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2009-12-31

ゆらゆら帝国のライブに行ってきたぞ。 良かったぞ!

 今年の音楽納めで、さっきまでゆらゆら帝国のライブに行ってきた。 いやー、良かった! 完成度高い。 全体的に整いすぎてて、そこから本当に大人の底力を感じた。 

 来てた子達の雰囲気も最高にダウナーでまさに私の好きな東京の普通の夜だった。 シャイだけどワイルド。 私は体力もあるし、ある程度情熱的だし、元気だってあるけど、なぜか総合的にはダウナーな人間なのだと思う。 少なくともアッパーじゃない。 声やらテンションやらが"高い"っていう状態が好きじゃない。 って事でゆらゆら帝国の提供してくれた音楽世界は私にとって最高だった。 いやー、本当に良かった。

 そういえば前座のバンド、ヘアスタイリスティックス(中原昌也)のドラムがにせんねんもんだいの女の子だった。 彼女の演奏はこの間原宿でも見た。 彼女って本当にジーニアスね。 惚れちゃう。 いつかにせんねんもんだいそのもののパフォーマンスも見てみたい。 ヘアスタイリスティックスは変態音楽でよくわからんかった。

 ゆら帝の演奏最中、横にいた男の子が彼女の横で躍り狂ってて好感度大だった。 私が彼の彼女ならうっとりしちゃうな。 結構長身大柄がっしりした子で、長髪のクルクルパーマを歌舞伎のように振り乱しながら、彼女の手を取ったりしながらガンガン踊っててさ、彼女も唇がふっくらとした美女で、いやー、愛だったわ。 すっごい良い夜なんだろーなーと思ってうらやましく見ていた。 恋人とゆらゆら帝国のライブ行って、一緒に踊って、(多分、きっと)一緒に家に帰る年末って最高じゃない? ラブだよ、ラブ。 しかも2人ともダウナーだったし。 完全だねと思いながら見ていた。 

 そして踊っている子達を見ながら、台湾での夜遊びを思い出した。 クリスマスの夜に台湾のバーで呑んでいた時、一瞬一緒に行っていた女の子が踊った。 それが本当に可愛くてさー、本当にちょっとの間彼女が肩を揺らしていただけなんだけど、台湾旅行の中で一番強烈に記憶に残っている。 踊る子は宝だ。 

 今回の日本トリップでは展覧会とか音楽とか結構色々行っているんだけど、今のところ大きなはずれは無し。 この幸運に酔いしれてるわ、私。

2009-12-28

2009年の9曲  3.Animal Collective -My girl

これも数年前に発表された曲。 音楽に関して言えば私は本当にカッティングエッジじゃない。 消化するためには数年の時差を要する。

音色もリズムも構成も好きだけど、何よりも歌詞がかわいらしすぎる。 こんなこと歌われたら、女子はめろめろだよ。








My Girl

There isn't much that I feel I need
A solid soul and the blood I bleed
But with a little girl, and by my spouse,
I only want a proper house

I don't care for fancy things
Or to take part in the freshest wave,
But to provide for mine who ask
I will, with heart, on my father's grave

On my father's grave
(On your father's grave)

I don't mean to seem like I
Care about material things,
Like a social status,
I just want
Four walls and adobe slats
For my girls


超適当な訳だとこんな感じ…、


僕の女の子

俺に関していえばそんなに必要なものはない
強固な魂とドクドク流れる血さえあれば
でも僕の女の子に関していえば、
この結婚のためにも
俺はちゃんとした家が欲しい

別にいいかんじのものが欲しいとか
流行に乗ろうとかじゃなくて、
僕の父ちゃんの墓前で
心を込めて誓い合った人に
ちゃんとしたものを提供したいんだ

僕の父ちゃんの墓前で
(お前の父ちゃんの墓前で)

物欲満々とかって思われたくないし、
社会的な地位が欲しくてとかってのじゃなくて
ただ壁と天井がちゃんとあるのを
僕の女の子に!!



この歌は女の子の心だけじゃなくて、男の子の心もロックするらしい。 これを流すと家中の男子が大合唱をする。 多分そのとき奴らの中で奴らは超男。 「おれ、まじで漢!」って感じで歌い上げている。 いとおしいじゃないかぁ。 いい曲だあ。 父ちゃんの墓前でって所に本気さを感じるね。

"I just want Four walls and adobe slats For my girls"の後に入るドラムの音と、雄叫びが好きだ。 別に男の子じゃなくても、自分の相手に対してはこう思うよね。 「私の男の子の為に」って目的で何かをやっているときは結構私の心の中で激しいドラムの音と雄叫びがこだましているよ。

この間男友達と旅行にいったんだけど、彼が「自分の彼女にやっていること/やったこと」を話すたびにキラッキラしてて、「おおおおー、なってるなってる、あの音なってる!!」って思いました。 だから私も自分がいかにいい恋人かを自慢し、心の中で雄叫びを鳴らしまくった。


2009年の9曲  2.Battles -Atlas

2009年によく聴いた9曲。

このプレイヤーから聞く方が、youtubeよりも音質がいいので、もしお時間がございましたら流してみてください。 全部、すっごい良い曲だから! 間違えなく素晴らしい楽曲。 でも良いライブの映像とかは下でyoutubeでも載せるね。 良かったら見てみて。





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2.Battles -Atlas

ブルックリンのバンド、バトルズの名曲。 これもよく聞いた。
最初音質の人工的な響きが好きになれなくて、もっと重厚であったりテクスチャーのある音を出せば良いのにと思って拒否。 でも途中からこの人達は正直に、使っている機材の音を祝福しているのだと思い直して恋に落ちた。 2007年発売のアルバムに今更恋に落ちる。 私、本当に感性が鈍いというか、ださいというか、結構物事をアプリシエイトするまでに時間がかかる。 

ビデオでは彼らの作曲のテーマである「反復」を視覚的に表現しようとしているんだそうだ。 確かにいわれてみれば。 でもちょっと鏡への反射が上手に撮れてないからだと思うんだけど、少なくとも私にはそのコンセプトはダイレクトには伝わってこなかったな。 でも秀作だと思うけど。

 


