久しぶりに引っ越しをした。 久しぶりって言っても、今年4回目の引っ越し。 一体どういうタイムスパンを久しぶりとよぶのか…、個人の感覚が問われますね。
今回の家は90年代初期に倉庫から住居用に改築された、都心のマンション。 街のど真ん中なんだけど、横が大学の大きな大きな公園で、窓からは植物しか見えない。 部屋にいる時は茂りに茂った植物を窓から眺めている。 マンションを出ると、都会。 とても良いコントラスト。
私は多摩美に通っていた間、自分がNZに住んでいた事があった事すら忘れていた。 当時の東京にはイギリスの学校の同窓生や彼らの友達なんかが沢山いたから、自分がイギリスに住んでいた事による縁が日常に溢れていた。 だから、イギリスにいた事の実感はあったんだけど、ウェリントンの事は生活に全く関係なかった。
東京を去り、ウェリントンの大学に戻った始めの頃、東京での自分にはあまり登場しなかった、自分のクオリティーがぐんぐん戻ってくるのを感じた。 特に、高校のときからの友達と遊んでいる時や、街を散歩している時に。 ウェリントンを歩きながら「ああ、私は確実にここで育ったんだ。忘れていたけど、ここで私は長い時間を過ごしていた!」と感慨を受け続けた。 自分の中の東京の生活では使われていなかった感受性のチャンネルが、また外界と繋がり直すのを感じた。 それはとても素晴らしい感覚だった。
今回、引っ越したマンションで私はまた似たような感覚に襲われた。 多分、建築様式や空間の質が実家と似ているからだろう。 実家にいる時の自分の感覚がぐんぐんと戻って来たのだ。 鎌倉の親元での自分と、オークランドにいる自分が重なりあった感じがした。
そして今回は家中、私の空間。 始めてフラットメイト無しの生活。 台所の感じ、お風呂場、化粧台、本棚、全てに私の物だけが溢れている。
荷物を適切な場所に配置した瞬間に、「あらら、こりゃ実家のミニチュア版だ!」とぶったまげた。 元々似ている建築に、自分の持ち物だけを並べましたら、簡易版実家になりました!
ぶったまげたよ。 12歳から、26歳までの間ずーーーーーーーっと、大勢の他人と住んでいたからさ。 こんなにはっきりと他人のスペースと境界線が引かれた、自分だけのプライベートな空間を持った事が無かったんだ。 で、そのクリアな線の内側を始めてはっきりと見たら、そこには見事なミニチュア版の実家があった!
こんなに自分が家を引きずるなら、あがなっても無駄だなと思いましたよ。 しょうがない。 私は一生自分が育った家を「家ってのはこういうもんだ」と無意識で思って、似たような空間を世界中のどこにでも作ってしまうんだろうし、きっと子供にもそういう強烈な刷り込みをするし、私の孫だってきっとそう。 将来自分の孫の家を見て、きっと私は私の親を思い出して泣くだろう。 そういうもんなんだなと思いました。 空気の感じ、布の感じ、明かりの感じ。 「ここちよさ」のディフォルトがはっきりと形づけられてしまっている。
物に関して言うとね、お風呂場に溢れる親と同じ香水たち、同じメーカーのボディーケア用品、化粧台に散らばる親から貰ったアクセサリー、台所にある廉価版の実家の台所道具、寝室の本の感じ、クローゼットの服、作業部屋のMac。 考えてみたら、私はなんでも親と同じメーカーの物を使っている、とことん親離れできていない人間なのだ。 そしてそれらの雑多な置かれ方。 まさに実家と一緒。 プチ日本。 日本製の物はそんなに無いのに、明らかに日本人の家。 すっごいよ、この刷り込み。
「変われないのかもしれない」と強く思った発見でした。 これは小さな絶望だね! そして同時に若干の喜びでもあるよ。 ああ、あたし、きっとそんなに変われない。
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2010-11-12
2010-11-07
ガイフォークス
大学時代の友達の家に泊まっている。
彼の家のフラットメイトが誰もいなくなる週末なので、一晩ぐらいひたすら居間を占拠してDVDやらテレビやらを見て、ソファーでゴロゴロしたりしようやってことになったのだ。
ってことで、二人で夕飯ぐらいの時間から、ひたすら居間でゴロゴロしている。
彼の家はソファーが二つあるので二人で向かい合う形でねっころがっている。
お互いソファーと一体化しているので、お互いに飲み物を渡し合うときも、お互いに腕を延ばせるだけ延ばして、「うぎぎぎぎ」ってなりながら渡している。 ファイト一発オロナミンCのCMに出てくる状況並みに「うぎぎぎぎ!」ってなっている。
二人して完全に不細工。
物によっていかに行動がコントロールされていくかの良い例ですね。
家にテレビとソファーは置いちゃいかん!!
