2009-12-13

プレゼント

 日本に帰る+クリスマス+友人たちの結婚妊娠出産が多かったので、今週末はプレゼント探しに費やされた。

 私は冠婚葬祭にはあまり関与しない家族で育ち、そういうコンヴェンショナルな行為は、年賀状のお返しとして正月の後に出す葉書ぐらいしか関わった事が無い。(実際、毎年家族は1月1日に届くように年賀状を準備しようとはするのだけど、結局投函するのは成人式を余裕で過ぎたぐらいの時期になる。 我が家は不器用なのだ。)
 
 でも個人的に私は人に贈り物をするのは好き。 なので近い人の誕生日はある程度きっちりとお祝いする事にしていた。 誰かが産まれた日ってのが好きなのだ。 すごいワンダフルな事に思える。 なので勿論出産とかされると、その子の人生、そしてその子の両親の人生をひっくるめてお祝いしたくてたまらなくなる。 多分、誕生系フェチ。

 なのでミュゼッタの為のプレゼントを彼女が産まれた日からずっと探していた。 その間ずっと連れ合いをオークランド中のベビー関連のお店につれ回し、やっとこさ完全に自分が納得した物を見つけた。 何たる偉業。 何たる達成感。

 しかし「もう僕は当分ベビー関係のお店には入りたくない。 この別世界な感じがダメ。 怖い。 なんだか僕は怖くなるんだ!」と最後にぶつぶつ言われ、かつんと来た。 次に妊娠した友達と、彼女のパートナーの為のプレゼントを買いにいく事になっていたので、ここでくじけられたら困るのだ。 一人で買物をしてもつまらないのだ。

 なので「どうして、私の友達の出産が祝福できないのか。 それは私のウーマンフッドが喜べてないってことなのではないでしょうか。 私が女性であって、私の周りに女性の友達がいて、その人達が女性的な事をしているってのを祝福できていないのではないかしら!! それって私寂しい!」と、筋が通ってるんだか通ってないんだか分からない事を言って、相手を混乱させて次のお店に行こうとしかけた。 

 そうしたらそういう私の訳の分からない説得方法に慣れている相手に「付き合っている時点でこれ以上に無いぐらいにあんたの女性性は祝福してる。 かなり核心を突いて祝福してるね。」とごもっともな御言葉をかけられる。 「っち、弁の立つ奴だ…」と思いながらも、「じゃあ違う言い方をする。 私の人生を豊かにしてくれている友達のお祝いを一緒にしないで、何が連れ合い?」ともっとシンプルに言ったら納得された。 

 「そりゃそうだ」って事で、次は妊婦とその恋人へのプレゼント探しへ旅立った。(多分、この連れ合いのやる気をなだめすかすプロセスが、プレゼント探しの醍醐味の一つなのだと思う。 連れ合いの家族へのクリスマスプレゼント探しという、私からしたら本当にどうでも良い事につれ回された際に、相手の言放った詭弁達は実にすごかった。)

 「お父さんになる人って何をもらったら嬉しいのかな。 私としては、妻子から絶対に逃げれないように、鉄の鎖のような強固な義務感を植え付ける教育的な物を渡したいのだけれども。」と言ったら「いや、僕は一瞬でも妻子という義務感から現実逃避が出来て、少年に心が戻れる物を渡すのが良いと思う。 テレビゲームとか!!」と言われ、二人で大笑い。 「だよねー」ってお互い言いあい、お互いの意見に納得してしまったので、また選ぶのが難しくなった。

 永遠とそういう事を繰り返して、やっとこさ、色々と買いそろえる。

 お互いの為のプレゼントも買う。 カードも書く。 ラッピングしまくる。 ああ、年末。 ああ、子供時代は遠くなりけり。 イノセントに「私そういうの加担しない」って言えていたあの頃。 でももらえる物はもらっとった。

 しかし、そんな子供時代を失った事よりも、自分がある程度成熟し、プレゼントを贈れる人がいることの方が素朴に嬉しい。 連れ合いと連名で贈る相手がいる事、そして一人で贈る相手がいる事、その中には旧い友人も、今年に入って知り合った人友人もいる。 結構良い人生じゃないかと思える。

