ドキュメンタリーの方は去年見ていた。 本もとても良いと聞いていたので今回読んだのだけど、勧められていた通りにやはりとても面白かった。 読み出したら止まらない本。 とても読みやすいから二日で読めた。
それで読みながら、私はなんでこの本の内容に引きつけられるんだろうなぁって今日一日考えていた。
まずこの本の中で説明されるヤノマミの人達の文化や信仰の構造の中に、自分の知っている世界のそれと重なる、どこか普遍的なところが見えてくるから面白いのかなとも思った。 読んでいると、大きな気持ちになれるし、視野がぐっと広がる。 不思議なもので、どうしてだか人間讃歌が胸にわき起こる。 そんなの滅多に感じられないので、得難い体験として面白かった。
同時にこういうのって、作者の持ち合わせている感受性や理解のフレームの中に収まった事柄が記録される。 だから私がこの本を読んでまず感じた、人類の普遍性らしき事柄は、“日本人/近代人の目線”の範疇内に収まってしまったが故に感じた誤解かもしれないなとも思う。 自分が作者の考えた事に共感しているのか、ヤノマミの文化に共感しているのかは、多分永久に分からない。 そういう事を意識させてくれる本は読んでいて面白い。
また相手の文化が独特だから、自分の文化やら信仰やらの独特さにも気づかさせられる。 例えば「近代医療がない状況でも自分は今自分が信じている事を信じているだろうか」と考えると、大概の場合答えはノーだ。 近代的なバースコントロールがあるから、今私が当然に信じている立場が保証されている感は否めない。 そういうのを考えるきっかけを与えてもらえるのも面白い。
読み終わった後、私の中には、哀しみや、過去に対する喪の気持ちも胸にあふれていた。 日本の事とか、マオリの事とか、ポリネシアの島々の事とか、自分の身近にある、文明とのコンフレクトの事をおもったからだ。
日本は昔鎖国をしていたと言っても、なんだかんだ言って他所の国の事は知っていた。 独自の文化も持っているけど、同時に東アジアの中の一地方であったんだろうと思う。 だからヤノマミとは違う。 それでも自分達と違う言語をしゃべり、違う自然観/世界観を持った社会と出会い調和していくためには多大な犠牲と、困難な挑戦があった。 自分自身の体験からもそう思う。
また非常に身近なケースとして、文明化された後の、マオリの人達のヨーロッパ文明への葛藤と失敗と努力が、頭によぎる。
ヤノマミとのコンテクストは違うし、独自具合も違う。 でも、文明っていうとてつもなく大きな流れに飲み込まれている事への恐怖と、その後の葛藤は、ある程度推測できる。 なぜなら規模はどうであれ、私たちは、よっぽど恵まれた環境にいる人以外、かなり望んでもいないのに強者の文明に飲み込まれ、巻き込まされているんじゃないかと思うから。 そんな中で、心はの一部は通り過ぎていってしまった時間への喪に捧げられていて、いつもどこか少し哀しい。
いつかヤノマミの人達は近代文明に強烈に飲み込まれなくてはいけないのだろう。 長い目で見たら、それで仕方がないと思える。
でも一人一人の人生はかけがえがなく、取り替えのきかないものだから、仕方ないなんて言っていられなかったりもする。 だからみんな幸せにならなくちゃいけない。
その時に既に飲み込まれた人達に何ができるだろうかと考えた。 受け入れる事、理解する事、相手の文化背景に興味を持つ事、偏見を持たない事、寛容である事、協力的である事、尊重する事、一緒に悲しんであげる事…。 先に波にのまれた側としてやるべき事は山のようにあるように思える。 新しい幸せに、過去からの幸せが上手くリンクすれば良いよなと思う。
まとまりがなくなっちゃったんだけど…、ヤノマミ、とても面白いから読んでみて!
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