巣作りをするのは楽しい。
最近久しぶりに巣作りに対する情熱が戻ってきた。
これはオークランドに引っ越してきてから全く情熱がなかったので、二年ぶりぐらいか。
とても居心地が良い家なので、もっともっと居心地を良くしたいという情熱にかられている。
私は空中庭園みたいな場所が好きだ。
だから、一階に住むより二階に住みたい。
窓から植物の上の方が見えるのが好きだから。
あと風の吹き込みかたも大切。
そして布が沢山ある部屋が好きだ。
家具の素材は木材と布が良い。
木材ちょっとと、布沢山。
ふわふわしているとなお良い。
どうしてこうも柔らかいものに包まれたいのか。
照明も暖色の間接照明が好きだ。
ベッドにぽーんと飛び込んだ時に、枕元に沢山の枕やクッションがあって、
ちょっと固めのさっぱりとした素材のシーツが肌に触る感じも大切。
小さいときからベッドに入る度に笑い声を上げて喜んだ。
今でもぱりっとベッドメイキングされたベッドに飛び込む瞬間に、嬉しくてたまに声を上げて笑ってしまう。 沸き上がってくる喜びが止められないのだ。 トランポリンで飛ぶ瞬間のお腹がくすぐったくなる感じが、ベッドにぽーんと自分を投げ出す時にもするんだよね。
柔らかくて、そよそよしていて、そしていつも若干温かい環境が好きなのだ。
どうしてこういうのが好きなんだろうと考えるとちょっと分かんなくなる。
小さいときに住んでいた部屋に似ているから?
それともたまたま?
私は小さいときから屋根裏部屋に住んでいた。
最初は大きなテラスのついている小さな屋根裏部屋。
梯子で登る部屋だった。
ダブルベッドを置くと床のほとんどが覆い隠されてしまう部屋だった。
天井の一番高い所がぎりぎり160cmの私が立って頭が当たらないぐらい。
部屋のはじっこに行けば行くほどに(そして部屋のはじっこはすぐそこにある)ギューンと天上が低くなる。
屋根裏部屋の一面は屋根の上にあるテラスに繋がる窓になっていて、テラスは部屋よりも広かった。 そこも私の空間だった。 その二部屋(?)が私の幼少期の部屋。
実家が今の家に引っ越してきてからは、もっと広い、そして頭が天上には当たらない屋根裏部屋があてがわれた。 天窓と、中庭が見える小さな窓がある以外は外部から遮断された、鬱蒼とした感じの部屋。 森の中の家なので、まあ、それはそれで丁度いい。 トトロの穴蔵みたいで好きだ。
両方とも、どこか包まれる感覚のある部屋だった。
子宮のような、繭のような。
部屋には心地よさや、安心感、温かさ、柔らかさを求めてしまう。
どうしてなんだろうね? よっぽど母が恋しいのだろうか。
そういえば、昔、部屋に男の子が来る度に、自分の部屋の女性らしさに驚いたものだ。
私は別に自分の部屋が女性的だとかロマンティックだとか考えずに暮しているんだけど、実際男の子が部屋に入ってくると、自分と身長も違うし、動きも違うし、大概「お花畑に熊が来た…!」って感じになっていた。 そしてとても驚くのだ。 相手の巨大さと、相手の荒々しさに。 街やら学校で会っている時はそんな事感じないから、多分、私の部屋とのコントラストでそう見えているのだ。 ってことはよっぽどフェミニンな部屋を私が持っていたってことだろう。
(ましてや好きな男の子が来た時なんて、もうウルトラドギマギだよねっ! 自分の柔らかい繭みたいな部屋に、自分が世界で一番野生とか生命力とかを感じている相手がいるんだもん。「っか、形が変わるっっ!」って思ってクラクラ。 ああ、今思いだすだけでも、ドギマギしてきた…! あの、好きな人の体とか動きを通して、自分の部屋がものすごく女性的なんだって気がついた瞬間の感じ、ものすごいものがあるよ。)
anyway, 熊からしてみると、「こんなにいい環境があるのか…!」と心打たれるらしく、しょっちゅう来るようになる。 「だって、居心地いいんだもん」という理由で。 だったらお前の部屋も柔らかくて温かい感じにすれば良いじゃんと私は思う。
逆もあるみたいで、私が相手の部屋に座っている所を見ると、私の体の形とか服とか、雰囲気とかとのコントラストで、相手は「うわっ、確かに俺の部屋、明るさとか華やかさとか、色彩が無さ過ぎる…!」って気がつくらしい。
何なんでしょうね、この巣作りの不思議。
どうしてこうも自分の一番大切な感じの感覚が溢れ出てしまうんだろう、部屋の中には。
不思議だー!!
2010-11-25
2010-11-21
Who do you think you are?
