれた。 一番かけてほしい言葉を、一番いいタイミングで、日本からぽろっとメールやら電話やらで伝えてくれる。 私の永遠のミューズである彼の伴侶のミズホも含め、二人とも大好きです。 とてもとても君たちは良い感じだ。

 さて、思い起こせば六年前、私は真っ赤なアロハシャツを着て大学に行っていた。 オオヤマはオレンジのパイナップル柄のYシャツを着ていた。 ミズホは彪柄のスキニージーンズを履いていた。 みーんないつも髪型がどっか刈り上がったり、どっかが盛り上がったり、どっかが減ったりとへんちくりんだった。 よく呑んだし、よくご飯を一緒に食べた。 抽象表現主義以前の作家を全員小馬鹿にして、そしてアメリカ現代美術に魂の救済を求めていた。 そして三人ともけっこう真面目に身体表現史の授業では白塗りをして舞踏を池のまわりで踊ったりしていた。 良い思い出だ。 そう、私はこの二人をすごく良く知っているし、彼らも私を知っている。 女友達でここまで一緒に眠りまくったのはミズホぐらいだし、ケイスケとは東京にいる際、ワイン瓶と水一本づつとパン数個、果物やらディップやらを鞄に入れて、昼間っから東京中散歩して、酒と水をラッパ飲みしていた。

 一緒にいるといつも見える景色が美しくて、夕方になると一緒に過ごした全ての場所がダイヤモンドみたいにキラキラして見えた。 隅田川も、品川も、東京の奥まった住宅地も、いつでも最高に胸が締め付けられる景色だった。 ミズホととことこと歩いた路地裏や、ケイスケと散歩したオフィス街の色彩が私を励ましてくれる。

 そんな私達もついに、四半世紀生きてしまったようだ。 三人あわせると、76年! 歩ちゃん入れると、丁度100年! 四人で集まれば100年分の遊びの叡智。 多分私達、今スーパーマリオ並みに最強。 今年の年末のテーマはそれで行こうぜ。 ミズホ、ロンドンでいないから、スカノとかで代用してさ。 「百年祭」だ。 スカノが巫女で、私が牧童で、ケイスケが河童で、歩ちゃんが猫女で、なんか適当に祝し合おう。 


 そう、前置きが長くなったけど、どうやら今日がグループ最年少男子ケイスケのお誕生日なのね。 お誕生日おめでとう。 ミズホの誕生日も、ごめん、おめでとうって言い忘れた。 でもまだ十日以内だから許して。 ミズホもおめでとう!

 おめでとう! おめでとう! これからもいっぱい一緒に遊ぼうね! これからもずっと一緒にいてね。 大好きだから!

キャットレイディーとラビーズ

 私は猫に興味が無い。 実は今の家は2匹黒猫を飼っているけど、どっちがどっちなのかも分からないし、フラットメイトに餌をやっておいてと言われればやるし、猫の砂も変えるけど、本当に興味が湧かない。 名前すら咄嗟には出てこない。 これまでも何回か猫と住んだ事があるけど、仲が良かった事は無いし、こっちから触りに行った事も無い。 一匹の猫とは毎晩一緒に寝ていたけど、最後まで名前を覚えなかった。 連れ合いの実家にも猫が数匹いて、毎週末遊びに行っているけど、まだ一回もこっちから触った事が無い。 猫側から触られた事は数回あるけど、こっちからは何もしない。 それが私と猫の関係だ。

 猫が好きな人は猫眼があるようで、道端でもどこでも猫を発見する。 そして話しかけたり、呼びかけたり、触ろうとしたりする。 私は、人が猫を触って「アンナ、猫だよ」って言ってくれるまで、それに気がつかない。 猫はよく分からない。

 私の会社の先輩が中国へ三週間里帰りをして今日帰ってきた。 彼女はグラフィックデザイナーで私の直属の先輩。 ものすっごいキャラクターだ。 私は彼女ほど際立った個性の人間にこれまで会った事が無い。 大陸的とはこういう事なのかと思わさせるほどに、切れ味がよく、きっぷがよく、風通しの良い人で、良くも悪くも次元を超えて大雑把で、そして感情の触れ幅が激しく、面白い。 そして気が強い。 ものすごく面白い。 ワイルド アット ハートとでも言えば表現できるのかもしれないけど、本当に生き物として強いのだ。 

