今週は、友達がオークランドに遊びに来ていました。 なので一緒に遊んですごく楽しかった。 一人は大学で研究助手をしていたときのボスで、もう一人は彼の伴侶。 彼らと私の縁は深く、長い。 私のボスは私と同い年のイギリス人なんだけど、もう大学で専任の講師をしている。 大学から出る予算を使いまくり、研究しまくりな商魂たくましいご立派なお方だ。 そんな彼と私のご縁は十年前のイギリスまでさかのぼる。 当時の私は彼の社会学のプロジェクトの為に研究されていた。 勿論お互いニュージーランドの大学でそのときの相手と再会するとは思っておらず、友達になった後で気がつき腰が抜けるほど二人して驚いた。 「ああああ、あのときのお前か!!」って話だ。 世界って狭い。 そしてご縁って深い。
そんな彼はたまたま日本の景観の研究をしているので、助手になり、大学時代は二人きりの研究室ではっちゃけた自転車操業をしていた。 そして休みになるといつも一緒に日本に帰り、日本で建築・景観フィールドワークをして、すごく楽しかった。 そういう特別な友達。
彼の伴侶はブラジル出身、イタリア在住の建築家だ。 私たちが大抵ニュージーランドか日本にいて、彼はヨーロッパかブラジルにいるので、会えなさそうな感じがするけれども、実際はかなり会っている。 今年だけでも正月を一緒に日本で一ヶ月過ごし、三月、五月、八月と会っている。 計四回。 多分、ニュージーランドに住んでいる友達よりも会っている。 会うたびに、サイトが違う。 日本であったり、ウェリントンであったり、オークランドであったり。 あっはっは。 エアマイル貯めまくりな、ジェットスターな交際。 やっぱやる気ある人の人生って違うわ、見習わなきゃいけんと思うわけだ。
さて、そのブラジル人の子と私で、イギリス人の彼にちょっと意地悪するのが流行っている。 アクセントをからかったり、若干カクカクした動きをするイギリス人のマナーイズムを、ロボットダンスでからかったりする。(ロボットがキドニーパイを食べる姿を二人でハーモニアスに演じるのが楽しい) ちょっとマゾっけ入っている彼は意外と喜ぶ。 「やめてよー」っていいながらもうれしそう。 かわいいやつめ。
家に帰って、家人に「いやー、彼らと遊ぶのって最高だ。 最高のボーイフレンドだわ! キドニーパイを食べるロボットのダンスをしたの。」と言って、「しょうがないからやってあげるよ」と頼まれてもいないのに勝手に演じ、途中で一人で我慢ならなくなり、なくまで大笑いした。 その一連の私の奇妙なる行動を眺めていた家人は、「幼稚園生みたいだ…」とつぶやきながらお茶を入れていた。 そんな彼も実はイギリス人。 若干ロボットダンス系の動きをする…。 くふふふふ…。 いじわるな心がむくむくと膨れ上がるよ。 けけけけけ…。
2009-08-31
2009-08-30
ケルベロス
私は、人々に「アンナの面倒を見ているのは自分だ」という印象を与えやすいのだと思う。 しっかりしていないし、自堕落だし、とんちんかんだしで、周りの心ある人々のボランティア精神を爆発させるのだと思う。 みんなして「私/俺のおかげで彼女は大学を卒業できた」と思っている。 実際かなりお世話になったから否定はしないけどさ。 様々な人に餌付けされてここまで育った。
高校生の頃の友人からすると、「遠い異国から来た転校生」という初対面の時の印象が強すぎたらしく、今でもほとんど介護っていうレベルで面倒を見てくれる。 もう出会って九年近く経っていて、転校した高校も卒業し、それどころかみんなして大学も卒業しているのに、いまだに私の取り扱いが「トースターからパンをとるためにナイフを入れて感電しそうになった外国人児童」から抜け出していない。 多分、これは外国からの転校生割引に私の元来の自堕落さへの心配が加算された結果なんだろう。 みんな本当に優しい。
って事で高校生の時からの友達は半端無く優しい。 会う度に「どうだ、最近ちゃんと誰か面倒を見ていてくれているか? オークランドはお前に優しくしてくれているか?」とか、「今度誰々にお前にご飯を食べさせるように頼んでおいた」的な事を言われる。
高校生の頃の友人からすると、「遠い異国から来た転校生」という初対面の時の印象が強すぎたらしく、今でもほとんど介護っていうレベルで面倒を見てくれる。 もう出会って九年近く経っていて、転校した高校も卒業し、それどころかみんなして大学も卒業しているのに、いまだに私の取り扱いが「トースターからパンをとるためにナイフを入れて感電しそうになった外国人児童」から抜け出していない。 多分、これは外国からの転校生割引に私の元来の自堕落さへの心配が加算された結果なんだろう。 みんな本当に優しい。
って事で高校生の時からの友達は半端無く優しい。 会う度に「どうだ、最近ちゃんと誰か面倒を見ていてくれているか? オークランドはお前に優しくしてくれているか?」とか、「今度誰々にお前にご飯を食べさせるように頼んでおいた」的な事を言われる。
いつかは農家になりたい
六年前、美大に行くか農大に行くかの選択をした。 その時はのりで美大に行ってしまったんだけど、最近やっぱりいつかは農家になりたいと思うようになってきた。 今すぐにっていうのは無いんだけど、ある程度の年になったらじいちゃんばあちゃんの農家を継ぎたい。
2009-08-29
P
最近の日本のニュースを見ていると覚醒剤と政治の話しが多いね。 政治と薬物の夏だったのね。 そもそも覚醒剤って何だと思って調べてみたら、ニュージーランドのスラングでPと呼ばれている薬物の事だと分かった。 こっちでも結構ヒヴィーにP中毒になって人生を貴重な時間をロスしている人達がいる。
フラットメイトの親戚に覚醒剤に依存してしまい育児放棄をした人達がいる。 今その男の子は五歳で、よく私の家に遊びにくる。 彼の母親は、子供が産まれてからすぐにP依存になってしまい、育児拒否してしまったそうだ。 それで父親の方に子供が譲られたんだけど、父親も同時期に薬物中毒になってしまった。 なので、母方、父方両方の祖父母でその子どもを育てている。 子供は日常的に一緒にいる人(親や、親代わりの人)達だけでは育たないというのを最近実感する。 子育てをしている人達に休息を与えないと、育児経験も幼児体験もやつれたものになってしまう。 特に、高齢で孫育て+薬物中毒の実子の面倒を見ている+自分の仕事っていう立場は酷だ。 なのでフラットメイトがその子どもを週末に預かったりしている。
