2008-08-28

反骨心

 オーストラリアにはフォークソングで、Waltzing Matildaという曲がある。 第二の国歌と言われ、公的な場所でよく歌われている。

またカイリーで悪いんだけど、彼女がシドニーパラリンピックでWaltzing Matildaを歌っていた。



この曲は結構個性が強い。 タイトルのWalting Matildaってのはオーストラリア英語で職を求めて放浪の旅をするという意味。 Matildaは女の子の名前なんだけど、強い女性とかって意味があるらしくて、放浪するときの毛布をMatildaって呼んでいたんだって。 曲の内容は一人のさまよえる男が羊を見つけて、一緒に旅をする。 が! 警察官が出てきて、その羊の出所を問いただす。 そして旅する男は「生きてお前には捕まらねえよ!」と言い、池に飛び込み死ぬ。 捕まるぐらいなら自殺。 反骨心、ここに極まるですね。 反骨心を国歌のアイデンティティーに据えるってすごいなと思う。 カルチャーショックを受ける。

 反骨心と言えば、シドニーオリンピックの開会式でネッドケリーというオーストラリアのアウトローがすっごいフィーチャーされていたのを思い出す。 彼は暴力的な植民地政府に反抗し、警察官三人を殺し、死刑になった男だ。 日本でだと、「?」ってなると思うんだけど、彼はオーストラリアでは殆ど神話ってぐらいに大英雄らしい。 彼は父親がアイルランドから島流しになりオーストラリアに来た人で、貧しい者を救う為に銀行強盗をし、警察と戦い、やれる限りの悪事を働き、社会の底辺の人達の代弁者として生きたらしい。 北京オリンピックで三千人の孔子が竹を振り回して踊り狂っていたように、シドニーオリンピックの開会式では数えきれない程ののネッドケリーが火花を上げて狂喜乱舞していた。 

ネッドケリーの人生についてもっと知りたい方はこのリンクを見てみて。 
日豪交流基金 オーストラリア史 
このリンク先の文章はかなり熱くて、締めくくりが "ネッド・ケリーは農村の貧者、負け犬の王者、無防備な人々の保護者として内陸部オーストラリアの神話となった。彼は最も広く敬慕されるブッシュマンの特性を兼ね備えていた。すなわちその特性とは、どんな犠牲を払っても貫いた仲間への忠誠、逆境に直面した時の勇気や勇敢さ、生き残るための機転や能力、警官への軽蔑、彼より社会的地位で優れた者の手が届かないほどの名誉ある生き方、死に方である。 " となっている。 本当に尊敬されてるんだなと思います。



この四角い鉄仮面をつけて火花を散らしているのがネッドケリー。 四角い鉄仮面は彼のアイコンなんだ。 子供も大人もネッドケリー。 熱い! 隠れネッドケリーファンの私としては心ときめく瞬間です。 

この反骨心。 私も少し分けてもらいたいと日々思います。 話しの題材として使っているのがオリンピックとか国歌的な歌とかだから、なんだかまとめにくいんだけど、でも、皆様、反骨心は大切です。 ボッキボキに生きて行きましょう。

2008-08-25

愛しのカイリー

 三十人弱のクラスだけど、生徒の出身国を数えると10カ国あり、以外とインターナショナルなのねと驚く。 だからオリンピックは盛り上がった。 とりあえず、クラスメイトの地元も含めて応援すると、大抵のゲームがカバーできるからなんとかなるんだよ。 

 今課題がしたくなくて、仕方ないからオリンピックの開会式を遡ってyoutubeで見ていた。 シドニーオリンピックの開会式が結構つぼだった。 私の永遠のお姫様、カイリーミノーグが、自分の持ち歌でもなければ、オーストラリアの歌でもないABBAのDancing Queenを熱唱している所がなんだか愛おしい、そんな開会式。 緩ーいのね。 




あと、カウントダウンをして、開会の瞬間になった時にスクリーンにうつるフォントの緩さもたまらない。



他にも伝説のアウトローネッドケリーの舞や、芝刈り器を使ったバレエ、トタンへの愛情表現など様々な自分たち緩く笑う素敵な感じの開会式で笑えた。 頑張れオーストラリア!

