2010-05-24

tokyo from annapandatiger on Vimeo.

天空在飛 都市在飛






天空在飛 都市在飛
沖出雲層 變成星辰
噴出火 撕破黑暗
超級城市往空中飛

TOKIO TOKIO 抱住一對情侶
TOKIO TOKIO 飛在天空

你說那是 飄浮海面的陽光幻影
凝視它使人感覺離開人間
香煙流了淚

TOKIO 溫柔女人甜眠的城市
TOKIO TOKIO 飛來天

tokio

求められるとうれしいか

 昨日、一緒に夕飯を食べた子が「子供は5歳ぐらいまで母親がいないと生きていけない。全身で求められる。 そんなに素晴らしいことはない」的なことをいっていた。 特にその子自身の意見じゃないみたいなんだけど、そういう見方もあるという感じで話していた。

 よく人が「人に求められる喜び」を話す度に、特に求められても嬉しくなったことがないから納得できたことがない。

 女の子が自分に好意を持っている男の子の話を、他の女の子にするのは「自分は誰かに求められているのだ。 誰かに好かれているのだ。」と示したいからだと言う人がいる。 おじさんが仕事の話を他の人にだらだらとするのは、「俺は求められているからだ」と示したいからだと言う人がいる。 それを聞いて「そうよね。」と言う人がいる。

 私個人は、別に「求められている」っていうのが「嬉しい」につながらないので、本当にそのロジックがわからない。 なんで求められると嬉しいの? なんで必要とされると嬉しいの?

 好かれたら嬉しい。 優しくしてもらうと嬉しい。 一緒にいたら楽しい。 その嬉しいとか、楽しいって部分を分解すると、「求められているから嬉しいんだ」とかってなるの?

 連れ合いは私に何か優しいことをするととても嬉しくなるんだそうだ。 私も連れ合いに優しいことをすると、胸が暖かくなる。 でも別にお互いそんなに求め合っちゃいないんじゃないかと思う。 

2010-05-21

海辺

 私の父は南国土佐の海辺出身の少年。 そして若い頃はずっとLAにいた。 そして今は七里ケ浜に住んでいる、完全なる海辺の少年。

 そんな彼の影響で、私も結構なんだかんだで海辺に住んでいる。 でも幼少期は埼玉の関東平野で過ごしたので、どっかで「地球標準は海無し県」っていう刷り込みがおこっている。 なので、幼少期以外はいつも海が歩いてすぐの場所にあって、視界の半分は海な環境で育ったのに、いまだに海に驚く。

 こんなに水があって良いのかよっ!とか、いつになったら波って止まるんだ?ってさ。

 毎日、毎日驚く。 そして、毎日、毎日結構心底感心するし、圧倒されるし、救われている気分になる。



 こういう景色を頻繁に見ていると、さすがに納得させられるよ。 何に自分が納得しているのかすらわからないけど、なんかすごく納得する。 生き物としての自分と環境の差を皮膚で感じられるからかな。 とりあえず私は海じゃないぞと深く納得。 だから自分に納得し、世界に驚く。

 水の量とか半端ないんだもん。

はじっこ

半島の先にある灯台に行った。
ぐるっと見渡す限り、海峡。









これがその灯台。 白くて綺麗な建物。








電球の反射板が巨大なガラスで出来ていた。
こうやって、遠くまで光を届けるんだね。
壁への反射が綺麗だった。
灯台の中、キラキラだった。



上の写真は灯台守の家。
こんな世界のはじっこに、ぽつんと建っているなんて。
ここで働く人達の人生を想像してみる。
何も無いけど、広大な、広大な、広大な海に抱かれた生活。
想像できない。 ってことは、私には向いてない。
ただ、こういう職業選択もあると覚えておこうと思う。

青い

Untitled from annapandatiger on Vimeo.




