2008-02-11
Fabrica
イタリアにファブリカっていう、デザインとか美術の研究所があって、私はそこから生み出されている作品が意味的にも審美的にもとても好きだ。 あきれるぐらいに美しい物を作り出すし、あそこの知性には希望があると思う。 出版物とかがとっても良いんだよ。 とても凄い所だと思うんだけど、商品価値が低いからか私が求めているような評価をきかない。 ブルータスとか、記事にしようよ。 してよ。
そんな素敵なファブリカのポンピデューセンターから始まった巡回展が日本に来ている。 ポンピデューセンターがキュレーションをした展覧会が日本に来ていること自体がなんとも大興奮な話しじゃん。 で、行ってきた。 心底面白かったし、視覚的にも刺激的だった。 徹底的にあか抜けていて、ドライで、なのに心や感情を含めた物事の核心を突いていると思いました。 すごいよ。 やる気湧くよ。
汐留イタリア街でやってます。 そこは意味不明な外見で私からするとバブルの名残のようにしか感じられない重みの無い世界。 東京の不思議スポットの一つ。 でも毎回そこでやる展覧会にははずれが無いし、質が高い物事が扱われているんだよね。 キャプションとかテクストからしていつも良い。 活動がすっばらしいの。
銀座のメゾンエルメスと同じぐらいの毛並みの良さがある。 なんだかんだといつもためになる事をやっている。美術館とかよりも面白いなと思う時が多い。 サイズ的にも丁度いい気がする。 質が高い物をちょっとシンプルに都市に配置するってのが理想的だよな。
丁度前後して六本木でやっていたメディア芸術祭も見た。 ファブリカ展と文化庁のメディア芸術祭を比べて、両方デザインとかメディアとかにラディカルでいようとしているんだけどなんか違うよなと考えていた。 メディア芸術祭はその名の通りお祭りだから、混沌としていても仕方がないと思うんだけど、あまりにもデザインの力をかるんじすぎているんじゃないかと思わさせる何かがあった。 「新しさ」を求めると現状に蓄積されている表現の力が枯れてしまうんじゃないか? その点、ファブリカの探している新しさは基礎がしっかりとしていて、未来と同じぐらい過去からの栄光を上手く使っていると思った。 単純に、きちんとしていた。
一緒に行った友人はファブリカが使っている技術とかが「単純に見た事がある」って理由でつまらないと言っていて、メディア芸術祭の方が技術的に面白かったと言っていたし、その視点も分かるんだけど、私はファブリカの方がずっと良いと思った。 デザインやアートは技術を使う事に意味があると思う。 技術とデザインは対等であるべきだし、デザイナーは技術者じゃない。 技術の先の話しをしなくちゃいけないだろう。 技術がシンプルだからって、やっている事がシンプルだとは限らない。
展覧会やらお祭りってのには、見世物小屋的な背景が強くあるし、見世物小屋じゃないってのをどうやって示して行くのかってのを考え始めたのも案外最近の事だと思うんだけど、そんな黎明期だからこそ「世界奇天烈展示会/見世物小屋」ってのとどういった距離を取るかってのを考えて評価をしたいよ。 メディア祭はコンテンツは良いのに、全部がきちんとした表現を出来る前にお互いで壊し合ってしまっている感じだった。 物を置きすぎ。 物が増えただけ、関係者が増えるから入場数だって増えるのに、それを受け入れるだけのスペースが単純にないもの。 こんな立地条件がよくて、広告もいっぱい出していて、展示品数も多い展覧会をこんなに狭い空間でやったらぐっちゃぐっちゃになっちゃうだろうっていう、具体的な空間の把握が欠落していた。 そういう意味では祭りとは良く言ったなと思う。 やっぱり技術はあるけど、デザインが無いと思った。
どこか共通点がある展示を二つ見れたのは良かった。 両方の良い側面が見えるし、可能性も分かりやすくなる。 そう、この展示は一気に見ちゃう事をお薦めします。 もし時間がなかったらファブリカ展だけでも見てみて下さい。 面白いから。
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