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2011-08-14

25年後のチェルノブイリ

BS世界のドキュメンタリーで放送された、「永遠のチェルノブイリ」を見た。
これはチェルノブイリ原発事故から25年後の現在を記録したドキュメンタリー。 見ていて心底がっくりきた。

日本の将来と重なる面も多いと思う。 はぁ…。 これから一体いくらお金がかかるのか。どれだけの人力がいるのか。 途方もない。 がっくり来るけど、私は私の友達皆に見てもらいたい。 見て、考えてくれ自分の身の振り方を! 私は私の日本の友達皆に、一回「自分自身の為だけに」人生を考えてもらいたい。 



ウクライナのチェルノブイリ事故以前の平均寿命は70歳代だが、年々縮み続け、近いうちに55歳位になってしまうだろうとドキュメンタリーの中では語られていた。 また現在健康に全く問題がない児童は5%~10%だとも。 そして事故以来ウクライナの人口は700万人減少した。(ニュージーランドの総人口の1.75倍が25年間でウクライナから消えた事になる)

国家予算はブラックボックスのような原発対処に吸い取られていく。 チェルノブイリでこれから建てようとしている100年保つ石棺の建設費が10億ユーロ(数千億円)。  維持費が15年毎に10億ユーロ。 人類史上最大の建築物になるそうだ。 日本の場合は一体何個の石棺的建築物が必要になるのか。 そんなお金どこから出てくるんだよ。 これからの日本の国家予算の内、どれだけの額がこの事故の対処に当てられて行くのだろうか。 一体何年続くのか。 考えるとぞっとする。

チェルノブイリは80万人導入して事故後一ヶ月で石棺を建て始めた。(これは下に貼った「見えない敵」の方に出てくる) 放射能の人体に及ぼす影響が分かっている上に徴兵制もない現在の日本で、そんなに人材は集まるのだろうか。


25年後、私は52歳になっている。 「ウクライナがこうなったから、日本もこうなる」とは言えないけれども、もしかしたら2036年の日本では、日本は老人と病気の子供ばっかりの国になっているかもしれない。 そして大量の国家予算が東電のフクシマ原発の対応につぎ込まれていくかもしれない。 そう思うと、今私たちが知っている社会保障制度は機能していないのではないだろうか。 東京はその時もまだ首都なのだろうか。 東京の地価は今のような値段を保っているのだろうか。 私達の財産の価値は世界標準と比べてどれ位の資産になるのだろうか。 私たちの子供が社会人になる頃、日本はまだ先進国の標準的生活をおくれているのだろうか。

震災の後、ガラガラの丸の内を歩きながら、「これだけのビルを、これだけのインフラを維持するだけでも一体いくらかかるんだろう」と考えたとき本当にクラクラした。 でも現に私の会社が行くはずだった東京で行われる国際会議や展示会は既にキャンセルされシンガポールなどに移っている。 会社の人達は「今東京に行きたい人はボランティアやら人道活動がしたい人達だけだ」と言っていて、そりゃそうだと思わずにはいられなかった。 海外から見てみるとフクシマと東京は近すぎる。 東京の繁栄は続くのだろうか。 私はとても悲観的に考えている。 自分たちが50歳を越えたときに「東京に残っていてよかった」と思うのか「若いうちに引っ越しておいてよかった」と思うのか、今真剣に推理しなくてはいけないんじゃないか?

今私たちの取るどの行為が、未来への正の遺産になるのか、負の遺産になるのか真剣に考えなくてはいけないと思う。 社会全体という大きな単位へ、そして何よりも自分の家族や子孫という小さな単位へ向けて。

「私の親は勇敢だった。 正しい行動を取った。」と思われる為には何をする必要があるのだろうかと最近よく考える。  私の親族の事を想う。 私の肉親にはメインストリームな行動を取らなかった人達が多い。 戦前戦後にかけて海外に移住した人達も多いし、第二次世界大戦にも出征を拒否した人達もいる。 日本史にあまり出てこない人達だ。 同時に原発開発に携わった人達も、チェルノブイリで医療行為を行っていた人も、戦争が終わった事が信じられなくて出兵先から何十年も帰ってこなかった人達もいる。 みんな自分の信じている事を信じてとった行動だ。 「皆が同じ行動を取らなくても良い」という意味では、私の身内は私にとってはとてもいいロールモデルになっている。 私は今政府が言う事よりも、自分の身内の経験から学びたいし、選択を決めたい。

こんな大変な事故があったさいに、「国が」とか「政府が」って言うのって、ウルトラナンセンスだと思うんだよ。 そりゃそうだ、補償の為に国は必要だ。 助け合う為に共同体は必要だ。 でも事の規模によっては、そんな「国」とか「政府」が対応出来ない事があるのは目に見えているじゃないか。 国が「私」より大きな何かを守るや目の前の問題の対処の為に、「私」を見捨てる事なんて沢山あると思うよ。 そんなときにまだ「国が」とか「政府が」とかって言うのって、自己破産寸前の家族会議の最中に「お父さんが悪い」ってぴーぴー言っているようなもんで、それは自分の為にはならない。 黙って「私が生き残る為にはどうするべきか」ってのを考える方がずっと良いと思う。 ってか国や政府も、それを大局的には望んでいるだろう。 「行間読んで、自分で考えてくれ」って感じなんじゃないだろうか…。

