2010-04-06

うちのイースター

今年のイースターサンデーはちょっぴり曇ってた。

でも家の前庭で知人友人らとピクニックをしたよ。

イースターエッグ(卵形のチョコレート)を庭に隠して、
探し合いっこをして、
そしてホットクロスバンっていうイースターのお祝いのパンを食べた。








このバスケットに入っているのが、ホットクロスバン。
写真ではよく見えないんだけど、お砂糖で白い十字架がかいてあるの。

ドライフルーツとスパイスがたっぷりと入っている
おいしーーーいパン。

ローストしたバナナやベーコンをはさんで食べた。

イースタはこっちではとても大きなお祝い。
nzは公共の休日があまりないんだけど
イースターは聖金曜日から月曜日まで四連休のお休み。

最高に楽しかった!

"休日"ってだけで無闇矢鱈と楽しい。
いひひ。

イースターはキリスト教の記念日(と言って良いのでしょうか?)と
古代ゲルマン人達の春の到来を祝ったお祭りの風習が混ざったものらしい。
だから沸き上がる生命の象徴として
イースターバニー(うさぎは多産)とか
イースターエッグとかが登場してくるんだって。

私、このイースターエッグが果たして
イースターバニー(彼らが配ってくれる事になっている)のなのか
私の卵なのか、
はたまたジーザスの卵なのかずっと気になってたの。

でもどうやらもっとぼんやりとしたものらしい。
多分、東洋で言う所の玉。

ユダヤ教の過越の祭りも今週末だったし、
日本もお花見で騒いだみたいだし、
今週は地球規模で
春を祝ったね!

でも地球は丸いからやっぱりどっか無理がある。

実はイースターの週末はニュージーランドの
冬時間が始まる日でもあるんだ。

あっはっは!!

やっぱ植民地体質から抜け出せないのか、
南半球からわざわざ北半球の人達に訪れている春を
お祝いしてあげたよ。
腰低いね、私達!

木登り

 木登りが好き。

大きな樹を見つけたら、一応登ってみる。

でも怖いから、そんなに上までは行けないわ。

しゅるしゅると登る。

もっとしゅるしゅると、
小猿のように登れたらどれだけ気持ちがいいだろうと想像してみる。











































 要するに、元々コミュニティー作りの中に‘一人暮らし’っていう発想があまり無いようだ。

 ここは日本と逆。 日本でだと独身で家を出 た場合は一人暮らしをするのが当たり前だけど、こっちでだとあまりそうじゃない。 家を出たらいろんな人達と共同で暮らし、その後恋人やパートナーと同棲 をして、いつか二人暮らしを始め、結婚する。 人生で一人暮らしをする時期ってのはあまり設定されていない。 少なくとも学生のうちは、当たり前の選択と して人と暮らす。

 

フラッティング NZ学生編 基本的な事

 フラッティング(日本で言うところのシェアハウス)はnzの大学生達の間では最も普通の暮らし方だ。

 私は30人位の学部にいたんだけど、そのうちの2人が実家、1人が一人暮らし、1人が学生寮に住んでいて、それ以外はみんなおのおのの友達やらと一軒家やマンションを借りて共同生活をしていた。

 NZの子たちの典型的な育ち方は、17歳ぐらいで高校を終了して、一年位ギャップイヤーを持つ、その間に家を出る。 そして働く子は働きだして、大学に入る子は大学に入る。 だいたい18歳位で実家から独立する。

 大学やら、その他の高等教育に行く子は、大抵学費と生活費を国から借金する。 これは国のやっている学費ローンで、利子や期限が無く借金が出来るシステムだ。 そして大学や研究費用を別にして生活費は最大で週に$150借りれる。 返済方法や額などはそのときの政府の方針によって結構変わるので、学生は大抵政治に興味があるし、学生に寛容な政党を支持する。
 