時間を吸い取られるぞ!!
せめて「友達の家にある」って距離感がちょうどいい。
さて今日はガイフォークスのお祭りの日です。
英国文化圏のかなりかわった、しかし盛大なお祭り。 知らない方はぜひウィキとかでこのお祭りのことを読んでみてください。 かなりのカルチャーショックを受けること間違えない。
NZでは花火の販売と個人使用が11月2日から5日までの三日間と決まっている。 未遂で終わった火薬陰謀事件を花火を使って代わりに達成してあげる(?)ようす。
ものすごい勢いで花火がバンスカあがる数日間。
しかし規制しても危険性を報道しても、毎年一件ぐらい家が全焼しているらしい。
なので職場でも同僚たちが「全部規制するべきだ」と言っているのを聞く。
規制もされていないし、そんなに家が花火で全焼したとも聞かない国からきた私には信じられない光景。 どれだけ野蛮なんだニュージーランド人。
本当に花火に罪はないですよね。
使い方に問題があるのです。
規制するから、興奮して数日間の間にバンスカ気が狂ったみたいに国民一斉に花火をあげるような暴挙に出てしまうのです。
ということはどこかにテレビとソファーと家で優雅な関係を築いている人がいたりするのでしょうか。 だとしたら是非教えてもらいたい。
そんなことを悶々と考えている、ガイフォークスの夜。
2010-10-07
主夫
私の友達は研究者やデザイナー、建築家など
結構家で仕事ができる人が多い。
完全なる専業主夫はいないけど、
大抵家で一日に数時間ずつ働いて後は家事をしている。
何故こんなに最近回りの友達は主夫なのか、
悶々と考えてみた。
元々私の父が専業主夫だった。
今では専業ではないが、それでも家事のリーダーシップを取っている。
なので、そういう生活が好きな人とは感覚があう。
多分それが因果の一つ。
そして私は男子校のような環境にずっといたので、
圧倒的に男の子の友達が多い。(残念な位に周りに女の子がいなかった。)
私自身は別にマッチョな男子じゃないので必然的に中性的な男の子と友達になる事が多かった。 多分これも因果の一つ。
また私は、作りが雑なので、かなりのハイメンテナンスが求められる。
インド車のアンバサダーが人間になったらこういう感じだろうという作りだ。
必然的に私は甲斐甲斐しい人と友達になる事が多い。
結果人種性別年齢問わず、私の友達は菩薩系の方々が揃う。
友達勢揃いの時なんて、ほとんど涅槃。 菩薩勢揃いで曼荼羅状態。
彼らが立身出世とかよりも家庭を選ぶのは大変理解できる。
なんか、そういう方向に頭が向いていないのだ。
菩薩だから。
こっちは大学院に行く前に結婚するケースが結構ある。
片方が働き、もう学生をする方を経済的に支える為だ。
私の友達は、カップルで大体一年ずつ交互に学生と労働を繰り返している。
学生側の貰う奨学金と、労働者側のお給料で二人の生活を成り立たせている。
そして家で論文を書いている側が大概の家事をする。
そんな生活を考えてみたらここ4年位交代しながら彼らはしている。
勿論不景気も手伝っている。 元々そんなに外でビジネスマンになるようなタイプの人達じゃなかったから、「ガッツリ働くより、家庭を守ろう」って方向に行くんだろう。
まあ皆素晴らしい伴侶がいて、家庭があるから、そこでオーケーならいいんじゃんと思って眺めていた。(家庭願望がある奴らが多かったみたいで、友達みんな今伴侶持ち)
で、実際自分も働きはじめて、私の連れ合いも働いていてって生活をしてみて、どっちかが仕事をカットダウンする事の意味がはじめてわかった。 両方ともフルタイムで働いていると、家に帰った後に家事をするだけで時間が取られて、なんか"生活"が無くなるのだ!
