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2012-04-23

ししに載せた記事



友達とやっているサイト、ししのほうに載せた、こっちの散歩日記。 見てみて!

このブログを読んでいる私の日本のお友達からしてみたら、
見慣れない光景が私の散歩日記には写っていると思う。
崖とか、海とか、森とか。


私の日常、あなたの非日常。 
きっとあなたの日常、私の非日常。


それでも友達でいられるってのがすごいよね!

そうえいばさ、ししを一緒にやっている友達はすごく都会っ子。

彼が東京からNY行ったり、街角の本屋さんなんかでアーバンでクールに本なんかを探している間、私はこっちで山登ったり、空見たり、お花つんだり、貝殻探したり、海辺で子犬とかけずり回ったりしている訳だ。

それでもまだ話がお互い通じたり、共感したり、エンパシーを示したり出来ている。 これってすごい事だ。

たまに、ふと、「人間の差を乗り越える力ってすごいよな!」と感動してしまう。





そんな彼の渋くて都会な日記。

あはは! 私が崖見てる間、相手は摩天楼見てるよ。
こんなに違うんだもん、もしかしたら「私達って友達」って思ってるの、錯覚かもね!

2012-04-10

悩んでる

「あれ? あれ? 私ってもうすっごい年とっちゃった? スタート地点にすら立ってない気分なのに。 もう、そこにすら立てないの?」と暗ーい気持ちになる。 しょぼーんとなりますっ!

しかも私住んでるところ、世界地図のはじっこ密林の中だから、悩んでる時も大抵目の前は大絶景。 「うわー!すっごーい! 美! ああ、それにしても私の人生どうなるんだろう。 あ、いま波が光った、すっごーい! 美!」ってな感じに興奮と悩みが繰り返し、心に浮かぶ。










2011-07-19

ヨガヨガ

瞑想とか、リラックスとかが結構苦手だ。 たまにヨガのクラスとかでやるけど、その度に自分の嫌なところとか、人にした嫌な事とかが頭にフラッシュバックしてしまう。 それでクサクサしちゃうんだよね。 その瞬間は自己嫌悪の塊だから、自分に何か良いところなんて一つもないような気分になってしまう。 瞑想しているふりをしながら、実際の所はかなりの自分征伐だ。 そんなんじゃリラックスなんてできやしない!

多分、少しは私にも良いところがあると思う。 これまで全く評価出来ない人間なんて会った事ないし、良い友達多いし、だからきっと私にも良い所はあるはずだ。 多分自分がそれをカウントしていないだけで。 私が私を評価する基準は、とても浅はかで、かなり表面的だ。 で、自分の事を評価出来なくて落ち込む。 ついでに自分のした失敗とか、酷い事を思い出して、余計にクサクサする。

そのスパイラルから抜け出したいと思い始めた。 だって、リラックスしたいし、瞑想の間ぐらい、「おいおい、私、とんだビッチじゃないか」って考えから抜け出したいじゃないか。

自分自身に対してある程度公平で、そして誠実な評価軸を持ちたいなと思った。 自己嫌悪とか、自分征伐とかだけじゃなくて、誉めれるところは誉めたいし、評価出来るところは評価したい。 信仰を持たない分、多分私はいろんな所から自分自身に求める質を探していかなくてはいけないんだ。 で、副産物としてリラックスの方法を体得したい。 

そんな事をヨガのクラスの帰り道に思った。

2011-07-18

ドレス







大層ロマンティックな男性と一時期同居していた事がある。 当時ガールフレンドのいなかった彼は、「ビンテージとかのさ、すごく素敵なドレスがあったら買いたいんだよね。 それで壁にかけておくんだ。 で、いつか付き合う子にあげるの。」と言っていた。 私は彼程ロマンティックじゃないので、「確かに素敵かもね。 それにしてもよくそんな事思いつくね。」と適当な返事をしていた。


