2011-01-22

ヤノマミ


昨日今日と集中してNHK出版から出ている、「ヤノマミ」を読んだ。 これはアマゾンの奥地で、1万年に渡り独自の生活と文化を続けて来ている、ヤノマミとよばれる人達についてのルポタージュ本。 NHKのディレクターが150日間彼らの居住地に生活し、ドキュメンタリーと本にまとめあげた。 とても面白いので是非、チャンスがある人には読んでもらいたい!

ドキュメンタリーの方は去年見ていた。 本もとても良いと聞いていたので今回読んだのだけど、勧められていた通りにやはりとても面白かった。 読み出したら止まらない本。 とても読みやすいから二日で読めた。

それで読みながら、私はなんでこの本の内容に引きつけられるんだろうなぁって今日一日考えていた。 

まずこの本の中で説明されるヤノマミの人達の文化や信仰の構造の中に、自分の知っている世界のそれと重なる、どこか普遍的なところが見えてくるから面白いのかなとも思った。 読んでいると、大きな気持ちになれるし、視野がぐっと広がる。 不思議なもので、どうしてだか人間讃歌が胸にわき起こる。 そんなの滅多に感じられないので、得難い体験として面白かった。

同時にこういうのって、作者の持ち合わせている感受性や理解のフレームの中に収まった事柄が記録される。 だから私がこの本を読んでまず感じた、人類の普遍性らしき事柄は、“日本人/近代人の目線”の範疇内に収まってしまったが故に感じた誤解かもしれないなとも思う。 自分が作者の考えた事に共感しているのか、ヤノマミの文化に共感しているのかは、多分永久に分からない。 そういう事を意識させてくれる本は読んでいて面白い。

また相手の文化が独特だから、自分の文化やら信仰やらの独特さにも気づかさせられる。 例えば「近代医療がない状況でも自分は今自分が信じている事を信じているだろうか」と考えると、大概の場合答えはノーだ。 近代的なバースコントロールがあるから、今私が当然に信じている立場が保証されている感は否めない。 そういうのを考えるきっかけを与えてもらえるのも面白い。





読み終わった後、私の中には、哀しみや、過去に対する喪の気持ちも胸にあふれていた。 日本の事とか、マオリの事とか、ポリネシアの島々の事とか、自分の身近にある、文明とのコンフレクトの事をおもったからだ。

日本は昔鎖国をしていたと言っても、なんだかんだ言って他所の国の事は知っていた。 独自の文化も持っているけど、同時に東アジアの中の一地方であったんだろうと思う。 だからヤノマミとは違う。 それでも自分達と違う言語をしゃべり、違う自然観/世界観を持った社会と出会い調和していくためには多大な犠牲と、困難な挑戦があった。 自分自身の体験からもそう思う。

また非常に身近なケースとして、文明化された後の、マオリの人達のヨーロッパ文明への葛藤と失敗と努力が、頭によぎる。

ヤノマミとのコンテクストは違うし、独自具合も違う。 でも、文明っていうとてつもなく大きな流れに飲み込まれている事への恐怖と、その後の葛藤は、ある程度推測できる。 なぜなら規模はどうであれ、私たちは、よっぽど恵まれた環境にいる人以外、かなり望んでもいないのに強者の文明に飲み込まれ、巻き込まされているんじゃないかと思うから。 そんな中で、心はの一部は通り過ぎていってしまった時間への喪に捧げられていて、いつもどこか少し哀しい。

いつかヤノマミの人達は近代文明に強烈に飲み込まれなくてはいけないのだろう。 長い目で見たら、それで仕方がないと思える。 

でも一人一人の人生はかけがえがなく、取り替えのきかないものだから、仕方ないなんて言っていられなかったりもする。 だからみんな幸せにならなくちゃいけない。

その時に既に飲み込まれた人達に何ができるだろうかと考えた。 受け入れる事、理解する事、相手の文化背景に興味を持つ事、偏見を持たない事、寛容である事、協力的である事、尊重する事、一緒に悲しんであげる事…。 先に波にのまれた側としてやるべき事は山のようにあるように思える。 新しい幸せに、過去からの幸せが上手くリンクすれば良いよなと思う。

まとまりがなくなっちゃったんだけど…、ヤノマミ、とても面白いから読んでみて!