結構家で仕事ができる人が多い。
結果的に大学をでた今、私の友達はやたらと主夫になっている。
完全なる専業主夫はいないけど、
大抵家で一日に数時間ずつ働いて後は家事をしている。
何故こんなに最近回りの友達は主夫なのか、
悶々と考えてみた。
元々私の父が専業主夫だった。
今では専業ではないが、それでも家事のリーダーシップを取っている。
なので、そういう生活が好きな人とは感覚があう。
多分それが因果の一つ。
そして私は男子校のような環境にずっといたので、
圧倒的に男の子の友達が多い。(残念な位に周りに女の子がいなかった。)
私自身は別にマッチョな男子じゃないので必然的に中性的な男の子と友達になる事が多かった。 多分これも因果の一つ。
また私は、作りが雑なので、かなりのハイメンテナンスが求められる。
インド車のアンバサダーが人間になったらこういう感じだろうという作りだ。
必然的に私は甲斐甲斐しい人と友達になる事が多い。
結果人種性別年齢問わず、私の友達は菩薩系の方々が揃う。
友達勢揃いの時なんて、ほとんど涅槃。 菩薩勢揃いで曼荼羅状態。
彼らが立身出世とかよりも家庭を選ぶのは大変理解できる。
なんか、そういう方向に頭が向いていないのだ。
菩薩だから。
こっちは大学院に行く前に結婚するケースが結構ある。
片方が働き、もう学生をする方を経済的に支える為だ。
私の友達は、カップルで大体一年ずつ交互に学生と労働を繰り返している。
学生側の貰う奨学金と、労働者側のお給料で二人の生活を成り立たせている。
そして家で論文を書いている側が大概の家事をする。
そんな生活を考えてみたらここ4年位交代しながら彼らはしている。
他にも片っぽが外部の建築事務所で働き、もう片っぽは家でその事務所のサポートをしながら家事をしているとか、まあ色々ある。
勿論不景気も手伝っている。 元々そんなに外でビジネスマンになるようなタイプの人達じゃなかったから、「ガッツリ働くより、家庭を守ろう」って方向に行くんだろう。
まあ皆素晴らしい伴侶がいて、家庭があるから、そこでオーケーならいいんじゃんと思って眺めていた。(家庭願望がある奴らが多かったみたいで、友達みんな今伴侶持ち)
で、実際自分も働きはじめて、私の連れ合いも働いていてって生活をしてみて、どっちかが仕事をカットダウンする事の意味がはじめてわかった。 両方ともフルタイムで働いていると、家に帰った後に家事をするだけで時間が取られて、なんか"生活"が無くなるのだ!
2010-09-08
2010-08-23
鉄平
多摩美にいた頃、鉄平見たさにMTV見まくっていた。
YUKIちゃんの物まねをする鉄平、幼少期に家族の食卓で「お母さんはお父さんのチンコくわえるの?」と聞いたんだよねけろっと言う鉄平、ささやき戦術で「恋に臆病になっているんだよね」とほざいた鉄平。 全てが笑えた。 そして「こうありたいものよ」と思ったもんだ。
そんな鉄平が癌になった。 自分のラジオ番組とブログで、癌になった事を発表した鉄平。 なんて潔くて正直なんだ。 そんな所まで鉄平らしい…。
若いのに癌。 癌って、身近な病なんだなぁ…。
鉄平、鉄平、鉄平。
頑張れよ鉄平。
元気玉鉄平に送るぞー。 鉄平! 今日本中のMTVっ子が元気玉送ってるぞーーー!! 鉄平ーー!
YUKIちゃんの物まねをする鉄平、幼少期に家族の食卓で「お母さんはお父さんのチンコくわえるの?」と聞いたんだよねけろっと言う鉄平、ささやき戦術で「恋に臆病になっているんだよね」とほざいた鉄平。 全てが笑えた。 そして「こうありたいものよ」と思ったもんだ。
そんな鉄平が癌になった。 自分のラジオ番組とブログで、癌になった事を発表した鉄平。 なんて潔くて正直なんだ。 そんな所まで鉄平らしい…。
若いのに癌。 癌って、身近な病なんだなぁ…。
鉄平、鉄平、鉄平。
頑張れよ鉄平。
元気玉鉄平に送るぞー。 鉄平! 今日本中のMTVっ子が元気玉送ってるぞーーー!! 鉄平ーー!
