2011-04-24

心が隣にある人

クライストチャーチの震災で実家が全壊してしまった友人がいる。 彼女の親と兄妹は住む所を失った。 別の家に暮していた祖母と叔父も家を失ってしまったそう。

その叔父さんは、レスキューチームにいて、まずクライストチャーチの震災のレスキュー、続いて東北に移動し、レスキューを続けた。  本当に頭が上がらない。 

その被災をし実家を失った友人と、日本の震災がおこってから初めて会った夜、彼女は「東北の人達の事を思うと涙が止まらない。 胸が痛い、胸が痛い。」と言いながらオイオイと泣いた。

同じ国民だからとか、同じ言語を話すから、心が隣にある訳ではないのだよなと、彼女を見ていて思った。 多分今回東北の人達の心の隣にいた多くの人達は、世界中の家を失った経験のある人、自然の猛威で家族を失った人達なんだろう。 今きっとその人達は東北の事を思い、比喩ではなく実際に心を痛め泣いているのだろうと思った。

本当に、震災以降、色んな人達に声をかけられて、日本の事を訊ねられた。 口々に、クライストチャーチにいる彼らの親戚や友人の話しをされた。 どうにかして私に、「自分は痛みが分かる。いてもたってもいられないんだ。」と主張してきた。 多くの人達が自分の持っている生き物としての熱が、どうにか東北の人達の心の横に届かないものかと願っていた。 日本人を見たら、話しかけずにはいられないという心理状況になっていた。

町山さんがキラキラの映画解説のコーナーで、彼が会ったアメリカ人の震災に対する反応を話していた。(17分あたりから) 相変わらず町山節たっぷりで面白いんだけど、最後にぽろりと彼が「神様はいると思った」と言っていたのが印象的だった。 そう思わずにはいられないぐらいの被災者へ向けられた愛と、心配と、共感と、祈りを目の前で見たから。 これは海外にいた日本人みんなが感じている事なのではないだろうか。 私も、本当に、圧倒的なものを感じた。

いつか被災地の方々に、なんだかの形で世界中で彼らに向けられた言葉と愛と心配と祈りが届けば良いと本当に思う。 何年か経ってからでも、何十年経った後でもいいから届いてほしい。 この祈りが心を温めて、一瞬一瞬を支えるささやかな杖になれば良いのにと思う。

多分、それは海外で直接その思いを受け取ったものが、なんだかの形で記録をしたり、日本語の文章にしたりして、どこか目につく場所に置いておかなくてはいけないんだろう。

クライストチャーチの震災の時は私はアメリカにいた。 その時も沢山の言葉をかけられた。 近くにいるから、体が隣にあるから出来る事ってある。 でも距離が遠くて余裕があるから、出来る事や思える思いもあるのだよなぁと日々実感する。

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