オークランドの一番大きな図書館の横に引っ越してきてから、毎日会社帰りに図書館に寄っている。 こっちはDVDとかも無料で貸し出してもらえるので、テレビなんかで放送されていたドキュメンタリーなんかを夜寝る前に見たりしている。
Who do you think you are?は、元々BBCが初めた家系図に関するドキュメンタリー番組。 現在は、カナダ版、アメリカ版、アイルランド版、オーストラリア版、イスラエル版、スウェーデン版、南アフリカ版がある。
毎回現在生きている一人の人に焦点を当てて、その人の家系図をひもといていく。 これがめちゃくちゃ面白いのだ。
私が見たのはオーストラリア版なんだけど、目から鱗の連続で、考えさせられるし、毎回世界を見る目がちょっとずつ変わる。 私はオーストラリア史をあまり知らないので、余計に面白いのだと思う。 番組から知らない事を沢山知る事ができる。
オーストラリアは移民の国なので、一人一人の持っている歴史が全く違う。 みんなの御先祖様の来た所も違うし、来た理由も違う。 大げさじゃなくてね、見ていると人類ってなんて凄いんだってあっけにとられちゃうんだ。
例えばRon Barassiっていうオーストラリアのラグビープレーヤーのおじいちゃんが焦点だった回。 傑作だった。
撮影当時74歳だった彼は、父親の記憶がない。 彼が4歳の時に戦争で亡くなっているから。 まず父親に関して調べる事から番組は始まる。 色んな公的な書類を見つけていき、最終的に戦争で同じ隊にいて、彼が亡くなる所を見ていた隊員を見つけ、色々な話しを聞く。
次に父方の祖父の事を調べていく。 そして、祖父と曾祖父の関係、曾祖父と、高曾祖父とさかのぼっていく。 どうしてオーストラリアに来たのか、どこから来たのか、もっと正確に言うと、どこのどこから来たのかって具合に段々と自分の家系図を通して自分の産まれてきた背景を知っていく。
彼の父方の家系はスイスのイタリア語圏から、オーストラリアで当時おこっていたゴールドラッシュを追っかけて移住してきた人達だと分かる。 (地球の裏側からだよ! 200年近く前に当時の技術で!! この時点で結構素直に人間ってすごいと感心してしまう。) しかしスイスで聞いたゴールドラッシュは噂でしか無く、地球の裏側のとんでもなく過酷で、どこともつながりの無いような未開の地で、その移民達は何年も失敗に失敗を重ねて行く。 とんでもない努力と重労働は水の泡。 なので今度は果樹園を始め、それは成功していく。 この果樹園はRonの覚えている祖父の代まで続く。
もう、この時点で最近仕事が難航している私は、この不屈のフロンティアスピリッツに感動し、励まされた。
地球の裏側の未開の地で情報やらから遮断され、意味の無い巨大な穴をひたすら数年続け、しかもそれが無駄な努力だったとかって、もう、サーバーが上手く動かないとか、本の製本がずれるとかっていう私の悩みと比べ物にならないよ。 だってオーストラリアの自然は凄いもの。 当時の写真を見る限り「日本国土規模の富士の樹海のような場所に俺が一人ぽつんといる」って感じだよ。 私のオフィス、エアコン付きだし、私、もっと頑張れるって思いました。
番組ではこれらの情報をヨーロッパからの貨物船の記録とか、昔の市役所の記録とか、郷土史を研究している人達とかの協力を通じて発見していく。 私はここに凄く感心してしまった。 どれだけ記録マニアなんだ人類、というかヨーロッパの人達。 googleの遺伝子を感じてしまった。 200年近く前の貨物船の記録って、おい!
母方だったか、それとも父方の誰かだったかは思い出せないんだけど、彼にはアイルランド系の血も入っている。
スイス系の祖先達が来た頃と同じ頃、彼のアイルランド側の祖先は、妻を殴り殺し、オーストラリアに島流しにあう。
オーストラリアに流された人達は、イギリス本土の人工口減らし目的だったので、軽犯罪者達をじゃんじゃん流刑したんだそう。 パンを盗んで地球の裏側の未開の地へ島流しっていう「おいっ!」っていう時代だったのだ。
その中で殺人者が送られたのは非常に、非常にレアなんだそう。 殺人者が死刑に会わなかった事自体がレアなので。
どうしてそうなったのか。 理由は、殺人現場を目撃していた彼の子どもたち(当時十歳ぐらい)にある。 裁判の途中で、子どもたちは父親が母親を殺した事を証言している。(ここもすごい) 父親が母親を殺したのだと証言し、その現場の説明をし、そしてその結果、法がその父親を処刑した場合、この子どもたちは「自分達が罰されている。 自分の証言が父親を殺した。」と思う事になる。 それはいかんと言う事で島流しになったらしい。(この時点で私あっけにとられた。人に歴史あり。壮絶なり。)
これらの情報を当時の新聞や裁判記録を読み解き探し出していく。(実はこの殺人を犯した父親と、息子は名前が一緒であり、当初は同一人物だと思われていた。 でもそうすると色々と符合があわないと分かり、調べていくにつれ、別人である事、そして父親の方がオーストラリアに来た原因の人物であることが分かっていく)
かなりファインなラインで、自分の御先祖様の命は繋がり、現在の自分の命に繋がっているのだと知った、Ronおじいちゃんマジであんぐり。 驚きまくっていた。 そもそも自分にアイリッシュの血が入っている事すら知らなかったのだ。
anyway, その島流しにあった父親、当初は勿論一人で島流しにあった。 しかしRonおじいちゃんはオージーに現にいる。 どういういきさつで子どもたちはオーストラリアに来る事になったのか。 殺人事件がおこった当時、10歳を筆頭に6人の子どもが彼にはいた。 彼はオーストラリアでの生活がある程度軌道にのりはじめた時点で、地球の裏側にいるその子どもたちを必死に、(ものすごい努力が必要とされたのだろうってことは簡単に想像がつく)呼び寄せる。
