2011-10-31

ファグ・ハグって言われてもんもんとした




私が結婚する事になったら女友達少ないから、ブライズメイドは持てない。 なのでどちらかというとグルームズメンを持つ事になるだろう。 そして彼らはほとんどゲイの親友達になる気がするって事を同僚に話していた。


また私が唯一人生で唯一ブライダルパーティー(ブライズメイド及びグルームズメン)になった経験は、ゲイの親友の結婚式でのベストマンである。 ベストマンって、グルームズメンの中でも最も男としていけている人のことだ。(とんだ名誉職。)

そしてまだ産まれてもいない私の子供のゴッドファーザーのリストにはゲイの友人の名前が連なっている。


そんな事を言っていたら「ブライズメイドが持てないからブライズゲイってファグ・ハグすぎ! しかも女なのにベストマン!」とゲイの同僚に大爆笑された.

「ちょっとまって! ファグ・ハグって何よ?! わ、私って、ファグ・ハグだったの…?! 勝手に私はファグ・ハグとは1mmも関係ない立場にいるのだと思ってたんだけど…!」と、私アワアワ否定にかかる。


でも同僚にはびしっと「そうだよ、アンナって根っからのファグ・ハグだよ」と宣言されてしまった。


ファグ・ハグって、以下の女の事。
英語スラングのひとつで、ゲイ男性同性愛者)と殊更に親しい関係を持ちたがる女性、その中でも特に非同性愛者の女性のことを言う。 詳しくはwikipedia 参照
なんかすげー、仲間入りしたくないジャンルの眷属だ。  もてなそう。 スティグマ!


確かに女友達が少ないから、ブランチや買い物、観劇はメトロな男の子と、夕飯やお酒、音楽、スポーツ鑑賞はマッチョな男の子とする事になる。  ヘテロの男の子達もいるけど、考えてみるとなかなかなヴォリュームでゲイの子たちもいる。

「確かにゲイの友達いるけど、なんかそれって侮辱じゃない? 私、ヘテロの男の親友も全ての港にいるよ? そして数は少ないが質がいい女友達も全ての港で旗振りながら私を待っている!」と同僚に言うと、「そんな言い訳しても仕方ないよ。 俺だって全ての港にヘテロの男や女の親友がいるよ。 でもそんなの関係なく一部の女はどうしようもなくファグ・ハグなんだよ。 アンナは絶対にファグ・ハグ」とケラケラ笑われながら言われた。

確かに私は一見ファグ・ハグだ。 私の高校時代からの親友のうち4人はゲイだし、大学時代に親しかった子たちも、教師もゲイだった。 職場で親しい相手もゲイだし、夫の友人の中で仲がいい子もゲイだ。 暢気に道を歩いていて、突然知らない男の子に指をさされて「君と友達になりたい!」と言われた事が二、三回あるけど、それも全部ゲイの男の子たちだった。 

でもすごく違和感がある。 なんで私がファグ・ハグって"君に属した名称"が与えられて、君がアンナ・ハグってよばれないんだと、むむむっとなる。

私自身の中にはゲイが好きな女の人に対する強い偏見もある。 それに私の脳内解釈では、「私が彼らに好かれやすい」のであって「私が彼らと殊更に親密になりたがっている」訳じゃないのだ。

帰り道に、1人「私は男性が怖いけど、男性的な包容力とかおおらかさを求めてやまず、ちょうどいい感じの立場としてゲイの男の子たちに惹かれているもてない女なのだろうか…。」と悶々とした。

そしてヘテロの男の子の親友と落ち合い、ケーキを半分こしながらその話をした。(この歳になると理性がある人間は甘いものを食べない。 特にゲイの容姿に気を使っている子なんかは特に。 甘いものが食べたいときはヘテロの、そんなの全く気にしない子が一緒に行ってくれる。)

一応「相手がアンナ・ハグなんだよね、私がファグ・ハグじゃなくて」とディフェンス。 彼は大笑いしながら、「違う、絶対違う。 単純にアンナの幼稚さと、わがままさを受け入れられる心の広い人間にゲイの子が多かっただけだ! お友達でいてもらえているんだから、喜んで自分はファグ・ハグだと受けいれろ」と言われて、「ガチョン!」となった。