2010-08-22
夢の病院を作ろう

時々ここで買物をする。
稼ぎ始めると、周りの人達とお金の話しをする事が増える。 全体の何パーセントを貯金に回しているかとか、どれぐらいを短期間で消費する目的のお金として取り扱っているかとか…、そして何パーセントを寄付に回しているかってのも出てくる。 人によってはどれぐらいを祖国にいる家族/親戚に仕送りするかってのも含まれてくる。
一部のキリスト教教会に属している人達は、義務として収入の10%を教会に寄付する。 ポリネシア系の人達の行く教会にそれが多く、彼らは当然の事として収入を寄付して行く。
そしてたまにそれは職場で、ディスカッションの対象になる。 何故お金なのか。 人に捧げる事が出来る自分のプロパティーは、時間であったり、思いやりであったり、一緒に考えてあげる事であったり、代わりにやってあげる事であったりもする。 お金でなくても良い訳だ。 無批判にお金を誰かに渡すってのが、結果としていい事に繋がる訳じゃないってのは、これまでのエイドなどでの結果で誰しもが知っている。
祖国の人びとに仕送りをしている同僚は、親族に「お前馬鹿じゃないの?!」っていうお金の使われ方をしているのを知り心を痛めている。(親に何年も仕送りしてもらい、「お前本当に馬鹿だろ?!」ってお金の使い方をしてきていた私としては耳がマジで痛い話しだ。)
そんなことをたまに話す。
大概の同僚や上司達は、無宗教でもキリスト教的素養が強いからだろう、10%ぐらいの収入を自動的に寄付や募金に回している。 貧困状態にある片親家庭へのスポンサーになっていたり、海外の子供の里親をしていたり、やり方は様々。 意見も色々ある。
「NZは政府の福祉がある程度ある訳だから、スポンサーする必要はない。 それよりも、政府の福祉が機能していない地域の子供にお金を渡すべきだ」「いやいや、それは理想論。 政府の福祉じゃ足りないし、貧困問題は結局の所は自分の地域社会を荒ませてしまうのだから、自分の地元の子供の成長の為にお金を渡すべきだ」などなど。
お金だけじゃなくて、時間を捧げている人達も多い。 週末に片親家庭の子供を預かる(例えば母と息子だけの家庭の場合は、子育てが終わった男の人が週末に息子を預かって一緒に遊ぶなど)事をしている人達も多い。
理想はまんべんなく人びとのケアが行き渡る事だろうから、多様性はいい事だ。 人と違う事をする事が大切な領域の一つだと思う。 面白いなあと思いながら眺めている。
で、私の場合は何となく自分がコンスタントに続けられて、自分にとっての大切な人達の為になるサービスは何なんだろうと思って探した結果、「夢の病院を作ろうプロジェクト」を選んだ。 まず何となく、日本の子供に寄付がしたかった。 別に身内に癌の子供がいる訳でもないのだけど、コンセプトを読んでいたり、買える物を読んでいるうちに「これは必要なんだな」と思えたから。 読んでいるうちに、必要性に納得させられたってのがここを選んだ大きな理由だな。 これが良い選択理由になっているのかは分からないんだけど「デザインがきちんとしているから」ってのも理由のうちには含まれる。 工業デザインという活動のうちの大きな動機の一つを、このプロジェクトを見ていると思い出させてくれる。
貧困層や、片親家庭、同年代の障害がある人達…、自分の収入の一部をこういった人達に届けたいと思う相手は沢山いる。 「自分がこの立場になったら助けが必要になる」と思う人達は沢山いる。 その中でなんで癌病棟なの?なんで子供用なの?と聞かれるとズバっとは答えられないんだけど、(優先順位を決めるのはとても難しい)とりあえず今はここ。
買物をするのが好きな人は、是非ここで買物をしてもらいたい。 寄付っていうと抵抗があっても、買物はみんな好きでしょ? 私は、「プラスチックじゃない容器」をよく買います。
2010-08-21
むっふん
以前シドニーで奇妙な彫刻を複数見た。
街のど真ん中に誇らしげにあった噴水。
全体像はこんな感じ…。
私はこの彫刻は変だと思う。
鼻の穴から水出てるし…。
しかも白人男性(マッチョ)が獣を征服する像って、街の真ん中にあっちゃぁいけないんじゃないかと、見ていてかなり不愉快になった。
「野蛮なのはどっちかって言うとお前だ!」と彫刻の男に向かって喧嘩を売りたくなる。
股間を凝視。
混乱させられる。
所変わればだなぁ…。
新しい若者向けのショッピングモールにも雄牛がいた。
でかい玉をぶら下げて。
私はあまりこういうマッチョ彫刻に縁がない地域で育ったので、
町中にこういうムキムキで権威的で、
無駄にリアリスティックな彫刻に溢れたシドニーは強烈だった。
地元の人達からしてみたら誇りなのだろうか。
カルチャーショック。
2010-08-06
ベビ蔵
朝から歩んちのベビ蔵(はやて君、生後三週間位)の写真を、連れ合いと二人で、穴があく位まで眺めるのが日課になっている。
