BS世界のドキュメンタリーで放送された、「永遠のチェルノブイリ」を見た。
これはチェルノブイリ原発事故から25年後の現在を記録したドキュメンタリー。 見ていて心底がっくりきた。
日本の将来と重なる面も多いと思う。 はぁ…。 これから一体いくらお金がかかるのか。どれだけの人力がいるのか。 途方もない。 がっくり来るけど、私は私の友達皆に見てもらいたい。 見て、考えてくれ自分の身の振り方を! 私は私の日本の友達皆に、一回「自分自身の為だけに」人生を考えてもらいたい。
2011-08-14
2011-08-13
額縁
台所の額縁に入っていた浮世絵を外して、Battlesのレコードのジャケットに変えた。 調子に乗って新作が出た際に、シングル盤とアルバムを買盤ったんだけど、買ったままほったらかしていたんだ。
アイスクリームなだけあり、台所と相性がいい。
それにしても額縁って本当に便利だ。 最も便利な家具の一つだ。 額縁あるだけで部屋が変わるし、額縁の中身でもがらっとかわる。 大好き。
アイスクリームなだけあり、台所と相性がいい。
それにしても額縁って本当に便利だ。 最も便利な家具の一つだ。 額縁あるだけで部屋が変わるし、額縁の中身でもがらっとかわる。 大好き。
フラットな世界
最近…、私の住んでいた地域の世相がやけに悪い。 日本、ニュージーランドの大震災。 引き続いてイギリスの暴動。 どうした…、地球…及び、人間社会。
今回のロンドンの暴動を見ていて、私がイギリスに住んでいた頃に思っていた「この国で私は大人にはなりたくない」という感覚がぐっと引っ張り出されてきた。
イギリスは楽しい。 お買い物も楽しいし、人も面白いし、遊びもあるし、田舎町綺麗だし、他のヨーロッパの国も近いし。 とても良い学校に行ったから親密な感情も、大切な思い出も愛着も沢山あるし、友達もいるからいつでも繁栄を祈っているし、応援もしている。 全く攻撃する気も、意見をする気もない。 ただ私は今のところ住みたくない。 フルストップ.
私にとってイギリスは、始めて長く住んだ異文化圏だった。 その頃の私は既にローティーンだったので「世界ってこうあるべき」「世の中ってこんなもの」ってのが日本を基準にして結構出来上がっていた。 なのでカルチャーショックはかなり大きかった。 私の属していた日本の社会の一グループの中では、「世の中ってのはフラットで狭くて、永遠と暢気な日常生活が続き、大概の人達は日本人で、日本のミドルクラスの生活様式が世界のデフォルトであり基準である」ってのが確かにあったと思う。 ついでに「景気は今は悪いけど、まあもうすぐ峠を越えてよくなるよ」って感覚もあった気がする。 (ああ、なんたる田舎者…! その暢気さに乾杯!!)
なのでそれまでここまで開けっぴろげな経済階層差を見た事もなかったし、単純にこんなに沢山の人種がいる場所に住んだ事無かった。 当時の私からしてみると、イギリスは振り幅や高低差が広すぎた。 ひっちゃかめっちゃかだった。 「なにこれ…、やりたい放題じゃん…。」と極東の田舎者児童が呆然としたのは必然。 みた事もないようなお金持ちと、みた事もないような貧乏な人がいっぱいいた。 特に、この「貧乏な人達」には心底驚いた。 マジで、がちょんとなった。
起っている物事の量と意見の幅から、感覚的にこの場所はリスペクトするべき場所だと分かった。 色んなものが集まってくるからこうなるんだろう。 文化の軋轢や社会の複雑さは、様々な実りと豊かさを生み出す。 それってすごいな、面白いなと素朴に思った。 このひっちゃかめっちゃかな感じや驚きは大切に自分の中に受け入れようと思った。 日本の私のいた環境は様々なふるいのかかった新興住宅地的環境だったのは分かったし、それもかなり早い段階で「あれが特殊だったのだ」と受け入れた。
ただ、軋轢や複雑さは、同時に過酷さや残酷さも作り出す。 競争も激化させる。 競争のルールも明確に見えてこないのに、それでも競争が厳しそうなのは分かった。 この面に関しては私には強い抵抗があった。 単純に「ここで私が私の代から社会活動を始めてミドルクラスになるのって滅茶苦茶難しいのではないか?」と14歳の子供でも思えるぐらいに競争と淘汰が激しそうだった。 そしてここで大人になるのはいやだなと思った。(この感覚が保守的ミドルクラス出身の子供の持つ内なる醜悪)