貨物船やら裁判記録やらでは分からない側面は、果たして、子どもたちと父親はまた親しくなれたのか/打ち解ける事が出来たのかという事だ。 感情的な所は分からない。
番組は今度は彼らの居住記録に注目する。 なんと父親と、父親の殺人を裁判で証言した(事件があった当時は10歳)だった息子は、後年シドニーで同じ家に住んでいた事が分かる。 今度はその家のサイズや間取りを探していく。 そしてその家は現在のロックという地域にある、二間の小さな家だと分かり、「嫌い合っていたらこのサイズの家に一緒に住む事は出来ない。 職業記録などを見ていても、彼らは一緒に住みたくなかったら住まずにいられたような収入があるし、打ち解けたのだろう」という推測にたどり着いていく。
もうRonおじいちゃん、言葉を失っていたよ。
気持ちは分かる! 私も結構色んなレイヤーで言葉を失った。
人びとの人生も凄いし、ヨーロッパ人達の記録+アーカイブマニアっぷりもすごいし、当時の法制度やらもすごいし、移動距離も凄い。
あっけにとられた。
で、この規模の話しがみんなにあるんだよね。 それが番組を見ていると分かるんだ。 人類の命の繋がりって、すごい。
ミクロネシア出身の人なんて、自分の御先祖様の歌声を、ケンブリッジ大学の文化人類学研究所経由でロンドンのナショナルアーカイブの鑞で出来たレコードの中から見つけて、おったまげていた。 この人の回も凄かった。
とりあえず面白い。
人類凄い。
そしてヨーロッパ系の人達の記録マニアっぷりも本当に凄い。
もし私に子供が産まれたとして、そしてその子供に子供がうまれたとして…って考えてみる。
その子(私の孫)は、祖父母四人、両親二人の人生やら命の連鎖やらの結果であるわけだ。
過去を振り返れば、半端無い数の人達の命がある。
自分の命と今地球上に生きている、
想像もできないどっかの誰かの命の連鎖が繋がって、
新しい命になっていく訳じゃん。
自分の孫なんて、半分以上、私の命の連鎖以外で成り立っている。
自分の命が見ず知らずの誰かの命と遠い未来で繋がる可能性があるのかぁと考えると、
なんかえらく感心してしまうよ。
「自分の孫」なんて考えると、なんか自分の命からの連鎖って感じにしか見えないけど、
実は私の命が他の人達の命と繋がりあって、どの人の人生の背景にもダバダバダバダーって色んな歴史や背景があるのだと考えると、世の中の一筋縄ではいかない感じが実感できて面白い。 なんか変なきっかけだけど、社会性が若干自分の中で芽生えたよ。
おまけ
アメリカ版だとサラジェシカパーカーとかが素材になっていて、彼女の御先祖様が魔女刈りで殺されていた事とかが分かったそう。 アメリカ版も凄そうだな…。
Who do you think you are?は、元々BBCが初めた家系図に関するドキュメンタリー番組。 現在は、カナダ版、アメリカ版、アイルランド版、オーストラリア版、イスラエル版、スウェーデン版、南アフリカ版がある。
毎回現在生きている一人の人に焦点を当てて、その人の家系図をひもといていく。 これがめちゃくちゃ面白いのだ。
私が見たのはオーストラリア版なんだけど、目から鱗の連続で、考えさせられるし、毎回世界を見る目がちょっとずつ変わる。 私はオーストラリア史をあまり知らないので、余計に面白いのだと思う。 番組から知らない事を沢山知る事ができる。
オーストラリアは移民の国なので、一人一人の持っている歴史が全く違う。 みんなの御先祖様の来た所も違うし、来た理由も違う。 大げさじゃなくてね、見ていると人類ってなんて凄いんだってあっけにとられちゃうんだ。
例えばRon Barassiっていうオーストラリアのラグビープレーヤーのおじいちゃんが焦点だった回。 傑作だった。
撮影当時74歳だった彼は、父親の記憶がない。 彼が4歳の時に戦争で亡くなっているから。 まず父親に関して調べる事から番組は始まる。 色んな公的な書類を見つけていき、最終的に戦争で同じ隊にいて、彼が亡くなる所を見ていた隊員を見つけ、色々な話しを聞く。
次に父方の祖父の事を調べていく。 そして、祖父と曾祖父の関係、曾祖父と、高曾祖父とさかのぼっていく。 どうしてオーストラリアに来たのか、どこから来たのか、もっと正確に言うと、どこのどこから来たのかって具合に段々と自分の家系図を通して自分の産まれてきた背景を知っていく。
彼の父方の家系はスイスのイタリア語圏から、オーストラリアで当時おこっていたゴールドラッシュを追っかけて移住してきた人達だと分かる。 (地球の裏側からだよ! 200年近く前に当時の技術で!! この時点で結構素直に人間ってすごいと感心してしまう。) しかしスイスで聞いたゴールドラッシュは噂でしか無く、地球の裏側のとんでもなく過酷で、どこともつながりの無いような未開の地で、その移民達は何年も失敗に失敗を重ねて行く。 とんでもない努力と重労働は水の泡。 なので今度は果樹園を始め、それは成功していく。 この果樹園はRonの覚えている祖父の代まで続く。
もう、この時点で最近仕事が難航している私は、この不屈のフロンティアスピリッツに感動し、励まされた。
地球の裏側の未開の地で情報やらから遮断され、意味の無い巨大な穴をひたすら数年続け、しかもそれが無駄な努力だったとかって、もう、サーバーが上手く動かないとか、本の製本がずれるとかっていう私の悩みと比べ物にならないよ。 だってオーストラリアの自然は凄いもの。 当時の写真を見る限り「日本国土規模の富士の樹海のような場所に俺が一人ぽつんといる」って感じだよ。 私のオフィス、エアコン付きだし、私、もっと頑張れるって思いました。
番組ではこれらの情報をヨーロッパからの貨物船の記録とか、昔の市役所の記録とか、郷土史を研究している人達とかの協力を通じて発見していく。 私はここに凄く感心してしまった。 どれだけ記録マニアなんだ人類、というかヨーロッパの人達。 googleの遺伝子を感じてしまった。 200年近く前の貨物船の記録って、おい!
