2008-03-30

Susan Sontag 過去はもはや重荷ではない


 好きすぎて怖い。 グルーピーなレベルで、スーザンソンタグが好きだ。 ロールモデル! くっはー、なんて良い女なんだ。 





若い読者へのアドバイス…
(これは、ずっと自分自身に言いきかせているアドバイスでもある)

人の生き方はその人の心の傾注(アテンション)がいかに形成され、また歪められてきたかの軌跡です。注意力(アテンション)の形成は教育の、また文 化そのもののまごうかたなきあらわれです。人はつねに成長します。注意力を増大させ高めるものは、人が異質なものごとに対して示す礼節です。新しい刺激を 受けとめること、挑戦を受けることに一生懸命になってください。検閲を警戒すること。しかし忘れないこと——社会においても個々人の生活においてももっとも強力で深層にひそむ検閲は、自己検閲です。

本をたくさん読んでください。本には何か大きなもの、歓喜を呼び起こすもの、あるいは自分を深めてくれるものが詰まっています。その期待を持続すること。二度読む価値のない本は、読む価値はありません(ちなみに、これは映画についても言えることです)。言語のスラム街に沈み込まないよう気をつけること。
言葉が指し示す具体的な、生きられた現実を想像するよう努力してください。たとえば、「戦争」というような言葉。

自分自身について、あるいは自分が欲すること、必要とすること、失望していることについて考えるのは、なるべくしないこと。自分についてはまったく、または、少なくとももてる時間のうち半分は、考えないこと。動き回ってください。旅をすること。しばらくのあいだ、よその国に住むこと。けっして旅することをやめないこと。もしはるか遠くまで行くことができないな ら、その場合は、自分自身を脱却できる場所により深く入り込んでいくこと。時間は消えていくものだとしても、場所はいつでもそこにあります。場所が時間の 埋めあわせをしてくれます。たとえば、庭は、過去はもはや重荷ではないという感情を呼び覚ましてくれます。

この社会では商業が支配的な活動に、金儲けが支配的な基礎になっています。商業に対抗する、あるいは商業を意に介さない思想と実践的な行動のための場所を 維持するようにしてください。みずから欲するなら、私たちひとりひとりは、小さなかたちではあれ、この社会の浅薄で心が欠如したものごとに対して拮抗する 力になることができます。暴力を嫌悪すること。国家の虚飾と自己愛を嫌悪すること。少なくとも一日一回は、もし自分が、旅券を持たず、冷蔵庫と電話のある住居をもたないでこの地球上に生き、飛行機に一度も乗ったことのない、膨大で圧倒的な数の人々の一員だったら、と想像してみてください。自国の政府のあらゆる主張にきわめて懐疑的であるべきです。ほかの諸国の政府に対しても、同じように懐疑的であること。

恐れないことは難しいことです。ならば、いまよりは恐れを軽減すること。自分の感情を押し殺すためでないかぎりは、おおいに笑うのは良いことです。他者に庇護されたり、見下されたりする、そういう関係を許してはなりません——女性の場合は、いまも今後も一生をつうじてそういうことがあり得ます。屈辱をはねのけること。卑劣な男は叱りつけてやりなさい。

傾注すること。注意を向ける、それがすべての核心です。眼前にあることをできるかぎり自分のなかに取り込むこと。そして、自分に課された何らかの義務のしんどさに負け、みずからの生を狭めてはなりません。
傾注は生命力です。それはあなたと他者とをつなぐものです。それはあなたを生き生きとさせます。いつまでも生き生きとしていてください。
良心の領界を守ってください。


2004年2月
スーザン・ソンタグ 『良心の領界』(NTT出版)

7 comments:

kawai said...

sontagの英文原稿を読ませていただきました。元になった原稿は女子大の卒業生へのはなむけの講演だったようですね。ちょうど今、Against Interpretationを読んでいて、Sontag 29才の時に執筆したPvaseの批評に、crises of conscience,and the refusal to allow crises of conscienceの表現があり、sontagの真面目さや清潔感、老いても青春時代に批評の対象とした文学に対して向き合い続ける彼女の美しい生き方に打たれるものがありました。
ありがとうございます。

taro said...

原文引用、ありがとうございます!
心にしみる文章です。

自分のことを考える/考えさせる世の中、という認識がグッと来ます。

差し支えなければ、引用元を教えていただけるとうれしいです。というのも、引用文には「庭」にあたる言葉がないのですが、原文はこのままで、和訳が意訳なのか、気になりまして....。

kuro said...

ぼくは、Some advice to young readers ...
(the advice I continue to give to myself) sontagさんにもらったこの原文を所持しておりますが、ここに掲載されている文章とは違うようですねぇ~

Anna said...

Kuro さん

ご指摘どうもありがとうございます。 そうですか、違うときたか。 この文章は私が人伝いにもらったもので、オリジナルテキストでは無いのかもしれません。 そういうものを公共の場にあげておくのは百害あって一利無しな気がするので、ブログの記事本文から消去しました。 kuroさんのコメントのお陰です。 どうもありがとうございます。 アンフェアな事をしてしまったと恥じ入っています。

それにしてもソンタグさん本人からの原文を持っているってすごいですね! 宝物じゃないですか!