イギリスには日本やNZよりもずっとリベラルな意見を言う人達が多いし、面白い人達も多い。 文化の層も厚い。 ずっといろいろな事が起っている実感がある。 でも、それらの魅力よりも、私は保守的な感覚を選んだのだと思う。 「私が私の代から社会活動を初めて、それでもミドルクラスになれる。その間の競争が比較的マイルドである。」というのが当時の私の求めた生活の質だった。 そしてイギリスでだとそのハードルは非常に高そうだった。 保守的でいる事で、面白みが人生から欠けるのは残念だけど、当時の私は次の数年間をこの競争にホットになれるだけの気力も体力も持ち合わせていなかった。 かといって、競争に対して超越的でいられるだけの度量や勇気や生活の知恵も持っていなかった。(この感覚も保守的ミドルクラス出身の子供の持つ内なる醜悪。 要するに自分自身がたいしたアセットを持っていない感覚は強く持っていた。)
そういう感覚を持っていた人達がわざわざ地球の裏側に引っ越して作ったのがオセアニアなのだろう。 オセアニアの社会は、勿論貧富の差や社会問題も沢山あるけど、それでも私が持っていた日本的な感覚にはイギリスよりかは遥かにマッチした。 そしてことあるごとにここがイギリス(もしくは他の移民達にとっての祖国)への反応で出来ている場所だなと思う。 結果として、いろいろと比較的マイルドである。 必至でマイルドにしている感じがある。
今ではそこまで素朴に「私の代から始めても、そこまで激しくない競争の末ミドルクラスになれる」とは思っていない。 物事はそんなに単純じゃないってことぐらいは分かってきた。 でもやっぱりこの社会(NZ)にいる限りは「そこまで底抜けに下に急降下する感じはない」気が、幻想でもある。 そしてこの社会ではイギリスほど階層差が出来ないような幻想もある。 自分でもどこまで保守的なんだよと思うんだけど、結構私にとってはこの感覚が、幻想であっても大切なのだ。 ある程度の自由と、生活の余力は求めるけど、それ以上は求めない。 そして、そのかわりにその逆も求めない。 社会にどれだけお金持ちがいるかよりも、どれだけ貧しい人が少ないかの方が大切な気がするのだ。 あれだけ貧しい人達がいる場所って、いると結構凹むよ。 「私もこうなるのか?」って思っても嫌な気分になるし、「自分は恵まれているからこうはならないだろう」と思っても嫌な気分になる。
勿論NZの人達が持っている「大人になったら一度はイギリスに住む」っていう感覚は私も持っている。 もうちょっと生活に対する基礎体力がついたら一度はイギリスに住みたい。 子育ての環境も、子供が思春期に入ったらイギリスの方が良いような気がする。 それに子供時代に感じたイギリスは、私の幼稚さからくる歪んだ景色だったのか、それともそんなに外れていないのか、結構試してみたいと思う。
イギリスの暴動のニュースをみながら、一人で結構悶々としてしまった。 「こういう感じが嫌だったから、イギリスは嫌だった」という感覚と「でもどうなんだろう…? でも楽しいことも多いぜ?」という感覚とがせめぎあう。 多分、今世界中のイギリスの植民地にいる人ががこの微妙な感覚を持ち合わせながらニュースを見ているのだと思う。 「これは我が身だったのか? それとも自分はもっとうまくやったのか?」と。
今回のロンドンの暴動を見ていて、私がイギリスに住んでいた頃に思っていた「この国で私は大人にはなりたくない」という感覚がぐっと引っ張り出されてきた。
イギリスは楽しい。 お買い物も楽しいし、人も面白いし、遊びもあるし、田舎町綺麗だし、他のヨーロッパの国も近いし。 とても良い学校に行ったから親密な感情も、大切な思い出も愛着も沢山あるし、友達もいるからいつでも繁栄を祈っているし、応援もしている。 全く攻撃する気も、意見をする気もない。 ただ私は今のところ住みたくない。 フルストップ.
私にとってイギリスは、始めて長く住んだ異文化圏だった。 その頃の私は既にローティーンだったので「世界ってこうあるべき」「世の中ってこんなもの」ってのが日本を基準にして結構出来上がっていた。 なのでカルチャーショックはかなり大きかった。 私の属していた日本の社会の一グループの中では、「世の中ってのはフラットで狭くて、永遠と暢気な日常生活が続き、大概の人達は日本人で、日本のミドルクラスの生活様式が世界のデフォルトであり基準である」ってのが確かにあったと思う。 ついでに「景気は今は悪いけど、まあもうすぐ峠を越えてよくなるよ」って感覚もあった気がする。 (ああ、なんたる田舎者…! その暢気さに乾杯!!)