母方だったか、それとも父方の誰かだったかは思い出せないんだけど、彼にはアイルランド系の血も入っている。
スイス系の祖先達が来た頃と同じ頃、彼のアイルランド側の祖先は、妻を殴り殺し、オーストラリアに島流しにあう。
オーストラリアに流された人達は、イギリス本土の人工口減らし目的だったので、軽犯罪者達をじゃんじゃん流刑したんだそう。 パンを盗んで地球の裏側の未開の地へ島流しっていう「おいっ!」っていう時代だったのだ。
その中で殺人者が送られたのは非常に、非常にレアなんだそう。 殺人者が死刑に会わなかった事自体がレアなので。
どうしてそうなったのか。 理由は、殺人現場を目撃していた彼の子どもたち(当時十歳ぐらい)にある。 裁判の途中で、子どもたちは父親が母親を殺した事を証言している。(ここもすごい) 父親が母親を殺したのだと証言し、その現場の説明をし、そしてその結果、法がその父親を処刑した場合、この子どもたちは「自分達が罰されている。 自分の証言が父親を殺した。」と思う事になる。 それはいかんと言う事で島流しになったらしい。(この時点で私あっけにとられた。人に歴史あり。壮絶なり。)
これらの情報を当時の新聞や裁判記録を読み解き探し出していく。(実はこの殺人を犯した父親と、息子は名前が一緒であり、当初は同一人物だと思われていた。 でもそうすると色々と符合があわないと分かり、調べていくにつれ、別人である事、そして父親の方がオーストラリアに来た原因の人物であることが分かっていく)
かなりファインなラインで、自分の御先祖様の命は繋がり、現在の自分の命に繋がっているのだと知った、Ronおじいちゃんマジであんぐり。 驚きまくっていた。 そもそも自分にアイリッシュの血が入っている事すら知らなかったのだ。
anyway, その島流しにあった父親、当初は勿論一人で島流しにあった。 しかしRonおじいちゃんはオージーに現にいる。 どういういきさつで子どもたちはオーストラリアに来る事になったのか。 殺人事件がおこった当時、10歳を筆頭に6人の子どもが彼にはいた。 彼はオーストラリアでの生活がある程度軌道にのりはじめた時点で、地球の裏側にいるその子どもたちを必死に、(ものすごい努力が必要とされたのだろうってことは簡単に想像がつく)呼び寄せる。
貨物船やら裁判記録やらでは分からない側面は、果たして、子どもたちと父親はまた親しくなれたのか/打ち解ける事が出来たのかという事だ。 感情的な所は分からない。
番組は今度は彼らの居住記録に注目する。 なんと父親と、父親の殺人を裁判で証言した(事件があった当時は10歳)だった息子は、後年シドニーで同じ家に住んでいた事が分かる。 今度はその家のサイズや間取りを探していく。 そしてその家は現在のロックという地域にある、二間の小さな家だと分かり、「嫌い合っていたらこのサイズの家に一緒に住む事は出来ない。 職業記録などを見ていても、彼らは一緒に住みたくなかったら住まずにいられたような収入があるし、打ち解けたのだろう」という推測にたどり着いていく。
もうRonおじいちゃん、言葉を失っていたよ。
気持ちは分かる! 私も結構色んなレイヤーで言葉を失った。
人びとの人生も凄いし、ヨーロッパ人達の記録+アーカイブマニアっぷりもすごいし、当時の法制度やらもすごいし、移動距離も凄い。
あっけにとられた。
で、この規模の話しがみんなにあるんだよね。 それが番組を見ていると分かるんだ。 人類の命の繋がりって、すごい。
ミクロネシア出身の人なんて、自分の御先祖様の歌声を、ケンブリッジ大学の文化人類学研究所経由でロンドンのナショナルアーカイブの鑞で出来たレコードの中から見つけて、おったまげていた。 この人の回も凄かった。
とりあえず面白い。
人類凄い。
そしてヨーロッパ系の人達の記録マニアっぷりも本当に凄い。
もし私に子供が産まれたとして、そしてその子供に子供がうまれたとして…って考えてみる。
その子(私の孫)は、祖父母四人、両親二人の人生やら命の連鎖やらの結果であるわけだ。
過去を振り返れば、半端無い数の人達の命がある。
自分の命と今地球上に生きている、
想像もできないどっかの誰かの命の連鎖が繋がって、
新しい命になっていく訳じゃん。
自分の孫なんて、半分以上、私の命の連鎖以外で成り立っている。
自分の命が見ず知らずの誰かの命と遠い未来で繋がる可能性があるのかぁと考えると、
なんかえらく感心してしまうよ。
「自分の孫」なんて考えると、なんか自分の命からの連鎖って感じにしか見えないけど、
実は私の命が他の人達の命と繋がりあって、どの人の人生の背景にもダバダバダバダーって色んな歴史や背景があるのだと考えると、世の中の一筋縄ではいかない感じが実感できて面白い。 なんか変なきっかけだけど、社会性が若干自分の中で芽生えたよ。
おまけ
アメリカ版だとサラジェシカパーカーとかが素材になっていて、彼女の御先祖様が魔女刈りで殺されていた事とかが分かったそう。 アメリカ版も凄そうだな…。