もしかしたら私が過剰反応しているのかもしれない。 でも震災直後に私たちが賞賛した「津波てんでんこ」的災害対策の事を思うと、過剰反応は必要なのではないかと思う。

「もしこれが二回目の事故だったら」と反省を含めた視点で見る事も重要だろう。「もしこれが二回目の出来事だったら、私は前回の事故の反省をどう活かすか」と考えると、今自分が取っている行動の意味が見えてくる。 地震対策の時のような緻密で、世界から賞賛されたような知恵と叡智に溢れた対応をこの災害に対して取っているかと考えるとどうもそうとは思えない。 チェルノブイリから何か反省したかとか、何を学んだかとか、それを自分の人生の為にどう活かすかとか、考えないとあまりにも自分の生命に対して無責任だ。

2011-08-13

額縁

 台所の額縁に入っていた浮世絵を外して、Battlesのレコードのジャケットに変えた。 調子に乗って新作が出た際に、シングル盤とアルバムを買盤ったんだけど、買ったままほったらかしていたんだ。

アイスクリームなだけあり、台所と相性がいい。



それにしても額縁って本当に便利だ。 最も便利な家具の一つだ。 額縁あるだけで部屋が変わるし、額縁の中身でもがらっとかわる。 大好き。

フラットな世界

最近…、私の住んでいた地域の世相がやけに悪い。 日本、ニュージーランドの大震災。 引き続いてイギリスの暴動。 どうした…、地球…及び、人間社会。

今回のロンドンの暴動を見ていて、私がイギリスに住んでいた頃に思っていた「この国で私は大人にはなりたくない」という感覚がぐっと引っ張り出されてきた。

イギリスは楽しい。 お買い物も楽しいし、人も面白いし、遊びもあるし、田舎町綺麗だし、他のヨーロッパの国も近いし。 とても良い学校に行ったから親密な感情も、大切な思い出も愛着も沢山あるし、友達もいるからいつでも繁栄を祈っているし、応援もしている。 全く攻撃する気も、意見をする気もない。 ただ私は今のところ住みたくない。 フルストップ.

私にとってイギリスは、始めて長く住んだ異文化圏だった。 その頃の私は既にローティーンだったので「世界ってこうあるべき」「世の中ってこんなもの」ってのが日本を基準にして結構出来上がっていた。 なのでカルチャーショックはかなり大きかった。 私の属していた日本の社会の一グループの中では、「世の中ってのはフラットで狭くて、永遠と暢気な日常生活が続き、大概の人達は日本人で、日本のミドルクラスの生活様式が世界のデフォルトであり基準である」ってのが確かにあったと思う。 ついでに「景気は今は悪いけど、まあもうすぐ峠を越えてよくなるよ」って感覚もあった気がする。 (ああ、なんたる田舎者…! その暢気さに乾杯!!)

なのでそれまでここまで開けっぴろげな経済階層差を見た事もなかったし、単純にこんなに沢山の人種がいる場所に住んだ事無かった。 当時の私からしてみると、イギリスは振り幅や高低差が広すぎた。 ひっちゃかめっちゃかだった。 「なにこれ…、やりたい放題じゃん…。」と極東の田舎者児童が呆然としたのは必然。 みた事もないようなお金持ちと、みた事もないような貧乏な人がいっぱいいた。 特に、この「貧乏な人達」には心底驚いた。 マジで、がちょんとなった。

起っている物事の量と意見の幅から、感覚的にこの場所はリスペクトするべき場所だと分かった。 色んなものが集まってくるからこうなるんだろう。 文化の軋轢や社会の複雑さは、様々な実りと豊かさを生み出す。 それってすごいな、面白いなと素朴に思った。 このひっちゃかめっちゃかな感じや驚きは大切に自分の中に受け入れようと思った。 日本の私のいた環境は様々なふるいのかかった新興住宅地的環境だったのは分かったし、それもかなり早い段階で「あれが特殊だったのだ」と受け入れた。

ただ、軋轢や複雑さは、同時に過酷さや残酷さも作り出す。 競争も激化させる。 競争のルールも明確に見えてこないのに、それでも競争が厳しそうなのは分かった。 この面に関しては私には強い抵抗があった。 単純に「ここで私が私の代から社会活動を始めてミドルクラスになるのって滅茶苦茶難しいのではないか?」と14歳の子供でも思えるぐらいに競争と淘汰が激しそうだった。 そしてここで大人になるのはいやだなと思った。(この感覚が保守的ミドルクラス出身の子供の持つ内なる醜悪)

