激しい修行を積んだお坊さんが最後に戦う感情は嫉妬なんだそうだ。 睡眠欲や食欲、性欲、全部過ぎ去った後にも残るのが嫉妬。 「隣の山の坊さんの方が俺よりえらいって言われてるんじゃね?」となるんだとラジオで聞いた。
英語でだと嫉妬を表す言葉が二つある。 ジェラシーとエンヴィー。 人によってどう違うかってのの説明が変わるんだけど、私が聞いた話では、「自分にも可能性があった事と、でも上手くいかなかった」って状態なのがジェラシーで、「そもそも自分がうらやましがっている対象を自分は全く持ち合わせていない」ってのがエンヴィーらしい。
2009-08-10
2009-08-09
アップリフティング、筒美京平
筒美京平は本当にすごいと思う。 本当に。 歌謡曲に置ける黄金率というのがあるとすれば、ばっちりその比率を抑え、気持ち良いぐらいに「こいつは収まってますね!」って状態に音楽を持って行ってくれていると思う。 なんかもう殆ど、正しい。 正しい境地だ…。
今日たまたまnokkoの人魚を聞いていた。 そしてその正しい歌謡曲っぷりに感動していた。 作曲者を調べてみたら、案の定筒美京平。 すっげーよ、筒美京平。
これで歌謡曲の名曲中の名曲”ライブがはねたら”までもが筒美京平作だったら、もう筒美京平神社を建てて、お参りするしかないと思い、もっと検索した。 そうしたら作詞作曲nokkoだった。 おしい! nokkoも筒美京平も本当にいいよなぁ。 正しい。 キラキラしているよ。
この可愛さはなんなんだろう。 なんて可愛いんだ!! でもライブが終わってから食事を食べるって、遅すぎやしないか? ライブ、一体何時に終わってんの? 私の知っているミュージシャンたちはライブが終わったら即パーティーで呑みまくるので、この歌詞には驚いた。 変わった生活スタイルだなと驚く。
それはさておき、本当にいい歌詞だと思う。 小学校の低学年の頃私はnokkoが大好きで、学校から友達と歌いながら帰ったりしていた。 その頃の事を思い出した。 小学校の思い出はいつも下校の景色と天気に繋がる。 下校の時間が自由な感じがして好きだった。 まだまわりが明るくてキラキラしている夏の土曜日(私が子供の頃は土曜日も学校があった!)の昼下がりの下校時はヘブンリーだった。 子供心に自分の下校時の気持ちと、この歌詞が重なっていたんだと思う。 (そしてめんどくさくて休み時間も、授業の時間もあまり好きじゃなかった私は、学校にいる間は中島みゆきとか口ずさんでいた。)
塾に行く為に電車に乗っているときは、カセットテープで小沢健二の"犬は吠えるがキャラバンは進む"を聞いていた。 その中の"カウボーイ疾走"が大好きで、巻き戻しては聞いていた。 アップ リフティングな音楽が好きだった。 そして勿論、筒美京平様作曲の小沢健二の曲、"強い気持ち、強い愛"も大っ好きだった。 要するに私は軽やかでアップ リフティングな曲に弱い。
子供の頃に聴いた音楽の影響ってのは半端なくて、今でもふとした瞬間に自分の心の中で流れていたりするから驚く。 自分と生き続けるものなのね。
今日たまたまnokkoの人魚を聞いていた。 そしてその正しい歌謡曲っぷりに感動していた。 作曲者を調べてみたら、案の定筒美京平。 すっげーよ、筒美京平。
これで歌謡曲の名曲中の名曲”ライブがはねたら”までもが筒美京平作だったら、もう筒美京平神社を建てて、お参りするしかないと思い、もっと検索した。 そうしたら作詞作曲nokkoだった。 おしい! nokkoも筒美京平も本当にいいよなぁ。 正しい。 キラキラしているよ。
この可愛さはなんなんだろう。 なんて可愛いんだ!! でもライブが終わってから食事を食べるって、遅すぎやしないか? ライブ、一体何時に終わってんの? 私の知っているミュージシャンたちはライブが終わったら即パーティーで呑みまくるので、この歌詞には驚いた。 変わった生活スタイルだなと驚く。
