2011-08-03

のらいぬ狂想曲

日本の大学時代の友達に近況を伝えるようにとはじめたこのブログも気がつけば、6年目に入りました。 こっちの大学を出て、働き始めてから三年目。 日本の大学を辞めてから7年目。 日本の友達とは一緒にいた時間よりも、離れていた時間の方がとても長くなっちゃったね! 考えてみたら、ブログの初期に出てきていた友達で、日本に残っている子って結構少なくなっちゃったし、こっちの友達も今ほとんどNZにいない。 ばらばらになっていくものなのだなぁ。

日本の大学時代につけていたブログとか、このブログでも大学生の頃のを読むと、その元気さに我ながら驚きます。 私、元気な子だったのね…! ブログ読んでて気づいた。 書いている事の内容もほとんど忘れてたし、今は全くこんな考え方しないし、そもそもこんなに元気じゃないし。 「オーイエー!」とか書いてるもん。 むりむり、そんな言葉最近口にすら出せてない。 どんな身体感覚だったんだろう。 6年経てば人間結構別人だ!

このブログは「のばらいろのひび まさに夢のガリバー旅行記」と銘打って続けてきたんだけど、確かに以前は、毎日が「夢のガリバー旅行記」だった。 自分自身と世界との比が、小さくなったり大きくなったり、日々ぐにょんぐにょんしていた。 広がったり、狭まったり、急に大きくなったり、小さくなったり。 最近はそういう感覚なくなっちゃった。(でもいつかもどってくると良いな)

最近は、妙にのらいぬ感覚が強い。 日本のエッセイで、負け犬の遠吠えってあるじゃん。 あれのね、負け犬でも、勝ち犬でもなくて、その戦いのリーグ上にすらたっていない犬って感覚があるのよ。

特に震災以降この感覚は強くなった。 私は日本にいないから、多分この震災を全く違う形で経験しているのだと思うの。 奈良美智さんが、twitterで"最近になって、あの地震のあった停電の夜、目に見えない放射能におびえた時間をリアルに体が思い出したりする。自分も被災しているのだという意識。いや、日本という国自体、そこに住む人々みんなが被災したのだ。"って書いていたのを読んで、特にそう思った。 

私は、情報としてはその時、多くの人達が停電の中にいた事は知っていたけど、多分、聞き流していたんだと思う。 情報としては知っていた。 でも感覚としては掴んでいなかった。 奈良さんの文章には、すごくはっとさせられた。

震災があった日、私は震災直後からベッドに座ってこうこうと光る電気の下で、インターネットを使ってlive映像をCNNやBBCやNHKで見ていたんだ。 日本の家族とは連絡がとれなくてすごく不安だった。 大学時代からの友達が横にいてくれて、二人で「意味が分からない…、頭が全くこの情報に追いつかない」と言いながら、ずっと日本に関するメディア情報を見ていた。

どこかで日本の人も、そうやっていたのではないかと思ってしまっていたのだろう。

「ただただ激しい津波と震災の映像、原子力発電所の爆発がどこかランダムな所でおこっていて、たまたま日本の人達も全員それを見ている、怖がっている」という感覚的な勘違いを私はしていた。 全く違うのだ。 日本の人達はその映像の中にいたのだ。 いや、分かっていたし、痛いほどそれも感じていたけど、それでもどこかでは感じきっていなかったのだろう。 

もし私がその時日本にいたら、今の私とは全く違う経験をしただろう。 何よりも「私にはその時の私がどう感じたか、何をしたか、全く想像もつかない」と思ったとき、"現実の私"と、"日本の想像上の私"は全くの別人になった。 これまでは結構ある程度は「今日本にいたら」ってのの想像がついた。 今回の事に関して言えば、自分が一体どんな反応をしたかすら想像がつかない。 この感覚を日本での生活に関して持ったのは産まれて初めてで、初めて日本から切り離された感じがした。

切り離されている感覚は日常的に結構ある。 オークランドは多民族都市だ。 隣の人とカルチュアルバックグラウンドが全く違うってのいうのが日常。 「例えば私がこの家で産まれたら」ってのの、一日分も想像がつかない場合が多い。 一日の生活パターンも、家族感も、国家感も、興味も、宗教も、大概なーんにもわからない。 彼らが家で何語を話しているのかすら知らない事が多い。 文化的に彼らが大抵何歳で成人して、何歳で結婚するかなんかも全然わかんない。 個別のケースは結構知ってるけど、それがどれぐらいの普遍性があることなのかすらわからない。 要するに、想像つかない。

最近そういう感覚がすごく強い。 「周りの人の一日の生活が想像がつかない、自分がその立場だったらってのの想像もつかない」っていう事が多い。 それでも仕事とかでは一緒に働けるし、「社会のルール」は共有出来ているけど、プライベートの共有での共有できていない感はすごく強い。 それで、「ああ、のらいぬだ」と思うようになってきた。 たまたま、環境的に、時期的に、私は著しく、自分と共感し合ったり、「ああ、それね」って感覚で人と話す機会に恵まれていない。 しかも私対、他のグループではなくて、私対数えきれないぐらい沢山のグループに別れている。

新しい環境の内部に入れば、ガリバー旅行記になる。 今は私は入っていない。 入っていないなりに楽しもうと、のらいぬ狂想曲を始める事にした。 合い言葉は、「一応、くんくん匂いはかいでおけ!」

2 comments:

haricot-rouge said...

これからも読むの楽しみにしてるよー;)

Anna said...

ありがとー! 続けるよー!