私と私のパートナーは結構子供好きで、そしてその子の親世代だと言う事もあり結構なつかれている。 彼がMacで作業中の私の膝の上に座り、私がしているデザインの仕事を眺めたり、一緒に図書館やらに行って遊んだりしている。 ものすごく可愛い。 そしてこんなに小さいのになんて大変なシチュエーションにいるのだろうってことと、こんなに可愛い子がいても抜け出せない中毒にかかっている彼の親の事を思うと悲しくなる。 可哀想だと思う。
最初祖父母達は、薬物中毒になっている彼らから親権を取り上げたら、事の重大さに気がつき、彼らが薬物依存の状態から抜け出せるのではないかと思ったそうだ。 でも結果として、中毒ってのは意志の力でどうなるってのもではないから中毒と呼ぶのだという当然の事実に向き合わなくてはいけなくなった。 罰っせりゃなおるって話しじゃなくて、彼らには治療が必要だ。 話しを聞いていると、悲劇とか、悲惨って言葉しか思い浮かばないような状況になっている。 本当に薬物って怖い。 彼らだって、望んでこんな状況になっているんじゃない。 理性とか意志の力ではどうにもならない状況に、ものすごいスピードで突入してしまうのが薬物の怖さなのだ。 頭で分かっててもどうにもならない状況に人間を追い込む。 一度そういうステージに入ると、体も自尊心も社会的状態も、泥沼のようにメルトダウンしてしまうようだ。 どうやったらその地獄から本人達は救済されるのだろうか…?
そして大人が薬物中毒で大変だってのと、同時並行で子供の人生も始まっている。 親が大変だったから子供が不幸になったってのは、本当にそれこそ救いが無さ過ぎるので、まわりの大人で出来るだけ幸せな人間になるようにとやっている。 親の問題は親の問題、子供の問題は子供の問題と切り離して考えていいのかは分からないけど、悩んでいる暇はない。 子供はそうこうしている間にも毎日成長していくから。
私がこの子にしてあげられる貢献はなんだろうかと考えた時に、私が見せてあげられる世界は多様性だと思った。 この子の友達になって、色んな物を見せてあげたいと思う。 世の中には面白いことが沢山あるのだってのを知ってもらいたい。 そして選択肢も沢山あるのだとうっすらとでも良いから覚えてもらいたいと思った。 多分、これが私自身が親からもらった大きな価値観なんだと思う。 パートナーも似たような事を考えたらしい。 彼がこの子と遊びながら「これだけは覚えてもらいたいっ」って思う事が、実は親や周りの人がその姿や生活の仕方から伝えてくれた事なのだと気がついてはっとしたと言っていた。 親の存在/影響の大きさを知る。 複雑な気持ちになる。
でも子供の前で複雑な気持ちになっている時間はなく、一緒に本を読んだり、チャラチャラ一緒に歌を歌ったりしている。 最初彼が育児放棄された話しや、虐待された話しのディテールを聞いた時、まだ体に膝の上に座って私のデザインの仕事を見ていた彼のぬくもりとかがあったから、めちゃくちゃ悲しくなった。 なんて悲しいのだと思った。 ただ、彼と遊んでいるうちに、「この子はこの状況の中での希望なんだ。 そしてほとんど唯一の輝ける喜びだ」と思うようになってきた。 彼は悲しくない。 悲しいけど、それでも彼自身は慶ばしい。
どんな状況で私とこの子が出会う事になったかってことはさておき、私はこの子にあう度に、すっごい沢山の快をもらう。 この子の存在はすごいプレゼントだ。 この子が幸せで満ち足りた人生をおくれるようにと強く願った。
こういう近所で子育てって感じは、ニュージーランド独特のものなのかもしれないけど、結構よくある。 前のフラットでは、母子家庭で育っている男の子を週末に預かるビックバディーというプロジェクトに参加していた。 ただ大人の男と子供の男でつるむ+母親に休みを与えるっていうプロジェクトなんだけど、こっちの男の人達は結構多くが参加している。 私も女なんだけど混ぜてもらいよく一緒に遊んだ。 結構普通にこっちも楽しい。 子供と時間を過ごすのは楽しいよな。 巡り合うきっかけそのものは悲惨な事であれ、いや、だからこそ余計に、こうやっていろんな人が出会えるように社会が組まれている事に感謝した。 少しでも貢献できる、何かをしてあげられる、何かをしてもいいんだと思える事は力強い。
フラットメイトとかがこういうアクティビティーに時間を使うようになり、本当に自分も歳とったんだなあと思う。 この子達自分の子供でもおかしくない年齢だもん。 子供のころ、まわりに風景のようにいた大人達っていう存在に自分もなっているのかと思うと、時間の流れを感じる。 ちょっとはしっかりしようと思わさせられる。
私と私のパートナーは結構子供好きで、そしてその子の親世代だと言う事もあり結構なつかれている。 彼がMacで作業中の私の膝の上に座り、私がしているデザインの仕事を眺めたり、一緒に図書館やらに行って遊んだりしている。 ものすごく可愛い。 そしてこんなに小さいのになんて大変なシチュエーションにいるのだろうってことと、こんなに可愛い子がいても抜け出せない中毒にかかっている彼の親の事を思うと悲しくなる。 可哀想だと思う。
最初祖父母達は、薬物中毒になっている彼らから親権を取り上げたら、事の重大さに気がつき、彼らが薬物依存の状態から抜け出せるのではないかと思ったそうだ。 でも結果として、中毒ってのは意志の力でどうなるってのもではないから中毒と呼ぶのだという当然の事実に向き合わなくてはいけなくなった。 罰っせりゃなおるって話しじゃなくて、彼らには治療が必要だ。 話しを聞いていると、悲劇とか、悲惨って言葉しか思い浮かばないような状況になっている。 本当に薬物って怖い。 彼らだって、望んでこんな状況になっているんじゃない。 理性とか意志の力ではどうにもならない状況に、ものすごいスピードで突入してしまうのが薬物の怖さなのだ。 頭で分かっててもどうにもならない状況に人間を追い込む。 一度そういうステージに入ると、体も自尊心も社会的状態も、泥沼のようにメルトダウンしてしまうようだ。 どうやったらその地獄から本人達は救済されるのだろうか…?