 そんな彼女はとてもとてもキャットレイディーだ。 離婚の際に「私の愛する生き物はこの猫達だけ!」とペットの猫に対する強烈な愛情に目覚めて以来、日々私からすると「そんな事思いつきもしなかった!」ってレベルで自分の猫を可愛がっている。 そして動物愛護団体にも入り、ヴォランティアで様々な動物に慈愛の手を差し伸べている。 

 今日久しぶりにあって、中国での話しを色々聞かせてもらった。 「最初の一週間は外国からの入国者ってことで(彼女はニュージーランドに帰化しているので外国人扱いらしい)新型インフルエンザ対策で隔離されたわ。 毎日ランダムな時間に衛生局から家にいるかっていう確認の電話がかかってくるのよ。」とか、「橋が壊れてたわ。 どっかーんと」とか、こっちからすると”やる事でかいね!”って話しの連発であった。 彼女のお土産のバカでっかいフガシを食しながら、ほうほうと話しを聞いていた。

 そして極めつけの思い出話が、「野良猫を撫でたら、噛まれたの。 そうしたら腕が腫れ上がって、変な赤い線が胴体めがけてブワブワブワーっと広がったのよね。 病院に行ったら、ラビーズに感染したって言われて、一週間今度は病院に隔離されて注射をうたれまくったわ。」だった。 最初、ラビーズという病名がぴんと来ず、またあまりにもカジュアルにその話しをする姿に疥癬かなんかに感染したのかと思った。 (疥癬もかかった友達曰く、地獄の苦しみらしいのでカジュアルな話しじゃないけど…) でも話しを聞いているとどうも狂犬病なので、ウィキペディアを見てみたらやっぱりどんぴしゃりで狂犬病だった。 「狂犬病かよ!!」とあわを食った私。 どこか遠くでの病気だと思っていた。 空港で警告を見るけど、まさかとなりの席のデザイナーが普通に感染するとは…。 のんきな私とニュージーランド人のデザイナー二人で「死んじゃうじゃん!!! ちょっとあなた、すごい危険よ?!」と慌てふためいた。

 「そうよねー、あの猫はきっともう死んじゃうのよね…。 かわいそうに、かわいそうに…。」と猫に対して深い同情を示す彼女。 猫に対する怒りゼロ。 キャットレイディーの神髄を見たって気がしたわ。 やっぱ動物好きになるなら、それぐらいじゃなきゃだわよね。 

 これからも何回かワクチンをうたなくてはいけない彼女は、祖国の恵まれない猫達に深い同情心を示していた。 偉い。 偉い、あなた偉いと、私一人で痺れた。

 三週間の里帰りで2週間の隔離。 本当に、何をやっても大々的ですねとこっちは感心したよ。 とりあえず彼女の復帰と近代医療に乾杯!!

2009-08-22

ってことで終わったのだ!

 なんか本当にこの二週間ぐらいは、いろんな形でプロジェクトのファンファーレをかけていたので、いったいいつどう終わって、新しいプロジェクトが始まったのかうまくわからないんだけど、私が入社してからかかわっていた、リ・ブランディングと新しいプロダクトが発表された/使われ始めた! イーーーーハーーー! 実際は色々片付けなきゃいけないし、全然脱皮感とかない日常の延長でのイベントだけど、でもやっぱりうれしいぞ。 友達とかと手をつないで、公園の芝生の上をごろごろして、見つめあったり、転がったりしたい気分だ。

