韓国の通販のサイトがめちゃくちゃ可愛い。 サイトがというよりも、モデルさん達と写真がが可愛い。 少女漫画から出て来たみたい。 可愛すぎて怖い。 そう、なんか途中から怖くなってくる。(可愛いものを見慣れていないからか)
このシャツ欲しい。
髪型も可愛い。 あー、可愛い! 気分チョスミダ!
イエー! カムサハムニダー!
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2012-04-18
すきー!
この人の書く文章のリズムや、語感が大好き。
あまりにも面白くて読みながら声を出して笑ってしまった!
私は口語体で、ぺらぺらと書かれた文章が好きだ。
頭の中で音として面白い文章が好き。
下の文章は
Team Kathy Fun Fan Club、ニューヨークにクールが復活からの引用。
__
1
「最近、ニューヨーク行った?」が定番の挨拶
今、ニューヨークがおもしろいーー。
この発言に首をかしげる向きもあるだろう。恥ずかしながら自分もその中のひとりだった。まずは論より証拠、以下に日本の某カルチャー誌で「東京でトップクラスの流行鑑定人」と紹介されていた人の文章を抜粋する。これはベストテン形式で行われた流行予報図の中のひとつで、その堂々第一位にニューヨークの名があげられている。
ニューヨークをそれほど推しておきながら、一貫して「らしい」「とのこと」「との情報もあり」という自信なさげな語尾に多少心配させられるものの、逆にそれはニュースソースの新鮮さを裏付けているとも考えられるし、また、「業界」で地位を確立してなお謙虚さを忘れないという、彼の好人物さを示しているのかもしれない。
そしてさらに、その謙虚さと矛盾せずに、最終的には具体例ゼロのままクールだと押し切っていくパワフルさは、さすがは「東京でトップクラスの流行鑑定人」である。不勉強な自分にはここで言う「業界」が何かは不明だが、おそらく日本のどこかに「時代のバズメイカー」(この雑誌にあった表現)が集うサークルが存在して、「リアル・クローズ」を着こなす「オシャレなヤツ」らが、「最近、ニューヨーク行った?」と挨拶し合っているのだろう。
なにはともあれ、日本の流行を影で操作している大物が言うのだ。ここ一、二年でニューヨークに「クールが復活した」と断言しても間違いない。そして、まさに今、ブログでニューヨークについて言及することは、格別にクールなことである。いや、ブログのような旧時代的なメディアではなく、上記リストの第十位にあげられていたTwitterでつぶやけたら、どんなに時代の最先端を感じられたことだろうか。上に抜粋した流行鑑定人の文章の字数を数えて欲しい。Twitterの流儀にならい一四〇字以内におさめられているのだ。彼はどこまで「オシャレなヤツ」なんだろうか。
こういう力強い時代の予言者が登場することをずっと待ち望んでいた。グーグルの検索窓が内面化されているような私にとっては、周囲の目利き仲間の口コミだけを頼りに、ウィズアウト・グーグルな文章を書くことができ、加えてそこから次なる流行を創出していく彼の力は羨望の的だ。何を発言するにもグーグルを通さないと不安になり、にもかかわらず忍耐力のなさからグーグル精度の低い文章を書いてしまい、日々気をもんでばかりの自分の目には、このまったくグーグルした感のない彼の文章は健康そのものに映る。
これからは彼の一挙手一投足を参考にして、ブログの読者数を増やしていこうと思う。
__
引用だけだと、何がどこまで面白いかははっきりと分からないと思うんだけど、ブログ、Team Kathy Fun Fan Clubを読んでもらえば分かると思う! 読んで、読みながら声出しながら笑ってくれ!
死語のヒップスター、その1から、その6まで続くヒップスターの物語も面白い。 ペラペラと言葉が紡がれて行くリズム感が気持ちいい。
あまりにも面白くて読みながら声を出して笑ってしまった!
私は口語体で、ぺらぺらと書かれた文章が好きだ。
頭の中で音として面白い文章が好き。
下の文章は
Team Kathy Fun Fan Club、ニューヨークにクールが復活からの引用。
__
1
「最近、ニューヨーク行った?」が定番の挨拶
今、ニューヨークがおもしろいーー。
この発言に首をかしげる向きもあるだろう。恥ずかしながら自分もその中のひとりだった。まずは論より証拠、以下に日本の某カルチャー誌で「東京でトップクラスの流行鑑定人」と紹介されていた人の文章を抜粋する。これはベストテン形式で行われた流行予報図の中のひとつで、その堂々第一位にニューヨークの名があげられている。
1. ニューヨーク:今業界では「最近、ニューヨーク行った?」が定番の挨拶。金融バブル崩壊が結果的にクールを復活させたとのこと。リアル・クローズの受容がますます高まり、男も女もオシャレなヤツが目に付くらしい。でも、アートは不調との情報もあり。
ニューヨークをそれほど推しておきながら、一貫して「らしい」「とのこと」「との情報もあり」という自信なさげな語尾に多少心配させられるものの、逆にそれはニュースソースの新鮮さを裏付けているとも考えられるし、また、「業界」で地位を確立してなお謙虚さを忘れないという、彼の好人物さを示しているのかもしれない。
そしてさらに、その謙虚さと矛盾せずに、最終的には具体例ゼロのままクールだと押し切っていくパワフルさは、さすがは「東京でトップクラスの流行鑑定人」である。不勉強な自分にはここで言う「業界」が何かは不明だが、おそらく日本のどこかに「時代のバズメイカー」(この雑誌にあった表現)が集うサークルが存在して、「リアル・クローズ」を着こなす「オシャレなヤツ」らが、「最近、ニューヨーク行った?」と挨拶し合っているのだろう。
なにはともあれ、日本の流行を影で操作している大物が言うのだ。ここ一、二年でニューヨークに「クールが復活した」と断言しても間違いない。そして、まさに今、ブログでニューヨークについて言及することは、格別にクールなことである。いや、ブログのような旧時代的なメディアではなく、上記リストの第十位にあげられていたTwitterでつぶやけたら、どんなに時代の最先端を感じられたことだろうか。上に抜粋した流行鑑定人の文章の字数を数えて欲しい。Twitterの流儀にならい一四〇字以内におさめられているのだ。彼はどこまで「オシャレなヤツ」なんだろうか。
こういう力強い時代の予言者が登場することをずっと待ち望んでいた。グーグルの検索窓が内面化されているような私にとっては、周囲の目利き仲間の口コミだけを頼りに、ウィズアウト・グーグルな文章を書くことができ、加えてそこから次なる流行を創出していく彼の力は羨望の的だ。何を発言するにもグーグルを通さないと不安になり、にもかかわらず忍耐力のなさからグーグル精度の低い文章を書いてしまい、日々気をもんでばかりの自分の目には、このまったくグーグルした感のない彼の文章は健康そのものに映る。
これからは彼の一挙手一投足を参考にして、ブログの読者数を増やしていこうと思う。
__
引用だけだと、何がどこまで面白いかははっきりと分からないと思うんだけど、ブログ、Team Kathy Fun Fan Clubを読んでもらえば分かると思う! 読んで、読みながら声出しながら笑ってくれ!
死語のヒップスター、その1から、その6まで続くヒップスターの物語も面白い。 ペラペラと言葉が紡がれて行くリズム感が気持ちいい。
笑いたい人におすすめ。
2012-04-17
野郎ども大合唱
外見はすっごく柔らかい男の子や
hipster系の男の子たちもいまだに往年のエミネムの歌を未だに全部歌えたりして驚くことがある。
いつもはインディーロックとか
実験音楽とかばっかり聞いているようないけすかない奴らですら、
車のラジオでカニエ ウェストのランナウェイがかかると
滅茶苦茶コブシかけながら大合唱したりする。
そんな時ヒップホップの力を思い知る。
男達が大合唱していたので
じっくりとランナウェイの歌詞をじっくり聞いてみたら、
とんでもなくてたまげた。
おいおい!
