2011-07-16

映画祭

木曜日から毎年恒例の映画祭が始まった。 私は金曜日から参加。 私の一本目は、日本映画の「十三人の刺客」だった。 本当はイラン映画のA Separationかアメリカ映画のPage One- New York Timesが見たかったんだけど、夕食後のちょうどいい時間に公開される映画だったため、チケットが取れず…。 ってことで9時30分から公開の上、見る人を選ぶのでチケットがまだ買えた「十三人の刺客」を見てきた。







映画祭二日目金曜日(多くの人にとっての映画祭初日)だったし、三池監督の作品だっただけあり、開場の際にはかなり満員になっていた。 

移民国家にとっての映画祭は"上野駅"でもある。 "ふるさとの訛りなつかし停車場の人込みの中に そを聞きに行く"ってノリで、かなりの量のその映画が作られた国出身の人達が見に来る。 今回も日本の方々が沢山来ていた。 私も一、二本はいつも日本映画を見る。 私の席の後ろに座った人達は関西弁を話す30〜40代の三人組で、かなり面白かった。 映画本編が始まって数分経つまでひたすら大声の関西弁で話していた。 「東映だ!」とか、「なんとかだ!」って目の前に写る情報をひたすら読み上げいてた。 さすが…。 関西の人達のなんでも音読し続ける能力にはいつも感心させられます。 

最近は以前より簡単に祖国の音声や映像に触れられるので、以前程の切実さはないけれども、それでも映画祭の大きな役割の一つは、数時間だけでも移民達を祖国にワープさせる為にあるんとだと思う。 たとえそれが暴力満載チャンバラ映画でも、日本語で、日本が写ってるならオールオーケー!

「十三人の刺客」は「ヒロシマナガサキから100年前」というテロップから始まり、はじめのシーンは腹切りというサービス感がたまらなく、そして復讐と反逆と正義を貫く上に分かりやすいキチガイがいっぱいいる、とても観客にフレンドリーな良い映画だった。

映画の中に出てくる美しい日本の自然に、「この映画撮ったときは放射能だだもれじゃなかったんだよなぁ…」とか、「ヒロシマナガサキから100年前」というテロップに、「今撮ったら、フクシマからに変わるんだろうか…」などと、悶々とした気持ちにさせられながら映画を見た。 勿論ストーリーラインは普遍的な「上が徹底的に馬鹿で無能。 下がなきゃ上は存在しないんだから、下から上を変える。」という、見る側に「あぁ、あのときもこうしてりゃぁ、今みたいな事にはならなかったのに、くそぉーー!」とさせるもの。 わざわざはじめに、ヒロシマナガサキと出しているぐらいだから、これが先の戦争の鬱憤ばらし、義憤の表現であることは分かる。 そして人類の作り出すミステイクの根本的なバリエーションなんてそんなにないから、勿論今回の震災後の状況にもかなり重なる。 見ながら気持ちがぐらぐらと煮詰まる。 こういったシンプルなストーリーラインはエンゲージしやすいので面白い。 映画が終わった時点で大拍手が会場からおこった。 私も映画を見ながらかなりの絶頂感を味わった。

映画祭一本目の滑り出しは上々。 今晩も一本は見たいぞ。 ワクワク!

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