今ウェリントンで結構大きな草間彌生の回顧展をやっている。 それを見にこの間行ってきた。 友達と彼女の鏡面張りのインスタレーションの中で、この曲を合唱してきた。 ほかの観客も歌っていた。 気分はbattles。 とても楽しかった。  その展覧会の写真が彼女の公式サイトにアップされていたので、興味のある方はどうぞ見てみてください。 弥生ちゃん天才だから! 天才だから見飽きない!! 美術館そのものの外壁も全部ドットで包まれていてすごかった。 町の風景がちょっと歪んでいたよ。






この部屋でみんなでBattles。

 




Battlesは結構雄弁というか、考えていることをぺらぺら正直にいうバンドだと思う。 コンセプトであったり、作曲方法など技術的なことをよく話しているのを聞く。 同時に道徳的なこととか人生観とかを言わないとこにも好感。 「これは反復する音をどう構築し合うかが主題で挑戦なんだ」とか「主題をいかにダイレクトに届けるかを気にしている」ってタイプのことを聞くと、音楽もデザインも方法とか技術は勿論違うけど、大まかな挑戦は似ているんだなあと思えて興味がわく。 

 昔ニルヴァーナのネバーマインド制作時について参加していた人たちが話している番組を見たことがある。 多分音楽のミキシング用ソフトそのものと、デザインで使われるようなソフトの基本的な概念が似ているからだと思うんだけど、作業のプロセスがあまりにもそっくりで驚いた。 かたっぽは音、かたっぽは目に見えるものの加工を行っているんだけど、基本的に「足す、引く、重ねる、のばす、組み合わせる」ってのを一つ一つの構成要素にやっていく。

 もの作りの基本的な語彙ってのはどこも一緒なのかもしれない。


 そうやって考えると親近感と尊敬が湧き、最近ちょっぴりBattles、ワーシップ中。

2009-12-17

クリスマス食

 連れ合いの実家の方々と一足早いクリスマスの食事をした。 彼の親は息子が大好きで、自動的に息子の連れ合いである私の事も大好きみたいだ。 日本に帰る前に家族の食事をしなくてはと、連れ出された。 良い人達だぁ。

 っが、良い人だろうが大好きな連れ合いの親だろうが、面白いか面白くないかってなると話は別だ。 そう、往々にして良い人は大抵退屈。 愛情深い良い人達は、それ故に若干つまらないのだ。 もうこれ宇宙の真理。 ってことで結構何かに誘われてものらりくらりとかわしていた。 本当に良い人達でそこのところはノーダウトなんだけど、なーんか一緒に過ごすと自分の中の何かが飽きるので。 でもそんな自分に酷いなあと呆れ、対策を一応考えた。 もしかしたらこれから長い付き合いになるかもしれない相手だし、得ていて損するスキルじゃない。

ってことでこれが一年かけて実行した対策。

1.自分にも相手にも急激な変化は望まない
大抵失敗するしリバウンドがあるから。 コンクルージョンに飛びつかず、淡々と構える。

2.だんだんと自分の性格も良くし、相手の牧歌的世界感に適応する
笑えるとか、刺激的だとかっての意外の価値観を知る。

3.相手にも努力してもらう
相手の方が長く生きている訳だし、私よりも良いアイディアを思い浮かんでくれるだろう。

4.全く何も演技しない/自分の親に対してと同じ位に素直に接する
ぶりっ子をしてまで好かれたい相手じゃないし、もし演技している面が好かれても長期的に考えていい事が無いので。 これは会社の上司との違いだね。


3.にある相手側の努力は「食事で釣れ」だ。 お酒が入ると神経質な所が取れて、若干気楽で楽しい人になる私の特性をよく見抜いた選択だと思う。 飲みながら食事ってのがお互いの妥協点だと相手側が悟ったようだ。 実際その通り。 ってことで最近は外食+お酒ってパターンが多い。

そして驚くべき事に昨日の食事はすごい楽しかった。 お互いに対して若干働きかけた結果が見えた気がするよ。 達成感!!

彼からすると、大好きな両親と弟妹と恋人とご飯を食べれる訳だからとても幸せそうだった。 良かった良かった。

メリークリスマス!!

2009-12-15

2009年の9曲  1.Wolf Parade -I'll Believe In Anything

2009年によく聴いた9曲。

このプレイヤーから聞く方が、youtubeよりも音質がいいので、もしお時間がございましたら流してみてください。 全部、すっごい良い曲だから! 間違えなく素晴らしい楽曲。 でも良いライブの映像とかは下でyoutubeでも載せるね。 良かったら見てみて。





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1.Wolf Parade -I'll Believe In Anything




2005年に出たアルバムからの曲で、その頃からずっと聴いていた曲。 特に去年の年末から今年にかけて一日に何回も何回も聞いていた。 こんなにぱっきりと最近の自分の感じとシンクロしている音楽はないと思った。 4年間かけて自分の中で育った。

2004年らへんの頃、現代美術でだと、
-チラチラとオプティカルな物
-内側から発光するもの
-外からの光を吸収したり受け流したりできるように透明感のある物
-小さな構成要素がランダムに、しかし建設的に積み重なっている物
-仮設的な物
-断片的な物
-終わりと始まりの無い物
などが美しいと思っていた。

その頃の美術は、ポストモダンアートについてのマター、脱構築されたフェミニズムについてのマター、未成年の感性についてのマターとかが多く語られていた。 それら関心の対象を直接的にかなりナラティブな形に落とし込んで話すか、それとも形や配置により生ずるアレゴリーによってアクトするかの違いが際立っていて、とても面白い時期だった。

私は、言葉よりも形で世界を理解したいと思う方なのだと思う。 言葉抜きで物事が理解できるかという突っ込みがあるのは分かるけど、私は近代美術の父であるセザンヌの「世界は円柱・円錐・球によって構成されている」ってのを素直にプリンシパルとしている。 私が何かとふれあう時に、まず最初に関わる側面は形だ。

だからだろう、オロツコやフリードマン達が行った彫刻の復権が美術の潮流に大きく混ざり込んだ2000年代初期の現代美術は私にとって非常に、生々しくエンゲージできるものだった。

