この歌は女の子の心だけじゃなくて、男の子の心もロックするらしい。 これを流すと家中の男子が大合唱をする。 多分そのとき奴らの中で奴らは超男。 「おれ、まじで漢!」って感じで歌い上げている。 いとおしいじゃないかぁ。 いい曲だあ。 父ちゃんの墓前でって所に本気さを感じるね。
2009-12-28
2009年の9曲 3.Animal Collective -My girl
この歌は女の子の心だけじゃなくて、男の子の心もロックするらしい。 これを流すと家中の男子が大合唱をする。 多分そのとき奴らの中で奴らは超男。 「おれ、まじで漢!」って感じで歌い上げている。 いとおしいじゃないかぁ。 いい曲だあ。 父ちゃんの墓前でって所に本気さを感じるね。
2009年の9曲 2.Battles -Atlas
このプレイヤーから聞く方が、youtubeよりも音質がいいので、もしお時間がございましたら流してみてください。 全部、すっごい良い曲だから! 間違えなく素晴らしい楽曲。 でも良いライブの映像とかは下でyoutubeでも載せるね。 良かったら見てみて。
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2.Battles -Atlas
ブルックリンのバンド、バトルズの名曲。 これもよく聞いた。
最初音質の人工的な響きが好きになれなくて、もっと重厚であったりテクスチャーのある音を出せば良いのにと思って拒否。 でも途中からこの人達は正直に、使っている機材の音を祝福しているのだと思い直して恋に落ちた。 2007年発売のアルバムに今更恋に落ちる。 私、本当に感性が鈍いというか、ださいというか、結構物事をアプリシエイトするまでに時間がかかる。
今ウェリントンで結構大きな草間彌生の回顧展をやっている。 それを見にこの間行ってきた。 友達と彼女の鏡面張りのインスタレーションの中で、この曲を合唱してきた。 ほかの観客も歌っていた。 気分はbattles。 とても楽しかった。 その展覧会の写真が彼女の公式サイトにアップされていたので、興味のある方はどうぞ見てみてください。 弥生ちゃん天才だから! 天才だから見飽きない!! 美術館そのものの外壁も全部ドットで包まれていてすごかった。 町の風景がちょっと歪んでいたよ。

Battlesは結構雄弁というか、考えていることをぺらぺら正直にいうバンドだと思う。 コンセプトであったり、作曲方法など技術的なことをよく話しているのを聞く。 同時に道徳的なこととか人生観とかを言わないとこにも好感。 「これは反復する音をどう構築し合うかが主題で挑戦なんだ」とか「主題をいかにダイレクトに届けるかを気にしている」ってタイプのことを聞くと、音楽もデザインも方法とか技術は勿論違うけど、大まかな挑戦は似ているんだなあと思えて興味がわく。
2009-12-22
ピンクのタイツ
彼女の新しいボーイフレンドの話を聞く。 とても素敵そうな人。 写真を見せてもらったら、超長身のフランス人男性が女物のピンクのタイツと白いキャミソールを着て飛び跳ねているお姿がそこに。 「面白そうな人。 面白いのが一番よね。」と返す。 この女、ついに運命の男に出会ったなと思った。 お似合い。
私のボーイフレンドの話しをする。 両耳の穴にネギの根っ子を突っ込んで微笑んでいる写真しか持っておらず、別にまあそれもありかと思ってみせる。 「あらっ、ネギ…??」とつぶやいた後「優しそう。 うん、優しい人が一番よ。 彼、優しいでしょ?」と詰め寄られる。 あっはっは。 誉められる所はそれだけか。 しょうがないか、ネギだし。
ひたすら自分のボーイフレンドを讃える会を続ける。 こういう会話は相手を選ぶ。 でも彼女は揺るぎなく「私の男の子が世界一」って思っているタイプの子なので、こっちがどれだけ自慢を仕様がのろけようがおかまいなしで素晴らしい。 しかも男の子を誉めたり、ほれぼれとしたりするポイントが一緒なので、2人で「きゅん!!」ってなりながら話す。
それにしてもいつまでたってもこの女性はインスピレーショナルで、お洒落で、美しい。 そして滅茶苦茶かっこいい。 イイオンナだなあと思いながら、彼女のピンクのタイツを履いたハイパーな男の子ののろけ話しを聞く。
そういえばさ私のボーイフレンドも私の服を着て、ポーズを決めるのがすごい好きなんだけど、これって普通の事?? たまに私のマークジェイコブスのワンピースとか着て、鏡の前でぼけーっと自分の姿を惚けた様子で眺めているんだけど…、みんなそんなんだよね?
