あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします。
今年はゆっくりとした年初めです。 学生の頃はお正月はアルバイトをしていたので、お正月にゴロゴロしていると、「あぁ私は大人になったのだなぁ」としみじみします。
私の住んでいる鎌倉は、「海、山、神社仏閣、幕府」が売りの街です。 春は山の桜、夏は海の店、秋は山の紅葉関連で荒稼ぎをしています。 それらも素晴らしいですが、一年の主役、「今稼ぎまっせ、一年分っっ!」と鼻息荒くなるシーズンは正月。 鎌倉全体が、初詣にきた人たちに対して大ハッスル。 神社なんてやばいやばい。 神主たち、走る、走る、走る。 鎌倉が地元の子たちも神社でバイトをして、神主たちと一緒に走る、走る、走る。 神主たちは、年明けてからが走り時ですね。 坊さんたちが年末走るのと比べて。 (やっぱ、神社は結婚式、寺は葬式。 神社は年明け、寺は年末って感じの役割分担なんでしょうか) 見事だなと、神社の活気、いきいきとしたエナジーを感じながら思います。
旧い友人と地元で箱根駅伝往路観戦したり、鶴岡八幡宮や建長寺にお参りしたり。 都内に出て、箱根駅伝復路観戦して、そのあと銀ブラしたり。 とても幸せなお正月でした。 おいしい食べ物を山ほど食べた!
それにしても正月って暇だね。
お仕事が明日から始まる人たちがうらやましい。
私はあと三週間ぐらいホリデーがあります。
むむむむむん。 何して過ごそう。
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2011-01-04
2010-12-21
師走
あっという間に年末だ! 今年はブログ書かなかったなー。
今年は何かの"間"にある感じの不思議な一年だった。 自分が大学生じゃない事には慣れた。 でも勿論まだばりばりのジュニアデザイナーで、全く自律して仕事が出来るようなシニアじゃない。 というか、そんなにまだデザイナーですらないし、ビジネスのこともよくわかってない。 ごろんと生々しく、弱々しく、いまいち事の顛末を理解していない成熟していなく能力のない自分がいる。
仕事は忙しかったし、挑戦もあったし、難しかった。 それでも気楽だった。 人と働くってそういう事なんだなと知った。 協力できる事、信頼できる事の力強さを発見した。 リラックスして、いろんなことに挑戦できた。 職場の人達に心底感謝。
今年はたまたまよく日本にも帰った。 日本にいる時と、こっちにいるときと…、本当に生活が違うから、こっちで日本の事を思うと、ほとんどファンタジー小説に出てくる別世界を想像しているような状態になる。 逆もしかり。 随分と、住んでいる所によって生活ってのは変わるものなのですね。
国籍がある国が自分にとっての国なのか、住んでいる所がそうなのか。(現実的に言えば、両方自分の国なんだろう。) そこでも二つの間で、ぷらぷら過ごした感じがする。
税金を払っていて、そして日常生活がある、NZの方が自分の国だという意識が強い。 ここにある共同体に属していると強く感じる。 私が社会的な事で、"私達"というときは、大抵NZにいる人達が含まれる。 日本に対しては"あなた達"。 勿論日本に税金を払って、そして日本で日常生活を送れば、日本に対して愛着を持つようになるんだろう。 日本にいる人達の事を"私達"とよぶんだろう。 そんなもんだ。 そんなもんなんだなぁってのが意外と自分がやってみるまで分からなかった。
人間関係や家族関係でも、変化の途中、結構宙ぶらりんな時期にいる感じがする。
親が子供のころの事を想像すると、ちょっとキュンっとくる。 可愛かったんだろうなぁとかってさ。 親が親になってからの事を思っても、キュンっとくる。 なんて素晴らしい、愛に溢れた親なんだろうって。 でも親が"子供"と"親"の間にいた時の事ってなんだかいまいち想像できない。 要するに、産まれてきた家族と、新しく作った家族の間で、一人でプラプラしていた時期の事がなんだかいまいち想像できないんだ。
だからかなぁ。 何となく自分もその、オリジナルの家族と、新しく作りたい家族の間でプラプラしている、やっけに気楽で、匿名性が強くて、どこの記録にも記憶にもたいして残らない、ゆるーい期間にいるような気がしちゃうんだよね。 すごく面白い。
でも実際は様々な面で、のるかそるかなスリリングな時期なんだけどね、でもどっかやけに気楽だよね。
そういう意味では変わった一年だったなぁ。 後から思い出したら、キラキラした思いでとかがある一年になるのかな。 不思議ね、一年一年、色彩が違う。
今年は何かの"間"にある感じの不思議な一年だった。 自分が大学生じゃない事には慣れた。 でも勿論まだばりばりのジュニアデザイナーで、全く自律して仕事が出来るようなシニアじゃない。 というか、そんなにまだデザイナーですらないし、ビジネスのこともよくわかってない。 ごろんと生々しく、弱々しく、いまいち事の顛末を理解していない成熟していなく能力のない自分がいる。
仕事は忙しかったし、挑戦もあったし、難しかった。 それでも気楽だった。 人と働くってそういう事なんだなと知った。 協力できる事、信頼できる事の力強さを発見した。 リラックスして、いろんなことに挑戦できた。 職場の人達に心底感謝。
今年はたまたまよく日本にも帰った。 日本にいる時と、こっちにいるときと…、本当に生活が違うから、こっちで日本の事を思うと、ほとんどファンタジー小説に出てくる別世界を想像しているような状態になる。 逆もしかり。 随分と、住んでいる所によって生活ってのは変わるものなのですね。