イギリスには日本やNZよりもずっとリベラルな意見を言う人達が多いし、面白い人達も多い。 文化の層も厚い。 ずっといろいろな事が起っている実感がある。 でも、それらの魅力よりも、私は保守的な感覚を選んだのだと思う。 「私が私の代から社会活動を初めて、それでもミドルクラスになれる。その間の競争が比較的マイルドである。」というのが当時の私の求めた生活の質だった。 そしてイギリスでだとそのハードルは非常に高そうだった。 保守的でいる事で、面白みが人生から欠けるのは残念だけど、当時の私は次の数年間をこの競争にホットになれるだけの気力も体力も持ち合わせていなかった。 かといって、競争に対して超越的でいられるだけの度量や勇気や生活の知恵も持っていなかった。(この感覚も保守的ミドルクラス出身の子供の持つ内なる醜悪。 要するに自分自身がたいしたアセットを持っていない感覚は強く持っていた。)

そういう感覚を持っていた人達がわざわざ地球の裏側に引っ越して作ったのがオセアニアなのだろう。 オセアニアの社会は、勿論貧富の差や社会問題も沢山あるけど、それでも私が持っていた日本的な感覚にはイギリスよりかは遥かにマッチした。 そしてことあるごとにここがイギリス(もしくは他の移民達にとっての祖国)への反応で出来ている場所だなと思う。 結果として、いろいろと比較的マイルドである。 必至でマイルドにしている感じがある。

今ではそこまで素朴に「私の代から始めても、そこまで激しくない競争の末ミドルクラスになれる」とは思っていない。 物事はそんなに単純じゃないってことぐらいは分かってきた。 でもやっぱりこの社会(NZ)にいる限りは「そこまで底抜けに下に急降下する感じはない」気が、幻想でもある。 そしてこの社会ではイギリスほど階層差が出来ないような幻想もある。 自分でもどこまで保守的なんだよと思うんだけど、結構私にとってはこの感覚が、幻想であっても大切なのだ。 ある程度の自由と、生活の余力は求めるけど、それ以上は求めない。 そして、そのかわりにその逆も求めない。 社会にどれだけお金持ちがいるかよりも、どれだけ貧しい人が少ないかの方が大切な気がするのだ。 あれだけ貧しい人達がいる場所って、いると結構凹むよ。 「私もこうなるのか?」って思っても嫌な気分になるし、「自分は恵まれているからこうはならないだろう」と思っても嫌な気分になる。

勿論NZの人達が持っている「大人になったら一度はイギリスに住む」っていう感覚は私も持っている。 もうちょっと生活に対する基礎体力がついたら一度はイギリスに住みたい。 子育ての環境も、子供が思春期に入ったらイギリスの方が良いような気がする。 それに子供時代に感じたイギリスは、私の幼稚さからくる歪んだ景色だったのか、それともそんなに外れていないのか、結構試してみたいと思う。 

イギリスの暴動のニュースをみながら、一人で結構悶々としてしまった。 「こういう感じが嫌だったから、イギリスは嫌だった」という感覚と「でもどうなんだろう…? でも楽しいことも多いぜ?」という感覚とがせめぎあう。 多分、今世界中のイギリスの植民地にいる人ががこの微妙な感覚を持ち合わせながらニュースを見ているのだと思う。 「これは我が身だったのか? それとも自分はもっとうまくやったのか?」と。

2011-08-10

ミューズリー

2週間に一回ぐらい朝食用のミューズリーを作る。

作り方はすごく簡単。 オーブン用のバットに燕麦とちょっとのマーガリン、沢山の蜂蜜を入れて混ぜる。 これが基本の部分ね。 それに、好きなドライフルーツとかナッツを好みで入れる。 


こんな感じ。 今回はレーズン、アプリコット、クランベリーとピーナッツを入れた。 本当はアーモンドが良かったんだけど、前回作ったときに全部使っちゃったの忘れてて家になかったから、急遽ピーナッツに変更。


それで190度のオーブンで20分ぐらいベイクすると、すごく美味しいミューズリーになるよ! 作ってみるまで、こんなに簡単に作れるとは思ってなかったものの一つ。

そういえば昔はミューズリーって鳥のえさみたいで好きじゃなかった。 今は簡単に準備出来る朝食って事で重宝している。 働き始めたら、好みかどうかよりも楽かどうかを選ぶようになったよ。

あとね、こっちでだと燕麦がすごく安い。 勿論メーカーにもよるけど、だいたい1kgで200円ちょっと。 私が二週間に食べるミューズリーでは150gぐらいの燕麦を使うので、出来合いのミューズリーを買うより、かなりコストパフォーマンスが良い。 ドライフルーツも量り売りで買うと結構安いんだ。 そういう所も気に入っている。

もぐもぐー!