そして大人が薬物中毒で大変だってのと、同時並行で子供の人生も始まっている。 親が大変だったから子供が不幸になったってのは、本当にそれこそ救いが無さ過ぎるので、まわりの大人で出来るだけ幸せな人間になるようにとやっている。 親の問題は親の問題、子供の問題は子供の問題と切り離して考えていいのかは分からないけど、悩んでいる暇はない。 子供はそうこうしている間にも毎日成長していくから。
私がこの子にしてあげられる貢献はなんだろうかと考えた時に、私が見せてあげられる世界は多様性だと思った。 この子の友達になって、色んな物を見せてあげたいと思う。 世の中には面白いことが沢山あるのだってのを知ってもらいたい。 そして選択肢も沢山あるのだとうっすらとでも良いから覚えてもらいたいと思った。 多分、これが私自身が親からもらった大きな価値観なんだと思う。 パートナーも似たような事を考えたらしい。 彼がこの子と遊びながら「これだけは覚えてもらいたいっ」って思う事が、実は親や周りの人がその姿や生活の仕方から伝えてくれた事なのだと気がついてはっとしたと言っていた。 親の存在/影響の大きさを知る。 複雑な気持ちになる。
でも子供の前で複雑な気持ちになっている時間はなく、一緒に本を読んだり、チャラチャラ一緒に歌を歌ったりしている。 最初彼が育児放棄された話しや、虐待された話しのディテールを聞いた時、まだ体に膝の上に座って私のデザインの仕事を見ていた彼のぬくもりとかがあったから、めちゃくちゃ悲しくなった。 なんて悲しいのだと思った。 ただ、彼と遊んでいるうちに、「この子はこの状況の中での希望なんだ。 そしてほとんど唯一の輝ける喜びだ」と思うようになってきた。 彼は悲しくない。 悲しいけど、それでも彼自身は慶ばしい。
どんな状況で私とこの子が出会う事になったかってことはさておき、私はこの子にあう度に、すっごい沢山の快をもらう。 この子の存在はすごいプレゼントだ。 この子が幸せで満ち足りた人生をおくれるようにと強く願った。
こういう近所で子育てって感じは、ニュージーランド独特のものなのかもしれないけど、結構よくある。 前のフラットでは、母子家庭で育っている男の子を週末に預かるビックバディーというプロジェクトに参加していた。 ただ大人の男と子供の男でつるむ+母親に休みを与えるっていうプロジェクトなんだけど、こっちの男の人達は結構多くが参加している。 私も女なんだけど混ぜてもらいよく一緒に遊んだ。 結構普通にこっちも楽しい。 子供と時間を過ごすのは楽しいよな。 巡り合うきっかけそのものは悲惨な事であれ、いや、だからこそ余計に、こうやっていろんな人が出会えるように社会が組まれている事に感謝した。 少しでも貢献できる、何かをしてあげられる、何かをしてもいいんだと思える事は力強い。
フラットメイトとかがこういうアクティビティーに時間を使うようになり、本当に自分も歳とったんだなあと思う。 この子達自分の子供でもおかしくない年齢だもん。 子供のころ、まわりに風景のようにいた大人達っていう存在に自分もなっているのかと思うと、時間の流れを感じる。 ちょっとはしっかりしようと思わさせられる。
2009-08-25
ケイスケとパイナップル ミズホと彪
日本の大学時代の友達ケイスケにアレクサンダーワンのワンピースを買って送れと頼んだら「無理です」とさらっと断られた。 でも働きはじめて半年経った事を丁寧に誉めてもらえた。 彼は偉い! 友達の人生に訪れている要所要所をちゃんと気にかけてくれて、色々と言葉をかけてくれて、そして色々と聞いてくれる。 君の存在こそがプレゼントだ!!!
仕事を初めて半年過ぎて、リ・ブランディングと新しいプロダクトの発表会も終わった。 つい一ヶ月前ぐらいに「本当にこのプロジェクトが終わる日は訪れるのだろうか…?」と思っていたのに、気がついたら色んなプロジェクトが一段階終了していた。 不思議な気分だ…。
実際に手元にちょっとでも自分が関わった仕事が戻ってきた時に思わずぶわっと色んな喜びが胸に湧く。 なんかどっかワンダフルで、ファンタスティックな経験なんだよ。 そして前にも書いたけど、いろんな人にやけに感謝してしまう。
ケイスケは間違えなくその中でも五本の指に入る、私の大切な友達だ。 彼の気遣いに感謝してもし足りない。 この半年間コンスタントに気をかけてくれて、色々と支えてくれた。 一番かけてほしい言葉を、一番いいタイミングで、日本からぽろっとメールやら電話やらで伝えてくれる。 私の永遠のミューズである彼の伴侶のミズホも含め、二人とも大好きです。 とてもとても君たちは良い感じだ。
さて、思い起こせば六年前、私は真っ赤なアロハシャツを着て大学に行っていた。 オオヤマはオレンジのパイナップル柄のYシャツを着ていた。 ミズホは彪柄のスキニージーンズを履いていた。 みーんないつも髪型がどっか刈り上がったり、どっかが盛り上がったり、どっかが減ったりとへんちくりんだった。 よく呑んだし、よくご飯を一緒に食べた。 抽象表現主義以前の作家を全員小馬鹿にして、そしてアメリカ現代美術に魂の救済を求めていた。 そして三人ともけっこう真面目に身体表現史の授業では白塗りをして舞踏を池のまわりで踊ったりしていた。 良い思い出だ。 そう、私はこの二人をすごく良く知っているし、彼らも私を知っている。 女友達でここまで一緒に眠りまくったのはミズホぐらいだし、ケイスケとは東京にいる際、ワイン瓶と水一本づつとパン数個、果物やらディップやらを鞄に入れて、昼間っから東京中散歩して、酒と水をラッパ飲みしていた。
一緒にいるといつも見える景色が美しくて、夕方になると一緒に過ごした全ての場所がダイヤモンドみたいにキラキラして見えた。 隅田川も、品川も、東京の奥まった住宅地も、いつでも最高に胸が締め付けられる景色だった。 ミズホととことこと歩いた路地裏や、ケイスケと散歩したオフィス街の色彩が私を励ましてくれる。
そんな私達もついに、四半世紀生きてしまったようだ。 三人あわせると、76年! 歩ちゃん入れると、丁度100年! 四人で集まれば100年分の遊びの叡智。 多分私達、今スーパーマリオ並みに最強。 今年の年末のテーマはそれで行こうぜ。 ミズホ、ロンドンでいないから、スカノとかで代用してさ。 「百年祭」だ。 スカノが巫女で、私が牧童で、ケイスケが河童で、歩ちゃんが猫女で、なんか適当に祝し合おう。
そう、前置きが長くなったけど、どうやら今日がグループ最年少男子ケイスケのお誕生日なのね。 お誕生日おめでとう。 ミズホの誕生日も、ごめん、おめでとうって言い忘れた。 でもまだ十日以内だから許して。 ミズホもおめでとう!
