2007-10-26

Jazz

友達と、のんきにワインを呑みメキシカンを食べ、すっごいゴージャスな場所でジャズを聞いてきた。 エスプレッソを飲んで、キャラメルを食べて、すっごい、シアワセした。 

遊んでいる時間なんてこれっぽっちもないと分かっているんだけど、遊ばずにはいられない。


でも、本当に良かったんだよ。 遊んで良かった。 後悔はなし! 


これでもかあ!ってぐらいにアール・デコのすっごいきれいな場所で、ふかふかのソファーに座って、生の演奏を聴いて、沢山の人がスウィングダンスをしていて、ちょっとよっぱらっていて、いやはや、本当に気持ちがよかった。 色々と考える事が出来た。 友達は完全に音楽に引き込まれていて、私は一人で落書きをしたりメモを取ったり、お酒を飲んだり、音楽に耳をすませたりと自由に遊べた。 こういう時間が必要なんだよ。 本当に。

良い建築の中で、考えられた照明の元、生の音楽が流れていると、どうしてこうもその中にいる人間がみんな祝福されているように見えるんだろう。 不機嫌そうな老人も、ブロンドの乾いた感じの髪の毛をした中年女性も、みんなそれ故に魅力的に見える。 こういうデザインから導きだされる時間の濃度の高さって、無くなってしまったら困るんじゃないかと思う。 贅沢品とかステイタスシンボルとかそういうのじゃなくて、本当にデザインの力ってこういう何気ない瞬間に発揮されるんじゃないかと、しみじみと思った。 いつもはもっと頑な事を考えるし、頭でっかちなんだけど、とても親しい友達と足とかをぴったりとくっつけて音楽を聞いている時、そしてその空間を魔法のようだと思っている時に感じる感動って、ささやかな分大切なんじゃないかね。 少なくとも私はそう思う。 でも多分多くの私のクラスメイトはそうは思わないだろう。 なんかこういう素朴な事って通じない。





足とかの絵ばっかりかいていた。 人の足が好き。 膝の感じとか、がしっと足広げて座っている人の腰とか。 みちゃいかんと思いつつもじろじろ見て、落書きまでしている。 

後、スウィングダンスをしている人たちのゾーニングがおもしろかった。 隣の人と当たらない感じとかに芸を感じました。 東京二十三区の地図を見ている気分になった。

うわっ!

 あっと言う間に、もう26日かよ! 本当に叫びだしたい。 


 助けてーーーーーーーーー!


 終わんないかも、終わんないかも、終わんないかも! 何も終わらないかも。

 うそ! 終わるもんね。 絶対に終わる。 あたし、すっごい頑張るもん。 張り切りまくるもん。 
 絶対に出来る。 しかもナイスに出来る! 

そんなこんなですっごいパニックになった。 思わず、「もうこの精神状態を維持できない」と、ジントニックをがばっと昼間っからあおってしまった。 マンジェラ着ている素敵な男の子と二人で太陽の光をさんさんと浴びながらお酒を呑んで、ちょっと精神が安定した。 で、学校で黙々と作業。 でも今日が卒業制作提出だった四年生が泣きながら作業していたので、思わず手伝ってしまい自分の仕事はおざなりになった…。 くはあ、意外といい人な自分が憎い! そしてエスプレッソののみすぎで、全然寝れなくなってしまい思わず徹夜してしまった。 くはあ…、後先考えない自分が憎い! 

2007-10-23

好きな人更新


 三大好きな日本人グラフィックデザイナー













 考え方がとか、専門的にとか、
そういうのじゃなくて単純にスタイルが好き。 

外見が好きだと断言できるのって意外と少ない物です。 

すっげーーー、好き。

ピクニック






 日本でだったら台風とよぶんだろう、強風の中海辺へピクニックに行った。

 吹っ飛ぶかと、心から思った。 


 タナーの世界のような景色だった。 

La vie en rose





一週間ぐらい前に、La vie en rose(邦題 エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜)を見た。


エモーショナルすぎて怖かった。 でも色々と考えた結果、良い映画だったんじゃないかと思いはじめてきた。 少なくとも私の得意なタイプの映画ではなくて、だから情操教育として良かった。 慣れないタイプの映画って、見てみるものですね。

2007-10-22

La vie en rose


sad and painで思い出したんだけど、La vie en rose(邦題 エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜)を見た。

友人たちがとても薦めてきたので。 
「大泣きだよ!」につられて、泣きたかったから一人で夜中にもぞもぞと行った。 


まず、この映画を好きな人の為に、私は私がいかに幼稚かを説明しなきゃいけないと思う。 私の心の耐久度は著しく低くて、なおかつ感度は異様に鈍い。 そういう私が言う事だって事をまず理解してからよんで下さい。 ただ、こういう映画の見方をした人間が一人いるという事への興味で読んでいただけたら幸いです。 


