2011-07-12

2年半遅れ

私はあんまり音楽の偉大さに対して感度の良いアンテナを持っていないようだ。

大抵その年に素晴らしいと言われたアルバムは、その場ではよさがそこまで分からず、二年ぐらいたってから「こいつはすごい!なんて美しいのだ!」となる。 最近ではその事が十分分かっているから、新しいアルバムを聞く度に「二年半ぐらいたったら、しびれるんだろうなぁ」と暢気に思うようになってきた。

この鈍さの原因の一つは、単純に小さいときに音楽にそんなに触れていなかったからだと思う。(これに関しては親を責める!)

そしてそれと同時にどうやら私が何かを喜ぶ為には若干のノスタルジアが必要なのかもしれないと思い始めてきた。 元々、「ああ懐かしい!あの夏は美しかった。」とか「ああ、あのときのあの感じは非常によかった」と過去を懐かしむ癖がある。 多分、ある新しい空気感を美しかったと思い始めて、その質感が自分の美しさのライブラリーに入るまでに結構時間がかかるのだ。

そういう意味で私は現代美術が好きだ。 現代美術と言いつつも、大抵の現代美術は明日の事は話さない。 昨日の事を話す。 表現が新しかったり、アプローチが新しくても、題材は若干前の話しだ。 その時間の流れは私にはとてもあっている。 勿論、明日の話しをするんだっていう作品があっても良いと思うし、きっとあるとは思うんだけど、基本的に現代美術は美術は過去の話しをしているように思える。 だから今年の作品であっても、「おおー!わかる、この感じはわかる!」と自分の中にある感受性のライブラリーにかなりの頻度で引っかかる。

それにひきかえ、音楽ってのは、やけに明日の話しをしている。 明日のパーティーでかける為の音楽ばっかりが生み出される。 この奇妙なほどの前向きさは音楽独特のものだよなと私は思う。 一体全体それはどうやって作られているのか私にはわからないけれども、感心させられずにはいられない。 この前向きさは「流行に乗っている」って次元にすら収まっていない。 一部の人類は本当にすごい。

ってことで、そろそろ私は二年半前に出たAnimal CollectiveのMerriweather Post Pavilionなんて聞いたら、涙ちょちょぎれなんじゃないかと思い、今日久しぶりに聞いてみた。 案の定発売当初は「いいね!」って感じだったのに、今聞いたら、「なんて美しいのだ!」に変わっていた。 しみいる、しみいる。 ビデオも最強。





そんな事を友達に話したら、「いや、音楽も結構はじめからノスタルジックだよ。単純にアンナがそのクルーの中にいないから、ノスタルジーを感じないだけで」としれっと言われた。 あはは、そうなのかもね。 だとしたら非常に残念。 でもなんだかそれも本当な気がする。 まあ、しょうがないか!

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