 薄く、薄く、海水が浜辺に膜を張る。 その度に黒い砂浜が鏡のように空を反射して、真っ青になる。 海から波が押し寄せて、浜から風が吹き付ける。 その度に、海辺に濃密な模様が出来る。 風が通る跡。 その繰り返しを、週末はずっと見ていた。

ミネストローネ

2010-05-20

ぱしゃぱしゃ

こういう所で水遊びしたり、友達とねっころがって、ぽろぽろと「これからどうしようか」って相談したり。 こうなる気なんて全然なかったのに、計らずともスローライフ。 




こうやって見事に自分で望んでた訳じゃない生活パターンを送ってみると、将来の設計をする事の意義が味わえる。 即興の美を味わう為にはある程度の計画が必要だ。

「こんなはずじゃなかったのにっ!」って毎日驚きと喜びを感じながら生活を送っている。 巨大な虹を見ながら、大きな海辺で本を読みながら、家で自家製のパンを焼いたり、パスタを練ったりしながら、「私、こういうの一切似合わないし、やらないはずの人だったのにっ」って驚愕している。

偶然が重なり続けて、世界で有数のごみごみした都会から、世界で有数の大自然の中に放り出されてしまった。

面白いじゃないか。

2010-05-19

考え事

Untitled from annapandatiger on Vimeo.




 友達が一人でずっと海辺を歩きながら考え事をしていた。 きれいだった。

真っ青な世界

近場の海に行った。 ここは砂に鉄分がいっぱいとけているので、砂浜が真っ黒。 なので波が引いて、砂浜にうっすらと水がはる度に、鏡のように空を反射す る。 すごく不思議な空間。 足下が空になるの。 海辺に膜のように広がる海水がとても美しかった。














てんきぐるんぐるん

オークランドのお天気がユニークなシチュエーションだったそうで、昨日は空がすごかった。





一旦土砂降りがあって、雲がジャングル大帝状態。 非常に力強い感じになっていた。 美しかった。





そして至る所に虹が出ていた。 上の写真は虹の右側。





こっちは左側。 二重の虹になっているの分かる?





そして正面を向くとこんな感じ。 フォトショップ無しでこの色。 本当に世界がこの色だったの。 一枚目の写真から15分ぐらい経った時の景色。 以下の写真は同じ場所からぐるっと写真をとったやつ。 360°色が全然違った。











こういう景色を見ながら暮している。 まさに景色。 色の祭典。

2010-05-18










週末は田舎で過ごした。 夕方の滝でぱしゃぱしゃ。

2010-05-10

模様が沢山

piha from annapandatiger on Vimeo.



私が海が好きな理由の一つは、コンスタントに、沢山の模様や質感が見えるからだと思う。 合理的で、流動的で、滑らかな模様の連続。

 友達がオークランドに来てくれている。 彼は、ふるいふるい友達。 彼がいるだけで日々の喜びや質が向上する。 友達は、友達の大切さを教えてくれる。




 秋の海に一緒に行った。 天気はそこまで良くなかったけど、雲が素晴らしかった。 たまには曇りも悪くない。 海や、濡れた浜に反射する雲の景色が世界を豊かにしていた。




 大切な友達は一緒にいると、沢山の景色に巡り会わせてくれる。 これには子供のころから驚いていた。 好きな人達と一緒に見ると、どうしてこうも景色は切なくも、美しくて壮絶なんだろう。

 大学時代の大切な友達の一人と、卒業して一年後にウェリントンで夜中にドライブをした。 海に反射する街の明かりや、黒くぬめぬめと光る海を見て、忘れたくないという思いで胸がいっぱいになった。 「ウェリントンは本当に美しい街だ」と彼に言ったら、「僕たちが努力をして、いっぱいいい景色をいつも探していたから、忘れたくない事でいっぱいなんだよ」と言われた。 確かに私達は、かなりの時間と情熱を使い、景色を見つめた。

 その事を今オークランドに来てくれている友達に言ったら、「彼らしい発言だね」と笑っていた。 実際、彼と一緒にいた時、景色はいつも素晴らしかった。 そして公平に考えて、多くの場合、それは彼が努力をして見つけてくれた風景だった。 「あの子といるといい側面を沢山見る事ができるよね」と言い合う。 そして、勿論、今来てくれている友達ともそう。 いい景色が視界に、胸に、溢れる。

2010-05-03

週末

 週末はボーイフレンドの実家で過ごした。 大自然の中で音楽を聞いたり、海辺をドライブしたり。 平日を都心で過ごし、週末をカルティベイトされていない所で過ごすっていうライフスタイルはとても贅沢。 贅沢すぎて、まだ私にはもったいない、気もするけど。