身をくねらせながら熱唱する内容かよ!
And I always find, yeah, I always find somethin' wrong
You been puttin' up with my shit just way too long
I'm so gifted at findin' what I don't like the most
So I think it's time for us to have a toast
いっつもいっつも俺は間違えを見つけちゃう
お前は俺のクソに耐えすぎた
俺は自分の嫌いな物を見つけるのにすっごい才能があるんだ
だから今は俺らで一緒に乾杯しよう
Let's have a toast for the douchebags,
Let's have a toast for the assholes,
Let's have a toast for the scumbags,
Every one of them that I know
Let's have a toast to the jerkoffs
That'll never take work off
Baby, I got a plan
Run away fast as you can
愚か者たち(膣洗浄機のゴミ袋野郎達)に乾杯しよう
クソ野郎(ケツの穴野郎達)に乾杯しよう
クズども(垢袋野郎達)に乾杯しよう
俺が知るみんなへ
バカども(オナニー野郎達)に乾杯しよう
でもそんなことをしてもどうにもならない
だからこうしよう
逃げるんだ 全速力で
She find pictures in my email
I sent this girl a picture of my dick
I don't know what it is with females
But I'm not too good with that shit
See, I could have me a good girl
And still be addicted to them hoodrats
And I just blame everything on you
At least you know that's what I'm good at
彼女は僕からのメールの中に写真を見つけるんだ
俺はこの女の子に自分のチンコの写真を送ったんだ
女ってなんなのか俺にはわかんないんだ
俺ってそういうの器用にできないんだ
きっと良い女の子と付き合えると思うんだよね、
でもエロい女が好きなんだ
俺はいつだって君をただ責める
君もそれが俺の得意技だってことは知ってるよな
そうきたか!! そうなのか!!
そりゃそんな写真送ってくる男からは逃げるよ、全速力で。
女も自己憐憫とか自己嫌悪とかするけど、「ああ、私って、本当に膣洗浄で出た汚水をためる袋…。 まさにケツの穴。 垢がたまった袋…。 そしてとってもオナニー。 ついでに私の性器の写真を出来心で送ってしまおう!」とは思わないのではないだろうか。
そして多くの女は自分の自己憐憫やら自己嫌悪の為に
大量のバレリーナが自分の周りを踊る必要も、
滅茶苦茶身をくねらせる必要も感じていない。
どれだけ繊細なんだよ、男!
とんだ大事になってるぞ!
すれてなくて、健康そのもののすくすくした男友達ですら、
うわーっと感情込めてこういう歌をたまに歌う。
その様子を見ながら、「男でいるってのは、大変だな」と思う。
「ぐわー!俺ってモンスターなんだー!ファーック!!困ったー!」っていう、「俺モンスター」シナリオが魂に焼き付いているんだろう。 多分それはヒーローシナリオの一部として。
愛おしくなるね。
年取ったからかもしれないけど、
最近こういうのって本当に愛おしいなと思うようになってきた。
2012-04-11
2012-04-10
悩んでる
「あれ? あれ? 私ってもうすっごい年とっちゃった? スタート地点にすら立ってない気分なのに。 もう、そこにすら立てないの?」と暗ーい気持ちになる。 しょぼーんとなりますっ!
しかも私住んでるところ、世界地図のはじっこ密林の中だから、悩んでる時も大抵目の前は大絶景。 「うわー!すっごーい! 美! ああ、それにしても私の人生どうなるんだろう。 あ、いま波が光った、すっごーい! 美!」ってな感じに興奮と悩みが繰り返し、心に浮かぶ。
しかも私住んでるところ、世界地図のはじっこ密林の中だから、悩んでる時も大抵目の前は大絶景。 「うわー!すっごーい! 美! ああ、それにしても私の人生どうなるんだろう。 あ、いま波が光った、すっごーい! 美!」ってな感じに興奮と悩みが繰り返し、心に浮かぶ。
2012-04-02
タイスキ
親しい友人が最近情緒不安定で可哀想だった。
結果彼の精神年齢は日に日に、思春期の面倒くさいウェットな男子に後退していった。
もー、傷つきやすいのなんの。
最近気がついたんだけど
少なくない数の成人男性たちの胸の中には
未だにすっごく繊細でか弱い中学二年生位の男の子が住んでいるっぽい。
ふにゃふにゃしていて、
傷つきやすくて、
すっごくねっちりしていて、
汗っかきで、
恨めしがっている弱い坊ちゃんが住んでいる。
そして緊張とか圧迫とか切迫とかがピークになると、
バーンと全面にその性格が出てくるようだ。
彼は最高に気色が悪くてめんどくさい少年になっていた。
友達ですら一緒にいるのがめんどくさい奴になっていたので、
本人も本当に自分自身を持て余していた。
で、最後の理性を振り絞りカウンセリングを受けに行っていた。
英断。
カウンセラーにいろいろアドヴァイスしてもらってきたんだけど、
その中に「祖国、タイの料理を食べてごらん」ってのがあったらしい。
彼はあんまり祖国の風習とか生活様式とか持ち込まない子だから、
これまで一緒にタイ料理を食べたりとかはしなかったんだけど、
それ以来意識的に一緒に食事をするときはタイ料理を選んでいる。
昨日は私の家で彼の一番好きなタイ料理、タイスキをした。
日本人の私がクックパッドのレシピを使いNZで作ったものなので、
偽物感ぷんぷんの一品。
まぁ気晴らしにでもなれば良いと思って献上した。
しかしながらね、食べさせてみたら、
本当に「魔法?」って位に、彼がお元気になった。
ものっすごい美味しい美味しいと連呼しながら、
延々と食べていた。
こんなに元気な彼を見たのは久しぶり。
うわー、本当に祖国の料理って効くんだなぁと激しく感動してしまった。
すごいスピードで食べていく彼の様子を見ていたら
思わず抱きしめたくなった。
なんでだかそのかっくらう、生命力に感動してしまったのだ。
最後には元気な時にいつも言う、青臭い憎まれ口をジャンジャン言っていた。
うわー! 元気になってるー!と、心の中で私感涙。
彼が帰った後、夫と「すごかったね」と言い合った。
二人して彼の食事姿に感動してしまったのだ。
確かにタイスキは美味しかったんだけど、
でも私にとっては、そこまでの次元の美味しさじゃなかった。
その味で育ったものにしか分からない旨味がある。
で、多分、その旨味が人を癒す。
母国語のニュアンスとか、
母国語が心に響く速度とかと似ている。
ほとんど魔法。
とりあえず、魔法の力を使う為に、タイ料理をもっと覚える事にした。
2012-03-29
2011-05-19
2011-05-18
2010-04-25
色んな体 1
体とか、病気への対応って、地域柄が出ると思う。
サブスクライブして読んでいるブログでたまたま体について書いてあったので興味深く読んだ。
産後うつと中村うさぎとタイガー・ウッズ by クローデン 葉子さん
中村うさぎ著書にみるビョーキに対する日米差異 by 渡辺千賀さん
前者はイギリスに住んでいる日本人の方、後者はアメリカ在住の日本人の方が書かれた記事。 主に医療や病に関して、日本とそれぞれの国でどう違う対処がとられているかについてと話している。
違う国に引っ越して、医療制度や“健康”って言葉の意味の差に驚くのは王道だと思う。 制度的な面でも、技術的な面でも、そして倫理であったり、身体への認識とか、見事に地域ごとに違うから。 食べ物とかと同じ位のレベルで文化の違いを感じる事が出来る。