国籍がある国が自分にとっての国なのか、住んでいる所がそうなのか。(現実的に言えば、両方自分の国なんだろう。) そこでも二つの間で、ぷらぷら過ごした感じがする。
税金を払っていて、そして日常生活がある、NZの方が自分の国だという意識が強い。 ここにある共同体に属していると強く感じる。 私が社会的な事で、"私達"というときは、大抵NZにいる人達が含まれる。 日本に対しては"あなた達"。 勿論日本に税金を払って、そして日本で日常生活を送れば、日本に対して愛着を持つようになるんだろう。 日本にいる人達の事を"私達"とよぶんだろう。 そんなもんだ。 そんなもんなんだなぁってのが意外と自分がやってみるまで分からなかった。
人間関係や家族関係でも、変化の途中、結構宙ぶらりんな時期にいる感じがする。
親が子供のころの事を想像すると、ちょっとキュンっとくる。 可愛かったんだろうなぁとかってさ。 親が親になってからの事を思っても、キュンっとくる。 なんて素晴らしい、愛に溢れた親なんだろうって。 でも親が"子供"と"親"の間にいた時の事ってなんだかいまいち想像できない。 要するに、産まれてきた家族と、新しく作った家族の間で、一人でプラプラしていた時期の事がなんだかいまいち想像できないんだ。
だからかなぁ。 何となく自分もその、オリジナルの家族と、新しく作りたい家族の間でプラプラしている、やっけに気楽で、匿名性が強くて、どこの記録にも記憶にもたいして残らない、ゆるーい期間にいるような気がしちゃうんだよね。 すごく面白い。
でも実際は様々な面で、のるかそるかなスリリングな時期なんだけどね、でもどっかやけに気楽だよね。
そういう意味では変わった一年だったなぁ。 後から思い出したら、キラキラした思いでとかがある一年になるのかな。 不思議ね、一年一年、色彩が違う。
2010-12-19
ぽいぽい
久しぶりに服を捨てまくっている。 無駄な、部屋の垢のような状態になっているいらない服を、勇気を出して捨てている。
あぁ、なんて虚しい作業! なんて悲しい作業。
なにがこうも虚しくて、なにがこうも悲しいのか。 勿論払ったお金の事を考えるとゾッとする。 新陳代謝が行い終わっていないので、私の服の一部は親のお金を使って買った物だったりする。 もう、本当に申し訳ないよね、こんなゴミになる物に大金使ったって事自体が! 「マジでごめん、もうしないから許して!」と心の中で親に手を合わせて服を捨てて行く。
昔の私の服はいちいち高かったくせに、本当に短いシーズン以外着れないタイプの奇を狙ったのばっかりで、二年以上経った物は、本当に全く着れない。 見るも無惨な物が多い。 馬鹿!! 考えたらずの私の馬鹿!
以前は女性の難民の為に寄付したりしていたけど、穴開いているのとか、あまりにもアヴァンギャルドなワンシーズン用の物とか、貰った方が迷惑だろうと思って今回は捨てている。 ここも虚しいよね。 何考えて買ってたんだろうねぇ。 本当に全く…、当時の自分に「何か計画とかあったんですか?」ってこんこんと問いつめたいよ。
穴が開いていて、ボタンももうなくて、しかも洗濯に失敗して縮んでしまって、クローゼットの奥の奥に一年以上押しつぶされておいてあった物とか、反省材料以外の何物でもないよ。
自分の雑さに、自分の荒々しさに、自分の洗濯の下手さに、そして自分の買物べたさに。 虚しー!
今回のこの作業でさ、もっと計画的に生きる事を決心したよ。 まだ、どう計画したら一番良い結果が出るのか分からないけど、本当に、計画が必要、考えなきゃ…。
そもそもどんな格好をしている自分になりたいのかってあたりから考え始める必要がある気がする…。
中性的で、おっぱいの形が格好よく見えて、お腹が目立たなくて、頭そこまで悪そうには見えなくて、なおかつ職場で尊敬されるような…、そんな服装がしたいんですが、どうしたらいいんでしょうか。 誰か教えて!
あぁ、なんて虚しい作業! なんて悲しい作業。
なにがこうも虚しくて、なにがこうも悲しいのか。 勿論払ったお金の事を考えるとゾッとする。 新陳代謝が行い終わっていないので、私の服の一部は親のお金を使って買った物だったりする。 もう、本当に申し訳ないよね、こんなゴミになる物に大金使ったって事自体が! 「マジでごめん、もうしないから許して!」と心の中で親に手を合わせて服を捨てて行く。
昔の私の服はいちいち高かったくせに、本当に短いシーズン以外着れないタイプの奇を狙ったのばっかりで、二年以上経った物は、本当に全く着れない。 見るも無惨な物が多い。 馬鹿!! 考えたらずの私の馬鹿!
以前は女性の難民の為に寄付したりしていたけど、穴開いているのとか、あまりにもアヴァンギャルドなワンシーズン用の物とか、貰った方が迷惑だろうと思って今回は捨てている。 ここも虚しいよね。 何考えて買ってたんだろうねぇ。 本当に全く…、当時の自分に「何か計画とかあったんですか?」ってこんこんと問いつめたいよ。
穴が開いていて、ボタンももうなくて、しかも洗濯に失敗して縮んでしまって、クローゼットの奥の奥に一年以上押しつぶされておいてあった物とか、反省材料以外の何物でもないよ。
自分の雑さに、自分の荒々しさに、自分の洗濯の下手さに、そして自分の買物べたさに。 虚しー!
今回のこの作業でさ、もっと計画的に生きる事を決心したよ。 まだ、どう計画したら一番良い結果が出るのか分からないけど、本当に、計画が必要、考えなきゃ…。
そもそもどんな格好をしている自分になりたいのかってあたりから考え始める必要がある気がする…。
中性的で、おっぱいの形が格好よく見えて、お腹が目立たなくて、頭そこまで悪そうには見えなくて、なおかつ職場で尊敬されるような…、そんな服装がしたいんですが、どうしたらいいんでしょうか。 誰か教えて!