2010-11-20
The man in the hat
The man in the hatという映画を見た。
Wellingtonのアートディーラー、Peter McLeaveyに関するドキュメンタリー映画。
想像以上に素晴らしい映画で、終止心が揺さぶられた。
彼は私の大学のすぐそばで、40年以上ギャラリーを経営しているアートディーラーだ。 NZで最初に現代美術を取り扱いはじめたギャラリーで、NZの現代美術史は彼の狭い、しかし美しいギャラリーの壁の上で綴られ続けてきた。
彼は私の尊敬する、そして私の心の深く、そして一番求めている部分に触れてくる作家達を、沢山見つけ出してきた。
そんな奇跡みたいな仕事がどうして可能だったのか、映画を見ていて、理解できた気がした。
そして私が彼のギャラリーに行く度に感じた事を、映画も見事に描き出していた。 彼の見つけてきた作品の素晴らしさ、ギャラリーの功績、そしてなによりも彼の人となりの素晴らしさについて。
初めて私が彼のギャラリーに行った時、入り口で握手をされ「君がここに来る事を42年間待っていました」と言われた。 それから沢山の話しをした。 そこで展示される作品がとても好きだった。 私の知らない世界をいつも見せてくれた。 私だけでは開けられなかった、自分の中の、世界と触れ合う為の感受性の扉を沢山開けてもらった。
同時にピーターのあまりにも優しく、まっすぐで、力強い彼の言葉に私は励まされ続けてきた。
彼は言葉の人だ。
彼の言葉との関係により、私は改めて言葉の持つ、自分と世界を繫げてくれる力を知りなおした気がする。
的確に自分の感じている事を伝えよう、表現しようとする、人としての向上心を、彼から感じたんだ。
嘘が無くて、明確で、そして何よりも言っている事の内容が良い。
しっかしとした言葉の骨格と、綺麗な単語達を効果的に混ぜて、言うべき事を言っている。
それって凄いことだよ。 とても難しい。
大抵ワーディーな文章や、やけに形容詞連発して当人の感受した事柄に付いての話しは退屈で、残念な感じがする場合が多い。 脳みそだけが空廻ってしまった感じがして、そのアンバランスさがめんどくさくて苦手なのだ。 自由な魂を持っていて様々な事を感じる為の扉が開いているのと、神経質なのやら未熟なのってって全く別の話しじゃん。
私をピーターのギャラリーに連れて行ってくれたのは、ウェリントンで当時同居していた男の子だった。
私は大抵、一緒にいるその時には、その子から与えてもらった事柄の量に全く気がつけていない。
同居人とかになると距離が近くてなんでも見えてしまう分、大抵若干相手との関係をめんどくさいと思っていたり、相手を大した奴じゃ無いと思ってしまったりする。
でも、後から考え直してみると、本当に信じられないぐらい沢山の事を、一緒に住んだ相手からは学んでいる。
彼から教えてもらった事や気がつかせてもらった事に、いまだにかなり影響されていて、そして素晴らしいと思っている自分に、自分で驚く。 その時はそこまで価値を見出していなかったから。
絶対にかなりの生活の知恵と喜びを彼らから得た。 不思議なもんだ。 友達として気が合うとか、そういう次元以外でも人間関係って尊い果実を実らせる事ができるんだよね。
だから彼の事を懐かしく思い出しながら、映画を見ていた。
そして自分が価値を見出せていなかったり、尊さが分かっていない事柄が、
未来から見てみたら、今日の生活の中にも溢れているんだろうと思えて、救いを感じた。
それにしても映画の中に出てくるウェリントンが、私の見ていたウェリントンにとても似ていて、本当に懐かしくて胸が温かくなった。 「これこれこれ! これが私を育ててくれて、そして私の愛してやまないウェリントン!」ってなりました。 自分の中の大切な景色が、このドキュメンタリー映画にも沢山記録されていた。 目線が似ていた。
ウェリントニアンは普通に国会議事堂の敷地内を通って通勤する。 誰でも入れる。 敷居がめちゃくちゃ低い。 というか、ほとんどない。 映画の中にもその景色が出ていた。 よそではちょっと考えられないよね。 近道だから国会議事堂の敷地内を横切って行こうぜとはならないだろう。
これはアティチュードの問題なんだと思う。 「国会議事堂は開かれた公園のような場所であるべきだ。」っていう人びとのアティチュードが、色んなルールを作り上げて行くんだよね。 ウェリントニアンのアティテュードが映画の中に偶然色々写っていて懐かしかった。
他の街に住んでみて、ウェリントンが結構特種なコンディションの上で、ああいう感じなんだなってのも知って、どこもかしこもウェリントンのようになれば良いとは思わなくなったけど、それでもやっぱり好きだな。
Wellingtonのアートディーラー、Peter McLeaveyに関するドキュメンタリー映画。
想像以上に素晴らしい映画で、終止心が揺さぶられた。