2011-08-07

食卓にはいつもレモン


食べ物や飲み物にレモンを絞るのが好き。
食卓にはいつもレモン。

"デザインの背後にはいつもほんの一瞬の沈黙が隠されている"

日常的に2006年に日本で見たソットサスの展覧会(エットレ ソットサス 定理に基づいたデザイン)の前文を思い出す。 

なぜシャンパンは紙コップに注がれないのか。殺すための剣はなぜ彫り物で飾り立てられていたのか。なぜバイクのデザインはいつも速さを連想させるメタファーを表現しているのか。なぜ娘達やご婦人は何かの祭壇のように、いつもテーブルや家具の中心線上に、花を生けた花瓶や彫像や親、子供の写真立てを飾りたがるのだろうか。教会の祭壇の中心線上に設けられる小さな壁龕のように。

デザインの背後にはいつもほんの一瞬の沈黙が隠されている。何かがやって来る、もしくは何かが起こる期待感。ひとつのデザイン、ひとつのプロジェクト(企て)がこの世にすえられた瞬間、それを手がけたものには責任が課せられる。バイソンを殺すために弓矢を使った者は、バイソンに許しを乞うことになるだろうし、敵を殺すために剣を使うことは、血が噴き散るということだろう。テーブルの上にスープの皿が添えられていたら、その皿を与えてもらえる幸せも感謝したくなるだろう。デザインという定理は実に晦渋なものである。

 本当にそうだね、ソットサスさん。 

デザインの背後に隠れている一瞬の沈黙は歴史の扉が開く時間でもあると思う。

私は引っ越しが多いので出来るだけ物を持たないようにしている。 だからあまり物にはこだわらないようにしている。 それでいつか家庭を持ったり定住した際には、きちんとした物がそろえたいなと希望に胸をワクワクさせている。 特に台所用品なんかはそう。

でもカットラリーは引っ越しのときにそんなに場所をとらないので、結構贅沢をしている。 他の部分でその夢がかなわない分、妙に気合いが入るのだ。 日常使いでは、ライヨール のカットラリーを使っている。 「君は実は包丁なんじゃないかい?」ってぐらいにナイスな切れ味で、でも細身できれいなところがとても気に入っている。 あと、全近代な仰々しいデコレーションも気に入っている。 それに比較的重いんだ。 私はよっぽど近代的でシャープでモダンな形のカットラリー以外は、軽いカットラリーがみみっちい気分になるからなんかいやだ。

ふしぎとこういう細かい事が日常の喜びにダイレクトに関係している。 例えば柳宗理のデザインしたカトラリーはとても買いやすい値段なのに、非常に美しい。 私はそういうのを見ると、結構真面目にデザインの力とか、物の背景に潜む形の歴史の積み重ねに感動してしまう。 生活の叡智と愛が詰まっているのだ。 私の小さな、でも積み重なってしっかりとしていく喜びに、良いデザインは直結している。


2011-08-06

フレンチトースト

週末は朝ご飯を一番がっつりと食べる。 なんでなんだろう、週末の朝ご飯って特別だよね。 友達とブランチをしに行く事も多いし、家で連れ合いや友達に何かを作ってもらう事も多い。 実家にいる時も父がかなりスペシャルな朝ご飯を作ってくれていた。 父はビル グレンジャーのファン ボーイなのでかなーり気合いの入った美しい朝食を作ってくれる。

今日の朝ご飯は連れ合いの作るフレンチトーストだった。 いつもブランチデートの相手が朝やる事があったのでドライブに連れて行ってくれなかったから。 




少しだけグリルされた桃が瑞々しくて、とても甘くて美味しかった! ソースに使った蜂蜜との相性もとても良かった。 桃と蜂蜜の関係って、すごく幸せだと思う。 美味しくて、美味しくて、最高の週末の始め方になった。

しかし小さなお皿に乗って出てきたぞ。 おいおい、お茶菓子かよ。 私は料理が小さなお皿に載っているのがあまり好きじゃない。 堂々としたたたずまいが好きなのだ。 文句を言ったら「じゃあ食うな」とおこられる。 うーん…、どうして通じないんだろうこの感じ。 食卓って小さな祭壇なのに。 「私は小さいお皿と、軽いカットラリーは、君の料理の価値を下げるといっているだけなの。 要するにね、お皿が大きい方が料理の価値がきちんと表現出来るのよ!!」と下手に出た説得を試してみた。

2011-08-05

 大昔の、日本の大学にいっていた頃のブログを読み返していたら、毎日のように淑慶の話しが出てくるのに笑えた。 10代から20代のはじめの時期を、画家の友達と、これでもかってぐらいにじっくり過ごせた事はすごい祝福だったなと思う。

どうもありがとう。 だんだんと当時の彼女の年齢に私も近づいていている。 かっこいい女性のロールモデルがいる事が嬉しい。

やはり私にとってのかっこいい女の代表は画家だ。 淑、毎日絵を描いてますか? ずっと画家でいてね。 朝目が覚めたときも、夜寝るときも、ずっとずっと。

2011-08-04

のらいぬの願望

のらいぬの連れ合いの妹はいつもうちで夕飯を食べる。 「いつもご飯を作ってもらって悪いから」と今日は彼女がご飯を作ってくれた。 家の食材を使うだけ使って。 のらいぬは思う。 こいつが大学院を卒業して仕事を見つけた暁には、一回こいつの冷蔵庫まるまる食べてやると。

のらいぬの昼飯

のらいぬは今週、食費を切り詰めるため、夕飯とお昼ご飯を別々に作る事にした。 いつもは夕飯の残りをお弁当にして持って行っていたけれども、今回はお昼のお弁当用に色々と安い食材を入手。 っが、結果的にかなりいつもよりお金がかかってしまった。 むむん…。