 そして贅沢な物は送れないけど、何かを買えるだけのお金を手に入れた事もうれしい。 自分の稼いだお金をこういう好意の表明や、渡し合う時に心からの愛情と笑いが溢れた時間に使えるんだって実感は良い。 結構「社会人一年目を君は頑張った!」って自分の肩を自分でおめでとうって、ポンポンとしてあげたくなるよ。 感謝の気持ちが湧く。 年末の醍醐味を感じるわ。

 うざい、そして頑なで一元的な無神論者として友人の間では煙違われている私ですが、クリスマスにおけるある面は好きです。 際立った年中行事だと思う。


 っていうことで、まだはやいですがクリスマスの12のことばを。

 

もしも、あなたが悲しんでいるなら、喜びなさい

クリスマスは喜びだから

もしも、あなたに敵があるなら、和解しなさい

クリスマスは平和だから

もしも、あなたが傲慢であるなら、低くなりなさい

クリスマスはけんそんだから

もしも、あなたに負債があるなら、弁済しなさい

クリスマスは正義だから

もしも、あなたに罪があるなら、悔い改めなさい

クリスマスは恵みだから

もしも、あなたが暗闇に沈んでいるなら、灯をともしなさい

クリスマスは光だから

もしも、あなたが心得違いをしているなら、反省しなさい

クリスマスは真実だから

もしも、あなたが心に恨みを抱いているなら、捨てなさい

クリスマスは愛だから

もしも、あなたが絶望をしているなら、キリストに目を向けなさい

クリスマスは希望だから

もしも、あなたに友人がいるなら、探し出しなさい

クリスマスは再会であるから

もしもあなたに愛する人がいるなら、愛を告げなさい

クリスマスは肯定だから

もしも、あなたの身の回りに貧しい人がいるなら、助けなさい

クリスマスは贈り物だから





良い日曜日の夜を!

2009-12-11

decade

 友人のブログで、00年代が終る事について触れてあった。 

 10年前の事を昨日の事のように思い出せる年代になったと思うと感慨深い。 その頃私はイギリスに住んでいて、かの国はやけにミレニアムミレニアムと騒いでいた。 橋が出来たり、その橋が異常に揺れたり、観覧車が出来たり、花火があがったりしていた。 そして2000年の後半からニュージーランドに引っ越した。 私の00年代はニュージーランドのと重なる。
自分にとっては無色透明。 未来の人達から見たら、多くの、ほとんど全ての時期がそうなように非常に変な時期。 

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 今イギリスに住んでいる友達と、80年代リバイバルについて話していた。 日本の感覚だと80年代は多分、諸悪の根源的な扱いで見苦しい年代なんだろうと思う。 だから80年代のクールネスにあんまり反応できないっていう話だった。 さっきたまたま読んでいた、高橋瑞木さん(水戸芸術館現代美術センター学芸員)の文章、「不可能性の時代」のアート:諸行無常のポストモダニズムにおける実存の試みでも日本の80年代の独特さが書かれている。

社会学者の見田宗介はバブル経済の繁栄を享受し、高度消費社会に向けて邁進した日本の80年代を「虚構の時代」と呼び(注1)、それを受けて大澤真 幸はバブル経済崩壊、阪神淡路大震災、そしてオウム真理教による地下鉄サリン事件など、自然と人災によって脆弱な社会構造が露呈し、人びとがアパシー状態 に陥った90年代を「不可能性の時代」と呼ぶ。(注2)その「不可能性の時代」に成人を迎えた世代を、世間では「ロストジェネレーション」と呼ぶそうだ。 中略

ベルリンの壁の崩壊から、バブル経済の崩壊、阪神淡路大震災、オ ウム真理教の地下鉄サリン事件、そしてアメリカで勃発した同時多発テロからイラク戦争と、国内外の社会の混乱は言うまでもなく日本人の精神構造に作用した が、とりわけ視覚芸術家にとって強いイメージを刻印したのは、おそらくその後に目の当たりにした破壊の光景の数々ではないだろうか。阪神淡路大震災での家 屋や高速道路の倒壊現場や(注3)飛行機の衝突後にワールドトレードセンターが白い煙をあげて倒壊してゆく様子、そしてアフガニスタンのタリバーンによる バーミヤン石窟の大仏爆破の場面などがそれだ。その中でも日系アメリカ人、ミノル・ヤマサキ設計のワールドトレードセンターは近代化が生んだ国際様式の代 表的建築、バーミヤン石窟の大仏は歴史的に重要な文化遺産として知られ、どちらとも公に保護されるべきものでこそあれ、人為的に破壊されるべき対象とは誰 の思いもよらなかっただろう。このとき人々は、これまで蓄積された人智、理念、様式、技術、歴史が保護され、未来に伝承されるべきだという意識化の共同倫 理が、自分たちと同時代に生きる人間の手によって灰燼に帰した瞬間を目撃し、記憶したのである。

