多摩美にいた頃、鉄平見たさにMTV見まくっていた。
YUKIちゃんの物まねをする鉄平、幼少期に家族の食卓で「お母さんはお父さんのチンコくわえるの?」と聞いたんだよねけろっと言う鉄平、ささやき戦術で「恋に臆病になっているんだよね」とほざいた鉄平。 全てが笑えた。 そして「こうありたいものよ」と思ったもんだ。
そんな鉄平が癌になった。 自分のラジオ番組とブログで、癌になった事を発表した鉄平。 なんて潔くて正直なんだ。 そんな所まで鉄平らしい…。
若いのに癌。 癌って、身近な病なんだなぁ…。
鉄平、鉄平、鉄平。
頑張れよ鉄平。
元気玉鉄平に送るぞー。 鉄平! 今日本中のMTVっ子が元気玉送ってるぞーーー!! 鉄平ーー!
2010-08-23
2010-08-22
夢の病院を作ろう

時々ここで買物をする。
稼ぎ始めると、周りの人達とお金の話しをする事が増える。 全体の何パーセントを貯金に回しているかとか、どれぐらいを短期間で消費する目的のお金として取り扱っているかとか…、そして何パーセントを寄付に回しているかってのも出てくる。 人によってはどれぐらいを祖国にいる家族/親戚に仕送りするかってのも含まれてくる。
一部のキリスト教教会に属している人達は、義務として収入の10%を教会に寄付する。 ポリネシア系の人達の行く教会にそれが多く、彼らは当然の事として収入を寄付して行く。
そしてたまにそれは職場で、ディスカッションの対象になる。 何故お金なのか。 人に捧げる事が出来る自分のプロパティーは、時間であったり、思いやりであったり、一緒に考えてあげる事であったり、代わりにやってあげる事であったりもする。 お金でなくても良い訳だ。 無批判にお金を誰かに渡すってのが、結果としていい事に繋がる訳じゃないってのは、これまでのエイドなどでの結果で誰しもが知っている。
祖国の人びとに仕送りをしている同僚は、親族に「お前馬鹿じゃないの?!」っていうお金の使われ方をしているのを知り心を痛めている。(親に何年も仕送りしてもらい、「お前本当に馬鹿だろ?!」ってお金の使い方をしてきていた私としては耳がマジで痛い話しだ。)
そんなことをたまに話す。
大概の同僚や上司達は、無宗教でもキリスト教的素養が強いからだろう、10%ぐらいの収入を自動的に寄付や募金に回している。 貧困状態にある片親家庭へのスポンサーになっていたり、海外の子供の里親をしていたり、やり方は様々。 意見も色々ある。
「NZは政府の福祉がある程度ある訳だから、スポンサーする必要はない。 それよりも、政府の福祉が機能していない地域の子供にお金を渡すべきだ」「いやいや、それは理想論。 政府の福祉じゃ足りないし、貧困問題は結局の所は自分の地域社会を荒ませてしまうのだから、自分の地元の子供の成長の為にお金を渡すべきだ」などなど。
お金だけじゃなくて、時間を捧げている人達も多い。 週末に片親家庭の子供を預かる(例えば母と息子だけの家庭の場合は、子育てが終わった男の人が週末に息子を預かって一緒に遊ぶなど)事をしている人達も多い。
理想はまんべんなく人びとのケアが行き渡る事だろうから、多様性はいい事だ。 人と違う事をする事が大切な領域の一つだと思う。 面白いなあと思いながら眺めている。
で、私の場合は何となく自分がコンスタントに続けられて、自分にとっての大切な人達の為になるサービスは何なんだろうと思って探した結果、「夢の病院を作ろうプロジェクト」を選んだ。 まず何となく、日本の子供に寄付がしたかった。 別に身内に癌の子供がいる訳でもないのだけど、コンセプトを読んでいたり、買える物を読んでいるうちに「これは必要なんだな」と思えたから。 読んでいるうちに、必要性に納得させられたってのがここを選んだ大きな理由だな。 これが良い選択理由になっているのかは分からないんだけど「デザインがきちんとしているから」ってのも理由のうちには含まれる。 工業デザインという活動のうちの大きな動機の一つを、このプロジェクトを見ていると思い出させてくれる。