夕飯だけ作ると食材が使い切れないので、やけに高くかかるという事を学習。 それを使って昼ご飯を作るならまだしも、その上に昼用の食材を買ったのが敗因だった。

っち、いつもの作戦に来週から戻すぜ…。

2011-08-03

相棒と俺

「俺はのらいぬだぁ」なんて書いてみたから、友達に「あんた一人で生きてると思うなよ」と思われそうなので…、一応、そんなことないですと書いておきます。

嬉しい事に親友が沢山いる。 みんなそれぞれに大切。 友人に関してはとても恵まれているなと思います。 きれいごとでなく。

その中で、「おう!相棒!」って関係の友達がいる。 大学の同期の大磯の女だ。 遊ぶときは、鎌倉の海か、大磯の海か、間を取って江ノ島かな、そんな関係。 正月は一緒に鶴岡八幡宮に行って、箱根駅伝の応援に行く。 たまに都心で会うと、お互い脱湘南した服装をしているので、「あんた誰?」となる。 横浜越える際に、お互い服装が海仕様から陸仕様に切り替わる様子。

私と相棒は仲はいいけど、性格は結構違う。 

私は…、ある一面においては結構真面目だと思うけど、相棒は全方位に真面目だ。 初めて会ったとき、「この人、こんなに真面目で疲れないんだろうか」と思った。 つきあってみたら、実際よく疲れている。 あはは。 でもその真面目さとコツコツ蓄積型の彼女はやっぱりいろいろ達成している。 結果を出す女だ。 疲れても、損はそんなにしてないね。

彼女は「上から引っ張られてんの?」って感じにすくすくまっすぐと育っている。 物事に対する意見も素直だ。 私が単純ではあるけど、結構皮肉屋で、斜に構える気質があるのと良いコントラストになっている。

長い付き合いを通じてかなり多くの事を彼女から学んだし、彼女の人生を共有させてもらって、自分ではしない事を沢山追体験させてもらった。

いつも、どうもありがとうね。 これからも頑張ってね。 I love you.

のらいぬ狂想曲

日本の大学時代の友達に近況を伝えるようにとはじめたこのブログも気がつけば、6年目に入りました。 こっちの大学を出て、働き始めてから三年目。 日本の大学を辞めてから7年目。 日本の友達とは一緒にいた時間よりも、離れていた時間の方がとても長くなっちゃったね! 考えてみたら、ブログの初期に出てきていた友達で、日本に残っている子って結構少なくなっちゃったし、こっちの友達も今ほとんどNZにいない。 ばらばらになっていくものなのだなぁ。

日本の大学時代につけていたブログとか、このブログでも大学生の頃のを読むと、その元気さに我ながら驚きます。 私、元気な子だったのね…! ブログ読んでて気づいた。 書いている事の内容もほとんど忘れてたし、今は全くこんな考え方しないし、そもそもこんなに元気じゃないし。 「オーイエー!」とか書いてるもん。 むりむり、そんな言葉最近口にすら出せてない。 どんな身体感覚だったんだろう。 6年経てば人間結構別人だ!

このブログは「のばらいろのひび まさに夢のガリバー旅行記」と銘打って続けてきたんだけど、確かに以前は、毎日が「夢のガリバー旅行記」だった。 自分自身と世界との比が、小さくなったり大きくなったり、日々ぐにょんぐにょんしていた。 広がったり、狭まったり、急に大きくなったり、小さくなったり。 最近はそういう感覚なくなっちゃった。(でもいつかもどってくると良いな)

最近は、妙にのらいぬ感覚が強い。 日本のエッセイで、負け犬の遠吠えってあるじゃん。 あれのね、負け犬でも、勝ち犬でもなくて、その戦いのリーグ上にすらたっていない犬って感覚があるのよ。

特に震災以降この感覚は強くなった。 私は日本にいないから、多分この震災を全く違う形で経験しているのだと思うの。 奈良美智さんが、twitterで"最近になって、あの地震のあった停電の夜、目に見えない放射能におびえた時間をリアルに体が思い出したりする。自分も被災しているのだという意識。いや、日本という国自体、そこに住む人々みんなが被災したのだ。"って書いていたのを読んで、特にそう思った。 

私は、情報としてはその時、多くの人達が停電の中にいた事は知っていたけど、多分、聞き流していたんだと思う。 情報としては知っていた。 でも感覚としては掴んでいなかった。 奈良さんの文章には、すごくはっとさせられた。

震災があった日、私は震災直後からベッドに座ってこうこうと光る電気の下で、インターネットを使ってlive映像をCNNやBBCやNHKで見ていたんだ。 日本の家族とは連絡がとれなくてすごく不安だった。 大学時代からの友達が横にいてくれて、二人で「意味が分からない…、頭が全くこの情報に追いつかない」と言いながら、ずっと日本に関するメディア情報を見ていた。

どこかで日本の人も、そうやっていたのではないかと思ってしまっていたのだろう。

「ただただ激しい津波と震災の映像、原子力発電所の爆発がどこかランダムな所でおこっていて、たまたま日本の人達も全員それを見ている、怖がっている」という感覚的な勘違いを私はしていた。 全く違うのだ。 日本の人達はその映像の中にいたのだ。 いや、分かっていたし、痛いほどそれも感じていたけど、それでもどこかでは感じきっていなかったのだろう。 