そして「アンナのつきあう相手も今まで百発百中ファグ・スタグ(ゲイの友達が多い男)だし、二人でフルーツ・フライ(ゲイに群がる蠅)である事をアイデンティティーにいいご家庭を築け」と言われた。

妙に納得してしまい、そうかぁ…、私たちは主役にはなれない性格なのだなぁとしみじみ、自分と連れ合いの事を想った。

私の「ファグ・ハグ」とよばれたくない動機は、それがあまりにも脇役っぽいという我が儘からで、でも我が儘だから心の広い子ばかりと友達になり、それが結局見事にファグ・ハグに着地するのね…。


自分のちっぽけで、未熟なサークルがはっきりと見えた気がした夜だったぁ。

Love






Loewe: Masters of Leather on Nowness.com.

2011-10-29

女友達



私にはあまり女友達がいない。 特にNZでいない。 日本では若干ではあるけどいる。

「なんでいないんだろう」とよく考える。 色んな推測をする。 

説として有力なのは
1 ニュージーランドの女は世界で一番つまらない
2 ニュージーランドの男同士はつるむが、女同士はつるまない
3 女の友情なんてもんはそもそも存在しない
4 実は私の人格が破綻している
などがある.

毎日一回は「どうしてこうも私には女友達があまりいないのだ?」と自分で問答しているので、一年に365個位は説が増えるんだけど、以上の4つが根本的な問題として基本的に常に持ち上がる。

大抵私は女の子といるとき飽きているし、イライラするし、魅力を感じないし、何の話しをしているのか分からない。 だから「二回目にも会いたい」と思わない。 そしてそんな態度が相手にも伝わるんだろう。 二回目に遊ぼうと誘われる事はかなりレアだ。 「私には明らかに問題がある」と遊びに行った帰り道に悶々と考える事が常である。

今週末たまたま色んな企業のブランドマネージャー達にあった。 その中にすっごい楽しくて魅力的な女の人がいた。 しかも数人。

私はいちころになってしまって「あなたってすっごいインスピレーショナル!またあいたい!」と叫んでしまった。

その瞬間、私の説4が消えて、かなりほっとした。

自分は恋に落ちる事が出来るのだと知った瞬間の安堵と似ている。 「私はまだ女性に友情を感じるんだ!」ってのは素晴らしい発見だし、「これまでたまたま運が悪かったんだ」と自分を責める気持ちが溶けるからすばらしい。

同時に「女友達がいない事により徹底的に下がっているバー」を上げなくてはいけなくなる。
「ここまで明るくなくては魅力的じゃないんだな」とか「ここまで良い事が言えないといけないのだな」とか、「ここまで人生に対して情熱的でなくてはいけないのだな」とかって人生の目標を急に上げなくてはいけなくなる。 若干クラクラ。

突き抜けてないと面白くないもんなぁ。

いい女になりたい! そいていい女な友達がもっと欲しい!!


2011-10-27

聖者の行進



職場の同僚が半年仕事を休み、日本とタイにボランティアに行っていた。 

石巻で泥かきをしたという話しを聞き、お礼がしたくて週末にうちでお昼をごちそうした。 こういうときは手巻き寿司がうけが良い。

かなり敬虔なキリスト教徒の彼女は宣教師になりたいんだそう。 世界中にある彼女の属している教会が若い人を集めて宣教師になる為のトレーニングをしているから、それに参加したらしい。 宣教活動とボランティア活動は同時に行われるんだそう.