2010-11-25
部屋
巣作りをするのは楽しい。
最近久しぶりに巣作りに対する情熱が戻ってきた。
これはオークランドに引っ越してきてから全く情熱がなかったので、二年ぶりぐらいか。
とても居心地が良い家なので、もっともっと居心地を良くしたいという情熱にかられている。
私は空中庭園みたいな場所が好きだ。
だから、一階に住むより二階に住みたい。
窓から植物の上の方が見えるのが好きだから。
あと風の吹き込みかたも大切。
そして布が沢山ある部屋が好きだ。
家具の素材は木材と布が良い。
木材ちょっとと、布沢山。
ふわふわしているとなお良い。
どうしてこうも柔らかいものに包まれたいのか。
照明も暖色の間接照明が好きだ。
ベッドにぽーんと飛び込んだ時に、枕元に沢山の枕やクッションがあって、
ちょっと固めのさっぱりとした素材のシーツが肌に触る感じも大切。
小さいときからベッドに入る度に笑い声を上げて喜んだ。
今でもぱりっとベッドメイキングされたベッドに飛び込む瞬間に、嬉しくてたまに声を上げて笑ってしまう。 沸き上がってくる喜びが止められないのだ。 トランポリンで飛ぶ瞬間のお腹がくすぐったくなる感じが、ベッドにぽーんと自分を投げ出す時にもするんだよね。
柔らかくて、そよそよしていて、そしていつも若干温かい環境が好きなのだ。
どうしてこういうのが好きなんだろうと考えるとちょっと分かんなくなる。
小さいときに住んでいた部屋に似ているから?
それともたまたま?
私は小さいときから屋根裏部屋に住んでいた。
最初は大きなテラスのついている小さな屋根裏部屋。
梯子で登る部屋だった。
ダブルベッドを置くと床のほとんどが覆い隠されてしまう部屋だった。
天井の一番高い所がぎりぎり160cmの私が立って頭が当たらないぐらい。
部屋のはじっこに行けば行くほどに(そして部屋のはじっこはすぐそこにある)ギューンと天上が低くなる。
屋根裏部屋の一面は屋根の上にあるテラスに繋がる窓になっていて、テラスは部屋よりも広かった。 そこも私の空間だった。 その二部屋(?)が私の幼少期の部屋。
実家が今の家に引っ越してきてからは、もっと広い、そして頭が天上には当たらない屋根裏部屋があてがわれた。 天窓と、中庭が見える小さな窓がある以外は外部から遮断された、鬱蒼とした感じの部屋。 森の中の家なので、まあ、それはそれで丁度いい。 トトロの穴蔵みたいで好きだ。
両方とも、どこか包まれる感覚のある部屋だった。
子宮のような、繭のような。
部屋には心地よさや、安心感、温かさ、柔らかさを求めてしまう。
どうしてなんだろうね? よっぽど母が恋しいのだろうか。
そういえば、昔、部屋に男の子が来る度に、自分の部屋の女性らしさに驚いたものだ。
私は別に自分の部屋が女性的だとかロマンティックだとか考えずに暮しているんだけど、実際男の子が部屋に入ってくると、自分と身長も違うし、動きも違うし、大概「お花畑に熊が来た…!」って感じになっていた。 そしてとても驚くのだ。 相手の巨大さと、相手の荒々しさに。 街やら学校で会っている時はそんな事感じないから、多分、私の部屋とのコントラストでそう見えているのだ。 ってことはよっぽどフェミニンな部屋を私が持っていたってことだろう。
(ましてや好きな男の子が来た時なんて、もうウルトラドギマギだよねっ! 自分の柔らかい繭みたいな部屋に、自分が世界で一番野生とか生命力とかを感じている相手がいるんだもん。「っか、形が変わるっっ!」って思ってクラクラ。 ああ、今思いだすだけでも、ドギマギしてきた…! あの、好きな人の体とか動きを通して、自分の部屋がものすごく女性的なんだって気がついた瞬間の感じ、ものすごいものがあるよ。)
anyway, 熊からしてみると、「こんなにいい環境があるのか…!」と心打たれるらしく、しょっちゅう来るようになる。 「だって、居心地いいんだもん」という理由で。 だったらお前の部屋も柔らかくて温かい感じにすれば良いじゃんと私は思う。
逆もあるみたいで、私が相手の部屋に座っている所を見ると、私の体の形とか服とか、雰囲気とかとのコントラストで、相手は「うわっ、確かに俺の部屋、明るさとか華やかさとか、色彩が無さ過ぎる…!」って気がつくらしい。
何なんでしょうね、この巣作りの不思議。
どうしてこうも自分の一番大切な感じの感覚が溢れ出てしまうんだろう、部屋の中には。
不思議だー!!
最近久しぶりに巣作りに対する情熱が戻ってきた。
これはオークランドに引っ越してきてから全く情熱がなかったので、二年ぶりぐらいか。
とても居心地が良い家なので、もっともっと居心地を良くしたいという情熱にかられている。
私は空中庭園みたいな場所が好きだ。
だから、一階に住むより二階に住みたい。
窓から植物の上の方が見えるのが好きだから。
あと風の吹き込みかたも大切。
そして布が沢山ある部屋が好きだ。
家具の素材は木材と布が良い。
木材ちょっとと、布沢山。
ふわふわしているとなお良い。
どうしてこうも柔らかいものに包まれたいのか。
照明も暖色の間接照明が好きだ。
ベッドにぽーんと飛び込んだ時に、枕元に沢山の枕やクッションがあって、
ちょっと固めのさっぱりとした素材のシーツが肌に触る感じも大切。
小さいときからベッドに入る度に笑い声を上げて喜んだ。
今でもぱりっとベッドメイキングされたベッドに飛び込む瞬間に、嬉しくてたまに声を上げて笑ってしまう。 沸き上がってくる喜びが止められないのだ。 トランポリンで飛ぶ瞬間のお腹がくすぐったくなる感じが、ベッドにぽーんと自分を投げ出す時にもするんだよね。
柔らかくて、そよそよしていて、そしていつも若干温かい環境が好きなのだ。
どうしてこういうのが好きなんだろうと考えるとちょっと分かんなくなる。
小さいときに住んでいた部屋に似ているから?
それともたまたま?