 本当に、ああ、大人たちってすごい。 このプロジェクトでは本当に上司たちに感動した。 大人たちに感動し、友人や身内にやけに感謝したプロジェクトだった。

 大学の教授に「初めての仕事は、仕事の内容ももちろん重要だけど、それよりも良い人たちと働いて、社会に生きる大人の市民としての姿勢や、働くってことに関する色んな価値観に触れる事が一番大切。」と言われた。 それで彼が勝手に私の就職先を決めて、この仕事をすることになったんだけど、実際に働いてみて一理あると思った。  デザインとか、設計図とか、業務計画とか、そういう面で「こうやるのか」ってのも沢山学んだけど、ビジネスに関することだけじゃなくて、もっと広い意味での大人のアクティビティーについて知ることが出来たと思う。 年齢幅が広いチームで、最年少として働いて、色んな人生の選択やオプションを先輩たちを通じてみた。 そして結構みんな尊い良い人生を生きているし、幸せになるためにがんばってるんだなって言う素朴な感動を得た。 大人ってがんばってる。

 さて、さて、プロジェクト初期に妊娠にきずき、プロジェクトの進行どおりにおなかが大きくなったグラフィックデザイナーさんが、プロダクトロンチと同じ日に赤ちゃんを産んだ。 なんてめでたいんだ! 妊婦さんと一緒に仕事をするってのは、ワンダフルな経験だった。 どんどん赤ちゃん育つんだもん!!! すごいよ。 むくむくと育っていった。 彼女は途中で産休に入ってチームを抜けたんだけど、途中で出血が止まらなくなっちゃって、入院したのね。 それでみんな心配していたんだけど、先月は新型インフルエンザにかかり、元々彼女が遺伝性の糖尿病を患っていたので余計に、みんなどん底に心配した。 宗派とか、信仰の有無を超えて、会社中で彼女の無事を祈った。 赤ちゃんを世界に出すまでって本当にドラマだ。 私はこんなに近くで妊婦さんがいたのが生まれて初めてだった。 味わったことがない気分やら感情を沢山味わった。 

 ああ、時間って流れるんだなあ。  子供はうまれるわ、ブランドは変わるわ、商品は増えるわ、なんかもう、大人たちって本当に生産的だ。 学生のころの消費の鬼だった自分と比べて、この素朴さに驚くよ。 物を作って、売って、儲けて、生活すると。 大人のやってることってシンプルだ。

印刷物がすり終わるとき

 私は印刷物がすり終わった瞬間が結構好きだ。 匂いもいいし、達成感を感じるし。 今も何件か紙媒体系の仕事を終わらせなくちゃいけなくて、こまごまと仕事をしているんだけど、本当に平面紙媒体のデザインって立体物とか動く物とかのデザインと違う醍醐味があって面白い。

 この間写真撮影をしている現場に、その日写真撮影をしなくてはいけなかった広告やカタログが印刷屋さんから到達した。 このギリギリ感、たまりませんね。 市場のおっちゃんのような気分で写真家さんに「ほいやっ! 刷りたてだよ!」って売りさばきたい気持ちに駆られたよ。 もう、手に握ったらぴちぴち動き出しそうな新鮮さ。 ああ、なんでいつも仕事ってギリギリになるんだろう。

 私はグラフィックデザインにはあまりかかわっていないので、このカタログとか広告のプロジェクトには深くかかわっていなかった。 でも自分のメインの仕事(プロダクトデザイン)でやったことが、ユーザーにまず伝わる最初の入り口で、そして本当にワンダフルにその入り口を作ってもらえたので、手に取った瞬間に嬉し涙が出た。 絶対、自分の仕事よりも感動したわ。 それぐらいに良い出来ばえだった。

 カタログはこれまでのプロセスの結果がまとめられたアルバムのようなもので、見ていて、本当に胸が熱くなったよ。 それでまず思ったのが、「このプロセスをこんなに気楽に恐怖心もそんなになく気持ちよく出来たのは、家人のおかげだ!!」って感謝の気持ちと、そして「こんなに面白く仕事が出来たのはチームの皆様のおかげだ」ってことだった。 それ以外何も思い浮かばなかった。 もっとエゴイスティックな「俺様偉大!」系の感情が沸くかと思ったけど、そうでもなかった。 案外、あたし、謙虚な良い人だった。