 確かに読んでいると凄まじい。 地獄の業火に焼かれるように苦しい神経症の始まりの太鼓がたたかれたって感じだ…。

 でも文章で「日本の80年代」って特定されているように、よそにはよその80年代があったんだよね。 そこに思いを馳せるのも大切な気がする。 だって、自分の中に流れる歴史性って絶対に一つの側面(例えば日本で起こった“事件史”)だけで形成されている分けないもん。 そこだけに焦点を当てると、自分の中にある面白い流れを塞き止めてしまう事になると思う。

 私にとっての80年代って音楽の時代だ。 後遺症には関わっているけど、バブルの時期にあった文化そのものにはあまり影響されていない。 でも、80年代の音楽には今でも強烈に影響されている。 で、多分それがイギリス文化圏とかにいる私たちの世代の特徴で、だから80年代リバイバルが強烈にあるんじゃないかっていう話をした。 70年代の最後にピストルズが解散して、次の世代の音楽(ピストルズのライブにいた42人の人達の音楽)が始まる。 それでJoy Divisionがあって、そのバンドがレイブカルチャーに直接関わっていく。 パンクからレイブ、ニューウェーブに流れていくその系譜が、今20代の人達からすると、ほとんど自分たちの今いる立ち位置の神話的な起源のようにうつるんじゃないかと思う。 思春期入りたての、一番自分に影響を与える音楽の起源が、自分に取っての聖なる音楽になるのかも。 少なくとも自分の事を考えてみると結構そうだ。 その時期のクールネスが発展した先に自分がいるのを結構ダイレクトに感じる。 年上の子たちが夜遊びをした後、ちょっと疲れた感じを持ちながら、昼間はティルマンス的な時間の過ごし方をしていたのを憶えている。 そういう時間に入れてもらえると嬉しかった。 自分は入れない夜のワイルドさがあるのも知っていた。 そこが憧れの先なのだろう。

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さて、00年代が終る事について書いていたブログには、同世代の作家の台頭についても書いてあった。 自分にとって自然な言葉で喋る人達が、表現者として出てきている。 背伸びの対象でも、新しさを求める先にでもなく、自分自身の身の丈とあった、今日の言葉を聞くようになってきた。

次の10年は自分の10年になるだろう。 子供とか孫に「アンナは10年代に色々やってた人だからああなんだよ。 ださいねー/面白いねー」って2040年位に言われるんだろうと思う。
 
だから良い服をきて、良い音楽を聴いて、良い作品に触れて、正直な言葉を沢山喋ろうと思う。 楽しみだ。
 

Animal Collectiveのライブに行ってきた

 すっばらしかったっ!!!






いつかチャンスがあったら、是非ライブに行ってみて。

2009-12-10

EATING ANIMALS

 Jonathan Safran Foerの新刊が出たので購入。 タイトルはEATING ANIMALS。 ズバリ、肉食についてのリサーチ本。 勿論小説家の彼が書いているので、ストーリーテリングの技も十分に組み込まれていて、読んでいて非常に面白い。 読み終った時に自分にどういう変化がおこるのかが楽しみ まだ出だしの段階だけど、かなり面白く読んでいる。



 公式サイトも結構面白い。



 この作家は77年生まれなので、かなり同世代感が近い。 同じような事を同じように悩んでいて、似たような価値観を持っている。 この激しくしっくりくる感じに、同世代の作家の台頭の力強さを感じる。 これからもっともっと自分の世代の言葉が世の中で使われていくんだろうなと思うと感慨深い。 最近肉食(及び食事)について友達とよく話したり考えたりしていたので、一番のお気に入りの作家の新刊がまさにそれについてだった事に驚いたと同時に「やっぱりね」感が強い。 こういう偶然とか重なりあいがなかったら、日常における勇気の何割方かはなくなっちゃうだろうね。

 