他の同僚に、「彼女宣教師になりたいんだってさ」と言ったら、ぶち切れられた。 その同僚はインドで育ったので、ずっと宣教師を撲滅するためのボランティア活動を地元で家族ぐるみでしていたそうだ。 勿論マザーテレザも嫌い。 「キリスト教徒の白人がガリガリの有色人種の赤ん坊にキスしただけで聖人だ。山ほどのインド人が貧困や差別をなくす為に家財放り投げ出して、人生注いで頑張っているかを知らない奴らしかあんな茶番は信じない。そもそも人を助けるのに、どうしてその助けられる人が洗礼受けなきゃいけないんだ???」とキレ始め、「お前もパシフィックエリアに住んでるんだから、宣教師達がポリネシア人達に何したか知っているだろう!!!!!」と烈火の如く怒っていた。

宣教師ってのは、やってる人と助けてもらった人の一部と、信者になった人達以外からは非常に評判の悪い眷属だ。

「言ってる事はわかるけど、でも私を育ててくれた社会の人達に助けが必要なときに、わざわざそこまで行って、いっぱい働いてくれたんだ。 私は凄く感謝している。 溺れている人や、火事になっている家が目の前にある時に、そこに飛び込んで人を助けられるってのは、尊い事だ。  心からお礼がしたい。 お礼がしたいし、彼ら目線での話しも聞きたい。 とりあえず君は彼女を招いてのランチには呼ばない。」と言って私は話しをたたんだ。

「お互いの言い分は分かる。 そして、私には特に意見はない。」といつも通りの態度をとる。

余計な喧嘩はしたくないし、そもそも喧嘩出来るほど私はには知識もないし、喧嘩する前に話しを聞いてどういう動機があるのかが知りたいと思い、その日は彼女の他にも職場の福音派キリスト教徒の人達や、その人達の家族を呼んだ。

食事はすごく楽しかったし、彼女の目線を通じての日本の話しも面白かった。 温かさや、彼女の持つ素朴な好奇心や、日本に対する尊敬や、現地に行って、見た人達の持つ「日本にはまだまだ助けが必要だ。これからも続ける。」という態度には心うたれた。

私は日本を愛しているから、日本に助けが必要なときに助けてくれた人が誰であれ、心から嬉しいのだ。 そして宣教師の団体は大抵ボランティアのプロだから、すごく手際がいいし、組織立っているし、基本的には善良な働き者だ。 そもそも日本人には宗教持ってないと不安って感覚がそんなにないから、宣教師にあってもそんなに反応しないだろう。

彼女は日本の他にもタイのスラムにある教会でボランティア活動をしていた。 元売春婦達にキリストの教えを伝え、教会で食事と住処を与え、回春をしている西洋人達に「どうして売春を必要だと感じているのか問いかけ、反応があれば話し合う」んだそうだ。

私のタイの友達はエリート階層の人が多い。 そういう子たちは自分の国の貧困の話しは恥ずかしいし、プライドが傷つくからしない。 あたかも先進国ですって感じで話す。 なので私は「タイにはスラムや貧困があるし、人身売買がすごいらしい」というのは知識として知っていても、なんだかかピンときていなかった。

なので彼女の目線と経験を通じたスラムの話しを聞いて、すごく驚いた。 かなりシビアな事がおこっている。

政府に出来る事は限りがある。 たとえ政府が100%の行動をスラムにしても、取りこぼしはおこる。 そして現実では全くたいしたアプローチを、政府はしていないそうなので、取りこぼしばかりだ。 そういうところは、個人が協力し合って支えあっていくしかないのだろう。 投票活動などを通じて、政府を動かす事と同時に、個人として他者を助ける活動は両立させなくてはいけない。 話しを聞いていてそう思った。

「誰かを助ける事と、その人をキリスト教徒にする事は同じ事なの?」と聞いたら「最終的には一緒。 人は幸せに、そして愛し合えるように神様によって作られている。 その状態が自然。 その状態に人を戻してあげる事が、救済なんだ。 神様を知れば知るほど、救済にはそれしかないと分かってくる。」と言われる。 まぁ、そう考えるんなら、人助けとキリスト教徒にさせる事は一緒よなと聞きながら思う。

こういう時お互いの間にちょっとした川が流れる。 私は「なるほど」と聞いている。 でも私には明らかにキリスト教徒になる様子も、そしてアブラハムの神を信じている様子もない。 相手からしてみたら、「理解は示しているのに、自然な状況に戻れていない罪深い人」なんだろうなと思う。