 週$150で暮らすのはかなり厳しいので、実家から週$80ぐらい援助してもらう子も多い。 同時に大抵の子は夏休みの間、アルバイトをして学期間中の為に貯金しまくる。 もし実家の収入がある一定以下だと、返済しなくて良い奨学金を国から週に$220貰える。 また25歳以上も、学費及び生活費が無償で支給される。

 Anyway, この週に$150ってのが重要な数。 これは「絶対にそれ以上の家賃は払わんだろう」っていう数だ。

 大学一年生のときは優先的に大学が管理する住宅や寮に入れる。 大抵五人位の人間で共同で暮らす事になる。 そこの家賃が$120ぐらい。 こういう建物は大学から近いってのと、周りがみんな同い年位の田舎から出てきた大学初心者の子達でパーティーしまくれるって以外に利点は無い。 けど人気。 ”大学の管理下”ってところで安心感があるからみたい。 でも一年後には大抵飽きて自分で家を探す事になる。

 NZには日本のような不動産仲介業者がいないので、探すときは大家さんが出す新聞の広告(週2回まとめてリストになって出る)か、大学の学生部、もしくはtrademe(nzのヤフオクみたいなの)で探す。  今はtrademeが主流。

 trademeに今日載っているウェリントンのワンルームの部屋数は183軒。 大体$200から$300位が相場なので、こういうのはよっぽど人と一緒に住みたくないか、恋人と二人で同棲したいかっていう人向け。 $150以下の一人暮らし用の部屋で広告に出ているのは2軒しかない。

 フラット(一軒家やアパートを人と共有する暮らし方)だと、439軒広告が出ていて、$100から$150位が相場。 $150以下でも187軒広告が出ている。

 気になる家を見つけたら、投稿者にメールを送り、面接の時間を設定する。 例えば4人用の家で一部屋開いているから広告を出している場合、大抵家に住んでいる3人とその家で面接をする。 お互いが気に入ったら入居。 大学の年度が始まる前は家探しの壮絶な戦いになるので、一つの部屋を30人と取り合うとかってのもある。 でものんきなシーズンの間はそんなに難しくない。

 また元々一緒に住みたい人がいる場合は、家を探して大家さんと自分たちのグループが面接をする。

 一番好ましい立地で、好ましい値段で住みたいって時は、同じような要求を持っている友達同士で集まって、一緒に家を探す方が、上に書いたようなもうある場所に1人で後から入るよりも、いい結果になる事が多い。

 でも家の中でまで知人同士の人間関係を持ち込みたくない場合は、知らない人達と住む方が楽。 私は三回知らない人達と、そして三回元々友人だった人達と住んだ。 まあ両方長所短所ある。

 面接の間はこれまでフラッティングをした事があるかとか、どんな料理をするのかとか(肉食か菜食か)、生活パターンとか、そういうのを聞きあう。 これがあわないと生活がめんどくさくなったりするからね。

 そして契約書にサインして(どれが壊れたら誰が直すとか、家賃や期間についてとか書いてある。 要、熟読!)、ボンド(敷金)を払う。 ボンドは、ボンドセンターという役所に預けられる。 契約が終了時、大家さんが「これこれの修理代の為にいくらいくら取りますよ」って書いてきて、それを借り手が承諾したら、おのおのの額がボンドセンターから配当される仕組み。

 もし何か問題がおこったりこじれた場合は大学にある学生部か,市民相談所、もしくはThe Department of Building and Housing(DBH)っていう行政機関に相談する。 大学やDBHのサイト上にはトラブルシューティングが結構載ってるので、よく読めば大抵解決できる。 もしそれでもこじれた場合は、DBHが簡易裁判をしてくれる。 費用は$20。 この裁判はオンライン上で申請できる。 その、裁判って言っても怖いものじゃなくて、本当に村の仲介人みたいな賢者が両側からの意見を聞き、問題解決を手伝うって感じらしい。

