The man in the hatという映画を見た。
Wellingtonのアートディーラー、Peter McLeaveyに関するドキュメンタリー映画。
想像以上に素晴らしい映画で、終止心が揺さぶられた。
彼は私の大学のすぐそばで、40年以上ギャラリーを経営しているアートディーラーだ。 NZで最初に現代美術を取り扱いはじめたギャラリーで、NZの現代美術史は彼の狭い、しかし美しいギャラリーの壁の上で綴られ続けてきた。
彼は私の尊敬する、そして私の心の深く、そして一番求めている部分に触れてくる作家達を、沢山見つけ出してきた。
そんな奇跡みたいな仕事がどうして可能だったのか、映画を見ていて、理解できた気がした。
そして私が彼のギャラリーに行く度に感じた事を、映画も見事に描き出していた。 彼の見つけてきた作品の素晴らしさ、ギャラリーの功績、そしてなによりも彼の人となりの素晴らしさについて。
初めて私が彼のギャラリーに行った時、入り口で握手をされ「君がここに来る事を42年間待っていました」と言われた。 それから沢山の話しをした。 そこで展示される作品がとても好きだった。 私の知らない世界をいつも見せてくれた。 私だけでは開けられなかった、自分の中の、世界と触れ合う為の感受性の扉を沢山開けてもらった。
同時にピーターのあまりにも優しく、まっすぐで、力強い彼の言葉に私は励まされ続けてきた。
彼は言葉の人だ。
彼の言葉との関係により、私は改めて言葉の持つ、自分と世界を繫げてくれる力を知りなおした気がする。
的確に自分の感じている事を伝えよう、表現しようとする、人としての向上心を、彼から感じたんだ。
嘘が無くて、明確で、そして何よりも言っている事の内容が良い。
しっかしとした言葉の骨格と、綺麗な単語達を効果的に混ぜて、言うべき事を言っている。
それって凄いことだよ。 とても難しい。
大抵ワーディーな文章や、やけに形容詞連発して当人の感受した事柄に付いての話しは退屈で、残念な感じがする場合が多い。 脳みそだけが空廻ってしまった感じがして、そのアンバランスさがめんどくさくて苦手なのだ。 自由な魂を持っていて様々な事を感じる為の扉が開いているのと、神経質なのやら未熟なのってって全く別の話しじゃん。
私をピーターのギャラリーに連れて行ってくれたのは、ウェリントンで当時同居していた男の子だった。
私は大抵、一緒にいるその時には、その子から与えてもらった事柄の量に全く気がつけていない。
同居人とかになると距離が近くてなんでも見えてしまう分、大抵若干相手との関係をめんどくさいと思っていたり、相手を大した奴じゃ無いと思ってしまったりする。
でも、後から考え直してみると、本当に信じられないぐらい沢山の事を、一緒に住んだ相手からは学んでいる。
彼から教えてもらった事や気がつかせてもらった事に、いまだにかなり影響されていて、そして素晴らしいと思っている自分に、自分で驚く。 その時はそこまで価値を見出していなかったから。
絶対にかなりの生活の知恵と喜びを彼らから得た。 不思議なもんだ。 友達として気が合うとか、そういう次元以外でも人間関係って尊い果実を実らせる事ができるんだよね。
だから彼の事を懐かしく思い出しながら、映画を見ていた。
そして自分が価値を見出せていなかったり、尊さが分かっていない事柄が、
未来から見てみたら、今日の生活の中にも溢れているんだろうと思えて、救いを感じた。
