この間日本に帰った時、小沢健二さんの「ひふみよ」コンサートに行った。
すごく良いコンサートだった。 性的だったし、温かかったし、生き生きとしていたし、カラフルだった。
私はたまたま恋人が近くにいない者同士で、このコンサートを見に行った。 遠くにいる恋人を思う二人組として。 二人とも見ている先は似ている。 いい感じに平行関係な友情。
私と彼は、二人でお互いの肩に手を回し、ぴったりとくっつきながら(っが、勿論そこに恋愛的要素は無い。 もっと、共産党員の連帯みたいな親密さだ。)音楽を聞きはじめた。
すぐに恋人が恋しくて仕方がなくなった。
彼が奏でる音楽は、二人の成熟した関係の人間たちが、優しくくっつきあって踊る為の音楽に編曲してあった。 誰かと踊る為の音楽。 ワルツ、タンゴ、スローダンス…、恋人達が向かい合って、見つめ合い、頬を寄せ合い、腰に手を回し、お互いの動きに合わせて、音楽を背景にお互いの生を愛しみあう為の音楽だった。 継続を望み、日常を重ね、一緒に歳をとって行く事 を喜ぶ為の音楽だった。 「こりゃ小沢健二さん、良い関係をパートナーと持ってるな」と思わさせられた。
また「他の所を見てみたい。そこで暮してみたい。色々知りたい。」っていう単純なアウトゴーイングな性質を、小沢健二さんが今回とても強く表現していたのがとても嬉しかった。 彼の音楽からは、彼が彼のパートナーと一緒に旅行をしているんだろうし、 二人でいろんな意見をかわし合ったり、新しい人達と出会ったりしているんだろうなと思わさせられた。
私はそういうのがとても大切だと思う。 一緒に旅行や冒険が出来て、新しい人に一緒に出会えるようなパートナーがいるってのは素晴らしい事。 一緒にご飯を食べて、一緒に踊って。 成熟したもう一人の人と人生を共に過ごす事の喜びを、きちんと歌っていた。
そして小沢健二さんの持っている社会への意見や好奇心が、私のと同類で、それをとても不思議に感じた。 小沢健二さんの音楽を好きになった小学生の頃なんて、社会意識なんか持ってなかったし小沢健二の政治性なんて知らなかったのに。 普段では、特に日本では「ナイーブ」だと言われて終わるだろう、リベラルでラディカルな社会関心と意見を彼が持っているのがとても嬉しかった。
本人すらもが意識していない、志向性や、考え方のパターンが、言わずとも溢れ出てしまうってのが音楽/芸術 表現活動なんだとしたら、それって本当にすごい事。アティチュードのコミュニケートする力って驚異的だ。
不思議だし、勇気もわいた。
英語圏では意見の一つとしてまともに取り扱ってもらえる内容も、日本では社会的に抹殺されている(もしくは始めっから存在しない)ので、彼みたいに影響力がある人が堂々と意思表示する事は良い事だと思った。 勇気が出た。
私は絶対に彼が言う社会的関心事を、ナイーブな事だとは思わないし(というか、そうじゃない方が逆にナイーブに思える)そういう意見を受け止めてもらえたり、一緒に話せる人が周りに多い場所に住みたい。 要するに、いつでも出来るだけコスモポリタンな状況にいたい。 そうじゃないと見えてこない事ってあまりにも多い。 そして私は、そこから見えてくる物事が見たいのだ。
旅行や新しい場所に行ってみたい、住んでみたいって思う事や、一週間の生活にメリハリをつけたいと思う事(例えば、都会と田舎、両方で時間を過ごす事)、そして世の中に対して出来るだけリベラルな意見を持ちたいと思う事って、根っ子が一緒だと思う。
まだその根っ子を「これだ!」って名指す事は出来ないんだけど、この根っ子を大切に、いっぱい色々と自分の中で成長させるぞと思う。
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