2011-01-18

女の人

生物学的に女に産まれたからって、別に自動的に"女"の役割にしっくりこれる訳じゃない。

家族が抱えている女性観、学校で与えられる女性観、友達同士での女性観。 日本いる女性達、イギリスの女性達、NZの女性達。 全部見事にてんでばらばらに違うから結構こんがらがる。 どっかの社交の輪の中での"守ってないと女と思われないコード"を遵守すると、他の社交の輪の中では完全なる"奇人"になったりって多い。

2011-01-17

アンティー街道

日本に帰って来て何が楽しいって、お友達のお子様方と遊ぶのが最高に楽しい! アンティー街道まっしぐらだよ。

思わず、その子達の名前をgoogleしたくなる。 ファンだから。 google imageで写真とかいっぱい出てこないかなって。 写真見て、一人でにやにやしたいなって。 でも勿論出てこない。

googleに載っていない事ってあるのだよね。 この歓びは、直接会って遊ばないと得れない! そんな当然の事を思い出させてくれる、友人のお子様方。

今日は、友達と、彼女の1歳3ヶ月の娘さんと一緒に遊んで来た。

その子がもーーーー、本当に、ゴージャス! ゴージャスな存在! 笑顔が本当に大きいんだ。 顔の半分が口になっちゃうってぐらいに、大きく口を開けて笑顔をするの。

コミュニケーションが上手な子で、まだしゃべれないんだけど、ベーシックな感情は十分回りに伝える事ができる。 "コミュニケートしよう"っていう意思をとっても持ってる。 "私とおしゃべりしましょ"って、その子の方から誘って来てくれる感じ。 ポジティブな感情を、いっぱい伝えてくれるんだ。 いやはや、そんなの、大人でもできない人いっぱいいるのに! 「君すごい!」って終止思ったよ。

そこの家族は、ベビーサインを使っているんだけど、だからなのかな、まだしゃべれないのに、その子自身に既に「私の言っている事をあなたは分かってくれる」っていう強い自信があるみたいなんだよね。 例えば、顔面表情なんかも「この顔は、この感情を表現するんだ!」ってのをきちんと分かって使っている感じなの。 それってコミュニケーションの基礎だよね。 すごい!

友達曰く、産まれたときからいっぱい話しかけて、いっぱい笑顔を見せていたそう。 一歳になった今その子は世界に向けて開けた存在になっている。 まるで最初の一年の育児って、種をその子の中にいっぱい植えるみたいな作業なんだなーと思った。 見事に花開いていた。 その子の顔には大きな大きな気持ちのいい笑顔! ゴージャス!

この笑顔を出せるだけで、この子は"強い"し、"大きな存在に守られて祝福される"って思わさせられた。 道が切り開かれていくよ。 人の目を見て、大きな笑顔を出せる事って素晴らしい。

その子とはみなとみらいのキドキドで遊んだんだ。 楽しかったー! あそこは大人も子供も一緒に楽しんで遊ぶ事ができる。 少なくとも私は今回の日本滞在で一番面白かった場所がキドキド。 本当に、皆様、お子様がいらっしゃらない場合は、子供のいる友人や近所の人や親戚を誘って、一緒に行ってきてください。 お子様が一緒にいないと入れないので、がんばって一緒に行ってくれる子供を探してくれ! キドキドは本当に楽しい!

子供に遊んでもらうってのは、本当に楽しいですね。 こんなに楽しい遊び相手はいないと、今私はアンティー街道を喜んでつき進んでおります。

おまけ: その友人はご夫婦ともにアメリカ人。 すごいコスモポリタンなので、家にどでかいポップコーンメーカーがある事と、日本で正月にまでピザ食べてた事以外は、普段は別にそこまでアメリカンだなと思う事は無い。 


ただ今日、この人たちは本当に生粋のアメリカ人なのだなと大笑いした事があった。 誕生日がちょうどハロウィンと重なるので、その子の一歳の誕生日パーティーとハロウィンパーティーをミックスして行ったそう。 写真を見せてくれたんだけど、彼らの仮装は本当にお見事だった。 父さんロビン、母さんバットマン、娘ジョーカー(ヒースレジャー版)。 その子、完全にジョーカーになっていた。 ヒース甦ったのかと思った。 ばっちりあの化粧をされていた。 アメリカの方々の、あの化けたとしか言いようがない仮装力は、一歳児の時からトレーニングされているのかと、わたくし、ぶったまげました。