貧困層や、片親家庭、同年代の障害がある人達…、自分の収入の一部をこういった人達に届けたいと思う相手は沢山いる。 「自分がこの立場になったら助けが必要になる」と思う人達は沢山いる。 その中でなんで癌病棟なの?なんで子供用なの?と聞かれるとズバっとは答えられないんだけど、(優先順位を決めるのはとても難しい)とりあえず今はここ。
買物をするのが好きな人は、是非ここで買物をしてもらいたい。 寄付っていうと抵抗があっても、買物はみんな好きでしょ? 私は、「プラスチックじゃない容器」をよく買います。
2010-08-21
むっふん
以前シドニーで奇妙な彫刻を複数見た。
街のど真ん中に誇らしげにあった噴水。
全体像はこんな感じ…。
私はこの彫刻は変だと思う。
鼻の穴から水出てるし…。
しかも白人男性(マッチョ)が獣を征服する像って、街の真ん中にあっちゃぁいけないんじゃないかと、見ていてかなり不愉快になった。
「野蛮なのはどっちかって言うとお前だ!」と彫刻の男に向かって喧嘩を売りたくなる。
股間を凝視。
混乱させられる。
所変わればだなぁ…。
新しい若者向けのショッピングモールにも雄牛がいた。
でかい玉をぶら下げて。
私はあまりこういうマッチョ彫刻に縁がない地域で育ったので、
町中にこういうムキムキで権威的で、
無駄にリアリスティックな彫刻に溢れたシドニーは強烈だった。
地元の人達からしてみたら誇りなのだろうか。
カルチャーショック。
2010-08-08
さよならG9
数年間愛用していたCanon powershot G9がついにお陀仏した。
酷使し過ぎていたようで、どうもガタピシャ来ている感じはあった。 そしてある日動くのをやめた。
高校で写真の授業を取っていたわりには(NZの高校では"幾何" "物理" "統計" "音楽"ってのと同じ割合で"写真"っていう授業がある。)カメラに疎い私。
当時は勿論フィルムでありましたし、ベージックな働きは一応学びましたし理解はしているんですが、こう、情熱的なオタク達の言説にはついていけない…、ってのが実情です。
カメラは本当に奥が深い…! 「写真に特化したい」となったら、金銭的にも技術的にも情報的にも本当に人生を捧げなくちゃいけないですよね。
実は今、写真と製本に関する産業に携わっているので、とても優れた写真家の方々や、特化した印刷技術に関わらせていただいております。 一日にそれこそ何百枚も写真を見ているのですが、余計に「これは…、プロの人に巨大な尊敬を捧げて、私はサポートに徹しよう!」という思いを強くする一方です。 写真は、本当に、一つの宇宙。
ただ仕事上、ドキュメンテーションっていう側面で一日に何回もカメラを使って写真を撮影しています。 そして私生活でもよく写真を撮ります。 カジュアルな行為としてはとてもとても好きなのです。 ほぼ唯一の趣味であります。
なのでカメラが無いのは非常にきつい。
今日はカメラ小僧の友人と一日カメラの買い出しに行ってきました。
何でもかんでもイメージで決める私の友人は、それはそれは頼もしかった。
一瞬デジタル一眼レフに自分のカメラをグレードアップさせようかと迷った私に、「杏奈が一眼レフを担いでいる姿は想像がつかない。 似合わない。 かっこわるい。 色っぽくない。 君向けじゃない。」と、ずばっと独断され、一気に選択の幅を狭めてもらいました。
確かに私の日常的な使い方を考えると、一眼レフは向いていない。
ってことで、コンパクトカメラのハイエンド機種を検証。