 周りから見ると、結構淡々と仕事をしていたように見えるらしい。 ただ出来る限りのベストプラクティスを探していた。 プロジェクトをパーソナルにとってしまうことによって制約や自分自身へのセンサーシップが働くのを避けた。 でもだからって出来上がったときに喜びが少ないかというとそういうわけじゃなくて、多分すっごい十分喜んでいる。 淡々と、ただ黙々と仕事が出来るコンディションとシチュエーションを作り出してくれた人たちにすっごい感謝した。 今度、ご馳走作るから待っててねと思った。 プロジェクトが終わったら、周りの人ががんばったねってお祝いしてくれる。 終わってみるまで気がつかなかったけど、実際は、自分がお祝いされるよりも、まずは自分と一緒にいてくれた人に、感謝の気持ちを込めてご馳走を作って、飾らない日をただ一緒に喜びたいと思うのね。 多分、そっちのほうが今の私にとっては贅沢だから。 仕事って、本当に一人ではできないね。 だから楽しい。 ご馳走作るぞー!

2009-08-21

家の車とビートルズ

 家の車はテープしか流せない。 そして私達はテープを一本しか持っていない。(だって今時テープってどこで買えば良いのかすらわからないんだもの…。) そのテープはThe Beatles 1. 車についてきたらしい。 せめてABBA GOLDとかじゃなかった、この幸運を祝福したい。





こんなにこのアルバムを聞いてる人は、私達とコムサデモードの店員ぐらいだと思う。 昨日もドライブがてらにテープ四周ぐらい聞いた。 (そういえばこのアルバムが出てからもうすぐ十年! 時間が経つのって速過ぎる。)

ビートルズの限られた音楽しかこの車からは流れないのだと開き直ってから、もう大ファンかのごとく大音量で楽曲を流し、隅々のディテールまで聞き込んで、歌詞の内容を話し合ったり、ちょっとしたクレバーな音運びを讃えたりと、ビートルズの修行部屋状態になっている。 オークランドで大音量でビートルズを聞いている車があったら、それは間違えなく私の車だ。

 これしか聞くテープが無いから言う訳じゃないけど、ビートルズは車で大音量で流してちょっとしたソリチュードを味わうのにかなり適した音楽だと思う。 そういう文化の出始めの人達なんだよなと納得した。 私は昔ビートルズのそのグラマラスじゃないっぷりが好きではなく、そんなに共感した事がなかったんだけど、世の中に対して疲れはじめてきた頃から味わいが分かようになってきた。 子供時代への郷愁とか、まわりへのいらつきとか、パートナーへの思いとか、どうしても受け入れなきゃいけない挫折とか、そういうのが妙に似合う、慕情な音楽だ。 聞き過ぎたのか、彼らが作曲をしていた年齢と自分のそれが重なってきたからか、最近何曲かを本当にビューティフルだなあとしみじみと思うようになってきた。 Somethingとか、良い曲だと思う。 あと今さら私が言わなくても、十分過ぎるほど十分有名な考え方だけど、"Let it be"というふうにしか受け流せない事柄ってあるよね。




笑っちゃう偶然なんだけど、今日友達のブログを見たら、ビートルズがテーマの記事があげられていて驚いた。 「うわ、この人がこれ書いている間、きっと私大声でビートルズ歌いながらドライブしてたよ!」ってさ。 しかも彼女の知合いのうちの1人がビートルズの曲の中で一番好きなのはAcross The Universeって言っている人がいるんだって。 うーん、他人とは思えない。 私もビートルズの一番好きな曲はAcross The Universeです。 ぶっちぎり。 これから歳をとったり、自分のいるコンディションによって評価する曲は増えていくと思う。 好きな音楽は増え続ける。 でもいつでもAcross The Universeが一番好きだっていう心持ちでいられたらなと思うんだ。 だって、軽やかで切なくて良い曲じゃん。 歌詞がすごく優しい。


2009-08-20

世相が暗い

 日本のニュースを聞いていたら、その世相の暗さに驚かされた。 コメンテーターの香山リカさんが暗い! 彼女は本当に世の中を憂いているのかもしれないし、こういう言葉遣いでしか伝えられない絶望を見たのかもしれない。 冗談抜きで本当に暗い。 聞いていて、「もう駄目だ!! 日本お先真っ暗!」と思ってしまった。 