 多分、これの大学の学生部と、役所がやっている仕事を日本では不動産屋さんがやっているんだと思う。 だからなのかな。 日本の”シェアハウス”っていうあまりにもパッケージ化された‘商品’に対して、コストパフォーマンス的にも倫理的にもムカッと来たのは。 私が「これは自分か公共のサービスがするべき仕事」って思っている事があまりにも消費文化的に組み立てられていっているのを見てなんかやな感じがした。

 ‘シェアハウス’っていう名前にそれが現れている気がするぞ。 「知人友人と一軒家を共有して使う」とか「他人と同じ家を分け合いっこして使う」って言ったら、そこに業者が入る隙間が無くなる。 だって、ただ家借りて人集めて、約束事を制定すれば良いだけの話になるから。 でも‘シェアハウス’ってなると、なんかちょっと高くなってもそれも若干ありな感じになってしまう。 "青春やら友愛やらを得れますよ"的な付加価値がムカつく。 リクナビやら就活やらと同じタイプのうさんくささ。 「普通に自分でやれよ」って思ってしまう。 まあ、二軒目とかになったらみんなそうするだろうけどさ。 そうなったら面白いだろうね。

2010-04-05

シェアハウス とか その周辺の過剰な感じとか

 最近シェアハウスについての意見をたまに見るようになった。

 日本ではあまり他人と同じ家を共有で住むっていう生活方法になじみが無いから、オルタナティブが出来るっていう意味では良いと思う。 

 ただネットで広告とかを見た限り、あまりにも商業的で、そして高い! 日本の資本主義のしぶとさに心打たれたわ。 商売っ気がすごいよ。 もっとミニマルなシステムで回っているnzと比べてしまうからかもしれないけど複雑な気分になった。 

 日本に滞在していると、好きな面とそうじゃない面が見えてくる。 好きな所は歴史背景とか人間の性格とかがNZと比べて複雑な所。 ニュースとか見ていて、いちいち興味深い。 一つのトピックに(例えば沖縄の基地問題と か)軽くNZの総国民数以上ぐらいの利害関係者がいそう。 大変だけど、興味深いなとは思う。

 逆に嫌な所は問題解決の方法に、消費文化が入りすぎている所。 同じような複雑さがそこにはあるんだけど、どっか浅ましく見える。

 例えば公立の学校に問題があるってなると、私立が出来て、それに入る為の塾も出来る。 大人は産業が増えて良かったって話しだけど、子供側からは大人の問題解決能力の無さの所為で、昼間は学校で受験に関係ない勉強をして、夜また塾で勉強する事になる。

 実際最も的確できれいなラインの問題解決方法は公立の学校の品質の向上であるはずなのに、もっとぐちゃぐちゃで矛盾した方法で解決しているように見える。 

 そういう、一見対策になっているけど、実際は無駄と不必要な差別化によってなりたっている物事が、子供から消費文化とは関係のはない家庭での遊びや安らぎの時間を取り上げていたりする。 そして無意味な時間(eg学校でぼけーっと、機能不全な不愉快に耐える時間)をどこかで肯定させてしまう。 この耐久力さえあればそりゃ大人になってサービス残業とか出来るようになるだろうと納得させられる。 でも教育とか人間の成長にそんなアイロニカルな方法を与えなくても良かろうに。

 もし、そういう無理矢理な隙間産業が日本から無くなって、多くの行動が目的を達成するまでの良心的な最短距離をとったとすると、多くの仕事は無くなってしまうんだろうか? それともクリアになって、時間に余裕が出来た事でもっと有効な進歩の方法を考えたりできるようになるのか?