 今回はじめて行った海辺は素晴らしかった。 ニュージーランドは、今更私が言わなくても良い事だとは思うけど、確かに自然環境が濃密で、力強い。 限りなく美に近い。 そして、例えば車で二十分ぐらいの距離でも、がらりと風景や、そこの生態系が変わる。 地球の地理の色んな側面を見る事ができる。

 カメラを持っていけば良かったなあと終止後悔。 私の場合、人に見せる為にカメラで写真を撮る。 なのでもし写真に収めずに、自分の胸だけに納めると、非常にプライベートな気分になれる。 私のためだけの経験。 私のためだけの記憶。 それはそれで幸せな事だ。

 夜、ボーイフレンドの実家のファミリーフレンドが集まったパーティーがあった。 こっちの人達は家族ぐるみの友達付き合いが多い。 親同士も、子供同士も仲が良い。 そして連携して子育てをする。
 
 伝統的な意味では21歳がこちらでの成人となる。 近年はいろいろな権利が18歳ぐらいから与えられるので、実際は21になる前に成人としての行動を取るようになるんだけど、伝統的に21歳の誕生日はものすごいお祝いをする。

 今回のパーティーはファミリーフレンドの息子の21歳の誕生日会だった。 彼を幼いときから知っている色んな家族が集まってお祝いをした。 大学やらの友達同士のワイルドで派手なパーティーは御本人が勝手にやったので、今回は親たちが企画したある程度落ち着いた祝祭だった。

 その子の家は離婚をしていて、もう具体的な家が無いので、連れ合いの実家が会場となった。 離婚をしていても、ペアレンティングは終わらない。 母親父親で協力して、その子が産まれた時からの様々な記録が家中に展示されていた。 写真や、彼が書いた絵、書いた文章等々。 一年近くかけて準備したんだって。

 ものすごいごちそうが用意してあって、みんなで和気藹々と食べる。 そして食事が終わった後で、両親がスピーチをした。 とても感動的だった。 女親男親関係なく、その場にいた親たちは皆泣いていた。 私もつられて少しほろり。 21歳になった子のスピーチも可愛かった。 "I made it!"(俺、達成した!)と言っていた。 「そうだ、そうだ、一つの達成だ」と思いながら聞いた。

 私はニュージーランドに8年以上住んでいるけど、いまだにカルチャーショックがある。 例えば、男親女親両方が、自分の子供を中心とした友達関係を持っている事。 こっちの人達は自然と、同い年ぐらいの子供を持っている気の会う親同士で友情を育み、一緒に協力しながら子育てをする。 色んな家族が協力し合いながら子供を育てあうのは、私にはなんだか物珍しく見える。 三、四家族が集まれば、途中で離婚をする夫婦や、障害がある子や、なんだかと手のかかる子もいる。 お互いが友情ベースにサポートし合っている。

 例えば日本は、自分の子供の友達の誕生日パーティーに男親が参加しないんじゃないかなとか、ましてやそこで、他人の子供が成人したって事で感涙したりはしないんじゃないかなと思った。 色んな父親が、その場で感涙していた理由は、単純に誕生日になった子を、本当に小さいときから知っていて、いっぱい一緒に遊んできたからだろう。 

 所変われば色んな家族や、コミュニティーの形態があるなと、つくづく思わさせられた。

 でも、まあ、そういえば私の親も実際の所は私の友達に協力的だし、献身的なところがある。 日本に留学していた私の友達が、夜中に"私、今困ってますねんコール"をするのは、私にではなくて私の父にだった。 そして平日の夜中に車をかっ飛ばして、サポートしにいってあげたりとかしていた。 だから、あれだね、表現とかやり方が違うだけで、親って大概寛容だし、人に何かを差し出す事を最も喜びとする人種だよね。 

 そういう事を思い出したら、ママとダディーに対して、どかんと愛情が湧いた。 あー、もうすぐ母の日だ。 私が宇宙で一番好きな女性を祝福する日だ! いつでも、どんな家族の話しを聞いたり見たりしても、結局「私のママが最高だし最強」って結論にたどり着く。 Unconditioned love だわ。 まさに、ラブ。