それにしても映画の中に出てくるウェリントンが、私の見ていたウェリントンにとても似ていて、本当に懐かしくて胸が温かくなった。 「これこれこれ! これが私を育ててくれて、そして私の愛してやまないウェリントン!」ってなりました。 自分の中の大切な景色が、このドキュメンタリー映画にも沢山記録されていた。 目線が似ていた。
ウェリントニアンは普通に国会議事堂の敷地内を通って通勤する。 誰でも入れる。 敷居がめちゃくちゃ低い。 というか、ほとんどない。 映画の中にもその景色が出ていた。 よそではちょっと考えられないよね。 近道だから国会議事堂の敷地内を横切って行こうぜとはならないだろう。
これはアティチュードの問題なんだと思う。 「国会議事堂は開かれた公園のような場所であるべきだ。」っていう人びとのアティチュードが、色んなルールを作り上げて行くんだよね。 ウェリントニアンのアティテュードが映画の中に偶然色々写っていて懐かしかった。
他の街に住んでみて、ウェリントンが結構特種なコンディションの上で、ああいう感じなんだなってのも知って、どこもかしこもウェリントンのようになれば良いとは思わなくなったけど、それでもやっぱり好きだな。
2010-11-20
2010-11-12
引っ越し つながり直す
久しぶりに引っ越しをした。 久しぶりって言っても、今年4回目の引っ越し。 一体どういうタイムスパンを久しぶりとよぶのか…、個人の感覚が問われますね。
今回の家は90年代初期に倉庫から住居用に改築された、都心のマンション。 街のど真ん中なんだけど、横が大学の大きな大きな公園で、窓からは植物しか見えない。 部屋にいる時は茂りに茂った植物を窓から眺めている。 マンションを出ると、都会。 とても良いコントラスト。
私は多摩美に通っていた間、自分がNZに住んでいた事があった事すら忘れていた。 当時の東京にはイギリスの学校の同窓生や彼らの友達なんかが沢山いたから、自分がイギリスに住んでいた事による縁が日常に溢れていた。 だから、イギリスにいた事の実感はあったんだけど、ウェリントンの事は生活に全く関係なかった。
東京を去り、ウェリントンの大学に戻った始めの頃、東京での自分にはあまり登場しなかった、自分のクオリティーがぐんぐん戻ってくるのを感じた。 特に、高校のときからの友達と遊んでいる時や、街を散歩している時に。 ウェリントンを歩きながら「ああ、私は確実にここで育ったんだ。忘れていたけど、ここで私は長い時間を過ごしていた!」と感慨を受け続けた。 自分の中の東京の生活では使われていなかった感受性のチャンネルが、また外界と繋がり直すのを感じた。 それはとても素晴らしい感覚だった。
今回、引っ越したマンションで私はまた似たような感覚に襲われた。 多分、建築様式や空間の質が実家と似ているからだろう。 実家にいる時の自分の感覚がぐんぐんと戻って来たのだ。 鎌倉の親元での自分と、オークランドにいる自分が重なりあった感じがした。
そして今回は家中、私の空間。 始めてフラットメイト無しの生活。 台所の感じ、お風呂場、化粧台、本棚、全てに私の物だけが溢れている。
荷物を適切な場所に配置した瞬間に、「あらら、こりゃ実家のミニチュア版だ!」とぶったまげた。 元々似ている建築に、自分の持ち物だけを並べましたら、簡易版実家になりました!
ぶったまげたよ。 12歳から、26歳までの間ずーーーーーーーっと、大勢の他人と住んでいたからさ。 こんなにはっきりと他人のスペースと境界線が引かれた、自分だけのプライベートな空間を持った事が無かったんだ。 で、そのクリアな線の内側を始めてはっきりと見たら、そこには見事なミニチュア版の実家があった!