私にとって、形は最も優れた表現者で、アイディアをアクトし、コミュニケートしてくる。 私は反応せずにはいられない。

音楽も立体的な形を音で作っているっていう意味で彫刻的なものだなあと最近思う。 私は唄とか歌詞よりも、どうやって音が組重なっているか、いつ音がなっていつ音が鳴らないかってのが気になる。 そして音や構成がよってどうやって動くかも興味がある。 対立がどうやって壊れるか、どこに静寂があるのか、どこに次に繋がる空間の隙間があるのか…。 音の形とか立体感とか、音によって作られる空間性とかにぞくぞくする。

実際、なんか頭の中に、体感的には"目の前に"、色や形が見えるんだ。 始めてこの曲を聞いたときはスピーカーから何千匹もオオカミが飛び出してくるのが見えた。 結構そのものズバリ蔡國強の作品みたいだった。(多分どっかでバンドの名前がオオカミに関係しているってのを無意識で知ってたんだと思う。 安心して、私超能力者とかじゃないから。) 馬鹿みたいなコメントだけど、生まれて始めてこんなに沢山オオカミが飛び出してくるのを感じた。 それはそれは見事な構成だった。








話は戻って、私が04年頃に好きだった要素は勿論時間が断つにつれてちょっとづつ変わっていった。 ある程度成熟や、暴力性、若干の虚脱感や無力感、そして切り詰めがおこった。  20代前半は思っていた以上にタフだった! 村上春樹が昔「20代前半は不安だったし大変だった。 二度と戻りたくない」的な事を言っていた意味が分かったよ。 大人って簡単にはなれないんだなと実感。 多分音楽って救済なんだろう。 もろにそれに対する解決を音に求めた。

 その自分の変化と上手くかみ合って、昔と今をばっちりとつなげたのが、Wolf Paradeがやっていた音楽(特にライブでのパフォーマンス)なんだろうなと思う。

チラチラはザラザラというオプに変わった。 内側からの発光はより強くなった。 透明感の密度には決して明けない真夜中の弾力が加わった。 小さな構成要素は最低限以外は勝手に誰かに捨てられた。 仮設的な物はただ壊れた。 始まりは無かったけど、見事に終った。

ちょっと悲観的なんだけど、「この音楽が好き!」って感動したり喜んだりできる位、実際のところはすっごい楽観的で生命力に溢れている。

2009-12-13

クリスマス イン ザ パーク

 昨日の夜は我が家の隣のドメイン公園で、クリスマス イン ザ パークという催し物があった。 ドメインは1880年に公共の公園としてオーガナイズされた土地で、200エーカーあるひろーい場所。 中央には国立博物館がある。 色んな庭園や森林があって素敵。 

 そこに35万人集まって、クリスマスを祝う。 世界で一番大きな規模のクリスマスパーティーらしい。 基本的に小さな子供がいる家族向けの野音って感じのイベント。 ライブでいっぱい音楽やって、最後に打ち上げ花火があってって感じ。 

 こっちは本当に陽気な、夏のクリスマス。 みんなタンクトップに短パン、ビーチサンダルで夏の夜の野外パーティーを楽しむ。 35万人中半分ぐらいは子供。 こんなに大量の子供を一気に公園で見た事が無いのでくらくらする。 子どもたち、踊り狂ってたよ。 子どもたちがマジでロックしている姿が微笑ましい、そんなイベント。 









 ちなみにこのパーティーのスポンサーは写真からも分かるようにコカコーラ。 ちなみにこの写真もコーラが作ったオフィシャルサイトから拝借。 見事にいつでもちゃんと御社のロゴが画面に収まっている所に技を感じるよ。 三十秒に一回ぐらい、その社名がなんだかの形で言われてた。 屋台もコーラのが多い。

 今私達がこういう姿だと思っているサンタって、コカコーラの広告からだっていうじゃん。 実際はコーラの広告でサンタのイメージが描かれる前にも、結構赤い服を着た小太りなおっさんって形で表現されていたらしいんだけど、ここまで普及したのはコーラの広告かららしい。 結構コーラ=サンタ。 なのでこの巨大なパーティーのオーガナイザーがコークなのも、その歴史をふまえると実に納得。 もー、サンタもコーラも、会場も真っ赤。 ドメインは、真っ赤で白いしゅわしゅわした感じがあふれている、コーラとサンタ色に染まり上がっていた。 圧巻。

 最後に大音量でマイケルジャクソンが流れて、どでかい打ち上げ花火がガンガンあがった。 やっぱ今年はマイケルなのねと感慨深く聞く。 夏の夜の公園で、打ち上げ花火とともに大音量で流れる音楽としては最強だと思う。 気持ちよさとか、盛り上がりかたとか半端じゃない。 マイケルはパーティー音楽が良い。 大音量で気持ちよく聞くに越した事が無いと実感。 彼の楽曲には陰鬱な面が強いセンチメンタルな好かれかたもされやすい音楽も多いけど、私はそういう作品よりもグルーブたっぷりのパーティー音楽の方が好きだ。 そこから彼の天才を感じる。 なんか、その流れてきたら踊りだしたくなるっていう単純さを忘れたくない。

 最高に大きくて綺麗な打ち上げ花火と共に聞く、Don't Stop 'Til You Get Enoughとかもう完全にゴージャス。 可能な限り大音量で、どんな音楽よりもずっとずっと音量上げて聞いてみて。 「すっげー!」ってなるから! マイケルの踊りを誉める人は多いし、実際すごいなって思うけど、私はそれよりもマイケルの音楽を聞いて、すっげー楽しそうに踊りだすみんなに感動する。 上手く言えないけど、彼もすごいけど、彼に反応する人達の、心の中の何かに結構感動するんだよね。 ちょっと野性的な感じするじゃん。

 とりあえず、メリークリスマス!!