私は小さいときから屋根裏部屋に住んでいた。
最初は大きなテラスのついている小さな屋根裏部屋。
梯子で登る部屋だった。
ダブルベッドを置くと床のほとんどが覆い隠されてしまう部屋だった。
天井の一番高い所がぎりぎり160cmの私が立って頭が当たらないぐらい。
部屋のはじっこに行けば行くほどに(そして部屋のはじっこはすぐそこにある)ギューンと天上が低くなる。
屋根裏部屋の一面は屋根の上にあるテラスに繋がる窓になっていて、テラスは部屋よりも広かった。 そこも私の空間だった。 その二部屋(?)が私の幼少期の部屋。
実家が今の家に引っ越してきてからは、もっと広い、そして頭が天上には当たらない屋根裏部屋があてがわれた。 天窓と、中庭が見える小さな窓がある以外は外部から遮断された、鬱蒼とした感じの部屋。 森の中の家なので、まあ、それはそれで丁度いい。 トトロの穴蔵みたいで好きだ。
両方とも、どこか包まれる感覚のある部屋だった。
子宮のような、繭のような。
部屋には心地よさや、安心感、温かさ、柔らかさを求めてしまう。
どうしてなんだろうね? よっぽど母が恋しいのだろうか。
そういえば、昔、部屋に男の子が来る度に、自分の部屋の女性らしさに驚いたものだ。
私は別に自分の部屋が女性的だとかロマンティックだとか考えずに暮しているんだけど、実際男の子が部屋に入ってくると、自分と身長も違うし、動きも違うし、大概「お花畑に熊が来た…!」って感じになっていた。 そしてとても驚くのだ。 相手の巨大さと、相手の荒々しさに。 街やら学校で会っている時はそんな事感じないから、多分、私の部屋とのコントラストでそう見えているのだ。 ってことはよっぽどフェミニンな部屋を私が持っていたってことだろう。
(ましてや好きな男の子が来た時なんて、もうウルトラドギマギだよねっ! 自分の柔らかい繭みたいな部屋に、自分が世界で一番野生とか生命力とかを感じている相手がいるんだもん。「っか、形が変わるっっ!」って思ってクラクラ。 ああ、今思いだすだけでも、ドギマギしてきた…! あの、好きな人の体とか動きを通して、自分の部屋がものすごく女性的なんだって気がついた瞬間の感じ、ものすごいものがあるよ。)
anyway, 熊からしてみると、「こんなにいい環境があるのか…!」と心打たれるらしく、しょっちゅう来るようになる。 「だって、居心地いいんだもん」という理由で。 だったらお前の部屋も柔らかくて温かい感じにすれば良いじゃんと私は思う。
逆もあるみたいで、私が相手の部屋に座っている所を見ると、私の体の形とか服とか、雰囲気とかとのコントラストで、相手は「うわっ、確かに俺の部屋、明るさとか華やかさとか、色彩が無さ過ぎる…!」って気がつくらしい。
何なんでしょうね、この巣作りの不思議。
どうしてこうも自分の一番大切な感じの感覚が溢れ出てしまうんだろう、部屋の中には。
不思議だー!!
2010-11-21
Who do you think you are?
オークランドの一番大きな図書館の横に引っ越してきてから、毎日会社帰りに図書館に寄っている。 こっちはDVDとかも無料で貸し出してもらえるので、テレビなんかで放送されていたドキュメンタリーなんかを夜寝る前に見たりしている。
Who do you think you are?は、元々BBCが初めた家系図に関するドキュメンタリー番組。 現在は、カナダ版、アメリカ版、アイルランド版、オーストラリア版、イスラエル版、スウェーデン版、南アフリカ版がある。
毎回現在生きている一人の人に焦点を当てて、その人の家系図をひもといていく。 これがめちゃくちゃ面白いのだ。
私が見たのはオーストラリア版なんだけど、目から鱗の連続で、考えさせられるし、毎回世界を見る目がちょっとずつ変わる。 私はオーストラリア史をあまり知らないので、余計に面白いのだと思う。 番組から知らない事を沢山知る事ができる。
オーストラリアは移民の国なので、一人一人の持っている歴史が全く違う。 みんなの御先祖様の来た所も違うし、来た理由も違う。 大げさじゃなくてね、見ていると人類ってなんて凄いんだってあっけにとられちゃうんだ。
例えばRon Barassiっていうオーストラリアのラグビープレーヤーのおじいちゃんが焦点だった回。 傑作だった。
撮影当時74歳だった彼は、父親の記憶がない。 彼が4歳の時に戦争で亡くなっているから。 まず父親に関して調べる事から番組は始まる。 色んな公的な書類を見つけていき、最終的に戦争で同じ隊にいて、彼が亡くなる所を見ていた隊員を見つけ、色々な話しを聞く。
次に父方の祖父の事を調べていく。 そして、祖父と曾祖父の関係、曾祖父と、高曾祖父とさかのぼっていく。 どうしてオーストラリアに来たのか、どこから来たのか、もっと正確に言うと、どこのどこから来たのかって具合に段々と自分の家系図を通して自分の産まれてきた背景を知っていく。
彼の父方の家系はスイスのイタリア語圏から、オーストラリアで当時おこっていたゴールドラッシュを追っかけて移住してきた人達だと分かる。 (地球の裏側からだよ! 200年近く前に当時の技術で!! この時点で結構素直に人間ってすごいと感心してしまう。) しかしスイスで聞いたゴールドラッシュは噂でしか無く、地球の裏側のとんでもなく過酷で、どこともつながりの無いような未開の地で、その移民達は何年も失敗に失敗を重ねて行く。 とんでもない努力と重労働は水の泡。 なので今度は果樹園を始め、それは成功していく。 この果樹園はRonの覚えている祖父の代まで続く。
もう、この時点で最近仕事が難航している私は、この不屈のフロンティアスピリッツに感動し、励まされた。
地球の裏側の未開の地で情報やらから遮断され、意味の無い巨大な穴をひたすら数年続け、しかもそれが無駄な努力だったとかって、もう、サーバーが上手く動かないとか、本の製本がずれるとかっていう私の悩みと比べ物にならないよ。 だってオーストラリアの自然は凄いもの。 当時の写真を見る限り「日本国土規模の富士の樹海のような場所に俺が一人ぽつんといる」って感じだよ。 私のオフィス、エアコン付きだし、私、もっと頑張れるって思いました。
番組ではこれらの情報をヨーロッパからの貨物船の記録とか、昔の市役所の記録とか、郷土史を研究している人達とかの協力を通じて発見していく。 私はここに凄く感心してしまった。 どれだけ記録マニアなんだ人類、というかヨーロッパの人達。 googleの遺伝子を感じてしまった。 200年近く前の貨物船の記録って、おい!