そして私も、上に書いてある二人のブログの題材になっているように、産婦人科的な事と精神に関する事の差は特に感じる。 身体観やセックス、ノーマル、アブノーマルに関する認識の違いがモロに出るので、差が見えやすいからだろう。
以前にも書いたけど、こっちではGPと呼ばれる地域の医療センターにいる医者に自分を登録して、かかりつけになってもらう。 緊急事態の場合以外は、まずそのGPに会い治療してもらう。 だからよっぽど専門的な治療が必要になった場合以外は、内科/外科/産婦人科/眼科っていうカテゴリー無しに、診察される。 定期検診やら癌検診やらも、GPにやってもらう。 恋人が出来た際や、誰かとセックスした際もGPに会いに行って諸々の検査をしてもらうし、家族計画やらなんやらも一緒に考えてくれる。 ものもらいが出来たときに会う人と、ピル処方してもらう為に会う人が同じってのは面白い。 渾然とした自分の体をそこに感じる。
だから相手に対しては、日本での医者患者という関係よりも、自分と健康管理のコーチ/アドヴァイザーっていう感じがする。 治療されに行くと言うよりも、自分自身をマネージする為に行くという感じがする。
なんでそういうふうに感じるかというと、‘知る’って言う事に重点が置かれているからな気がする。 すごく説明されるし、自分自身から色々質問する事を推奨される。 ブックレットとかも結構置いてあるし、病気の予防も治療も、薬よりも何よりも基本的な知識とそれに基づく実践が大切なのだと言われている感じ。 そういう意味で結構プログレッシブだと思う。
他民族国家の場合、医療関係はプログレッシブな態度を突き抜かないと、多くの人の医療を受けるチャンスを奪ってしまうのだと思う。 興味深い。
どんな病院やGPであれ、でかでかと“ニュージーランドにおける保健医療、障害者サービスを利用する際の権利”が張られているのが面白い。 これは保健医療•障害者サービス委員会という行政のグループが啓蒙している事柄。 そこのウェブサイトに行くと、三十カ国語以上に訳されたリーフレットがダウンロードできるので、英語と、その地域に多い民族の独特言語版で医療機関に張ってある。
大体こんな感じ
1. To be treated with respect.
1.尊重と共に治療される事
2. To be treated fairly without pressure or discrimination.
2.強制や差別の無い公平な治療を受ける事
3. The right to dignity and independence.
3.個人の尊厳と自主性の権利
4. To receive a quality service and to be treated with care and skill.
4.高い品質のサービスと、技術とケアの伴った治療を受ける事
5. To be given information that you can understand in a way that helps you communicate with
the person providing the service.
5.医療関係者とのコミュニケーションを助ける、あなたの理解できる情報が提供される事
6. To be given the information you need to know about your health or disability; the service
being provided and the names and roles of the staff; as well as information about any tests and
procedures you need and any test results. In New Zealand, people are encouraged to ask
questions and to ask for more information to help them understand what is going on.
6.あなたの健康と障害に関する知る必要のある情報を与えられる事:サービスの内容、職員の名前とその役割、検査や治療の内容と検査結果。 ニュージーランドでは自分が受けている治療を理解するため、医療関係者に質問をする事、より多くの情報と助けを求める事を推奨しています。
7. To make your own decision about your care, and to change your mind.
7.自分の意思でケアを決定でき、またそれを変更出来る事
8. To have a support person with you at most times.
8.ほとんどの場合において付き添いを伴える事
9. To have all these rights apply if you are asked to take part in a research study or teaching
session for training staff.
9.医療研究、あるいは研修実習の被験者となった場合でも、これら10項目が適用される事
10. You have the right to complain and have your complaint taken seriously.
10.サービスに対して苦情を申し立てる事ができ、その際には真摯な対応を受けられる事
NZでは、自分が自分の体のコントロールを持てている、マネージ権を持っているいという感覚を重視するのだと思う。 受けている治療について深い理解を持つ事や、「あなたはこれらの事を自発的に求めて良いんですよ」っていうリスト自体が、その自分が自分の主権を持てるように誘導されている。 これは同時に医療関係者がもめ事を回避するために、啓蒙しているツールなんだとも思う。 「アーサティブでいようぜ」っていうメッセージだ。
別にどっちが良いとか悪いとかじゃなしに、随分日本と感覚が違うんだなと驚いた。
以前日本で鬱病の治療を受けている知人が、もしかしたら、その治療の流れを理解できてないのではないかと思えた事があった。 その人は、基本的に医療に対して受け身で、そして治療を受けていて、投薬されている自分自身をみじめな存在として捉えていた。
もしかしたら、そういう発想になってしまうのは、鬱病だったからかもしれない。同じ精神的立場に立っていない私にはそれが「医療サービスと患者」の立場によって生じている事か、それとも「病気の性質」がそうさせていたのかは分からない。 ただ違和感が強く残った。
NZでは「薬を飲んで、精神的な余裕を作り、その間に根本的な原因などの対処をする」っていう認識が強いのではないかと思う。 職場環境であったり、人間関係であったり、鬱的な状態でいたら問題解決が出来ないだろうから抗鬱剤を処方されるのだと思っていた。 その人はあたかも、抗鬱剤を抗生物質のように捉えていて、根本的な治療がそこにあると思っているように見えた。 そして患者さんが治療を受ける事で自尊心が低くなっているのも含めて、医療提供者側の説明不足なのでは無いだろうかと思った。
そしてもしかしたら日本では「自分が自分自身に対するコントロールを強く持てている」っていうメンタリティーが治療の支えにならない/求められていないのかもしれない。 愚痴るのも治療のうちなのかもしれない。 その「相手の方に力がある」っていう受け身な状態も確かに安心感あるし、絶対感を感じられるから。 私はどっちの考え方で接された方が早く治るかは分からないから何とも言えない。
だから、多民族で形成されている国での、医療システムの方法論を作るってのは非常に難しいんだろなと想像した。
NZでは医療通訳を無料で提供してもらえる。 以前一緒に住んでいた人は、緊急治療室に勤める韓国人の看護婦の方で、韓国人の方を中心に治療を行っていた。 「この方法が普遍的」ってのが無いから、包括力の強いプログレッシブなポリシーとともに、多元主義的アプローチがとられているのだろう。