プレゼント

 日本に帰る+クリスマス+友人たちの結婚妊娠出産が多かったので、今週末はプレゼント探しに費やされた。

 私は冠婚葬祭にはあまり関与しない家族で育ち、そういうコンヴェンショナルな行為は、年賀状のお返しとして正月の後に出す葉書ぐらいしか関わった事が無い。(実際、毎年家族は1月1日に届くように年賀状を準備しようとはするのだけど、結局投函するのは成人式を余裕で過ぎたぐらいの時期になる。 我が家は不器用なのだ。)
 
 でも個人的に私は人に贈り物をするのは好き。 なので近い人の誕生日はある程度きっちりとお祝いする事にしていた。 誰かが産まれた日ってのが好きなのだ。 すごいワンダフルな事に思える。 なので勿論出産とかされると、その子の人生、そしてその子の両親の人生をひっくるめてお祝いしたくてたまらなくなる。 多分、誕生系フェチ。

 なのでミュゼッタの為のプレゼントを彼女が産まれた日からずっと探していた。 その間ずっと連れ合いをオークランド中のベビー関連のお店につれ回し、やっとこさ完全に自分が納得した物を見つけた。 何たる偉業。 何たる達成感。

 しかし「もう僕は当分ベビー関係のお店には入りたくない。 この別世界な感じがダメ。 怖い。 なんだか僕は怖くなるんだ!」と最後にぶつぶつ言われ、かつんと来た。 次に妊娠した友達と、彼女のパートナーの為のプレゼントを買いにいく事になっていたので、ここでくじけられたら困るのだ。 一人で買物をしてもつまらないのだ。

 なので「どうして、私の友達の出産が祝福できないのか。 それは私のウーマンフッドが喜べてないってことなのではないでしょうか。 私が女性であって、私の周りに女性の友達がいて、その人達が女性的な事をしているってのを祝福できていないのではないかしら!! それって私寂しい!」と、筋が通ってるんだか通ってないんだか分からない事を言って、相手を混乱させて次のお店に行こうとしかけた。 

 そうしたらそういう私の訳の分からない説得方法に慣れている相手に「付き合っている時点でこれ以上に無いぐらいにあんたの女性性は祝福してる。 かなり核心を突いて祝福してるね。」とごもっともな御言葉をかけられる。 「っち、弁の立つ奴だ…」と思いながらも、「じゃあ違う言い方をする。 私の人生を豊かにしてくれている友達のお祝いを一緒にしないで、何が連れ合い?」ともっとシンプルに言ったら納得された。 

 「そりゃそうだ」って事で、次は妊婦とその恋人へのプレゼント探しへ旅立った。(多分、この連れ合いのやる気をなだめすかすプロセスが、プレゼント探しの醍醐味の一つなのだと思う。 連れ合いの家族へのクリスマスプレゼント探しという、私からしたら本当にどうでも良い事につれ回された際に、相手の言放った詭弁達は実にすごかった。)

 「お父さんになる人って何をもらったら嬉しいのかな。 私としては、妻子から絶対に逃げれないように、鉄の鎖のような強固な義務感を植え付ける教育的な物を渡したいのだけれども。」と言ったら「いや、僕は一瞬でも妻子という義務感から現実逃避が出来て、少年に心が戻れる物を渡すのが良いと思う。 テレビゲームとか!!」と言われ、二人で大笑い。 「だよねー」ってお互い言いあい、お互いの意見に納得してしまったので、また選ぶのが難しくなった。

 永遠とそういう事を繰り返して、やっとこさ、色々と買いそろえる。

 お互いの為のプレゼントも買う。 カードも書く。 ラッピングしまくる。 ああ、年末。 ああ、子供時代は遠くなりけり。 イノセントに「私そういうの加担しない」って言えていたあの頃。 でももらえる物はもらっとった。

 しかし、そんな子供時代を失った事よりも、自分がある程度成熟し、プレゼントを贈れる人がいることの方が素朴に嬉しい。 連れ合いと連名で贈る相手がいる事、そして一人で贈る相手がいる事、その中には旧い友人も、今年に入って知り合った人友人もいる。 結構良い人生じゃないかと思える。

 そして贅沢な物は送れないけど、何かを買えるだけのお金を手に入れた事もうれしい。 自分の稼いだお金をこういう好意の表明や、渡し合う時に心からの愛情と笑いが溢れた時間に使えるんだって実感は良い。 結構「社会人一年目を君は頑張った!」って自分の肩を自分でおめでとうって、ポンポンとしてあげたくなるよ。 感謝の気持ちが湧く。 年末の醍醐味を感じるわ。

 うざい、そして頑なで一元的な無神論者として友人の間では煙違われている私ですが、クリスマスにおけるある面は好きです。 際立った年中行事だと思う。


 っていうことで、まだはやいですがクリスマスの12のことばを。

 

もしも、あなたが悲しんでいるなら、喜びなさい

クリスマスは喜びだから

もしも、あなたに敵があるなら、和解しなさい

クリスマスは平和だから

もしも、あなたが傲慢であるなら、低くなりなさい

クリスマスはけんそんだから

もしも、あなたに負債があるなら、弁済しなさい

クリスマスは正義だから

もしも、あなたに罪があるなら、悔い改めなさい

クリスマスは恵みだから

もしも、あなたが暗闇に沈んでいるなら、灯をともしなさい

クリスマスは光だから

もしも、あなたが心得違いをしているなら、反省しなさい

クリスマスは真実だから

もしも、あなたが心に恨みを抱いているなら、捨てなさい

クリスマスは愛だから

もしも、あなたが絶望をしているなら、キリストに目を向けなさい

クリスマスは希望だから

もしも、あなたに友人がいるなら、探し出しなさい

クリスマスは再会であるから

もしもあなたに愛する人がいるなら、愛を告げなさい

クリスマスは肯定だから

もしも、あなたの身の回りに貧しい人がいるなら、助けなさい

クリスマスは贈り物だから





良い日曜日の夜を!