ベビ蔵、局地的に超ポピュラー。 「ベビ蔵、今日元気そうだ。」とか、「今日のベビ蔵の泣き顔はいぶし銀的に渋いね。」とか言いあってから出勤。
はぁ…、大ファン、友達んちの赤ちゃん。
欲を言いますと、「ベビ蔵とパパ」とか「ベビ蔵と歩」とか、「ベビ蔵一家」とかそういう、ファン心的にはもっとプレミアな喜びを与えてくれる写真を求めております。 ファンだから。
ベビ蔵、局地的に超ポピュラー。 「ベビ蔵、今日元気そうだ。」とか、「今日のベビ蔵の泣き顔はいぶし銀的に渋いね。」とか言いあってから出勤。
はぁ…、大ファン、友達んちの赤ちゃん。
欲を言いますと、「ベビ蔵とパパ」とか「ベビ蔵と歩」とか、「ベビ蔵一家」とかそういう、ファン心的にはもっとプレミアな喜びを与えてくれる写真を求めております。 ファンだから。
2010-06-19
ゆっくりとした週末
週末なので、連れ合いの実家(森の奥)に来ている。
仕事の為にMacを担いできた。 窓からの景色は素晴らしく、すこぶる仕事がはかどる。
昔は仕事をしに田舎に籠る人達を不思議に思っていた。 別荘をわざわざ買う人とか、スキモノだなぁと他人事として聞いていた。 でも実際自分が家でするような仕事(例えばグラフィックデザイン)なんかをするようになって、初めてその価値が分かった。 確かに田舎の景色の素晴らしい、森の奥にいると、不思議と集中できるのだ。 そしてどうしてもぎすぎすしていってしまう心を解放する事ができる。
もくもくと作業をする。 平行して、平日では作れないようなプロセスの長い料理を一日かけてする。 夜には家に帰ってきたり、遊びにきた人達とお酒を呑んだり、ちょっと話したりして、早めに寝る。
「ああ、幸せだ」と胸の中に満ち足りた気持ちが沸き上がる。
いつか自分がどこか違う街に住むようになっても、やはり週日は都会で、週末は自然の中で過ごすような生活を保ちたいと思う。 まあ実際の所は難しいんだろうなと想像するけど、(今のライフスタイルはたまたま偶然幸福な事にこうなっているって側面が大きい)望めはそうなるだろうから、強く望む。
そして旅行や、新しい土地に住む 希望に胸をふくらませている。 私は私の日常生活が好きなので、余計に他の地域への好奇心や想像力がふくらむ。 新しい所に行きたいな。
仕事の為にMacを担いできた。 窓からの景色は素晴らしく、すこぶる仕事がはかどる。
昔は仕事をしに田舎に籠る人達を不思議に思っていた。 別荘をわざわざ買う人とか、スキモノだなぁと他人事として聞いていた。 でも実際自分が家でするような仕事(例えばグラフィックデザイン)なんかをするようになって、初めてその価値が分かった。 確かに田舎の景色の素晴らしい、森の奥にいると、不思議と集中できるのだ。 そしてどうしてもぎすぎすしていってしまう心を解放する事ができる。
もくもくと作業をする。 平行して、平日では作れないようなプロセスの長い料理を一日かけてする。 夜には家に帰ってきたり、遊びにきた人達とお酒を呑んだり、ちょっと話したりして、早めに寝る。
「ああ、幸せだ」と胸の中に満ち足りた気持ちが沸き上がる。
いつか自分がどこか違う街に住むようになっても、やはり週日は都会で、週末は自然の中で過ごすような生活を保ちたいと思う。 まあ実際の所は難しいんだろうなと想像するけど、(今のライフスタイルはたまたま偶然幸福な事にこうなっているって側面が大きい)望めはそうなるだろうから、強く望む。
そして旅行や、新しい土地に住む 希望に胸をふくらませている。 私は私の日常生活が好きなので、余計に他の地域への好奇心や想像力がふくらむ。 新しい所に行きたいな。
2010-06-07
早く会いたいね
今回の日本の旅行で一番ワクワクした出来事は、勿論妊娠している親友に会いに行く事だった。
彼が産まれる時(あと3週間ぐらい!)には、私は日本にはいないから、ちょっとカンニングをしてきた。 近代医療技術の発達は素晴らしいもので、今は超音波を使ったスキャンで、お腹の中が覗き見できちゃうのよね。 まだ会えないのならば、覗き見するのみ。
「君には私が見れないが、私はばっちり君の背骨まで覗くぞ!!」って意気込みで、親友と一緒に病院へ。
何んかの挑戦なのか?ってぐらいのながーい待ち時間(昼ご飯を食べ忘れた私達は、最終的には飢えた獣状態になった)の間、ずーっと赤様の住んでいらっしゃる親友のお腹をなでくり回し、ちょっとでも赤様が動けば、私と親友で大喜びしたよ。 親友はさすがに彼がお腹の中にいるのに慣れてきたようで、ぽこぽこと優しくだけどお腹をつついていたりした。 私はそんな勇気無いので、終止なでくり回しに徹した。 だから待ち時間長かったけど、楽しかった! 多分これからずっとこうなんだね。 何があっても君がいたら楽しい!