もし私がその時日本にいたら、今の私とは全く違う経験をしただろう。 何よりも「私にはその時の私がどう感じたか、何をしたか、全く想像もつかない」と思ったとき、"現実の私"と、"日本の想像上の私"は全くの別人になった。 これまでは結構ある程度は「今日本にいたら」ってのの想像がついた。 今回の事に関して言えば、自分が一体どんな反応をしたかすら想像がつかない。 この感覚を日本での生活に関して持ったのは産まれて初めてで、初めて日本から切り離された感じがした。

切り離されている感覚は日常的に結構ある。 オークランドは多民族都市だ。 隣の人とカルチュアルバックグラウンドが全く違うってのいうのが日常。 「例えば私がこの家で産まれたら」ってのの、一日分も想像がつかない場合が多い。 一日の生活パターンも、家族感も、国家感も、興味も、宗教も、大概なーんにもわからない。 彼らが家で何語を話しているのかすら知らない事が多い。 文化的に彼らが大抵何歳で成人して、何歳で結婚するかなんかも全然わかんない。 個別のケースは結構知ってるけど、それがどれぐらいの普遍性があることなのかすらわからない。 要するに、想像つかない。

最近そういう感覚がすごく強い。 「周りの人の一日の生活が想像がつかない、自分がその立場だったらってのの想像もつかない」っていう事が多い。 それでも仕事とかでは一緒に働けるし、「社会のルール」は共有出来ているけど、プライベートの共有での共有できていない感はすごく強い。 それで、「ああ、のらいぬだ」と思うようになってきた。 たまたま、環境的に、時期的に、私は著しく、自分と共感し合ったり、「ああ、それね」って感覚で人と話す機会に恵まれていない。 しかも私対、他のグループではなくて、私対数えきれないぐらい沢山のグループに別れている。

新しい環境の内部に入れば、ガリバー旅行記になる。 今は私は入っていない。 入っていないなりに楽しもうと、のらいぬ狂想曲を始める事にした。 合い言葉は、「一応、くんくん匂いはかいでおけ!」

2011-07-19

ヨガヨガ

瞑想とか、リラックスとかが結構苦手だ。 たまにヨガのクラスとかでやるけど、その度に自分の嫌なところとか、人にした嫌な事とかが頭にフラッシュバックしてしまう。 それでクサクサしちゃうんだよね。 その瞬間は自己嫌悪の塊だから、自分に何か良いところなんて一つもないような気分になってしまう。 瞑想しているふりをしながら、実際の所はかなりの自分征伐だ。 そんなんじゃリラックスなんてできやしない!

多分、少しは私にも良いところがあると思う。 これまで全く評価出来ない人間なんて会った事ないし、良い友達多いし、だからきっと私にも良い所はあるはずだ。 多分自分がそれをカウントしていないだけで。 私が私を評価する基準は、とても浅はかで、かなり表面的だ。 で、自分の事を評価出来なくて落ち込む。 ついでに自分のした失敗とか、酷い事を思い出して、余計にクサクサする。

そのスパイラルから抜け出したいと思い始めた。 だって、リラックスしたいし、瞑想の間ぐらい、「おいおい、私、とんだビッチじゃないか」って考えから抜け出したいじゃないか。

自分自身に対してある程度公平で、そして誠実な評価軸を持ちたいなと思った。 自己嫌悪とか、自分征伐とかだけじゃなくて、誉めれるところは誉めたいし、評価出来るところは評価したい。 信仰を持たない分、多分私はいろんな所から自分自身に求める質を探していかなくてはいけないんだ。 で、副産物としてリラックスの方法を体得したい。 

そんな事をヨガのクラスの帰り道に思った。

2011-07-18

ドレス







大層ロマンティックな男性と一時期同居していた事がある。 当時ガールフレンドのいなかった彼は、「ビンテージとかのさ、すごく素敵なドレスがあったら買いたいんだよね。 それで壁にかけておくんだ。 で、いつか付き合う子にあげるの。」と言っていた。 私は彼程ロマンティックじゃないので、「確かに素敵かもね。 それにしてもよくそんな事思いつくね。」と適当な返事をしていた。


しかしながら、世の中には、とても素敵で、でも自分では着れないような服がある。 そんな時は彼のロマンティシズムを思い出す。


例えば、上のようなドレス。 私が男の子だったら、「いつか付き合うガールフレンドの為に」って買えちゃうけど、女の子の私の場合はどうしたらいいのでしょうか。 自分も着れなくて、そして他の誰の為にでもないドレスを持ってるってどうなのかしらね。 なんか怖いよね。 ってことは生まれ変わる以外に手はないって事なのか? 来世で会おう!みたいな感じ…? むむむん…。

2011-07-16

素敵な食器



tumblerで見つけた写真。 食器が全部とても好みで、思わず保存してしまった。 この裸の男の人が愛おしすぎる。

2011-07-12

2年半遅れ

私はあんまり音楽の偉大さに対して感度の良いアンテナを持っていないようだ。

大抵その年に素晴らしいと言われたアルバムは、その場ではよさがそこまで分からず、二年ぐらいたってから「こいつはすごい!なんて美しいのだ!」となる。 最近ではその事が十分分かっているから、新しいアルバムを聞く度に「二年半ぐらいたったら、しびれるんだろうなぁ」と暢気に思うようになってきた。

この鈍さの原因の一つは、単純に小さいときに音楽にそんなに触れていなかったからだと思う。(これに関しては親を責める!)