彼は私の大学のすぐそばで、40年以上ギャラリーを経営しているアートディーラーだ。 NZで最初に現代美術を取り扱いはじめたギャラリーで、NZの現代美術史は彼の狭い、しかし美しいギャラリーの壁の上で綴られ続けてきた。
彼は私の尊敬する、そして私の心の深く、そして一番求めている部分に触れてくる作家達を、沢山見つけ出してきた。
そんな奇跡みたいな仕事がどうして可能だったのか、映画を見ていて、理解できた気がした。
そして私が彼のギャラリーに行く度に感じた事を、映画も見事に描き出していた。 彼の見つけてきた作品の素晴らしさ、ギャラリーの功績、そしてなによりも彼の人となりの素晴らしさについて。
初めて私が彼のギャラリーに行った時、入り口で握手をされ「君がここに来る事を42年間待っていました」と言われた。 それから沢山の話しをした。 そこで展示される作品がとても好きだった。 私の知らない世界をいつも見せてくれた。 私だけでは開けられなかった、自分の中の、世界と触れ合う為の感受性の扉を沢山開けてもらった。
同時にピーターのあまりにも優しく、まっすぐで、力強い彼の言葉に私は励まされ続けてきた。
彼は言葉の人だ。
彼の言葉との関係により、私は改めて言葉の持つ、自分と世界を繫げてくれる力を知りなおした気がする。
的確に自分の感じている事を伝えよう、表現しようとする、人としての向上心を、彼から感じたんだ。
嘘が無くて、明確で、そして何よりも言っている事の内容が良い。
しっかしとした言葉の骨格と、綺麗な単語達を効果的に混ぜて、言うべき事を言っている。
それって凄いことだよ。 とても難しい。
大抵ワーディーな文章や、やけに形容詞連発して当人の感受した事柄に付いての話しは退屈で、残念な感じがする場合が多い。 脳みそだけが空廻ってしまった感じがして、そのアンバランスさがめんどくさくて苦手なのだ。 自由な魂を持っていて様々な事を感じる為の扉が開いているのと、神経質なのやら未熟なのってって全く別の話しじゃん。
私をピーターのギャラリーに連れて行ってくれたのは、ウェリントンで当時同居していた男の子だった。
私は大抵、一緒にいるその時には、その子から与えてもらった事柄の量に全く気がつけていない。
同居人とかになると距離が近くてなんでも見えてしまう分、大抵若干相手との関係をめんどくさいと思っていたり、相手を大した奴じゃ無いと思ってしまったりする。
でも、後から考え直してみると、本当に信じられないぐらい沢山の事を、一緒に住んだ相手からは学んでいる。
彼から教えてもらった事や気がつかせてもらった事に、いまだにかなり影響されていて、そして素晴らしいと思っている自分に、自分で驚く。 その時はそこまで価値を見出していなかったから。
絶対にかなりの生活の知恵と喜びを彼らから得た。 不思議なもんだ。 友達として気が合うとか、そういう次元以外でも人間関係って尊い果実を実らせる事ができるんだよね。
だから彼の事を懐かしく思い出しながら、映画を見ていた。
そして自分が価値を見出せていなかったり、尊さが分かっていない事柄が、
未来から見てみたら、今日の生活の中にも溢れているんだろうと思えて、救いを感じた。
それにしても映画の中に出てくるウェリントンが、私の見ていたウェリントンにとても似ていて、本当に懐かしくて胸が温かくなった。 「これこれこれ! これが私を育ててくれて、そして私の愛してやまないウェリントン!」ってなりました。 自分の中の大切な景色が、このドキュメンタリー映画にも沢山記録されていた。 目線が似ていた。
ウェリントニアンは普通に国会議事堂の敷地内を通って通勤する。 誰でも入れる。 敷居がめちゃくちゃ低い。 というか、ほとんどない。 映画の中にもその景色が出ていた。 よそではちょっと考えられないよね。 近道だから国会議事堂の敷地内を横切って行こうぜとはならないだろう。
これはアティチュードの問題なんだと思う。 「国会議事堂は開かれた公園のような場所であるべきだ。」っていう人びとのアティチュードが、色んなルールを作り上げて行くんだよね。 ウェリントニアンのアティテュードが映画の中に偶然色々写っていて懐かしかった。
他の街に住んでみて、ウェリントンが結構特種なコンディションの上で、ああいう感じなんだなってのも知って、どこもかしこもウェリントンのようになれば良いとは思わなくなったけど、それでもやっぱり好きだな。
2010-11-12
引っ越し つながり直す
久しぶりに引っ越しをした。 久しぶりって言っても、今年4回目の引っ越し。 一体どういうタイムスパンを久しぶりとよぶのか…、個人の感覚が問われますね。
今回の家は90年代初期に倉庫から住居用に改築された、都心のマンション。 街のど真ん中なんだけど、横が大学の大きな大きな公園で、窓からは植物しか見えない。 部屋にいる時は茂りに茂った植物を窓から眺めている。 マンションを出ると、都会。 とても良いコントラスト。