ちょっと動くだけでも本当に可愛い。 っていうかなんか猛烈にかっこいい。 親友も赤様も幸せで元気なのが、横に座っているだけでもじんわりと伝わってきて、私も本当に嬉しかった。 いっぱい動いてくれて、お腹の上に置いている私達の手に、「元気だぞ!俺ここにいるぞ!」ってメッセージを沢山送ってくれた。 君の生命を感じたよ!!
それにしてもこんなチャンスないと、いくら親友と言えども、腹の内までは覗けない。 今回、じっくり見て来ました。 いやー、腹黒かった! 暗闇に、ちらりと見える、育ちに育った、すくすくの王子様。 友人の腹の中に鎮座しとった。 もう育ちに育っちゃって、超音波は感度がすごくよく設定されているから、彼の骨やら心臓やら臓器やらの方が、どちらかと言うとよく見えた。 だから今回はまだお顔がどんな感じかとかは分からなかった。 もうちょっと前の妊娠段階の検査では顔とか分かったみたい。

いやー、こんなデジタルな出会いをしてしまうと、今度ははやく温かい赤ちゃんをキュッてだっこしたくなるね。 はやくいっぱい握手して、チュッチュってして、面白い冗談とか教えてあげたくなるね!
赤ちゃんが産まれる度に、誰かを大肯定出来る喜びで、胸がいっぱいになる。 「何が何でも大好きだし、大肯定!」って思える人に出会える喜び。 それは産んでくれたお母さんにもそうで、これまでのお前様のどす黒く、けれん味に満ちたファンキーなライフを、友人としてもう、大大大肯定だよ。 でかした! 君、でかした!!
勿論彼の母親の友達っていうレベルでだけれども、出来る事はなんでもしてあげたい。 私に出来ない事は沢山あるから(一人の人に出来る事なんて限られている)、頑張って出来る事はいっぱいするよ。 おばちゃん、一生懸命なぞなぞとか覚えるよ。 あと、一発芸とかも身につけるよ。 いろんなことを一緒に経験しよう。 母親の女友達としか出来ない遊びってのもきっとある。 世界で一番幸せな人になっていただきたい。 そして、勿論親友にも世界で一番喜びに満ちた親体験を満喫してもらいたい。 これからもいっぱい一緒に遊ぼうね! おめでとーーー!
彼が産まれる時(あと3週間ぐらい!)には、私は日本にはいないから、ちょっとカンニングをしてきた。 近代医療技術の発達は素晴らしいもので、今は超音波を使ったスキャンで、お腹の中が覗き見できちゃうのよね。 まだ会えないのならば、覗き見するのみ。
「君には私が見れないが、私はばっちり君の背骨まで覗くぞ!!」って意気込みで、親友と一緒に病院へ。
何んかの挑戦なのか?ってぐらいのながーい待ち時間(昼ご飯を食べ忘れた私達は、最終的には飢えた獣状態になった)の間、ずーっと赤様の住んでいらっしゃる親友のお腹をなでくり回し、ちょっとでも赤様が動けば、私と親友で大喜びしたよ。 親友はさすがに彼がお腹の中にいるのに慣れてきたようで、ぽこぽこと優しくだけどお腹をつついていたりした。 私はそんな勇気無いので、終止なでくり回しに徹した。 だから待ち時間長かったけど、楽しかった! 多分これからずっとこうなんだね。 何があっても君がいたら楽しい!
ちょっと動くだけでも本当に可愛い。 っていうかなんか猛烈にかっこいい。 親友も赤様も幸せで元気なのが、横に座っているだけでもじんわりと伝わってきて、私も本当に嬉しかった。 いっぱい動いてくれて、お腹の上に置いている私達の手に、「元気だぞ!俺ここにいるぞ!」ってメッセージを沢山送ってくれた。 君の生命を感じたよ!!
それにしてもこんなチャンスないと、いくら親友と言えども、腹の内までは覗けない。 今回、じっくり見て来ました。 いやー、腹黒かった! 暗闇に、ちらりと見える、育ちに育った、すくすくの王子様。 友人の腹の中に鎮座しとった。 もう育ちに育っちゃって、超音波は感度がすごくよく設定されているから、彼の骨やら心臓やら臓器やらの方が、どちらかと言うとよく見えた。 だから今回はまだお顔がどんな感じかとかは分からなかった。 もうちょっと前の妊娠段階の検査では顔とか分かったみたい。
いやー、こんなデジタルな出会いをしてしまうと、今度ははやく温かい赤ちゃんをキュッてだっこしたくなるね。 はやくいっぱい握手して、チュッチュってして、面白い冗談とか教えてあげたくなるね!