興味深いなあと思いながら、眺めていた。
サブスクライブして読んでいるブログでたまたま体について書いてあったので興味深く読んだ。
産後うつと中村うさぎとタイガー・ウッズ by クローデン 葉子さん
中村うさぎ著書にみるビョーキに対する日米差異 by 渡辺千賀さん
前者はイギリスに住んでいる日本人の方、後者はアメリカ在住の日本人の方が書かれた記事。 主に医療や病に関して、日本とそれぞれの国でどう違う対処がとられているかについてと話している。
違う国に引っ越して、医療制度や“健康”って言葉の意味の差に驚くのは王道だと思う。 制度的な面でも、技術的な面でも、そして倫理であったり、身体への認識とか、見事に地域ごとに違うから。 食べ物とかと同じ位のレベルで文化の違いを感じる事が出来る。
そして私も、上に書いてある二人のブログの題材になっているように、産婦人科的な事と精神に関する事の差は特に感じる。 身体観やセックス、ノーマル、アブノーマルに関する認識の違いがモロに出るので、差が見えやすいからだろう。
以前にも書いたけど、こっちではGPと呼ばれる地域の医療センターにいる医者に自分を登録して、かかりつけになってもらう。 緊急事態の場合以外は、まずそのGPに会い治療してもらう。 だからよっぽど専門的な治療が必要になった場合以外は、内科/外科/産婦人科/眼科っていうカテゴリー無しに、診察される。 定期検診やら癌検診やらも、GPにやってもらう。 恋人が出来た際や、誰かとセックスした際もGPに会いに行って諸々の検査をしてもらうし、家族計画やらなんやらも一緒に考えてくれる。 ものもらいが出来たときに会う人と、ピル処方してもらう為に会う人が同じってのは面白い。 渾然とした自分の体をそこに感じる。
だから相手に対しては、日本での医者患者という関係よりも、自分と健康管理のコーチ/アドヴァイザーっていう感じがする。 治療されに行くと言うよりも、自分自身をマネージする為に行くという感じがする。
なんでそういうふうに感じるかというと、‘知る’って言う事に重点が置かれているからな気がする。 すごく説明されるし、自分自身から色々質問する事を推奨される。 ブックレットとかも結構置いてあるし、病気の予防も治療も、薬よりも何よりも基本的な知識とそれに基づく実践が大切なのだと言われている感じ。 そういう意味で結構プログレッシブだと思う。
他民族国家の場合、医療関係はプログレッシブな態度を突き抜かないと、多くの人の医療を受けるチャンスを奪ってしまうのだと思う。 興味深い。
どんな病院やGPであれ、でかでかと“ニュージーランドにおける保健医療、障害者サービスを利用する際の権利”が張られているのが面白い。 これは保健医療•障害者サービス委員会という行政のグループが啓蒙している事柄。 そこのウェブサイトに行くと、三十カ国語以上に訳されたリーフレットがダウンロードできるので、英語と、その地域に多い民族の独特言語版で医療機関に張ってある。
大体こんな感じ
1. To be treated with respect.
1.尊重と共に治療される事
2. To be treated fairly without pressure or discrimination.
2.強制や差別の無い公平な治療を受ける事
3. The right to dignity and independence.
3.個人の尊厳と自主性の権利
4. To receive a quality service and to be treated with care and skill.
4.高い品質のサービスと、技術とケアの伴った治療を受ける事
5. To be given information that you can understand in a way that helps you communicate with
the person providing the service.
5.医療関係者とのコミュニケーションを助ける、あなたの理解できる情報が提供される事
6. To be given the information you need to know about your health or disability; the service
being provided and the names and roles of the staff; as well as information about any tests and
procedures you need and any test results. In New Zealand, people are encouraged to ask
questions and to ask for more information to help them understand what is going on.
6.あなたの健康と障害に関する知る必要のある情報を与えられる事:サービスの内容、職員の名前とその役割、検査や治療の内容と検査結果。 ニュージーランドでは自分が受けている治療を理解するため、医療関係者に質問をする事、より多くの情報と助けを求める事を推奨しています。
7. To make your own decision about your care, and to change your mind.
7.自分の意思でケアを決定でき、またそれを変更出来る事
8. To have a support person with you at most times.
8.ほとんどの場合において付き添いを伴える事
9. To have all these rights apply if you are asked to take part in a research study or teaching
session for training staff.
9.医療研究、あるいは研修実習の被験者となった場合でも、これら10項目が適用される事
10. You have the right to complain and have your complaint taken seriously.
10.サービスに対して苦情を申し立てる事ができ、その際には真摯な対応を受けられる事
NZでは、自分が自分の体のコントロールを持てている、マネージ権を持っているいという感覚を重視するのだと思う。 受けている治療について深い理解を持つ事や、「あなたはこれらの事を自発的に求めて良いんですよ」っていうリスト自体が、その自分が自分の主権を持てるように誘導されている。 これは同時に医療関係者がもめ事を回避するために、啓蒙しているツールなんだとも思う。 「アーサティブでいようぜ」っていうメッセージだ。
別にどっちが良いとか悪いとかじゃなしに、随分日本と感覚が違うんだなと驚いた。
以前日本で鬱病の治療を受けている知人が、もしかしたら、その治療の流れを理解できてないのではないかと思えた事があった。 その人は、基本的に医療に対して受け身で、そして治療を受けていて、投薬されている自分自身をみじめな存在として捉えていた。
もしかしたら、そういう発想になってしまうのは、鬱病だったからかもしれない。同じ精神的立場に立っていない私にはそれが「医療サービスと患者」の立場によって生じている事か、それとも「病気の性質」がそうさせていたのかは分からない。 ただ違和感が強く残った。
NZでは「薬を飲んで、精神的な余裕を作り、その間に根本的な原因などの対処をする」っていう認識が強いのではないかと思う。 職場環境であったり、人間関係であったり、鬱的な状態でいたら問題解決が出来ないだろうから抗鬱剤を処方されるのだと思っていた。 その人はあたかも、抗鬱剤を抗生物質のように捉えていて、根本的な治療がそこにあると思っているように見えた。 そして患者さんが治療を受ける事で自尊心が低くなっているのも含めて、医療提供者側の説明不足なのでは無いだろうかと思った。