値段のパフォーマンスがいい事から、Canon S90に一瞬心が傾いたが、写真撮影ってやっぱりなんだかんだでマニュアル操作が楽しいんだから、簡単操作系を買っちゃうと、結局使わずにもうちょっと操作できる機種を買い直してしまいそう。 って事で却下。
ケチな心が出てきて「いや、これも一種の"質素遊び"って位置づけにして安いカメラで手を打つんだ私!」と一時間ぐらい自分を説得したんだけど、失敗。
それで一応G11を候補にあげて、試し撮影をさせてもらう。 頼もしい。 実に優秀。 しかも結構美しい。(デザイン的にはG9がなんだかんだで一番完成に近かった気がするんだけど、それでもG11も他の機種と比べるとずば抜けて美しい)
ただ、心の中にはずっと欲しいと思っていたカメラもあったのだ。 これを口に出したら、欲望に耐えられなくなって買っちゃうと思って、躊躇していたマル秘カメラが。
「がっちゃんこ」と物がはまる感じが好きでたまらないから、工業デザイナーになったと言っても過言でない「がっちゃんこ」好きな私の心をロックオンしてたまらないビューティフルで、ソリッドなワンダーカメラ。 それは…、RICOHのGXR。 発売された時から欲しくてたまらなかった。
ただNZではニッチすぎるカメラとして非常に値段が高かった+日本にこの間帰った時は円高過ぎて買えなかったので、欲望は強固に封印されていた。
このカメラは工業デザイナーだけに向けて発売されたんじゃないかってぐらいに、私の心をくすぐった。
まず、四角い。
素材の持つ美を最大に引き出しているマット加工。(素材の祝福は工業デザインへの祝福である)
モダニズムの申し子のような黒。
近代工業のシグネチャー的動き、がっちゃんこ。
近代工業の礎的コンセプト"ユニット"を仕様。
コンパクトカメラ以上、デジタル一眼レフ以下の、そのたまらない立ち位置。(デザイナーは全ての職業の中間位置に立つのが仕事なので、このカメラには感情移入できる。)
「既存のカメラからの大冒険をしましたな!」っていう、ラディカルなゲシュタルトの変化。
結果として非常に美しい。
要するに、たまらない。
そしてラディカルすぎるので、常に廃盤崖っぷち感があり、思わすその実験性を評価しサポートする為だけにも商品を購入したいという、RICOHのエンジニア+デザイナーさんたちへの仲間意識。
本当に欲しかったんだ。
持っちゃいけない、もったら買っちゃうと思いつつも、思わず触ってしまった。
そして友人にその立ち姿を絶賛される。 「このカメラ、アンナ似合い過ぎ。」と工業デザイナー同士でしか評価ができないような基準で、似合うか似合わないかを審査してもらった。
2010-08-06
ベビ蔵
朝から歩んちのベビ蔵(はやて君、生後三週間位)の写真を、連れ合いと二人で、穴があく位まで眺めるのが日課になっている。
ベビ蔵、局地的に超ポピュラー。 「ベビ蔵、今日元気そうだ。」とか、「今日のベビ蔵の泣き顔はいぶし銀的に渋いね。」とか言いあってから出勤。
はぁ…、大ファン、友達んちの赤ちゃん。
欲を言いますと、「ベビ蔵とパパ」とか「ベビ蔵と歩」とか、「ベビ蔵一家」とかそういう、ファン心的にはもっとプレミアな喜びを与えてくれる写真を求めております。 ファンだから。
ベビ蔵、局地的に超ポピュラー。 「ベビ蔵、今日元気そうだ。」とか、「今日のベビ蔵の泣き顔はいぶし銀的に渋いね。」とか言いあってから出勤。
はぁ…、大ファン、友達んちの赤ちゃん。
欲を言いますと、「ベビ蔵とパパ」とか「ベビ蔵と歩」とか、「ベビ蔵一家」とかそういう、ファン心的にはもっとプレミアな喜びを与えてくれる写真を求めております。 ファンだから。
2010-08-02
風邪 色褪せていく
七月は用事が連なり、毎週末飛行機で旅行に出かけた。