赤ちゃんが産まれる度に、誰かを大肯定出来る喜びで、胸がいっぱいになる。 「何が何でも大好きだし、大肯定!」って思える人に出会える喜び。 それは産んでくれたお母さんにもそうで、これまでのお前様のどす黒く、けれん味に満ちたファンキーなライフを、友人としてもう、大大大肯定だよ。 でかした! 君、でかした!!
勿論彼の母親の友達っていうレベルでだけれども、出来る事はなんでもしてあげたい。 私に出来ない事は沢山あるから(一人の人に出来る事なんて限られている)、頑張って出来る事はいっぱいするよ。 おばちゃん、一生懸命なぞなぞとか覚えるよ。 あと、一発芸とかも身につけるよ。 いろんなことを一緒に経験しよう。 母親の女友達としか出来ない遊びってのもきっとある。 世界で一番幸せな人になっていただきたい。 そして、勿論親友にも世界で一番喜びに満ちた親体験を満喫してもらいたい。 これからもいっぱい一緒に遊ぼうね! おめでとーーー!
2010-06-03
成田→東京
短期間で帰国するのはいつも楽しい。 前の日まで働いていて、飛行機に乗って、ふと目を閉じて開けたらジャパン。 小さなワープ。
空港からして既に、違う体の動かし方をしている人達がいっぱい。 そして売っている雑誌の特集が非常に独特。 そして日本語で溢れかえっている。 着いたその瞬間からワクワクする。 なんて独特なんだ! 全てが緻密で、丹精。
そして成田空港の物語の無さ。 ヒースローやJFKとは明らかにロマンチシズムの量が違う。 (はたはたとたなびくプロ市民の人達の空港に対する抗議活動のプラカードの持つ物語。 まあ、ある種の昭和の物語は強く感じる。) ただそこから大量に日本各地に繋がって行くバスや電車の持つ強烈な旅情。
成田エクスプレスの窓から見える、緑豊かな水田や、森や畑。 この数をきっと無限と言うのだと思わさせられるような、大量の葉っぱ、葉っぱ、葉っぱ。 日本のデリケートで小振りな植物たち。 そこに広がる、小さな、小さな、でも大量の葉っぱ。 豊かな、豊かな景色。
いつも成田から千葉市内に入るまでのその田園風景を見ながら、この景色を力強く、堂々と、美しいんだと言えるような社会になったら、結構今社会にあるジレンマは多少は解決されるのじゃないかと、ナイーブに考えたりする。(でもナイーブさって大切だ。 ある種のナイーブさは正論に繋がっていると思う。)
窓から見える景色の、美しさ、奇妙さ、歪さ、豊かさ、貧しさ。
こんなにツルツルピカピカのスーパーファインな電車が作れる位の知力があるのに、大国の首都に繋がる国際空港を成田に建てちゃう愚かさ。 興味深い。
そして電車は極端に人工物を使った発展を遂げた都市部に突入して行く。 たまに日本の人で「日本人の自然観は特殊である。 そして優れている。 自然崇拝。 八百万の神々。 自然を超越し、自然に打ち勝つ事を目的とした西洋とは違うのだ。」と言う人がいる。 まあ、理論的にはそうなのかもしれないけど、実践レベルではどう好意的に見ても、言ってる事とやってる事ちぐはぐだよなと思いながら眺める。 このエピソードは私に「ものは言いよう」という言い回しの意味を教えてくれる。 そして"西洋圏"以外で行った事がある全ての地域の人達が、全く同じ事を言っていたのを思い出して、これは「とりあえず言っておけ的」な説明なんだろうと推理する。 トンガでも、韓国でも同じような自然観に関する事を人びとは言っていた。 それが八百万かどうかはさておき。
大量の団地やらマンションやらが立ち並ぶ景色を見ながら、その中で生活している人たちの事を想像する。
丹精な小さな明かりたち。 その中に、沢山の人びとの一回っきりの人生がある。
人びとは様々な事を考えながらも、多分、この電車で3時間ぐらいの移動距離の内側での常識や、通じる言葉、プレッシャーに形成される環境での日々を過ごす。
そしてこの短い移動距離の間にそれこそ、私には想像もつかないほどの自由さや、喜び、伸びやかさや愛情がひしめいているのだなとも思う。
実家の門をくぐると、私は日本の内側にいて、もう、外側からどう見えるかとかはうっすらとした記憶になる。
空港からして既に、違う体の動かし方をしている人達がいっぱい。 そして売っている雑誌の特集が非常に独特。 そして日本語で溢れかえっている。 着いたその瞬間からワクワクする。 なんて独特なんだ! 全てが緻密で、丹精。
そして成田空港の物語の無さ。 ヒースローやJFKとは明らかにロマンチシズムの量が違う。 (はたはたとたなびくプロ市民の人達の空港に対する抗議活動のプラカードの持つ物語。 まあ、ある種の昭和の物語は強く感じる。) ただそこから大量に日本各地に繋がって行くバスや電車の持つ強烈な旅情。