そしてもしかしたら日本では「自分が自分自身に対するコントロールを強く持てている」っていうメンタリティーが治療の支えにならない/求められていないのかもしれない。 愚痴るのも治療のうちなのかもしれない。 その「相手の方に力がある」っていう受け身な状態も確かに安心感あるし、絶対感を感じられるから。 私はどっちの考え方で接された方が早く治るかは分からないから何とも言えない。
だから、多民族で形成されている国での、医療システムの方法論を作るってのは非常に難しいんだろなと想像した。
NZでは医療通訳を無料で提供してもらえる。 以前一緒に住んでいた人は、緊急治療室に勤める韓国人の看護婦の方で、韓国人の方を中心に治療を行っていた。 「この方法が普遍的」ってのが無いから、包括力の強いプログレッシブなポリシーとともに、多元主義的アプローチがとられているのだろう。
興味深いなあと思いながら、眺めていた。
言語の地図
最近気がついたんだけど、頭の中で、なんとなくこういう感じと自動翻訳する機能を私は持っている。
どうやら私にとって、英語は標準語で、スペイン語(ラテン系言語)は関西弁に訳されるようだ。 訳されるというか、同じ引き出しに入れられる、感じ。
昨日行ったカフェの給仕さんは南スペイン出身の方で、こっちに来て三年目ということもあり、アクセントが強く残っていた。 後に彼の言っていた事を思い出したら、脳内で関西弁に勝手に翻訳されて再生されている事に気がついた。 試しに、ポルトガル語を想像したら、同時に三重県の事が頭に浮かんだ。
マオリ語は発音が、北関東と東北の人の話す日本語ととても似ている。 母音の音が強くて、鼻にかかる感じで。 だから、マオリ語を聞くと福島県の事とか思い出す。 この部分は結構ロジカルだと思うんだ。 似ている発音同士を一緒に思い出すってのはさ、さもありなんな事じゃん。
しかしまさか、「暗い、固い、剛健」「明るい、柔らかい、華やか」の対立を私は無意識で「関東」と「関西」に置き換えていたとはしらなんざ…。
そして勝手にスペイン語のアクセントがあると、関西弁(というか、関西人が喋る関東弁)に翻訳して、脳内にセーブしていたとは。
なんて幼稚な脳! 私は物事の整理の仕方が、どうもおおざっぱだぞとは常々思っていたけど、本当にそうだったみたい。
どうやら私にとって、英語は標準語で、スペイン語(ラテン系言語)は関西弁に訳されるようだ。 訳されるというか、同じ引き出しに入れられる、感じ。
昨日行ったカフェの給仕さんは南スペイン出身の方で、こっちに来て三年目ということもあり、アクセントが強く残っていた。 後に彼の言っていた事を思い出したら、脳内で関西弁に勝手に翻訳されて再生されている事に気がついた。 試しに、ポルトガル語を想像したら、同時に三重県の事が頭に浮かんだ。
マオリ語は発音が、北関東と東北の人の話す日本語ととても似ている。 母音の音が強くて、鼻にかかる感じで。 だから、マオリ語を聞くと福島県の事とか思い出す。 この部分は結構ロジカルだと思うんだ。 似ている発音同士を一緒に思い出すってのはさ、さもありなんな事じゃん。
しかしまさか、「暗い、固い、剛健」「明るい、柔らかい、華やか」の対立を私は無意識で「関東」と「関西」に置き換えていたとはしらなんざ…。
そして勝手にスペイン語のアクセントがあると、関西弁(というか、関西人が喋る関東弁)に翻訳して、脳内にセーブしていたとは。
なんて幼稚な脳! 私は物事の整理の仕方が、どうもおおざっぱだぞとは常々思っていたけど、本当にそうだったみたい。
2010-04-18
あゆみちゃん、世界一!
あゆみちゃんの結婚式の写真を見たよー♥ ううう…。
お綺麗で、お綺麗で! お前の美貌に泣いたぞ! 髪型、かっこよ過ぎるし。
おめでとーーー!
愛してますよーーー!
旦那にも宜しく!
お綺麗で、お綺麗で! お前の美貌に泣いたぞ! 髪型、かっこよ過ぎるし。
おめでとーーー!
愛してますよーーー!
旦那にも宜しく!
2010-04-15
寂しくなるよ
二年間位、私が助手をしていた大学の先生がもうすぐイギリスに帰国する。 今日はオークランドに報告会のためたまたま来ているので、仕事の後に会って夕飯を一緒に食べる予定。
多分、nzで会うのは最後。 泣かないつもりだけど、泣く気も満々。
飛び級しまくったので、私と同い年なんだけど大学の先生な、とても優秀な彼。 終身在職権だって持っている。 私たちは16歳位のときに イギリスで会った事があって、nzで再会して、友達になった。 そして彼の研究室で働かせてもらっていた。 研究目的というお題目のもと、毎年日本に一緒に帰国して遊んだ。
寂しくなる。 寂しくなるよ。 イギリス遠いもん。 彼との友情は、私にとって結構意味があったんだ。 彼ともう一人の友達と、三人で遊ぶのは、大学時代で一番楽しくて、愛おしい事だった。 寂しくなるよ。 でも、同時にちょっとほっともするよ。 1人欠けているとかって考えなくてよくなるからね。 もう、みんなしていないんじゃん!
大学のクラスメイトで、良い友達だった、寛容で伸びやかで優しい友達のマーティンも今週からシドニーに移住する。 彼は、本当にいつも気をかけてくれた。 本当に優しい。 本当にcareをしてくれる人。
「シドニーに友達いる?」と聞かれ、「いない」と答えたら、「よかったね、これで泊まる場所が出来た。 遊びにおいで。 いつでも遊びにおいで。」と言われて、寂しいけど嬉しかった。
いつか、また、リースやルークのような友達が出来たら良いなあと思う。 三人でじゃれたり、遊んだり、ふざけたりさ。 終止、その男達の魅力にクラクラして、疑う事無く恋に落ちているような状況が、またもし私の人生におこるんなら、私本当に何かに感謝する!
それにしても、大学の頃の友達で国内に残ってるのは、殆ど私のみになってしまった。 寂しいというよりも、なんか焦る。
多分、nzで会うのは最後。 泣かないつもりだけど、泣く気も満々。
飛び級しまくったので、私と同い年なんだけど大学の先生な、とても優秀な彼。 終身在職権だって持っている。 私たちは16歳位のときに イギリスで会った事があって、nzで再会して、友達になった。 そして彼の研究室で働かせてもらっていた。 研究目的というお題目のもと、毎年日本に一緒に帰国して遊んだ。
寂しくなる。 寂しくなるよ。 イギリス遠いもん。 彼との友情は、私にとって結構意味があったんだ。 彼ともう一人の友達と、三人で遊ぶのは、大学時代で一番楽しくて、愛おしい事だった。 寂しくなるよ。 でも、同時にちょっとほっともするよ。 1人欠けているとかって考えなくてよくなるからね。 もう、みんなしていないんじゃん!
大学のクラスメイトで、良い友達だった、寛容で伸びやかで優しい友達のマーティンも今週からシドニーに移住する。 彼は、本当にいつも気をかけてくれた。 本当に優しい。 本当にcareをしてくれる人。
「シドニーに友達いる?」と聞かれ、「いない」と答えたら、「よかったね、これで泊まる場所が出来た。 遊びにおいで。 いつでも遊びにおいで。」と言われて、寂しいけど嬉しかった。
いつか、また、リースやルークのような友達が出来たら良いなあと思う。 三人でじゃれたり、遊んだり、ふざけたりさ。 終止、その男達の魅力にクラクラして、疑う事無く恋に落ちているような状況が、またもし私の人生におこるんなら、私本当に何かに感謝する!
それにしても、大学の頃の友達で国内に残ってるのは、殆ど私のみになってしまった。 寂しいというよりも、なんか焦る。
2010-04-12
アヴォンデル マーケット
オークランドには何個か市場がある。
どの地域にあるかで文化背景が違うのでとても面白い。
毎週、食料品の買い出しの際は観光込みで違う市場を順繰りに回っている。
アジア•ポリネシア系住民の多いアヴォンデルという地域で毎週末行われている市場はとても面白い。 不景気が始まる以前はヨーロッパ系の人はほとんどここに来なかったそうだ。 でもここ一、二年で、客層が変わったらしい。 こうやって混ざっていくのかと興味深く思いました。