2009-12-11

decade

 友人のブログで、00年代が終る事について触れてあった。 

 10年前の事を昨日の事のように思い出せる年代になったと思うと感慨深い。 その頃私はイギリスに住んでいて、かの国はやけにミレニアムミレニアムと騒いでいた。 橋が出来たり、その橋が異常に揺れたり、観覧車が出来たり、花火があがったりしていた。 そして2000年の後半からニュージーランドに引っ越した。 私の00年代はニュージーランドのと重なる。
自分にとっては無色透明。 未来の人達から見たら、多くの、ほとんど全ての時期がそうなように非常に変な時期。 

ーーーーーー

 今イギリスに住んでいる友達と、80年代リバイバルについて話していた。 日本の感覚だと80年代は多分、諸悪の根源的な扱いで見苦しい年代なんだろうと思う。 だから80年代のクールネスにあんまり反応できないっていう話だった。 さっきたまたま読んでいた、高橋瑞木さん(水戸芸術館現代美術センター学芸員)の文章、「不可能性の時代」のアート:諸行無常のポストモダニズムにおける実存の試みでも日本の80年代の独特さが書かれている。

社会学者の見田宗介はバブル経済の繁栄を享受し、高度消費社会に向けて邁進した日本の80年代を「虚構の時代」と呼び(注1)、それを受けて大澤真 幸はバブル経済崩壊、阪神淡路大震災、そしてオウム真理教による地下鉄サリン事件など、自然と人災によって脆弱な社会構造が露呈し、人びとがアパシー状態 に陥った90年代を「不可能性の時代」と呼ぶ。(注2)その「不可能性の時代」に成人を迎えた世代を、世間では「ロストジェネレーション」と呼ぶそうだ。 中略

ベルリンの壁の崩壊から、バブル経済の崩壊、阪神淡路大震災、オ ウム真理教の地下鉄サリン事件、そしてアメリカで勃発した同時多発テロからイラク戦争と、国内外の社会の混乱は言うまでもなく日本人の精神構造に作用した が、とりわけ視覚芸術家にとって強いイメージを刻印したのは、おそらくその後に目の当たりにした破壊の光景の数々ではないだろうか。阪神淡路大震災での家 屋や高速道路の倒壊現場や(注3)飛行機の衝突後にワールドトレードセンターが白い煙をあげて倒壊してゆく様子、そしてアフガニスタンのタリバーンによる バーミヤン石窟の大仏爆破の場面などがそれだ。その中でも日系アメリカ人、ミノル・ヤマサキ設計のワールドトレードセンターは近代化が生んだ国際様式の代 表的建築、バーミヤン石窟の大仏は歴史的に重要な文化遺産として知られ、どちらとも公に保護されるべきものでこそあれ、人為的に破壊されるべき対象とは誰 の思いもよらなかっただろう。このとき人々は、これまで蓄積された人智、理念、様式、技術、歴史が保護され、未来に伝承されるべきだという意識化の共同倫 理が、自分たちと同時代に生きる人間の手によって灰燼に帰した瞬間を目撃し、記憶したのである。

 確かに読んでいると凄まじい。 地獄の業火に焼かれるように苦しい神経症の始まりの太鼓がたたかれたって感じだ…。

 でも文章で「日本の80年代」って特定されているように、よそにはよその80年代があったんだよね。 そこに思いを馳せるのも大切な気がする。 だって、自分の中に流れる歴史性って絶対に一つの側面(例えば日本で起こった“事件史”)だけで形成されている分けないもん。 そこだけに焦点を当てると、自分の中にある面白い流れを塞き止めてしまう事になると思う。

 私にとっての80年代って音楽の時代だ。 後遺症には関わっているけど、バブルの時期にあった文化そのものにはあまり影響されていない。 でも、80年代の音楽には今でも強烈に影響されている。 で、多分それがイギリス文化圏とかにいる私たちの世代の特徴で、だから80年代リバイバルが強烈にあるんじゃないかっていう話をした。 70年代の最後にピストルズが解散して、次の世代の音楽(ピストルズのライブにいた42人の人達の音楽)が始まる。 それでJoy Divisionがあって、そのバンドがレイブカルチャーに直接関わっていく。 パンクからレイブ、ニューウェーブに流れていくその系譜が、今20代の人達からすると、ほとんど自分たちの今いる立ち位置の神話的な起源のようにうつるんじゃないかと思う。 思春期入りたての、一番自分に影響を与える音楽の起源が、自分に取っての聖なる音楽になるのかも。 少なくとも自分の事を考えてみると結構そうだ。 その時期のクールネスが発展した先に自分がいるのを結構ダイレクトに感じる。 年上の子たちが夜遊びをした後、ちょっと疲れた感じを持ちながら、昼間はティルマンス的な時間の過ごし方をしていたのを憶えている。 そういう時間に入れてもらえると嬉しかった。 自分は入れない夜のワイルドさがあるのも知っていた。 そこが憧れの先なのだろう。

 ーーーーーー

さて、00年代が終る事について書いていたブログには、同世代の作家の台頭についても書いてあった。 自分にとって自然な言葉で喋る人達が、表現者として出てきている。 背伸びの対象でも、新しさを求める先にでもなく、自分自身の身の丈とあった、今日の言葉を聞くようになってきた。

次の10年は自分の10年になるだろう。 子供とか孫に「アンナは10年代に色々やってた人だからああなんだよ。 ださいねー/面白いねー」って2040年位に言われるんだろうと思う。
 
だから良い服をきて、良い音楽を聴いて、良い作品に触れて、正直な言葉を沢山喋ろうと思う。 楽しみだ。
 

Animal Collectiveのライブに行ってきた

 すっばらしかったっ!!!






いつかチャンスがあったら、是非ライブに行ってみて。

2009-12-10

EATING ANIMALS

 Jonathan Safran Foerの新刊が出たので購入。 タイトルはEATING ANIMALS。 ズバリ、肉食についてのリサーチ本。 勿論小説家の彼が書いているので、ストーリーテリングの技も十分に組み込まれていて、読んでいて非常に面白い。 読み終った時に自分にどういう変化がおこるのかが楽しみ まだ出だしの段階だけど、かなり面白く読んでいる。



 公式サイトも結構面白い。



 この作家は77年生まれなので、かなり同世代感が近い。 同じような事を同じように悩んでいて、似たような価値観を持っている。 この激しくしっくりくる感じに、同世代の作家の台頭の力強さを感じる。 これからもっともっと自分の世代の言葉が世の中で使われていくんだろうなと思うと感慨深い。 最近肉食(及び食事)について友達とよく話したり考えたりしていたので、一番のお気に入りの作家の新刊がまさにそれについてだった事に驚いたと同時に「やっぱりね」感が強い。 こういう偶然とか重なりあいがなかったら、日常における勇気の何割方かはなくなっちゃうだろうね。