そしてそれと同時にどうやら私が何かを喜ぶ為には若干のノスタルジアが必要なのかもしれないと思い始めてきた。 元々、「ああ懐かしい!あの夏は美しかった。」とか「ああ、あのときのあの感じは非常によかった」と過去を懐かしむ癖がある。 多分、ある新しい空気感を美しかったと思い始めて、その質感が自分の美しさのライブラリーに入るまでに結構時間がかかるのだ。

そういう意味で私は現代美術が好きだ。 現代美術と言いつつも、大抵の現代美術は明日の事は話さない。 昨日の事を話す。 表現が新しかったり、アプローチが新しくても、題材は若干前の話しだ。 その時間の流れは私にはとてもあっている。 勿論、明日の話しをするんだっていう作品があっても良いと思うし、きっとあるとは思うんだけど、基本的に現代美術は美術は過去の話しをしているように思える。 だから今年の作品であっても、「おおー!わかる、この感じはわかる!」と自分の中にある感受性のライブラリーにかなりの頻度で引っかかる。

それにひきかえ、音楽ってのは、やけに明日の話しをしている。 明日のパーティーでかける為の音楽ばっかりが生み出される。 この奇妙なほどの前向きさは音楽独特のものだよなと私は思う。 一体全体それはどうやって作られているのか私にはわからないけれども、感心させられずにはいられない。 この前向きさは「流行に乗っている」って次元にすら収まっていない。 一部の人類は本当にすごい。

ってことで、そろそろ私は二年半前に出たAnimal CollectiveのMerriweather Post Pavilionなんて聞いたら、涙ちょちょぎれなんじゃないかと思い、今日久しぶりに聞いてみた。 案の定発売当初は「いいね!」って感じだったのに、今聞いたら、「なんて美しいのだ!」に変わっていた。 しみいる、しみいる。 ビデオも最強。





そんな事を友達に話したら、「いや、音楽も結構はじめからノスタルジックだよ。単純にアンナがそのクルーの中にいないから、ノスタルジーを感じないだけで」としれっと言われた。 あはは、そうなのかもね。 だとしたら非常に残念。 でもなんだかそれも本当な気がする。 まあ、しょうがないか!

2011-07-06

Cy Twombly

最も愛する芸術家の一人、Cy Twomblyが亡くなった。 なんて偉大な作家だったんだろう。 彼の作品の事を思うと、胸が熱くなる。 私は彼の作品を通じて世界を見たし、世界を感じた。 触られているような、暖められているような、慰めされているような、そして慈しまれているような気持ちにいつもさせられた。 私は、とても多くの世界の襞を彼の作品から感じた。

彼は私の年上の友人にとっての「私の作家」だったから、おおっぴらに、Cy Twomblyが私の作家だとは言い出しにくかった。 だから公的には同じぐらい大好きなRobert Rauschenbergが「私の作家」という事になっていた。 

(だからといって、彼の作品を愛していない訳じゃない。愛ってのは一度その中に落ちると、永遠にその中に残る事になる。 そして私は落ちたから。 ただ、公然たる「私の作家」じゃなかっただけで。)

ああ、本当に悲しいね! 好きな作家の命がこの世の中から無くなってしまうっていうのは本当に悲しい。 会社からの帰り道、ふと「今、地球上のどこかでは彼も生きているんだよな」と思う事が出来なくなるから。

バルトの美術論の中にあるCy Twomblyに関する文章は本当に最高で、絶対にだれでも一度は読んだ方が良いと思う文章。

私は、初めて読んだときに、いてもたってもいられなくなって、恋に落ちていた相手のオフィスに行って、「たった今すごい文章を読んだ! 心臓を下から、大きな掌で、ぐっと支えられて、持ち上げられたような気分!!」と宣言をした。 それ以降、彼のパソコンの横に、ゼロックスでコピーされた、冗談でも上質とは言いがたいCy Twomblyの作品が飾られる事になって、私はそれが嬉しかった。(実際、今思い返しても、なかなかに温かい気持ちにさせられる)

日常で、理性的に考えようとするたびに、合理的にいようとするたびに、社会に”適応”しようとするたびに、私の中にあるそういう思い出は迫害される。 あまりにも稚拙で、不器用だから。 それこそ、「左手で書いた文字」のような経験だから。 不器用で形なんてあってないような経験だから、落としどころがなくて、出来る事ならなかった事にしたいと思ってしまう。 でも、同時にプレシャスだから、絶対に手放したくないとも思っている。

右手で築き上げていく日々の生活の中で、どうしてもうまく消化出来ないコンフリクトに溢れた思いを、ただ納める為の空間が、彼の作品の中にはあって、私は疲れる度に彼の作品を見る。

