2010-05-03

週末

 週末はボーイフレンドの実家で過ごした。 大自然の中で音楽を聞いたり、海辺をドライブしたり。 平日を都心で過ごし、週末をカルティベイトされていない所で過ごすっていうライフスタイルはとても贅沢。 贅沢すぎて、まだ私にはもったいない、気もするけど。

 今回はじめて行った海辺は素晴らしかった。 ニュージーランドは、今更私が言わなくても良い事だとは思うけど、確かに自然環境が濃密で、力強い。 限りなく美に近い。 そして、例えば車で二十分ぐらいの距離でも、がらりと風景や、そこの生態系が変わる。 地球の地理の色んな側面を見る事ができる。

 カメラを持っていけば良かったなあと終止後悔。 私の場合、人に見せる為にカメラで写真を撮る。 なのでもし写真に収めずに、自分の胸だけに納めると、非常にプライベートな気分になれる。 私のためだけの経験。 私のためだけの記憶。 それはそれで幸せな事だ。

 夜、ボーイフレンドの実家のファミリーフレンドが集まったパーティーがあった。 こっちの人達は家族ぐるみの友達付き合いが多い。 親同士も、子供同士も仲が良い。 そして連携して子育てをする。
 
 伝統的な意味では21歳がこちらでの成人となる。 近年はいろいろな権利が18歳ぐらいから与えられるので、実際は21になる前に成人としての行動を取るようになるんだけど、伝統的に21歳の誕生日はものすごいお祝いをする。

 今回のパーティーはファミリーフレンドの息子の21歳の誕生日会だった。 彼を幼いときから知っている色んな家族が集まってお祝いをした。 大学やらの友達同士のワイルドで派手なパーティーは御本人が勝手にやったので、今回は親たちが企画したある程度落ち着いた祝祭だった。

 その子の家は離婚をしていて、もう具体的な家が無いので、連れ合いの実家が会場となった。 離婚をしていても、ペアレンティングは終わらない。 母親父親で協力して、その子が産まれた時からの様々な記録が家中に展示されていた。 写真や、彼が書いた絵、書いた文章等々。 一年近くかけて準備したんだって。

 ものすごいごちそうが用意してあって、みんなで和気藹々と食べる。 そして食事が終わった後で、両親がスピーチをした。 とても感動的だった。 女親男親関係なく、その場にいた親たちは皆泣いていた。 私もつられて少しほろり。 21歳になった子のスピーチも可愛かった。 "I made it!"(俺、達成した!)と言っていた。 「そうだ、そうだ、一つの達成だ」と思いながら聞いた。

 私はニュージーランドに8年以上住んでいるけど、いまだにカルチャーショックがある。 例えば、男親女親両方が、自分の子供を中心とした友達関係を持っている事。 こっちの人達は自然と、同い年ぐらいの子供を持っている気の会う親同士で友情を育み、一緒に協力しながら子育てをする。 色んな家族が協力し合いながら子供を育てあうのは、私にはなんだか物珍しく見える。 三、四家族が集まれば、途中で離婚をする夫婦や、障害がある子や、なんだかと手のかかる子もいる。 お互いが友情ベースにサポートし合っている。

 例えば日本は、自分の子供の友達の誕生日パーティーに男親が参加しないんじゃないかなとか、ましてやそこで、他人の子供が成人したって事で感涙したりはしないんじゃないかなと思った。 色んな父親が、その場で感涙していた理由は、単純に誕生日になった子を、本当に小さいときから知っていて、いっぱい一緒に遊んできたからだろう。 

 所変われば色んな家族や、コミュニティーの形態があるなと、つくづく思わさせられた。

 でも、まあ、そういえば私の親も実際の所は私の友達に協力的だし、献身的なところがある。 日本に留学していた私の友達が、夜中に"私、今困ってますねんコール"をするのは、私にではなくて私の父にだった。 そして平日の夜中に車をかっ飛ばして、サポートしにいってあげたりとかしていた。 だから、あれだね、表現とかやり方が違うだけで、親って大概寛容だし、人に何かを差し出す事を最も喜びとする人種だよね。 

 そういう事を思い出したら、ママとダディーに対して、どかんと愛情が湧いた。 あー、もうすぐ母の日だ。 私が宇宙で一番好きな女性を祝福する日だ! いつでも、どんな家族の話しを聞いたり見たりしても、結局「私のママが最高だし最強」って結論にたどり着く。 Unconditioned love だわ。 まさに、ラブ。

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