 言葉は連ね方によって響き方が変わる。 同じ内容の事でも、表現の仕方によっては究極の絶望として響いたりする。 どういう伝え方をするかという所に、そのジャーナリズムとしての、メッセージとしての品質が宿るのだと思う。 そして勿論聞き手側は
 
 

2009-08-18

 食べ物、特に肉に関しての人々の扱い方には特徴が出るよなと思う。 例えば私の会社で合同で食事をする際は、いろんな宗教の人がいるから、「どこの肉屋さんがどうやって屠殺をした肉か」とか「どんな調理法なのか」とか神経質になる。 一切肉食や動物からの食品(卵とか牛乳とか)食べないし、一度でもそれらが触れた食器とか調理道具も使っちゃいけないって人達もいる。 だから本当に協力しあって準備しないと会食は出来ない。 ただこの努力は正当な事で、食事をするってのはそういうものなんじゃないかと思う。 どこかで私は楽に何かを食べれる訳が無いと思っているんだろう。

 こうやっていろんな食文化を見てみると、自分の母国の食文化も「多くのうちの一つ」だと思えてくる。 日本の食事って本当に独特だと思うし、多分私が一番違和感を持つのも食文化についてだと思う。 日本で何回か自分をラディカルで頭がいいと思っているタイプの子と食事に関しての話をした事がある。 彼らが最後まで私からすると理不尽に頑で、感情的になったトピックがいつでも食事に関してだったからそう思うのかもしれない。 食事に関するモラルが独特だ。

2009-08-16

頑張れ家人

 社会人になると色々ある。 会社では時折みんなして集まって会食をしたりする。 民族も宗教もてんでばらばらな集団である我が社はそういう時ちょっと苦労する。 みんなして食べれるものってのがないから、どっかから仕出しをしてもらうってのがほとんど無理なのだ。 だから社員皆で食べ物持ち寄りってのが多くなる。 発想としては素晴らしい。 そして実際素晴らしい。 色んな物が食べれて楽しいし、次の日にはスカイプを通じて会社中で「あの料理を作った人は誰? レシピちょうだい!」っていうメッセージがぐるぐる回る。 良いコミュニケーションになっている。 こっち版サワチ料理だ。

 ただ私ぐらいのへなちょこ人間からすると、仕事を終えて家に帰って、それから人様に食していただく何かを作るってのは、レベルが高過ぎる。 一週間ぐらい前から、「うげーー、楽しみだけどやりたくないべやぁ…」って思わず地元の方言でうじうじする。 そういう事に対するやる気が少ないのだ。

 とりあえず一番簡単そうな料理とは何かと考え、アップルパイを作る事にした。 なんか簡単そうじゃん。 会社帰りに材料を買って帰宅。 そして意味ありげにそれらを台所に置いておいて、ふて寝をしてみた。 家人が作ってくれやしないだろうかという期待に胸を弾ませながら。

 いつも予想を上回る単純さで私を驚かせてくれる彼は本当に今回も単純だった。 帰宅後にリンゴを見た彼は、リンゴを掴んでベッドに飛び乗り、「これはどういう意味だ!?なんで我が家にこんなにリンゴがあるのか?」と私を起こした。 「アップルパイ、作っていかなきゃ、明日から会社で立場無い…。 でも作る気もない。 これにより社会人ライフ終了!!」とつぶやき寝返りをうち、背中から惨め感を漂わせてみたら「大変だ! 今から作ってくる。 母ちゃんに電話して作り方教わるから心配しないで!!」と言って下さった。 この人、こんなに気が楽な生き様で世の中渡っていけんのか?と人ごとながら不安になる単純さ。 しめたものだ。 私もすかさずベッドから起き上がり、背後霊のように相手の後ろにぴたっとくっつき行動を観察する。 時既に深夜。 頑張れ家人。 パートナーシップでサクセスだ! 1人の為に皆が、皆の為に1人が努力!