それはさておき、本当にいい歌詞だと思う。 小学校の低学年の頃私はnokkoが大好きで、学校から友達と歌いながら帰ったりしていた。 その頃の事を思い出した。 小学校の思い出はいつも下校の景色と天気に繋がる。 下校の時間が自由な感じがして好きだった。 まだまわりが明るくてキラキラしている夏の土曜日(私が子供の頃は土曜日も学校があった!)の昼下がりの下校時はヘブンリーだった。 子供心に自分の下校時の気持ちと、この歌詞が重なっていたんだと思う。 (そしてめんどくさくて休み時間も、授業の時間もあまり好きじゃなかった私は、学校にいる間は中島みゆきとか口ずさんでいた。)
塾に行く為に電車に乗っているときは、カセットテープで小沢健二の"犬は吠えるがキャラバンは進む"を聞いていた。 その中の"カウボーイ疾走"が大好きで、巻き戻しては聞いていた。 アップ リフティングな音楽が好きだった。 そして勿論、筒美京平様作曲の小沢健二の曲、"強い気持ち、強い愛"も大っ好きだった。 要するに私は軽やかでアップ リフティングな曲に弱い。
子供の頃に聴いた音楽の影響ってのは半端なくて、今でもふとした瞬間に自分の心の中で流れていたりするから驚く。 自分と生き続けるものなのね。
2009-08-08
ミニマリズム
よく人にミニマリストだといわれる。 自分でも確かにそういう面もあるよなと思う。 無駄な物はいらない。
ってことで、親知らずを抜いてきた。 口内に快適なヴォイドを作った。
前に一本抜いた時、痛くなく帰り道普通にご飯とか食べれて、「私の人間として最も優れた長所は親知らずが抜きやすいって所なのではないだろうか?」とすら思った。 今回も全くそんな感じで、歯医者の帰りにパートナーのお母上のお誕生日会with近所の人達という食べまくりなイベントに参加してきた。 「え? 抜歯してきたばっかなの? 麻酔がきれたばっかり? 痛くないの?!」と人々に驚かれた。 この間生まれてはじめて眉毛を抜かれて、そのあまりの痛さに悶絶苦闘して、エステの部屋で奇声を上げ、始まって三分で「もうやめてくれ」と逃げ出した話しを知っていたお母上達は、「抜歯は大丈夫で眉毛が駄目なの?」と混乱していた。 多分、私、やられるならドカンとやられたい方なんだと思う…。 ちまちまと眉毛を抜かれるのは拷問だった…。 そういうところもミニマリスト…。
それにしても、親知らずでめんどくさい思いをした人はみんなこう考えたと思うけど、本当になんで抜かなきゃいけないような歯が存在するんだろうかね?! 昔の人は親知らずが生える事には数本アクシデントで歯を失っていたからとかなの? なんでこんなめんどくさい物があんの? 生えてくる時、痛いってばさ! なんなの、自分のアゴ?
ってことで、親知らずを抜いてきた。 口内に快適なヴォイドを作った。
前に一本抜いた時、痛くなく帰り道普通にご飯とか食べれて、「私の人間として最も優れた長所は親知らずが抜きやすいって所なのではないだろうか?」とすら思った。 今回も全くそんな感じで、歯医者の帰りにパートナーのお母上のお誕生日会with近所の人達という食べまくりなイベントに参加してきた。 「え? 抜歯してきたばっかなの? 麻酔がきれたばっかり? 痛くないの?!」と人々に驚かれた。 この間生まれてはじめて眉毛を抜かれて、そのあまりの痛さに悶絶苦闘して、エステの部屋で奇声を上げ、始まって三分で「もうやめてくれ」と逃げ出した話しを知っていたお母上達は、「抜歯は大丈夫で眉毛が駄目なの?」と混乱していた。 多分、私、やられるならドカンとやられたい方なんだと思う…。 ちまちまと眉毛を抜かれるのは拷問だった…。 そういうところもミニマリスト…。
それにしても、親知らずでめんどくさい思いをした人はみんなこう考えたと思うけど、本当になんで抜かなきゃいけないような歯が存在するんだろうかね?! 昔の人は親知らずが生える事には数本アクシデントで歯を失っていたからとかなの? なんでこんなめんどくさい物があんの? 生えてくる時、痛いってばさ! なんなの、自分のアゴ?