こんなに自分が家を引きずるなら、あがなっても無駄だなと思いましたよ。 しょうがない。 私は一生自分が育った家を「家ってのはこういうもんだ」と無意識で思って、似たような空間を世界中のどこにでも作ってしまうんだろうし、きっと子供にもそういう強烈な刷り込みをするし、私の孫だってきっとそう。 将来自分の孫の家を見て、きっと私は私の親を思い出して泣くだろう。 そういうもんなんだなと思いました。 空気の感じ、布の感じ、明かりの感じ。 「ここちよさ」のディフォルトがはっきりと形づけられてしまっている。
物に関して言うとね、お風呂場に溢れる親と同じ香水たち、同じメーカーのボディーケア用品、化粧台に散らばる親から貰ったアクセサリー、台所にある廉価版の実家の台所道具、寝室の本の感じ、クローゼットの服、作業部屋のMac。 考えてみたら、私はなんでも親と同じメーカーの物を使っている、とことん親離れできていない人間なのだ。 そしてそれらの雑多な置かれ方。 まさに実家と一緒。 プチ日本。 日本製の物はそんなに無いのに、明らかに日本人の家。 すっごいよ、この刷り込み。
「変われないのかもしれない」と強く思った発見でした。 これは小さな絶望だね! そして同時に若干の喜びでもあるよ。 ああ、あたし、きっとそんなに変われない。
今回の家は90年代初期に倉庫から住居用に改築された、都心のマンション。 街のど真ん中なんだけど、横が大学の大きな大きな公園で、窓からは植物しか見えない。 部屋にいる時は茂りに茂った植物を窓から眺めている。 マンションを出ると、都会。 とても良いコントラスト。
私は多摩美に通っていた間、自分がNZに住んでいた事があった事すら忘れていた。 当時の東京にはイギリスの学校の同窓生や彼らの友達なんかが沢山いたから、自分がイギリスに住んでいた事による縁が日常に溢れていた。 だから、イギリスにいた事の実感はあったんだけど、ウェリントンの事は生活に全く関係なかった。
東京を去り、ウェリントンの大学に戻った始めの頃、東京での自分にはあまり登場しなかった、自分のクオリティーがぐんぐん戻ってくるのを感じた。 特に、高校のときからの友達と遊んでいる時や、街を散歩している時に。 ウェリントンを歩きながら「ああ、私は確実にここで育ったんだ。忘れていたけど、ここで私は長い時間を過ごしていた!」と感慨を受け続けた。 自分の中の東京の生活では使われていなかった感受性のチャンネルが、また外界と繋がり直すのを感じた。 それはとても素晴らしい感覚だった。
今回、引っ越したマンションで私はまた似たような感覚に襲われた。 多分、建築様式や空間の質が実家と似ているからだろう。 実家にいる時の自分の感覚がぐんぐんと戻って来たのだ。 鎌倉の親元での自分と、オークランドにいる自分が重なりあった感じがした。
そして今回は家中、私の空間。 始めてフラットメイト無しの生活。 台所の感じ、お風呂場、化粧台、本棚、全てに私の物だけが溢れている。
荷物を適切な場所に配置した瞬間に、「あらら、こりゃ実家のミニチュア版だ!」とぶったまげた。 元々似ている建築に、自分の持ち物だけを並べましたら、簡易版実家になりました!
ぶったまげたよ。 12歳から、26歳までの間ずーーーーーーーっと、大勢の他人と住んでいたからさ。 こんなにはっきりと他人のスペースと境界線が引かれた、自分だけのプライベートな空間を持った事が無かったんだ。 で、そのクリアな線の内側を始めてはっきりと見たら、そこには見事なミニチュア版の実家があった!
