2009-03-07

趣味 ウィークエンドアクティビティー

 週末って大抵何してるの?と人に聞かれることが多い。 ここで何か一発クールなことが言えたらヒップな女なんだろうけど、実際のところ仕事か家探しをしていることが多い。 

 私の趣味は仕事と引越しなのかもしれない。 あっはっは。 変な人。 

 とにかくここ一ヶ月ぐらい、毎週末(週末どころか平日もやってた)ひたすら家を探していた。 信号待ちの瞬間に「私のウィークエンドアクティビティーは家探しなのか…? 大丈夫か、私?」と自問自答してしまったよ…。

 でもって今日引越しをしました。 はあ、ここ数ヶ月、毎月引越ししてるよ。 そのたびに何かを失っている気がするね! でも悪くない。 時に女は引っ越しまくらなくてはいけないのだ。

 新しいところは悪くない。 町のど真ん中だし、周りにナイスなカフェがたくさんあるし! 

 私の新しい家のあるストリートそのものは性風俗通りで、隣の家は「ニュージーランド売春婦協会」。 ほとんどの近所の店は大人のおもちゃ屋さんだけど、悪くない。 そしてギャラリーが集中的にあるストリートでもある。 要するに私のストリートには、売春宿とゲイバーとアートギャラリーのみある。 

 目をつぶろうと思う。 心を無にしてその道を通ればいいのさ。  「ああ、なんかピンクとレインボーとホワイトウォールばっかりだなあ、純粋で暖かい色彩だぁ」って思っていればいいのさ。 私の大学のキャンパスはウエリントンのそういうストリートにあった。 なので姉妹店とか発見しては「おお!多店舗経営だったのか!繁盛してんな!」となっている。 懐かしい。

 さて、こっからはちょっとウェットです。  カットアンドドライな人は読まない方が良し。

 懐かしの大人のおもちゃ屋さん、エロックスオークランド店の前を通りながら私はオークランドに来て始めて明るい気持ちで友達に電話をしたいと思った。 「ヘイ! 私大丈夫だよ、元気だよ。」ってさ。 でも電話を切ったとき悲しくなっちゃうし、きっと切なくなっちゃうと思うから実際電話はしない。 どう関係を続けたら良いのか分からない人との電話は一回一回の終わりが永遠の終わりな気がするのだ。 終わりの確認のための電話をわざわざやりたくない。 良い意味では終わりの確認を通じて「人生ってやつはプレシャスだ」と思えるけれども、単純に悲しくなっちゃうから避ける。 二度と同じことは起こらない、掛け替えのない時間を過ごしていることを実感してしまう。 

 でもすっごい元気に、相手に自分がどれだけ元気で嬉しがり屋な生き物なのかを伝えたいとも思うわけだ。 もう多分自分が住む事のない場所に住んでいる友達との関係って切ないね。

 そんなこんなで小沢健二の「さよならなんて云えないよ」が頭の中で流れていた。



 元気に、元気に過ごしたいですね。 
 まずカメラ。 

 これはノートとペンに比べるとそこまでキャパシティーの広い道具ではない。 ちょっと性質が違う。 でも私にとっては本当に大切な道具だ。 他の二つ同様私にとっては重要な道具。 

 何かの話しをしている時に、写真があるか無いかでは情報の伝達力が全然違う。 「工房でのあのプロセスの時に〜〜」って場面でデジカメで写真を見せれると、「正確に伝わるかな?」っていうストレスから解放される。 

  そして写真を沢山撮るのは、私にとって最も優れた日常のエクササイズになっている。 「写真が沢山撮りたいと思えるような状況にいる為の努力」ってのが意 外と私の中の良い面を育ててくれたと思う。 いない時は(例えば最近は全く写真をってない。 撮る気が起こらん。)どうやってその状況から出発するかを考 えるし、いる時はなんで写真を撮りたいと思ったのかを結構考える。 そして写真にうつっている物を見ながら、また色々考える。 

 それに物としてもとても好き。 カメラも好き、カメラを使うのも好き、写真も好き。 時間が経つにつれて段々と使い方が分かってきた道具。 もっとカメラについて勉強したいし、もっとカメラを通じて勉強したい。

私は去年の始めからCanonのG9を使っている。




98%ぐらい好き。 使いやすいし、やれる事も多い。 それに実際カメラの使い方をよくわかっていない私でもそこまで「お手上げだ!」ってならない所も素晴らしい。 ただまだこれでどこまで何が出来るのかがよくわかっていない。 もっと知りたい!