2009-08-05
みかん 好き好き大好き
私はみかんが好き。 みかん。 ひらがなでも美しい。 蜜柑。 漢字だと官能的。 みかん、大好き。
こっちでも冬になるとみかんが出回る。 イギリスにいた時は、この果物はサツマと呼ばれていた。 ニュージーランドだとマンダリンと呼ばれている。 サツマは、日本の薩摩蜜柑からきている名称なのだろうか。 マンダリンは、大陸で喋られている中国語の共通語という意味でもあるし、中国からの官吏という意味でもあるらしい。 きっとニュージーランドには中国からこの果物がきたのだろう。 少し大きめの蜜柑はタンジェリンと呼ばれ、これはタンジール人(今のモロッコ人)って事らしい。 きっとモロッコ産なのだ。 同じ英語圏でも地域によって食べ物の名詞は全然違う。 ちょっと面白い。
日本にいた子供の頃、じいちゃんばあちゃんが段ボール箱いっぱいの蜜柑を冬になると送ってくれた。 幼児だった私は、毎年一日に十個近く蜜柑を貪り喰い、足の裏とか手とか、体の末端をオレンジ色に染め上げていた。 でも自分で買うとなると遠慮/ケチ心が生じる。 学生の頃は「蜜柑は一日三個にして、節約しよう。」とかってやっていた。 しかし働き始めたら、私の収入は私の使いたいように使える訳で、もう、全く遠慮なく蜜柑を買いまくって食べまくっている。 ここでケチっちゃ日々の労働が報われない。 本当に大人になった実感を得ているよ! 蜜柑、食べ放題!!
そんな感じで日々飽きずに蜜柑を食べている私を見ていた友人は、「この動物の餌は蜜柑なのだな」と決めつけたようだ。 なので外出すると蜜柑がポケットに入っていて、結構所かまわず蜜柑の皮を剥いて私にくれる。 蜜柑歩き食い。 なんか舌を噛みそうで思わず立ち止まってしまう。(試してみて下さい。) 特に車がびゅんびゅん通っている大通りで蜜柑を食べていると、普段より敷かれるリスクや、驚いて舌を噛んでしまうリスクが上がってしまいそうで怖い。 ってことで立ち止まる。 私の家の界隈で立ち止まっている人は売春婦とピンプたちしかいないので、"蜜柑を食べている人達と売春婦達が高速道路の入り口付近で一列に並んでいる"っていう奇妙な光景が広がってしまっている。 うーん、蜜柑、場所を選びますね。
でも大好きだから、友達が蜜柑の房を渡してくれる度に、犬だったらしっぽが振り切れるぐらいの勢いで喜んでしまう。 本当に美味しいよね。
こっちでも冬になるとみかんが出回る。 イギリスにいた時は、この果物はサツマと呼ばれていた。 ニュージーランドだとマンダリンと呼ばれている。 サツマは、日本の薩摩蜜柑からきている名称なのだろうか。 マンダリンは、大陸で喋られている中国語の共通語という意味でもあるし、中国からの官吏という意味でもあるらしい。 きっとニュージーランドには中国からこの果物がきたのだろう。 少し大きめの蜜柑はタンジェリンと呼ばれ、これはタンジール人(今のモロッコ人)って事らしい。 きっとモロッコ産なのだ。 同じ英語圏でも地域によって食べ物の名詞は全然違う。 ちょっと面白い。
日本にいた子供の頃、じいちゃんばあちゃんが段ボール箱いっぱいの蜜柑を冬になると送ってくれた。 幼児だった私は、毎年一日に十個近く蜜柑を貪り喰い、足の裏とか手とか、体の末端をオレンジ色に染め上げていた。 でも自分で買うとなると遠慮/ケチ心が生じる。 学生の頃は「蜜柑は一日三個にして、節約しよう。」とかってやっていた。 しかし働き始めたら、私の収入は私の使いたいように使える訳で、もう、全く遠慮なく蜜柑を買いまくって食べまくっている。 ここでケチっちゃ日々の労働が報われない。 本当に大人になった実感を得ているよ! 蜜柑、食べ放題!!