お互いが川を渡る気ゼロ。 ここで「そんなもんさ」と思えるのは、私に宗教的素養が少ないから出来る事だろう。 なんでも「文明違いますから」で片付けられる。 宗教的な人間同士だったら、どっちが川を渡るかで一悶着だ。 「私が神様信じているかどうかよりも、この私のイージーゴーイングぶりを評価してくれよ」と思う。

「ある程度成功している社会がある、そして明らかに機能不全な社会もある。 国家レベルでも差がある。 その差はどうして出来るんだろう」と私が言ったら、その場にいた人達に「キリスト教が基礎の社会か否かがその差を作っている」と断言される。

「ニュージーランドのカソリック団体がワールドカップに参加している20カ国の、社会の平等さと公平さを比べた調査によるとね、日本がダントツ一位で最も公平で平等な社会を実現しているんだよね。 そして日本はキリスト教ベースじゃない。」と一応言って、「じゃあ、日本はエクセプション」というふうにまとまった。

途中ヤノマミの話しが出て、「赤ん坊には魂がまだ宿っていないからって、嬰児殺しをするなんて信じられない。 神様を知らなすぎる。 彼らにたいして宣教する必要がある。 神様が作られた人間がこれ以上殺されるのは許されない。」と言い出したときは、「出たっ!」と思った。

結局夕飯の時間位まで色んな話しを聞いて、話して、それはそれは楽しかった。

多分彼女達からしてみたら、キリスト教的影響を私に与えられた事に喜びがあっただろうし、私からしていたらこんな文明もあったのかと興味深かったので良かった。

実感として、自分が宗教的な人間じゃなかったから出来た事だよなと思う。

時々、もし私がアブラハムの宗教のどれかの信者になったり、キリスト教宣教師達に日っちゃかめっちゃかにされた国出身とかだったら、どんな感じなんだろうと想像する。

ボーンアゲイン クリスチャンになったりすることって、自分の人生でおこったりするのだろうか。 なってみたい気もする。 でもならない気がする。


2011-10-26

1Q84



村上春樹の1Q84の英語版が出版されたので、デザイン業界で軽く村上フィーバーがおこっている。 誰がカバーをデザインしたのか、どうしたのか、意図は何なのか。 今日はやけに彼に関連するデザインブログポストを見た。 Nownessっていうウーバー クールなサイトで村上春樹の作品に関するイラストコンペとかもあったし。 やっぱり、なんだかんだで村上春樹って人気ある. 

本のデザインで、youtube videoが出来るのも、fast co designの記事になれるもの、なかなかに凄いことだと思う。 勿論、デザインをしたデザイン界の伝説、Chip Kiddだってのもあるけど。

いやはや立派である。 売れると良いね、いっぱい。


 


話しはぐっとそれるけど、1Q84は読んでいると、ニールヤングのHeart of Goldを思い出す。


 

Heart of Goldの歌詞はすごい。

I want to live,
I want to give
I've been a miner for a heart of gold
Is these expressions I never give?
It keeps me searching for a heart of gold
And I'm getting old
Keep me searching for a heart of gold
And I'm getting old

生きたいし、
与えたい、
心の金を探す為の炭坑夫として生きているんだ、だよ?

なんでだかはよく分からないけど、1Q84のテーマソングは、私の中ではこの曲だ。

2011-10-25

優勝!


 おらが国の巨人たちが、よその国の巨人たちと、押し合いへし合いしてきて、優勝したよ。 オールブラックス、よく頑張った! 本当にこの熊達みたいになってた!

2011-10-19

Nick Cave's "Sound Suits"




ミュージシャンじゃない方のニックケイブが作った着て踊れる彫刻、サウンドスーツが良い。 こういう感じすごく好き.




ニューオーリンズのマルディグラ インディアンというカーニバルリベラーにインスパイアされている様子。  マルディグラ インディアンって始めて知ったけど、すごいヴィジュアル。すごくすごく見に行ってみたい。 坪野君! 行こう!

