2010-08-22

夢の病院を作ろう


 時々ここで買物をする。

 会社に入って初めて、世の中の多くの人がなんだかの形で定期的に、そして積極的に募金や寄付をしていると知った。 学生は寄付されて暮しているようなものなので、全く知らなかった。

 稼ぎ始めると、周りの人達とお金の話しをする事が増える。 全体の何パーセントを貯金に回しているかとか、どれぐらいを短期間で消費する目的のお金として取り扱っているかとか…、そして何パーセントを寄付に回しているかってのも出てくる。 人によってはどれぐらいを祖国にいる家族/親戚に仕送りするかってのも含まれてくる。

 一部のキリスト教教会に属している人達は、義務として収入の10%を教会に寄付する。 ポリネシア系の人達の行く教会にそれが多く、彼らは当然の事として収入を寄付して行く。

 そしてたまにそれは職場で、ディスカッションの対象になる。 何故お金なのか。 人に捧げる事が出来る自分のプロパティーは、時間であったり、思いやりであったり、一緒に考えてあげる事であったり、代わりにやってあげる事であったりもする。 お金でなくても良い訳だ。 無批判にお金を誰かに渡すってのが、結果としていい事に繋がる訳じゃないってのは、これまでのエイドなどでの結果で誰しもが知っている。

 祖国の人びとに仕送りをしている同僚は、親族に「お前馬鹿じゃないの?!」っていうお金の使われ方をしているのを知り心を痛めている。(親に何年も仕送りしてもらい、「お前本当に馬鹿だろ?!」ってお金の使い方をしてきていた私としては耳がマジで痛い話しだ。)

 そんなことをたまに話す。

 大概の同僚や上司達は、無宗教でもキリスト教的素養が強いからだろう、10%ぐらいの収入を自動的に寄付や募金に回している。 貧困状態にある片親家庭へのスポンサーになっていたり、海外の子供の里親をしていたり、やり方は様々。 意見も色々ある。 

 「NZは政府の福祉がある程度ある訳だから、スポンサーする必要はない。 それよりも、政府の福祉が機能していない地域の子供にお金を渡すべきだ」「いやいや、それは理想論。 政府の福祉じゃ足りないし、貧困問題は結局の所は自分の地域社会を荒ませてしまうのだから、自分の地元の子供の成長の為にお金を渡すべきだ」などなど。

 お金だけじゃなくて、時間を捧げている人達も多い。 週末に片親家庭の子供を預かる(例えば母と息子だけの家庭の場合は、子育てが終わった男の人が週末に息子を預かって一緒に遊ぶなど)事をしている人達も多い。

 理想はまんべんなく人びとのケアが行き渡る事だろうから、多様性はいい事だ。 人と違う事をする事が大切な領域の一つだと思う。 面白いなあと思いながら眺めている。

 で、私の場合は何となく自分がコンスタントに続けられて、自分にとっての大切な人達の為になるサービスは何なんだろうと思って探した結果、「夢の病院を作ろうプロジェクト」を選んだ。 まず何となく、日本の子供に寄付がしたかった。 別に身内に癌の子供がいる訳でもないのだけど、コンセプトを読んでいたり、買える物を読んでいるうちに「これは必要なんだな」と思えたから。 読んでいるうちに、必要性に納得させられたってのがここを選んだ大きな理由だな。 これが良い選択理由になっているのかは分からないんだけど「デザインがきちんとしているから」ってのも理由のうちには含まれる。 工業デザインという活動のうちの大きな動機の一つを、このプロジェクトを見ていると思い出させてくれる。

 貧困層や、片親家庭、同年代の障害がある人達…、自分の収入の一部をこういった人達に届けたいと思う相手は沢山いる。 「自分がこの立場になったら助けが必要になる」と思う人達は沢山いる。 その中でなんで癌病棟なの?なんで子供用なの?と聞かれるとズバっとは答えられないんだけど、(優先順位を決めるのはとても難しい)とりあえず今はここ。

 買物をするのが好きな人は、是非ここで買物をしてもらいたい。 寄付っていうと抵抗があっても、買物はみんな好きでしょ? 私は、「プラスチックじゃない容器」をよく買います。

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