結果として最後の週は、半分ゾンビ状態になった。
勝手に自分は体力がある方なのだと信じ込んでいたのだけど、決してそうでもないと知った七月だった。
弱って行くにつれてだんだんと、夜らへんとか自分の心の色彩が褪せて行ったのを感じた。
こういう時は頭の中で勝手に自分の身の上におこっている事を、フォトショップ的に認識し始める。
「ああ、レイヤーが複製されて、上に置いた方のレイヤーがイメージアジャスメントされて、色調と、彩度が、両方とも-100にされた…。 そして、上のイメージ全体の透明度が60で、退色加工終了…。ここで透明度がゼロになったら、ああ…、その時は世界はモノクロ!!」ってさ…。
写真で説明すると、下の写真が夜らへんに普通の疲れた時の状態。 疲れているけど、どっかは気持ちがいいし、まあ、普通に日が暮れて行く感じを体感する。

で、これが疲れた上に、風邪をひいた時の心的風景。(この写真は上の写真にフォトショップで退色加工をしたもの。) 多分、言語感覚がもっと発達した人は、ストレートに「うつうつとしている」とすぱっと言い切れるんだろうと思う。 私はそう言い切る前に、ずっと「フォトショップでならこんな感じ…」と変な分析をしてしまう。 職業病だと思う。

とにもかくにも、今週末の私は滞在先のウェリントンで風邪引いて大変暗かった。
友人の送別会に参加している間も、輝くような美男子の友人らとお洒落なカフェでアフターヌーンティーをしている時も、めためたに私の心の中は暗かった。
滞在先で夜、熱を出しながら、うつらううらと、陰惨な事柄に胸を馳せていた。 「海外に引っ越して行く友人を見て、私もそうしたいと思うけど…、もし引っ越し先でこういう心の色調になっちゃったら、多分私耐えられない…。」とか「ああ、もうきっとお先って真っ暗なんだわ…。」とか、「今まで私はなんて呑気に物事を考えていたんだろう。物事がそんなに簡単で心にやさしいわけないのに。 きっとズタボロに傷つけられて、ルサンチマンいっぱいの状態で朽ち果てるんだわ…。」とか、出てくる出てくる、暗い発想。
風邪と疲労、恐るべし。 疲労の恐ろしさを痛感した。
多分新しいところに引っ越したら、こういう心理状況にはなりやすいだろう。 そうなった人を結構知っているし、今回旅行しまくって疲れた結果、自分自身も陥った。
でも結局は移動の多い、色んなところに行くライフスタイルを自分は求めている。 ってことはある種のコーピングメカニズム(対処方法)を見つけ出さないと、自分で自分の首を絞める事になる。
それで悶々と考えた結果、「疲労を貯めない/疲労回復を上手にする」ってのが一番良いコーピングの方法なのではないかと考えがまとまった。
今回は「回復をする為の体力が無い」っていう変なスパイラルに自分が入った気がした。 それこそ、「寝ても寝た気がしない」ってのから始まってさ。 そして気がついたら、結構悪い状況に自分自身を立たせた。
もうこういうのは嫌だ。
疲労回復がすんなりと行える程度への体力は、最低限必要だ。
体力向上させるぞーー!
結果として最後の週は、半分ゾンビ状態になった。
勝手に自分は体力がある方なのだと信じ込んでいたのだけど、決してそうでもないと知った七月だった。
弱って行くにつれてだんだんと、夜らへんとか自分の心の色彩が褪せて行ったのを感じた。
こういう時は頭の中で勝手に自分の身の上におこっている事を、フォトショップ的に認識し始める。
「ああ、レイヤーが複製されて、上に置いた方のレイヤーがイメージアジャスメントされて、色調と、彩度が、両方とも-100にされた…。 そして、上のイメージ全体の透明度が60で、退色加工終了…。ここで透明度がゼロになったら、ああ…、その時は世界はモノクロ!!」ってさ…。