2008-08-22

エクササイズ

 私は比較的いい人だ。 いや、というか面白がり屋だ。 クラスメイトが実験とかエクササイズをしているとつい「私が被験者になりまっす!」とボランティアしてしまう。

 結果目隠しをされたまま学校のどこかに連れて行かれて、体当たりで教室まで帰ってくる様子を後ろから録画されたり、首にサポーターをつけたまま長時間作業をさせられたりする。 

 そもそも性根がケチいのか分からないけど、やった事がない事を周りの人がやってるときに「この機会を逃してたまるか」ってなるんだよね。 この性格のおかげで、痛い目にもいい目にも結構あってきた。 「やりたくなかったな」っていう経験もいい年になってきたから積み重なってきたけど、同じようになかなかに宝物な体験もある。 

 そして私は今子どもたちの宝探しゲームをデザインしている。 結構楽しい。 「宝ものの地図」とか「秘密基地」とか、企画書に書いているだけで、喜びの悲鳴が上がる系の単語がわんさかで、私のアドレナリンでまくり。 youtubeでラピュタのテーマソングを聞きまくっています。 なんなんだろうね、この一連の喜びは。

2008-08-20

大笑いした

 たまに工業デザインを勉強している醍醐味を感じるときがある。 この間やる気が全くない状態で大学に行ったら、友達が真冬なのにふざけた格好でいた。 石工が体の温度を吸い取ってしまうので寒くて仕方がない彼女を可哀想だと思いつつ、つぼにはまって大笑いしてしまった。


 彼女は、既存の医療用具は使っていて憂鬱になるという事を問題にして、爽やかでかっこいい首のサポーターをデザインしようとしている。 その為にとりあえず首のマネキンを作る事にしたそうだ。 偉い! うん、絶対に良いデザインが必要だよね。 



型をいざ取り外すとき、みんながふざけていて面白かった。 





結構怖い感じの瞬間。 ドリルのスピードを一番遅くしていたから彼女の体が切れる事はないはずなんだけど、やっぱり首周りだし、見ていてドキドキした。 日常にちょっとした非日常が紛れ込んだのが面白く、みんな笑っていた。 こういう大げさな事が出来る分野の勉強をしていて良かったと思う。 結構楽しい。

2008-08-19

こんなん読みたくないんだよ

 友人からの強い勧めで、フローベールのボヴァリー夫人を読む事になった。 ちょっと読んだ。 そして、心の底からこんなんどうでもいいよと思った。 あまりにも周りの評判がよく、「これ読まないと生きてる意味がない」って風潮だったから、ここで一人、一言言わせてもらおうと思う。 これは私にはつまらない。 なんか読んでて腹がたったから言わせていただきますです!!!!

2008-08-13

Summerhill School

 風邪がピークを迎えたので、一日ベッドで寝ていた。 友達がおくってくれたスタジオジブリから発行されている「熱風」を読んだり、熱にうなされたりして時間を過ごしていた。 そして、子供と遊びについて考えていた。 そういえば、私は結構遊びを重要視している学校に行っていたよなと昔の学校の名前をgoogleしたら、BBCがドラマ化した映像見つけた。 ドラマになったってのは聞いていたけど、見たのは初めてで見ながら結構考えさせられた。

 その学校の名前はサマーヒルといって、今から87年前に始まったイギリスの寄宿舎で、一般的な学校と比べてちょっと変わっている。 例えば授業に出たくない子は授業に一回も出なくていいし、生徒は先生を下の名前で呼ぶし、学校内の全ての決まり事は週に数回定期的に行われるミーティングで、学校内全ての人の投票によって決まる。 実験的な学校と言われる事もあるけど、私からするとただの愛おしい、沢山の思い出の詰まった、学校という言葉ではくくれないぐらいの大きな場所だ。  




 
 サマーヒルでは五歳の子も、校長先生も、みんな一票づつ持っていて、みんなで話し合い学校の舵取りをしていく。 小さな学校だから、ミーティング内での自分の発言と投票がダイナミックにコミュニティーを変えて行く。 サマーヒル内でいつでも貫かれている原則は民主主義と社会的平等で、必修授業とかは全くない分、卒業するまでに生徒全員が共通して学ぶ事は、他者と公平に向き合おうとする態度と、ミーティングで知らないうちに自分の中に貯めていった数限りない他者の意見だ。  
 
 そして、サマーヒルで大切は遊ぶ事をとても大切な事としている。 子供時代に、彼/彼女自身の人生を生きる事が、その後の人生において大きな大きな要になるという考えで始まった学校で、心いくまで遊ぶ事によりそれが実現されると考えられているからだ。 まあ、子供の感覚からすると遊ぶ事に理由はいらないから、それこそ遊ぶのみだ。 じゃれて、喧嘩して、ご飯食べて、一人で散歩して、友達とハグして、また遊んで、遊んで、遊んで、遊んで、なんでだか分からないけど朝目が覚めるときに、ワクワクしていて、夜寝るときに、胸がいっぱいになっている、そういう日々が毎日続いていく。 勉強も遊びの一環だ。 多分、自発性という事なんだろう。 物事をいやいややらないってのが重視されている。

 このBBCのドラマは、実際に2000年にサマーヒルでおこった出来事を主題としている。 イギリス政府とサマーヒルは元々そんなに仲良しじゃないんだけど、ブレア政権の頃は特に仲が悪かった。 保守党の時は、子供にどのような教育を受けさせるかは親のチョイスだと容認されていたサマーヒルも、労働党的考え方の前では旗色が悪い。 全ての子供が最低限同じ量の教育を受けるべきだというアイディアの前では、生徒の自由裁量に任せた学習は非難される。 (あと、大人と子供、男の子と女の子が同じトイレを使うってのも政府は嫌いなんだよね。 言われてみて気がついたけど、サマーヒルのトイレは全部共有だけど、普通の学校はそうじゃないのね。 どうでもいいじゃん!と私は思ったけど、相手の立場になって考えてみると言いたい事は分かる。 レイプとかがおこらない為なんだろう。 でもこれって奇妙な予防方法じゃない?!) 