こんなに自分が家を引きずるなら、あがなっても無駄だなと思いましたよ。 しょうがない。 私は一生自分が育った家を「家ってのはこういうもんだ」と無意識で思って、似たような空間を世界中のどこにでも作ってしまうんだろうし、きっと子供にもそういう強烈な刷り込みをするし、私の孫だってきっとそう。 将来自分の孫の家を見て、きっと私は私の親を思い出して泣くだろう。 そういうもんなんだなと思いました。 空気の感じ、布の感じ、明かりの感じ。 「ここちよさ」のディフォルトがはっきりと形づけられてしまっている。
物に関して言うとね、お風呂場に溢れる親と同じ香水たち、同じメーカーのボディーケア用品、化粧台に散らばる親から貰ったアクセサリー、台所にある廉価版の実家の台所道具、寝室の本の感じ、クローゼットの服、作業部屋のMac。 考えてみたら、私はなんでも親と同じメーカーの物を使っている、とことん親離れできていない人間なのだ。 そしてそれらの雑多な置かれ方。 まさに実家と一緒。 プチ日本。 日本製の物はそんなに無いのに、明らかに日本人の家。 すっごいよ、この刷り込み。
「変われないのかもしれない」と強く思った発見でした。 これは小さな絶望だね! そして同時に若干の喜びでもあるよ。 ああ、あたし、きっとそんなに変われない。
2010-11-07
ガイフォークス
大学時代の友達の家に泊まっている。
彼の家のフラットメイトが誰もいなくなる週末なので、一晩ぐらいひたすら居間を占拠してDVDやらテレビやらを見て、ソファーでゴロゴロしたりしようやってことになったのだ。
ってことで、二人で夕飯ぐらいの時間から、ひたすら居間でゴロゴロしている。
彼の家はソファーが二つあるので二人で向かい合う形でねっころがっている。
お互いソファーと一体化しているので、お互いに飲み物を渡し合うときも、お互いに腕を延ばせるだけ延ばして、「うぎぎぎぎ」ってなりながら渡している。 ファイト一発オロナミンCのCMに出てくる状況並みに「うぎぎぎぎ!」ってなっている。
二人して完全に不細工。
物によっていかに行動がコントロールされていくかの良い例ですね。
家にテレビとソファーは置いちゃいかん!!
時間を吸い取られるぞ!!
せめて「友達の家にある」って距離感がちょうどいい。
さて今日はガイフォークスのお祭りの日です。
英国文化圏のかなりかわった、しかし盛大なお祭り。 知らない方はぜひウィキとかでこのお祭りのことを読んでみてください。 かなりのカルチャーショックを受けること間違えない。
NZでは花火の販売と個人使用が11月2日から5日までの三日間と決まっている。 未遂で終わった火薬陰謀事件を花火を使って代わりに達成してあげる(?)ようす。
ものすごい勢いで花火がバンスカあがる数日間。
しかし規制しても危険性を報道しても、毎年一件ぐらい家が全焼しているらしい。
なので職場でも同僚たちが「全部規制するべきだ」と言っているのを聞く。
規制もされていないし、そんなに家が花火で全焼したとも聞かない国からきた私には信じられない光景。 どれだけ野蛮なんだニュージーランド人。
本当に花火に罪はないですよね。
使い方に問題があるのです。
規制するから、興奮して数日間の間にバンスカ気が狂ったみたいに国民一斉に花火をあげるような暴挙に出てしまうのです。
ということはどこかにテレビとソファーと家で優雅な関係を築いている人がいたりするのでしょうか。 だとしたら是非教えてもらいたい。
そんなことを悶々と考えている、ガイフォークスの夜。
2010-10-26
久々に日本
急な用事があって3日間日本に帰ってきた。
日本に帰れると知った日から、ものすごーーーく楽しみだった。
そして帰ってきてみたらも、ものすごーーーく楽しかった。
赤ちゃんに会ったり、古い友達と遊んだり、とても素敵な週末になった。
こういう週末にぽろっと旅行に行くって好きだ。
久しぶりな友人に会うと、「あんなはこれからどこに住むの? 日本には帰ってくるの?」と聞かれることが多い。 自分でもわからないことだから、「わかんない」としか答えられない。
理想を考えるときりがない。 例えばどんな国からも、簡単に就労ビザがおりるぐらいの実力を持てたらどれだけ素敵だろう。 何カ国か住めたら、そこで仕事ができたら、それは本当に素敵な幸運だよなと思う。 でもそのためにはものすごい能力と技術と行動力がいる。 それは今の私は持ち合わせていない。
また30すぎぐらいには自分の会社を持ちたいなと考えている。 何の会社なのか、どんな商売をするのか、そうやるのか、そういうのを見定めるために20代は使いたい。 そのためには、後何カ所かで働いて、いろんな産業下で就労経験を積みたい。
どう考えても今は修行のとき。 まさにジュニアデザイナー。
もう26歳なので、考えてみるとジュニアで修行ができるのは後数年しかない。 そして何となく今のところはこのジュニアの時期は日本に帰らないだろうと思っている。
