2010-05-19

てんきぐるんぐるん

オークランドのお天気がユニークなシチュエーションだったそうで、昨日は空がすごかった。





一旦土砂降りがあって、雲がジャングル大帝状態。 非常に力強い感じになっていた。 美しかった。





そして至る所に虹が出ていた。 上の写真は虹の右側。





こっちは左側。 二重の虹になっているの分かる?





そして正面を向くとこんな感じ。 フォトショップ無しでこの色。 本当に世界がこの色だったの。 一枚目の写真から15分ぐらい経った時の景色。 以下の写真は同じ場所からぐるっと写真をとったやつ。 360°色が全然違った。











こういう景色を見ながら暮している。 まさに景色。 色の祭典。

2010-05-18










週末は田舎で過ごした。 夕方の滝でぱしゃぱしゃ。

2010-05-10

模様が沢山

piha from annapandatiger on Vimeo.



私が海が好きな理由の一つは、コンスタントに、沢山の模様や質感が見えるからだと思う。 合理的で、流動的で、滑らかな模様の連続。

 友達がオークランドに来てくれている。 彼は、ふるいふるい友達。 彼がいるだけで日々の喜びや質が向上する。 友達は、友達の大切さを教えてくれる。




 秋の海に一緒に行った。 天気はそこまで良くなかったけど、雲が素晴らしかった。 たまには曇りも悪くない。 海や、濡れた浜に反射する雲の景色が世界を豊かにしていた。




 大切な友達は一緒にいると、沢山の景色に巡り会わせてくれる。 これには子供のころから驚いていた。 好きな人達と一緒に見ると、どうしてこうも景色は切なくも、美しくて壮絶なんだろう。

 大学時代の大切な友達の一人と、卒業して一年後にウェリントンで夜中にドライブをした。 海に反射する街の明かりや、黒くぬめぬめと光る海を見て、忘れたくないという思いで胸がいっぱいになった。 「ウェリントンは本当に美しい街だ」と彼に言ったら、「僕たちが努力をして、いっぱいいい景色をいつも探していたから、忘れたくない事でいっぱいなんだよ」と言われた。 確かに私達は、かなりの時間と情熱を使い、景色を見つめた。

 その事を今オークランドに来てくれている友達に言ったら、「彼らしい発言だね」と笑っていた。 実際、彼と一緒にいた時、景色はいつも素晴らしかった。 そして公平に考えて、多くの場合、それは彼が努力をして見つけてくれた風景だった。 「あの子といるといい側面を沢山見る事ができるよね」と言い合う。 そして、勿論、今来てくれている友達ともそう。 いい景色が視界に、胸に、溢れる。

2010-05-03

週末

 週末はボーイフレンドの実家で過ごした。 大自然の中で音楽を聞いたり、海辺をドライブしたり。 平日を都心で過ごし、週末をカルティベイトされていない所で過ごすっていうライフスタイルはとても贅沢。 贅沢すぎて、まだ私にはもったいない、気もするけど。

 今回はじめて行った海辺は素晴らしかった。 ニュージーランドは、今更私が言わなくても良い事だとは思うけど、確かに自然環境が濃密で、力強い。 限りなく美に近い。 そして、例えば車で二十分ぐらいの距離でも、がらりと風景や、そこの生態系が変わる。 地球の地理の色んな側面を見る事ができる。

 カメラを持っていけば良かったなあと終止後悔。 私の場合、人に見せる為にカメラで写真を撮る。 なのでもし写真に収めずに、自分の胸だけに納めると、非常にプライベートな気分になれる。 私のためだけの経験。 私のためだけの記憶。 それはそれで幸せな事だ。

 夜、ボーイフレンドの実家のファミリーフレンドが集まったパーティーがあった。 こっちの人達は家族ぐるみの友達付き合いが多い。 親同士も、子供同士も仲が良い。 そして連携して子育てをする。
 