2011-01-15

見る

いろいろとたまっていたデザイン系の雑誌やらウェブサイトを見た。

とても気持ちのいい経験だった。

三週間ぐらい視覚的な刺激から離れてみて、改めてただ奇麗なだけのプロダクトの力を感じた。 

奇麗であったり、美しい物は、なぜだろう、間違えなく心に良い。

仕事の最中は、"こんなんただ神経質なだけだ"とか、"見栄の権化だ"とうんざりする事がある。 日本に帰ってくる前が、そういった悪態や愚痴のピークで、日本に帰って来てから、全く視覚的な刺激を求めなかった。 なんか、物の持っている圧力に、自分が負けそうだった。

たった三週間離れてみただけなのだけど、不思議なもので、最後は"圧力につぶされてしまう…"と思っていた魅力の強い製品に、今度はかなり心を軽くしてもらえた。

デザインに人を幸せにする力なんて無いんじゃないだろうかとどっかで思ってしまっていたけれども、こうも簡単に自分自身が幸せにさせられる。

悪くないじゃん! 全然悪くないじゃんと、とても気分よくなった。

少なくとも私にとってはデザインとか、美術とかが世界に私を開いてくれる、かけがえのない文化なのだと実感し直した。

2011-01-12

ハーちゃんといっしょ その1

 大学時代の親友夫婦が赤ちゃんを連れて我が家に遊びに来てくれた。 頼もーって感じに。 赤ちゃんはハーちゃんという、六ヶ月弱の男の子。

迎え撃つはもう一人の大学時代の親友ミズホと、私と我が親。

赤ちゃんはいいにおいがして、柔らかくて、とっても可愛かった!

七里ケ浜の海が一望できるカフェでみんなでご飯を食べて、海辺を散歩して、一応大仏を見て、八幡宮に行ってってトロントロンと遊んだ。

ハーちゃんが生まれて以来、私たちの遊びの中心はハーちゃん! とりあえず、誰も自分の話をしない。 みんな、ひたすらハーちゃんの話をしている。 完全に惑わされている、私たち。 だってハーちゃん、イケイケなんだもん。

それにしても、結構面白かったわよ! 年齢的なものなのかな? ハーちゃんが興味を持つ物がとっても特徴的なの!

まず、ハーちゃんが、ル・コルビジュエのシェーズロングに座ったときに、とってもとっても喜んだのに驚いた。 肌に触れる部分の素材に大興奮。 皮の感じがとっても良かったみたい。 あと角度もちょうど良かったんだろうな。 どうやら赤ちゃんは、抽象的な物がお好きな様子。 同じテクスチャのものがずーっと続くような触覚が好きな様子。  

いろんな情報をごちゃごちゃと一気にインプットするよりも、一つを十分にインプットする感じが、快感につながる様子。 皮を触りまくって、キャッキャってなっててかわいかった! コルビジュエ大先生偉大だなと思いました。

確かに、大人でも、自分の体よりずーっと大きなサイズのシェーズロングがあったら、その素材感に結構うっとりすると思うんだよね。

家の居間にこの椅子があるので大人たちがご飯を食べている間に、ハーちゃんにシェーズロングに座ってもらっていたんだけど、本当にご機嫌だった! もちろん転がり落ちる可能性大有りなので常に見張っている必要がありますが、ここまで喜ぶなんて、コルビジュエも満足だと思うよ。




そしてもう一つ、ハーちゃんの興味を引いていたのが、埴輪! 意外だよねー。 でもこれも結構コルビジュエのシェーズロングを喜んだのと同じ理由なんじゃないかなと思うんだよ。

数年前、私の永遠のボーイフレンド、グレッグが日本に来ていたとき、一緒に東京国立博物館に行ったんだ。 で、私が埴輪とか土偶とか土器とかがたまらなく美しく思えて好きなのだと言っていたら、ミュージアムショップで埴輪(犬型)のぬいぐるみを買ってくれたの。




で、朝ミズホがハーちゃんをあやしているときに、このぬいぐるみを使っていたんだけど、ハーちゃんこの時も大ハッスル。 やっぱりこれも形がシンプルで、手触りが一本調子。 そして、顔も黒と茶色のコントラストがはっきりしているから、快感刺激としてずばっとハーちゃんの心に響いたのかな?