Taroさん
上に書いた通り、ちょっと私がさっきまで乗せていた英文には問題ありなようです。
混乱させてしまって申し訳ない。

Kawaiさん
そうか、卒業生へのはなむけだったのですね。
ゲド戦記の作者の方がアメリカで女子大の卒業式で行ったスピーチを読んだことがあります。(高橋源一郎さんの「13日間で「名文」を書けるようになる方法」の中でソンタグの文章とともに引用されています) それもとても心うつ内容の文章でした。 良いスピーチをする、良い言葉を人にかけるという、単純でシンプルなコミュニケーションのルールを厳守する女性たちには、勇気づけられ、鼓舞され、背中を押されます。 そういう誠実さをどうにかしても身につけたいものだと常々思っております。

taro said...

Anna Panda Tiger さん、kuro さん、kawai さんへ

コメント欄のやりとり、とても参考になりました。感謝します。

NTT出版の日本語訳を読み、原文(英語)を読みたいなあと思ったのですが、調べてみると、原文で出版されていないようでした(日本版向け序文ですから当然か)。また、ネット上にも載っていなくて。

そんなもどかしい折、こちらと、もうひとつ別のサイトで英文引用を見つけて、自分なりの言葉で噛み砕きながら、英語原文を読みふけっておりました。(傾注って言葉、いまひとつ、染み込まないなあ、というのが、そもそもの動機だったので)

しかし、「庭」にあたる英文が見当たらなかったので、別のヴァージョンがあるのかなあ、と思ったり。あるいは、訳者の方の意訳なのかなあ、とか。末節の疑問かもしれませんが。

といいますのも、私自身、いま畑を借りていて、この「庭」の一文には、ハッとさせられたので、余計に気になっておりました。この「庭」は、単なる庭じゃなくて、なにかが植えられている「庭」(日本では畑に近い感覚)じゃないかなあとも思います。つまり、ソンタグは、花や野菜を育てていたのでは、とか。あるいは、近くに、community garden があったとか。じゃなきゃ、この一文は出てこないように思います。

ともあれ、この序文はその言葉の後ろに含まれているものは大きいような気がして、今後も何度か読み返したり、自分なりに考えていくことになると思います。

それだけに、この中で、とりわけキャッチーな「Go travelling. Live abroad for a while. Never stop travelling.」のくだりだけが部分引用されている記事・日記をよく見かけるのは、すこし残念な気がしています。

taro said...

Anna Panda Tiger さん
そうそう、ぼくも、Le Guin の "A Left-Handed Commencement Address (Mills College, 1983)" 、心を打たれました。
http://www.ursulakleguin.com/LeftHandMillsCollege.html

補足(先程の部分引用についての)ですが、日本に住んでいると、「Go travelling. Live abroad」と言われると「留学」「欧米旅行」「異文化交流」を思い浮かべがちになります。

そうではなくて、例えば、南米やアフリカにある鉱山とぼくらの日常生活が実は深くつながっている、そういうことを考えることが、attention だったり、don't think about yourself ということのひとつじゃないかと思ったりもします。うさぎ!にもつながりますが。

Anna said...

taroさん

庭が、植物の成長の場(畑)っていう意味なんじゃないかってのは、とても美しい発想ですね。

私はそこまで思いつかなかった。

私も今日、海辺に散歩に行き、そこの近隣の家庭菜園を見て、taroさんの言っていた事を思い出しました。

すごい発想だわ。

私自身、この文章のどこが好きなのだろうかとさっき考えていました。 多分、どこが特に好きとかって言うよりも、当然の事をドライに当然に書いているその態度そのものが好きなんだと思います。 主張とか表現っていう次元ではなくて、本当にただそのままの生の態度がある、気がする。

旅行は大切です。 私は旅行が人生でトップスリーに入る必要な贅沢だと思っています。 でも別に旅行だけしてても馬鹿みたいですよね。 ちょっとは落ち着けよと。 発情期の猫じゃないんだから。

 緑物を育てる、食べる物を育てる、そういう自分の体内時間だけじゃない、強烈な他者の時間の流れを感じるってのが肝だと思うんです。 旅行も、もろにそうじゃないですか。 強烈な他者の時間の中に投げ込まれる。

 そして勿論、実際自分がアテンションをはらっていない場所がどこなのかってあえて探す行動は、良心の始まりな気がする。 ってことで、うさぎ!、その通りですよね。 オザケン、偉い。

 いやー、taroさんの書き込みの直後にオザケンのコンサートの発表があってぶったまげました。

 私、小学生の時からオザケン大好きなんですよ。

 うさぎ!はオンライン上で発表された、第一回目しか読んだ事ないけど、オザケンのぶっちぎる感じ、左翼方面でも見事に出ましたね。 傑出している。 本当に、何をしてもぶっちぎるその姿に、生粋の文化人の態度を感じます。