 

GoodBye Penny

 年の瀬ってのは別れの季節ですね。 去年もそうだった。 今年も結構そう。

 多分私と連れ合いは来年には同居も解消して、結構淡々とした関係になると思う。 恋人と一緒に住んだのは生まれて始めてで、一年間最高に幸せだったし楽しかった。 沢山支えてもらったし、多分私も相手に対して何か温かい事が出来ただろうと思う。 こんなに毎日幸せに、親密に、温かく過ごせたのは、相手の愛情深さと無邪気さのおかげだ。 本当に極上の真珠みたいな男の子だと思う。 いつかは真珠のような男の子と恋に落ちたいものだと思っていたので、まさに願ったり叶ったりだ。 

 彼との友情は、なんか毎日自分が新品に生まれ変わり続けるような経験を与えてくれた。 毎日毎日、何かが綺麗に、整っていく感じがした。

 お互いこんなに日常と人生を誰かと重ねあわせたり、寄り添わしたりしたのは始めてで、二人で「人と人が一緒に人生を過ごす事や協力しあう事、愛し合う事の価値が分かった。」と言いあった。 こんなに素敵な事を知るきっかけになった人が、こんなに素敵な人であるってことは、多分私の人生におけるきわめて幸福な事の一つだと思う。

 でも、まあ、だからって別にずっと恋愛感情が続く訳でも、何か絶対的な感情に繋がる訳じゃない。 相手との関係から、春の萌黄や、夏への扉を感じ始めた事で、今度は違う所で、違う形で頑張ってみようと思えるようになってきた。 多分、前よりはしぶとくなったし、粘り強くなったし、そして良い結果を信じたり、素直に幸福を祈ったりできるようになったと思うから。 ってことで感謝の気持ちで山々だ。 秘密がいっぱい詰まったすごく素敵な、温かい時間を一緒に過ごした。 もうこの幸運からの余熱だけで、あたし多分何でも出来る。

 寂しいけど、悲しくないのは多分本当に私たちが楽しんだし、お互いに対する友情と愛情が深いからだと思う。 あんまり残念だとも思わない。



 ああ、今が初夏で本当に良かった。 生命の息吹を感じるよ。 初夏のニュージーランドの大自然はまさに絶景。 この土地はすごい。 

2009-12-07

Animal Collective

 明日Animal Collectiveのライブに行く。 今年最大級の遊び。 イーーーハーーー!! 待ちきれない!




 興奮押さえきれずグーグルで色々みていたら、なんと日本で一回ゆらゆら帝国と一緒にライブをしていた事を発見。 すっげー、日本すげぇ。 動物がゆらゆら。 最強じゃん。 急にゆらゆら帝国熱が上がり、私が日本に帰っている間にライブがないかを調べた。 あるっ! 12月30日にっ。 速攻で予約。 ああ、人生って素晴らしい…。 その頃に東京にいて、赤ちゃんとか、夫とか、焼き餅焼きの彼女とかがいない場合は、是非御一緒してどんちゃん騒ぎしましょう。 2009年の夜遊び納めだ! 

 それにしても明日はAnimal Collective. さー、私の事をみんなうらやましがって、「くはー、そこに私/僕もいれたら良いのにっ!」って思ってくれてかまわない! 

 イーハー!



 この曲とか、単純にbeautifulじゃない? 音楽っていい。

2009-12-03

小確幸

 連れ合いには年の離れた弟がいる。 今日は彼の高校の卒業式だった。 って事で一族郎党引き連れて弟の寄宿舎のあるクライストチャーチに行脚に行っている。 私は一人オークランドにて労働。

 弟と妹を溺愛している彼は、物の見事に卒業式で号泣したらしい。 「超マジでお前の事誇りに思うよ、ブラザー!」とかって言いながら弟の胸にひひーんって泣きついたそうだ。(弟の方がガタイも良いし、背も高い。) 大興奮で電話をしてきて、「もう、こんな幸せって無いんじゃないかって思うんだよね!!」と言っていた。 私には血のつながった妹も弟もいないのでそれが泣くほどの事なのかがわからん。 どうなのでしょう、世のお兄ちゃん、お姉ちゃん、末っ子の高校の卒業式は勿論号泣ですか? 私の連れ合いは本当にボロボロ泣いたそうです。

 血がつながったのはいないけれども、心の妹弟は沢山いるのが寄宿舎育ちのアドバンテージ。 ってことで、なんとなく友達ってよりももうちょっと温かく、もうちょっと守ってあげたい的な感情を持っている年下の子たちは数人いる。 でも実際の成熟度を考えると、一人なんてもう結婚したし、みんなして私よりずーーーーーーっと大人。 冷静になって考えてみたら、お世話になっていたのは私の方だ…。 ひひーん。 私も年相応な大人になりたいです。

 ただ、そんな幼稚な私でも、確かに彼らの事を思うと胸が温かくなるし、とても優しい気持ちになるよ。 愛おしい気持ちになる。 それは同い年の子でも年上の子でも寄宿舎が一緒だった子たちには(大抵)みんなにそう。 相手の幸せをただ祈れるっていう相手がいるのは良い事だ。 ブラザーフッド・シスターフッド万歳!! 