おめでとう! おめでとう! これからもいっぱい一緒に遊ぼうね! これからもずっと一緒にいてね。 大好きだから!
仕事を初めて半年過ぎて、リ・ブランディングと新しいプロダクトの発表会も終わった。 つい一ヶ月前ぐらいに「本当にこのプロジェクトが終わる日は訪れるのだろうか…?」と思っていたのに、気がついたら色んなプロジェクトが一段階終了していた。 不思議な気分だ…。
実際に手元にちょっとでも自分が関わった仕事が戻ってきた時に思わずぶわっと色んな喜びが胸に湧く。 なんかどっかワンダフルで、ファンタスティックな経験なんだよ。 そして前にも書いたけど、いろんな人にやけに感謝してしまう。
ケイスケは間違えなくその中でも五本の指に入る、私の大切な友達だ。 彼の気遣いに感謝してもし足りない。 この半年間コンスタントに気をかけてくれて、色々と支えてくれた。 一番かけてほしい言葉を、一番いいタイミングで、日本からぽろっとメールやら電話やらで伝えてくれる。 私の永遠のミューズである彼の伴侶のミズホも含め、二人とも大好きです。 とてもとても君たちは良い感じだ。
さて、思い起こせば六年前、私は真っ赤なアロハシャツを着て大学に行っていた。 オオヤマはオレンジのパイナップル柄のYシャツを着ていた。 ミズホは彪柄のスキニージーンズを履いていた。 みーんないつも髪型がどっか刈り上がったり、どっかが盛り上がったり、どっかが減ったりとへんちくりんだった。 よく呑んだし、よくご飯を一緒に食べた。 抽象表現主義以前の作家を全員小馬鹿にして、そしてアメリカ現代美術に魂の救済を求めていた。 そして三人ともけっこう真面目に身体表現史の授業では白塗りをして舞踏を池のまわりで踊ったりしていた。 良い思い出だ。 そう、私はこの二人をすごく良く知っているし、彼らも私を知っている。 女友達でここまで一緒に眠りまくったのはミズホぐらいだし、ケイスケとは東京にいる際、ワイン瓶と水一本づつとパン数個、果物やらディップやらを鞄に入れて、昼間っから東京中散歩して、酒と水をラッパ飲みしていた。
一緒にいるといつも見える景色が美しくて、夕方になると一緒に過ごした全ての場所がダイヤモンドみたいにキラキラして見えた。 隅田川も、品川も、東京の奥まった住宅地も、いつでも最高に胸が締め付けられる景色だった。 ミズホととことこと歩いた路地裏や、ケイスケと散歩したオフィス街の色彩が私を励ましてくれる。
そんな私達もついに、四半世紀生きてしまったようだ。 三人あわせると、76年! 歩ちゃん入れると、丁度100年! 四人で集まれば100年分の遊びの叡智。 多分私達、今スーパーマリオ並みに最強。 今年の年末のテーマはそれで行こうぜ。 ミズホ、ロンドンでいないから、スカノとかで代用してさ。 「百年祭」だ。 スカノが巫女で、私が牧童で、ケイスケが河童で、歩ちゃんが猫女で、なんか適当に祝し合おう。
そう、前置きが長くなったけど、どうやら今日がグループ最年少男子ケイスケのお誕生日なのね。 お誕生日おめでとう。 ミズホの誕生日も、ごめん、おめでとうって言い忘れた。 でもまだ十日以内だから許して。 ミズホもおめでとう!
おめでとう! おめでとう! これからもいっぱい一緒に遊ぼうね! これからもずっと一緒にいてね。 大好きだから!