 って事で無事会社のシェアランチの為に私はアップルパイを持ち込む事が出来た。 ただあまりにも芸がない料理だった為、全く人気がなかった。 あっはっは。 すっごいのを作ってきたおじちゃんに「これっておっちゃんが作ったの?」と聞いたら、そうだと言われた。 「アンナのは自分が作ったのか?」と聞かれたので、パートナーが作ったと答えたら鼻で笑われた。 やっぱ、大人ってすごい。 仕事終わって家に帰って、次の日の為のごちそうまで作るとは…。 いつか自分にもそんな芸達者になれるのだろうか。

写真撮影をしていたよ。

 数日前に今回のブランディングとプロダクトの広報用写真の撮影を終了させました。 2週間に一回ずつ、計5回やった。 プロダクトの撮影の際はカメラマンと彼のアシスタント、デザイン事務所からのデザイナーと彼女のアシスタント、家の会社のクリエイティブダイレクターと彼女のアシスタントという、三人の大人と三人の若輩者で構成される、一日がかりのセッション。 私、デザイナーという肩書きだけは持っているものの実際の所は役に全然たたないのでせめて体力面で貢献しようとひたすら犬のごとく走り回りました。






 写真撮影って、昼過ぎには「お母さん…っ!」ってつぶやきながら天を仰ぎたいぐらいに疲れる。 一回目は初めての経験だったって事もあり、本当に疲れた。 二回目は、上手い事言って途中で逃げた。 三回目からはなれてきたからか、すっごい楽しい! すっげーーーーーー楽しい!!!

 広告用の写真、広告の中で使われる写真、セグメント別のクライアント別の広告用の写真などなど、系10人以上の写真家の方々の作品を使わせていただいております。 プロダクトの写真をとってくれている方は日本人の写真家で、非常に非常に優秀で緻密に丁寧に仕事をして下さる方です。 本当にこの方に撮っていただいてよかったと思える写真が出来上がりました。

 そういう人達と仕事をすると、一回の撮影を終えるごとに、数えきれないぐらいの新しい視点を譲っていただいている実感を持ちます。 デザイナーの方の素晴らしい指示の出し方、写真家の方のそれに対する答え方。 私の上司のまとめ方。 チームワークです。 いい結果を残せる人達ってのはこういう風に働くのかと、人との働き方やデザインのきめ細かさから知る事が出来ます。 一回一回がすっごい濃密。

 今は発想力よりも、技術力を身につけたい。 豊かな技術から、発想を耕したい。 良いデザインをする為に「発想が先か技術が先か」ってのは一概にはいえないけど、技術の修得は時間がかかるから、そして技術とともにしか表せない事っていっぱいあるから、じっくりと成長させてもらえている今は技術優先で。 発想は自由になるために、技術は自在になる為に。 

 大学の課題で、クラスメイト同士のチームプロジェクトをするのと、社会に出てこうやって様々な経験量の差がある人同士で組んで仕事をするのの違いを今回は考えさせられた。 大学でだと失敗が多い。 みんなエゴイスティックだし、どっか目的がとんちんかんだったりするから。 プライドとか自己評価とかズタズタになったりもしたけど、今思うとあのときの経験は失敗こそに価値があって、良い意味で自分の実力と可能性を知れたと思う。 身の程を痛いほどに知れるし、思っていた以上に何かが出来た時は新しい自分に出会ったような気分になった。 

 社会に出て、経験が豊富な人達と働く事になった今は「成功への導き方/成功するまで切磋琢磨する勇気」みたいなのを教わっている。 自分1人では絶対に見えない物事を見せてくれる。 本当に分け与えてもらっているという実感がある。 成功体験を一緒にさせてもらえるって財産だ。 本当にそう思う。

2009-08-12

黒いリップスティック

 上司と、私の会社のブランディングを担当してくれているデザインエージェンシーのデザイナーと三人で散歩をしていた。 同じデザインエージェンシーが担当しているブランドを廻っていたんだけど、好みが重なりすぎるからかお買い物をしまくってしまったわ。 ちょっと、狂っちゃったのね…。

一件目のお店Karen Walkerで(このお店には絶対に入ってはいけないのだ。 何かを買ってしまうから!!)スカーフと口紅を購入。 この時点で「もう一ヶ月は無駄遣いをしないぞ」と胸に固く決めた。 