とりあえず、この映画は私にはホラー映画にしか見えなかった。 全部基本的に怖かった。 「ひいいっ」ってずっとなってみていて、映画館の椅子に一人でのけぞりかえって、椅子の手を乗せる所(なんっていうんだっけ?)をぐわっと掴みながら見た。 確かに泣けたけど、ほとんど怖くて泣いただけで、残念だけど感動の涙とかではなかった。 


まず、細かい模様がいっぱいついているものを見るのが苦手だから、壁紙とかカーペットとか、そういう舞台装置全部が怖くて仕方がなかった。 「お仕置き部屋」ってのを想像する時は、ああいうわけのわからない細かいものがある場所を想像する。 海岸の岩のフジツボとか見ている時に失神しそうになる感じと同じで、だから画面をじっと見れなかった。 テクスチャーが普通の映画の五万倍ぐらいある映画で、本当に細かくて、口の中に砂をいっぱい入れられたような気分になった。 あと音楽も凄くリッチで、細かい音とか、つぶつぶとしていて、それも耳に知らないおじさんが海の匂いがする砂をどんどん入れてくるような感じがして、五感が圧迫されて苦しかった。 そういう意味では凄いリアリティー。 

火曜サスペンス劇場とか、昭和のテレビドラマとかと同じで、うらぶれた気持ちになった。 美空ひばりさんとかの存在に共通するテクスチャー。 「蕁麻疹」とか、「渇いた肛門」とか、そういうなんっていうのか、ようするに高熱系。 高熱を出している時に見る夢と同じカテゴリーの映像でした。 エモーショナルなんだもん。 すっごいエモーショナルで怖かった。

頭では「これは距離感の問題でつぶつぶした感じも、主人公の呼吸の感じも、他人事なんだからもっと遠くからの視点で全体を捉えなくては」って分かっているんだけど、妙に吸引力のある映画で、いちいち翻弄されて、最後はぐったりした。 全然、大きな流れやらを掴む事無く、一瞬一瞬が私対映画の格闘だった。 もしこの経験を作り出す事が制作者側の意図だったとすれば、間違えなく大成功。 そういう意味ではとっても上質な映画かもしれない。 うん、なんか急に自分の中での評価が高まってきたぞ。 

良い映画だったかも!


最近、こういう「お仕置き部屋」系インテリアなバーがウェイントンで微妙に流行っていて、「俺、ちょっと大人なんだ」っていう感じの人達が連れて行ってくれる。 さすがに暗いから、そこまで模様で溢れかえったまるで内臓の中にいるような圧迫感はないけど、だからって広々とした感じはしない。 確かに一緒にいる人との距離は縮まる。 そしてこっちはヒヤヒヤしているから、結果として相手に興奮しているような気分になる。 ただ、お店から出た後の開放感で、全てが吹っ飛ぶけど。 お仕置き部屋。 あんまり増えてほしくない系統のインテリアですね。 ううう。 怖い怖い。

夕方の学校

 夕方の学校ってのはどうしてこうも切ないんだろう。

私の机にはさんさんと夕方の光が差し込み私の手の長い影が作業しているものにかかる。

今日で世界が終わっちゃうような気分にもなるし、同時に悲しいものやら淋しいものやらが光に洗われて消えていき素晴らしい明日が始まるような気分にもなる。 どちらにしろ、そのういう諸々を切ないとよぶんだろう。 

切なさってのは、重くのしかかる何かを押しのけようとする、ささやかな心の運動の余韻な気がする。 余韻のテイストが全面に出て、その味が独特だから分からないだけで、実際の所意外と積極的な行動が原因なんじゃないかと、一日のうちの大半が切ない私は思う。 切なくなる為には、案外力強い生命力が必要な気がする。 影にすごい大自然が隠れていたりするんじゃないだろうか。 それこそ、この崇高すら超えたあっけらかんとしたニュージーランドの大自然のようなやつが。 そう考えると、切なさから大地へと繋がり直す、あっけらかんとした心が生まれる。 こうやって、「ああ、切ないなあ」っていう気持ちはポロポロと違う物語へ持っていかれて、沸々と面白いなあという気分になっていく。 

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どろどろどろどろーん。
ぴゅーひょろひょろ。 
えいやーえいやー。
遠くからは太鼓の音。
右から左へ通り過ぎていく笛の音。
視界から一瞬消える蛍の光。
不思議な森に住んでいる奇妙な生き物。
時間の流れは少しずれていて、しかしどこか確実な川の流れ。
植物たちは渦を巻きながら葉っぱを飛ばす。
隠れた栄光をたたえる光るコケ。
惑星同士がしかるべき位置関係に来た場合にのみに生じる数々の出来事。