2009-12-21
日本初日
2009-12-20
美味しいご飯

おこぼれを狙う我が犬。 彼女は私に全く興味がない。 私は彼女に興味津々なのに。 つれないのね。
飛行機の中でジュリア&ジュリーを見た。 料理を中心として話しが構成されている映画。 「この映画は父は絶対好きだなあ」と思いながら見ていた。 家についてから、実際家にその映画の中心的題材になっているフランス料理の本と、映画の原作があって笑えた。 このレシピ本はお土産でお父さんに買おうかなあと思いながらも、「持ってそうだよな」と思い躊躇したもの。 そしたら本当に持っていた。 私とお父さんはこういう事ですごく分かり合えている気がする。
連れ合いに「特にご飯の写真を撮ってきて」と言われていたので、何枚か写真におさめる。 私たちは一緒に住んでいる間外食を本当に数える程度にしかしなかった。 それ以外は全部自炊。 一回作ったレシピは二度と使わないっていうルールで料理をしていたので毎回違うものを料理した。 毎日おいしいご飯だった。 勿論お土産のリクエストは日本料理のレシピを頼まれている。 食べるの、大好き。
今日はこれからケイスケと海辺でデート。 こういうとき瑞穂がいないのが寂しい。 多分、またちょっと美味しいものを食べる。 瑞穂の分も食べるよ!
2009-12-17
仕事について
否定はしないが、生産的な場となることを願う
連載を始めた時は、それでもいくばくかの希望的な観測を持っていたし、最初に書いたように、紙のメディアではなく、せっかくこうした場をいただけるなら、むしろネット上での議論は可能か?を見届けたいというのが大きな動機だった。
筆者よりも上の世代は、ほとんどネットに直接的にかかわろうとはしない。石山修武や難波和彦らの日記のように、一方的な情報発信はあっても、インタラク ティブな介入を積極的に試みているのは、福島の元建築家、佐藤敏宏ぐらいだろう。筆者はものを書き始めて、途中からネットの世界が大きくなり、片足を突っ 込みながら、日記、mixi、twitterなど、どのようなかかわり方があり得るかを模索している。おそらく、さらに下の世代は学生の時から洗礼を受 け、もっと本格的に付き合い方を考えていくことになるのだろう。
-中略-
今回の連載では、筆者も匿名のコメントは無視すると述べたが、それでも真面目な議論を横からつつく書き込みを見て、いたたまれなくなった。すべてがそうだとは言わないが、筆者が見る限り、匿名のコメントの方がクオリティは低い。クリエーティブな意見も少ない傾向にある。また議論への意志よりも、悪意に基づくものが散見される。言うまでもないが、匿名はその発言に責任を取る必要がない。だから、言葉に緊張感もないし、思ったまま、悪口も書けるし、言 いたい放題ができる。書き逃げも簡単だ。筆者の信条では、これも言説の自由だから否定はしない。だが、そうしたものに答えないのも自由だ。義務もない。 もっとも、匿名と非匿名が同じ場を共有すると、結局、悪貨は良貨を駆逐してしまう。心ある人は去っていく。
あり余る時間があれば、匿名の書き込みへの応答を考えたかもしれないが、ほかに実りあるやりたいことをいっぱい抱えているなかで、その選択肢はない。あるいは、もっとこちら側に応答するスキルが必要なのかもしれないが、それは不足していた。
とはいえ、この連載は、2009年における失敗の記録としてやった意義はあったと思う。前に踏み出して、試みなければ、成功も失敗もない。そして 匿名者は、個人に帰属する成功も失敗もない。ともあれ、失敗という結果を出したということで、連載の役目は果たした。もっとも、筆者の手には負えなかった が、匿名の議論は不可能、であると、断定するつもりはない。筆者よりも下の世代が、匿名のコメントも巻き込んで想像もしなかったような生産的な場をつくる ことを期待している。もしくは将来、ネットにおける議論の場が成熟すれば、匿名でも読むに堪え得る言説が生まれるかもしれない。
いつか訪れるかもしれない「遠い夜明け」を夢みながら、筆を置く。
仕事柄いろんな国の人達と商売をする。 その際コミュニケーションの質が結構重要なものになる。
クリスマス食
っが、良い人だろうが大好きな連れ合いの親だろうが、面白いか面白くないかってなると話は別だ。 そう、往々にして良い人は大抵退屈。 愛情深い良い人達は、それ故に若干つまらないのだ。 もうこれ宇宙の真理。 ってことで結構何かに誘われてものらりくらりとかわしていた。 本当に良い人達でそこのところはノーダウトなんだけど、なーんか一緒に過ごすと自分の中の何かが飽きるので。 でもそんな自分に酷いなあと呆れ、対策を一応考えた。 もしかしたらこれから長い付き合いになるかもしれない相手だし、得ていて損するスキルじゃない。