 とりあえず日本社会のウルトラオーバースペック感は、世界の多摩ニュータウン的な新興住宅地国家に住んでいる者から見ると脅威。 簡潔な物があまりない。 無印良品とか一見簡潔だけど、お店の中の商品数と物の密度を見ると、実際はウルトラオーバースペックだと思う。

 そしてシェアハウスもどっかですっごいクレバーさの無い新しい産業っていうふうに見えてしまう。

 もっと短い距離で、まっすぐな線が引かれた、簡潔で簡単なシステムが作れただろうけれども、出来るだけ湾曲させて、お金が落ちる隙間を持たせているように感じられたのです。 私が神経質なだけかもしれないけど、ちょっとムムムってなった。

2010-04-04

詳しいのか詳しくないのか

 私には何人か親友がいる。

 ケイスケはそのうちの一人。 最近彼が私の他の親友シオネと仲良くなったらしい。 花見とか一緒にしちゃってるらしいよ。

 ケイスケはまめだからある程度動向が掴めている。 でもシオネの場合は結構謎。 すっげー大雑把な友情を育んでいる。 気にはしているし、愛情もあるんだけど、細かい話は結構どうでも良い。 もし必要になったら連絡とってくるだろうし、no news good newsね。 大雑把にシオネの事は大肯定していて、大好きだし、なんか永遠って感じの愛があるんだけど、詳しいか詳しくないかって言ったら、正直あんまり詳しくないかもね。 あっはっは。

 この雑さを心配してなのか、元来の人の良さなのか、まめさを活かし、ケイスケは結構な私の窓口だ。 動向を知りたい友達を彼に紹介しておけば、彼が定期的にその人と連絡を取り、私に教えてくれる。 最近シオネひなたぼっことかしているらしい。 良かった! 日本に私がいない時は、彼経由で友人らの生存情報を獲得。

 日本にいる際は待ち合わせとかしていて、遅れそうな時はとりあえずケイスケに「お前代わりに行って、相手を楽しませていてくれ!!」的な事を頼んだりできる。 良いやつ。 いつか恩返しさせてくれ。

 勿論そもそもの根本には、私の親友らが結構面白い人達で、大抵親友同士を紹介するとみんな気が合ってくれて、純粋な友情を育んでくれるっていうナイスさがあるからなんだけど。

 みんな大好き!

 特にケイスケの恋人が一年間留学で日本にいなかったから、溢れんばかりの彼の愛情欲と思いやりが若干余っていたみたいで、最近一年間特に親切にしてもらった。

 ってことで、この友情のシャワーを浴びた後の私は、もし将来なんだかの拍子で私に子供なんかが出来ちゃった場合は、絶対にケイスケにゴッドファーザーになってもらおうと決めている。 子供の反抗期なんかの際は任せたっ。

 子供の名前をつけるのを手伝って、その子の誕生日には毎年特別にカードを送ってあげて下さいね。 節目節目で遊びに連れて行ってあげて下さい。 頼む。

 なんなら頼まれても無いのに、君んちの子供のゴッドマザーになるから、あたし! その子が女の子(リトル・ミーちゃん)ならウェディングドレスあたしが買うから。 なんならウェディングケーキもあたし買う。 男の子なら(リトル・ケースケ)盆栽でも買ったる。 その子がイッチョマエになるまで私とパートナーとで、毎年誕生日前後に連れ出して、クールな事一緒にするわ。

 うーん、こうあって考えておくとやっぱり親友って「一緒に子育てをしてもらいたい人」でもあるんだよなと強く実感。 私、ミーちゃんにも、シオネにも、ケイスケにも、その他沢山の親友達と、いっぱい一緒に生きてきたい。 子供が出来たら、ゴッドペアレンツになってもらいたいし、友達の子供いっぱい可愛がりたいし、良い小母ちゃんになりたい。 そして何よりも、彼らの視界の中で自分の子供を育てたいよ。 もし自分が子供を持たなくても、そういう次元でいっぱい関わり合いたい。 だってなんか大肯定だから。

 まあ、だからって実際誰が今どこで何しているかとかって細かくしらないんだけど。 「日本にいるんじゃん?」ぐらいの扱い。 あっはっは。 大雑把!

