2010-06-25

言葉

 小さい頃、「イギリス人の英語の発音は綺麗で好きだ」と父親に言った事がある。


 そうしたら父に「僕は色んな国のなまりが残っている英語が好きだ。」と言われた。 父ちゃんはリベラルで国際的なアメリカの大学に行っていたので、移民や難民の研究者が沢山いた。 学生も世界中から来ていた。


 実際自分もイギリスでは誰の英語が正しい英語のアクセントなのかなんて分からない位に、多国籍の子たちがいる学校に通っていたし、彼らのなまりがとても好きだった。 私のなまりも好かれていると知っていた。 よくまねしあいっこをしたし、みんなから彼らの母国語を教わった。 言葉を教えあうのは、遊びの一環だった。


 「考えてみると私も、誰の言葉も大概綺麗だと思うし好きだ。」と気づき直して、父と娘の話は違う横道にそれて行った。


 違う時、「語彙が増えない」と嘆いた私に父が、「ただ語彙を増やそうとせず、頭を使え。 分からない事に適切に質問できる力と、人が教えてくれた事を理解できるようになれ。」と、これまた「そりゃそうだ」なつっこみを入れてくれた。 だからまず、どうやって質問したら、自分が理解できるような返事を貰えるかを考えるようになった。 そして「その言葉の意味が分からないので教えてください」って聞く癖が出来て、これはこれで良かったと思う。 数えきれない程の人達に言葉の意味を教わった。 実際のところ大概の人達はものすごく親身にやってくれる。 私の言葉は、私と社会の協力で豊かになる。


 大学での論文が書けないと嘆くと、「自分の言葉を書きなさい」と父に言われた。 「自分の頭で考えて、並べた言葉を使いなさい。」ってさ。 これは、父ちゃんの大学の先生が、父ちゃんに口をすっぱくして言った事らしい。





 「誰の言葉でも、どのような話し方でも、聞く意義がある。 発音や語彙の量、文法の稚拙さで人を差別するな。」って、親が子供に教えておくべき基本中の基本な事柄だと思う。 大人になってからもいつも気にしている。 相手の言葉のレベルで、相手に偏見をもったり差別したりしていないかって。


 あとわからない言葉がある事も、それを人に質問して、意味を理解しようと頭を使う事も全うだ。


 自分の頭で考えた事を、相手に伝わるように、自分の言葉で話す事も大切だ。 別に自分の意見そのものに執着する必要は無いと思うけど、でもその意見が本当に自分の頭(もしくは心)からの意見なのかどうかはきちんと批判的に考えた方が良いと思う。 殆ど唯一それが、自分自身を知る方法だと思う。


 なんかこんな事を考えると、私は父親の言語観に強い影響を受けているのだなあとしみじみ実感する。


 言葉は自分を育ててくれた人達からの遺産だ。 大切にしたい。

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