写真で説明すると、下の写真が夜らへんに普通の疲れた時の状態。 疲れているけど、どっかは気持ちがいいし、まあ、普通に日が暮れて行く感じを体感する。
で、これが疲れた上に、風邪をひいた時の心的風景。(この写真は上の写真にフォトショップで退色加工をしたもの。) 多分、言語感覚がもっと発達した人は、ストレートに「うつうつとしている」とすぱっと言い切れるんだろうと思う。 私はそう言い切る前に、ずっと「フォトショップでならこんな感じ…」と変な分析をしてしまう。 職業病だと思う。

とにもかくにも、今週末の私は滞在先のウェリントンで風邪引いて大変暗かった。
友人の送別会に参加している間も、輝くような美男子の友人らとお洒落なカフェでアフターヌーンティーをしている時も、めためたに私の心の中は暗かった。
滞在先で夜、熱を出しながら、うつらううらと、陰惨な事柄に胸を馳せていた。 「海外に引っ越して行く友人を見て、私もそうしたいと思うけど…、もし引っ越し先でこういう心の色調になっちゃったら、多分私耐えられない…。」とか「ああ、もうきっとお先って真っ暗なんだわ…。」とか、「今まで私はなんて呑気に物事を考えていたんだろう。物事がそんなに簡単で心にやさしいわけないのに。 きっとズタボロに傷つけられて、ルサンチマンいっぱいの状態で朽ち果てるんだわ…。」とか、出てくる出てくる、暗い発想。
風邪と疲労、恐るべし。 疲労の恐ろしさを痛感した。
多分新しいところに引っ越したら、こういう心理状況にはなりやすいだろう。 そうなった人を結構知っているし、今回旅行しまくって疲れた結果、自分自身も陥った。
でも結局は移動の多い、色んなところに行くライフスタイルを自分は求めている。 ってことはある種のコーピングメカニズム(対処方法)を見つけ出さないと、自分で自分の首を絞める事になる。
それで悶々と考えた結果、「疲労を貯めない/疲労回復を上手にする」ってのが一番良いコーピングの方法なのではないかと考えがまとまった。
今回は「回復をする為の体力が無い」っていう変なスパイラルに自分が入った気がした。 それこそ、「寝ても寝た気がしない」ってのから始まってさ。 そして気がついたら、結構悪い状況に自分自身を立たせた。
もうこういうのは嫌だ。
疲労回復がすんなりと行える程度への体力は、最低限必要だ。
体力向上させるぞーー!
2010-07-30
シドニーの電車
公共の物を壊したり、汚したりしたいっていう衝動が私にはない。 多分、多くの日本の人達にも無いと思う。 だから日本は街も電車もいつも大概綺麗だ。
アジア圏以外の街に行って、いつも不思議でしょうがないのが、街や公共の物に対する暴力行為だ。 どうして落書きをするのかが分からない。 どうして物を壊すのかが分からない。
誰がどういうメンタリティーでやっているのかが、本当に分からないのだ。 そのアグレッションが本当に理解できない。
掃除になっていない掃除も分からない。 やるならちゃんとやれよ。
こればっかりは全く理解できない。
現実のシドニー そしてテレビから演歌
オーストラリアの国章はカンガルーとエミュー。 こういうのを見ると路上にきゃつらがゴロゴロいるのかとワクワクするよね。 「やあ!」ってカンガルーに言われたらどうしよう♥と、一人ときめく。
ちなみに下のがニュージーランドの国章。 こっちは何故か人。 いつも右上のぐったりした羊が気になる。 死骸…、なのか?
本家であるイギリスの国章はこんなん。 ワキャーーーっ!ってしてますね。 イギリスはキンキラキンの空想の獣達で装備されています。
一番上のライオンの顔面表情とか、もう、どうしちゃったの…?って感じよね。 ユニコーン、鎖で繋がれてるし。 鎖無かったら、イギリスから走って去って行くのかい、ユニコーン?