母方だったか、それとも父方の誰かだったかは思い出せないんだけど、彼にはアイルランド系の血も入っている。
スイス系の祖先達が来た頃と同じ頃、彼のアイルランド側の祖先は、妻を殴り殺し、オーストラリアに島流しにあう。
オーストラリアに流された人達は、イギリス本土の人工口減らし目的だったので、軽犯罪者達をじゃんじゃん流刑したんだそう。 パンを盗んで地球の裏側の未開の地へ島流しっていう「おいっ!」っていう時代だったのだ。
その中で殺人者が送られたのは非常に、非常にレアなんだそう。 殺人者が死刑に会わなかった事自体がレアなので。
どうしてそうなったのか。 理由は、殺人現場を目撃していた彼の子どもたち(当時十歳ぐらい)にある。 裁判の途中で、子どもたちは父親が母親を殺した事を証言している。(ここもすごい) 父親が母親を殺したのだと証言し、その現場の説明をし、そしてその結果、法がその父親を処刑した場合、この子どもたちは「自分達が罰されている。 自分の証言が父親を殺した。」と思う事になる。 それはいかんと言う事で島流しになったらしい。(この時点で私あっけにとられた。人に歴史あり。壮絶なり。)
これらの情報を当時の新聞や裁判記録を読み解き探し出していく。(実はこの殺人を犯した父親と、息子は名前が一緒であり、当初は同一人物だと思われていた。 でもそうすると色々と符合があわないと分かり、調べていくにつれ、別人である事、そして父親の方がオーストラリアに来た原因の人物であることが分かっていく)
かなりファインなラインで、自分の御先祖様の命は繋がり、現在の自分の命に繋がっているのだと知った、Ronおじいちゃんマジであんぐり。 驚きまくっていた。 そもそも自分にアイリッシュの血が入っている事すら知らなかったのだ。
anyway, その島流しにあった父親、当初は勿論一人で島流しにあった。 しかしRonおじいちゃんはオージーに現にいる。 どういういきさつで子どもたちはオーストラリアに来る事になったのか。 殺人事件がおこった当時、10歳を筆頭に6人の子どもが彼にはいた。 彼はオーストラリアでの生活がある程度軌道にのりはじめた時点で、地球の裏側にいるその子どもたちを必死に、(ものすごい努力が必要とされたのだろうってことは簡単に想像がつく)呼び寄せる。
貨物船やら裁判記録やらでは分からない側面は、果たして、子どもたちと父親はまた親しくなれたのか/打ち解ける事が出来たのかという事だ。 感情的な所は分からない。
番組は今度は彼らの居住記録に注目する。 なんと父親と、父親の殺人を裁判で証言した(事件があった当時は10歳)だった息子は、後年シドニーで同じ家に住んでいた事が分かる。 今度はその家のサイズや間取りを探していく。 そしてその家は現在のロックという地域にある、二間の小さな家だと分かり、「嫌い合っていたらこのサイズの家に一緒に住む事は出来ない。 職業記録などを見ていても、彼らは一緒に住みたくなかったら住まずにいられたような収入があるし、打ち解けたのだろう」という推測にたどり着いていく。
もうRonおじいちゃん、言葉を失っていたよ。
気持ちは分かる! 私も結構色んなレイヤーで言葉を失った。
人びとの人生も凄いし、ヨーロッパ人達の記録+アーカイブマニアっぷりもすごいし、当時の法制度やらもすごいし、移動距離も凄い。
あっけにとられた。
で、この規模の話しがみんなにあるんだよね。 それが番組を見ていると分かるんだ。 人類の命の繋がりって、すごい。
ミクロネシア出身の人なんて、自分の御先祖様の歌声を、ケンブリッジ大学の文化人類学研究所経由でロンドンのナショナルアーカイブの鑞で出来たレコードの中から見つけて、おったまげていた。 この人の回も凄かった。
とりあえず面白い。
人類凄い。
そしてヨーロッパ系の人達の記録マニアっぷりも本当に凄い。
もし私に子供が産まれたとして、そしてその子供に子供がうまれたとして…って考えてみる。
その子(私の孫)は、祖父母四人、両親二人の人生やら命の連鎖やらの結果であるわけだ。
過去を振り返れば、半端無い数の人達の命がある。
自分の命と今地球上に生きている、
想像もできないどっかの誰かの命の連鎖が繋がって、
新しい命になっていく訳じゃん。
自分の孫なんて、半分以上、私の命の連鎖以外で成り立っている。
自分の命が見ず知らずの誰かの命と遠い未来で繋がる可能性があるのかぁと考えると、
なんかえらく感心してしまうよ。
「自分の孫」なんて考えると、なんか自分の命からの連鎖って感じにしか見えないけど、
実は私の命が他の人達の命と繋がりあって、どの人の人生の背景にもダバダバダバダーって色んな歴史や背景があるのだと考えると、世の中の一筋縄ではいかない感じが実感できて面白い。 なんか変なきっかけだけど、社会性が若干自分の中で芽生えたよ。
おまけ
アメリカ版だとサラジェシカパーカーとかが素材になっていて、彼女の御先祖様が魔女刈りで殺されていた事とかが分かったそう。 アメリカ版も凄そうだな…。
Who do you think you are?は、元々BBCが初めた家系図に関するドキュメンタリー番組。 現在は、カナダ版、アメリカ版、アイルランド版、オーストラリア版、イスラエル版、スウェーデン版、南アフリカ版がある。
毎回現在生きている一人の人に焦点を当てて、その人の家系図をひもといていく。 これがめちゃくちゃ面白いのだ。
私が見たのはオーストラリア版なんだけど、目から鱗の連続で、考えさせられるし、毎回世界を見る目がちょっとずつ変わる。 私はオーストラリア史をあまり知らないので、余計に面白いのだと思う。 番組から知らない事を沢山知る事ができる。