手触りが面白いものとか、ずーっとにぎにぎしていたりもしているものねー。

いやー、古代と古典の物品の持つ怪力に、ハーちゃん通じて触れ直したって感じね。 恐れ入った、埴輪にもコルビジュエにも。

なので、埴輪(犬型)はハーちゃんの家来になっていただく事にして、献上させていただいた。 グレッグも草葉の陰で喜んでいるだろう。 はに丸の21世紀版として、ハーちゃんには活躍してもらいたいものよ。

ハーちゃんのテディベアは、私が見つけるのだとNZで必死に探して、えらい具象的な白熊(ものすごく獣っぽくてかわいい)を送ったけど、本当は家に転がっていた埴輪で良かったのね。 答えは、そこにあったのだな…。

それにしても「俺のテディベアは、埴輪(犬型)。」って、渋くて良いよね。

2011-01-04

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします。

今年はゆっくりとした年初めです。 学生の頃はお正月はアルバイトをしていたので、お正月にゴロゴロしていると、「あぁ私は大人になったのだなぁ」としみじみします。

私の住んでいる鎌倉は、「海、山、神社仏閣、幕府」が売りの街です。 春は山の桜、夏は海の店、秋は山の紅葉関連で荒稼ぎをしています。 それらも素晴らしいですが、一年の主役、「今稼ぎまっせ、一年分っっ!」と鼻息荒くなるシーズンは正月。 鎌倉全体が、初詣にきた人たちに対して大ハッスル。 神社なんてやばいやばい。 神主たち、走る、走る、走る。 鎌倉が地元の子たちも神社でバイトをして、神主たちと一緒に走る、走る、走る。 神主たちは、年明けてからが走り時ですね。 坊さんたちが年末走るのと比べて。 (やっぱ、神社は結婚式、寺は葬式。 神社は年明け、寺は年末って感じの役割分担なんでしょうか) 見事だなと、神社の活気、いきいきとしたエナジーを感じながら思います。

旧い友人と地元で箱根駅伝往路観戦したり、鶴岡八幡宮や建長寺にお参りしたり。 都内に出て、箱根駅伝復路観戦して、そのあと銀ブラしたり。 とても幸せなお正月でした。 おいしい食べ物を山ほど食べた!

それにしても正月って暇だね。
お仕事が明日から始まる人たちがうらやましい。
私はあと三週間ぐらいホリデーがあります。
むむむむむん。 何して過ごそう。

2010-12-21

師走

あっという間に年末だ! 今年はブログ書かなかったなー。

今年は何かの"間"にある感じの不思議な一年だった。 自分が大学生じゃない事には慣れた。 でも勿論まだばりばりのジュニアデザイナーで、全く自律して仕事が出来るようなシニアじゃない。 というか、そんなにまだデザイナーですらないし、ビジネスのこともよくわかってない。 ごろんと生々しく、弱々しく、いまいち事の顛末を理解していない成熟していなく能力のない自分がいる。

仕事は忙しかったし、挑戦もあったし、難しかった。 それでも気楽だった。 人と働くってそういう事なんだなと知った。 協力できる事、信頼できる事の力強さを発見した。 リラックスして、いろんなことに挑戦できた。 職場の人達に心底感謝。

今年はたまたまよく日本にも帰った。 日本にいる時と、こっちにいるときと…、本当に生活が違うから、こっちで日本の事を思うと、ほとんどファンタジー小説に出てくる別世界を想像しているような状態になる。 逆もしかり。 随分と、住んでいる所によって生活ってのは変わるものなのですね。

国籍がある国が自分にとっての国なのか、住んでいる所がそうなのか。(現実的に言えば、両方自分の国なんだろう。) そこでも二つの間で、ぷらぷら過ごした感じがする。

税金を払っていて、そして日常生活がある、NZの方が自分の国だという意識が強い。 ここにある共同体に属していると強く感じる。 私が社会的な事で、"私達"というときは、大抵NZにいる人達が含まれる。 日本に対しては"あなた達"。 勿論日本に税金を払って、そして日本で日常生活を送れば、日本に対して愛着を持つようになるんだろう。 日本にいる人達の事を"私達"とよぶんだろう。 そんなもんだ。 そんなもんなんだなぁってのが意外と自分がやってみるまで分からなかった。