そんな感じで日々飽きずに蜜柑を食べている私を見ていた友人は、「この動物の餌は蜜柑なのだな」と決めつけたようだ。 なので外出すると蜜柑がポケットに入っていて、結構所かまわず蜜柑の皮を剥いて私にくれる。 蜜柑歩き食い。 なんか舌を噛みそうで思わず立ち止まってしまう。(試してみて下さい。) 特に車がびゅんびゅん通っている大通りで蜜柑を食べていると、普段より敷かれるリスクや、驚いて舌を噛んでしまうリスクが上がってしまいそうで怖い。 ってことで立ち止まる。 私の家の界隈で立ち止まっている人は売春婦とピンプたちしかいないので、"蜜柑を食べている人達と売春婦達が高速道路の入り口付近で一列に並んでいる"っていう奇妙な光景が広がってしまっている。 うーん、蜜柑、場所を選びますね。
でも大好きだから、友達が蜜柑の房を渡してくれる度に、犬だったらしっぽが振り切れるぐらいの勢いで喜んでしまう。 本当に美味しいよね。
2009-08-04
美形な牛
週末に同居人の実家に里帰りした。 金曜日の夜は遊び、土曜日は仕事をし、夜に相手の実家に帰り、日曜日は田舎でのんびりするってパターンが好きだ。 人の実家で、人の親にご飯を作ってもらい、暖炉の前で犬とゴロゴロし、心地好い布団で寝ると。 やっぱ実家って良い。 大人の作った住環境って若輩者の私が作ったそれなんかとは比べ物にならない程に心地好い。 料理が出てくる所も素晴らしい。

オークランドから車で1時間ぐらいの場所にある彼の実家は気の抜け具合が私の実家のある鎌倉と似ていて好い。 この家によく遊びに行くようになってから、生活パターンが日本に住んでいた頃に似てきた。 週日は都心で、週末は田舎で犬と遊んでいる。
この家はペットに牛と豚を飼っている。 友達が幼かった頃は彼が飼育繁殖して、市場で売らせてお小遣い稼ぎをしていたらしい。 カルチャーショック。 本物の牧童だったのか…。
そしてこの家の牛はえらい美形だ。 人間でこういう雰囲気を持ち合わせた人がいたら恋してしまうと思う。 ほれぼれとしてしまい、牛舎の横で時間を過ごした。 偉いかっこいい生き物を私は日々食べているのだな。



形良いお尻。 涼しげでキラキラした目。 美形だ。
牛の横に椿が咲いていた。 花が咲きはじめる季節になるとワクワクする。 あともうちょっとで気持ちがいい季節になる。 イヤッホーイ! 咲け咲け、咲け咲け、もっと咲け!
オークランドから車で1時間ぐらいの場所にある彼の実家は気の抜け具合が私の実家のある鎌倉と似ていて好い。 この家によく遊びに行くようになってから、生活パターンが日本に住んでいた頃に似てきた。 週日は都心で、週末は田舎で犬と遊んでいる。
この家はペットに牛と豚を飼っている。 友達が幼かった頃は彼が飼育繁殖して、市場で売らせてお小遣い稼ぎをしていたらしい。 カルチャーショック。 本物の牧童だったのか…。
そしてこの家の牛はえらい美形だ。 人間でこういう雰囲気を持ち合わせた人がいたら恋してしまうと思う。 ほれぼれとしてしまい、牛舎の横で時間を過ごした。 偉いかっこいい生き物を私は日々食べているのだな。
形良いお尻。 涼しげでキラキラした目。 美形だ。
牛の横に椿が咲いていた。 花が咲きはじめる季節になるとワクワクする。 あともうちょっとで気持ちがいい季節になる。 イヤッホーイ! 咲け咲け、咲け咲け、もっと咲け!