 結果的に、政府の示した改正案を受け入れなかったらサマーヒルは閉校と言われ、こちら側からしたらそれを受け入れたら学校の存在理由が無くなってしまうので、政府を相手に法廷で争う事になった。 珍しい教育裁判なのでかなり注目を集めた。 政府側の足並みが後半崩れてきて、結果サマーヒルを大筋現状通り維持できるという調停案を相手側が提出してきた。 

 法廷側がサマーヒルは子どもたちが中心となり、物事を解決して行く学校であるという面を尊重し、調停案を受け入れるか否かを決定する為、裁判所を子供達に預けてくれた。 そして私たちで投票をし、調停案を受け入れ、学校は今日でも運営を続けている。

 その一連の流れと基本的なサマーヒルの日常を描いたドラマで、見所は多分そこなんだけど、友達にはそれより何より、私達の森や校舎を見てもらいたい。 日本語字幕もないので、音声はBGMぐらいの感じで流し、是非、私の育った森を見てみて下さい。 茂ってるでしょ!!! あと、ブランコ! これは一日三回は乗った。 アジア人の子を見たら、幼少期の私なのかなあと思って下さい。 裁判だドラマだってのよりも、まずなによりも、森! キラキラでしょ。

 勿論ドラマだから現実のサマーヒルとは結構違う。 例えば、私たちはあんなにヒッピーなバスには、さすがにのってなかった。 そしてこんなに物で溢れかえってはいない。 こんなに教室が教室らしくないし、子供もこんなに"子供"っぽくない。 でも色々とサマーヒルらしい面も沢山うつしていて、見ていて嬉しかった。 

 特にEpisode 2 Part 1の中でのライアンの暴力に対してのミーティングの描写は良かった。 サマーヒル的だった。 

 ライアンは元々行っていた学校では問題児として扱われて退学になり、多分親がサマーヒルでならなんとかなるんじゃないかと送り込んできた新入生だ。 新入生は大抵何をどれぐらいやったら怒られるのかとか試したいから悪事を行う。 ライアンは他の子のお金をこっそり盗み、それが見つかりミーティングで全額返さなきゃいけないという裁きを受ける。 で、ライアン逆切れ。 友達ってのは悪事を隠してくれる人だと思っていたライアンは、ピーターという少年ががミーティングでライアンに対して公平な態度をとったのに腹が立ち、ミーティングの後にピーターの顔面にパンチをする。 そしてまたミーティングにあげられる。 

 この逆切れのプロセスはかなり典型的だ。 で、ライアンは周りに迷惑ばっかりかけるし、どうしたもんだとみんなで話し合いをする。 「一週間ぐらい、お前家帰って頭冷やしてこい」とかって案を出す子もいる。 

 ただ結果的にピーターが「きっとライアンにはライアンで大変な事があるんだよ。 ここで家に追い返しちゃったりしたら、反省のしようもないから、今学校で一緒に生活して行く事が大切じゃない? だから強い警告を出すぐらいが良い。」という提案をする。 この、殴られた子が殴った子の事を一番深く考える、あとコミュニティーがどれだけ寛容になれるか努力するってのがサマーヒルらしくて良かった。 許された人間は忘れないのだ。 ピーターもきっと山ほどいたずらをしただろうし、迷惑をかけた人に許してもらってきたから、ライアンを許せたんだ。 そういえば私も許したし、許されたよなあと、あと最初は公平な態度の意味が分からなくて、逆切れしたよなあとしみじみしたよ…。 それにピーターが「もう怒ってない」と言ったときに、この子はミーティングの前にちゃんと遊んだんだなと思った。 自分が相手を許せる状態に、きちんと自分を持って行く事が出来る子は強い。 ピーターみたいな、ミーティングを復讐の為に使わない子、誰からの暴力にも自分の存在理由が揺るがない子がサマーヒルには多い。 要するに単純で生身な子が多い。 私はあんまりそういう考え方がサマーヒルに行くまで無かったからすごく新鮮だった。 そして大人になった今でも、問題を出来るだけ複雑にしないように、またくらったダメージで自分の目が曇らないように、よく遊び、ある程度しっかりしていようと心がけている。 私がすくすくしていたら、自分がこれから出会う暴力的な事や、切ない事を、深い所から包容することができると思うからだ。