2010-04-02

GP NZ生活メモ

 こっちの医療システムはちょっと日本と違って、まずどういう症状であれ緊急の場合を除きGP(General Practitioner)とよばれる、自分の担当医に会いに行く。 専門医や特別な治療が必要な場合はGPが紹介状を書き行き先を指定してくれる。 自分のGPがいる病院が自分の登録病院となり、もし引っ越しなどで違うGPにかかるようになった際は、新しいGPが以前の自分のカルテを受け取って自分の担当医師になってくれる。

 私は、結構健康体で自分の登録病院を持っていなかった。 一回や二回大学内の病院に行った事はあったけど、登録しますかと言われても、特に必要性も分からず登録していなかった。

 今回オークランドに引っ越してきて、会社の近くのGPに何回か継続的に行かなくちゃ行けない事になり、登録しないと割引がきかないとの事で初めて自分の担当医師を得た。

 このシステムが結構良い。 先生との相性が良かったからかもしれないんだけど、結構理想的な医師と患者の関係を結んでいる。 とりあえずなんでもGPに相談。 なんだかんだで毎月一回は会いに行っている。

 そして登録して初めて知ったんだけど、結構色んな情報をGPは送ってくる。 定期検査やら予防接種やら、体に関する啓蒙やら、登録していないと簡単に忘れる/知りもしないっていう事になる。 

 今回受けた子宮頸癌の検査も職場に数回赤紙のごとく通達が来たのでやっと行ってきた。 うーん…。 今までこの無責任さ(eg病院に自分を登録しない、大使館に在留日本人として登録しない、などなど)でどれだけ重要な情報を得ていなかったのだろう…。 若干反省。
 
 ってことで、もしこれを読んでいるニュージーランド及びイギリス在住でまだGP/Family Doctorに自分を登録していない人、絶対した方が良いです。 って言っても常識なので、ここに住みはじめて8年目にしてやっと登録したっていうアホは私ぐらいだと思いますが…。

 実は最近保険も切れているのに気づかないまま数ヶ月間過ごしてしまいました。 その事を緊急治療室で働く看護婦の友達に言ったら本気で怒られた。

 世間様社会様が、好意と良心で設計してくれている社会のインフラに、己がすすんできちんと包摂してもらうってのは、成人として本当に求められる事なんでございますよね…。

 このブログではそういう社会常識や海外生活メモや、これからNZに来る人にたいしての情報が著しく少ないのは、勿論そういうのが私に乏しいからです。 これまでのらりくらりとやってこれちゃったんですよ。 本当に、人様の好意と親切心のみに支えられてこれまで過ごしてきたって感じです。

 繰り返しますが、もし、これを読んでいて、結構無責任で、まだGPに自分を登録していない人! 色々検査とかが溜まっちゃっているはずなので、速攻で登録しましょう!!! 周りの人に迷惑をかけない為にも、自分自身がきちんとした知識を手に入れる為にも重要です…。

 はぁ…、あとどれぐらいこういう「しらなかった! きづいてなかった!」ってことが残ってるんだろう…。
 

2010-04-01

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おまけ

そういえば以前こういう事を言われた事がある。


1.旅とか旅行とか旅人とかっていうのがベタだから嫌だ

 こういうのを日本の子から聞いた。

 ギャップイヤーの目的の一つって、そういう童貞をこじらせた感じとか、中二病とかからリベレイトされるためだと思うのよね。 そういう、なんつーか、ムンムンムラムラな自意識に対して、ナイーブでナルシスティックなケアをするよりも、一反そういうのは忘れて外に出てみる。 知らない地で、どぎまぎしたり、新しい物を見ないと、なんっつーか人間が元来持っている性欲であったり自意識であったり、思春期汗的なしょっぱさが体内で焦げ付いてしまうのではないだろうか…。