2009-08-03
ウェリントンのダーリンが来たぞ
結局なんだかんだで、週に一回はウェリントンの頃の友達に会っている。 みんなオークランドにちょくちょく来てくれるから。 今年、私の古い友人界隈ではオークランド見学が流行っています。
最近ウェリントンへのホームシックが収まり、オークランドが私の街って思えるようになってきた。 やっぱり新しい街に引っ越すってエネルギーいるわ。 で もこういう経験って、人生への最高のご褒美って感じもする。 違う仕事をしに新しい街に住んで、これまで会った事がなかった人達と協力し合うってのは楽しい。
だからって価値が下がる訳でもないのが、古き良き友達の素晴らしさ。 今週は連続で幼なじみ達がウェリントンから遊びに来てくれてすっごく嬉しかった。
この間、私を多分最もよく知っている、ウェリントンの夫的友人達が来た。 たまたま女らしい格好をして行った。 カフェでチョコレートムースを買ってもらい、「なんて素敵なワンピースな んだ!そしてなんて美しいブーツなのだ!」と誉め讃えてもらう。 だから私も「なんてかっこいいんだ!なんて素敵なんだ!会う度に素敵になる!!」と誉め讃える。 ここまではいつも通り。
それで私がヘラヘラ笑いながら「女らしい恰好しようと思って」と言ったら、速攻で真顔になった彼に 「大丈夫? 無理しなくて良いんだよ。 心地好い?」と質問された。 変化を悟ったらしい。 彼はそう言う所をすごく気にしてくれる。 「うん。 女の人 である事がなんか嬉しいし、楽しいんだ。」と返したら、「それなら良かった。 でもやめたくなったり、自分の内側と違うと思ったらやめるんだよ」と言われた。 なんてデリケートな奴なんだ。 「大丈夫? 無理して女性らしくしてない? ちゃんとしっくりしてる?」って気にしてもらい、結構単純に友達に大切 に愛されている実感が湧いて嬉しくなった。 「うん。 大丈夫。 ありがとう、そういう事を言ってもらえるとすごく嬉しい。 友達って感じがする。」と言 いながらじゃれついた。
そう言えば、”夫”なんて雄々しい名称で相手を呼んでいるけど、実際私は始めてあった頃から結構頑張って相手 に「君が男の子だからって男らしい事とか役割をする必要は無いんだよ」ってのを示してきた。 大好きな友達だから、そういうのにこんがらがって、めんどく さい奴になってもらいたくなかったんだ。 彼の元来の性格とマッチョな感じなのはあわないし、まわりから求められている事と、自分自身の間の差に傷ついて いるのも知っていたし。 私だってそうだ。 ある一面では女の子としてちやほやされると楽しいけど、本当の所はがっしりとそんな女だ男だってのを抜きにし て、きちんと私を受け入れてほしい。 子供なりに私たちは頑張ってきたのだなとしみじみしてしまった。 子供同士の友情をなめちゃいけない。 今思い返し てみると「それでも嫌な感じの圧力をかけた事があるわ」って反省する事は多々あるけど、お互い成長するにつれて上手に愛情表現が出来るようになっている し、前よりもっと相手を受け止めている。 結構なんだかんだ全部ひっくるめて愛せている気がする。 良い友達だ。 でも、多分彼とかにかなり激しく甘やか されて、お互いを守りすぎて絡めとられたから、お互いこうも「私って女の人なんだ!」ってのとか「俺って、男なんだ!」って体にしっくり来る気づきが遅 かったのではないかとも思える。 そういう意味でお互いめんどくさい成長プロセスを取ってしまったのではないだろうか。 まあ、いろんなプロセスがあると 思って納得しよう。
また、「これから色々と不安だわ」とか、「どこにどう行ったら良いのかとか、どう選択したら良いのかって考えるとこんがらがる」的な事を言ったら、もう一人の方の友達に「楽しいじゃない」ってかなり声に思いを込めて言ってもらえた。 彼も移民の子で、同じような事を考えて、心配したり、不安になったりしているらしい。 でも、どっかで先が見えないって考えないで、選択肢が多いと思っているんだと思う。 強い子だ。 自分に言い聞かすみたいに、「アンナにある選択肢は全部良い選択肢だ」と言ってくれた。