なのでそれまでここまで開けっぴろげな経済階層差を見た事もなかったし、単純にこんなに沢山の人種がいる場所に住んだ事無かった。 当時の私からしてみると、イギリスは振り幅や高低差が広すぎた。 ひっちゃかめっちゃかだった。 「なにこれ…、やりたい放題じゃん…。」と極東の田舎者児童が呆然としたのは必然。 みた事もないようなお金持ちと、みた事もないような貧乏な人がいっぱいいた。 特に、この「貧乏な人達」には心底驚いた。 マジで、がちょんとなった。
起っている物事の量と意見の幅から、感覚的にこの場所はリスペクトするべき場所だと分かった。 色んなものが集まってくるからこうなるんだろう。 文化の軋轢や社会の複雑さは、様々な実りと豊かさを生み出す。 それってすごいな、面白いなと素朴に思った。 このひっちゃかめっちゃかな感じや驚きは大切に自分の中に受け入れようと思った。 日本の私のいた環境は様々なふるいのかかった新興住宅地的環境だったのは分かったし、それもかなり早い段階で「あれが特殊だったのだ」と受け入れた。
ただ、軋轢や複雑さは、同時に過酷さや残酷さも作り出す。 競争も激化させる。 競争のルールも明確に見えてこないのに、それでも競争が厳しそうなのは分かった。 この面に関しては私には強い抵抗があった。 単純に「ここで私が私の代から社会活動を始めてミドルクラスになるのって滅茶苦茶難しいのではないか?」と14歳の子供でも思えるぐらいに競争と淘汰が激しそうだった。 そしてここで大人になるのはいやだなと思った。(この感覚が保守的ミドルクラス出身の子供の持つ内なる醜悪)
イギリスには日本やNZよりもずっとリベラルな意見を言う人達が多いし、面白い人達も多い。 文化の層も厚い。 ずっといろいろな事が起っている実感がある。 でも、それらの魅力よりも、私は保守的な感覚を選んだのだと思う。 「私が私の代から社会活動を初めて、それでもミドルクラスになれる。その間の競争が比較的マイルドである。」というのが当時の私の求めた生活の質だった。 そしてイギリスでだとそのハードルは非常に高そうだった。 保守的でいる事で、面白みが人生から欠けるのは残念だけど、当時の私は次の数年間をこの競争にホットになれるだけの気力も体力も持ち合わせていなかった。 かといって、競争に対して超越的でいられるだけの度量や勇気や生活の知恵も持っていなかった。(この感覚も保守的ミドルクラス出身の子供の持つ内なる醜悪。 要するに自分自身がたいしたアセットを持っていない感覚は強く持っていた。)
そういう感覚を持っていた人達がわざわざ地球の裏側に引っ越して作ったのがオセアニアなのだろう。 オセアニアの社会は、勿論貧富の差や社会問題も沢山あるけど、それでも私が持っていた日本的な感覚にはイギリスよりかは遥かにマッチした。 そしてことあるごとにここがイギリス(もしくは他の移民達にとっての祖国)への反応で出来ている場所だなと思う。 結果として、いろいろと比較的マイルドである。 必至でマイルドにしている感じがある。
今ではそこまで素朴に「私の代から始めても、そこまで激しくない競争の末ミドルクラスになれる」とは思っていない。 物事はそんなに単純じゃないってことぐらいは分かってきた。 でもやっぱりこの社会(NZ)にいる限りは「そこまで底抜けに下に急降下する感じはない」気が、幻想でもある。 そしてこの社会ではイギリスほど階層差が出来ないような幻想もある。 自分でもどこまで保守的なんだよと思うんだけど、結構私にとってはこの感覚が、幻想であっても大切なのだ。 ある程度の自由と、生活の余力は求めるけど、それ以上は求めない。 そして、そのかわりにその逆も求めない。 社会にどれだけお金持ちがいるかよりも、どれだけ貧しい人が少ないかの方が大切な気がするのだ。 あれだけ貧しい人達がいる場所って、いると結構凹むよ。 「私もこうなるのか?」って思っても嫌な気分になるし、「自分は恵まれているからこうはならないだろう」と思っても嫌な気分になる。
勿論NZの人達が持っている「大人になったら一度はイギリスに住む」っていう感覚は私も持っている。 もうちょっと生活に対する基礎体力がついたら一度はイギリスに住みたい。 子育ての環境も、子供が思春期に入ったらイギリスの方が良いような気がする。 それに子供時代に感じたイギリスは、私の幼稚さからくる歪んだ景色だったのか、それともそんなに外れていないのか、結構試してみたいと思う。