迷惑同士がさわぐべき親密関係になった場合のみに応じる数々の出来事。
じめじめした森の陰の中輝くシダ。
水玉は葉っぱから落ちながら波紋をあける。
雲は逆に流れ元に戻っていて、満月の銀波に沈むあまの流れ。
奇妙なかおりを飛ばす不思議な生き物。
香りを痕跡に一瞬消える紅花。
左から右へ去る行方不明の猫の足音。
枕元からは霧雨の音。
あいごーあいごー。
ナヌーンゴロカンダ。
てくてくてくてくーと。






2007-10-18

赤ちゃん

友達に赤ちゃんが産まれた。 自転車を飛ばして会いに行く。

贈り物としてオリーブのすでにでっかい木を担ぎつつ運転した。
ちょっと滑稽だったと思う。

出産をした2時間後に母子ともに退院っていう超健康なナイス出産で、私はそんな逸話も含めてとてもスペシャルだと思った。 すごいよね。 2時間で退院よ? 

こんなに元気にトトロのパチもんのぬいぐるみを作って、ケラケラ遊んでいる彼女に私は感動した。






彼女は私がニュージーランドで一番好きな芸術家だ。 でもママになったらちょっと違う人になるのかなと自転車をこぎながら変化を考えていた。 制作とかしなくなるのかなあとか、もうあそこまでハイパーアクティブじゃなくなっちゃうのかなとか。 でも、そんなの私の思い過ごしだったようだ。 赤ちゃんをお互いによく見た後、「スタジオに行こう!」と行って、彼女の作品や制作についての話しをされた。 っか、かっこいいーー! 私の好きになる作家はいつでもかっこいいね。 私、すごい。

 






産まれて三日目の女の子は、素晴らしかった。 美しかった。 

もしこの人の事を美しいとよぶとすると、私の今までの美しいって言う言葉とはそぐわないなと思った。

だってただただ素晴らしいのだもの。 深く考える事もなく、美ってのは普遍的な事だと思っていたんだけど、今回得た心の奥底での彼女への共鳴は今までのどれとも違うから、私の考え違いなのかもしれない。 美って、もしかしていっぱいある? 

赤ちゃんなのに、「この人」とよばずにはいられないぐらいに、完成されている人だった。 徳が高いというか、神々しいというか。 本当に、こんなに美しい赤ちゃんを見たのは始めてで、一体どうしてこうも素晴らしいのか分からなかったぞ。 「どうして彼女はこんなに素晴らしいのか」と結構考え込んでしまった。 






この赤ちゃんはお父さんが中国系とヨーロッパ系のハーフなので、アジア人のクオーター。 みんなで「髪の毛黒いねえ! すごいねえ、遺伝ってすごいねえ」と感動した。 (もう、この赤ちゃんに関してはみんなでなにに関しても感動してしまうのよ) お父さんは2週間ぐらい仕事を休みにして夫婦+赤ちゃんでずーっと家に籠る予定なんだって。 すっごい、素敵な旦那様だと、私乙女チックに感動した。 私も子供を産んだ際には、是非、旦那さんに最初の数週間一緒に休んでいただきたい。 そして一緒に最初の家族のボンディングと、ただただ赤ちゃんにとろける時間を過ごしたいよ。 なんでこんなにこの人たちは素敵なんだろう。






この手とか、素晴らしいよね。 思わず、スケールモデルだとつぶやいてしまった。 なんて良いんだろう。 


自分が赤ちゃんだった時の事なんて勿論思い出さない。 だからずっとこのサイズでこの考え方で生きてきたような気がしてしまう。 でも両親からすると、こんなに小さいときから今の私を全て含めて「あんなちゃん」として見ているんだろう。 こんなに素晴らし(かっただろう)小さい私と時間を重ねて、今の大きな私を手にしている彼らは、私が思っている「私」とは全然違う見方で「私」を理解しているんだろう。 そう思ったら、すっごい嬉しくなった。 とてもとても嬉しかったです。 


この家から直接大学にいかなくてはいけなかったので、海岸線を一時間かけて自転車で走った。 とても天気がよくて、海がキラキラしていて、とてもきれい で、写真に取るのもしゃらくさいと思って、ただ一生懸命マウンテンバイクをこいだ。 海風が強くて涙が出た。 どうもよくクラクションを鳴らされるな。  男性がこっちを見るな。 「モテ期?」と疑いつつ自転車を漕いでいて、最後ら辺で気がついたんだけど、風で服がめくれて胸が丸見えだった。 うう、とりあ えず可愛いブラジャーで良かったと、自分をなだめる。 そうか、やっぱおっぱいは良いんだな。 赤ちゃんがおっぱいをのんでいるのを見た直後だったので、 優しい気持ちにすらなったよ。 でも突風の中ヘルメットかぶって、ごっついマウンテンバイクで立ち漕ぎしながら海風で泣いている女の胸なんかで良いのか?  もっといいものがあるんじゃないか?