お互いがお互いに住んでいる距離が離れていても、ライフステージは似ているし、私たちは大きな幹から枝分かれしたような関係だ。 長い時間を一緒に過ごせないからどうなる、こうなるっていう話しじゃない。 すごく嬉しかった。 これからも大切にしたいし、是非大切にしてもらいたいと思いましたよ。 夫たち万歳。
最近ウェリントンへのホームシックが収まり、オークランドが私の街って思えるようになってきた。 やっぱり新しい街に引っ越すってエネルギーいるわ。 で もこういう経験って、人生への最高のご褒美って感じもする。 違う仕事をしに新しい街に住んで、これまで会った事がなかった人達と協力し合うってのは楽しい。
だからって価値が下がる訳でもないのが、古き良き友達の素晴らしさ。 今週は連続で幼なじみ達がウェリントンから遊びに来てくれてすっごく嬉しかった。
この間、私を多分最もよく知っている、ウェリントンの夫的友人達が来た。 たまたま女らしい格好をして行った。 カフェでチョコレートムースを買ってもらい、「なんて素敵なワンピースな んだ!そしてなんて美しいブーツなのだ!」と誉め讃えてもらう。 だから私も「なんてかっこいいんだ!なんて素敵なんだ!会う度に素敵になる!!」と誉め讃える。 ここまではいつも通り。
それで私がヘラヘラ笑いながら「女らしい恰好しようと思って」と言ったら、速攻で真顔になった彼に 「大丈夫? 無理しなくて良いんだよ。 心地好い?」と質問された。 変化を悟ったらしい。 彼はそう言う所をすごく気にしてくれる。 「うん。 女の人 である事がなんか嬉しいし、楽しいんだ。」と返したら、「それなら良かった。 でもやめたくなったり、自分の内側と違うと思ったらやめるんだよ」と言われた。 なんてデリケートな奴なんだ。 「大丈夫? 無理して女性らしくしてない? ちゃんとしっくりしてる?」って気にしてもらい、結構単純に友達に大切 に愛されている実感が湧いて嬉しくなった。 「うん。 大丈夫。 ありがとう、そういう事を言ってもらえるとすごく嬉しい。 友達って感じがする。」と言 いながらじゃれついた。
そう言えば、”夫”なんて雄々しい名称で相手を呼んでいるけど、実際私は始めてあった頃から結構頑張って相手 に「君が男の子だからって男らしい事とか役割をする必要は無いんだよ」ってのを示してきた。 大好きな友達だから、そういうのにこんがらがって、めんどく さい奴になってもらいたくなかったんだ。 彼の元来の性格とマッチョな感じなのはあわないし、まわりから求められている事と、自分自身の間の差に傷ついて いるのも知っていたし。 私だってそうだ。 ある一面では女の子としてちやほやされると楽しいけど、本当の所はがっしりとそんな女だ男だってのを抜きにし て、きちんと私を受け入れてほしい。 子供なりに私たちは頑張ってきたのだなとしみじみしてしまった。 子供同士の友情をなめちゃいけない。 今思い返し てみると「それでも嫌な感じの圧力をかけた事があるわ」って反省する事は多々あるけど、お互い成長するにつれて上手に愛情表現が出来るようになっている し、前よりもっと相手を受け止めている。 結構なんだかんだ全部ひっくるめて愛せている気がする。 良い友達だ。 でも、多分彼とかにかなり激しく甘やか されて、お互いを守りすぎて絡めとられたから、お互いこうも「私って女の人なんだ!」ってのとか「俺って、男なんだ!」って体にしっくり来る気づきが遅 かったのではないかとも思える。 そういう意味でお互いめんどくさい成長プロセスを取ってしまったのではないだろうか。 まあ、いろんなプロセスがあると 思って納得しよう。
また、「これから色々と不安だわ」とか、「どこにどう行ったら良いのかとか、どう選択したら良いのかって考えるとこんがらがる」的な事を言ったら、もう一人の方の友達に「楽しいじゃない」ってかなり声に思いを込めて言ってもらえた。 彼も移民の子で、同じような事を考えて、心配したり、不安になったりしているらしい。 でも、どっかで先が見えないって考えないで、選択肢が多いと思っているんだと思う。 強い子だ。 自分に言い聞かすみたいに、「アンナにある選択肢は全部良い選択肢だ」と言ってくれた。