イギリスの暴動のニュースをみながら、一人で結構悶々としてしまった。 「こういう感じが嫌だったから、イギリスは嫌だった」という感覚と「でもどうなんだろう…? でも楽しいことも多いぜ?」という感覚とがせめぎあう。 多分、今世界中のイギリスの植民地にいる人ががこの微妙な感覚を持ち合わせながらニュースを見ているのだと思う。 「これは我が身だったのか? それとも自分はもっとうまくやったのか?」と。
2011-08-10
ミューズリー
2週間に一回ぐらい朝食用のミューズリーを作る。
作り方はすごく簡単。 オーブン用のバットに燕麦とちょっとのマーガリン、沢山の蜂蜜を入れて混ぜる。 これが基本の部分ね。 それに、好きなドライフルーツとかナッツを好みで入れる。
そういえば昔はミューズリーって鳥のえさみたいで好きじゃなかった。 今は簡単に準備出来る朝食って事で重宝している。 働き始めたら、好みかどうかよりも楽かどうかを選ぶようになったよ。
あとね、こっちでだと燕麦がすごく安い。 勿論メーカーにもよるけど、だいたい1kgで200円ちょっと。 私が二週間に食べるミューズリーでは150gぐらいの燕麦を使うので、出来合いのミューズリーを買うより、かなりコストパフォーマンスが良い。 ドライフルーツも量り売りで買うと結構安いんだ。 そういう所も気に入っている。
もぐもぐー!
作り方はすごく簡単。 オーブン用のバットに燕麦とちょっとのマーガリン、沢山の蜂蜜を入れて混ぜる。 これが基本の部分ね。 それに、好きなドライフルーツとかナッツを好みで入れる。
こんな感じ。 今回はレーズン、アプリコット、クランベリーとピーナッツを入れた。 本当はアーモンドが良かったんだけど、前回作ったときに全部使っちゃったの忘れてて家になかったから、急遽ピーナッツに変更。
それで190度のオーブンで20分ぐらいベイクすると、すごく美味しいミューズリーになるよ! 作ってみるまで、こんなに簡単に作れるとは思ってなかったものの一つ。
そういえば昔はミューズリーって鳥のえさみたいで好きじゃなかった。 今は簡単に準備出来る朝食って事で重宝している。 働き始めたら、好みかどうかよりも楽かどうかを選ぶようになったよ。
あとね、こっちでだと燕麦がすごく安い。 勿論メーカーにもよるけど、だいたい1kgで200円ちょっと。 私が二週間に食べるミューズリーでは150gぐらいの燕麦を使うので、出来合いのミューズリーを買うより、かなりコストパフォーマンスが良い。 ドライフルーツも量り売りで買うと結構安いんだ。 そういう所も気に入っている。
もぐもぐー!
2011-08-07
"デザインの背後にはいつもほんの一瞬の沈黙が隠されている"
日常的に2006年に日本で見たソットサスの展覧会(エットレ ソットサス 定理に基づいたデザイン)の前文を思い出す。
なぜシャンパンは紙コップに注がれないのか。殺すための剣はなぜ彫り物で飾り立てられていたのか。なぜバイクのデザインはいつも速さを連想させるメタファーを表現しているのか。なぜ娘達やご婦人は何かの祭壇のように、いつもテーブルや家具の中心線上に、花を生けた花瓶や彫像や親、子供の写真立てを飾りたがるのだろうか。教会の祭壇の中心線上に設けられる小さな壁龕のように。
デザインの背後にはいつもほんの一瞬の沈黙が隠されている。何かがやって来る、もしくは何かが起こる期待感。ひとつのデザイン、ひとつのプロジェクト(企て)がこの世にすえられた瞬間、それを手がけたものには責任が課せられる。バイソンを殺すために弓矢を使った者は、バイソンに許しを乞うことになるだろうし、敵を殺すために剣を使うことは、血が噴き散るということだろう。テーブルの上にスープの皿が添えられていたら、その皿を与えてもらえる幸せも感謝したくなるだろう。デザインという定理は実に晦渋なものである。
本当にそうだね、ソットサスさん。
デザインの背後に隠れている一瞬の沈黙は歴史の扉が開く時間でもあると思う。
私は引っ越しが多いので出来るだけ物を持たないようにしている。 だからあまり物にはこだわらないようにしている。 それでいつか家庭を持ったり定住した際には、きちんとした物がそろえたいなと希望に胸をワクワクさせている。 特に台所用品なんかはそう。