日本で働くのはとても忙しそう。 簡単に数年すぎてしまうだろう。 また日本での就労体験が他の地域でも使えるものかと考えると、特にそうでもないような気がするんだよね。 それに将来自分が日本の中の市場に向けて仕事をしたいとは今のところ思ってないので、大陸圏で若いうちに一度働いてみたい。
そういうことを考えると、特に今すぐ戻ってきて、日本で働こうっていう気分にはならない。
でも勿論家庭の喜びも人生の非常に大きな側面だし、それが日本にいた方が得られると思ったら、日本に住むことには躊躇ない。 私は家族の為に、生活のために働きたい。 仕事を優先して、家庭の喜びとか、友人達との慈しみ合いとかを失うのは本末転倒じゃん。
夜、友人達と銀座のビストロでコーヒーを飲んでいた。 大好きな瑞穂と大山と。 彼らの顔を見ると幸せになる。
その日はとてもいい一日だった。 もう一組の友達夫婦の間に生まれた赤ちゃんにみんなで会いにいき、その後はとても素敵なバーでかっこいい男友達とお酒を飲んだ。 そして、落ち着くお店で帰り際にコーヒーを飲んだ。
すごく幸せだと思う、と言ったら、大山が結構本気でうなずいていた。 私が幸せであってほしいと思っている人たちは、みんな恵みの多い幸せな人生をおくれている。 私は、結構涙が出そうなぐらいに、自分に訪れている幸運と恵みを噛み締めていた。 これ以上ってないよ!
定住地がなくても、まだ形になっている物事が手に入っていなくても、味わいや優しさや、恵みが日々にあふれている。 とても幸運だ。
まとまりのない文章になってしまったけど、「これからどこに住むのか」とかって、結構この幸運な感じを心の明かりにして、決めていくことだと思う。 私にとって、ここが一番明るくて、そして暖かいと思える場所にいつかは住みたい。
そんなことを、思っています。
あー、それにしても日本楽しい! 観光でくるにはベストな場所だね。
観光ツアーとかデザインしようかな。 誰か私と一緒に東京観光ツアー、デザインしませんか? 中国とかの若い、プライド高くて、センスがいい人たちを相手に、東京でのグランドなツアー、デザインしたら絶対楽しいよね。
日本に帰れると知った日から、ものすごーーーく楽しみだった。
そして帰ってきてみたらも、ものすごーーーく楽しかった。
赤ちゃんに会ったり、古い友達と遊んだり、とても素敵な週末になった。
こういう週末にぽろっと旅行に行くって好きだ。
久しぶりな友人に会うと、「あんなはこれからどこに住むの? 日本には帰ってくるの?」と聞かれることが多い。 自分でもわからないことだから、「わかんない」としか答えられない。
理想を考えるときりがない。 例えばどんな国からも、簡単に就労ビザがおりるぐらいの実力を持てたらどれだけ素敵だろう。 何カ国か住めたら、そこで仕事ができたら、それは本当に素敵な幸運だよなと思う。 でもそのためにはものすごい能力と技術と行動力がいる。 それは今の私は持ち合わせていない。
また30すぎぐらいには自分の会社を持ちたいなと考えている。 何の会社なのか、どんな商売をするのか、そうやるのか、そういうのを見定めるために20代は使いたい。 そのためには、後何カ所かで働いて、いろんな産業下で就労経験を積みたい。
どう考えても今は修行のとき。 まさにジュニアデザイナー。
もう26歳なので、考えてみるとジュニアで修行ができるのは後数年しかない。 そして何となく今のところはこのジュニアの時期は日本に帰らないだろうと思っている。
日本で働くのはとても忙しそう。 簡単に数年すぎてしまうだろう。 また日本での就労体験が他の地域でも使えるものかと考えると、特にそうでもないような気がするんだよね。 それに将来自分が日本の中の市場に向けて仕事をしたいとは今のところ思ってないので、大陸圏で若いうちに一度働いてみたい。
そういうことを考えると、特に今すぐ戻ってきて、日本で働こうっていう気分にはならない。
でも勿論家庭の喜びも人生の非常に大きな側面だし、それが日本にいた方が得られると思ったら、日本に住むことには躊躇ない。 私は家族の為に、生活のために働きたい。 仕事を優先して、家庭の喜びとか、友人達との慈しみ合いとかを失うのは本末転倒じゃん。
夜、友人達と銀座のビストロでコーヒーを飲んでいた。 大好きな瑞穂と大山と。 彼らの顔を見ると幸せになる。
その日はとてもいい一日だった。 もう一組の友達夫婦の間に生まれた赤ちゃんにみんなで会いにいき、その後はとても素敵なバーでかっこいい男友達とお酒を飲んだ。 そして、落ち着くお店で帰り際にコーヒーを飲んだ。
すごく幸せだと思う、と言ったら、大山が結構本気でうなずいていた。 私が幸せであってほしいと思っている人たちは、みんな恵みの多い幸せな人生をおくれている。 私は、結構涙が出そうなぐらいに、自分に訪れている幸運と恵みを噛み締めていた。 これ以上ってないよ!