 でも、優等生的な子どもたちの集団だと思われたらそれは勘違いなので書いておくけど、誰でもある程度の時期に、上に書いた事の逆をなぜかわざわざやる。 悪事を共謀し、ミーティングでは自分のギャンググループ内の人間を理不尽に庇い、お互いだけに好意を持ち、反社会的な行動をとりまくったりする時もある。 大抵の子たちが一回はやるし、それをやらずしてっていう風潮もあるんだよね。 ただ、殆どの場合途中で飽きるし、そもそもそんなに自分の人生を難しくする必要も無いと気づくので途中で解消されて行く。 ギャングには自分が被害にあってないときは結構華やかで面白いなと思うし、自分が被害にあっているときは血管が切れるぐらいにイライラするものだ。 それに小規模のいたずらは、小規模の善意よりも多く行われている気がする。 なんかみんな好きなんだよな、いたずら。

 とりあえず、懐かしかった。 世の中にはこんな感じの学校もあります。

頂き物

 日々、頂き物に支えられて暮らしています。 

 金曜の夜から酷い風邪を引き

2008-08-10

オリンピックとか花火とか

 大学の友達の家で、十人ぐらいで集まってオリンピックの開会式を見た。 みんなで徹夜。 デザイン学生だからみんな徹夜には慣れているのさ。


 一緒に開会式を見た子たちの間で、漢字が読めるのも中国の歴史をワイルドスワン以外からも知っている人は私だけだった。 隣国出身と言う事もあり中国に関しては誰よりも愛憎入りじ混じった人でいたつもりだ。(でも、どの国の人でも勝手にそう思っているだろう。 中国ってのはそういう意味で奇妙な魅力を持っている。) 


 私も含め、みんなで"point of no return"を見た的な興奮を持った。 これ以上intenseなセレモニーは多分五輪上ないし、他のどの国にも作れなかっただろう。 中国だから出来る事を、やり通すだけで、ここまで印象を残せるのかとみんなで感心し、中国の存在感が一晩でこうも変わるのかってのに、みんなで驚いた。 


 一晩でmade in chinaのイメージが「大量生産の世界最悪の質」から「文化」に変わる訳だから、すごい。 西側の大抵の人達は、紙、印刷、火薬、コンパスが中国の発明だと知らないのだから、何も知らない所に強烈な印象を落とすっていう方法は賢いなと思った。 世界中の人達が、中国の文明に関して全く何も知らないという事を逆手に取って上手にイメージを作ったと思う。 


 こうやって歴史とか、大衆のイメージとかを、改めて舵取りし直すのかと、デザイン学生たち全員であっけにとられた。 何となく世界が持っている漠然とした中国へのイメージに対して、びしっと自分が相手にこう思ってほしいと願っている方向に向けて舵取りが出来れば、ブランディングとしては大成功だ。 


 そして発展途上である、成長中であるというメッセージ性も、今の中国バッシングへの良い返答だったと思う。 今はどうだかわからないけど、これからはどんどん良くなって行くからって言われたら、「協力します」ぐらいしか返す言葉が無い。


 ちょっと違いがあるとすれば周りはただ興奮していたけど、私は見ながら心底焦っていたって事だ。 ここまで未来と将来に対する高らかな喜びを歌い上げれちゃう時点で、勝敗分かれた感じがする。 ここまで将来に対する爆発的なエネルギーを抱えている、そしてそれに対して心から歓んでいる人達が他にいるのか。 日本の首相がちらちらとうつっていたけど、本当に、心から焦って日本に帰ってきてほしいと思った。 拗ねたり、ひがんだり、馬鹿にしたりしている場合じゃない。 見下す為の努力は十分に行った訳で、そしてそれがあまり有効じゃないのも明らかで、もっと健康的に、刺激を受けて、焦って、活性化しなきゃいけないんじゃないか。 相手の迫力や気力に上手く乗ずる方法を考えたら面白いことになると思う。 ってか、それ以外に日本の繁栄とか平和の維持って難しいんじゃないのかなあ。 あえて言う事じゃないかもしれないけど、日本人選手団はわざわざ日本と中国の旗を振りながら会場入りしたのに、全然拍手されてなかったから、多分、人気無い。 もっと魅力を振りまかなきゃ駄目だ。 日本の魅力を示す為の舵取りが必要だ。 


 それにしても芸術監督の一人が中国の現代美術作家、蔡國強な時点でずるい。 すっごい爆発をしちゃうにきまってるじゃないか。 それにずっと反政府的な活動を行ってきた彼を使ったのにおどろいた。 それにもう一人の芸術監督が張芸謀ってのもずるい。 彼はマスゲームからある一定の恐怖レベルを取り抜き、面白い演出に変える事が出来る能力は世界的に認められているし、今回もある程度成功していたと思う。 大量の人間に同じ動きをさせた時点で、恐怖というメッセージ以外を伝えるのは至難の技だ。 私は中国の隣の国で育って、中国に関しては二千年のネガティブキャンペーン下で洗脳されて育った子だから、張芸謀の能力を理解できてもやっぱり、大量の人間が同じ動きをするのを見ると嫌な気分になるけど、でもやれるうちで一番の事をこの人達がやったのは分かったし、感心した。 蔡國強と張芸謀っていう組み合わせで、既に様々なレイヤーをカバーできるから、すごいよな。 (日本でだったら村上隆と北野武みたいな感じなのかな。 結構面白いかも。 様々なレイヤーをカバーしないという意味ではアウトスタンディングな結果になりそう。) 