でもカットラリーは引っ越しのときにそんなに場所をとらないので、結構贅沢をしている。 他の部分でその夢がかなわない分、妙に気合いが入るのだ。 日常使いでは、ライヨール のカットラリーを使っている。 「君は実は包丁なんじゃないかい?」ってぐらいにナイスな切れ味で、でも細身できれいなところがとても気に入っている。 あと、全近代な仰々しいデコレーションも気に入っている。 それに比較的重いんだ。 私はよっぽど近代的でシャープでモダンな形のカットラリー以外は、軽いカットラリーがみみっちい気分になるからなんかいやだ。
ふしぎとこういう細かい事が日常の喜びにダイレクトに関係している。 例えば柳宗理のデザインしたカトラリーはとても買いやすい値段なのに、非常に美しい。 私はそういうのを見ると、結構真面目にデザインの力とか、物の背景に潜む形の歴史の積み重ねに感動してしまう。 生活の叡智と愛が詰まっているのだ。 私の小さな、でも積み重なってしっかりとしていく喜びに、良いデザインは直結している。
2011-08-06
フレンチトースト
週末は朝ご飯を一番がっつりと食べる。 なんでなんだろう、週末の朝ご飯って特別だよね。 友達とブランチをしに行く事も多いし、家で連れ合いや友達に何かを作ってもらう事も多い。 実家にいる時も父がかなりスペシャルな朝ご飯を作ってくれていた。 父はビル グレンジャーのファン ボーイなのでかなーり気合いの入った美しい朝食を作ってくれる。
今日の朝ご飯は連れ合いの作るフレンチトーストだった。 いつもブランチデートの相手が朝やる事があったのでドライブに連れて行ってくれなかったから。
今日の朝ご飯は連れ合いの作るフレンチトーストだった。 いつもブランチデートの相手が朝やる事があったのでドライブに連れて行ってくれなかったから。
少しだけグリルされた桃が瑞々しくて、とても甘くて美味しかった! ソースに使った蜂蜜との相性もとても良かった。 桃と蜂蜜の関係って、すごく幸せだと思う。 美味しくて、美味しくて、最高の週末の始め方になった。
しかし小さなお皿に乗って出てきたぞ。 おいおい、お茶菓子かよ。 私は料理が小さなお皿に載っているのがあまり好きじゃない。 堂々としたたたずまいが好きなのだ。 文句を言ったら「じゃあ食うな」とおこられる。 うーん…、どうして通じないんだろうこの感じ。 食卓って小さな祭壇なのに。 「私は小さいお皿と、軽いカットラリーは、君の料理の価値を下げるといっているだけなの。 要するにね、お皿が大きい方が料理の価値がきちんと表現出来るのよ!!」と下手に出た説得を試してみた。
2011-08-05
淑
大昔の、日本の大学にいっていた頃のブログを読み返していたら、毎日のように淑慶の話しが出てくるのに笑えた。 10代から20代のはじめの時期を、画家の友達と、これでもかってぐらいにじっくり過ごせた事はすごい祝福だったなと思う。
どうもありがとう。 だんだんと当時の彼女の年齢に私も近づいていている。 かっこいい女性のロールモデルがいる事が嬉しい。
やはり私にとってのかっこいい女の代表は画家だ。 淑、毎日絵を描いてますか? ずっと画家でいてね。 朝目が覚めたときも、夜寝るときも、ずっとずっと。
どうもありがとう。 だんだんと当時の彼女の年齢に私も近づいていている。 かっこいい女性のロールモデルがいる事が嬉しい。
やはり私にとってのかっこいい女の代表は画家だ。 淑、毎日絵を描いてますか? ずっと画家でいてね。 朝目が覚めたときも、夜寝るときも、ずっとずっと。
2011-08-04
のらいぬの願望
のらいぬの連れ合いの妹はいつもうちで夕飯を食べる。 「いつもご飯を作ってもらって悪いから」と今日は彼女がご飯を作ってくれた。 家の食材を使うだけ使って。 のらいぬは思う。 こいつが大学院を卒業して仕事を見つけた暁には、一回こいつの冷蔵庫まるまる食べてやると。
のらいぬの昼飯
のらいぬは今週、食費を切り詰めるため、夕飯とお昼ご飯を別々に作る事にした。 いつもは夕飯の残りをお弁当にして持って行っていたけれども、今回はお昼のお弁当用に色々と安い食材を入手。 っが、結果的にかなりいつもよりお金がかかってしまった。 むむん…。
夕飯だけ作ると食材が使い切れないので、やけに高くかかるという事を学習。 それを使って昼ご飯を作るならまだしも、その上に昼用の食材を買ったのが敗因だった。
っち、いつもの作戦に来週から戻すぜ…。