しかしながら、世の中には、とても素敵で、でも自分では着れないような服がある。 そんな時は彼のロマンティシズムを思い出す。


例えば、上のようなドレス。 私が男の子だったら、「いつか付き合うガールフレンドの為に」って買えちゃうけど、女の子の私の場合はどうしたらいいのでしょうか。 自分も着れなくて、そして他の誰の為にでもないドレスを持ってるってどうなのかしらね。 なんか怖いよね。 ってことは生まれ変わる以外に手はないって事なのか? 来世で会おう!みたいな感じ…? むむむん…。

睡眠

結局のところ、私が最終的に好きなのは眠る事なのではないかと思う。 快適な睡眠の為に人生を捧げているような気がする。

2011-07-16

素敵な食器



tumblerで見つけた写真。 食器が全部とても好みで、思わず保存してしまった。 この裸の男の人が愛おしすぎる。

映画祭

木曜日から毎年恒例の映画祭が始まった。 私は金曜日から参加。 私の一本目は、日本映画の「十三人の刺客」だった。 本当はイラン映画のA Separationかアメリカ映画のPage One- New York Timesが見たかったんだけど、夕食後のちょうどいい時間に公開される映画だったため、チケットが取れず…。 ってことで9時30分から公開の上、見る人を選ぶのでチケットがまだ買えた「十三人の刺客」を見てきた。







映画祭二日目金曜日(多くの人にとっての映画祭初日)だったし、三池監督の作品だっただけあり、開場の際にはかなり満員になっていた。 

移民国家にとっての映画祭は"上野駅"でもある。 "ふるさとの訛りなつかし停車場の人込みの中に そを聞きに行く"ってノリで、かなりの量のその映画が作られた国出身の人達が見に来る。 今回も日本の方々が沢山来ていた。 私も一、二本はいつも日本映画を見る。 私の席の後ろに座った人達は関西弁を話す30〜40代の三人組で、かなり面白かった。 映画本編が始まって数分経つまでひたすら大声の関西弁で話していた。 「東映だ!」とか、「なんとかだ!」って目の前に写る情報をひたすら読み上げいてた。 さすが…。 関西の人達のなんでも音読し続ける能力にはいつも感心させられます。 

最近は以前より簡単に祖国の音声や映像に触れられるので、以前程の切実さはないけれども、それでも映画祭の大きな役割の一つは、数時間だけでも移民達を祖国にワープさせる為にあるんとだと思う。 たとえそれが暴力満載チャンバラ映画でも、日本語で、日本が写ってるならオールオーケー!

「十三人の刺客」は「ヒロシマナガサキから100年前」というテロップから始まり、はじめのシーンは腹切りというサービス感がたまらなく、そして復讐と反逆と正義を貫く上に分かりやすいキチガイがいっぱいいる、とても観客にフレンドリーな良い映画だった。

映画の中に出てくる美しい日本の自然に、「この映画撮ったときは放射能だだもれじゃなかったんだよなぁ…」とか、「ヒロシマナガサキから100年前」というテロップに、「今撮ったら、フクシマからに変わるんだろうか…」などと、悶々とした気持ちにさせられながら映画を見た。 勿論ストーリーラインは普遍的な「上が徹底的に馬鹿で無能。 下がなきゃ上は存在しないんだから、下から上を変える。」という、見る側に「あぁ、あのときもこうしてりゃぁ、今みたいな事にはならなかったのに、くそぉーー!」とさせるもの。 わざわざはじめに、ヒロシマナガサキと出しているぐらいだから、これが先の戦争の鬱憤ばらし、義憤の表現であることは分かる。 そして人類の作り出すミステイクの根本的なバリエーションなんてそんなにないから、勿論今回の震災後の状況にもかなり重なる。 見ながら気持ちがぐらぐらと煮詰まる。 こういったシンプルなストーリーラインはエンゲージしやすいので面白い。 映画が終わった時点で大拍手が会場からおこった。 私も映画を見ながらかなりの絶頂感を味わった。

映画祭一本目の滑り出しは上々。 今晩も一本は見たいぞ。 ワクワク!