成田エクスプレスの窓から見える、緑豊かな水田や、森や畑。 この数をきっと無限と言うのだと思わさせられるような、大量の葉っぱ、葉っぱ、葉っぱ。 日本のデリケートで小振りな植物たち。 そこに広がる、小さな、小さな、でも大量の葉っぱ。 豊かな、豊かな景色。
いつも成田から千葉市内に入るまでのその田園風景を見ながら、この景色を力強く、堂々と、美しいんだと言えるような社会になったら、結構今社会にあるジレンマは多少は解決されるのじゃないかと、ナイーブに考えたりする。(でもナイーブさって大切だ。 ある種のナイーブさは正論に繋がっていると思う。)
窓から見える景色の、美しさ、奇妙さ、歪さ、豊かさ、貧しさ。
こんなにツルツルピカピカのスーパーファインな電車が作れる位の知力があるのに、大国の首都に繋がる国際空港を成田に建てちゃう愚かさ。 興味深い。
そして電車は極端に人工物を使った発展を遂げた都市部に突入して行く。 たまに日本の人で「日本人の自然観は特殊である。 そして優れている。 自然崇拝。 八百万の神々。 自然を超越し、自然に打ち勝つ事を目的とした西洋とは違うのだ。」と言う人がいる。 まあ、理論的にはそうなのかもしれないけど、実践レベルではどう好意的に見ても、言ってる事とやってる事ちぐはぐだよなと思いながら眺める。 このエピソードは私に「ものは言いよう」という言い回しの意味を教えてくれる。 そして"西洋圏"以外で行った事がある全ての地域の人達が、全く同じ事を言っていたのを思い出して、これは「とりあえず言っておけ的」な説明なんだろうと推理する。 トンガでも、韓国でも同じような自然観に関する事を人びとは言っていた。 それが八百万かどうかはさておき。
大量の団地やらマンションやらが立ち並ぶ景色を見ながら、その中で生活している人たちの事を想像する。
丹精な小さな明かりたち。 その中に、沢山の人びとの一回っきりの人生がある。
人びとは様々な事を考えながらも、多分、この電車で3時間ぐらいの移動距離の内側での常識や、通じる言葉、プレッシャーに形成される環境での日々を過ごす。
そしてこの短い移動距離の間にそれこそ、私には想像もつかないほどの自由さや、喜び、伸びやかさや愛情がひしめいているのだなとも思う。
実家の門をくぐると、私は日本の内側にいて、もう、外側からどう見えるかとかはうっすらとした記憶になる。
2010-05-28
2010-05-24
2010-05-21
はじっこ
青い
Untitled from annapandatiger on Vimeo.
薄く、薄く、海水が浜辺に膜を張る。 その度に黒い砂浜が鏡のように空を反射して、真っ青になる。 海から波が押し寄せて、浜から風が吹き付ける。 その度に、海辺に濃密な模様が出来る。 風が通る跡。 その繰り返しを、週末はずっと見ていた。
2010-05-20
ぱしゃぱしゃ
こういう所で水遊びしたり、友達とねっころがって、ぽろぽろと「これからどうしようか」って相談したり。 こうなる気なんて全然なかったのに、計らずともスローライフ。

こうやって見事に自分で望んでた訳じゃない生活パターンを送ってみると、将来の設計をする事の意義が味わえる。 即興の美を味わう為にはある程度の計画が必要だ。
「こんなはずじゃなかったのにっ!」って毎日驚きと喜びを感じながら生活を送っている。 巨大な虹を見ながら、大きな海辺で本を読みながら、家で自家製のパンを焼いたり、パスタを練ったりしながら、「私、こういうの一切似合わないし、やらないはずの人だったのにっ」って驚愕している。
偶然が重なり続けて、世界で有数のごみごみした都会から、世界で有数の大自然の中に放り出されてしまった。
面白いじゃないか。
こうやって見事に自分で望んでた訳じゃない生活パターンを送ってみると、将来の設計をする事の意義が味わえる。 即興の美を味わう為にはある程度の計画が必要だ。
「こんなはずじゃなかったのにっ!」って毎日驚きと喜びを感じながら生活を送っている。 巨大な虹を見ながら、大きな海辺で本を読みながら、家で自家製のパンを焼いたり、パスタを練ったりしながら、「私、こういうの一切似合わないし、やらないはずの人だったのにっ」って驚愕している。
偶然が重なり続けて、世界で有数のごみごみした都会から、世界で有数の大自然の中に放り出されてしまった。
面白いじゃないか。
2010-05-19
2010-05-18
2010-05-10
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