2009-03-06

道具 大切な物

 段々と自分にとってどんな機材が大切なのかが分かってきた。 

 仕事の為に私が所有できているべき道具はノートとペンとデジカメだ。 どれも他の物と代替え出来ない上に、他の物の代わりの仕事は十分にしてくれる。 これだけ優れた道具は無いと思う。 勿論コンピューターや素材、机、文房具、そういった道具も必要だけど、それらは基本的に誰の物でも使えれば問題が無い。 共有できればそれで良い気がする。 人によって違うと思うけど、肌身離さず持ってないと支障をきたす機材は私にとって上の三つなのね。

 これらは最低限(だけど最高)な道具なので、身近に持っていないと非常につまらない。 「なんだよ持って無いじゃん! つまんないじゃん!」ってなる。 持っていると本当に楽しい。 毎日もっともっと楽しくなっていく関係だ。 私にとっての最低限だけど、最高の財産。

 私が重要だと思っている理由は、1.簡単に持ち運べる、2.応用が利く、3.インプットとアウトプット両方に使える、からだと思う。

 私の生涯基本的に使い続けていく道具はこの3つなんだと気がついた時に、自分自身のやりたがっている事がちょっと分かった気がした。 エンツォ・マーリの「プロジェクトとパッション」の中に、自分が50歳の時の作業部屋を想像してみるという文章が載っていた。 彼の所に学生が話しをしにくる時いつもきく質問なんだそうだ。 その部屋はどこにあるのか、どんな様子なのか、何があるのかなどを学生に考えてもらうらしい。

 私も読みながら考えた。 私は大きな窓のある広い空間のど真ん中に、大きなダイニングテーブルと5つぐらいの様々に作られた時代やスタイルの違う木製の椅子が置いてある様子が目に浮かんだ。 そこが私の仕事部屋だ。 そしてそれ以外の物は何も置いていない。 毎朝人が入ってくる度にその時やっているプロジェクトに関係している素材を小さな物置部屋から取り出す。 そしてみんなの鞄の中に入っているプロジェクトに最も深く関係している物が、ノートとペンとカメラだと思った。

 どうしてこう想像したのか、どうしてそれが理想だと思っているのかを考え直してみた。

 どうして唯一浮かんだ個人が所有する機材がノートとペンとカメラなのか。 そして自分の仕事部屋というテーマなのに、椅子が5個あるのか、そして奇妙にミニマルなのか。

 一週間以上時間があればコツコツとその事について考えた。 それこそ、ノートにペンで書き込みながら。 道具に関しては上に書いたように、1.簡単に持ち運べる、2.応用が利く、3.インプットとアウトプット両方に使えるってのを非常に重用視しているからだと分かった。 この3つのポイントが私にとっての黄金律なようだ。

 空間は私が神経質なミニマリストではなく、他の人と一緒に使えるものはそれを使う事で私と社会が繋がればよろしいって程度の、意外とおおらかな発想なんだと分かった。 大学でやったプロジェクトの中で一番自分が好きだったものは、公共空間で共有される乳母車のデザインだった。 あのプロジェクトはやけに燃え上がった。 不自由になるから物は極力持ちたくない。 でも無くて不便なのも嫌だから、出来れば人と共有したい。 そういう便利を私は目指したいのだ。

 そして私はでっかな楕円形のダイニングテーブルを中心に、集まる必要があるときはオフィスの人みんなで集まって、各々のノートとその時やっているプロジェクトに関係している物を卓上に広げて色々と進め、そうじゃない時はハンティングに出かけるっていう仕事のやり方をしたいのだろう。 1人では無理だけど、5人いたら自分の求めている成果程度の仕事は出来ると思う。 もし私が50歳ならば、自分のパートナーと、三十代ぐらいのシニアデザイナー2人と、二十代のジュニアデザイナー1人のチーム構成で、仕事が回せるような人になっていたい。 

 「なるほど、そうなのね、私。」と納得。

 じゃあ、音楽は?

 絵画は?

 彫刻は?

 植物は?

 台所は?