GoodBye Penny

 年の瀬ってのは別れの季節ですね。 去年もそうだった。 今年も結構そう。

 多分私と連れ合いは来年には同居も解消して、結構淡々とした関係になると思う。 恋人と一緒に住んだのは生まれて始めてで、一年間最高に幸せだったし楽しかった。 沢山支えてもらったし、多分私も相手に対して何か温かい事が出来ただろうと思う。 こんなに毎日幸せに、親密に、温かく過ごせたのは、相手の愛情深さと無邪気さのおかげだ。 本当に極上の真珠みたいな男の子だと思う。 いつかは真珠のような男の子と恋に落ちたいものだと思っていたので、まさに願ったり叶ったりだ。 

 彼との友情は、なんか毎日自分が新品に生まれ変わり続けるような経験を与えてくれた。 毎日毎日、何かが綺麗に、整っていく感じがした。

 お互いこんなに日常と人生を誰かと重ねあわせたり、寄り添わしたりしたのは始めてで、二人で「人と人が一緒に人生を過ごす事や協力しあう事、愛し合う事の価値が分かった。」と言いあった。 こんなに素敵な事を知るきっかけになった人が、こんなに素敵な人であるってことは、多分私の人生におけるきわめて幸福な事の一つだと思う。

 でも、まあ、だからって別にずっと恋愛感情が続く訳でも、何か絶対的な感情に繋がる訳じゃない。 相手との関係から、春の萌黄や、夏への扉を感じ始めた事で、今度は違う所で、違う形で頑張ってみようと思えるようになってきた。 多分、前よりはしぶとくなったし、粘り強くなったし、そして良い結果を信じたり、素直に幸福を祈ったりできるようになったと思うから。 ってことで感謝の気持ちで山々だ。 秘密がいっぱい詰まったすごく素敵な、温かい時間を一緒に過ごした。 もうこの幸運からの余熱だけで、あたし多分何でも出来る。

 寂しいけど、悲しくないのは多分本当に私たちが楽しんだし、お互いに対する友情と愛情が深いからだと思う。 あんまり残念だとも思わない。



 ああ、今が初夏で本当に良かった。 生命の息吹を感じるよ。 初夏のニュージーランドの大自然はまさに絶景。 この土地はすごい。 

2009-12-07

Animal Collective

 明日Animal Collectiveのライブに行く。 今年最大級の遊び。 イーーーハーーー!! 待ちきれない!




 興奮押さえきれずグーグルで色々みていたら、なんと日本で一回ゆらゆら帝国と一緒にライブをしていた事を発見。 すっげー、日本すげぇ。 動物がゆらゆら。 最強じゃん。 急にゆらゆら帝国熱が上がり、私が日本に帰っている間にライブがないかを調べた。 あるっ! 12月30日にっ。 速攻で予約。 ああ、人生って素晴らしい…。 その頃に東京にいて、赤ちゃんとか、夫とか、焼き餅焼きの彼女とかがいない場合は、是非御一緒してどんちゃん騒ぎしましょう。 2009年の夜遊び納めだ! 

 それにしても明日はAnimal Collective. さー、私の事をみんなうらやましがって、「くはー、そこに私/僕もいれたら良いのにっ!」って思ってくれてかまわない! 

 イーハー!



 この曲とか、単純にbeautifulじゃない? 音楽っていい。

2009-12-03

小確幸

 連れ合いには年の離れた弟がいる。 今日は彼の高校の卒業式だった。 って事で一族郎党引き連れて弟の寄宿舎のあるクライストチャーチに行脚に行っている。 私は一人オークランドにて労働。

 弟と妹を溺愛している彼は、物の見事に卒業式で号泣したらしい。 「超マジでお前の事誇りに思うよ、ブラザー!」とかって言いながら弟の胸にひひーんって泣きついたそうだ。(弟の方がガタイも良いし、背も高い。) 大興奮で電話をしてきて、「もう、こんな幸せって無いんじゃないかって思うんだよね!!」と言っていた。 私には血のつながった妹も弟もいないのでそれが泣くほどの事なのかがわからん。 どうなのでしょう、世のお兄ちゃん、お姉ちゃん、末っ子の高校の卒業式は勿論号泣ですか? 私の連れ合いは本当にボロボロ泣いたそうです。

