2008-04-25

すぐに

 答えをまとめようとする悪い癖があると思う。 私にもあるし、社会全体にもある。 沢山の意見が出終わる前に、そして比べられる前に一つの答えをジェネレートしようとするのは危険だ。 意見を言う前の息を吸う瞬間は失われてはいけないし、人のそれを邪魔してはいけない。 

 オリンピックやチベットの問題について、どうしてこうももっと素直で、正直な意見を人々が言わないのだろうかとニュースを見ていて白々しくなる。 謎の確信の周りを足並みそろえてぐるぐると回っているように見える。 足並みなんてそろえる必要ないだろう! ってか、意見ってのはそもそもそろう訳が無いだろう。 特に日本の報道は、のっぺりしてしまっていて意味がなく見える。 質とかって考えないのだろうか。 意味のある意見を言う場所が与えられていないのだろうか。 うっすらと寒い。 じゃあ報道機関の本質って何?




とりあえず、きちんとした言葉が言えるような状況を作った方が良いと思う。 (単純な話し、人の生死を告げたりする場所で、こういうインテリアはないでしょう。 デザインからしてとち狂っている。) どうとちくるっているのかってのは、きちんとした意志を発表しようとしている人を見る時にコントラストで見えてくる事があって、この場合はお坊さんの意志が周りの危うさを際出させたと思う。 きちんとした言葉を、意志を聞きたいと人々は思っているはずだし、何よりもメディアの側がそう発信したいと考えるべきだ。 私はこのお坊さんたちはとても偉いと思う。 もっともっと多くの様々な視点と意見と意志が示されるべきだ。

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