夕飯だけ作ると食材が使い切れないので、やけに高くかかるという事を学習。 それを使って昼ご飯を作るならまだしも、その上に昼用の食材を買ったのが敗因だった。
っち、いつもの作戦に来週から戻すぜ…。
2011-08-03
相棒と俺
「俺はのらいぬだぁ」なんて書いてみたから、友達に「あんた一人で生きてると思うなよ」と思われそうなので…、一応、そんなことないですと書いておきます。
嬉しい事に親友が沢山いる。 みんなそれぞれに大切。 友人に関してはとても恵まれているなと思います。 きれいごとでなく。
その中で、「おう!相棒!」って関係の友達がいる。 大学の同期の大磯の女だ。 遊ぶときは、鎌倉の海か、大磯の海か、間を取って江ノ島かな、そんな関係。 正月は一緒に鶴岡八幡宮に行って、箱根駅伝の応援に行く。 たまに都心で会うと、お互い脱湘南した服装をしているので、「あんた誰?」となる。 横浜越える際に、お互い服装が海仕様から陸仕様に切り替わる様子。
私と相棒は仲はいいけど、性格は結構違う。
私は…、ある一面においては結構真面目だと思うけど、相棒は全方位に真面目だ。 初めて会ったとき、「この人、こんなに真面目で疲れないんだろうか」と思った。 つきあってみたら、実際よく疲れている。 あはは。 でもその真面目さとコツコツ蓄積型の彼女はやっぱりいろいろ達成している。 結果を出す女だ。 疲れても、損はそんなにしてないね。
彼女は「上から引っ張られてんの?」って感じにすくすくまっすぐと育っている。 物事に対する意見も素直だ。 私が単純ではあるけど、結構皮肉屋で、斜に構える気質があるのと良いコントラストになっている。
長い付き合いを通じてかなり多くの事を彼女から学んだし、彼女の人生を共有させてもらって、自分ではしない事を沢山追体験させてもらった。
いつも、どうもありがとうね。 これからも頑張ってね。 I love you.
嬉しい事に親友が沢山いる。 みんなそれぞれに大切。 友人に関してはとても恵まれているなと思います。 きれいごとでなく。
その中で、「おう!相棒!」って関係の友達がいる。 大学の同期の大磯の女だ。 遊ぶときは、鎌倉の海か、大磯の海か、間を取って江ノ島かな、そんな関係。 正月は一緒に鶴岡八幡宮に行って、箱根駅伝の応援に行く。 たまに都心で会うと、お互い脱湘南した服装をしているので、「あんた誰?」となる。 横浜越える際に、お互い服装が海仕様から陸仕様に切り替わる様子。
私と相棒は仲はいいけど、性格は結構違う。
私は…、ある一面においては結構真面目だと思うけど、相棒は全方位に真面目だ。 初めて会ったとき、「この人、こんなに真面目で疲れないんだろうか」と思った。 つきあってみたら、実際よく疲れている。 あはは。 でもその真面目さとコツコツ蓄積型の彼女はやっぱりいろいろ達成している。 結果を出す女だ。 疲れても、損はそんなにしてないね。
彼女は「上から引っ張られてんの?」って感じにすくすくまっすぐと育っている。 物事に対する意見も素直だ。 私が単純ではあるけど、結構皮肉屋で、斜に構える気質があるのと良いコントラストになっている。
長い付き合いを通じてかなり多くの事を彼女から学んだし、彼女の人生を共有させてもらって、自分ではしない事を沢山追体験させてもらった。
いつも、どうもありがとうね。 これからも頑張ってね。 I love you.
のらいぬ狂想曲
日本の大学時代の友達に近況を伝えるようにとはじめたこのブログも気がつけば、6年目に入りました。 こっちの大学を出て、働き始めてから三年目。 日本の大学を辞めてから7年目。 日本の友達とは一緒にいた時間よりも、離れていた時間の方がとても長くなっちゃったね! 考えてみたら、ブログの初期に出てきていた友達で、日本に残っている子って結構少なくなっちゃったし、こっちの友達も今ほとんどNZにいない。 ばらばらになっていくものなのだなぁ。
日本の大学時代につけていたブログとか、このブログでも大学生の頃のを読むと、その元気さに我ながら驚きます。 私、元気な子だったのね…! ブログ読んでて気づいた。 書いている事の内容もほとんど忘れてたし、今は全くこんな考え方しないし、そもそもこんなに元気じゃないし。 「オーイエー!」とか書いてるもん。 むりむり、そんな言葉最近口にすら出せてない。 どんな身体感覚だったんだろう。 6年経てば人間結構別人だ!