オーストラリアは移民の国なので、一人一人の持っている歴史が全く違う。 みんなの御先祖様の来た所も違うし、来た理由も違う。 大げさじゃなくてね、見ていると人類ってなんて凄いんだってあっけにとられちゃうんだ。
例えばRon Barassiっていうオーストラリアのラグビープレーヤーのおじいちゃんが焦点だった回。 傑作だった。
撮影当時74歳だった彼は、父親の記憶がない。 彼が4歳の時に戦争で亡くなっているから。 まず父親に関して調べる事から番組は始まる。 色んな公的な書類を見つけていき、最終的に戦争で同じ隊にいて、彼が亡くなる所を見ていた隊員を見つけ、色々な話しを聞く。
次に父方の祖父の事を調べていく。 そして、祖父と曾祖父の関係、曾祖父と、高曾祖父とさかのぼっていく。 どうしてオーストラリアに来たのか、どこから来たのか、もっと正確に言うと、どこのどこから来たのかって具合に段々と自分の家系図を通して自分の産まれてきた背景を知っていく。
彼の父方の家系はスイスのイタリア語圏から、オーストラリアで当時おこっていたゴールドラッシュを追っかけて移住してきた人達だと分かる。 (地球の裏側からだよ! 200年近く前に当時の技術で!! この時点で結構素直に人間ってすごいと感心してしまう。) しかしスイスで聞いたゴールドラッシュは噂でしか無く、地球の裏側のとんでもなく過酷で、どこともつながりの無いような未開の地で、その移民達は何年も失敗に失敗を重ねて行く。 とんでもない努力と重労働は水の泡。 なので今度は果樹園を始め、それは成功していく。 この果樹園はRonの覚えている祖父の代まで続く。
もう、この時点で最近仕事が難航している私は、この不屈のフロンティアスピリッツに感動し、励まされた。
地球の裏側の未開の地で情報やらから遮断され、意味の無い巨大な穴をひたすら数年続け、しかもそれが無駄な努力だったとかって、もう、サーバーが上手く動かないとか、本の製本がずれるとかっていう私の悩みと比べ物にならないよ。 だってオーストラリアの自然は凄いもの。 当時の写真を見る限り「日本国土規模の富士の樹海のような場所に俺が一人ぽつんといる」って感じだよ。 私のオフィス、エアコン付きだし、私、もっと頑張れるって思いました。
番組ではこれらの情報をヨーロッパからの貨物船の記録とか、昔の市役所の記録とか、郷土史を研究している人達とかの協力を通じて発見していく。 私はここに凄く感心してしまった。 どれだけ記録マニアなんだ人類、というかヨーロッパの人達。 googleの遺伝子を感じてしまった。 200年近く前の貨物船の記録って、おい!
母方だったか、それとも父方の誰かだったかは思い出せないんだけど、彼にはアイルランド系の血も入っている。
スイス系の祖先達が来た頃と同じ頃、彼のアイルランド側の祖先は、妻を殴り殺し、オーストラリアに島流しにあう。
オーストラリアに流された人達は、イギリス本土の人工口減らし目的だったので、軽犯罪者達をじゃんじゃん流刑したんだそう。 パンを盗んで地球の裏側の未開の地へ島流しっていう「おいっ!」っていう時代だったのだ。
その中で殺人者が送られたのは非常に、非常にレアなんだそう。 殺人者が死刑に会わなかった事自体がレアなので。
どうしてそうなったのか。 理由は、殺人現場を目撃していた彼の子どもたち(当時十歳ぐらい)にある。 裁判の途中で、子どもたちは父親が母親を殺した事を証言している。(ここもすごい) 父親が母親を殺したのだと証言し、その現場の説明をし、そしてその結果、法がその父親を処刑した場合、この子どもたちは「自分達が罰されている。 自分の証言が父親を殺した。」と思う事になる。 それはいかんと言う事で島流しになったらしい。(この時点で私あっけにとられた。人に歴史あり。壮絶なり。)
これらの情報を当時の新聞や裁判記録を読み解き探し出していく。(実はこの殺人を犯した父親と、息子は名前が一緒であり、当初は同一人物だと思われていた。 でもそうすると色々と符合があわないと分かり、調べていくにつれ、別人である事、そして父親の方がオーストラリアに来た原因の人物であることが分かっていく)
かなりファインなラインで、自分の御先祖様の命は繋がり、現在の自分の命に繋がっているのだと知った、Ronおじいちゃんマジであんぐり。 驚きまくっていた。 そもそも自分にアイリッシュの血が入っている事すら知らなかったのだ。
anyway, その島流しにあった父親、当初は勿論一人で島流しにあった。 しかしRonおじいちゃんはオージーに現にいる。 どういういきさつで子どもたちはオーストラリアに来る事になったのか。 殺人事件がおこった当時、10歳を筆頭に6人の子どもが彼にはいた。 彼はオーストラリアでの生活がある程度軌道にのりはじめた時点で、地球の裏側にいるその子どもたちを必死に、(ものすごい努力が必要とされたのだろうってことは簡単に想像がつく)呼び寄せる。
貨物船やら裁判記録やらでは分からない側面は、果たして、子どもたちと父親はまた親しくなれたのか/打ち解ける事が出来たのかという事だ。 感情的な所は分からない。
番組は今度は彼らの居住記録に注目する。 なんと父親と、父親の殺人を裁判で証言した(事件があった当時は10歳)だった息子は、後年シドニーで同じ家に住んでいた事が分かる。 今度はその家のサイズや間取りを探していく。 そしてその家は現在のロックという地域にある、二間の小さな家だと分かり、「嫌い合っていたらこのサイズの家に一緒に住む事は出来ない。 職業記録などを見ていても、彼らは一緒に住みたくなかったら住まずにいられたような収入があるし、打ち解けたのだろう」という推測にたどり着いていく。