お互いがお互いに住んでいる距離が離れていても、ライフステージは似ているし、私たちは大きな幹から枝分かれしたような関係だ。 長い時間を一緒に過ごせないからどうなる、こうなるっていう話しじゃない。 すごく嬉しかった。 これからも大切にしたいし、是非大切にしてもらいたいと思いましたよ。 夫たち万歳。
ウーマンフッド
大学を卒業して仕事を始めて、色々な変化が起こった。 その変化の中で一番自分でも驚いているのは、今自分が生まれてはじめて濃厚なウーマンフッドを経験している事にだと思う。 仕事を始めるとウーマンフッドが始まるとはしらなんざ。 ビジネスを行うっていう非常にインパーソナルな側面が始まった分、残りのパーソナルな面もはっきりと見えやすくなるからだろうか。 学校や実家などから切り離された環境に身を置く事で、一個人としての自分が見えてきた。
フッドって、英語で性質、状態、身分、境遇、時期を表す為に、名詞の後につける言葉。 だからウーマンフッドっていうと上手に訳せないんだけど、「女性である状態、独特の境遇、時期」って感じの言葉。
仕事を始めると、学生の頃と違って一気に様々な年齢や状態や境遇にいる人達と協力する事になる。 関わる人達の背景色がぐわっと増えるんだ。 そのダイナミズムの中では、様々な方向と文脈から、自分を認めてもらえたり、育んでもらえたりする。 そして色々な人生のステージを、彼らを通じて見せてもらえる。 同じオフィス内に「結婚50年目」「妊娠六ヶ月」「離婚したて」「婚約中」っていう全然違うライフステージにいる人達がいて、仕事の話しをしていない時は、なんだかんだでそういう話しになるので、色々と聞く。 激しく情操教育されているよ!
日本でイタンーンをした先は男の職場だったんだけど、「伴侶及び自分の家激ラブ」な人達が多い場所で暇さえあれば皆して自分の奥さんの話しを自慢し合っていた。 その様子を見て、私はすっげー不思議な気持ちになっていた。 だって、学校だとそういうの無いじゃん。 おおお、大人になるってそういう事なのか?! 何故?!と激しく疑問に思っていたのだけど、最近原因が分かった。 仕事が終わって疲れて家に帰ったら、もう遊ぶ時間なんて殆どないし、あっても自分のパートナーと励まし合ったりしているうちに一日は終わっちまう訳で、こうなったら気合い入れて外遊びに励むか、家遊びに励むかのどちらかの選択を選ぶ事になる。 だからだ。 これは一種の趣味なのだ。
うちの会社は女性が始めた会社なだけあって、結構女性に優しい。 仕事のペースも、考え方もあまりスポーツとか競争とかがベースになっている感じはしない。 どっちかっていうと繁殖とか、耕すとかそういう感じだ。 まわりに影響されやすい私は結構簡単に女性性の内にある喜びみたいなのに反応し始めた。 これまで殆ど男子校のような場所にいて、ブルファイターのように暮らしていた分余計に。 第三次性微的なウーマンフッドの開花があってから、なんか体の感じすら変わってしまった気がする。 生きていると変化が色々とおこるんだなあ。
フッドって、英語で性質、状態、身分、境遇、時期を表す為に、名詞の後につける言葉。 だからウーマンフッドっていうと上手に訳せないんだけど、「女性である状態、独特の境遇、時期」って感じの言葉。
仕事を始めると、学生の頃と違って一気に様々な年齢や状態や境遇にいる人達と協力する事になる。 関わる人達の背景色がぐわっと増えるんだ。 そのダイナミズムの中では、様々な方向と文脈から、自分を認めてもらえたり、育んでもらえたりする。 そして色々な人生のステージを、彼らを通じて見せてもらえる。 同じオフィス内に「結婚50年目」「妊娠六ヶ月」「離婚したて」「婚約中」っていう全然違うライフステージにいる人達がいて、仕事の話しをしていない時は、なんだかんだでそういう話しになるので、色々と聞く。 激しく情操教育されているよ!