 とりあえずこの開会式は、デザインとか、イベントとかが出来る殆どの事をものすごい底力でやった、記念碑的な数時間だったと思う。 すっごい優等生の作品で驚いた。 地道に頭がいい人達が裏に沢山いるんだろう。 優等生が百人集まって爆発したらこうなったって感じで、スケール感もあるし、説得力もあった。 デザイン的にすごかったと思う。 大衆に魅力を訴えるってのに関しての能力が高かった。 大勢の人達に対するアピールの仕方を知っているのだろう。 そしてどこをどうスライスしても中国だったのもすごい。 中国に対してワクワクした。


 
 日本で就職活動(というか企業と学生の質疑応答みたいなイベント)に行った時に、日本の学生が中国をただの消費者として見ているのにゲロっと来た事を思い出した。 おもちゃ会社のタカラへの質問で、「中国市場に対してどう攻めますか? 戦略は?」と聞いた学生にも、五分前にはおもちゃを通じて世界平和とかってほざいていたわりには戦争のメタファーを使いまくって中国市場攻略法を答えたタカラの代表にも、この人達には恥とか自意識とかってのは無いのかと、クラクラ思った。 この程度の国際感覚がコンシャスな学生ってのを示すのに適切なのかもしれないし、この程度の社会責任がおもちゃ会社にとってのコンシャスネスなんだろう。 だとしたら、すっごい小さいし、つまんない。 なんかそういうつまんなさを思い出して、ちょっとまた焦った。 

2008-08-09

さよなら、さよなら、さよなら

 仲良しの子が留学先であるアメリカ合衆国へ飛び立って行った。 

出身高校も、大学の学部も一緒の彼とはかなり仲良しこよしだった。 高校生の時に、何となくもっと仲良くなってみたいなと思っていた子で、実際大学に入ってから一番の仲良しになり、「仲良くなってみたいと思う相手とは仲良しになるもんだ」という自然の摂理を一番強く実感させてくれた子だった。 

 崖に行ったり、海で泳いだり、洞窟に泊まったり、いっぱい遊んで、遊びに遊んで、遊びまくっていつでも課題の提出が二人してぎりぎりになった。 良い友達だ。 本当にいい男。 本当によく遊んだ。 一緒にいると楽しくて、やる事なす事がちょっと冒険っぽくって、いっぱい優しくしてくれて、お互い結構愛情を込めて向き合った友達だと思う。 途中からちょっと呆れて、多分相手も私に呆れてって時期があったけど、それでもお互いの為にある程度頑張ったと思うんだよね! 良い友達だ。

 いつも二人でお互いの名前を呼び合っていて、周りの女の子たちからは「彼みたいな男友達が欲しい」とよく言われた。 いやそれは無いでしょ、あいつただの怪獣だよ?と内心冷ややかに思ったりしていたけど、実際私もかれの友人たち殆どに求愛された事がある事から考えるに、二人で幸せそうにしているように周りからはうつったんだろう。 この幸せそうにしていると周りから求められて不幸そうにしていると誰にも相手にされない感じ、不条理だよね。 今お互いのお互いへのめろめろな感じを思い出すとフリークでクリーピーとしか表現できないんだけど、愛情ってのはフリーキッシュなものだと納得した今なら言えるね。 

 例えば、この歌。 怖い。 ただ、気持ちはよく分かる。



 昨日、バイバイの飲み会があり、思わず涙がボロボロ出た。 周りは私が泣き虫なのを知らないから、私が泣いた事に驚いていたけど、どうして周りの人が泣かないのかの方が私には分からんよ。

 もうお互いが飽き飽きする程に遊ぶ時間は過ぎてしまって、毎日朝から晩まで一緒にいる事はこれからはないだろう。 相手がニュージーランドに帰ってくる時には私はもう大学を卒業して、きっと日本に帰っている。 それに遊び足りない気持ちは無いんだ。 十分に遊んだ。

 最後話しながら「またあえるよ! 東京遊びにいくよ」とか、どうでもいい事を言っている間に「いや、それよりも、また君みたいな新しい友達が作りたい。 その人といっぱい遊びたいな。 君にまた会う会わないよりもそっちの方が重要。」と泣きながら言ったら、周りにドン引きされた。 本気で思っている事を言うと、周りには呆れられる。 