2011-10-18

あなたの迫力に私、くらくら

ちきりんのブログポスト、 2011-10-18「先進国生まれ」という既得権益を守るためのデモ がとても良かった。 その通りだと読みながら膝をばしばしたたいた。

私はほんとーーーに、先進国生まれってことで得をした人間の一人だ。

私が幼い頃の日本は勢いがあったし、他の国と色んな面で圧倒的な差があった。 

その時期に教育を受けれた事は、単純に学費が払いやすいとか、生活費が他の国の子よりも多く貰えるとか、とにかく利点が多かった。

お金だけじゃなくて、情報もそう。 「日本人なら誰でも知っているような事」が実は他の国では全然知られていない情報で、その情報のおかげで色々とすり抜けられた事って多い。

大抵の国で簡単に貰えるビザ、簡単に他の国の免許に交換してもらえる位に信頼性のある免許。 私はかなり、他の友達より「日本人/先進国出身」ってだけで得をして来た。

日常生活レベルでそれをバシバシ感じられる位に。

先進国出身ってのはあっぱれな位の特権階級に属しているって事だ。 お金も、情報も、信用も、特権も、芋ずる式に自分の国籍についてくる。 何もしなくても世界の上位10%に自動的にいれるようなものだ。

日本ではミドルクラスの私が、例えば政情が不安定であったり、不正が多い国での「エリート層の子供」と同じ位の経済力を持っているこの驚異。 生活保護を受ける事になっても、もしかしたら他の国のミドルクラスより良い生活できるかもしれない。

友達と出身国の話をしていると気づく事がある。

国内に貧富の差が激しかったり、貧民層が多ければ多い程、お金持ちはウルトラお金持ちなのだ。 「うちの国の地方の農民の平均年収は3万円位かなー」って所は、「でもって、うちの国の首相とかは世界で一番二番にお金持ちなんだけどね」ってパターンがすごく多い。 

「それ君の国の皆で分けて賢く使ったら、皆で先進国のローワーミドルクラス位には速攻でなれるんじゃないの…??」ってぐらいの格差。 日本ではそんな金持ちも貧困層もみた事無いってスケールがそこにはある。

子供だった頃はそれを馬鹿にしていた。 海外に留学してきているそういう国出身の子は大抵親がエリートだ。 「不平等の上で得たお金で、君は海外で贅沢三昧かい。 祖国では民主化すらされてないのに。」ってな感じで。 とんだビッチ。

でもそのパターンを沢山沢山みていて、さすがの私も気がついた。 
このパターンの全く同じのを、スケールでっかくして先進国はやっているのだ。

これまでの先進国は貧困をアウトソーシングしていたのだ。 日本が貪っている富の為に、遠くの国にきっと巨大な貧困があるのだ。 国っていう勝手な境界線をひいて「私とあんたは関係ないから」と気分よくいられただけなのだ。

どっかの後進国の首相やらエリートと農民の関係を、私は国境またいでアジアのどこかの子供とやっているのだろう。

"民主化されてない不平等な国のエリート層の子供"を私には笑えないし、どちらかと言えば「お仲間」なのだなと思い始めた。

それにしてもこの勝手な境界線が先進国の富を閉じ込めてくれなくなったら、「他の国みたいになっちゃう」のは目に見えている。 混ざりたくない人達と混ざらなくちゃいけなくなる。 そして、どうやらその境界線が機能しなくなり始めたようだってのは薄々分かって来た。

パジャマ着て学校に来ていた後進国出身の子たちが、気がつけば私より良い服来て、私より良い車にのっている様子をみながら、どうやら、このままのうのうとしていたら「私の子供の既得権益はそれほど際立ったなくなるんじゃないか」という危機感が、さすがの私にも訪れたのは、5〜6年前。

しかもその子たちの勝ち気さは半端無い。 辛酸なめて来た親とか一族郎党からのプレッシャーと期待と負けてたまるか根性で、もう「今勝たないで、いつ勝つんだ」って勢いで勉強して、働いて、遊びまくっている。 