 伝統的な意味では21歳がこちらでの成人となる。 近年はいろいろな権利が18歳ぐらいから与えられるので、実際は21になる前に成人としての行動を取るようになるんだけど、伝統的に21歳の誕生日はものすごいお祝いをする。

 今回のパーティーはファミリーフレンドの息子の21歳の誕生日会だった。 彼を幼いときから知っている色んな家族が集まってお祝いをした。 大学やらの友達同士のワイルドで派手なパーティーは御本人が勝手にやったので、今回は親たちが企画したある程度落ち着いた祝祭だった。

 その子の家は離婚をしていて、もう具体的な家が無いので、連れ合いの実家が会場となった。 離婚をしていても、ペアレンティングは終わらない。 母親父親で協力して、その子が産まれた時からの様々な記録が家中に展示されていた。 写真や、彼が書いた絵、書いた文章等々。 一年近くかけて準備したんだって。

 ものすごいごちそうが用意してあって、みんなで和気藹々と食べる。 そして食事が終わった後で、両親がスピーチをした。 とても感動的だった。 女親男親関係なく、その場にいた親たちは皆泣いていた。 私もつられて少しほろり。 21歳になった子のスピーチも可愛かった。 "I made it!"(俺、達成した!)と言っていた。 「そうだ、そうだ、一つの達成だ」と思いながら聞いた。

 私はニュージーランドに8年以上住んでいるけど、いまだにカルチャーショックがある。 例えば、男親女親両方が、自分の子供を中心とした友達関係を持っている事。 こっちの人達は自然と、同い年ぐらいの子供を持っている気の会う親同士で友情を育み、一緒に協力しながら子育てをする。 色んな家族が協力し合いながら子供を育てあうのは、私にはなんだか物珍しく見える。 三、四家族が集まれば、途中で離婚をする夫婦や、障害がある子や、なんだかと手のかかる子もいる。 お互いが友情ベースにサポートし合っている。

 例えば日本は、自分の子供の友達の誕生日パーティーに男親が参加しないんじゃないかなとか、ましてやそこで、他人の子供が成人したって事で感涙したりはしないんじゃないかなと思った。 色んな父親が、その場で感涙していた理由は、単純に誕生日になった子を、本当に小さいときから知っていて、いっぱい一緒に遊んできたからだろう。 

 所変われば色んな家族や、コミュニティーの形態があるなと、つくづく思わさせられた。

 でも、まあ、そういえば私の親も実際の所は私の友達に協力的だし、献身的なところがある。 日本に留学していた私の友達が、夜中に"私、今困ってますねんコール"をするのは、私にではなくて私の父にだった。 そして平日の夜中に車をかっ飛ばして、サポートしにいってあげたりとかしていた。 だから、あれだね、表現とかやり方が違うだけで、親って大概寛容だし、人に何かを差し出す事を最も喜びとする人種だよね。 

 そういう事を思い出したら、ママとダディーに対して、どかんと愛情が湧いた。 あー、もうすぐ母の日だ。 私が宇宙で一番好きな女性を祝福する日だ! いつでも、どんな家族の話しを聞いたり見たりしても、結局「私のママが最高だし最強」って結論にたどり着く。 Unconditioned love だわ。 まさに、ラブ。

2010-04-29

のまれちゃってた

 最近は自分の先の事ばっかりに、気持ちがのまれちゃっていた。 結構疲れた。

 あーでもない、こーでもない、これが欲しい、これが欲し くない、あれがしたい、これがしたいってのに、どっぷり浸かってみて、自分の業の毒っけにやられた。 最終的にはばかばかしくなってしまった。

  最近日本、外国っていうのをよく考えた。

 過去のブログを読んでいると、学生の頃は日本やニュージーランド、イギリスっていう特定の地域 の事を、区切って書いたりしていない。 自分の移動に対する体感が、とてもシームレスだったから。 はっきりとした境目は持っていなかった。 