私は多摩美に通っていた間、自分がNZに住んでいた事があった事すら忘れていた。 当時の東京にはイギリスの学校の同窓生や彼らの友達なんかが沢山いたから、自分がイギリスに住んでいた事による縁が日常に溢れていた。 だから、イギリスにいた事の実感はあったんだけど、ウェリントンの事は生活に全く関係なかった。
東京を去り、ウェリントンの大学に戻った始めの頃、東京での自分にはあまり登場しなかった、自分のクオリティーがぐんぐん戻ってくるのを感じた。 特に、高校のときからの友達と遊んでいる時や、街を散歩している時に。 ウェリントンを歩きながら「ああ、私は確実にここで育ったんだ。忘れていたけど、ここで私は長い時間を過ごしていた!」と感慨を受け続けた。 自分の中の東京の生活では使われていなかった感受性のチャンネルが、また外界と繋がり直すのを感じた。 それはとても素晴らしい感覚だった。
今回、引っ越したマンションで私はまた似たような感覚に襲われた。 多分、建築様式や空間の質が実家と似ているからだろう。 実家にいる時の自分の感覚がぐんぐんと戻って来たのだ。 鎌倉の親元での自分と、オークランドにいる自分が重なりあった感じがした。
そして今回は家中、私の空間。 始めてフラットメイト無しの生活。 台所の感じ、お風呂場、化粧台、本棚、全てに私の物だけが溢れている。
荷物を適切な場所に配置した瞬間に、「あらら、こりゃ実家のミニチュア版だ!」とぶったまげた。 元々似ている建築に、自分の持ち物だけを並べましたら、簡易版実家になりました!
ぶったまげたよ。 12歳から、26歳までの間ずーーーーーーーっと、大勢の他人と住んでいたからさ。 こんなにはっきりと他人のスペースと境界線が引かれた、自分だけのプライベートな空間を持った事が無かったんだ。 で、そのクリアな線の内側を始めてはっきりと見たら、そこには見事なミニチュア版の実家があった!
こんなに自分が家を引きずるなら、あがなっても無駄だなと思いましたよ。 しょうがない。 私は一生自分が育った家を「家ってのはこういうもんだ」と無意識で思って、似たような空間を世界中のどこにでも作ってしまうんだろうし、きっと子供にもそういう強烈な刷り込みをするし、私の孫だってきっとそう。 将来自分の孫の家を見て、きっと私は私の親を思い出して泣くだろう。 そういうもんなんだなと思いました。 空気の感じ、布の感じ、明かりの感じ。 「ここちよさ」のディフォルトがはっきりと形づけられてしまっている。
物に関して言うとね、お風呂場に溢れる親と同じ香水たち、同じメーカーのボディーケア用品、化粧台に散らばる親から貰ったアクセサリー、台所にある廉価版の実家の台所道具、寝室の本の感じ、クローゼットの服、作業部屋のMac。 考えてみたら、私はなんでも親と同じメーカーの物を使っている、とことん親離れできていない人間なのだ。 そしてそれらの雑多な置かれ方。 まさに実家と一緒。 プチ日本。 日本製の物はそんなに無いのに、明らかに日本人の家。 すっごいよ、この刷り込み。
「変われないのかもしれない」と強く思った発見でした。 これは小さな絶望だね! そして同時に若干の喜びでもあるよ。 ああ、あたし、きっとそんなに変われない。
今回の家は90年代初期に倉庫から住居用に改築された、都心のマンション。 街のど真ん中なんだけど、横が大学の大きな大きな公園で、窓からは植物しか見えない。 部屋にいる時は茂りに茂った植物を窓から眺めている。 マンションを出ると、都会。 とても良いコントラスト。
私は多摩美に通っていた間、自分がNZに住んでいた事があった事すら忘れていた。 当時の東京にはイギリスの学校の同窓生や彼らの友達なんかが沢山いたから、自分がイギリスに住んでいた事による縁が日常に溢れていた。 だから、イギリスにいた事の実感はあったんだけど、ウェリントンの事は生活に全く関係なかった。
東京を去り、ウェリントンの大学に戻った始めの頃、東京での自分にはあまり登場しなかった、自分のクオリティーがぐんぐん戻ってくるのを感じた。 特に、高校のときからの友達と遊んでいる時や、街を散歩している時に。 ウェリントンを歩きながら「ああ、私は確実にここで育ったんだ。忘れていたけど、ここで私は長い時間を過ごしていた!」と感慨を受け続けた。 自分の中の東京の生活では使われていなかった感受性のチャンネルが、また外界と繋がり直すのを感じた。 それはとても素晴らしい感覚だった。
今回、引っ越したマンションで私はまた似たような感覚に襲われた。 多分、建築様式や空間の質が実家と似ているからだろう。 実家にいる時の自分の感覚がぐんぐんと戻って来たのだ。 鎌倉の親元での自分と、オークランドにいる自分が重なりあった感じがした。
そして今回は家中、私の空間。 始めてフラットメイト無しの生活。 台所の感じ、お風呂場、化粧台、本棚、全てに私の物だけが溢れている。
荷物を適切な場所に配置した瞬間に、「あらら、こりゃ実家のミニチュア版だ!」とぶったまげた。 元々似ている建築に、自分の持ち物だけを並べましたら、簡易版実家になりました!