 足りない物を数えだすときりがないし、実際本当に事務所を持つようになったら、そういう物を置くだろうと思う。 ただ基本は上に書いた空間なのだな。

 最近、道具について前よりもいっぱい考えるようになった。 使っていると楽しいってどういうことか、便利ってどういう事か、豊かな使用体験ってどんなのかとか、日々考えている。 そしてもっと知っていきたい。 案外私は工業デザインが好きなのかもしれない。

2009-03-05

良いサイトをおぼえておく為に

 ちょくちょくデザイナーの川上俊のサイトを見る。 彼はartlessという事務所のダイレクターで、最近だとISSEY MIYAKEのCIをやったりしている人。 「いやぁ、素晴らしい。 全くアカデミックじゃない感じが新鮮で良い」と思いながら見ていた。

 勝手に40代後半ぐらいの人を想像していたのだけど、実は彼は30歳なのだそうだ!! たまげた!!!! すごいな! 


これがサイト





それとブログ


 



そして前にも書いておいたけど、とても好きなブログがANOMALIE。 しみじみと面白い物が小出しに載っている。 ナーイス。 そこに載っていた、フランスでのカニエ・ウェストがお洒落すぎてたまげた。 このお洒落さはすごい。 とろけた。


Charlie Alex March


 この音楽を購入するか否かで悩んでいる。 アルバムカバーをクリックすると視聴できるサイトに飛ぶので行ってみて、聞いてみて。

 「ああ、こういう音楽が体内で流れる生活がしたい」と思わせてくれる曲って良いよね。 きれいな音楽は聞くと、今の生活や体とギャップがありすぎて、ちょっと悲しくなってしまう。 音楽ってのは本当に自分の世界観のものさしだと思う。 こんなリズムがあるんだとか、こんな繊細さがあるのかって驚かさせられる音楽は素晴らしいけど、同時に「なんで知らなかったんだろう、どうなってる私の体内音楽」と焦る。 ほとんど郷愁のように焦る。  「変わりたい」と思っている人がいるならば、聴く音楽を変える事が一番手っ取り早いと私は思う。

 ちょっとでも自分の体の感じ以上のものだと、その世界へのあこがれに胸が焦がれてしまうし、自分の持っている価値観のなかで「こういう世界観はちょっと避けたいぜ…」ってのを聞くとやる気がとたんに失せる。 ぴったりのじゃないと自分とうまく機能しないっていう意味で靴と似ていると思う。

 淑とたまに音楽の話をした。 二人とも音楽は生々しく体に突き刺さるので、すっごく上質なマナーをこっちが持っていないと、たまにとんでもない目にあうという面でいつも合意していた。 だって空気と時間への色彩だから。 加工食品を食べ過ぎていると、味覚がおかしくなって何でも食べれるようになっちゃうように、音楽でもそういう事があると思う。 聞きすぎたら嫌な意味で耐性が出来てしまう。 そんな体になる位なら、いちいち音楽にびびっている立場の方が好きだ。 刺激と暴力を奪われた音楽に何の意味がある?

 慢性的に動揺を避けるため、身を固めて過ごしている人がいるのをみる。 これは音楽だけの話じゃなくて、何に対してでも。 逆にただ動揺しまくる人もみる(多分今の私)。 ごくたまに、結構いい感じになんとでも接する事が出来る人をみる。 何となくそういう人になりたいなあと思う。

終わってみると

 「なんでこんな事に時間がかかっていたんだ?」と思う。 多くの事に対して。

2009-03-04

面白いではないか!

 幼なじみの日記をmixiで読んでいて、その子がものすごく面白いって気がついた。
mixiに彼女の日記がアップされている時滑り込むかのごとく、そのページに飛ぶ。

 元々傑作だよなとは思っていた人なんだけど、ここ数年は育児でちょっとその力が弱まっている感じがしていた。 全てのエネルギーを赤ちゃんを育てる為に使っている感じだったんだよね。 勿論それは幸せな事だけどね。

 娘さんが2歳を過ぎたから、ちょっと生活パターンが変わってきたのか、それとも私が年をとって彼女の味をもっとわかるようにな

2009-03-02

Hardcore

 こんなにハードコアなサイトは初めて見た。 むやみやたらと感動してしまった。 すっげーや。 黄金のテキストサイトだ。 中身だけで勝負! 日常とは全く関係ない事に詳しくなる事が出来るサイトです。 企業サイトとしてはこんなにインパクトのあるものはまだ見た事が無いです。 