人間関係や家族関係でも、変化の途中、結構宙ぶらりんな時期にいる感じがする。

親が子供のころの事を想像すると、ちょっとキュンっとくる。 可愛かったんだろうなぁとかってさ。 親が親になってからの事を思っても、キュンっとくる。 なんて素晴らしい、愛に溢れた親なんだろうって。 でも親が"子供"と"親"の間にいた時の事ってなんだかいまいち想像できない。 要するに、産まれてきた家族と、新しく作った家族の間で、一人でプラプラしていた時期の事がなんだかいまいち想像できないんだ。

だからかなぁ。 何となく自分もその、オリジナルの家族と、新しく作りたい家族の間でプラプラしている、やっけに気楽で、匿名性が強くて、どこの記録にも記憶にもたいして残らない、ゆるーい期間にいるような気がしちゃうんだよね。 すごく面白い。

でも実際は様々な面で、のるかそるかなスリリングな時期なんだけどね、でもどっかやけに気楽だよね。

そういう意味では変わった一年だったなぁ。 後から思い出したら、キラキラした思いでとかがある一年になるのかな。 不思議ね、一年一年、色彩が違う。

2010-12-19

ぽいぽい

 久しぶりに服を捨てまくっている。 無駄な、部屋の垢のような状態になっているいらない服を、勇気を出して捨てている。 

あぁ、なんて虚しい作業! なんて悲しい作業。

なにがこうも虚しくて、なにがこうも悲しいのか。 勿論払ったお金の事を考えるとゾッとする。 新陳代謝が行い終わっていないので、私の服の一部は親のお金を使って買った物だったりする。 もう、本当に申し訳ないよね、こんなゴミになる物に大金使ったって事自体が! 「マジでごめん、もうしないから許して!」と心の中で親に手を合わせて服を捨てて行く。

昔の私の服はいちいち高かったくせに、本当に短いシーズン以外着れないタイプの奇を狙ったのばっかりで、二年以上経った物は、本当に全く着れない。 見るも無惨な物が多い。 馬鹿!! 考えたらずの私の馬鹿!

以前は女性の難民の為に寄付したりしていたけど、穴開いているのとか、あまりにもアヴァンギャルドなワンシーズン用の物とか、貰った方が迷惑だろうと思って今回は捨てている。 ここも虚しいよね。 何考えて買ってたんだろうねぇ。 本当に全く…、当時の自分に「何か計画とかあったんですか?」ってこんこんと問いつめたいよ。

穴が開いていて、ボタンももうなくて、しかも洗濯に失敗して縮んでしまって、クローゼットの奥の奥に一年以上押しつぶされておいてあった物とか、反省材料以外の何物でもないよ。

自分の雑さに、自分の荒々しさに、自分の洗濯の下手さに、そして自分の買物べたさに。 虚しー!

今回のこの作業でさ、もっと計画的に生きる事を決心したよ。 まだ、どう計画したら一番良い結果が出るのか分からないけど、本当に、計画が必要、考えなきゃ…。

そもそもどんな格好をしている自分になりたいのかってあたりから考え始める必要がある気がする…。 

中性的で、おっぱいの形が格好よく見えて、お腹が目立たなくて、頭そこまで悪そうには見えなくて、なおかつ職場で尊敬されるような…、そんな服装がしたいんですが、どうしたらいいんでしょうか。 誰か教えて!

2010-12-14

Poi e!

オークランドに引っ越してきて、すでに二年近くたったけど未だに「所変わればだねぇ」と、町の与えてくれる新しい感覚に頻繁に驚く。 私はいつか慣れるんでしょうかね。

2010-12-01

へんてこなクリスマス

オークランドを一言で表すと、「へんてこ」だと思う。

二年近く住んではいるものの、ほぼ毎日「変わってるなぁ…!」と絶妙に関心させられている。

この間の週末は、初夏で、まだ十一月なのにオークランドの中心部の大通りで子供用のクリスマスパレードがあった。

色んな民族グループのちびっ子達が張り切ってパレードしていた。 結構可愛かった。 でも明らかに変なんだよね。 さすが、文化の無法地帯。 幸せな、しかし、へんてこなパレードだった。




へんてこなわりには、大混雑。