そりゃそうだ。 ただ先進国出身ってだけでボケーっとしている奴なのに、なぜか自分より境遇が良い人達を山ほど見たら、根性も鍛えられるだろう。 それぐらい先進国側のした、見せびらかしはすごかったし。

ちきりんの日記に書いてあるように、インド人の旅行熱はすごい。 私の職場のインド出身の人達もほとんど皆世界中旅行して、世界中のご飯を食べて、常に次のホリデー先の話しをしている。 それ位たぶん興味津々だし、興味を持った先で、自分に何か良い事が訪れるという楽観的な期待もまだ強く持っている。

そして正直に言うと、彼らって話していてとても面白いのだ。 未来にワクワクしているし、「突っ走ってやる」って感じがすごく強い。

単純にその気持ちを持っているだけでも未来の形は変わるよね。

ちきりんの言う、


繰り返しになりますが、経済のグローバル化は、世界における「先進国と発展途上国」という境界線を無くし、代わりに別の境界線を引こうとしています。
これにより「先進国の市民という既得権益」もしくは「先進国生まれという既得権益」を剥奪されそうになった人たちが、世界中で抵抗を始めているのです。 デモをする人たちはいったい、誰と誰が平等になる世界を夢見ているのでしょう? via:「先進国生まれ」という既得権益を守るためのデモ 

っていうのは、自分自身で常に感じている疑問だ。 私は口では左寄りの事をいつも言うけど、それでも内心では子供は"先進国的状況" で生みたいし、育てたいし、既得権益を与えたいと思っている。 だから内心では常にそこがどこかとか、自分の持っている資源でそこに滑り込む為にはどうしたら良いのか考えている。

特に自分自身が人から怒られやすい立場「アジア人技術移民」だから余計に考えちゃうよ。

NZでは不景気になってから高校ドロップアウトしたような子どもたちが働く場が減ってしまい社会問題になっている。まだ隣のオーストラリアは景気が良いからそっちに行けば働き口があるけど、それでもジャンジャン流れ込んでくる技術移民に対してフラストレーションはある様子。

私はそこで典型的なアジア人移民として、インド人とか華僑とかの子たちとオフィスで働いている。 開き直って他の移民の人達みたいに「技術持っている方に仕事がくるのが当然!」と言えるかというと、実は先進国出身で甘やかされているし、左寄りの意見を言うように育てられてきたのでモゴモゴしてしまう。 「見える範囲では皆で平等がよろしいです。 見えない位の距離に貧乏な人達を囲いましょう。」みたいな事を言い出しちゃいそうな勢いだ。

なんだかわけわかんないよなぁ。 でも波に乗ってなんとかサバイブしていかなくちゃいけないのかなぁ。

職場で今日そういう事を言いながらお昼を食べていたら、「典型的な先進国のミドルクラス出身の贅沢な悩み」と笑われた。 そういわれてしまうと、ぐうの字も出ない。 「それよりも自分の貯金の事心配しな」と言われた。 あぁ! 現実!

2011-10-17

Face Hunter : SHANGHAI - xin tian di & french concession, 10/10-11/11

Face Hunterが上海に行った時の写真が彼のブログに出ていた。

上海の子たちのストリートスナップ。 皆さん可愛らしい。 お洒落な子たちの持つ雰囲気はもう他の街の子たちと差がない。









Face Hunterはすごく楽しいブログだから頻繁にみるべし!

2011-10-16

あなたの肌 Ariana Page Russell


今朝、皮膚に問題のある友達同士で遊ぶ夢を見た。 夢の中には沢山の皮膚病だったり、アレルギー体質だったり、アトピー体質の人達が出てきた。 私もその中の1人で、腕に現実よりもずっとシビアな蕁麻疹を持っていた. 