定住地がなくても、まだ形になっている物事が手に入っていなくても、味わいや優しさや、恵みが日々にあふれている。 とても幸運だ。
まとまりのない文章になってしまったけど、「これからどこに住むのか」とかって、結構この幸運な感じを心の明かりにして、決めていくことだと思う。 私にとって、ここが一番明るくて、そして暖かいと思える場所にいつかは住みたい。
そんなことを、思っています。
あー、それにしても日本楽しい! 観光でくるにはベストな場所だね。
観光ツアーとかデザインしようかな。 誰か私と一緒に東京観光ツアー、デザインしませんか? 中国とかの若い、プライド高くて、センスがいい人たちを相手に、東京でのグランドなツアー、デザインしたら絶対楽しいよね。
2010-10-17
2010-10-07
主夫
私の友達は研究者やデザイナー、建築家など
結構家で仕事ができる人が多い。
完全なる専業主夫はいないけど、
大抵家で一日に数時間ずつ働いて後は家事をしている。
何故こんなに最近回りの友達は主夫なのか、
悶々と考えてみた。
元々私の父が専業主夫だった。
今では専業ではないが、それでも家事のリーダーシップを取っている。
なので、そういう生活が好きな人とは感覚があう。
多分それが因果の一つ。
そして私は男子校のような環境にずっといたので、
圧倒的に男の子の友達が多い。(残念な位に周りに女の子がいなかった。)
私自身は別にマッチョな男子じゃないので必然的に中性的な男の子と友達になる事が多かった。 多分これも因果の一つ。
また私は、作りが雑なので、かなりのハイメンテナンスが求められる。
インド車のアンバサダーが人間になったらこういう感じだろうという作りだ。
必然的に私は甲斐甲斐しい人と友達になる事が多い。
結果人種性別年齢問わず、私の友達は菩薩系の方々が揃う。
友達勢揃いの時なんて、ほとんど涅槃。 菩薩勢揃いで曼荼羅状態。
彼らが立身出世とかよりも家庭を選ぶのは大変理解できる。
なんか、そういう方向に頭が向いていないのだ。
菩薩だから。
こっちは大学院に行く前に結婚するケースが結構ある。
片方が働き、もう学生をする方を経済的に支える為だ。
私の友達は、カップルで大体一年ずつ交互に学生と労働を繰り返している。
学生側の貰う奨学金と、労働者側のお給料で二人の生活を成り立たせている。
そして家で論文を書いている側が大概の家事をする。
そんな生活を考えてみたらここ4年位交代しながら彼らはしている。
勿論不景気も手伝っている。 元々そんなに外でビジネスマンになるようなタイプの人達じゃなかったから、「ガッツリ働くより、家庭を守ろう」って方向に行くんだろう。
まあ皆素晴らしい伴侶がいて、家庭があるから、そこでオーケーならいいんじゃんと思って眺めていた。(家庭願望がある奴らが多かったみたいで、友達みんな今伴侶持ち)
で、実際自分も働きはじめて、私の連れ合いも働いていてって生活をしてみて、どっちかが仕事をカットダウンする事の意味がはじめてわかった。 両方ともフルタイムで働いていると、家に帰った後に家事をするだけで時間が取られて、なんか"生活"が無くなるのだ!