 一回そういう事を言う人に「大学の学食で騒いでいる奴らは’俺らって楽しそうだろう’っていうメッセージを発していてうざい」と言われたことがある。 度肝を抜かれた。 旅嫌いとかと根っ子は一緒だろう。 超越しろって話だ。 もしくは、結構真剣にLiberateされた方が良い。 誰もそんな話興味ないし、なんか恥ずかしいし、どう考えてもそんな事言って良い年齢は16歳までだ。 18歳位でもそういう事を若干気にしたりはするかもしれないけど、少なくとも口に出しちゃもういけない。 「お母さんと一緒に街を歩くのが嫌だ」ってのと同じ次元。 繊細さとナーヴァスさを混合しちゃいけない気がする。

 ショタコンっぽいものを求める場合はそういう生々しい若さに美が見え隠れするかもしれないけど、そういう路線でスマートに成功したい場合は全身エディ•スリマンとか着なきゃいけないから、コストパフォーマンス悪すぎ。

 ってことで、本当にそういうことを言う人程、自分自身の為にも見聞を広げる旅に出た方が良いと思う。 なんかそういう気がする。


2.そんなん日本じゃできない

 確かにそうかもしれないけど、それを言っちゃオシマイな気がする。 

 日本にも、ギャップ・イヤーを導入することはできるだろう。それは、助けになるだろう。しかし、そのようなことが、外国から輸入される国と、自分たちの中で、内発的に、ごく当たり前のこととして出てくる国は、何かが根本的に違う。 


このようにモギケンは言っているけど、ある程度の面までは個人でも一緒なのでは? 内発的にやりたいと思ってやってみたら道は開けるのではないだろうか。 


 そんなことを思いました。

GAP YEAR

 茂木健一郎さんのブログにGap yearの事が書いてあった。 そういえばこういのって日本にない。 

 ギャップイヤーとは、高校から大学進学までの間や、大学卒業から就職までの間に往々に人々が取る一年間位の休みの事。 ニュージーランドの場合は大抵の人が取る。 a.肉体労働をしてみる(炭坑や牧場で働く) b.世界一周の旅に出る c.第三世界にボランティアをしにいく  d.諸外国にワーホリにいく などをする人が多い。 大学に入る前にギャップイヤーをしなかった人は、大学卒業後に。 大学に入る前にやった人でも、卒業後にまたしたりする。

 ギャップイヤーって、元来仕切り直しの年なんだと思う。

 スクール(カリキュラムが決まっていていろんな事を上から教わる場所)と、ユニバーシティー(リベラルな環境でリベレイトされ、勉強というよりは研究をするための場所)って、そもそも全然違う。 ユニバーシティーと、職場も全然違う。 全然違う環境同士がシームレスに繋がる事は無理なので、人々はギャップイヤーを挟む。 そして、そこでそれまでの規則や価値観から一度解放されて次の環境にいく事を推奨される。

 旅行っぽい形でのギャップイヤーをやらない人でも大抵交換留学をしたり、国同士が若い人に向けてやっている労働力交換プログラムみたいなのに参加する。 日本が海外に向けてやっているので、とても人気があるのはJET(外国語青年招致事業)だ。 私の友達は沢山これで短期間日本に働きにいっている。 日本は英語圏の人達からしたら言葉が通じないし、文化も違うし、科学技術力が発達していて近未来だし、最も人気なギャップイヤーのディスティネーションの一つだ。 って事でJET大人気。

 多分これはグランドツアーの現代版なんだと思う。 グランドツアーは、18世紀頃のイギリスで大学とかにいくような階級の子たちが一年位を使ってしていた海外研修旅行だ。 その人の専攻によっても旅行先は違うけど、大抵はローマとかギリシャとかっていう西洋文明の古典発祥の地や、当時カッティングエッジな地だったフランスなどに行った様子。

 (そういえばニュージーランドは、グランドツアーにも若干かぶる’冒険大好き根性’のノリが激しくなって植民地化されちゃった悲劇の地なので、大学ではマオリ人の大学教授から歴史の授業で若干憎々しげにこの事について教わった。 冒険大好き根性は下手すると帝国主義やオリエンタリズムと重なってしまうからね。 アウチ!)