 そう、でもまた新しい素晴らしい友達が作りたいな。 その人といっぱい遊びたい。 絶対それが楽しいって。 本当にそう思う。

2008-08-07

コレラの時代の愛

 映画、コレラの時代の愛を見た。 とても面白い映画だから、是非チャンスのある人は見てみて下さい。 


原作を大昔に読んで、登場人物全員に感情移入が出来る素晴らしい小説だと思っていました。

 そして映画版でもそうだった。 もう、みんなの気持ちが痛い程に分かる。 

51年9ヶ月と4日、初恋の女性の夫が死ぬのを待っていた主人公の気持ちも痛い程分かる。 映画のキャッチフレーズが「51年9ヶ月と4日、君に飢えて眠り、君を求めて目覚める。」なのも泣ける。 本当に、その通りだ。 その通りの状況ってある。 君に飢えて眠り、君を求めて目覚める。 私もそうだ。 初めて、誰かのことを思いながら目を覚ました日の事は誰だって覚えているだろう。 そして、一回そうなっちゃったら、もう来てしまった嵐とは共に生きるしか無いっていう状況になるじゃん。

そんな主人公に告白されたヒロインが「(夫の葬式会場から)出て行って。 二度と顔を見せないで。 そして、とっとと死ねば良いと思うわ!」的な捨て台詞を言うんだけど、その気持ちも痛い程よく分かる。 相手にどれだけ好かれてようが、興味が無い奴には興味が持てないってのは変えようが無いことだ。 私もそうだ。 興味がない奴に好かれていれば好かれている程に気持ちが悪い。 

そしてヒロインと彼女の夫の山あり谷ありだけど、質のある深い愛情関係を一生懸命築いて行った様子、そのときの心境も分かるとも! 他にも登場人物全員が「そうだよね! 人間ってそうだよね!」っていう人類の原体験を繰り返す物語。 物語への納得度が通常じゃない。

この、誰彼構わず全員の中に自分を見るっていう映画体験は珍しいよ。 すごいよ。

そういえば私の同居人はセックスシーンが苦手で、ロマンティックなシーンになるとソファーを立ち上がったり、やかんでお湯を湧かし始めたりもぞもぞしはじめる。 その慌て方、見事な物だ。 自分が人に見せなくない行動だから、人様のなんか余計に見たくないそうです。 全てのセックスシーンは映画の質を根本から破壊するらしい。 

今回の映画はちょこちょことセックスの描写があったから彼は大忙しだった。 君が難しい気持ちになっているのは分かるけど、だからって急にマンガみたいに「どったんばったん」したなくていいじゃんと横でおとなしく映画を見ている私は思う。 こういう、映画を見つつも自分のドラマでいっぱいいっぱいになる、そして私を彼のドラマに引き込むわがままさはあっぱれだと思う。

そしてもう一本! スウィーニー トッドを見た。 ティムバートンの映画に出てくる女性たち、特に彼のパートナー、ヘレナ・ボナム=カーターが演じる役割にはいつも同調してしまう。 自分の妻にこんな役ってどうよって思うのばっかりだけど、結構こういうアスペクトは人の中にはあるよねってのを描き出していて感心する。 女が女になるのは難しいし、意外と障害がある。

2008-08-04

ふむふむ兄さん 卒業制作への道2

 クラスのお兄さん方二人と夕飯を食べに行った。 元々そこまで仲良しじゃない男の子たちで、まだ彼らの視点は新鮮で面白かった。 外遊びの奥義をちょっとインタビューした。 一人はドイツ人、もう一人は中国の孤島で育った男の子たちで遊び方に文化が反映されていて結構笑えた。 中国人の子は虫取りにはまり、一人で昆虫博士だったそうだ。 そしてドイツ人の子はかくれんぼに夢中だったそうです。 色々と面白い話しを聞かせてくれた。 

 私は結構オタクっぽい子供だったから、地元の遺跡とかをチャリもしくは電車などを駆使し巡っていた。 小学生の頃は埼玉県に住んでいたから秩父の方の遺跡群に行きまくり、もしくは庭でじいちゃんが埋めたお宝を探し穴を掘っていた。 そして夏は泳いでいた。 小学生の頃からやってる事が大して変わってないのが笑える。 運動音痴だったからそういう一人でちんたらやってられる遊びの方が好きだったんだよな。

 
 

自然 探検 卒業制作への道

 今大学の課題で、子供が自然を探検する時に使う電子機器のデザインをしている。 

 元々、ニュージーランドの子どもたちは外で羊とかを追いかけたり、崖でターザンごっこをしたり、海で泳いだり、穴をほったりしていたらしいんだけど、最近は都市化が進み家の中でうじうじとしている時間が長いらしい。 そしてそれは問題らしい。 子供は自然と遊んだ方が良いらしいよ。 北欧とかだと、七歳ぐらいまで読み書きとかを教えないで、森で遊ばせるんだって。 それは良い事らしい。