ってことでこれが一年かけて実行した対策。
1.自分にも相手にも急激な変化は望まない
大抵失敗するしリバウンドがあるから。 コンクルージョンに飛びつかず、淡々と構える。
2.だんだんと自分の性格も良くし、相手の牧歌的世界感に適応する
笑えるとか、刺激的だとかっての意外の価値観を知る。
3.相手にも努力してもらう
相手の方が長く生きている訳だし、私よりも良いアイディアを思い浮かんでくれるだろう。
4.全く何も演技しない/自分の親に対してと同じ位に素直に接する
ぶりっ子をしてまで好かれたい相手じゃないし、もし演技している面が好かれても長期的に考えていい事が無いので。 これは会社の上司との違いだね。
3.にある相手側の努力は「食事で釣れ」だ。 お酒が入ると神経質な所が取れて、若干気楽で楽しい人になる私の特性をよく見抜いた選択だと思う。 飲みながら食事ってのがお互いの妥協点だと相手側が悟ったようだ。 実際その通り。 ってことで最近は外食+お酒ってパターンが多い。
そして驚くべき事に昨日の食事はすごい楽しかった。 お互いに対して若干働きかけた結果が見えた気がするよ。 達成感!!
彼からすると、大好きな両親と弟妹と恋人とご飯を食べれる訳だからとても幸せそうだった。 良かった良かった。
メリークリスマス!!
2009-12-15
2009年の9曲 1.Wolf Parade -I'll Believe In Anything
このプレイヤーから聞く方が、youtubeよりも音質がいいので、もしお時間がございましたら流してみてください。 全部、すっごい良い曲だから! 間違えなく素晴らしい楽曲。 でも良いライブの映像とかは下でyoutubeでも載せるね。 良かったら見てみて。
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1.Wolf Parade -I'll Believe In Anything
2005年に出たアルバムからの曲で、その頃からずっと聴いていた曲。 特に去年の年末から今年にかけて一日に何回も何回も聞いていた。 こんなにぱっきりと最近の自分の感じとシンクロしている音楽はないと思った。 4年間かけて自分の中で育った。
2004年らへんの頃、現代美術でだと、
-チラチラとオプティカルな物
-内側から発光するもの
-外からの光を吸収したり受け流したりできるように透明感のある物
-小さな構成要素がランダムに、しかし建設的に積み重なっている物
-仮設的な物
-断片的な物
-終わりと始まりの無い物
などが美しいと思っていた。
その頃の美術は、ポストモダンアートについてのマター、脱構築されたフェミニズムについてのマター、未成年の感性についてのマターとかが多く語られていた。 それら関心の対象を直接的にかなりナラティブな形に落とし込んで話すか、それとも形や配置により生ずるアレゴリーによってアクトするかの違いが際立っていて、とても面白い時期だった。
私は、言葉よりも形で世界を理解したいと思う方なのだと思う。 言葉抜きで物事が理解できるかという突っ込みがあるのは分かるけど、私は近代美術の父であるセザンヌの「世界は円柱・円錐・球によって構成されている」ってのを素直にプリンシパルとしている。 私が何かとふれあう時に、まず最初に関わる側面は形だ。
だからだろう、オロツコやフリードマン達が行った彫刻の復権が美術の潮流に大きく混ざり込んだ2000年代初期の現代美術は私にとって非常に、生々しくエンゲージできるものだった。
私にとって、形は最も優れた表現者で、アイディアをアクトし、コミュニケートしてくる。 私は反応せずにはいられない。
音楽も立体的な形を音で作っているっていう意味で彫刻的なものだなあと最近思う。 私は唄とか歌詞よりも、どうやって音が組重なっているか、いつ音がなっていつ音が鳴らないかってのが気になる。 そして音や構成がよってどうやって動くかも興味がある。 対立がどうやって壊れるか、どこに静寂があるのか、どこに次に繋がる空間の隙間があるのか…。 音の形とか立体感とか、音によって作られる空間性とかにぞくぞくする。