さてイミグレを通過して、オーストラリアに入国してみたら、まず人が沢山いて驚いた。 シドニーの人口はニュージーランドの総人口と一緒なので、ニュージーランドの感覚で人の群れを見ると、確かに人が多い。 それは想像済み。 でも日本の感覚での人の多さとは違うだろうと覆っていたんだけど、結構日本的に混んでいて驚いた。 シドニー空港の込み具合はヒースロー以下だけど成田並。
ここで「オーストラリアでは90年代まで神奈川県と同じサイズの牧場を二人の男が管理していたぐらいに土地がある」って情報からもたらされていた偏見が、シドニーでは通用しないと知る。
旅行先に付いたらまずお金をおろしますよね。 ANZは、オーストラリアニュージーランド銀行。 銀行は一緒でした。 自分の銀行を使ってお金を下し(ただATM機はオージーの方がお洒落だった)、極彩色のお金を手に入れました。 オーストラリアのお金、メチャクチャ派手だった! そしてお札は、ニュージーとも一緒で、プラスティック製。 紙じゃないの。 なんだ一緒じゃーんと親近感。
食べ物が一個一個大きくて驚いた。 こんなに食べれるのかと。 周りを見渡すとサーフボードを担いでいる人達が多い。 きっとサーファーだとお腹がいっぱい空くのだろう。
そしてクリスピークリームドーナツがハラール済みなのにも驚いた。 イスラム教徒でも問題なくドーナッツ食べれます。
私がいつも外国に来たんだなあと実感するのが天気予報を空港で見る時。 中心にオーストラリア。 飛び上がって喜びたくなる。
大陸だから天気予報の規模がでかく、長かった。 オーストラリア全土の天気を伝える為には、日本、ニュージーランドの数倍の時間をかけなくてはいけない。
空港のテレビ、最近では珍しく日本製だった。
私が子供だった頃は、こういう場所は大概全部日本製の物で占めていた。
でもここ5年ぐらいの間に、今度はほとんどすべてが韓国製になった。 空港の中で車の展示とかしていても、やっぱり韓国車。 大きなイベントのスポンサーも韓国企業。
日本製の物や、日本企業が、韓国製品や韓国企業に塗り替えられる流れを、私はずっと国外で見ていた。(日本のプレゼンスって本当に、驚愕するぐらいにこの数年間で激減した。)
久しぶりに日本製の商品を目立つ所で見て、ちょっと嬉しかった。
っが、ロゴの照明についているセロファン、片っぽ落ちてます。 おいっ!
日本の面子の為にも直してくれ!と、日本の家電メーカーのサラリーマン家庭で育った私は切に願う。
ここで私の演歌心爆発。 元々判官びいきのきらいのある私。 何故かこのセロファン片っぽ落ちているテレビのロゴに強烈に同情する。
このロゴは鬱病での自殺や、過労死した人達、残業残業で家にも帰れず空虚な家庭を作り上げた人達の犠牲の上にあるのだ。 会社に入るまでも壮絶な競争を早ければ小学校に入るときから始め、入ってからも競争し、人生を捧げた人達にとっての成功とゴールの象徴なんだよ! せめて、セロファンぐらい…、武士の情けで直しておくれよ。 よよよよよ。
はやく行くぞと、連れ合いに引っ張られ、何をそんなに見ていたのだと聞かれ、事の顛末を話す。 「自国製」とか、「自国の企業」ってのが、愛国精神と入り交じっている東アジア人独特の感覚が分からない連れ合いに、かなりぽかんとされる。 「日本人からしてみたら、松下、トヨタってのは、政府より偉くて、日本の誇りなんだ! 世界にテレビと自動車が供給できていたのが、日本人的にはとても嬉しかったんだ!日本人は日本国民であり市民である前に、日本株式会社の社員なのだ! そして演歌。 今の私は紅白歌合戦並みに、唄心で満ちています。 お能らへんから、日本文化説明させてもらったら、きっとあんさんにもこの感じわかるからっ!」と一応、この感覚を説明してみるも、勿論通じる訳も無く、ずるずると引きずられて空港を後にしました。
止められてなかったら、今度は駐車場でどこ製の車が多いかの調査を始めていたと思う。
演歌。 日本関連の物事を見た時の私のリアクションは、演歌。 よよよ。
想像上のシドニーと現実のシドニー
私にとって未知なる大陸だった、オーストラリアに週末行ってきました。
オークランドからシドニーまでは、飛行機で三時間ぐらいなので、とても近い。
