2008-03-12
2008-03-08
2008-03-05
動物1
2008-03-04
ガリバー
一個前の記事のを書いていて、ふとひらめいたのが、ガリバー旅行記を軸に考えてみたら良いんじゃないかってことでやんした。
80年後にも同じなんだかは知らんが、今の所近未来にはメタバース(仮想空間は現実じゃないから、ユニバースのユニ(普遍性)ではなくメタ(抽象性)として表現されるらしい)が沢山存在する、マルチバースに人間が存在するっていう感覚になると言われているらしい。 今だって十分にそうじゃんと思うけど、きっともっと、ダイナミックにそうなんだろう。 ガリバー旅行記じゃん! なんか見えてきたぞ!
80年後にも同じなんだかは知らんが、今の所近未来にはメタバース(仮想空間は現実じゃないから、ユニバースのユニ(普遍性)ではなくメタ(抽象性)として表現されるらしい)が沢山存在する、マルチバースに人間が存在するっていう感覚になると言われているらしい。 今だって十分にそうじゃんと思うけど、きっともっと、ダイナミックにそうなんだろう。 ガリバー旅行記じゃん! なんか見えてきたぞ!
未来と仮想
ある通信系の企業との産学協同プロジェクトで、80年後の世界の為のデザインしている。 デジタルメディアデザインの子たちとインダストリアルデザインの子たちでチームを作り、半年かけて研究することになっている。
80年後には仮想空間と現実空間の重要性の比重が逆になっているのではないかという仮説から、そこで必要とされるプロダクトを作ろうというのが今回のプロジェクトだ。 まず、80年後をシュミレートしようとチームメートとひたすらミーティングをしている。
間違えなくPCはもう無いよねとか、インフォメーションテクノロジーは体内に取り込まれて行くのかなとかって部分まではまだ分かるんだけど、そっから先がチンプンカンプン。 ここで私は初めて「異文化にいる」体験をしていると思う。 脳の作りが違うんじゃねえかってぐらいに、なんだか全く意味が分からんのだ。 まさに、夢のガリバー旅行記。 私のチームメートたちは、とても楽しそうに、ぽんぽんとアイディアを出して、未来予想をしていくのに、私はこれっぽっちも80年後の世界に対する想像が無い。 正直言ってお手上げです。 自分の貧弱さに意外な方面から出会ったと感じましたよ。 未来に対する体力や想像力が全く違うのだ。
美術史やら現代美術やらコンテンポラリーアートやらに集中していたこの過去数年感、今日、昨日を考えるか、百年前を考えるかの違いこそあれ日々過去を向いていたので、未来の事なんて考えた事がございませんでした。 「これからの80年間で起こる変化はこれまでの人類史で起こった変化よりも大きいだろう」と未来学関連の論文を読んだりしていると書いてあるんだけどマジで? 昨日と今日の差に最大限の驚きと過剰な表現を求めている世界に身を置いていた私としては、そんな事を言われたら驚きで心臓が止まってしまうのだけれども!!
すでにレポートの提出の仕方や授業内での情報の交換の仕方がハイテクすぎて戸惑っている私は、80年後の仮想世界についてなんて考えるだけで頭が痛い。 楽しいけど、痛い。
英語で書かれたこの手の文章は意外な程多いし、今回初めて知ったんだけどクラス中の人が一回ぐらいはSFを読んでいるし、結構先の未来予想を何個かは知っているようだ。 私はそんなの自慢じゃないが一個も知らない。 体感温度として、「これからの10年間で日本は私が知っている日本と比べて嫌な感じに変化していってしまうんだろう」っていう末法思想みたいなのは日本にいた時にニュースなんかでガンガン見たけど、意外と技術が絡んだ未来予想を私は知らない。 よく東洋と西洋の自然観の違いとかってのは聞くし、確かにあるよなとも思うんだけど、それよりも(それによって?)未来観や科学観の方が全く違うんじゃないかと思えてくる。 今のテクノロジーにあっぷあっぷしている私は先を思ってヒヤヒヤする。
仮想空間ってアイディアもよく分からないし、未来的ってのもよく分からない。 分からない事づくしからこのプロジェクトは始まっています。 誰か良いアイディアとか知っていたら教えて下さい。
80年後には仮想空間と現実空間の重要性の比重が逆になっているのではないかという仮説から、そこで必要とされるプロダクトを作ろうというのが今回のプロジェクトだ。 まず、80年後をシュミレートしようとチームメートとひたすらミーティングをしている。
間違えなくPCはもう無いよねとか、インフォメーションテクノロジーは体内に取り込まれて行くのかなとかって部分まではまだ分かるんだけど、そっから先がチンプンカンプン。 ここで私は初めて「異文化にいる」体験をしていると思う。 脳の作りが違うんじゃねえかってぐらいに、なんだか全く意味が分からんのだ。 まさに、夢のガリバー旅行記。 私のチームメートたちは、とても楽しそうに、ぽんぽんとアイディアを出して、未来予想をしていくのに、私はこれっぽっちも80年後の世界に対する想像が無い。 正直言ってお手上げです。 自分の貧弱さに意外な方面から出会ったと感じましたよ。 未来に対する体力や想像力が全く違うのだ。
美術史やら現代美術やらコンテンポラリーアートやらに集中していたこの過去数年感、今日、昨日を考えるか、百年前を考えるかの違いこそあれ日々過去を向いていたので、未来の事なんて考えた事がございませんでした。 「これからの80年間で起こる変化はこれまでの人類史で起こった変化よりも大きいだろう」と未来学関連の論文を読んだりしていると書いてあるんだけどマジで? 昨日と今日の差に最大限の驚きと過剰な表現を求めている世界に身を置いていた私としては、そんな事を言われたら驚きで心臓が止まってしまうのだけれども!!