お店ごとに小さなテントを出して商品を売っている。 農家からの商品を直接売っているお店、八百屋での売れ残りを売っているお店とあり、鮮度や値段に結構ばらつきがある。 結構真剣にどのお店で買うかを選ばないと損をする。 毎週ここで買い物している人は、もうルートが出来上がっているみたいんだけど、まだそんなに詳しくない私は、ひたすらうろうろ歩き、安くて新鮮な商品を探す。

この市場のお店屋さんは、華僑の人達(nzの八百屋は彼らによってほとんど独占されている気がする)、ラオやカンボジアからの難民の人達が経営する農家直営のお店、インド系の八百屋(インド人はインド人からしか物を買わないらしく、競争が働いていないので、商品が若干高い。)などなど。 その中からベストを選ぶ。 もしくは相手の上手い口にのせられて、ベストじゃなくても買ってしまう。 この一連のプロセスは中かなに楽しい。



これだけの果物をオークランドの一部の人間たちで一週間のうちに消費するのかと思うと、我々の胃袋に敬意を持つわ。









どの地域にあるかで文化背景が違うのでとても面白い。
毎週、食料品の買い出しの際は観光込みで違う市場を順繰りに回っている。
アジア•ポリネシア系住民の多いアヴォンデルという地域で毎週末行われている市場はとても面白い。 不景気が始まる以前はヨーロッパ系の人はほとんどここに来なかったそうだ。 でもここ一、二年で、客層が変わったらしい。 こうやって混ざっていくのかと興味深く思いました。

お店ごとに小さなテントを出して商品を売っている。 農家からの商品を直接売っているお店、八百屋での売れ残りを売っているお店とあり、鮮度や値段に結構ばらつきがある。 結構真剣にどのお店で買うかを選ばないと損をする。 毎週ここで買い物している人は、もうルートが出来上がっているみたいんだけど、まだそんなに詳しくない私は、ひたすらうろうろ歩き、安くて新鮮な商品を探す。

この市場のお店屋さんは、華僑の人達(nzの八百屋は彼らによってほとんど独占されている気がする)、ラオやカンボジアからの難民の人達が経営する農家直営のお店、インド系の八百屋(インド人はインド人からしか物を買わないらしく、競争が働いていないので、商品が若干高い。)などなど。 その中からベストを選ぶ。 もしくは相手の上手い口にのせられて、ベストじゃなくても買ってしまう。 この一連のプロセスは中かなに楽しい。


魚屋さんもあるよ。 この買いは、ピピという。 可愛い名前。

これだけの果物をオークランドの一部の人間たちで一週間のうちに消費するのかと思うと、我々の胃袋に敬意を持つわ。



nzの果物及び野菜はでかい。



乾物の売り方もダイナミック。

こんなサイズのチリ、何に使うんだろう。


プラム。 大好きだから、いつも大量に買う。
って言っても、一日に二個ぐらい食べる程度だけど。
nzでは一日に二個は果物を食べろと行政からのお達しが出ている。
バス停とかにでかでかと「野菜と果物を食べるのだ」と貼られている。
面倒見が良いと言ったらいいのか?
って言っても、一日に二個ぐらい食べる程度だけど。
nzでは一日に二個は果物を食べろと行政からのお達しが出ている。
バス停とかにでかでかと「野菜と果物を食べるのだ」と貼られている。
面倒見が良いと言ったらいいのか?
2010-04-11
おうちロースト
週に一回家の子たちで一緒に夕飯を食べる。
今週のメニューは、
前菜 モロッカンオムレツ
主菜 ローストビーフとローストヴェジタブル
デザート プルーンとチョコレートのケーキとミルクティー
台所でみんなで赤ワインをごくごく飲みながら料理。
ローストは外れ無し。
いつも通り美味しい。
ローストをする際はオーブンのタイマーをつけて家を出る。
だから家に帰ったときには家中に美味しーい匂いがしている。
おばあちゃんの家の夕飯時のお味噌汁の匂いとにたような感じで、「これこそ家なり!」っていう匂いなんだよね。 なんだか泣いちゃいたくなるような匂いなんだ。
モロッカンオムレツは初めて食べたんだけど、すっごい美味しかった!
新鮮なトマトをすりおろして、そのなかに刻んだコリアンダーや、生姜、ニンニク、セロリなどなどを入れる。 そのソースを入れたフライパンに生卵をいっぱい落として、ぐつぐつ煮るの。 どれだけこの調理法がオーセンティックなモロッコでの料理方法に忠実なのかは疑わしい所だけど、それでもっ、とても美味しかったです。 満足です。

こんな感じに調理する。

取り分けた様子。 我が家で一番男らしい男が取り分けてくれたので、なんか、ごっつい感じの盛られ方。 がっつりいきました。 半熟卵と、トマトが混ざって、ああ…、良かった…。