もうRonおじいちゃん、言葉を失っていたよ。
気持ちは分かる! 私も結構色んなレイヤーで言葉を失った。
人びとの人生も凄いし、ヨーロッパ人達の記録+アーカイブマニアっぷりもすごいし、当時の法制度やらもすごいし、移動距離も凄い。
あっけにとられた。
で、この規模の話しがみんなにあるんだよね。 それが番組を見ていると分かるんだ。 人類の命の繋がりって、すごい。
ミクロネシア出身の人なんて、自分の御先祖様の歌声を、ケンブリッジ大学の文化人類学研究所経由でロンドンのナショナルアーカイブの鑞で出来たレコードの中から見つけて、おったまげていた。 この人の回も凄かった。
とりあえず面白い。
人類凄い。
そしてヨーロッパ系の人達の記録マニアっぷりも本当に凄い。
もし私に子供が産まれたとして、そしてその子供に子供がうまれたとして…って考えてみる。
その子(私の孫)は、祖父母四人、両親二人の人生やら命の連鎖やらの結果であるわけだ。
過去を振り返れば、半端無い数の人達の命がある。
自分の命と今地球上に生きている、
想像もできないどっかの誰かの命の連鎖が繋がって、
新しい命になっていく訳じゃん。
自分の孫なんて、半分以上、私の命の連鎖以外で成り立っている。
自分の命が見ず知らずの誰かの命と遠い未来で繋がる可能性があるのかぁと考えると、
なんかえらく感心してしまうよ。
「自分の孫」なんて考えると、なんか自分の命からの連鎖って感じにしか見えないけど、
実は私の命が他の人達の命と繋がりあって、どの人の人生の背景にもダバダバダバダーって色んな歴史や背景があるのだと考えると、世の中の一筋縄ではいかない感じが実感できて面白い。 なんか変なきっかけだけど、社会性が若干自分の中で芽生えたよ。
おまけ
アメリカ版だとサラジェシカパーカーとかが素材になっていて、彼女の御先祖様が魔女刈りで殺されていた事とかが分かったそう。 アメリカ版も凄そうだな…。
2010-11-20
The man in the hat
The man in the hatという映画を見た。
Wellingtonのアートディーラー、Peter McLeaveyに関するドキュメンタリー映画。
想像以上に素晴らしい映画で、終止心が揺さぶられた。
彼は私の大学のすぐそばで、40年以上ギャラリーを経営しているアートディーラーだ。 NZで最初に現代美術を取り扱いはじめたギャラリーで、NZの現代美術史は彼の狭い、しかし美しいギャラリーの壁の上で綴られ続けてきた。
彼は私の尊敬する、そして私の心の深く、そして一番求めている部分に触れてくる作家達を、沢山見つけ出してきた。
そんな奇跡みたいな仕事がどうして可能だったのか、映画を見ていて、理解できた気がした。
そして私が彼のギャラリーに行く度に感じた事を、映画も見事に描き出していた。 彼の見つけてきた作品の素晴らしさ、ギャラリーの功績、そしてなによりも彼の人となりの素晴らしさについて。
初めて私が彼のギャラリーに行った時、入り口で握手をされ「君がここに来る事を42年間待っていました」と言われた。 それから沢山の話しをした。 そこで展示される作品がとても好きだった。 私の知らない世界をいつも見せてくれた。 私だけでは開けられなかった、自分の中の、世界と触れ合う為の感受性の扉を沢山開けてもらった。
同時にピーターのあまりにも優しく、まっすぐで、力強い彼の言葉に私は励まされ続けてきた。
彼は言葉の人だ。
彼の言葉との関係により、私は改めて言葉の持つ、自分と世界を繫げてくれる力を知りなおした気がする。
的確に自分の感じている事を伝えよう、表現しようとする、人としての向上心を、彼から感じたんだ。
嘘が無くて、明確で、そして何よりも言っている事の内容が良い。
しっかしとした言葉の骨格と、綺麗な単語達を効果的に混ぜて、言うべき事を言っている。
それって凄いことだよ。 とても難しい。
大抵ワーディーな文章や、やけに形容詞連発して当人の感受した事柄に付いての話しは退屈で、残念な感じがする場合が多い。 脳みそだけが空廻ってしまった感じがして、そのアンバランスさがめんどくさくて苦手なのだ。 自由な魂を持っていて様々な事を感じる為の扉が開いているのと、神経質なのやら未熟なのってって全く別の話しじゃん。
私をピーターのギャラリーに連れて行ってくれたのは、ウェリントンで当時同居していた男の子だった。
私は大抵、一緒にいるその時には、その子から与えてもらった事柄の量に全く気がつけていない。
同居人とかになると距離が近くてなんでも見えてしまう分、大抵若干相手との関係をめんどくさいと思っていたり、相手を大した奴じゃ無いと思ってしまったりする。
でも、後から考え直してみると、本当に信じられないぐらい沢山の事を、一緒に住んだ相手からは学んでいる。
彼から教えてもらった事や気がつかせてもらった事に、いまだにかなり影響されていて、そして素晴らしいと思っている自分に、自分で驚く。 その時はそこまで価値を見出していなかったから。
絶対にかなりの生活の知恵と喜びを彼らから得た。 不思議なもんだ。 友達として気が合うとか、そういう次元以外でも人間関係って尊い果実を実らせる事ができるんだよね。
だから彼の事を懐かしく思い出しながら、映画を見ていた。
そして自分が価値を見出せていなかったり、尊さが分かっていない事柄が、
未来から見てみたら、今日の生活の中にも溢れているんだろうと思えて、救いを感じた。
それにしても映画の中に出てくるウェリントンが、私の見ていたウェリントンにとても似ていて、本当に懐かしくて胸が温かくなった。 「これこれこれ! これが私を育ててくれて、そして私の愛してやまないウェリントン!」ってなりました。 自分の中の大切な景色が、このドキュメンタリー映画にも沢山記録されていた。 目線が似ていた。