  働き始めてから急に、ジェレライゼーションが激しくなった。 君は、山本七平にでもなりたいのかいってぐらいの日本語り、外国語り。

 働き始めると、税金も今まで以上にたっぷり払うし、急にぐっと広い年齢の、色んな人達と出会う。 だから嫌でも社会性みたいなのは芽生えるんだと思う。 
 
  大人は裏方だ。 子供たちの為に必死に良い社会をつくろうとする。 子供のうちは、その大人の努力に気がつかない。 働く事の意味や、具体的な動労のイメージは、裏方になって、働きださないと掴めない。

 特に私の場合は親が働いている国以外で働いているから、特にロールモデルが乏しかったんだと思う。

 それでニュージーランドの事を今までの視線と違う風に理解すればする程に、日本と比べたくなったんだと思う。 私の持っていた「働くってこういう事だろう」っていう感覚は、現実の自分が体験している事とすごく違っていて、それに驚いて、「日本と海外」っていう枠組みでその ショックを表現しようとした。

 また時期的に私は、将来どこに住みたいのかっていうのを調査していた。 色んな国の法制度や、社会の成り立ち方を読んでいたから、それでやけに‘選択者目線’になったんだと思う。
 
 私の周りにはコスモポリタンな人達が多かった。 大抵の子は何個か永住権や国籍を持っていたし、色んな言語を話した。 私も、親がそういう環境を与えてくれた。 子供は親に与えられて、初めてそういう暮らしが出来る。 私達が当たり前に思っていた事は全部親達にお膳立てしてもらって初めて成立する事だった。

 当たり前の話、大人になったらそれを自前で調達しなくちゃいけない。 そして、大人になってから、大人の自分に、そういうチャンスを与えるのって思いのほか難しい。 ビザとるのとか、本当に努力がいる。 「フランス料理にするか、イタリア料理にするか」とかってノリで選択できるものじゃない。

 それに家族は年を取るし、自分 も新しい家族を始めるような年齢になる。 もし自分が新しい家族を始めるのなら、今度は相手の家族もケアの対象に入ってくる。

 若いうちの武者修行は色んな所でやってみたいのだと思いつつも、同時に家族との時間も恋しい。

 そういうの悶々と考えるうちに、結構のまれてし まっていた。 でもだんだんと浮き上がってもきた。

2010-04-28

日記らしい日記

 友達が日記らしい日記をブログに書いていて、なんかそれが素敵なので私もやってみる。

 今朝は、昨日の夜焼いておいたミルクパンを食べた。 あんまり健康的じゃない感じのパン。 真っ白の小麦粉に、白いお砂糖を入れて、焼いたやつ。 冬なので二次発酵が難しい。 昨日は、ベッドの中に湯たんぽと一緒に入れて発酵させた。 そうしたら、ものすごーく上手くいった。 これまでの短い(けれども失敗の多い)パン作りの中での最高傑作。 フワフワで美味しかった。

朝ご飯のメニューは以下の通り。
  •  牛乳と、ペルーシュのブラウンシュガーを入れたアールグレー
  •  バニラ味のヨーグルト
  •  ゴールデンキーウィフルーツ
  •  パンと蜜柑のマーマレードと、梅のジャム
朝ご飯を食卓で人と向き合って、会話しながら食べるかどうかで一日の感じが全然変わる。 少なくとも、目が冷めるし、そして、会社につく頃には体が仕事の為に整っている。

今、職場でやっている仕事は単調作業。 これまでの会社の書類を、新しいVIのフォーマットに統一する作業。 なかなか終わらない消化仕事。 見事に頭も使わない感じ。 でも何かは学んでいるのかもしれない。 学んでいないかもしれない。 何とも言えない。

indesignでいちいち一枚一枚の書類を作るのは悪夢なので、wordでやるように切り替えたんだけど、そうしたらもっと違う次元の、そしてもっと壊滅的な悪夢に突入した感じ。 マイクロソフトの商品は人生でほとんど使った事がないんだけど、使う度に何かが枯れるのを感じる。