このブログは「のばらいろのひび まさに夢のガリバー旅行記」と銘打って続けてきたんだけど、確かに以前は、毎日が「夢のガリバー旅行記」だった。 自分自身と世界との比が、小さくなったり大きくなったり、日々ぐにょんぐにょんしていた。 広がったり、狭まったり、急に大きくなったり、小さくなったり。 最近はそういう感覚なくなっちゃった。(でもいつかもどってくると良いな)
最近は、妙にのらいぬ感覚が強い。 日本のエッセイで、負け犬の遠吠えってあるじゃん。 あれのね、負け犬でも、勝ち犬でもなくて、その戦いのリーグ上にすらたっていない犬って感覚があるのよ。
特に震災以降この感覚は強くなった。 私は日本にいないから、多分この震災を全く違う形で経験しているのだと思うの。 奈良美智さんが、twitterで"最近になって、あの地震のあった停電の夜、目に見えない放射能におびえた時間をリアルに体が思い出したりする。自分も被災しているのだという意識。いや、日本という国自体、そこに住む人々みんなが被災したのだ。"って書いていたのを読んで、特にそう思った。
私は、情報としてはその時、多くの人達が停電の中にいた事は知っていたけど、多分、聞き流していたんだと思う。 情報としては知っていた。 でも感覚としては掴んでいなかった。 奈良さんの文章には、すごくはっとさせられた。
震災があった日、私は震災直後からベッドに座ってこうこうと光る電気の下で、インターネットを使ってlive映像をCNNやBBCやNHKで見ていたんだ。 日本の家族とは連絡がとれなくてすごく不安だった。 大学時代からの友達が横にいてくれて、二人で「意味が分からない…、頭が全くこの情報に追いつかない」と言いながら、ずっと日本に関するメディア情報を見ていた。
どこかで日本の人も、そうやっていたのではないかと思ってしまっていたのだろう。
「ただただ激しい津波と震災の映像、原子力発電所の爆発がどこかランダムな所でおこっていて、たまたま日本の人達も全員それを見ている、怖がっている」という感覚的な勘違いを私はしていた。 全く違うのだ。 日本の人達はその映像の中にいたのだ。 いや、分かっていたし、痛いほどそれも感じていたけど、それでもどこかでは感じきっていなかったのだろう。
もし私がその時日本にいたら、今の私とは全く違う経験をしただろう。 何よりも「私にはその時の私がどう感じたか、何をしたか、全く想像もつかない」と思ったとき、"現実の私"と、"日本の想像上の私"は全くの別人になった。 これまでは結構ある程度は「今日本にいたら」ってのの想像がついた。 今回の事に関して言えば、自分が一体どんな反応をしたかすら想像がつかない。 この感覚を日本での生活に関して持ったのは産まれて初めてで、初めて日本から切り離された感じがした。
切り離されている感覚は日常的に結構ある。 オークランドは多民族都市だ。 隣の人とカルチュアルバックグラウンドが全く違うってのいうのが日常。 「例えば私がこの家で産まれたら」ってのの、一日分も想像がつかない場合が多い。 一日の生活パターンも、家族感も、国家感も、興味も、宗教も、大概なーんにもわからない。 彼らが家で何語を話しているのかすら知らない事が多い。 文化的に彼らが大抵何歳で成人して、何歳で結婚するかなんかも全然わかんない。 個別のケースは結構知ってるけど、それがどれぐらいの普遍性があることなのかすらわからない。 要するに、想像つかない。
最近そういう感覚がすごく強い。 「周りの人の一日の生活が想像がつかない、自分がその立場だったらってのの想像もつかない」っていう事が多い。 それでも仕事とかでは一緒に働けるし、「社会のルール」は共有出来ているけど、プライベートの共有での共有できていない感はすごく強い。 それで、「ああ、のらいぬだ」と思うようになってきた。 たまたま、環境的に、時期的に、私は著しく、自分と共感し合ったり、「ああ、それね」って感覚で人と話す機会に恵まれていない。 しかも私対、他のグループではなくて、私対数えきれないぐらい沢山のグループに別れている。
新しい環境の内部に入れば、ガリバー旅行記になる。 今は私は入っていない。 入っていないなりに楽しもうと、のらいぬ狂想曲を始める事にした。 合い言葉は、「一応、くんくん匂いはかいでおけ!」
日本の大学時代につけていたブログとか、このブログでも大学生の頃のを読むと、その元気さに我ながら驚きます。 私、元気な子だったのね…! ブログ読んでて気づいた。 書いている事の内容もほとんど忘れてたし、今は全くこんな考え方しないし、そもそもこんなに元気じゃないし。 「オーイエー!」とか書いてるもん。 むりむり、そんな言葉最近口にすら出せてない。 どんな身体感覚だったんだろう。 6年経てば人間結構別人だ!