古文書の複製本を作っているイギリスの会社なんだけど、なぜか四カ国語も翻訳があり、そのうちに日本語も含まれる。 多分ユダヤ教徒の方々のやっている会社なのだと推測するのだけど、ユダヤ教とその歴史への敬愛の念が半端無い。 企業理念の熱さ無限大。 サイト自体にものすっごくディテールがある。 行動全てが微に入り際に入りで、密度が半端無い。

いやぁ…。 すごい人たちがいたもんだ。 是非一度一緒に働かさせてもらいたい。

2009-03-01

ヒッピーと働くということ

 私の会社の役員達は皆ヒッピーだ。 綺麗な身なりをしているし、清潔で上品な格好をした人達なので一見ヒッピーにはうつらないけど、彼らの青春や考え方を参照すると激しくヒッピー。 

 まず大前提としての特徴、「猛烈にアップル コンピューターを尊敬している」っていう面でまず合格。 私の親を見ていてもそうだけど、今50代から60代の人にとって、アップルコンピューターって「俺らの世代!」なんだよね。 自分達が社会で働きはじめた頃にこのCMを見た彼らへの衝撃は、多分今の私達には想像もつかないぐらいのものだったんじゃないかなあと思う。 アップルコンピューターは今日の物ってイメージが強いけど、私達の親世代ぐらいからすると、やっぱり彼らの青春と理想を反映した会社なんだろう。

 

 私の父も70年代をアメリカの西海岸の大学で過ごした典型的なヒッピーなんだけど、今でも私の産まれた歳の話しになると、このCMのことを話す。 「良い歳に産まれた。 1984年はMacの産まれた歳だ」とうっとりとされる。 そんな彼も勿論、アップルの伝道師。 会社で役員達に産まれた歳を話した時にも同じ反応をされた。 

 産まれたときからずーっとMacがあって、週末にはMacのお店に連れ出されて美しさを永遠と語られていた私からすると、「Mac、Macうるせえよ!」となるけど、なんか気持ちは分かる。 今この鬱蒼とした気分の世の中に、私の理想を反映しきちんと社会的に成立した会社が登場したら一瞬で大ファンに私はなると思う。

 なんか肌に合う会社だと日々思うのだけど、根底にはApple的な世界観の肯定=ヒッピー文化があるんだろうな。 

 「あなたを雇った理由は、会社にとっていつでもオープンマインドで、違う意見を言う人が必要だから」と堂々と言って、それが本当に口だけじゃない所もApple的な世界観があるからだろう。 私は一つのカウンターカルチャーとして雇われているんだなとつくづく思う。 一石を投じて、硬直してしまう可能性があるミーティングとかに活発な議論を持ち出させる為に雇われている。 別に私の意見がゴールにたどり着く為の舟になることは求められていない。 変人枠で入ったんだと思います。 あぁ、もっと変な人にならなきゃ。 それが私の役割なんだ。

 後この人達ってヒッピーだよなあと思うのが、書類の直し方だ。 ボスッシングというよりも、コーチングの方に向いているのがヒッピー達の人の良さだ。 「上から物を言わない」ということに命を賭ける集団でもある。 これもやっぱり父と一緒だ。 上から物を言われたことはないけど、いっぱいのアクティビティーを私と一緒にやってくれる間に色々と学んだ。(残念ながら主にMac関係だけど) 

 「一応やってみたけど、多分この書類の書き方は間違えています。 だって、これまでこの手の書類は書いた事が無いから。 自信ないです。」って言いながら書類を提出した時に(しかも会社側が外注先に出す一番重要なデザインの発注書だった)「この手の事に正しいとか間違えているとかは無い。 ただ一番伝わりやすい形かが問題。 だからそういうことは心配しないで。」と言われて、全員で読み返した後に、分からない所を徹底的に洗い出して(このプロセスでかなりコンセンサスがとれたし、完成系が出来上がった)最後は私と社長で書類を整えた。 すっげー自分がやっている事が分かった、良い仕事の仕方だった。 

 要するに一番理解が浅い人が仕事の最初の段階をやって、その内容をプロジェクトメンバーで訂正していくプロセスをミーティングとして使い、そこで合意をとり、最後に一番その仕事が上手な人が付きっきりで一緒に文体を整えるっていう流れなんだよね。 合理的だと思う。 というか、若手にとっては非常に良い体勢な気がする。 プロジェクトメンバーの合意もとれるし、多くの人の目が通っているから内容も伝達性の高い文章になるし。 
 