ウェリントニアンは普通に国会議事堂の敷地内を通って通勤する。 誰でも入れる。 敷居がめちゃくちゃ低い。 というか、ほとんどない。 映画の中にもその景色が出ていた。 よそではちょっと考えられないよね。 近道だから国会議事堂の敷地内を横切って行こうぜとはならないだろう。
これはアティチュードの問題なんだと思う。 「国会議事堂は開かれた公園のような場所であるべきだ。」っていう人びとのアティチュードが、色んなルールを作り上げて行くんだよね。 ウェリントニアンのアティテュードが映画の中に偶然色々写っていて懐かしかった。
他の街に住んでみて、ウェリントンが結構特種なコンディションの上で、ああいう感じなんだなってのも知って、どこもかしこもウェリントンのようになれば良いとは思わなくなったけど、それでもやっぱり好きだな。
Wellingtonのアートディーラー、Peter McLeaveyに関するドキュメンタリー映画。
想像以上に素晴らしい映画で、終止心が揺さぶられた。
彼は私の大学のすぐそばで、40年以上ギャラリーを経営しているアートディーラーだ。 NZで最初に現代美術を取り扱いはじめたギャラリーで、NZの現代美術史は彼の狭い、しかし美しいギャラリーの壁の上で綴られ続けてきた。
彼は私の尊敬する、そして私の心の深く、そして一番求めている部分に触れてくる作家達を、沢山見つけ出してきた。
そんな奇跡みたいな仕事がどうして可能だったのか、映画を見ていて、理解できた気がした。
そして私が彼のギャラリーに行く度に感じた事を、映画も見事に描き出していた。 彼の見つけてきた作品の素晴らしさ、ギャラリーの功績、そしてなによりも彼の人となりの素晴らしさについて。
初めて私が彼のギャラリーに行った時、入り口で握手をされ「君がここに来る事を42年間待っていました」と言われた。 それから沢山の話しをした。 そこで展示される作品がとても好きだった。 私の知らない世界をいつも見せてくれた。 私だけでは開けられなかった、自分の中の、世界と触れ合う為の感受性の扉を沢山開けてもらった。
同時にピーターのあまりにも優しく、まっすぐで、力強い彼の言葉に私は励まされ続けてきた。
彼は言葉の人だ。
彼の言葉との関係により、私は改めて言葉の持つ、自分と世界を繫げてくれる力を知りなおした気がする。
的確に自分の感じている事を伝えよう、表現しようとする、人としての向上心を、彼から感じたんだ。
嘘が無くて、明確で、そして何よりも言っている事の内容が良い。
しっかしとした言葉の骨格と、綺麗な単語達を効果的に混ぜて、言うべき事を言っている。
それって凄いことだよ。 とても難しい。
大抵ワーディーな文章や、やけに形容詞連発して当人の感受した事柄に付いての話しは退屈で、残念な感じがする場合が多い。 脳みそだけが空廻ってしまった感じがして、そのアンバランスさがめんどくさくて苦手なのだ。 自由な魂を持っていて様々な事を感じる為の扉が開いているのと、神経質なのやら未熟なのってって全く別の話しじゃん。
私をピーターのギャラリーに連れて行ってくれたのは、ウェリントンで当時同居していた男の子だった。
私は大抵、一緒にいるその時には、その子から与えてもらった事柄の量に全く気がつけていない。
同居人とかになると距離が近くてなんでも見えてしまう分、大抵若干相手との関係をめんどくさいと思っていたり、相手を大した奴じゃ無いと思ってしまったりする。
でも、後から考え直してみると、本当に信じられないぐらい沢山の事を、一緒に住んだ相手からは学んでいる。
彼から教えてもらった事や気がつかせてもらった事に、いまだにかなり影響されていて、そして素晴らしいと思っている自分に、自分で驚く。 その時はそこまで価値を見出していなかったから。
絶対にかなりの生活の知恵と喜びを彼らから得た。 不思議なもんだ。 友達として気が合うとか、そういう次元以外でも人間関係って尊い果実を実らせる事ができるんだよね。
だから彼の事を懐かしく思い出しながら、映画を見ていた。
そして自分が価値を見出せていなかったり、尊さが分かっていない事柄が、
未来から見てみたら、今日の生活の中にも溢れているんだろうと思えて、救いを感じた。
それにしても映画の中に出てくるウェリントンが、私の見ていたウェリントンにとても似ていて、本当に懐かしくて胸が温かくなった。 「これこれこれ! これが私を育ててくれて、そして私の愛してやまないウェリントン!」ってなりました。 自分の中の大切な景色が、このドキュメンタリー映画にも沢山記録されていた。 目線が似ていた。
ウェリントニアンは普通に国会議事堂の敷地内を通って通勤する。 誰でも入れる。 敷居がめちゃくちゃ低い。 というか、ほとんどない。 映画の中にもその景色が出ていた。 よそではちょっと考えられないよね。 近道だから国会議事堂の敷地内を横切って行こうぜとはならないだろう。
これはアティチュードの問題なんだと思う。 「国会議事堂は開かれた公園のような場所であるべきだ。」っていう人びとのアティチュードが、色んなルールを作り上げて行くんだよね。 ウェリントニアンのアティテュードが映画の中に偶然色々写っていて懐かしかった。
他の街に住んでみて、ウェリントンが結構特種なコンディションの上で、ああいう感じなんだなってのも知って、どこもかしこもウェリントンのようになれば良いとは思わなくなったけど、それでもやっぱり好きだな。
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