 現状のテクノロジーを使いどれだけ色鮮やかに外の世界と子供をまたつなぎ合わせられるかというのが今回の挑戦。 そして、その挑戦を託されたのが、極度の人工社会出身の私なのだ…。 これって、男の子に女の子の生理用品のデザインをさせるぐらいに、なんか大きな挑戦な気がする。 難しいよ。 だって、私、超人工人間だもん。 殆どガソリンで走りそうな勢いで私は人工人間なのに!! 日本の子と比べたら若干は野生児かもしれないけど、それでもtotally out of my comfort zoneだ。

 しょうがないから、これは周りの人に聞くしか無いんだろう。 外遊びの奥義を。

似てるよなと思う人/物

茂木健一郎と堀江貴文は似てる。 白版黒版。 

村上春樹の作品とエヴァンゲリオンは似ている。 体力がある人版とない人版。

イラン映画と日本映画は似てる。 おじさんの哀愁。

私とディランは似てる。 いつもお腹が空いている。

私の課題はいつも似てる。 いつでも最後まで終わらない。

2008-08-03

映画祭終了



 二週間強続くウェリントンの映画祭が終了した。 毎年世界中の映画が130本ぐらい一気に上映される心躍るイベントだ。 強者は一日に三本とか平気で見る。 私は大学もあるし、週末に数本っていうペースだったんだけどそれでも十分に楽しんだ。 次は一週間の建築映画祭(なんともマイナーなお祭りだ)と、二週間行われるジャズフェスで、冬を乗り切るぞ。






 お祭り最後の締めとして、ミッシェル・ゴンドリーのBe kind rewindを見てきた。 ビデオ屋さんで働く馬鹿二人が主役の心温まる映画だった。 愚かな行動の結果、店中のビデオの中身が消去されてしまい、苦肉の果てに全てのビデオを作り直して行く話。 そして言い訳として「これ、スウェーデンからの逆輸入なんだ」と客に嘘をつき、結果「スウェーデン映画」が地元で大流行。

これが、本物のトレーラー。



これがスウェーデン版。




この監督の映画は、あまりにもラブリーでポップに洗練されすぎていていつも、自分の中の土臭い部分が満ち足りず見終わった後に白ける。 面白いけど、面白くない。 でもアウトスタンディングな監督。 町山さんのサイトに詳しい事がのってるから、もし興味があれば読んでみて。 絶対におすすめの映画。 個人的には特に好きじゃないけど、ある種の質の高さは尊敬できる。 






今回見た映画の中で一番良かったのは、マジッド・マジディ監督のThe song of sparrows.  イランの田舎のおっちゃんが災難に巻き込まれながらも、淡々と温かく家族と日常を重ねて行く様子を、美しく丁寧に描写している映画。 本当に良かった。 快作。 制約は想像力で乗り越える事が出来るのかもしれない。 淡々と悠久とした美しさの底力を感じた。 小津級。 生き生きとしたリズムが映画に満ちていた。 






 そして、もう一本! 日本映画を代表して、ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序がいらっしゃったので見てきた。 今回日本から来ていた映画は、エヴァと、天然コケッコウ、それでもボクはやってないとかだった。 小粒。 (それでもボクはやってないを見た友人は本気で日本の法制度を心配して帰ってきた。)

 ヱヴァはintenseだった。ものすごい力を入れて作っている事が伝わってくる映画だった。 闇雲に本気。 このまま、最後まで突っ切って下さいと思いつつも、こんなテンションでずっとやれるのかと不安にもなる。 

 これだけ散らばった世界観を一本の物語に練り上げるのは大変だろう。 ただ今回は終わりを見定めて作っている感じがあり、若干内容が成熟していた。 

 ペダンティックで、混乱していて、仕上がっていないというのが、元々の作品のクールネスだったけど、今回は「まっすぐ」とか「何回でも立ち向かう」とか、「人と向かい合う」とかっていう元々は否定していた要素を作品の要にしている。 村上春樹かよ!ってぐらいのディタッチメントからコミットメントへの流れがある。 ねじ巻き鳥クロニクルの二巻の最後のスイミングプールでの部分(なぜか英語版では削られている。 一番重要な所なのに)的な事がエヴァの制作グループにもあったんだろう。 

 前回までの失敗要素を真っ正面から攻略してバランスアップを計ろうとしているその姿がいじらしい。 
いじらしいけど、ロボット映画で、地球の生き物全ての命を背負った人達が自己啓発的な物事のみに興味を持っているってのはそもそもどうよ。 もっと違う面でバランスとれなかったのかね。 前回物語りが破綻した理由は決して登場人物たちの精神が弱かったからとかじゃなくて、ただ物語に設計が少なかったからじゃないかと私は思うぞ。 「登場人物の精神が弱かったから駄目でした」って感じで修正を入れて行くって、面白い作業方法だけど、そもそもその精神論に問題があるから物語が破綻しちゃうんじゃないの? 気持ちは分かるけど意味は分からん。

 あと精神と言えば、登場人物全員の精神構造がすっごい似ている。 通常の感覚ではこの手のタイプの人達に一番渡したくないタイプの仕事をやってる。 登場人物全員が村上春樹の小説の「僕」をもうちょっとエキセントリックにした感じの人達で、なおかつそんな人達の中で地球の運命と自分の運命全部 を背負いながらやってかなきゃいけない時点でシンジ君はカフカ君よりついてない。 カフカ君は結構まわりに恵まれていた。 少なくとも周りからのアクショ ンがあった。 それに比べてシンジ君…。 頑張れシンジ!  