キャットレイディーとラビーズ
私は猫に興味が無い。 実は今の家は2匹黒猫を飼っているけど、どっちがどっちなのかも分からないし、フラットメイトに餌をやっておいてと言われればやるし、猫の砂も変えるけど、本当に興味が湧かない。 名前すら咄嗟には出てこない。 これまでも何回か猫と住んだ事があるけど、仲が良かった事は無いし、こっちから触りに行った事も無い。 一匹の猫とは毎晩一緒に寝ていたけど、最後まで名前を覚えなかった。 連れ合いの実家にも猫が数匹いて、毎週末遊びに行っているけど、まだ一回もこっちから触った事が無い。 猫側から触られた事は数回あるけど、こっちからは何もしない。 それが私と猫の関係だ。
猫が好きな人は猫眼があるようで、道端でもどこでも猫を発見する。 そして話しかけたり、呼びかけたり、触ろうとしたりする。 私は、人が猫を触って「アンナ、猫だよ」って言ってくれるまで、それに気がつかない。 猫はよく分からない。
私の会社の先輩が中国へ三週間里帰りをして今日帰ってきた。 彼女はグラフィックデザイナーで私の直属の先輩。 ものすっごいキャラクターだ。 私は彼女ほど際立った個性の人間にこれまで会った事が無い。 大陸的とはこういう事なのかと思わさせるほどに、切れ味がよく、きっぷがよく、風通しの良い人で、良くも悪くも次元を超えて大雑把で、そして感情の触れ幅が激しく、面白い。 そして気が強い。 ものすごく面白い。 ワイルド アット ハートとでも言えば表現できるのかもしれないけど、本当に生き物として強いのだ。
そんな彼女はとてもとてもキャットレイディーだ。 離婚の際に「私の愛する生き物はこの猫達だけ!」とペットの猫に対する強烈な愛情に目覚めて以来、日々私からすると「そんな事思いつきもしなかった!」ってレベルで自分の猫を可愛がっている。 そして動物愛護団体にも入り、ヴォランティアで様々な動物に慈愛の手を差し伸べている。
今日久しぶりにあって、中国での話しを色々聞かせてもらった。 「最初の一週間は外国からの入国者ってことで(彼女はニュージーランドに帰化しているので外国人扱いらしい)新型インフルエンザ対策で隔離されたわ。 毎日ランダムな時間に衛生局から家にいるかっていう確認の電話がかかってくるのよ。」とか、「橋が壊れてたわ。 どっかーんと」とか、こっちからすると”やる事でかいね!”って話しの連発であった。 彼女のお土産のバカでっかいフガシを食しながら、ほうほうと話しを聞いていた。
そして極めつけの思い出話が、「野良猫を撫でたら、噛まれたの。 そうしたら腕が腫れ上がって、変な赤い線が胴体めがけてブワブワブワーっと広がったのよね。 病院に行ったら、ラビーズに感染したって言われて、一週間今度は病院に隔離されて注射をうたれまくったわ。」だった。 最初、ラビーズという病名がぴんと来ず、またあまりにもカジュアルにその話しをする姿に疥癬かなんかに感染したのかと思った。 (疥癬もかかった友達曰く、地獄の苦しみらしいのでカジュアルな話しじゃないけど…) でも話しを聞いているとどうも狂犬病なので、ウィキペディアを見てみたらやっぱりどんぴしゃりで狂犬病だった。 「狂犬病かよ!!」とあわを食った私。 どこか遠くでの病気だと思っていた。 空港で警告を見るけど、まさかとなりの席のデザイナーが普通に感染するとは…。 のんきな私とニュージーランド人のデザイナー二人で「死んじゃうじゃん!!! ちょっとあなた、すごい危険よ?!」と慌てふためいた。
「そうよねー、あの猫はきっともう死んじゃうのよね…。 かわいそうに、かわいそうに…。」と猫に対して深い同情を示す彼女。 猫に対する怒りゼロ。 キャットレイディーの神髄を見たって気がしたわ。 やっぱ動物好きになるなら、それぐらいじゃなきゃだわよね。
これからも何回かワクチンをうたなくてはいけない彼女は、祖国の恵まれない猫達に深い同情心を示していた。 偉い。 偉い、あなた偉いと、私一人で痺れた。
三週間の里帰りで2週間の隔離。 本当に、何をやっても大々的ですねとこっちは感心したよ。 とりあえず彼女の復帰と近代医療に乾杯!!
猫が好きな人は猫眼があるようで、道端でもどこでも猫を発見する。 そして話しかけたり、呼びかけたり、触ろうとしたりする。 私は、人が猫を触って「アンナ、猫だよ」って言ってくれるまで、それに気がつかない。 猫はよく分からない。
私の会社の先輩が中国へ三週間里帰りをして今日帰ってきた。 彼女はグラフィックデザイナーで私の直属の先輩。 ものすっごいキャラクターだ。 私は彼女ほど際立った個性の人間にこれまで会った事が無い。 大陸的とはこういう事なのかと思わさせるほどに、切れ味がよく、きっぷがよく、風通しの良い人で、良くも悪くも次元を超えて大雑把で、そして感情の触れ幅が激しく、面白い。 そして気が強い。 ものすごく面白い。 ワイルド アット ハートとでも言えば表現できるのかもしれないけど、本当に生き物として強いのだ。
そんな彼女はとてもとてもキャットレイディーだ。 離婚の際に「私の愛する生き物はこの猫達だけ!」とペットの猫に対する強烈な愛情に目覚めて以来、日々私からすると「そんな事思いつきもしなかった!」ってレベルで自分の猫を可愛がっている。 そして動物愛護団体にも入り、ヴォランティアで様々な動物に慈愛の手を差し伸べている。
今日久しぶりにあって、中国での話しを色々聞かせてもらった。 「最初の一週間は外国からの入国者ってことで(彼女はニュージーランドに帰化しているので外国人扱いらしい)新型インフルエンザ対策で隔離されたわ。 毎日ランダムな時間に衛生局から家にいるかっていう確認の電話がかかってくるのよ。」とか、「橋が壊れてたわ。 どっかーんと」とか、こっちからすると”やる事でかいね!”って話しの連発であった。 彼女のお土産のバカでっかいフガシを食しながら、ほうほうと話しを聞いていた。
そして極めつけの思い出話が、「野良猫を撫でたら、噛まれたの。 そうしたら腕が腫れ上がって、変な赤い線が胴体めがけてブワブワブワーっと広がったのよね。 病院に行ったら、ラビーズに感染したって言われて、一週間今度は病院に隔離されて注射をうたれまくったわ。」だった。 最初、ラビーズという病名がぴんと来ず、またあまりにもカジュアルにその話しをする姿に疥癬かなんかに感染したのかと思った。 (疥癬もかかった友達曰く、地獄の苦しみらしいのでカジュアルな話しじゃないけど…) でも話しを聞いているとどうも狂犬病なので、ウィキペディアを見てみたらやっぱりどんぴしゃりで狂犬病だった。 「狂犬病かよ!!」とあわを食った私。 どこか遠くでの病気だと思っていた。 空港で警告を見るけど、まさかとなりの席のデザイナーが普通に感染するとは…。 のんきな私とニュージーランド人のデザイナー二人で「死んじゃうじゃん!!! ちょっとあなた、すごい危険よ?!」と慌てふためいた。
「そうよねー、あの猫はきっともう死んじゃうのよね…。 かわいそうに、かわいそうに…。」と猫に対して深い同情を示す彼女。 猫に対する怒りゼロ。 キャットレイディーの神髄を見たって気がしたわ。 やっぱ動物好きになるなら、それぐらいじゃなきゃだわよね。
これからも何回かワクチンをうたなくてはいけない彼女は、祖国の恵まれない猫達に深い同情心を示していた。 偉い。 偉い、あなた偉いと、私一人で痺れた。
三週間の里帰りで2週間の隔離。 本当に、何をやっても大々的ですねとこっちは感心したよ。 とりあえず彼女の復帰と近代医療に乾杯!!
