2010-06-03

成田→東京

 短期間で帰国するのはいつも楽しい。 前の日まで働いていて、飛行機に乗って、ふと目を閉じて開けたらジャパン。 小さなワープ。

 空港からして既に、違う体の動かし方をしている人達がいっぱい。 そして売っている雑誌の特集が非常に独特。 そして日本語で溢れかえっている。 着いたその瞬間からワクワクする。 なんて独特なんだ! 全てが緻密で、丹精。

 そして成田空港の物語の無さ。 ヒースローやJFKとは明らかにロマンチシズムの量が違う。 (はたはたとたなびくプロ市民の人達の空港に対する抗議活動のプラカードの持つ物語。 まあ、ある種の昭和の物語は強く感じる。) ただそこから大量に日本各地に繋がって行くバスや電車の持つ強烈な旅情。

 成田エクスプレスの窓から見える、緑豊かな水田や、森や畑。 この数をきっと無限と言うのだと思わさせられるような、大量の葉っぱ、葉っぱ、葉っぱ。 日本のデリケートで小振りな植物たち。 そこに広がる、小さな、小さな、でも大量の葉っぱ。 豊かな、豊かな景色。

 いつも成田から千葉市内に入るまでのその田園風景を見ながら、この景色を力強く、堂々と、美しいんだと言えるような社会になったら、結構今社会にあるジレンマは多少は解決されるのじゃないかと、ナイーブに考えたりする。(でもナイーブさって大切だ。 ある種のナイーブさは正論に繋がっていると思う。)

 窓から見える景色の、美しさ、奇妙さ、歪さ、豊かさ、貧しさ。

 こんなにツルツルピカピカのスーパーファインな電車が作れる位の知力があるのに、大国の首都に繋がる国際空港を成田に建てちゃう愚かさ。 興味深い。

 そして電車は極端に人工物を使った発展を遂げた都市部に突入して行く。 たまに日本の人で「日本人の自然観は特殊である。 そして優れている。 自然崇拝。 八百万の神々。 自然を超越し、自然に打ち勝つ事を目的とした西洋とは違うのだ。」と言う人がいる。 まあ、理論的にはそうなのかもしれないけど、実践レベルではどう好意的に見ても、言ってる事とやってる事ちぐはぐだよなと思いながら眺める。 このエピソードは私に「ものは言いよう」という言い回しの意味を教えてくれる。 そして"西洋圏"以外で行った事がある全ての地域の人達が、全く同じ事を言っていたのを思い出して、これは「とりあえず言っておけ的」な説明なんだろうと推理する。 トンガでも、韓国でも同じような自然観に関する事を人びとは言っていた。 それが八百万かどうかはさておき。

 大量の団地やらマンションやらが立ち並ぶ景色を見ながら、その中で生活している人たちの事を想像する。

 丹精な小さな明かりたち。 その中に、沢山の人びとの一回っきりの人生がある。

 人びとは様々な事を考えながらも、多分、この電車で3時間ぐらいの移動距離の内側での常識や、通じる言葉、プレッシャーに形成される環境での日々を過ごす。

 そしてこの短い移動距離の間にそれこそ、私には想像もつかないほどの自由さや、喜び、伸びやかさや愛情がひしめいているのだなとも思う。

 実家の門をくぐると、私は日本の内側にいて、もう、外側からどう見えるかとかはうっすらとした記憶になる。 
 

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