でも精神的距離が非常に遠く、南半球に住んで8年ぐらい立つけど一回も行ったことが無かったんだ。
大概のニュージーランド人は、大阪の人が東京を毛嫌いするように、オーストラリアをけちょんけちょんに言う。 だからさ結構素直にオーストラリアってのは、地獄の釜の底みたいな場所なんだろうと思っていた。
特にシドニーは、オークランドのでっかい版として、本当に酷い所だと聞いていた。
ウェリントンの人達はオークランドが大概嫌いなのね、そしてそういう土地柄の親分みたいなシドニーはもっと嫌いで、みんな悪口ばっかりいっていたんだ。
キャピタリズムによって支配されたシンシティーなんだろうと思っていたんだ。 っていっても私は地上にあるキャピタリズムの楽園、東京出身なので、「ほうほう」とシドニーの噂を聞きながらも「そんなん東京の比じゃないよ」とは思っておったがな。
またまた歴史背景も、オランダ人がこの大陸を見つけて、イギリス人に勝手に$1で売ったとか…、
そしてたまたま冬の砂漠地帯を見たイギリス人達が「ここは流刑地にぴったりだ!」って思って、イギリスの犯罪者を島流しにしたところから移住が始まったとか、
その送られてきた荒くれ者達が、現地の人びと(アボリジニ)を虐殺しまくって、差別しまくったとか、
でも夏はすごい実りの季節で、好物も山ほどあるから、アボリジニから強奪した土地から金目の物をごっそり抜き取って、今じゃお金持ち国家とかって、
ちょっと話しのスケールが大きすぎる。 「それホラじゃね?」って言いたくなるような漠然と広大な感じの歴史。 微に入り際に入りな日本史に慣れていると肝抜かれるわ。
って事で行っていなかった。 心の中で「アメリカとオーストラリアは世界に存在しない事にしておこう。大陸ってのはわけ分からん。」と勝手に片を付けていたのだ。
しかし行ってみたら、文化的で歴史が深く、人びとは親切で愛情深い、素敵な国土を有する場所だった。
オークランドからシドニーまでは、飛行機で三時間ぐらいなので、とても近い。
でも精神的距離が非常に遠く、南半球に住んで8年ぐらい立つけど一回も行ったことが無かったんだ。
大概のニュージーランド人は、大阪の人が東京を毛嫌いするように、オーストラリアをけちょんけちょんに言う。 だからさ結構素直にオーストラリアってのは、地獄の釜の底みたいな場所なんだろうと思っていた。
特にシドニーは、オークランドのでっかい版として、本当に酷い所だと聞いていた。
ウェリントンの人達はオークランドが大概嫌いなのね、そしてそういう土地柄の親分みたいなシドニーはもっと嫌いで、みんな悪口ばっかりいっていたんだ。
キャピタリズムによって支配されたシンシティーなんだろうと思っていたんだ。 っていっても私は地上にあるキャピタリズムの楽園、東京出身なので、「ほうほう」とシドニーの噂を聞きながらも「そんなん東京の比じゃないよ」とは思っておったがな。
またまた歴史背景も、オランダ人がこの大陸を見つけて、イギリス人に勝手に$1で売ったとか…、
そしてたまたま冬の砂漠地帯を見たイギリス人達が「ここは流刑地にぴったりだ!」って思って、イギリスの犯罪者を島流しにしたところから移住が始まったとか、
その送られてきた荒くれ者達が、現地の人びと(アボリジニ)を虐殺しまくって、差別しまくったとか、
でも夏はすごい実りの季節で、好物も山ほどあるから、アボリジニから強奪した土地から金目の物をごっそり抜き取って、今じゃお金持ち国家とかって、
ちょっと話しのスケールが大きすぎる。 「それホラじゃね?」って言いたくなるような漠然と広大な感じの歴史。 微に入り際に入りな日本史に慣れていると肝抜かれるわ。
って事で行っていなかった。 心の中で「アメリカとオーストラリアは世界に存在しない事にしておこう。大陸ってのはわけ分からん。」と勝手に片を付けていたのだ。
ところがさ! 行ってみたらさ、本当に素敵な所であった。 今まで行った事がある街の中でも、私の感覚からすると一番美しかった。 人びとは往々に優しかったし、多文化主義の行き届いた町並みだった。
本当に私は偏見に満ちていたなと驚き続けた週末だった!
本当に私は偏見に満ちていたなと驚き続けた週末だった!