夢の中で「人は、体質や体型が似ている人同士で遊ぶ気がする」と言い合って、私たちは解散した。

夢の中で私が見た炎症した皮膚には、なかなかな不気味な魅力があった。

呼ばれているのかなと思い、目が覚めてから思わずgoogleで"皮膚病"と検索してしまったぐらいに。 勿論現実の皮膚病は見ていてそんなに快感のあるものではないので、二、三枚写真を見てからタブを閉じた。 

でも全く関係ない美術関係のページをブラウズしているときに、引っかかる写真を見つけた。 "意味"はないと思うけど、大抵日常はこうやって不思議と引っかかり合い繋がっていく。

ブルックリン在住の作家、Ariana Page Russellはとても敏感な肌を持っている。 軽く引っ掻いたり、こすれたり、平手打ちをすると、簡単に皮膚に触った形通りのミミズ腫れが出来る。 そんな体の特徴を使って作品を作っている。












なかなかに生々しく不気味で魅力的だ。 そうそう、私が今朝夢で見た友人の皮膚達はこんな感じだったと、彼女の写真を見ながら、自分の夢が現実にも形を持っていた事を嬉しく思った。

また彼女は簡単に皮膚が赤くなる。 その赤のグラデーションをスキャンし、そこから壁紙だったりドレスだったりを作っている。 繊細で、不気味で、女性的で、でも案外スカッとしていて、非常に魅力的だ。

夢の中で私が言った、「人は、体質や体型が似ている人同士で遊ぶ気がする」というのは果たしてどれ位、信憑性があるのだろうか。

この考え方は、夢と現実が繋がるときのような、"意味"はないけど、"ちょっとした面白みはある"ってのとよく似ている。 「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないね」の大きな例の一つだ。

勝手に持った連帯感や親近感ほど、簡単に裏切られるものはない。 ほとんど、その裏切られた瞬間が、テープカットの瞬間だ。 物事はそこから始まる事が多い。

意味はないけど、ちょっとした面白みはある。

2011-10-15

Midnight in Paris

 

ウッディーアレンの新作、Midnight in Parisを見てきた。 主人公の抱えている悶々と、自分の悶々が見事にシンクロしていたのでとてもとても楽しめた. 

主人公は作家志望のアメリカ人。 自分の送っている日常にしっくりきていない上に、元々うじうじした側面のある男だ。 趣味はノスタルジアに浸る事。 そんな彼は強気な婚約者と彼女の両親と一緒にパリに旅行に来る。 

そしてパリにて彼の現実逃避願望が炸裂。 「俺ここで暮らしたーーーい! 特に1920年代の、パリでその頃のヒップスター達に囲まれて暮らしたい!」と大興奮。 現実逃避願望が強い私にとっては「分かるっ!分かるっ!」って感じだ。 

そんな彼が願ったり叶ったりで1920年代のパリにタイムスリップ! ばったりゼルダやフィッツジェラルド、ヘミングウェイ、ピカソ、マティス、ダリ、T.S.エリオット、ガートルード・スタインにバンバン出会う。 あがるあがる、彼の感情。 しかもそこで恋までしちゃう。 そこでどうなる…っていうのがこの映画。 

 小粒なんだけどしっかりとまとまっていて、きちんと出来ている良い映画。 繰り返し、時間があるときに取り出して見たいタイプの作品。 こういう映画が人生に何本かあるとありがたい。 

見終わった後に友達とクレーパリーに入り昼食を食べた。 「どう?タイムスリップしたい時代とかってある?」とお互いに聞き合う。 彼も私も「さっきから考えているけど、実際の所はないね。 まずコンタクトレンズない時代には行きたくないし。 どっちかっていうと未来に行きたいとかかなぁ…」という所で話しがまとまる。 

私には現実逃避願望があり、彼には野心がある。 常に「ここではないどこか」を求めている。 似ているようで違うところは、彼には夢があって私にはないところだ。  

そして映画の主人公は過去を理想視していた分どこに逃避しているのかが分かりやすかったけど、私は理想視出来ている場所がないので、逃避がしたい場所すら分からない。

目的地が持てないこの状況。 冒険と取るか、迷子と取るか。

2011-10-05

極めた先にあるもの



カープーリングをしている同僚がインド人なので、車内で常にインドの歌謡曲や、ボリウッド映画の曲を聞いている。 違和感感じるのは最初の一週間位だ。 その後は、やけにしっくりくる。