実際、なんか頭の中に、体感的には"目の前に"、色や形が見えるんだ。 始めてこの曲を聞いたときはスピーカーから何千匹もオオカミが飛び出してくるのが見えた。 結構そのものズバリ蔡國強の作品みたいだった。(多分どっかでバンドの名前がオオカミに関係しているってのを無意識で知ってたんだと思う。 安心して、私超能力者とかじゃないから。) 馬鹿みたいなコメントだけど、生まれて始めてこんなに沢山オオカミが飛び出してくるのを感じた。 それはそれは見事な構成だった。



話は戻って、私が04年頃に好きだった要素は勿論時間が断つにつれてちょっとづつ変わっていった。 ある程度成熟や、暴力性、若干の虚脱感や無力感、そして切り詰めがおこった。 20代前半は思っていた以上にタフだった! 村上春樹が昔「20代前半は不安だったし大変だった。 二度と戻りたくない」的な事を言っていた意味が分かったよ。 大人って簡単にはなれないんだなと実感。 多分音楽って救済なんだろう。 もろにそれに対する解決を音に求めた。
その自分の変化と上手くかみ合って、昔と今をばっちりとつなげたのが、Wolf Paradeがやっていた音楽(特にライブでのパフォーマンス)なんだろうなと思う。
チラチラはザラザラというオプに変わった。 内側からの発光はより強くなった。 透明感の密度には決して明けない真夜中の弾力が加わった。 小さな構成要素は最低限以外は勝手に誰かに捨てられた。 仮設的な物はただ壊れた。 始まりは無かったけど、見事に終った。
ちょっと悲観的なんだけど、「この音楽が好き!」って感動したり喜んだりできる位、実際のところはすっごい楽観的で生命力に溢れている。
2009-12-14
音楽
今年の始め、私はかなりふてくされていた。
2009-12-13
クリスマス イン ザ パーク
そこに35万人集まって、クリスマスを祝う。 世界で一番大きな規模のクリスマスパーティーらしい。 基本的に小さな子供がいる家族向けの野音って感じのイベント。 ライブでいっぱい音楽やって、最後に打ち上げ花火があってって感じ。
こっちは本当に陽気な、夏のクリスマス。 みんなタンクトップに短パン、ビーチサンダルで夏の夜の野外パーティーを楽しむ。 35万人中半分ぐらいは子供。 こんなに大量の子供を一気に公園で見た事が無いのでくらくらする。 子どもたち、踊り狂ってたよ。 子どもたちがマジでロックしている姿が微笑ましい、そんなイベント。




ちなみにこのパーティーのスポンサーは写真からも分かるようにコカコーラ。 ちなみにこの写真もコーラが作ったオフィシャルサイトから拝借。 見事にいつでもちゃんと御社のロゴが画面に収まっている所に技を感じるよ。 三十秒に一回ぐらい、その社名がなんだかの形で言われてた。 屋台もコーラのが多い。
今私達がこういう姿だと思っているサンタって、コカコーラの広告からだっていうじゃん。 実際はコーラの広告でサンタのイメージが描かれる前にも、結構赤い服を着た小太りなおっさんって形で表現されていたらしいんだけど、ここまで普及したのはコーラの広告かららしい。 結構コーラ=サンタ。 なのでこの巨大なパーティーのオーガナイザーがコークなのも、その歴史をふまえると実に納得。 もー、サンタもコーラも、会場も真っ赤。 ドメインは、真っ赤で白いしゅわしゅわした感じがあふれている、コーラとサンタ色に染まり上がっていた。 圧巻。
最後に大音量でマイケルジャクソンが流れて、どでかい打ち上げ花火がガンガンあがった。 やっぱ今年はマイケルなのねと感慨深く聞く。 夏の夜の公園で、打ち上げ花火とともに大音量で流れる音楽としては最強だと思う。 気持ちよさとか、盛り上がりかたとか半端じゃない。 マイケルはパーティー音楽が良い。 大音量で気持ちよく聞くに越した事が無いと実感。 彼の楽曲には陰鬱な面が強いセンチメンタルな好かれかたもされやすい音楽も多いけど、私はそういう作品よりもグルーブたっぷりのパーティー音楽の方が好きだ。 そこから彼の天才を感じる。 なんか、その流れてきたら踊りだしたくなるっていう単純さを忘れたくない。
最高に大きくて綺麗な打ち上げ花火と共に聞く、Don't Stop 'Til You Get Enoughとかもう完全にゴージャス。 可能な限り大音量で、どんな音楽よりもずっとずっと音量上げて聞いてみて。 「すっげー!」ってなるから! マイケルの踊りを誉める人は多いし、実際すごいなって思うけど、私はそれよりもマイケルの音楽を聞いて、すっげー楽しそうに踊りだすみんなに感動する。 上手く言えないけど、彼もすごいけど、彼に反応する人達の、心の中の何かに結構感動するんだよね。 ちょっと野性的な感じするじゃん。
とりあえず、メリークリスマス!!