すでにレポートの提出の仕方や授業内での情報の交換の仕方がハイテクすぎて戸惑っている私は、80年後の仮想世界についてなんて考えるだけで頭が痛い。 楽しいけど、痛い。
英語で書かれたこの手の文章は意外な程多いし、今回初めて知ったんだけどクラス中の人が一回ぐらいはSFを読んでいるし、結構先の未来予想を何個かは知っているようだ。 私はそんなの自慢じゃないが一個も知らない。 体感温度として、「これからの10年間で日本は私が知っている日本と比べて嫌な感じに変化していってしまうんだろう」っていう末法思想みたいなのは日本にいた時にニュースなんかでガンガン見たけど、意外と技術が絡んだ未来予想を私は知らない。 よく東洋と西洋の自然観の違いとかってのは聞くし、確かにあるよなとも思うんだけど、それよりも(それによって?)未来観や科学観の方が全く違うんじゃないかと思えてくる。 今のテクノロジーにあっぷあっぷしている私は先を思ってヒヤヒヤする。
仮想空間ってアイディアもよく分からないし、未来的ってのもよく分からない。 分からない事づくしからこのプロジェクトは始まっています。 誰か良いアイディアとか知っていたら教えて下さい。
2008-03-02
色 戒

李安のラスト コーションを見た。 共産党員と、ゲイのカップルと私で、なんだかちょっとめんどくさい組み合わせで、うふふふふって見に行った。
私は、格闘技のようなセックスも、ご立派としか言えない審美的な要素も、日本と中国の対比を歌を通じてした事もとても好きだった。 日本料理屋のシーンは名場面だと思う。 良い作品で、劇場を出た後はうっとりすらしていた。 そんな時は大抵は肩を抱いてくれる友達がいて、えへへと街を歩く。 が、今回は違った。
「登場人物の動機が甘すぎる」「政治的描写にインパクトが無い」等々、永遠と喧嘩が始まった。 面子とか、アンダープレッシャーでのヤケッパッチの行為とかそういうのを理解する気すらないお方たちだった。 様々な生き方があるのだなと、映画を媒体に友人を通じて知ることができた。 政治的な人達ってのはよく分からない…。 女ってのは/アジア人ってのはこんなもんなのだと言おう物なら、フェミニストのゲイたちに袋たたきにあうことは火を見るよりも明らかで、言える事は、「いやーあのセックスは凄いね」ぐらいだった。 一緒に映画を見る人は選ぶべきだ。
どうして良いのか分からない
あまりにもつまらないパフォーマンスを見てしまった。 魂に引っ掻き傷を残す経験だ。
今ウェリントンは芸術祭をやっていて、世界中のパフォーマーをよんで様々なイベントをやっている。 そのうちの一つがストラヴィンスキーの春の祭典の上演であった。 アメリカ在住の若手中国系振り付け師が制作したんだけど、おぞましいほどに質が悪かった。 春の祭典にあわせて、似非禅的な、終始怠くとろく、毒の無い、腐る直前の牛乳のようなパフォーマンス。 新鮮でもなければ、発酵もしていなく、熟してもいない。 取りつく島が無いってのはこの事だ。
「終わってくれないかな…、いや、でももしかしたら良くなるかもしれない。 とんでもない大どんでん返しがあるかも。 あたし、最後まで耐える!」と見続ける事2時間。 最後まで駄目だった。 何故、私は銭を払ってまで、この悪質な恋愛の追体験のようなものをしなくてはいけなかったのか。 この芸術祭のダイレクションは何なのか? 私が暴れてやろうかと思った。
私は何を見ても喜ぶ方だし、なかなかに幸せなオーディエンスだと自負しているけど、駄目なもんだは駄目だ。 イライラが収まらず、日本の友人たちに電話をして慰めてもらうも、怒り収まらず。 くはああああ!
今ウェリントンは芸術祭をやっていて、世界中のパフォーマーをよんで様々なイベントをやっている。 そのうちの一つがストラヴィンスキーの春の祭典の上演であった。 アメリカ在住の若手中国系振り付け師が制作したんだけど、おぞましいほどに質が悪かった。 春の祭典にあわせて、似非禅的な、終始怠くとろく、毒の無い、腐る直前の牛乳のようなパフォーマンス。 新鮮でもなければ、発酵もしていなく、熟してもいない。 取りつく島が無いってのはこの事だ。
「終わってくれないかな…、いや、でももしかしたら良くなるかもしれない。 とんでもない大どんでん返しがあるかも。 あたし、最後まで耐える!」と見続ける事2時間。 最後まで駄目だった。 何故、私は銭を払ってまで、この悪質な恋愛の追体験のようなものをしなくてはいけなかったのか。 この芸術祭のダイレクションは何なのか? 私が暴れてやろうかと思った。
私は何を見ても喜ぶ方だし、なかなかに幸せなオーディエンスだと自負しているけど、駄目なもんだは駄目だ。 イライラが収まらず、日本の友人たちに電話をして慰めてもらうも、怒り収まらず。 くはああああ!
2008-03-01
おめでとう!
私の親愛なる芸術家が個展を開き、しかも結構いい感じにいっているそうである。 淑よ、本当に良くやった。 堂々と音信不通になるし、そのストイックさとか、孤独さとかに付き合い長いのにいまだに驚かさせられるけど、変人枠としてこちらも堂々と許す! 大好きだから、あなたにしか見えていない世界を私にもこれからも、いつも、見せて下さい。 かっとばせー!!!
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