2011-07-12

2年半遅れ

私はあんまり音楽の偉大さに対して感度の良いアンテナを持っていないようだ。

大抵その年に素晴らしいと言われたアルバムは、その場ではよさがそこまで分からず、二年ぐらいたってから「こいつはすごい!なんて美しいのだ!」となる。 最近ではその事が十分分かっているから、新しいアルバムを聞く度に「二年半ぐらいたったら、しびれるんだろうなぁ」と暢気に思うようになってきた。

この鈍さの原因の一つは、単純に小さいときに音楽にそんなに触れていなかったからだと思う。(これに関しては親を責める!)

そしてそれと同時にどうやら私が何かを喜ぶ為には若干のノスタルジアが必要なのかもしれないと思い始めてきた。 元々、「ああ懐かしい!あの夏は美しかった。」とか「ああ、あのときのあの感じは非常によかった」と過去を懐かしむ癖がある。 多分、ある新しい空気感を美しかったと思い始めて、その質感が自分の美しさのライブラリーに入るまでに結構時間がかかるのだ。

そういう意味で私は現代美術が好きだ。 現代美術と言いつつも、大抵の現代美術は明日の事は話さない。 昨日の事を話す。 表現が新しかったり、アプローチが新しくても、題材は若干前の話しだ。 その時間の流れは私にはとてもあっている。 勿論、明日の話しをするんだっていう作品があっても良いと思うし、きっとあるとは思うんだけど、基本的に現代美術は美術は過去の話しをしているように思える。 だから今年の作品であっても、「おおー!わかる、この感じはわかる!」と自分の中にある感受性のライブラリーにかなりの頻度で引っかかる。

それにひきかえ、音楽ってのは、やけに明日の話しをしている。 明日のパーティーでかける為の音楽ばっかりが生み出される。 この奇妙なほどの前向きさは音楽独特のものだよなと私は思う。 一体全体それはどうやって作られているのか私にはわからないけれども、感心させられずにはいられない。 この前向きさは「流行に乗っている」って次元にすら収まっていない。 一部の人類は本当にすごい。

ってことで、そろそろ私は二年半前に出たAnimal CollectiveのMerriweather Post Pavilionなんて聞いたら、涙ちょちょぎれなんじゃないかと思い、今日久しぶりに聞いてみた。 案の定発売当初は「いいね!」って感じだったのに、今聞いたら、「なんて美しいのだ!」に変わっていた。 しみいる、しみいる。 ビデオも最強。





そんな事を友達に話したら、「いや、音楽も結構はじめからノスタルジックだよ。単純にアンナがそのクルーの中にいないから、ノスタルジーを感じないだけで」としれっと言われた。 あはは、そうなのかもね。 だとしたら非常に残念。 でもなんだかそれも本当な気がする。 まあ、しょうがないか!

2011-07-06

Cy Twombly

最も愛する芸術家の一人、Cy Twomblyが亡くなった。 なんて偉大な作家だったんだろう。 彼の作品の事を思うと、胸が熱くなる。 私は彼の作品を通じて世界を見たし、世界を感じた。 触られているような、暖められているような、慰めされているような、そして慈しまれているような気持ちにいつもさせられた。 私は、とても多くの世界の襞を彼の作品から感じた。

彼は私の年上の友人にとっての「私の作家」だったから、おおっぴらに、Cy Twomblyが私の作家だとは言い出しにくかった。 だから公的には同じぐらい大好きなRobert Rauschenbergが「私の作家」という事になっていた。 

(だからといって、彼の作品を愛していない訳じゃない。愛ってのは一度その中に落ちると、永遠にその中に残る事になる。 そして私は落ちたから。 ただ、公然たる「私の作家」じゃなかっただけで。)