 この集団での働き方もヒッピーっぽいよなあと思う。 個のレベルではカウンターカルチャーとして人を重宝し、集団になると民主的で次の世代に何かを伝える気が強い。 やっぱり楽しく働いて、でも合理的にやってとっとと終わらせて、家に帰って遊ぶっていう強い目的意識があるかなんだろう。 

 大学の教授がこの会社に私を入れた時に「多分君はここと肌があうから」と言っていたのだけど、この事だったのかと思う。 私も仕事は最小限で後は遊んでいたいタイプです。 なので一石二鳥とか大好きです。 便利な物に弱いです。 「今やっている仕事を同時にどうアーカイブ化させて次に最初からやり直すっていう時間のロスをなくすか(しかも楽しく)」とか必死に考える方です。 もっとこういうことが上手になりたい。 そういう意味での仕事上手になりたいぞ。

世の中には様々な価値観が溢れている。 後開き直りって大切だ。

 依頼された仕事をする時、最も重要なのは相手が何が最終的に欲しくて、それに向けて私に何ができるかを推理する事だと思う。 だから最初は相手のプロジェクトの内容とか性格についてちょっと考える。 「こういうのが欲しいのかな?」とか「こうやったら良いんじゃないか?」とか。 お互いの考え方の癖とか嗜好が近ければ近いほど一緒に働いていて楽しいし、いい感じの領域まで頑張り合える。 もし、結構離れていたら、今度はどうやって説得し合うかが肝になる。 それはなかなかに面白い。 デザイナーの仕事っての半分ぐらいって日々の説得の合いなのかもしれないと最近思いはじめてきた。 ひたすら人を説得しようとし、人の説得に耳を傾ける。 そして残りの半分の仕事は、残ったものをまとめていくプロセスなのね、きっと。  

 それにしてもどれだけ近い感じがする相手に「うわぁー、変わってんなぁこの人。なんでこれが必要だと思ったんだろう?」って提案が絶対にある。 特に私は必要度が95%以上ない部品はそこにある必要無しと思うタイプなので、私的にそこまでそれがそこにある必要に納得できていない物には、激しい疑問を持ってしまう。 ただ、そうすると最後にかなりノイローゼー気味にミニマルで、神経質の固まりな物体が残ってしまったりする。 それは良くない。 反省を活かして、瞬間的に「いやっ、この差を個性とよぶのだ。 世の中にはこういう情報を求める人もいるのだ。」と自制するようにしている。 しかしどう考えても変な価値観で動いてんなあと思ってしまう面は残る。 世の中には様々な価値観が溢れていると思う瞬間だ。 

 その謎な面が生じている動機を見極めて、私的に「こうやって表現した方が良いんじゃない?」っていう風に変えようとする事も出来る。 ただそこまでやっていいものかっていう気にもなる…。 

 そういう時「あの人ならどうするかしら」と数人のデザイナーを思い出してみる。 出来るクラスメイトであったり、尊敬しているデザイナーであったり。 絶対、とことん話し合うだろうなと簡単に想像がつく。 しかも相手にも自分にも負荷がかからない方法でやるだろう。 ううう…、良い物を作る為には"ぎこちなくない人格"ってのがとんでもなく大切なのかもしれない。 それってどっかで買えませんでしょうかね…?

 そういえば私の会社ではある種の開き直りが非常に重要視されている。 結構目から鱗な態度で私は好きだ。 要するに会社ってのは100人ファンがついてくれたら、かなりなんとかなるらしい。 なのでその100人を熱狂させる為にこっちは頑張るべきだって態度だ。 だから「皆様に好かれる為に」とか「これをやったらヴォルーム層を狙い撃ち!」とかってのを全く気にしない。 いかに少数でも熱狂的なファンを狂わせ、歓喜の渦に落とさせ、周りに我々がどれだけ素晴らしいか伝道して頂くかが鍵だ。 そこらへんかなり開き直っている。 そこしか気にしないっていうポリシーが結構貫かれていて清々しい。 私も色々と開き直るべきだよなあと思わさせられます。 目的を定めて、他の場所は開き直るのだアンナ! でないと選択肢が多すぎるし、世の中は様々な価値観で溢れ返っているから迷子になってしまう。