 anyway、元々インテリ層及びアッパーミドルクラスにあったグランドツアーを推奨する要素と、現代社会の環境同士の恐るべき断層(スクールとユニバーシティー、ユニバーシティーと職場)への理性的な橋渡しが必要だった事が入り交じって、今日のギャップイヤーがあるんだろうと思う。



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利点

1.上にも書いたように頭が若干リセットされる

 私の場合は高校とこっちの大学の間に滞在した日本での2年間がギャップイヤーだった。 当時は日本の大学を卒業する気が40%ぐらいはあったので、特にこれがそのものズバリなギャップイヤーだとは思ってなかったんだけど、まあ、結果的にそうなった。

 私の二年間の日本での体験は本当に良かった。 良い経験を沢山したし、今も仲の良い掛け替えの無い友人達にも出会った。 そして、自分が実際学位を取ったときの研究プロセスの間、ずーーっと、このギャップイヤーでの経験が私にインスピレーションを与え続けてくれた。

 この経験がなくて、直接大学に行っていたら、結構しんどかった/子供のままだったんじゃ無いかなあと思う。 大学入る前に一回子供時代の環境から切り離されたってのは良かった。

  
2.案外人生は短いのでこういう時間を上手く見つけないと、出来ない経験ってのが沢山ある

 一体全体いつ、人生のレールから決定的に落ちることなく、ある程度の「生の喜び」を体験できる経験をする事が許されるだろうか? もしくは、自分がそれまで育った環境と全く違う場所での悲喜こもごもを体感できるのか?

 どこかで徹底的なヴォランティア貢献がしたいとか、世界史の現場を回ってみてみたいとか、自分の専攻に関する聖地巡礼がしたいとか、そういうのって考えだすときりがないけど、いつやったら良いかってのは案外難しい。

 確かに大学入る前か、卒業後にするのが一番いい時期そうだ。


3.その後色々と有利

 英語圏だけなのかもしれんが、そういう体験を企業側は労働者に求める。 建築家なら、きちんと世界中の主要建築を見た事がある事を、デザイナーならいろんな国の、いろんな物の使われ方を観察した事があるかを雇用者は気にするし、もしまだ経験していなくても「これからそれをする気があるか」ってのはすごく見られる。

 一年間多国籍グループで協力しあってアフリカに井戸掘った人の方が、そうじゃなかった人よりも何となく評価が高いのだ。 マンハッタンの摩天楼やフランスのエッフェル塔の下から上を見上げて、ビビった事がある人の方が、そうじゃない人よりも、高見を実感できていると思われる。 そういう素朴な感覚が結構ある。

 少なくとも、好奇心と生命力のある人だとは思われる。


4.なんか自分自身が元気になる

 上手く説明できないんだけど、なんか元気になる。 そして、どっか楽観的になる。 自信がつくし、若干物事の具体的なサイズとかが分かるようになるからだろう。

 損得勘定がそこまで関係ない事に一年間やらを費やせるってのは、自分を健康にするために結構適した行動だとおもうんだよね。

 どれだけギャップイヤーを取った事が履歴書上で有意義か否かって言ってもね、最終的には能力さえあれば経験なんて関係ない。 ギャップイヤーが能力を急激に押し上げてくれる訳でもない。 ヴォランティアでした事で「後々自分の利益になるから」っていう損得勘定を持ってしまうのは、どっかで超越できてない感じがしてばかばかしい。

 ただ一度自分がいかなるインステチューションからも離れてみるっていう、損得勘定のリセットにはすごい価値があると思う。

 なんか人をすごく元気にする。
 日本にも、ギャップ・イヤーを導入することはできるだろう。それは、助けになるだろう。しかし、そのようなことが、外国から輸入される国と、自分たちの 中で、内発的に、ごく当たり前のこととして出てくる国は、何かが根本的に違う。