効率が悪すぎるのでiworkのpageを買ってもらって、作業方法を切り替える。 格段なスピードアップ。 そして、神経が若干回復する。 若干の喜びが作業に生じる。 wordとpageは質が違う。 でも、まあ、五十歩百歩で、これで徹底的に人生の質が向上したって訳じゃない。 若干、最悪が小悪になったぐらい。

とりあえずこの仕事をはやく終わらせたい。 上司も同じように、この消化作業にフラストレーションを溜めているらしく、日に日にキリキリしていく。 そしてデザイン事務所ではよくあることだと思うんだけど、ついに上司、宇宙語を話しはじめた。 相手からしたら私が宇宙人になったって事なんだろうけど、二人のコミュニケーションは見事に破綻。 お互い何の話ししてるのか全く分からないってのが続く。

お昼は夕飯の残りの酢豚と、ジャスミンライスのお弁当。 お米はジャスミンライスが一番好き。 日本のお米も好きだけど、こっちで日本の美味しさを求めても満足は得れないからあえて試さない。

連れ合いが、葡萄や蜜柑をいっぱいお弁当に入れてくれていたので、デスクで一人でもぐもぐ食べた。 なんか日光のサルになった気分だった。

ピルが使われるようになって50年経ったそうで、今週のTIMEの特集になっていたから、帰り道に買って読んだ。 ピルは私にとって、一つのすごくシンボリックな物。 日本と、私が成人したイギリスニュージーランドの差を最も感じる事の一つだから。





こっちでだとコンドームはファミリープランニングの道具だとは言われない。 コンドームは性感染症を防ぐ為の道具で、いつ自分が妊娠をするのか否かをコントロールする為のものではないと言われる。 高校でも、大学でも、病院でも、「ピルを飲んで、コンドームをつけてセックスしろ」と言われてきたし、はっきりと強く「コンドームだけを使った状態でセックスはしちゃ駄目」と言われた。 ピルは病院で処方してもらえて、費用は一ヶ月$1.00(70円)だ。 統計的にもピルを服用している女性の方が子宮などの癌にならない場合が多く長生きするらしい。 だから、セックスをしていない人でも服用している人は多い。  こっちでだとピルは本当に普通で普及されている物だ。 感覚的には、生理用ナプキン位普通なもの。

記事を読みながら、その集団のたどってきた歴史が違うからこの違いがあるのかなあと考えた。

「社会に生息する人間としてのエロス」と「ほ乳類としての生殖活動」の線引きは、地域によってすごく違う。 日本でだと自分の身体をバイオロジカルに見るのが嫌がられるし、エロスの領域がとても広い。 だからファミリープランニングの話しも陰美な感じになるし、そこには男女の秘め事っぽいオーラが漂う。 それはそれで精神性高く情緒的で良いのかもしれないけど、でもそれだけが自分の体に対して尊厳をもったり、慈しむ方法じゃない気がする。

ほ乳類なのに、超能力的な、超自然的な事を自分自身に求めすぎるのも何だよなあと悶々。 でも日本の多くの女性からしたら、同じフレーズを西洋諸国の女性に対して言うのかもしれない。 だからこれはあんまり精神論の話しじゃないなと、電車の中で一人で決着を付ける。 それに日本の女性の精神性は、他のどこの地域の女性のそれと同じように、尊くて美しい。 そこは確か。  

多分、日本でピルが人気無いのも、啓蒙されてないのも、ほとんど存在しない物扱いなのも、個々人の精神性とか神秘性の問題じゃなくて、ただ単にその社会の人がピルから得れる事柄を求めていないからかもしれない。

理想は得れた知識や経験、様々な視点などを自分の為に活かして暮す事だよな。 情緒も持ちたいし、精神性も保ちたい。 でも、それだけに溺れたり、逆に自分をただのバイオロジカルな存在として医療だけの対象にするのももったいない。

いかにそれを実行するか。

とりあえず、今連れ合いが帰ってきたので、これからパスタを作る。 初めてパスタの生地を自分で作るのでワクワクしてます!