ああ、本当に悲しいね! 好きな作家の命がこの世の中から無くなってしまうっていうのは本当に悲しい。 会社からの帰り道、ふと「今、地球上のどこかでは彼も生きているんだよな」と思う事が出来なくなるから。

バルトの美術論の中にあるCy Twomblyに関する文章は本当に最高で、絶対にだれでも一度は読んだ方が良いと思う文章。

私は、初めて読んだときに、いてもたってもいられなくなって、恋に落ちていた相手のオフィスに行って、「たった今すごい文章を読んだ! 心臓を下から、大きな掌で、ぐっと支えられて、持ち上げられたような気分!!」と宣言をした。 それ以降、彼のパソコンの横に、ゼロックスでコピーされた、冗談でも上質とは言いがたいCy Twomblyの作品が飾られる事になって、私はそれが嬉しかった。(実際、今思い返しても、なかなかに温かい気持ちにさせられる)

日常で、理性的に考えようとするたびに、合理的にいようとするたびに、社会に”適応”しようとするたびに、私の中にあるそういう思い出は迫害される。 あまりにも稚拙で、不器用だから。 それこそ、「左手で書いた文字」のような経験だから。 不器用で形なんてあってないような経験だから、落としどころがなくて、出来る事ならなかった事にしたいと思ってしまう。 でも、同時にプレシャスだから、絶対に手放したくないとも思っている。

右手で築き上げていく日々の生活の中で、どうしてもうまく消化出来ないコンフリクトに溢れた思いを、ただ納める為の空間が、彼の作品の中にはあって、私は疲れる度に彼の作品を見る。

触り合うためには、若干神経過ぎる事。 でも一緒にいるだけで相手の温度を体のしんから感じる事。 カジュアルでいる事を重要視する事。 基本的には保守的な事。 でもおおらかな事。 できるだけ、できるだけ自分自身を開こうとしている事。 瞬間瞬間に変化する事。 内側からの光が見える事。 温かい事。 色気がある事。 生々しい事。 嬉しい事。 彼の作品は、「こういう人にキスをしたいね」っていうクオリティーで溢れていて、私は他者を求める気持ちでいっぱいになってしまう。 以前、彼の作品にキスしちゃって逮捕された人いたけど、人ごとじゃないよ、まったく。

今日は寝室に飾ってあるCy Twomblyの作品の額縁を、ピカピカに磨こうと思う。 勿論これも作品をコピーしただけのものだけど、SFMOMAが「200年保ちます」と保証しているコピー。 ゼロックスのコピーとは違う。

ああ、世界にCy Twomblyの作品があってよかった。 あなたがいてくれて、本当によかった。

2011-07-03

電力の事、生活の事

私はニュージーランドに住んでいる。 ニュージーランドは南太平洋非核地帯条約に加盟しているので、原子力発電は一切していない。 

南太平洋非核地帯条約は、日本ではマイナーかもしれない(存在を知っている人の方が少ないのではないかと思う)けど、オセアニア諸国にとっては国家のアイデンティティーの一部になっている強い条約だ。 

この条約では以下の事を禁止している。
地図を見てみると分かるけど、地球上の広い地域で核はいかなる使用も禁止されているのが分かる。 一回ちらっと、Wikipediaのページを見てみて。

現在、ニュージーランドでは70%を水力発電、残りの30%は風力、火力、地熱で電力をまかなっている。 日本の国土の三分の二のサイズの国で、人口が四万人しかいないから出来ている事だと思うので、日本も同じようにするべきだとは言えないけど、とりあえず、この国では条件が揃っているのでそうしている。