2009-12-02

タイヨンダイ・ブラクストン

 連れ合いがが8月から騒ぎ始めて未だに大興奮中のアルバムがある。 タイヨンダイ・ブラクストンのセントラルマーケットだ。 楽曲はここで聞けるので視聴してみて。

 たしかに素晴らしい。 彼のようにそこまで音楽に熱中するタイプじゃないので、「考えるだけで涙が出る」ってレベルでの感動はしてないけど、「考えるだけで、元気になる」程度にはやられてる。




 疲れていたのでベッドでごろごろしながら大音量でただずっとブラクストンの音楽を聞いていた。 この二つの軸が呼応しあう感じ、対立構造がある感じはストラビンスキーみたいだ。 絶対この人堂々とストラビンスキーラバーだと思う。 大抵こうやって二つのタイプの音とか質とかが音楽の中で駆け引きをする楽曲は好きじゃない。 でもそれが逆に面白くなるやりかたがあるみたいで、ブラクストンもストラビンスキーもそれが出来ている気がする。 音楽には全然詳しくないので何とも言えないんだけど、多分こういう駆け引き的な音楽を、「対話の駆け引きをやっているのだぞ」ってドラマティックに意識的に見せつけると、それはそれで許されるのだろう。 そんな事を思いながら、次にストラビンスキーの春の祭典をかけた。

 こっちは初夏で昨日の夜は蒸し暑かった。 二人で下着姿でベッドの上にごろっと身を投げ出して、一言も口をきかずにずっと春の祭典を聞いた。 たまに一つの楽曲は、どんな物語を読むよりも、どんな映画を見るよりも、濃厚で豊かな体験を与えてくれる。

 私の日常的な態度から、連れ合いは私が好きな音楽はきっとものすごいミニマルでドライな音楽が好きなんだろうと思っていたそうだ。(真夜中にJoy Divisionかけてるのに?!) 春の祭典に対して私が強い思いを持っているのが意外だと驚き続けていた。

 パティースミスが以前「どんなジャンルの音楽を聞く人にも愛される楽曲ってある。 例えばストラビンスキーの春の祭典、そしてルー•リードのWalk on the Wild Sideとか」って発言をしていた。 さすがパティー様、確信しか突かない。 本当にその通りだと思う。 「パティー様もそうおっしゃっていた」と言ったら、相手も納得していた。 春の祭典は私の生きている時代の始まりの音楽だと思う。 私たちはまだ春の祭典の演奏中にいる気がする。 だから好き。

 その後に、連れ合いのヴァイオリンの練習の為ドビュッシーとラヴェルを聞く。 彼のお気に入りの演奏録音にあわせてヴァイオリンをひく。 生演奏は体にしみる。 私は本も読まないで、ただベッドの上でねっ転がりながら音楽を聞いていた。

 自分の中も外も、部屋の空気も、色調も全部が治っていく感じがした。 どんどんと治癒された感じがした。 相手が練習を終えてベッドに飛び込んできた時には、私はこれまで体験した事が無い位にすっきりとして、気持ちがよくなっていた。

2009-12-01

greenz.jpサステナブルコミュニティ 【シアトル通信No.5】すごいシェフ達のとにかくすごいレストラン! “Great Food. Better Lives!”
http://greenz.jp/2009/11/30/seattle_report_05/;


食に関するプロジェクトをやってみたい。 この記事はすごいインスピレーショナルだった。 良いプロジェクトっていつでもインスピレーショナル。 そうであるかないかが「良いプロジェクト」とそうじゃないプロジェクトの差なのだと思う。

2009-11-30

仕事はラディカルに、生活は穏やかに

 「仕事はラディカルに、生活は穏やかに」と、尊敬している現代美術のキュレーターと作家が言っていた。 良い言葉だ。 いつも意識している。

 仕事は、まだそこまでラディカルに出来ていないと思うけど挑戦している。 もっとラディカルに、もっとシャープに、もっとはっきりとといつも思ってる。 沢山の喜びを込めたい。

 そして穏やかな生活。 パートナーと住みはじめてから全てがかわった。 とても静かで、とても穏やか。 「人はこうやって穏やかで安定した巣作りをして、新しい生命を迎え入れるのねぇ。」としみじみと客観的に腑に落ちる。(まあ、まだ迎えないけど。) 

 それにしてもまさかこんなに巣作り的でプリミティブな生活があるとは知らなかった。 睡眠欲、性欲、食欲という身体にまつわる三大欲求にて繋がっている。 なんかお互いの体の延長線上に相手の体がある感じなんだよね。 恋愛相手っていう絆なんかよりも、もっと「腹」とかっていうダイレクトな絆がそこにある。 結果驚くべき穏やかさ。 ただ結構頻繁に暇。

 昨日、すごい熱中していた仕事が一つ終わった。 私も、私の生活に振り回されていたパートナーもぐったり。 二人して今日はすごい悲観的な気分に浸った。 「なーんか、これからの人生にも世の中にも何も良い事がおこらない気がする…」って雰囲気になっていた。 これは結構いつものパターンで、エネルギーとか喜びとか沢山の感情をプロジェクトに注いじゃってるから、終わった次の日は虚無感と倦怠感に包まれるのよね。 そしてそれを自分も知っているから、無防備に落込んだりはしない。 仕事帰りにピラティスに行って、気持ち良いエクササイズを沢山して、家に帰って彼の作ったごちそうを食べて、二人でゴロゴロした。 荒狂い果てた馬車馬のような神経をなんとかして「ドウドウドウ!!」ってやるのね。 でもまだ体中にバチバチ何かが放電しているのを感じるけど。 今は小さな声で「ドウドウドウ!! ドウドウドウ!!」ってやっている。


Laura Owens
UNTITLED
2000
 
 話しはそれるんだけど、私とパートナーの生活を思うと、ローラ オーウェンスの作品を思い出す。 静かで調和が取れているようで、実は危険とかアンバランスさとかがいっぱい隠れている。 まぁ、今はそういう日々を楽しみたい。 
 
 それにしてもこういう感じに疲れた日は、とけたビターチョコレートみたいな睡眠がとれるんだよなぁ。 そして明朝にはなにかすごい素敵な予感に包まれるんだ。 そう、そのはず!