もっと荒んだ感じの場所を想像していたのに、実際はキラキラした輝いた街だったよ。
見事にニュージーランド人のルサンチマンにだまされていた。
見事にニュージーランド人のルサンチマンにだまされていた。
韓国に始めて行った時にも同じような事を思った。
私はとても親密な韓国人の友達が沢山いて、いつも「日本の噂話しや、ニュースで聞く韓国が、彼らを育てた土地だとはどうも信じられないが、きっと彼らが特種なんだろう」と思っていた。
今回の経験と抱き合わせて考えると、結果はクリアだ。
要するに、隣近所の人の言う事はあんまり信じちゃいけん。
これ鉄則。
シドニーは本当に美しい港町で、いつも私が何となく思っている事、
結局の所都市の力や魅力は、元々の自然環境にかなり影響されるっていうのを強く実感させてくれた。
シドニーの自然と、そしてそこに人間たちが建てた建築がの呼応が本当に美しかったんだ。
こんな場所が地球があるのかと驚いた。
結局の所都市の力や魅力は、元々の自然環境にかなり影響されるっていうのを強く実感させてくれた。
シドニーの自然と、そしてそこに人間たちが建てた建築がの呼応が本当に美しかったんだ。
こんな場所が地球があるのかと驚いた。
連れ合いも始めてオーストラリアに行ったんだけど、終始「なんて素敵な場所なんだ…! 今まで完全にだまされていた!」と驚き続けていた。
馬鹿は私だけじゃなかったか。
二人で手を取り合い、ひたすら街の美しさにうっとりする週末を送った。
オーストラリア万歳!
2010-07-28
お味噌汁とか、おっぱいレイディーとか。
会社に行きたくないと拗ねてみた。
そうしたら連れ合いが、日本の朝ご飯をリサーチし、「お味噌汁と白いご飯を炊いたから、今すぐ立ち上がって朝ご飯を食べるのだ!」と励ましてくれた。
なので最近は朝ご飯和食。 和むわー。
親友に赤ちゃんが産まれて、彼女は最近おっぱいレイディー道、一直線なママライフを送っている。 私の親友にここまで尽くされるなんて、赤ちゃんは本当にラッキーボーイね。
きっと彼はスーパークールな奴になって、後々脱おっぱいレイディーをした彼女にいっぱい尽くしてくれるだろう。 その時が楽しみだね! そして言うまでもなく、きっと今も大変だけど、すっごい楽しいはず。 だって、私も勝手に想像するだけでワクワクするもん。 毎日君たちの幸福を祈ってるよーー! にこにこしててねーー!
朝ご飯が和食なだけで一日が素敵になったり、誰かが私にちょっと優しいだけで、やる気が戻ってきたり。 こういう日常の単純な喜びの基礎を作ってくれたのが両親なのだよなと最近特に実感する。 特にママだね。 ダディーも頑張ってるけど、何故かママには敵わない。 ママが私の楽観さとかの基礎を作ってくれた。
今その基礎作りを、おっぱいあげながら、新しく産まれた赤ちゃんのなかにいっぱい建てている我が親友は、それだけで頭をなでくりまわして、胴上げしてあげたい位にクールだ!
そういう事を考えると、今日もとりあえず仕事に行こうと思える。 なんでだろう。 不思議と繋がってるね。
そうしたら連れ合いが、日本の朝ご飯をリサーチし、「お味噌汁と白いご飯を炊いたから、今すぐ立ち上がって朝ご飯を食べるのだ!」と励ましてくれた。
なので最近は朝ご飯和食。 和むわー。
親友に赤ちゃんが産まれて、彼女は最近おっぱいレイディー道、一直線なママライフを送っている。 私の親友にここまで尽くされるなんて、赤ちゃんは本当にラッキーボーイね。
きっと彼はスーパークールな奴になって、後々脱おっぱいレイディーをした彼女にいっぱい尽くしてくれるだろう。 その時が楽しみだね! そして言うまでもなく、きっと今も大変だけど、すっごい楽しいはず。 だって、私も勝手に想像するだけでワクワクするもん。 毎日君たちの幸福を祈ってるよーー! にこにこしててねーー!
朝ご飯が和食なだけで一日が素敵になったり、誰かが私にちょっと優しいだけで、やる気が戻ってきたり。 こういう日常の単純な喜びの基礎を作ってくれたのが両親なのだよなと最近特に実感する。 特にママだね。 ダディーも頑張ってるけど、何故かママには敵わない。 ママが私の楽観さとかの基礎を作ってくれた。
今その基礎作りを、おっぱいあげながら、新しく産まれた赤ちゃんのなかにいっぱい建てている我が親友は、それだけで頭をなでくりまわして、胴上げしてあげたい位にクールだ!
そういう事を考えると、今日もとりあえず仕事に行こうと思える。 なんでだろう。 不思議と繋がってるね。
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