生活実感として、この国に暮らしていると感じる事は、まず"電気代が高いし、電気も足りない"という事。 電気代に関しては日本の電気代と比べた事がないので、実際に本当に高いのかは分からないのだけれども、余りにもここの国民が「電気代が高いから電気は極力使わない」と口々に言うので私も「高い」と思い込んでいる。 ニュージーランドに引っ越した人は3日目には「電気代が高いから節電せねば」と洗脳されるのではないかと思う。 それぐらい、皆マントラのように「電気代が高いから電気は極力使わない」と言う。 ニュージーランド人自体、自分の電気代をよその国と比べた事はないと思う。 それでも本当に皆口をそろえて、「電気代が高い」と言う。 また「電気が足りないの」とも口々に言う。 停電しているところは一回も見た事がないが、それでも「足りない」らしい。 

足りない上に高いから、とりあえずこの国の節電熱は高い。 みんな、日々情熱的に節電している。 電気があまりないことや、電気代が高い事に文句を言っている人には会った事がないから、皆満足はしつつも節電している様子。 原発がない、核そのものの恐怖とその周りにうごめく複雑な政治、利権などと関わらなくて良いという歓びの方が、電気代が高くて、電気が常に足りない気がする感じよりかはでかい様子。

さて、電力ってのは本当に生活スタイルにでかい影響を与える。 日本に帰ると、湯水のように溢れかえった電力のおかげで、「贅沢」としか言いようがないデカダンスな生活が出来る。(少なくとも、最近までは出来た) NZに住み始めた当初はその事を「やっぱ日本は進んでいる。」と思っていた。  途中から「日本は狂ってる」という思いに変わった。 季節に合わせた格好をしながらも、季節を通じて常に変わらないような気温に管理された建物の中にいる姿は異様だった。 頭と体、心と感覚が通じ合っていないように見えた。 せめて、建物の中で一年中同じような服装していたら「この人達は環境に対する意識が低いのだ」と思えたと思う。 でもそれすらなかったから、「この人達は意識がないのだ」と思えてしまった。

やっぱり感覚的におかしいと思う事って、良い結果にならない場合が多いんだなと妙に納得した。

2011-07-02

しし



友達と新しいサイトを始めました。 サイトの名前は"しし"といいます。

週に一、二本、小説、詩、写真、イラスト、論文、エッセイ、古典作品、レビューなどの記事をアップしていこうと思っております。 是非、一度見てみてください。 


shi-shi.org


まだまだ記事数は少ないのですが、積み重なっていくうちに、きっと皆さんの好きな記事が一本ぐらいは出せるのではないかと思います…。 というか願っています。 

幸運な事に紹介したい人や作品は山ほどあります。 多分、皆さんが見た事は無かったけど見てみたかった物を見つけて、記事にしていけると思います。 心や胸にあるなにかが、きれいな水の中で漉かれていくような、そんな経験が出来る作品を集めようと思っています。

出来るだけいろんな所にいて、そんなにメジャーじゃないんだけど面白いことをやっている上質で小粒な作家達を見つけたいなと個人的には思っています。 色んな言語が集まれば良いなと思います。色んな様式も集めたいです。 東京だけじゃなくて、英語圏だけじゃなくて…ってさ。 色んな言葉や様式を集める事が出来たら良いなと思います。

ししは、元々雑誌を作ろうという思いつきで始まりました。 何ならサイトも作ろうって流れでサイトになったサイトです。 近い将来面白い形で紙版も電子版も出したいと思っています。

こんなご時世なので、結構簡単に傷ついたり、しょげてしまったりします。 立ち上げメンバーがNZと日本在住なので、往々にメールの書き出しが「余震大丈夫でしたか?」になっていました。

でもだからって、ワクワク出来て、ドキドキ出来て、そしてやっぱり上にも書いたけど、胸が漉かれるような何かを止めるわけにはいかないですよね。 私自身がこの数ヶ月、毎日、ふとしたところで見る優れた作家の作品達に心を漉かれ続けてきました。 世界を整えてくれている人達が、この世に沢山沢山いる事を実感し続けました。 誰かの心の原風景や、幻想、毎日の呼吸や営み、そこから発される作品が、心の横にいてくれた事を実感した時期でした。