 

2009-11-25

ゆるい失敗…

 私は結構好き勝手な格好をして職場に行っている。 今日は、ピンクのTシャツ(目ん玉からレーザービームが飛び出ているスーパーガールのイラスト入り)に、黒いチュチュ、そしてピンクのアディダスのギャングスターシューズ、そしてマークジェイコブスのアホみたいにデコラティブな鼓笛隊の隊長みたいなジャケットを着て職場に行った。 テーマは頭をしたたかに打ったバレリーナ。 

 そして会社に着いた後に、今日は通産省のお役人の方々+我が社の社長、役員たちと会議だったと思い出した。 がちょん! 完全に一人でチンドン屋。 「ぬぬぬぬぬ、脱いで良いですかっ?!」と会議の途中で叫びだしたくなったよ…。

 皆様も、服装にはお気をつけ下さい…。 TPOは社会人の基本です…。

2009-11-22

宮台真司にしては良く言った

 宮台真司のなんにでも意見を持っている所が苦手だ。 

 どうして、一部のパブリックインテレクチュアルは、なんにでもコメントできないといけない、なんにでも一言持っていなくちゃいけないと思っているのか気になる。 そういう「ぼぼぼぼぼ、僕なんにでも答えられますっ」っての、とっとと超越しちゃえばいいのにね。 

 たいして知らないし、奥行きもって理解してない領域の出来事に一言いおうと思った時に、アナロジーのすり替えとかを通して、ただ文句を言っているような"批評"になるんだと思う。 どんな領域であれ、端から見たらいつでもどっか死に体で、だからこそその荒れ地の中で一つの活路を見つけられるのがプロフェッショナルなんだと思う。 だからのっぺりとした批評とか批判ってしても意味が無いと思うんだよね。 だって、それって死にかけてるもんを指差して、死にかけてるって言っているようなもんじゃん。 そりゃそうだ。 ほっときゃなんでも死ぬ。

 まあ、そんなこんなで建設的にパブリックインテレクチュアルでいる事って難しいんだろうなあと小学生のような感想を持ってしまう今日この頃。 頑張れ、パブリックインテレクチュアル!!

 話しはかわって、このラジオの宮台真司のコメントはすごくいいと思った。「就職に夢を求めるな!」ってテーマで彼が話しています。 仕事での自己実現とかを求めるよりも、プライベートしっかりさせて、労働者というよりも、市民としての喜びをきちんと持てというご意見。 本当にそうだよね。 人間って色んなアスペクトがあるじゃん。 労働者であり、消費者であり、生産者であり、市民であり、女であり、男であり、恋人であり、パートナーであり、友達でありってさ。 本当にキラキラな多面体だ。 仕事をしている自分だけが自分じゃない。 人生って考えた時に労働者でいる自分は、他の自分のアスペクトより重要だろうか? これは仕事を始めたからすごくよく考える。

2009-11-21

ベイビーラッシュ

 最近私の親友に赤ちゃんが産まれた。 ミュゼット・デェジタール・ミルキーちゃんというお名前。 妖精さんのようなお名前の女の子だ。 ものすごく柔らかそうで、ほっくりした赤ちゃんで、写真を見ただけで私はとろけた。 「でかしたぞ!」と親友を誉め讃えた。

 そして昨日、もう一人の親友からもおめでた速報が、お腹のスキャンの写真と一緒に届いた。 涙が出そう。 すごい嬉しくて、速攻で電話をして「人生で一番嬉しいニュースだった」って告げた。 大げさじゃなくてね、結構心底そう思ったんだよね。 

 カイ君、アイリスちゃん、ミュゼットちゃんと、親しい身内のような友達の間に新しい人達が加わってきている。 何年か前にはどこにもいなかった、本当に新しい生命。 キラキラのピカピカの子たちだ。 生き物が新しい生き物を産むって言う、こんなに当たり前で平凡な事が、実は、少なくとも私にとって最もなんだか半端無く素晴らしく感動的な事だ。 自分がアンナおばちゃんになれるのがとても嬉しい。

 そんなこんなで大興奮しながら親友と電話で話し込んだ。 彼女のパートナーの興奮している声も聞こえて、ハッピーな空気をお裾分けしてもらった。 

 (赤ちゃんの話しとは関係ないんだけど、彼女と彼は、今年の正月に私の実家に遊びにきてくれた。 そして彼は影で我が母に「イケメンっ。 やっぱ土地持ってる子は笑顔の輝き違う。 おおらかさを感じるわぁ。」ととんちんかんな誉められかたをされていた。 私は本当にイケメンってことばを使う人がこの世にいたこと、それが我が母だった事に軽い衝撃を受けた。)

 いやーそれにしても、こらから私達の毎日はどんどん楽しくなっていくね! でかしたーーー!! 大吉ーー!!

 隣の芝は青いので、その晩私もパートナーに「赤ちゃん欲しい!! 赤ちゃん欲しい!! 今すぐ産みたい! 今すぐ授かろう!」とじゃれついた。 「アンナちゃんは本当に無い物ねだりだ。 今例えば君のキャリア重視系の男友達に電話したら、十分後には"私、あんたと今すぐ別れて、キャリアを積む為の修行巡礼に出てくる。 さいなら。"ってなるんだ。」と笑われた。 前科山積みの私は「ごもっとも! ごもっともですダーリン」と大笑い。 いやー、影響されるよね。 あっはっはー。

2009-11-17

ローストチキン

 女の子なのでたまに仕事帰りとかに産婦人科に検査に寄る。 そういう日は、連れ合いがごちそうを作って家で待っていてくれる。 どんなニュースが食卓にきても、とりあえず美味しいご飯があるだけで素敵な時間になるので。 なんでなんだろう、頭では特に自分の体に問題は無いだろうって分かっていても、それでも病院って行くだけで肝が若干冷えるよね。 そんな時はごちそうが一番。

 今回はローストチキンだった。 ハチミツとマスタードとハーブがたっぷりのソースがかかっていてすっごい美味しかった! 一緒にローストした野菜もたっぷり。 全部私の好きな野菜。 いい子だぁ!! 

 デザートは、ナツメヤシのソースがかかったロールド•オーツ(燕麦)のケーキだった。 ヒマワリの種とかもいっぱい入ってて本当に美味しい、幸福な味。 いいめにあわせてもらえたので、恩返しとして、私は次の日のおやつ用にブルーベリーの蒸しケーキを作った。

 帰りが遅くなる時は、どっちかが一人で料理する事が多いけど、大概は二人で料理をしている。 一緒に料理したり、ケーキ焼いたりするのって、結構最強のエンターテイメントだなって思う。 作ってる間は良いコミュニケーションが取れるし、出来上がったご飯は美味しいし、一緒に食べたら楽しいし。 お料理って全体的にとてもいい。 リレーションシップにブーストがかかる。

 仕事から家に帰って、一緒にケーキとか焼ける相手がいてよかった!ってのが今のところ人と暮らす喜びの実感できている中で一番おおきいのかもしれない。