それがなかなかに素晴らしい。 音楽的感覚はアジア文化圏のものだからしっくりくるし、でもやっぱりインドのオリジナルだし、聞いていて楽しい。 とにかくとても音楽的。

上のビデオは世界で一番高度の高い道(ヒマラヤ山頂らへん)で撮影されたらしい。 「ボリウッドの俳優級じゃないとこんな高度で踊ったり出来ない!」と自慢される。 ちなみにここで戦争が出来たのはインドとパキスタンだけで、他の国のへぼぴん兵士だったら、みんなして高山病だから無理らしい。 「良かったね!」としか言いようがない。

山道で飛んだり跳ねたりした後に、今度はチベット人達が沢山住んでいる地域にうつって歌って踊ろう。 それが非常に美しい。 「ああ、ルーツびしばし感じます!あんたらはアジアの父さん母さんだ!」となる。

大自然とかきれいな地方とかで撮影するって良いよね。 外国人ですら楽しめる。 多分インドの人達も、インドは巨大だからこうやって自分と関係がないインドの地方や民族を堪能しているのだろう.

アジア人の若い子が集まると、やっぱりなんだかんだで韓国の芸能人や音楽の話をする。 皆が知っているから、話題にしやすいから。 そして結構マジで、次はインドなんじゃないかと思う。 アジア人の好みを極めた先にある感じがするから。

特にこの曲は良いと思う。 好きだ。 イスラム神秘主義、スーフィーのメヴレヴィー教団の曲調が基礎になっているんだって。 あのくるくる踊る人達! このビデオは膝がっくんってなっちゃう位にダサいので、そこを無視して音楽だけ聞いてみて。(こういう気遣いが必要。) 私は友達とこの曲を大音量でかけながら、ニュージーランドの自然の中を突っ走っているときに、かなりぐっときた。 心の中で、彼らがくるくる踊ったよ。






いいねー! くるくる来るねー! 数学的!

そういえば今こっちでは中華文化ごり押しがすごい。 アメリカ系のブロックバスター映画とかも、中華文化押し押し。 特に子供向けの映画はすごい。 もう育っちゃった世代から偏見をとったり、“憧れさせる”のは難しい。 でも子供は違う。 ちょうど私の世代が日本のアニメとかゲームを子供時代に触れて育ったから、日本に対して抵抗がないように。 今の子供への「世界の半分は中国! ニーハオ!!」って感じにキャンペーンが行われている。 (日本では今隣の国の文化が目立ってうざがられているっぽいけど、もうすぐ大陸が子供に向けてやってくるから、今の状況なんて可愛いもんだよ。)

でもいかんせん、中華文化は「渋い」。 しかも技がまだあまりない。 パンダと武道と武道を究めた先の謎のパワーか竹林。 それに比べてインドのは派手だし、超絶技巧(エンタメの極意を分かっていらっしゃる)から、案外一回プロパガンダ的に子供たちに見せまくったら、ころっと世界のエンタメの覇権を握るのではないかと思う。 特にアジア人の間では常識が近い分、「ああー、わかるわかる!」ってなるんじゃないかなぁと思う。

そうなったら素敵だなと思う。 中国とインドの文化がもっと世界になじんだら、アジアに対する偏見ってずっと薄くなると思う。 そう思わない? きっと楽しい。

2011-10-04

2011-10-01

1914:クワキウトル族とヌートカ族





アメリカ議会図書館のサイトには膨大な数の写真のアーカイブがある。 人類の宝の山状態なので、時間があるときはぷらっとこのサイトを見に行くと時間旅行が出来る。  クワキウトル族とヌートカ族の写真はここから見えるよ

1914年頃に撮られた写真。 

みとれてとれてしまう.




















これらの写真はアメリカ大陸の先住民族の写真を撮っていたEdward S Curtisという写真家によるもの。 この写真家の残した物たちはすごい。 情報としても優れているけれども、それと同時にポートレート写真としてすごい迫力なのよ。 今度はそっちのシリーズの写真もあげる。