自分自身も、今日も明日も、そういういったものを集めていきたいと思っています。 是非、ちょくちょくのぞきに見てきてください。

そしてよかったら作品提供してください! ししに載せたい物がある人、じゃんじゃん連絡ください!

love
アンナ

2011-06-10

郷愁

 引っ越しをよくしていたので、私の持っている情緒のなかで一番強いものは、郷愁なのだと思う。 気がつくと、いつも思い出の中のどこかの場所に心を馳せている。 自分が今まで住んできた色んな建物の窓から見えた景色のことを思い出す。 風の流れ方、空気の感じ、夜の訪れ方、光の質感を思い返す。

そして同時に私が持っている一番強い現実的な感覚は、私とは場所との組み合わせで出来ているのだという実感でもある。 頻繁に引っ越し、色んな学校に行き、複数の国で住み、いろんな人に出会いながら、私は私自身の内側におこる変化も、そしてはたからどう見られてどう対応されるかも、「かなりその場次第だ」という事を学んだ。 私が私をどう思うか、私がまわりにどう思われるかは、環境によってころっと変わる。 環境が変わる事により、嫌な目にあう事もあるし、急に自分の持つ力が制限させられる事もある。 自分が所有していると思っていた物が、実は環境に属していた物だったと気づかさせられる事は多々ある。 大抵引っ越した後に気づき、もうきっと同じような質感は二度と手に入らないのだと切なくなる。 でもこの強い実感は、自分の中にある一番温かく、大切で、豊かなもので、とても愛おしい。

もし誰かに「一日だけ誰かに自分の持っている情緒と実感を貸せるとしたらどれを貸す?」と聞かれたら、これらを差し出すと思う。 

でも多分、それは簡単には出来ないから、カズオイシグロをすすめたり(この人も郷愁の人だ)、ゴードンマッタクラークの作品集を人に貸したりする。 私が郷愁や、それに伴う実感から受ける影響は、マッタクラークの作品のように、いびつで、強引で、そして風通しがよく、寂しくもあるけれども温かく美しい。





2011-05-19

HATSUKOI





どこか懐かしい。 90年代後半のさわやかさや自由な感じを思い出す。
同じ時期に思春期を過ごした者同士の持つ価値観の共有。

2011-05-07

お金がない

浪費しすぎた。 本当にお金がない。 今週、どう乗越えたら良いのだろうか。 芋の皮でもかじるか。 ジャパセンで柿の種買い占めして、見事にお金がつきてしまった。 むむむん。 クリエイティブに過ごさないと、かなり厳しい気がする。 こんなに手持ちのお金がないの仕事始めて以来始めてだ。 困った〜。

友達の友達はウヒョッ

友達と自分は大抵似ている。 だから自分の周りは自分に似た人ばかりになる。 そしてなんとなく「世の中ってこんな感じ」って勘違いしながら暮らす事になる。 

そんな錯覚にあふれた真空状態から、ポンと抜け出す瞬間ってのがある。 そういう時は「ウヒョッ!」ってなる。 ウヒョ・モーメント。 心の中で、ひょっとこみたいな顔面表情をしてしまう瞬間だ。



ウヒョッ!



例えば、選挙。 なかなかの、ウヒョ・モーメント。 私の周りでその政治家を支持している人なんて一人も会った事がないって人が、ダントツで当選したりする。 世の中には私と利害関係が全く一致しない人たちがわんさかといるのだと知らされる瞬間。

あと本。 「こんなんどこの誰が興味があんだよ」と思うものが案外売れている。 誰かは買っているのだ。 量的には私の興味がある分野の本より興味がない分野の本の方が圧倒的に多い。 なぜなんだ? 私の世界では、工学とデザインと建築と美術の本以外、本屋にある必要なんて特にないのに。 ここでもうっすら、「ウヒョッ! もしかしたら私は真空状態の中にいて、世間の幅広さを知らんのかもしれん。」と思う。 もしくは、社会の片隅に大きな穴があいていて、そこに私の興味のない本をじゃんじゃん投げ込まないと、社会そのものが穴に引きずり込まれてしまうっていう困った状況があるのかもしれない。 でもそんな穴は、多分、ない。