 そして2軒目のお店、化粧品のセレクトショップに入った途端に、黒い、真っ黒な、どす黒いリップグロスを見つけた。 すごいなこりゃと眺めていたら、店員さんに「これはあなたみたいな人にとっても似合うのよ!!!!!」とごり押しされた。 「えええっ? 黒ですか?」と驚いていたら、上司が横に来て、「確かにいけそう。 試しなさい。」と唆された。 まあ、おもしろ半分にやってみるかと思って塗ってみたら本当に真っ黒。 「あっはっは」と笑いその場をその場をしのごうと思っていたら、デザイナーと上司に「すごい、これはすごい。 強烈に似合っているし、こういうのが似合う人は珍しいし、もったいないからもう買っちゃいなさい。」と説得された。 「いやいや…、私瑞穂じゃないし、それに常識的に考えて黒い唇で会社に行って良いんですかね?」と上司に聞いたら「似合っているから良し!」と言われる。 もうこうなったら引けないので買った。

 



非常に美しいボトル。





昨年のコレクション用に作ったグロスらしく、この写真をお店で見た上司たちに「この髪型にしろ!」ともせっつかれた。 でも、この髪型にしたら私、前見えないからなぁ。


 


赤い口紅を下地につけるとこんな感じ。 これぐらいなら社会的な許容範疇内?


そういえば昔、あゆみちゃんとかとゴスっぽい化粧してオジーオズボーンごっことかしていたよなと懐かしくなったよ。


家に帰り、家人に今日あった事の報告をした。 「これ買ったの! もー、冗談みたいな事にお金使っちゃったよ」と言ったら、塗ったところを見せてくれと言われた。 塗ってみたらまた非常に評判が良かった。 軽く欲情された。 「次僕と散歩に行ったり、コーヒー飲みに行く時に絶対に塗ってきてね!!!!!」と念押しされ、今朝化粧をしていた時に横からヌッとこのグロスを出してきて、わざわざ塗ってくれた。 何故?! 普通はもっと「春めいていて、きゅん」って感じの桜色グロスみたいなのが上司及び夫受けするのではないのか? 私のこれまでの計算はまちがっていたのか?


数日後にリブランディングと新商品の発表会をホテルでやるんだけど、その時のドレスを買いに行った際、かなり普通に可愛いワンピースがあり私はそれを欲した。 ただその場にいた夫に「確かに可愛いし、似合っているけど、ほんっとーーに、そこら辺にいる普通の姉ちゃんって感じ。 だからやめた方が良いよ。」と制止された。 「そこら辺にいる普通の姉ちゃんで十分なのですが…」と言ったら、だだをこねられて結局買えなかった。 その事をウェリントンから遊びに来ていた元クラスメイトに言ったら、今から彼が一緒にお店にその服を見に来てくれるとなった。 試着し、その姿を友人に見せた。 「可愛いし、良いけど、本当にただかわいらしい格好がしたい男受け狙ってる普通の姉ちゃんって感じがするから、やめときな。」とまたもや止められた。 「間違えなく私は男及び上司、そして何よりも顧客受けを狙っている普通の姉ちゃんなのですが…。 そしてこれは私の会社のパーティーで、社員として出席する訳ですし、別にドレスコード"奇抜"とかって訳でもなく…」とモゴモゴする。 なんなんだこの男達は。 どれだけ私の女道及びサラリーマン道の邪魔をしたいのだ?! 「お前らはケイスケか!」(ケイスケは私の日本の親友でド派手な格好をした女を好む)と突っ込む。

 そんな事をじめじめと考えていた矢先に黒い口紅登場で上司に「これぬってパーティーに来る事!」と言われ、普通のドレスはどう考えてもマッチしないので自動的に却下になってしまった。 それを聞き喜ぶ家人。 知らなかったけど、黒い口紅って人気なのね…。 はあ…。 それにしても髪型どうしよう。 アレクサンダーワンみたいなショートにしようなかなあ…。 女道及びサラリーマン道は意外と険しい。 そうえいば、アレクサンダーワンのワンピースが欲しいから、ケイスケ、これ読んでいたら速攻で送ってくるように。