触り合うためには、若干神経過ぎる事。 でも一緒にいるだけで相手の温度を体のしんから感じる事。 カジュアルでいる事を重要視する事。 基本的には保守的な事。 でもおおらかな事。 できるだけ、できるだけ自分自身を開こうとしている事。 瞬間瞬間に変化する事。 内側からの光が見える事。 温かい事。 色気がある事。 生々しい事。 嬉しい事。 彼の作品は、「こういう人にキスをしたいね」っていうクオリティーで溢れていて、私は他者を求める気持ちでいっぱいになってしまう。 以前、彼の作品にキスしちゃって逮捕された人いたけど、人ごとじゃないよ、まったく。

今日は寝室に飾ってあるCy Twomblyの作品の額縁を、ピカピカに磨こうと思う。 勿論これも作品をコピーしただけのものだけど、SFMOMAが「200年保ちます」と保証しているコピー。 ゼロックスのコピーとは違う。

ああ、世界にCy Twomblyの作品があってよかった。 あなたがいてくれて、本当によかった。

2011-07-02

しし



友達と新しいサイトを始めました。 サイトの名前は"しし"といいます。

週に一、二本、小説、詩、写真、イラスト、論文、エッセイ、古典作品、レビューなどの記事をアップしていこうと思っております。 是非、一度見てみてください。 


shi-shi.org


まだまだ記事数は少ないのですが、積み重なっていくうちに、きっと皆さんの好きな記事が一本ぐらいは出せるのではないかと思います…。 というか願っています。 

幸運な事に紹介したい人や作品は山ほどあります。 多分、皆さんが見た事は無かったけど見てみたかった物を見つけて、記事にしていけると思います。 心や胸にあるなにかが、きれいな水の中で漉かれていくような、そんな経験が出来る作品を集めようと思っています。

出来るだけいろんな所にいて、そんなにメジャーじゃないんだけど面白いことをやっている上質で小粒な作家達を見つけたいなと個人的には思っています。 色んな言語が集まれば良いなと思います。色んな様式も集めたいです。 東京だけじゃなくて、英語圏だけじゃなくて…ってさ。 色んな言葉や様式を集める事が出来たら良いなと思います。

ししは、元々雑誌を作ろうという思いつきで始まりました。 何ならサイトも作ろうって流れでサイトになったサイトです。 近い将来面白い形で紙版も電子版も出したいと思っています。

こんなご時世なので、結構簡単に傷ついたり、しょげてしまったりします。 立ち上げメンバーがNZと日本在住なので、往々にメールの書き出しが「余震大丈夫でしたか?」になっていました。

でもだからって、ワクワク出来て、ドキドキ出来て、そしてやっぱり上にも書いたけど、胸が漉かれるような何かを止めるわけにはいかないですよね。 私自身がこの数ヶ月、毎日、ふとしたところで見る優れた作家の作品達に心を漉かれ続けてきました。 世界を整えてくれている人達が、この世に沢山沢山いる事を実感し続けました。 誰かの心の原風景や、幻想、毎日の呼吸や営み、そこから発される作品が、心の横にいてくれた事を実感した時期でした。

自分自身も、今日も明日も、そういういったものを集めていきたいと思っています。 是非、ちょくちょくのぞきに見てきてください。

そしてよかったら作品提供してください! ししに載せたい物がある人、じゃんじゃん連絡ください!

love
アンナ

2011-06-10

郷愁

 引っ越しをよくしていたので、私の持っている情緒のなかで一番強いものは、郷愁なのだと思う。 気がつくと、いつも思い出の中のどこかの場所に心を馳せている。 自分が今まで住んできた色んな建物の窓から見えた景色のことを思い出す。 風の流れ方、空気の感じ、夜の訪れ方、光の質感を思い返す。

そして同時に私が持っている一番強い現実的な感覚は、私とは場所との組み合わせで出来ているのだという実感でもある。 頻繁に引っ越し、色んな学校に行き、複数の国で住み、いろんな人に出会いながら、私は私自身の内側におこる変化も、そしてはたからどう見られてどう対応されるかも、「かなりその場次第だ」という事を学んだ。 私が私をどう思うか、私がまわりにどう思われるかは、環境によってころっと変わる。 環境が変わる事により、嫌な目にあう事もあるし、急に自分の持つ力が制限させられる事もある。 自分が所有していると思っていた物が、実は環境に属していた物だったと気づかさせられる事は多々ある。 大抵引っ越した後に気づき、もうきっと同じような質感は二度と手に入らないのだと切なくなる。 でもこの強い実感は、自分の中にある一番温かく、大切で、豊かなもので、とても愛おしい。

もし誰かに「一日だけ誰かに自分の持っている情緒と実感を貸せるとしたらどれを貸す?」と聞かれたら、これらを差し出すと思う。 

でも多分、それは簡単には出来ないから、カズオイシグロをすすめたり(この人も郷愁の人だ)、ゴードンマッタクラークの作品集を人に貸したりする。 私が郷愁や、それに伴う実感から受ける影響は、マッタクラークの作品のように、いびつで、強引で、そして風通しがよく、寂しくもあるけれども温かく美しい。