そして圧倒的にウヒョッ・モーメントなのは、「友達の友達」に出会うときだ。 特に友達の古い友達(幼少期からの友達など)に紹介されると、ウヒョってなる。 距離が近いから油断している分、差に驚く。 完全にウヒョ肝を抜かれる。 まさに、一寸先は闇。 友達の友達はウヒョ。



ウヒョヒョヒョヒョッ

 こんな世界があったのかの連続だ。 「友達の友達」って距離感で自分が「世界」とか「世の中」と思っていた幻想が音を立てて倒れる。 心の中ではひょっとこが踊り狂う。

 仲がいい男友達に紹介された女の子がギャルだったとき。 友達の友達が妙にアラサーだったとき。 友達の友達が同い年とは思えない程に立派な人だった時、心の中はウヒョで溢れる。 ああ、世界ってのは広い。 思わず、「私、こんなんで大丈夫?」となる。 そしてその刺激にいつのまにか中毒。 もっと、もっと驚かせてとなっていく。 心のひょっとこは多い方が良いね。 選挙結果とかだとシャレにならないけど、友達の友達が若干異界の人だってのは、大抵素敵だ。

 踊らせておくれ、おいらの心のひょっとこ。

2011-05-04

ちょっとだけ

別にたった今にでも、とか、誘拐してでもとか、夢にまで見るとかってのではないのですが、
ほんのりと最近子供が欲しいなぁと思うようになってきた。

数年前よりかは、結構「期は熟して来ているぜよ」って実感もある。 こういう感情を持つようになったりするもんなんだね。

って言っても、向こう数年はちょっとまだ具体的には考えられないけどさ。 

周りの男の子たちも、立派になってきた気がする。 なんかみんな年々素敵。 時々、この子と結婚して子供が産まれたらどんな感じなんだろうと思う。 結構いろんな人に対して思う。 大概「結構なかなかに素敵なんじゃないだろうか」と思わさせられる。 ここは私が一気に素晴らしい感じの女性に生まれ変わって、同じような感情を誰かに持っていただく必要があるだろう。

まあ、現実問題私が夢にまで見るほどに欲しいものは、柿の種なんだけどさ。
(夢で特大サイズの柿の種を買った。超嬉しかった。食べる直前に目が覚めた。)

大学の同級生の男友達とサルサの授業を受けている。 過換気症候群になってから「お前もうちょっと運動するべきだ」という運びになり、サルサのクラスをプレゼントしてもらった。 これがとっても楽しい。 

"ブラジャー燃やせ"ってタイプのフェミニストの人からしたら吐き気がするだろうし、ゲイの友達にも申し訳ないが、「男性と女性の社交」って感じがとても楽しいのだ。 見つめ合ったり、微笑み合ったり、甘え合ったり、ふざけ合ったりしながら二人で踊るってのは本当に良い。 「良いじゃんこういうの!」ってなる。

それでなんか子供がほしくなった。

こういう感じで毎日が過ぎていって、温かさとか、キラキラした感じとか、生命力が蓄積されていくと良いなと思う。

よしもとばなながエッセイで、小沢健二の音楽を阪神大震災や地下鉄サリン事件がおこった後での日本の音楽だと言っていたのを思い出す。 よしもとさん、あなたの小説も結構そうだと思います。 世代的なものなのか、それとも好みの問題なのか。 ある日、いつも、ふとした瞬間に彼らが歌っているような景色が胸に広がる。 温かさや、生命についての景色で胸がいっぱいになる。

しかしとりあえず今は柿の種が欲しい。 ぐわしって掴んで、ぼりぼりと食べたい!

