NZは地球上の辺境の地にある。 あまりにも周りと遮断されているので動植物は独特の変化を遂げている。 その歴史的事実を真摯に受け取ると、「周りを注意深く観察していないと、自分たちだけ変な方向に進んでしまう/もしくは全くどこにも進まない」という危機感が強くなるのは必至。
ってことで、たまに行政がNZ内のCEOたちをつれて先進国のウルトラ最新技術を開発している企業やゲームセッターになるような企業に視察旅行に行く。 今回の「未来を考える会」では、うちのCEOがその視察でみてきた話をいろいろ紹介された。
まず、医療と教育についての未来予想を聞いた後に、だんだんと自分たちの今いる産業の変化についての話をした。
医療と教育を例題として出した理由は、その領域に起こるだろう変化がほかのどれよりも強烈で、そして人生の根幹に関わる変化だからだ。
出てきた話は極端な話なので、SF程度に聞いていたのだけど、とても興味深かった。 医療の進化に伴い、これから20年後ぐらいに生まれる人たちは推定として、150歳ぐらいまでは生きるようになるそう。 そして彼らの人生の中のある時期からもしかしたら、死そのものが、非常に稀なものになるかもしれないという話だった。 すごいね。
いろんな医療器具のプレゼンを受ける。 いろんな技術が戦場で使うために開発されたもので、先端技術のためには戦争って最高の実りの場なのね。
もしかしたら私は人類史上、最後に寿命があった世代に属するのかもしれない。 自分が死ぬ頃には、自分の親の事とかを思い、「なんて遠い過去に彼らの人生はあったのだろう。そして私自身の命も、その遠い、遠い過去に投げ捨てられるのだ」なんて切なく思うかもね。 死なない若造たちに囲まれながら、死の床にて親を思うとな。
教育についての変化も面白かった。 Kahn Academyという組織が例として出て来た。Kahn Academyは誰にでも、世界水準に教育を提供する事を指名としている非営利団体だ。 すごく若い兄ちゃん(カーンさん)が始めて、あっという間に世界中に広がった。
是非下のビデオを見てみて。
これは面白い! それにすごくいい! もしかしたら私の子供は、どこかランダムな場所に住んでいても、カルカッタの子供に数学を教えてもらったり、カタールの子供に歴史を教えたりってするのかもしれない。 どれだけ楽しいんだ。
そして出版や印刷技術、物流などの話しになっていった。 「例えば10年後、自分たちのビジネスが同じような形で残っているか、成長しているか」という話しになった時点で、強烈に「変化を受け入れて、変化を楽しまないと、多分お先真っ暗」って気持ちになった。 同時に強烈にワクワク。 楽しいことがきっと沢山待っている!
私のじいちゃんは、明治生まれだ。 私にとっての太平洋戦争的近過去は、じいちゃんにとっては江戸時代だった。 そして青春を数々の戦争、社会人として油がのってきた頃に第二次世界大戦終戦、その後は高度成長期、死ぬ頃には日本は経済大国になりバブルまっただ中だった。 それぐらいのイベントと変化が人の一生の間にはおこりうると考えてみると、とりあえず、自分の子供が私とは全く違う環境で育ち、社会人になるだろうって事は軽く想像できる。
会社の人達と、私にとっては私の子供世代が成人するぐらいの年代(2030年ぐらい)に、自分自身が社会の中で仕事の出来る人として残れているかっていう話しをした。 むむむん。 分からん。 でも残ってなくちゃ話しにならないから、残るしかないだろう。
2030年ぐらいのときって、自分は一体どこの誰と仕事をしているだろうか。 出来るだけエキサイティングで面白い若い子と仕事ができているといいよなと思います。 今の世界地図上でだと想像もつかないような所出身の子だと良いなぁ。 「うわ〜! 君が産まれたときぐらいの、君の出身国のニュース見たよ! あそこで育ったのかぁ」って感慨に浸りたいね。
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