ぶったまげたよ。 12歳から、26歳までの間ずーーーーーーーっと、大勢の他人と住んでいたからさ。 こんなにはっきりと他人のスペースと境界線が引かれた、自分だけのプライベートな空間を持った事が無かったんだ。 で、そのクリアな線の内側を始めてはっきりと見たら、そこには見事なミニチュア版の実家があった!
こんなに自分が家を引きずるなら、あがなっても無駄だなと思いましたよ。 しょうがない。 私は一生自分が育った家を「家ってのはこういうもんだ」と無意識で思って、似たような空間を世界中のどこにでも作ってしまうんだろうし、きっと子供にもそういう強烈な刷り込みをするし、私の孫だってきっとそう。 将来自分の孫の家を見て、きっと私は私の親を思い出して泣くだろう。 そういうもんなんだなと思いました。 空気の感じ、布の感じ、明かりの感じ。 「ここちよさ」のディフォルトがはっきりと形づけられてしまっている。
物に関して言うとね、お風呂場に溢れる親と同じ香水たち、同じメーカーのボディーケア用品、化粧台に散らばる親から貰ったアクセサリー、台所にある廉価版の実家の台所道具、寝室の本の感じ、クローゼットの服、作業部屋のMac。 考えてみたら、私はなんでも親と同じメーカーの物を使っている、とことん親離れできていない人間なのだ。 そしてそれらの雑多な置かれ方。 まさに実家と一緒。 プチ日本。 日本製の物はそんなに無いのに、明らかに日本人の家。 すっごいよ、この刷り込み。
「変われないのかもしれない」と強く思った発見でした。 これは小さな絶望だね! そして同時に若干の喜びでもあるよ。 ああ、あたし、きっとそんなに変われない。
2010-11-07
ガイフォークス
大学時代の友達の家に泊まっている。
彼の家のフラットメイトが誰もいなくなる週末なので、一晩ぐらいひたすら居間を占拠してDVDやらテレビやらを見て、ソファーでゴロゴロしたりしようやってことになったのだ。
ってことで、二人で夕飯ぐらいの時間から、ひたすら居間でゴロゴロしている。
彼の家はソファーが二つあるので二人で向かい合う形でねっころがっている。
お互いソファーと一体化しているので、お互いに飲み物を渡し合うときも、お互いに腕を延ばせるだけ延ばして、「うぎぎぎぎ」ってなりながら渡している。 ファイト一発オロナミンCのCMに出てくる状況並みに「うぎぎぎぎ!」ってなっている。
二人して完全に不細工。
物によっていかに行動がコントロールされていくかの良い例ですね。
家にテレビとソファーは置いちゃいかん!!
時間を吸い取られるぞ!!
せめて「友達の家にある」って距離感がちょうどいい。
さて今日はガイフォークスのお祭りの日です。
英国文化圏のかなりかわった、しかし盛大なお祭り。 知らない方はぜひウィキとかでこのお祭りのことを読んでみてください。 かなりのカルチャーショックを受けること間違えない。
NZでは花火の販売と個人使用が11月2日から5日までの三日間と決まっている。 未遂で終わった火薬陰謀事件を花火を使って代わりに達成してあげる(?)ようす。
ものすごい勢いで花火がバンスカあがる数日間。
しかし規制しても危険性を報道しても、毎年一件ぐらい家が全焼しているらしい。
なので職場でも同僚たちが「全部規制するべきだ」と言っているのを聞く。
規制もされていないし、そんなに家が花火で全焼したとも聞かない国からきた私には信じられない光景。 どれだけ野蛮なんだニュージーランド人。
本当に花火に罪はないですよね。
使い方に問題があるのです。
規制するから、興奮して数日間の間にバンスカ気が狂ったみたいに国民一斉に花火をあげるような暴挙に出てしまうのです。
ということはどこかにテレビとソファーと家で優雅な関係を築いている人がいたりするのでしょうか。 だとしたら是非教えてもらいたい。
そんなことを悶々と考えている、ガイフォークスの夜。
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