2009-08-22
ってことで終わったのだ!
なんか本当にこの二週間ぐらいは、いろんな形でプロジェクトのファンファーレをかけていたので、いったいいつどう終わって、新しいプロジェクトが始まったのかうまくわからないんだけど、私が入社してからかかわっていた、リ・ブランディングと新しいプロダクトが発表された/使われ始めた! イーーーーハーーー! 実際は色々片付けなきゃいけないし、全然脱皮感とかない日常の延長でのイベントだけど、でもやっぱりうれしいぞ。 友達とかと手をつないで、公園の芝生の上をごろごろして、見つめあったり、転がったりしたい気分だ。
本当に、ああ、大人たちってすごい。 このプロジェクトでは本当に上司たちに感動した。 大人たちに感動し、友人や身内にやけに感謝したプロジェクトだった。
大学の教授に「初めての仕事は、仕事の内容ももちろん重要だけど、それよりも良い人たちと働いて、社会に生きる大人の市民としての姿勢や、働くってことに関する色んな価値観に触れる事が一番大切。」と言われた。 それで彼が勝手に私の就職先を決めて、この仕事をすることになったんだけど、実際に働いてみて一理あると思った。 デザインとか、設計図とか、業務計画とか、そういう面で「こうやるのか」ってのも沢山学んだけど、ビジネスに関することだけじゃなくて、もっと広い意味での大人のアクティビティーについて知ることが出来たと思う。 年齢幅が広いチームで、最年少として働いて、色んな人生の選択やオプションを先輩たちを通じてみた。 そして結構みんな尊い良い人生を生きているし、幸せになるためにがんばってるんだなって言う素朴な感動を得た。 大人ってがんばってる。
さて、さて、プロジェクト初期に妊娠にきずき、プロジェクトの進行どおりにおなかが大きくなったグラフィックデザイナーさんが、プロダクトロンチと同じ日に赤ちゃんを産んだ。 なんてめでたいんだ! 妊婦さんと一緒に仕事をするってのは、ワンダフルな経験だった。 どんどん赤ちゃん育つんだもん!!! すごいよ。 むくむくと育っていった。 彼女は途中で産休に入ってチームを抜けたんだけど、途中で出血が止まらなくなっちゃって、入院したのね。 それでみんな心配していたんだけど、先月は新型インフルエンザにかかり、元々彼女が遺伝性の糖尿病を患っていたので余計に、みんなどん底に心配した。 宗派とか、信仰の有無を超えて、会社中で彼女の無事を祈った。 赤ちゃんを世界に出すまでって本当にドラマだ。 私はこんなに近くで妊婦さんがいたのが生まれて初めてだった。 味わったことがない気分やら感情を沢山味わった。
ああ、時間って流れるんだなあ。 子供はうまれるわ、ブランドは変わるわ、商品は増えるわ、なんかもう、大人たちって本当に生産的だ。 学生のころの消費の鬼だった自分と比べて、この素朴さに驚くよ。 物を作って、売って、儲けて、生活すると。 大人のやってることってシンプルだ。
本当に、ああ、大人たちってすごい。 このプロジェクトでは本当に上司たちに感動した。 大人たちに感動し、友人や身内にやけに感謝したプロジェクトだった。
大学の教授に「初めての仕事は、仕事の内容ももちろん重要だけど、それよりも良い人たちと働いて、社会に生きる大人の市民としての姿勢や、働くってことに関する色んな価値観に触れる事が一番大切。」と言われた。 それで彼が勝手に私の就職先を決めて、この仕事をすることになったんだけど、実際に働いてみて一理あると思った。 デザインとか、設計図とか、業務計画とか、そういう面で「こうやるのか」ってのも沢山学んだけど、ビジネスに関することだけじゃなくて、もっと広い意味での大人のアクティビティーについて知ることが出来たと思う。 年齢幅が広いチームで、最年少として働いて、色んな人生の選択やオプションを先輩たちを通じてみた。 そして結構みんな尊い良い人生を生きているし、幸せになるためにがんばってるんだなって言う素朴な感動を得た。 大人ってがんばってる。
さて、さて、プロジェクト初期に妊娠にきずき、プロジェクトの進行どおりにおなかが大きくなったグラフィックデザイナーさんが、プロダクトロンチと同じ日に赤ちゃんを産んだ。 なんてめでたいんだ! 妊婦さんと一緒に仕事をするってのは、ワンダフルな経験だった。 どんどん赤ちゃん育つんだもん!!! すごいよ。 むくむくと育っていった。 彼女は途中で産休に入ってチームを抜けたんだけど、途中で出血が止まらなくなっちゃって、入院したのね。 それでみんな心配していたんだけど、先月は新型インフルエンザにかかり、元々彼女が遺伝性の糖尿病を患っていたので余計に、みんなどん底に心配した。 宗派とか、信仰の有無を超えて、会社中で彼女の無事を祈った。 赤ちゃんを世界に出すまでって本当にドラマだ。 私はこんなに近くで妊婦さんがいたのが生まれて初めてだった。 味わったことがない気分やら感情を沢山味わった。
ああ、時間って流れるんだなあ。 子供はうまれるわ、ブランドは変わるわ、商品は増えるわ、なんかもう、大人たちって本当に生産的だ。 学生のころの消費の鬼だった自分と比べて、この素朴さに驚くよ。 物を作って、売って、儲けて、生活すると。 大人のやってることってシンプルだ。