日本でイタンーンをした先は男の職場だったんだけど、「伴侶及び自分の家激ラブ」な人達が多い場所で暇さえあれば皆して自分の奥さんの話しを自慢し合っていた。 その様子を見て、私はすっげー不思議な気持ちになっていた。 だって、学校だとそういうの無いじゃん。 おおお、大人になるってそういう事なのか?! 何故?!と激しく疑問に思っていたのだけど、最近原因が分かった。 仕事が終わって疲れて家に帰ったら、もう遊ぶ時間なんて殆どないし、あっても自分のパートナーと励まし合ったりしているうちに一日は終わっちまう訳で、こうなったら気合い入れて外遊びに励むか、家遊びに励むかのどちらかの選択を選ぶ事になる。 だからだ。 これは一種の趣味なのだ。
うちの会社は女性が始めた会社なだけあって、結構女性に優しい。 仕事のペースも、考え方もあまりスポーツとか競争とかがベースになっている感じはしない。 どっちかっていうと繁殖とか、耕すとかそういう感じだ。 まわりに影響されやすい私は結構簡単に女性性の内にある喜びみたいなのに反応し始めた。 これまで殆ど男子校のような場所にいて、ブルファイターのように暮らしていた分余計に。 第三次性微的なウーマンフッドの開花があってから、なんか体の感じすら変わってしまった気がする。 生きていると変化が色々とおこるんだなあ。
ニュースの差
日本で報道されるニュース映像と、ニュージーランドでのそれには結構な差がある。
英語圏にいると、ある程度簡単に他の国のメディアでも、言語が英語の場合はいろんなチャンネルで放送されているので、アルジャジーラも、CNNも、BBCもFOXも見る事になる。 FOXは人間というその愚かな存在そのものを憎みたくなるほどの強烈な冗談放送局で、見事にクソな事しか報道しないから話にならないけど、ほかのニュースチャンネルは勿論バイアスがかかってはいけるど、己のスタンスにのとってある程度の仕事をしていると思う。 まずジャーナリストが現場に行っているし、そこからちゃんとインタビューや映像を集めてきている。
例えば中東問題についての報道の時、日本でニュースを見ていても、日本のジャーナリストが現地に行って、現地の街角の人達にインタビューしたり、拷問されている人達のいる現場に潜り込んできて映像を取ってきたりってのはあまり無いと思う。 英語圏のニュースだとめちゃくちゃいっぱいある。 道ばたの人に話を聞いたり、普通の学校の様子や市場の様子、平均的とされている職場の様子をジャーナリストたちが集めてきて、夜のニュースで流している。 勿論、拷問されている人達の様子や、女性がボッコボコに公開処刑をされている様子なんかも、モザイク無しで流している。 そこには、現地のおっちゃんとか、おばちゃんとか子供の姿が生々しくある。
先日そういう映像を見て心臓がつぶれそうな気持ちになりながら、「こんなん、日本の私の親とかが見たら、ショック死しちゃうよな」と思った。 その瞬間にはっと、そういえばこういう映像は全然日本で流れないと気がついた。 ショック映像として、雑誌に載る事はあるかもしれないけど、“中立的”とされている夕飯時のニュースでは流れない。 日本ではイラストとか文字情報が多く、「お茶の間民俗学」的なちょっとした部族間についての情報をコメンテーターが説明したりする程度で、現地の映像はあまり見ない。 アニメとドキュメンタリーの違い位に違う気がする。
日本に暮らしている人達のどれ位が、今日のイラクの市場や街角の様子を、遠く離れているけれども、地は繋がった先で行われている日常の光景として見た事があるかと言うと、案外多くはないんじゃないかと思えてくる。 だって、ジャーナリズムがそういう働きをしないから。 日本でおこっている事件の場合は、現場に行って、そこで色々と情報とか映像を集めてきて使っているけど、海外の事になると比較的安全とされているところ(結果ニュースというよりは、情報バラエティー的な内容になる)に行く程度だと思う。 東京にいる人が、大阪の町並みに感じているような「実際にそこにある場所」としての現実感を、海外の事になると日本の報道は表現できないのではないかなと思う。
これは予算の違いなんだろうか。 度量のでかさとか肝が座っているか否かなのか。 それとも報道っていう概念の違いなのか。 こうも今日という同じ日を、違う形で取り扱っている姿に驚く。
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