未来の事

職場で未来の事を考える会があった。 とても面白かった。

NZは地球上の辺境の地にある。 あまりにも周りと遮断されているので動植物は独特の変化を遂げている。 その歴史的事実を真摯に受け取ると、「周りを注意深く観察していないと、自分たちだけ変な方向に進んでしまう/もしくは全くどこにも進まない」という危機感が強くなるのは必至。

ってことで、たまに行政がNZ内のCEOたちをつれて先進国のウルトラ最新技術を開発している企業やゲームセッターになるような企業に視察旅行に行く。 今回の「未来を考える会」では、うちのCEOがその視察でみてきた話をいろいろ紹介された。

まず、医療と教育についての未来予想を聞いた後に、だんだんと自分たちの今いる産業の変化についての話をした。

医療と教育を例題として出した理由は、その領域に起こるだろう変化がほかのどれよりも強烈で、そして人生の根幹に関わる変化だからだ。

出てきた話は極端な話なので、SF程度に聞いていたのだけど、とても興味深かった。 医療の進化に伴い、これから20年後ぐらいに生まれる人たちは推定として、150歳ぐらいまでは生きるようになるそう。 そして彼らの人生の中のある時期からもしかしたら、死そのものが、非常に稀なものになるかもしれないという話だった。 すごいね。

いろんな医療器具のプレゼンを受ける。 いろんな技術が戦場で使うために開発されたもので、先端技術のためには戦争って最高の実りの場なのね。 

もしかしたら私は人類史上、最後に寿命があった世代に属するのかもしれない。 自分が死ぬ頃には、自分の親の事とかを思い、「なんて遠い過去に彼らの人生はあったのだろう。そして私自身の命も、その遠い、遠い過去に投げ捨てられるのだ」なんて切なく思うかもね。 死なない若造たちに囲まれながら、死の床にて親を思うとな。

教育についての変化も面白かった。 Kahn Academyという組織が例として出て来た。Kahn Academyは誰にでも、世界水準に教育を提供する事を指名としている非営利団体だ。 すごく若い兄ちゃん(カーンさん)が始めて、あっという間に世界中に広がった。 

是非下のビデオを見てみて。



これは面白い! それにすごくいい! もしかしたら私の子供は、どこかランダムな場所に住んでいても、カルカッタの子供に数学を教えてもらったり、カタールの子供に歴史を教えたりってするのかもしれない。 どれだけ楽しいんだ。

そして出版や印刷技術、物流などの話しになっていった。 「例えば10年後、自分たちのビジネスが同じような形で残っているか、成長しているか」という話しになった時点で、強烈に「変化を受け入れて、変化を楽しまないと、多分お先真っ暗」って気持ちになった。 同時に強烈にワクワク。 楽しいことがきっと沢山待っている!

私のじいちゃんは、明治生まれだ。 私にとっての太平洋戦争的近過去は、じいちゃんにとっては江戸時代だった。 そして青春を数々の戦争、社会人として油がのってきた頃に第二次世界大戦終戦、その後は高度成長期、死ぬ頃には日本は経済大国になりバブルまっただ中だった。 それぐらいのイベントと変化が人の一生の間にはおこりうると考えてみると、とりあえず、自分の子供が私とは全く違う環境で育ち、社会人になるだろうって事は軽く想像できる。

会社の人達と、私にとっては私の子供世代が成人するぐらいの年代(2030年ぐらい)に、自分自身が社会の中で仕事の出来る人として残れているかっていう話しをした。 むむむん。 分からん。 でも残ってなくちゃ話しにならないから、残るしかないだろう。

2030年ぐらいのときって、自分は一体どこの誰と仕事をしているだろうか。 出来るだけエキサイティングで面白い若い子と仕事ができているといいよなと思います。 今の世界地図上でだと想像もつかないような所出身の子だと良いなぁ。 「うわ〜! 君が産まれたときぐらいの、君の出身国のニュース見たよ! あそこで育ったのかぁ」って感慨に浸りたいね。