このブログは「のばらいろのひび まさに夢のガリバー旅行記」と銘打って続けてきたんだけど、確かに以前は、毎日が「夢のガリバー旅行記」だった。 自分自身と世界との比が、小さくなったり大きくなったり、日々ぐにょんぐにょんしていた。 広がったり、狭まったり、急に大きくなったり、小さくなったり。 最近はそういう感覚なくなっちゃった。(でもいつかもどってくると良いな)
最近は、妙にのらいぬ感覚が強い。 日本のエッセイで、負け犬の遠吠えってあるじゃん。 あれのね、負け犬でも、勝ち犬でもなくて、その戦いのリーグ上にすらたっていない犬って感覚があるのよ。
特に震災以降この感覚は強くなった。 私は日本にいないから、多分この震災を全く違う形で経験しているのだと思うの。 奈良美智さんが、twitterで"最近になって、あの地震のあった停電の夜、目に見えない放射能におびえた時間をリアルに体が思い出したりする。自分も被災しているのだという意識。いや、日本という国自体、そこに住む人々みんなが被災したのだ。"って書いていたのを読んで、特にそう思った。
私は、情報としてはその時、多くの人達が停電の中にいた事は知っていたけど、多分、聞き流していたんだと思う。 情報としては知っていた。 でも感覚としては掴んでいなかった。 奈良さんの文章には、すごくはっとさせられた。
震災があった日、私は震災直後からベッドに座ってこうこうと光る電気の下で、インターネットを使ってlive映像をCNNやBBCやNHKで見ていたんだ。 日本の家族とは連絡がとれなくてすごく不安だった。 大学時代からの友達が横にいてくれて、二人で「意味が分からない…、頭が全くこの情報に追いつかない」と言いながら、ずっと日本に関するメディア情報を見ていた。
どこかで日本の人も、そうやっていたのではないかと思ってしまっていたのだろう。
「ただただ激しい津波と震災の映像、原子力発電所の爆発がどこかランダムな所でおこっていて、たまたま日本の人達も全員それを見ている、怖がっている」という感覚的な勘違いを私はしていた。 全く違うのだ。 日本の人達はその映像の中にいたのだ。 いや、分かっていたし、痛いほどそれも感じていたけど、それでもどこかでは感じきっていなかったのだろう。
もし私がその時日本にいたら、今の私とは全く違う経験をしただろう。 何よりも「私にはその時の私がどう感じたか、何をしたか、全く想像もつかない」と思ったとき、"現実の私"と、"日本の想像上の私"は全くの別人になった。 これまでは結構ある程度は「今日本にいたら」ってのの想像がついた。 今回の事に関して言えば、自分が一体どんな反応をしたかすら想像がつかない。 この感覚を日本での生活に関して持ったのは産まれて初めてで、初めて日本から切り離された感じがした。
切り離されている感覚は日常的に結構ある。 オークランドは多民族都市だ。 隣の人とカルチュアルバックグラウンドが全く違うってのいうのが日常。 「例えば私がこの家で産まれたら」ってのの、一日分も想像がつかない場合が多い。 一日の生活パターンも、家族感も、国家感も、興味も、宗教も、大概なーんにもわからない。 彼らが家で何語を話しているのかすら知らない事が多い。 文化的に彼らが大抵何歳で成人して、何歳で結婚するかなんかも全然わかんない。 個別のケースは結構知ってるけど、それがどれぐらいの普遍性があることなのかすらわからない。 要するに、想像つかない。
最近そういう感覚がすごく強い。 「周りの人の一日の生活が想像がつかない、自分がその立場だったらってのの想像もつかない」っていう事が多い。 それでも仕事とかでは一緒に働けるし、「社会のルール」は共有出来ているけど、プライベートの共有での共有できていない感はすごく強い。 それで、「ああ、のらいぬだ」と思うようになってきた。 たまたま、環境的に、時期的に、私は著しく、自分と共感し合ったり、「ああ、それね」って感覚で人と話す機会に恵まれていない。 しかも私対、他のグループではなくて、私対数えきれないぐらい沢山のグループに別れている。
新しい環境の内部に入れば、ガリバー旅行記になる。 今は私は入っていない。 入っていないなりに楽しもうと、のらいぬ狂想曲を始める事にした。 合い言葉は、「一応、くんくん匂いはかいでおけ!」
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