印刷物がすり終わるとき
私は印刷物がすり終わった瞬間が結構好きだ。 匂いもいいし、達成感を感じるし。 今も何件か紙媒体系の仕事を終わらせなくちゃいけなくて、こまごまと仕事をしているんだけど、本当に平面紙媒体のデザインって立体物とか動く物とかのデザインと違う醍醐味があって面白い。
この間写真撮影をしている現場に、その日写真撮影をしなくてはいけなかった広告やカタログが印刷屋さんから到達した。 このギリギリ感、たまりませんね。 市場のおっちゃんのような気分で写真家さんに「ほいやっ! 刷りたてだよ!」って売りさばきたい気持ちに駆られたよ。 もう、手に握ったらぴちぴち動き出しそうな新鮮さ。 ああ、なんでいつも仕事ってギリギリになるんだろう。
私はグラフィックデザインにはあまりかかわっていないので、このカタログとか広告のプロジェクトには深くかかわっていなかった。 でも自分のメインの仕事(プロダクトデザイン)でやったことが、ユーザーにまず伝わる最初の入り口で、そして本当にワンダフルにその入り口を作ってもらえたので、手に取った瞬間に嬉し涙が出た。 絶対、自分の仕事よりも感動したわ。 それぐらいに良い出来ばえだった。
カタログはこれまでのプロセスの結果がまとめられたアルバムのようなもので、見ていて、本当に胸が熱くなったよ。 それでまず思ったのが、「このプロセスをこんなに気楽に恐怖心もそんなになく気持ちよく出来たのは、家人のおかげだ!!」って感謝の気持ちと、そして「こんなに面白く仕事が出来たのはチームの皆様のおかげだ」ってことだった。 それ以外何も思い浮かばなかった。 もっとエゴイスティックな「俺様偉大!」系の感情が沸くかと思ったけど、そうでもなかった。 案外、あたし、謙虚な良い人だった。
周りから見ると、結構淡々と仕事をしていたように見えるらしい。 ただ出来る限りのベストプラクティスを探していた。 プロジェクトをパーソナルにとってしまうことによって制約や自分自身へのセンサーシップが働くのを避けた。 でもだからって出来上がったときに喜びが少ないかというとそういうわけじゃなくて、多分すっごい十分喜んでいる。 淡々と、ただ黙々と仕事が出来るコンディションとシチュエーションを作り出してくれた人たちにすっごい感謝した。 今度、ご馳走作るから待っててねと思った。 プロジェクトが終わったら、周りの人ががんばったねってお祝いしてくれる。 終わってみるまで気がつかなかったけど、実際は、自分がお祝いされるよりも、まずは自分と一緒にいてくれた人に、感謝の気持ちを込めてご馳走を作って、飾らない日をただ一緒に喜びたいと思うのね。 多分、そっちのほうが今の私にとっては贅沢だから。 仕事って、本当に一人ではできないね。 だから楽しい。 ご馳走作るぞー!
この間写真撮影をしている現場に、その日写真撮影をしなくてはいけなかった広告やカタログが印刷屋さんから到達した。 このギリギリ感、たまりませんね。 市場のおっちゃんのような気分で写真家さんに「ほいやっ! 刷りたてだよ!」って売りさばきたい気持ちに駆られたよ。 もう、手に握ったらぴちぴち動き出しそうな新鮮さ。 ああ、なんでいつも仕事ってギリギリになるんだろう。
私はグラフィックデザインにはあまりかかわっていないので、このカタログとか広告のプロジェクトには深くかかわっていなかった。 でも自分のメインの仕事(プロダクトデザイン)でやったことが、ユーザーにまず伝わる最初の入り口で、そして本当にワンダフルにその入り口を作ってもらえたので、手に取った瞬間に嬉し涙が出た。 絶対、自分の仕事よりも感動したわ。 それぐらいに良い出来ばえだった。
カタログはこれまでのプロセスの結果がまとめられたアルバムのようなもので、見ていて、本当に胸が熱くなったよ。 それでまず思ったのが、「このプロセスをこんなに気楽に恐怖心もそんなになく気持ちよく出来たのは、家人のおかげだ!!」って感謝の気持ちと、そして「こんなに面白く仕事が出来たのはチームの皆様のおかげだ」ってことだった。 それ以外何も思い浮かばなかった。 もっとエゴイスティックな「俺様偉大!」系の感情が沸くかと思ったけど、そうでもなかった。 案外、あたし、謙虚な良い人だった。
周りから見ると、結構淡々と仕事をしていたように見えるらしい。 ただ出来る限りのベストプラクティスを探していた。 プロジェクトをパーソナルにとってしまうことによって制約や自分自身へのセンサーシップが働くのを避けた。 でもだからって出来上がったときに喜びが少ないかというとそういうわけじゃなくて、多分すっごい十分喜んでいる。 淡々と、ただ黙々と仕事が出来るコンディションとシチュエーションを作り出してくれた人たちにすっごい感謝した。 今度、ご馳走作るから待っててねと思った。 プロジェクトが終わったら、周りの人ががんばったねってお祝いしてくれる。 終わってみるまで気がつかなかったけど、実際は、自分がお祝いされるよりも、まずは自分と一緒にいてくれた人に、感謝の気持ちを込めてご馳走を作って、飾らない日をただ一緒に喜びたいと思うのね。 多分、そっちのほうが今の私にとっては贅沢だから。 仕事って、本当に一人ではできないね。 だから楽しい。 ご馳走作るぞー!