 世界は、もうちょっと自分自身が解決している人に担ってもらいたい。 それともこれって戦時下とか、非常事態で常に育った人達のメンタリティーをリアルに表現しているのか? だとしたら芸が細かい。 どこまでが意図されているのかが分からない感じが、多分この物語の魅力なのだろうなと思った。 

 それにしても、この監督や制作グループ全員の成長の仕方を視聴者にひたすら示しながら、改善していこうとしている十年がかりのプロジェクトには、まさに碇シンジ的な感じがあり、一種のまとまりがある。 この変わった制作方法を、視聴者もある意味納得し、一大プロジェクトとしてインテンスに拳を握りながら見つめている状態から、なんだかのブレイクスルーが生まれてくれると良いなと思う。 

 物語全部を解決して、「これがしたかったのかい!」っていう解脱状態な喜びをくれとは言わない。 ただ、村上隆がlittle boyの中の「終わらない夏休み」で書いていたように、「話しを終わらす事が出来ない」っていう日本の制作物の特徴から脱せられたらそれだけで凄いことだと思うので、とりあえず、話しの中心的な部分を終わらせる事を期待する。 頑張れ、エヴァの制作チーム。 この作り手と観客の奇妙な一体感が、エヴァなんだろう。 

とっとと結婚して君の白物家電を私に下さい

 段々日本に帰る時期が近づいてきている。 

さあ、友よ。 君が忙しくなる時期が近づいてきているぞよ…。 

遠くの太鼓の音だと思っていると、急に真横でドンガラガッシャンだから、準備に抜かり無く事を進めてくれ。

 私は親友だから色々と考えたのだよ。 

子供は若いうちに生んだ方が母体にダメージが少ないらしい。 それにこういうのはご縁だからとっとと感覚でやっちゃってくれ。 私が英語を忘れる前に生んでくれたら、零歳児からの英才教育にだって事欠かず、子供は次期国連大使。 将来は左うちわで、きっと南の島でクルージング。 それか、幼児期からの天才教育により次期赤塚不二夫にだってなるかもしれない。 そうしたら毎日が終わらないウナギイヌ。 そう、いっそ人間の子供じゃなくても良いのだ。 犬や猫でも良し。 君たちの情操教育及び、責任感の発展の為、何かを育てる事をお薦めする。

その為には結婚/事実婚などをし、生活基盤を一つにまとめてみたらどうだろうか。 

子供の為に、持続可能な素敵な環境問題を考慮した立派な家庭を築くのだ。 

ただ、ファンダメンタルな問題として、結婚したら、サトリーヌとみーたろう、両方の学生時代の家電が一組ずつ余りますね。 そして、こんなにコンシャスな君たちはそれらをただゴミ箱に捨てるなんて事は出来ないのだ。 

地球にゴミ箱なんてものは無い! 

見えない所に隠すのは、私たちの次の世代の為にならん。 夢の島はもうパンパン。 どうするみーたろう!

しょうがないから私がそれを引き受けてあげても良い。 偶然が重なり、私にはそのキャパシティーがあるのだ。 しかも、君たちが隣同士しで借りている部屋も、一つ余りますね。 面倒を見てあげようじゃないか。 
それに昔、私が使っていたダブルベッドは子づくりには耐久性が少ないだろうし、腰とかの負担も考えてドカンと一発豪勢なベッドを購入して、私のベッドを私に譲ってくれたりしないだろうか。 平たく言えば、身一つで君の部屋に私が転がり込み、彼の部屋に君が転がり込むという回転行動で、共に地球を回さないか? きっと、優れた地球市民として、地域社会に貢献できるはず。 特に君たちは持続可能な生殖行動を通じ、生めよ増やせよ将来の労働力/納税者。 私は影ながらサポートするのみ。

結婚式は上野の某桜の名所でいかがであろうか。 私はたまたまそこらへんのエリアに詳しいから、打ち上げの幹事は任せてくれ! 茨城からも筑波エクスプレスで親族が来やすい、優れた立地。 新婚旅行は土佐で!いっごうそうと、はちきんな君たちにはぴったりだ。 

さあ、何をためらうことがある! 

いいニュース、待ってます。

南半球からアイヲコメテ。

アンナより。


追伸:一割ぐらいは冗談なので、そこまで本気で受け取らないで、ほどほどに考慮して下さい。 特に家電の考慮をおすすめだ!