メインのローストビーフ。 この肉は、連れ合いの実家の家庭牧場から。
多分、彼。
今確認してみたけど、やっぱりそうらしい。
随分と美形な牛を頂いております。
肉食って難しい。
どこでどうやって育って、そしてどうやって屠殺されたものを食べるのか。
どれぐらいお金を払うのか。
そもそも生き物を食べるってのはどういう事なのか。
連れ合いの実家は、普通にサラリーマン家庭なんだけど、オークランドのはずれの小さな牧場に住み、自分たちの食べる動物を育てて、殺して、それを食べて生きている。 私達もそれを分けてもらっている。 連れ合いが実家を出るまではその一連のプロセスは彼の仕事だったんだそうだ。 子豚が産まれたら、弟と市場に売りに行って、売り上げがお小遣いだったそうだ。
最近の牧場はオートメーション化がすすんでいて、完全に動物工場だ。 牧場が実家の友人の家に行くと見学させてもらうけど、結構大きなクエスチョンが自分に残る。 私の友達は牧場で育った子はやっぱり菜食主義の子が多い。 勿論、完全に受け入れている場合もある。
多民族国家に住んでいると、当然のように菜食な人達が地球上には沢山いるのだと知る事になる。 職場にも宗教上、伝統上、または個人の考えで菜食主義者の人達が沢山いて、当然のように肉食をしている自分が、少し居心地悪くなる。 連れ合いが肉を食べるから、今はいい感じの環境でケアと、(工場にいる家畜と比べ)自由と長い人生を得た動物の肉を食べているけれど、それでもなんかやっぱ「自分は実際どうしたいんだろう」って思う事が多い。

そんな事を頭の片隅で思いながら、ローストを食べる。
悔しい程に美味しい。
いっぱいおもしろい話しをして、けらけら笑って、デザートにケーキ。
晩餐をする事で一週間の自分の生活がうまくまとまる感じがする。
今週のメニューは、
前菜 モロッカンオムレツ
主菜 ローストビーフとローストヴェジタブル
デザート プルーンとチョコレートのケーキとミルクティー
台所でみんなで赤ワインをごくごく飲みながら料理。
ローストは外れ無し。
いつも通り美味しい。
ローストをする際はオーブンのタイマーをつけて家を出る。
だから家に帰ったときには家中に美味しーい匂いがしている。
おばあちゃんの家の夕飯時のお味噌汁の匂いとにたような感じで、「これこそ家なり!」っていう匂いなんだよね。 なんだか泣いちゃいたくなるような匂いなんだ。
モロッカンオムレツは初めて食べたんだけど、すっごい美味しかった!
新鮮なトマトをすりおろして、そのなかに刻んだコリアンダーや、生姜、ニンニク、セロリなどなどを入れる。 そのソースを入れたフライパンに生卵をいっぱい落として、ぐつぐつ煮るの。 どれだけこの調理法がオーセンティックなモロッコでの料理方法に忠実なのかは疑わしい所だけど、それでもっ、とても美味しかったです。 満足です。

こんな感じに調理する。

取り分けた様子。 我が家で一番男らしい男が取り分けてくれたので、なんか、ごっつい感じの盛られ方。 がっつりいきました。 半熟卵と、トマトが混ざって、ああ…、良かった…。

メインのローストビーフ。 この肉は、連れ合いの実家の家庭牧場から。
多分、彼。
今確認してみたけど、やっぱりそうらしい。
随分と美形な牛を頂いております。
肉食って難しい。
どこでどうやって育って、そしてどうやって屠殺されたものを食べるのか。
どれぐらいお金を払うのか。
そもそも生き物を食べるってのはどういう事なのか。
連れ合いの実家は、普通にサラリーマン家庭なんだけど、オークランドのはずれの小さな牧場に住み、自分たちの食べる動物を育てて、殺して、それを食べて生きている。 私達もそれを分けてもらっている。 連れ合いが実家を出るまではその一連のプロセスは彼の仕事だったんだそうだ。 子豚が産まれたら、弟と市場に売りに行って、売り上げがお小遣いだったそうだ。
最近の牧場はオートメーション化がすすんでいて、完全に動物工場だ。 牧場が実家の友人の家に行くと見学させてもらうけど、結構大きなクエスチョンが自分に残る。 私の友達は牧場で育った子はやっぱり菜食主義の子が多い。 勿論、完全に受け入れている場合もある。
多民族国家に住んでいると、当然のように菜食な人達が地球上には沢山いるのだと知る事になる。 職場にも宗教上、伝統上、または個人の考えで菜食主義者の人達が沢山いて、当然のように肉食をしている自分が、少し居心地悪くなる。 連れ合いが肉を食べるから、今はいい感じの環境でケアと、(工場にいる家畜と比べ)自由と長い人生を得た動物の肉を食べているけれど、それでもなんかやっぱ「自分は実際どうしたいんだろう」って思う事が多い。