2009-08-21
家の車とビートルズ
家の車はテープしか流せない。 そして私達はテープを一本しか持っていない。(だって今時テープってどこで買えば良いのかすらわからないんだもの…。) そのテープはThe Beatles 1. 車についてきたらしい。 せめてABBA GOLDとかじゃなかった、この幸運を祝福したい。

こんなにこのアルバムを聞いてる人は、私達とコムサデモードの店員ぐらいだと思う。 昨日もドライブがてらにテープ四周ぐらい聞いた。 (そういえばこのアルバムが出てからもうすぐ十年! 時間が経つのって速過ぎる。)
ビートルズの限られた音楽しかこの車からは流れないのだと開き直ってから、もう大ファンかのごとく大音量で楽曲を流し、隅々のディテールまで聞き込んで、歌詞の内容を話し合ったり、ちょっとしたクレバーな音運びを讃えたりと、ビートルズの修行部屋状態になっている。 オークランドで大音量でビートルズを聞いている車があったら、それは間違えなく私の車だ。
これしか聞くテープが無いから言う訳じゃないけど、ビートルズは車で大音量で流してちょっとしたソリチュードを味わうのにかなり適した音楽だと思う。 そういう文化の出始めの人達なんだよなと納得した。 私は昔ビートルズのそのグラマラスじゃないっぷりが好きではなく、そんなに共感した事がなかったんだけど、世の中に対して疲れはじめてきた頃から味わいが分かようになってきた。 子供時代への郷愁とか、まわりへのいらつきとか、パートナーへの思いとか、どうしても受け入れなきゃいけない挫折とか、そういうのが妙に似合う、慕情な音楽だ。 聞き過ぎたのか、彼らが作曲をしていた年齢と自分のそれが重なってきたからか、最近何曲かを本当にビューティフルだなあとしみじみと思うようになってきた。 Somethingとか、良い曲だと思う。 あと今さら私が言わなくても、十分過ぎるほど十分有名な考え方だけど、"Let it be"というふうにしか受け流せない事柄ってあるよね。
笑っちゃう偶然なんだけど、今日友達のブログを見たら、ビートルズがテーマの記事があげられていて驚いた。 「うわ、この人がこれ書いている間、きっと私大声でビートルズ歌いながらドライブしてたよ!」ってさ。 しかも彼女の知合いのうちの1人がビートルズの曲の中で一番好きなのはAcross The Universeって言っている人がいるんだって。 うーん、他人とは思えない。 私もビートルズの一番好きな曲はAcross The Universeです。 ぶっちぎり。 これから歳をとったり、自分のいるコンディションによって評価する曲は増えていくと思う。 好きな音楽は増え続ける。 でもいつでもAcross The Universeが一番好きだっていう心持ちでいられたらなと思うんだ。 だって、軽やかで切なくて良い曲じゃん。 歌詞がすごく優しい。

こんなにこのアルバムを聞いてる人は、私達とコムサデモードの店員ぐらいだと思う。 昨日もドライブがてらにテープ四周ぐらい聞いた。 (そういえばこのアルバムが出てからもうすぐ十年! 時間が経つのって速過ぎる。)
ビートルズの限られた音楽しかこの車からは流れないのだと開き直ってから、もう大ファンかのごとく大音量で楽曲を流し、隅々のディテールまで聞き込んで、歌詞の内容を話し合ったり、ちょっとしたクレバーな音運びを讃えたりと、ビートルズの修行部屋状態になっている。 オークランドで大音量でビートルズを聞いている車があったら、それは間違えなく私の車だ。
これしか聞くテープが無いから言う訳じゃないけど、ビートルズは車で大音量で流してちょっとしたソリチュードを味わうのにかなり適した音楽だと思う。 そういう文化の出始めの人達なんだよなと納得した。 私は昔ビートルズのそのグラマラスじゃないっぷりが好きではなく、そんなに共感した事がなかったんだけど、世の中に対して疲れはじめてきた頃から味わいが分かようになってきた。 子供時代への郷愁とか、まわりへのいらつきとか、パートナーへの思いとか、どうしても受け入れなきゃいけない挫折とか、そういうのが妙に似合う、慕情な音楽だ。 聞き過ぎたのか、彼らが作曲をしていた年齢と自分のそれが重なってきたからか、最近何曲かを本当にビューティフルだなあとしみじみと思うようになってきた。 Somethingとか、良い曲だと思う。 あと今さら私が言わなくても、十分過ぎるほど十分有名な考え方だけど、"Let it be"というふうにしか受け流せない事柄ってあるよね。
笑っちゃう偶然なんだけど、今日友達のブログを見たら、ビートルズがテーマの記事があげられていて驚いた。 「うわ、この人がこれ書いている間、きっと私大声でビートルズ歌いながらドライブしてたよ!」ってさ。 しかも彼女の知合いのうちの1人がビートルズの曲の中で一番好きなのはAcross The Universeって言っている人がいるんだって。 うーん、他人とは思えない。 私もビートルズの一番好きな曲はAcross The Universeです。 ぶっちぎり。 これから歳をとったり、自分のいるコンディションによって評価する曲は増えていくと思う。 好きな音楽は増え続ける。 でもいつでもAcross The Universeが一番好きだっていう心持ちでいられたらなと思うんだ。 だって、軽やかで切なくて良い曲じゃん。 歌詞がすごく優しい。
2009-08-20
世相が暗い
日本のニュースを聞いていたら、その世相の暗さに驚かされた。 コメンテーターの香山リカさんが暗い! 彼女は本当に世の中を憂いているのかもしれないし、こういう言葉遣いでしか伝えられない絶望を見たのかもしれない。 冗談抜きで本当に暗い。 聞いていて、「もう駄目だ!! 日本お先真っ暗!」と思ってしまった。
言葉は連ね方によって響き方が変わる。 同じ内容の事でも、表現の仕方によっては究極の絶望として響いたりする。 どういう伝え方をするかという所に、そのジャーナリズムとしての、メッセージとしての品質が宿るのだと思う。 そして勿論聞き手側は
言葉は連ね方によって響き方が変わる。 同じ内容の事でも、表現の仕方によっては究極の絶望として響いたりする。 どういう伝え方をするかという所に、そのジャーナリズムとしての、メッセージとしての品質が宿るのだと思う。 そして勿論聞き手側は
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