 血がつながったのはいないけれども、心の妹弟は沢山いるのが寄宿舎育ちのアドバンテージ。 ってことで、なんとなく友達ってよりももうちょっと温かく、もうちょっと守ってあげたい的な感情を持っている年下の子たちは数人いる。 でも実際の成熟度を考えると、一人なんてもう結婚したし、みんなして私よりずーーーーーーっと大人。 冷静になって考えてみたら、お世話になっていたのは私の方だ…。 ひひーん。 私も年相応な大人になりたいです。

 ただ、そんな幼稚な私でも、確かに彼らの事を思うと胸が温かくなるし、とても優しい気持ちになるよ。 愛おしい気持ちになる。 それは同い年の子でも年上の子でも寄宿舎が一緒だった子たちには(大抵)みんなにそう。 相手の幸せをただ祈れるっていう相手がいるのは良い事だ。 ブラザーフッド・シスターフッド万歳!! 
 家人出張中。 

2009-12-02

タイヨンダイ・ブラクストン

 連れ合いがが8月から騒ぎ始めて未だに大興奮中のアルバムがある。 タイヨンダイ・ブラクストンのセントラルマーケットだ。 楽曲はここで聞けるので視聴してみて。

 たしかに素晴らしい。 彼のようにそこまで音楽に熱中するタイプじゃないので、「考えるだけで涙が出る」ってレベルでの感動はしてないけど、「考えるだけで、元気になる」程度にはやられてる。




 疲れていたのでベッドでごろごろしながら大音量でただずっとブラクストンの音楽を聞いていた。 この二つの軸が呼応しあう感じ、対立構造がある感じはストラビンスキーみたいだ。 絶対この人堂々とストラビンスキーラバーだと思う。 大抵こうやって二つのタイプの音とか質とかが音楽の中で駆け引きをする楽曲は好きじゃない。 でもそれが逆に面白くなるやりかたがあるみたいで、ブラクストンもストラビンスキーもそれが出来ている気がする。 音楽には全然詳しくないので何とも言えないんだけど、多分こういう駆け引き的な音楽を、「対話の駆け引きをやっているのだぞ」ってドラマティックに意識的に見せつけると、それはそれで許されるのだろう。 そんな事を思いながら、次にストラビンスキーの春の祭典をかけた。

 こっちは初夏で昨日の夜は蒸し暑かった。 二人で下着姿でベッドの上にごろっと身を投げ出して、一言も口をきかずにずっと春の祭典を聞いた。 たまに一つの楽曲は、どんな物語を読むよりも、どんな映画を見るよりも、濃厚で豊かな体験を与えてくれる。

 私の日常的な態度から、連れ合いは私が好きな音楽はきっとものすごいミニマルでドライな音楽が好きなんだろうと思っていたそうだ。(真夜中にJoy Divisionかけてるのに?!) 春の祭典に対して私が強い思いを持っているのが意外だと驚き続けていた。

 パティースミスが以前「どんなジャンルの音楽を聞く人にも愛される楽曲ってある。 例えばストラビンスキーの春の祭典、そしてルー•リードのWalk on the Wild Sideとか」って発言をしていた。 さすがパティー様、確信しか突かない。 本当にその通りだと思う。 「パティー様もそうおっしゃっていた」と言ったら、相手も納得していた。 春の祭典は私の生きている時代の始まりの音楽だと思う。 私たちはまだ春の祭典の演奏中にいる気がする。 だから好き。

 その後に、連れ合いのヴァイオリンの練習の為ドビュッシーとラヴェルを聞く。 彼のお気に入りの演奏録音にあわせてヴァイオリンをひく。 生演奏は体にしみる。 私は本も読まないで、ただベッドの上でねっ転がりながら音楽を聞いていた。

 自分の中も外も、部屋の空気も、色調も全部が治っていく感じがした。 どんどんと治癒された感じがした。 相手が練習を終えてベッドに飛び込んできた時には、私はこれまで体験した事が無い位にすっきりとして、気持ちがよくなっていた。

2009-12-01

greenz.jpサステナブルコミュニティ 【シアトル通信No.5】すごいシェフ達のとにかくすごいレストラン! “Great Food. Better Lives!”
http://greenz.jp/2009/11/30/seattle_report_05/;


食に関するプロジェクトをやってみたい。 この記事はすごいインスピレーショナルだった。 良いプロジェクトっていつでもインスピレーショナル。 そうであるかないかが「良いプロジェクト」とそうじゃないプロジェクトの差なのだと思う。