そんな事を頭の片隅で思いながら、ローストを食べる。
悔しい程に美味しい。
いっぱいおもしろい話しをして、けらけら笑って、デザートにケーキ。
晩餐をする事で一週間の自分の生活がうまくまとまる感じがする。
2010-04-10
からだとどうぐ
私は大学で工業デザインを勉強していた時は人間工学が一番好きな授業だった。
大学病院で医療器具デザインを実際に試して人間と道具の関係を知るのはとてもためになった。 セメンティックによって使用の的確さと正確さが最適化されている製品を病院では見る事ができる。
だから検査などで病院に行くのは結構好きで、じろじろと道具を観察している。
知恵が装置に置き換えられているのを見る事が出来る。
デザインの力を感じたい時は、(逆に言うと自分の中のデザインへの信頼が弱まっている時)病院に行くと、まだまだ出来る事は沢山あると思える。
デザインでも言葉のように、繊細で、的確に、そして包括的な物を提供出来るのだと知る事は心強い。
大学病院で医療器具デザインを実際に試して人間と道具の関係を知るのはとてもためになった。 セメンティックによって使用の的確さと正確さが最適化されている製品を病院では見る事ができる。
だから検査などで病院に行くのは結構好きで、じろじろと道具を観察している。
知恵が装置に置き換えられているのを見る事が出来る。
デザインの力を感じたい時は、(逆に言うと自分の中のデザインへの信頼が弱まっている時)病院に行くと、まだまだ出来る事は沢山あると思える。
デザインでも言葉のように、繊細で、的確に、そして包括的な物を提供出来るのだと知る事は心強い。
2010-04-09
からだのこと
この間子宮頸癌の検査をした。
この検査は20歳以上70歳以下の性交渉をしたことがある女性が対象になっている。
子宮の入り口の部分の細胞の変化から、健康状態を測定する検査なので最初の数年はデータ収集の為に毎年、それから3年づつ行う。 検査の時期になると自分の登録している病院から検査を受けるのだと連日のように手紙が来るようになる。 ありがやた、ありがたや。
癌検査をするようになるとは私も歳をとったものだと、初めは微妙な心境になった。 でも一度その行動の有意義さを知ると今度はちょっと力を与えてもらったような気分になった。
この検査をスペシャライズしている女性看護師の方がやってくれるのだけど、その人の与えてくれる知識とそれに対する態度が、私の意識を変えてくれるのだと思う。 医療関係者の方は偉大だと思う。 彼らと話すといつも診療室を出る頃には、自分の体は大切なもので、慈しまれるものなのだと再確認させてもらえている。 多くの場合、彼らは本当に繊細なコミュニケーションをとってくれる。 一回の会話で沢山の事を学ぶ事が出来る。
また奇妙な事を言うと思われるかもしれないんだけど、私は病院がくれる啓蒙用のパンフレットなどを読むのが好きだ。 自分の体に関する知識を得る事は、empoweredな事だと思う。 そしてそういうパンフレットでの、プログレッシブな言葉遣いが、まだまだ人間捨てたもんじゃないという気分にさせてくれる。 なんか勇気を与えてもらえるのだ。
例えばパンフレットに乗っている女性たちの人種や民族的特徴、年齢が多様である事。 確かに一つの社会の層ではこの検査を受ける事に抵抗がなくても、他の層の人達にとってはチャレンジングな場合があるのだよなと視覚情報から気がつきなおせる。 また対象となっている女性の説明が「性交渉をしたことがある、独身女性/男性のパートナーのいる女性/女性のパートナーのいる女性/障害のある女性/閉経後の女性/現在性的にアクティブではない女性」と書かれている。 くどい。 ただ、きちんと多くの人達に検査を受ける必要性を説く為には、やはりきちんと言わなくてはいけない。 なんかそういうところに、人体は平等に慈しまれなくてはいけないのだなあとほろりとくるのだ。 他にも知りたい事が、短くて的確な言葉で書かれている。 少なくとも今、気がつく限りの多くの女性を包括するように書かれているのが読んでいて分かる。 視覚的にも、言葉的にも。
こういう繊細な詳細が、いろんな民族や価値観の人達が集まって暮らしているコミュニティーでの、医療面での公平さを維持させているのだよなと思う。 実際病院では沢山の言語を見る。
商品を作って売るという場合は、自分たちの企業の商品を買ってくれるであろうマーケットに、最も的確にメッセージが届くように言葉や形を研ぐ。 例えば明らかにヘテロ用の商品を売る際には、レズビアンの女性はあたかもそこにいないかのように広告(企業からのメッセージ)を打つ。 そう言う意味で非常に排他的だ。
その結果「こういう人も、こういう人も、こういう人も全部ひっくるめて女性なんだよなあ」と思う機会ってのは案外と少ない。 言われないと忘れる。
自分は"含まれている"と思える事は(諸刃の剣ではあるけれども)ほっとする経験だ。 特に体に関してはそうだと思う。 自分の体は忘れられていないと思える事は、安心感と肯定感に繋がる。
今回は子宮頸癌の検査だったから、こういう女性たちのグループに自分が含まれたし、勿論他の検査の為にはまた違うグループに含まれたりするのだろう。 その時、自分が忘れられていないと良いなと常々思う。
商売をする限り、限定的になってしまうのは仕方がない。 ただ、それだからこそ、極力自分は沢山のグループの中で生きていて、そこといろいろな形で繋がっている一人の人間なのだと意識していたい。 そして他者の体も自分の体も平等であると忘れずにいなくては。
癌検査を受けて、なに突拍子も無い事を考えているんだと思われるかもしれないけど、看護士さんと話していたらほんとうにそう思ったんだ。
この検査は20歳以上70歳以下の性交渉をしたことがある女性が対象になっている。
子宮の入り口の部分の細胞の変化から、健康状態を測定する検査なので最初の数年はデータ収集の為に毎年、それから3年づつ行う。 検査の時期になると自分の登録している病院から検査を受けるのだと連日のように手紙が来るようになる。 ありがやた、ありがたや。
癌検査をするようになるとは私も歳をとったものだと、初めは微妙な心境になった。 でも一度その行動の有意義さを知ると今度はちょっと力を与えてもらったような気分になった。
この検査をスペシャライズしている女性看護師の方がやってくれるのだけど、その人の与えてくれる知識とそれに対する態度が、私の意識を変えてくれるのだと思う。 医療関係者の方は偉大だと思う。 彼らと話すといつも診療室を出る頃には、自分の体は大切なもので、慈しまれるものなのだと再確認させてもらえている。 多くの場合、彼らは本当に繊細なコミュニケーションをとってくれる。 一回の会話で沢山の事を学ぶ事が出来る。
また奇妙な事を言うと思われるかもしれないんだけど、私は病院がくれる啓蒙用のパンフレットなどを読むのが好きだ。 自分の体に関する知識を得る事は、empoweredな事だと思う。 そしてそういうパンフレットでの、プログレッシブな言葉遣いが、まだまだ人間捨てたもんじゃないという気分にさせてくれる。 なんか勇気を与えてもらえるのだ。
例えばパンフレットに乗っている女性たちの人種や民族的特徴、年齢が多様である事。 確かに一つの社会の層ではこの検査を受ける事に抵抗がなくても、他の層の人達にとってはチャレンジングな場合があるのだよなと視覚情報から気がつきなおせる。 また対象となっている女性の説明が「性交渉をしたことがある、独身女性/男性のパートナーのいる女性/女性のパートナーのいる女性/障害のある女性/閉経後の女性/現在性的にアクティブではない女性」と書かれている。 くどい。 ただ、きちんと多くの人達に検査を受ける必要性を説く為には、やはりきちんと言わなくてはいけない。 なんかそういうところに、人体は平等に慈しまれなくてはいけないのだなあとほろりとくるのだ。 他にも知りたい事が、短くて的確な言葉で書かれている。 少なくとも今、気がつく限りの多くの女性を包括するように書かれているのが読んでいて分かる。 視覚的にも、言葉的にも。
こういう繊細な詳細が、いろんな民族や価値観の人達が集まって暮らしているコミュニティーでの、医療面での公平さを維持させているのだよなと思う。 実際病院では沢山の言語を見る。
商品を作って売るという場合は、自分たちの企業の商品を買ってくれるであろうマーケットに、最も的確にメッセージが届くように言葉や形を研ぐ。 例えば明らかにヘテロ用の商品を売る際には、レズビアンの女性はあたかもそこにいないかのように広告(企業からのメッセージ)を打つ。 そう言う意味で非常に排他的だ。
その結果「こういう人も、こういう人も、こういう人も全部ひっくるめて女性なんだよなあ」と思う機会ってのは案外と少ない。 言われないと忘れる。
自分は"含まれている"と思える事は(諸刃の剣ではあるけれども)ほっとする経験だ。 特に体に関してはそうだと思う。 自分の体は忘れられていないと思える事は、安心感と肯定感に繋がる。
今回は子宮頸癌の検査だったから、こういう女性たちのグループに自分が含まれたし、勿論他の検査の為にはまた違うグループに含まれたりするのだろう。 その時、自分が忘れられていないと良いなと常々思う。
商売をする限り、限定的になってしまうのは仕方がない。 ただ、それだからこそ、極力自分は沢山のグループの中で生きていて、そこといろいろな形で繋がっている一人の人間なのだと意識していたい。 そして他者の体も自分の体も平等であると忘れずにいなくては。
癌検査を受けて、なに突拍子も無い事を考えているんだと思われるかもしれないけど、看護士さんと話していたらほんとうにそう思ったんだ。
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