結構家で仕事ができる人が多い。
結果的に大学をでた今、私の友達はやたらと主夫になっている。
完全なる専業主夫はいないけど、
大抵家で一日に数時間ずつ働いて後は家事をしている。
何故こんなに最近回りの友達は主夫なのか、
悶々と考えてみた。
元々私の父が専業主夫だった。
今では専業ではないが、それでも家事のリーダーシップを取っている。
なので、そういう生活が好きな人とは感覚があう。
多分それが因果の一つ。
そして私は男子校のような環境にずっといたので、
圧倒的に男の子の友達が多い。(残念な位に周りに女の子がいなかった。)
私自身は別にマッチョな男子じゃないので必然的に中性的な男の子と友達になる事が多かった。 多分これも因果の一つ。
また私は、作りが雑なので、かなりのハイメンテナンスが求められる。
インド車のアンバサダーが人間になったらこういう感じだろうという作りだ。
必然的に私は甲斐甲斐しい人と友達になる事が多い。
結果人種性別年齢問わず、私の友達は菩薩系の方々が揃う。
友達勢揃いの時なんて、ほとんど涅槃。 菩薩勢揃いで曼荼羅状態。
彼らが立身出世とかよりも家庭を選ぶのは大変理解できる。
なんか、そういう方向に頭が向いていないのだ。
菩薩だから。
こっちは大学院に行く前に結婚するケースが結構ある。
片方が働き、もう学生をする方を経済的に支える為だ。
私の友達は、カップルで大体一年ずつ交互に学生と労働を繰り返している。
学生側の貰う奨学金と、労働者側のお給料で二人の生活を成り立たせている。
そして家で論文を書いている側が大概の家事をする。
そんな生活を考えてみたらここ4年位交代しながら彼らはしている。
他にも片っぽが外部の建築事務所で働き、もう片っぽは家でその事務所のサポートをしながら家事をしているとか、まあ色々ある。
勿論不景気も手伝っている。 元々そんなに外でビジネスマンになるようなタイプの人達じゃなかったから、「ガッツリ働くより、家庭を守ろう」って方向に行くんだろう。
まあ皆素晴らしい伴侶がいて、家庭があるから、そこでオーケーならいいんじゃんと思って眺めていた。(家庭願望がある奴らが多かったみたいで、友達みんな今伴侶持ち)
で、実際自分も働きはじめて、私の連れ合いも働いていてって生活をしてみて、どっちかが仕事をカットダウンする事の意味がはじめてわかった。 両方ともフルタイムで働いていると、家に帰った後に家事をするだけで時間が取られて、なんか"生活"が無くなるのだ!
2010-09-16
2010-09-08
クライストチャーチ
土曜の昼間、日本の父親から電話が来た。 こちら時間の早朝、NZの南島のクライストチャーチで大きな地震があった事を、日本のニュースで知り心配して電話をかけて来てくれた。
その日はたまたま家のネットが切れていた事と、早朝から用事で街を出ていた事が重なって、私はニュースを全く見ていなかった。 驚いてコンビニに飛び込み新聞を見たけど、地震は新聞を刷り終わった頃におこったため、載っていなかった。
そして銀行に入り、待合室のテレビでニュースを見る。
心配だ。
その日はたまたま家のネットが切れていた事と、早朝から用事で街を出ていた事が重なって、私はニュースを全く見ていなかった。 驚いてコンビニに飛び込み新聞を見たけど、地震は新聞を刷り終わった頃におこったため、載っていなかった。
そして銀行に入り、待合室のテレビでニュースを見る。
心配だ。
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