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2011-07-16

映画祭

木曜日から毎年恒例の映画祭が始まった。 私は金曜日から参加。 私の一本目は、日本映画の「十三人の刺客」だった。 本当はイラン映画のA Separationかアメリカ映画のPage One- New York Timesが見たかったんだけど、夕食後のちょうどいい時間に公開される映画だったため、チケットが取れず…。 ってことで9時30分から公開の上、見る人を選ぶのでチケットがまだ買えた「十三人の刺客」を見てきた。







映画祭二日目金曜日(多くの人にとっての映画祭初日)だったし、三池監督の作品だっただけあり、開場の際にはかなり満員になっていた。 

移民国家にとっての映画祭は"上野駅"でもある。 "ふるさとの訛りなつかし停車場の人込みの中に そを聞きに行く"ってノリで、かなりの量のその映画が作られた国出身の人達が見に来る。 今回も日本の方々が沢山来ていた。 私も一、二本はいつも日本映画を見る。 私の席の後ろに座った人達は関西弁を話す30〜40代の三人組で、かなり面白かった。 映画本編が始まって数分経つまでひたすら大声の関西弁で話していた。 「東映だ!」とか、「なんとかだ!」って目の前に写る情報をひたすら読み上げいてた。 さすが…。 関西の人達のなんでも音読し続ける能力にはいつも感心させられます。 

最近は以前より簡単に祖国の音声や映像に触れられるので、以前程の切実さはないけれども、それでも映画祭の大きな役割の一つは、数時間だけでも移民達を祖国にワープさせる為にあるんとだと思う。 たとえそれが暴力満載チャンバラ映画でも、日本語で、日本が写ってるならオールオーケー!

「十三人の刺客」は「ヒロシマナガサキから100年前」というテロップから始まり、はじめのシーンは腹切りというサービス感がたまらなく、そして復讐と反逆と正義を貫く上に分かりやすいキチガイがいっぱいいる、とても観客にフレンドリーな良い映画だった。

映画の中に出てくる美しい日本の自然に、「この映画撮ったときは放射能だだもれじゃなかったんだよなぁ…」とか、「ヒロシマナガサキから100年前」というテロップに、「今撮ったら、フクシマからに変わるんだろうか…」などと、悶々とした気持ちにさせられながら映画を見た。 勿論ストーリーラインは普遍的な「上が徹底的に馬鹿で無能。 下がなきゃ上は存在しないんだから、下から上を変える。」という、見る側に「あぁ、あのときもこうしてりゃぁ、今みたいな事にはならなかったのに、くそぉーー!」とさせるもの。 わざわざはじめに、ヒロシマナガサキと出しているぐらいだから、これが先の戦争の鬱憤ばらし、義憤の表現であることは分かる。 そして人類の作り出すミステイクの根本的なバリエーションなんてそんなにないから、勿論今回の震災後の状況にもかなり重なる。 見ながら気持ちがぐらぐらと煮詰まる。 こういったシンプルなストーリーラインはエンゲージしやすいので面白い。 映画が終わった時点で大拍手が会場からおこった。 私も映画を見ながらかなりの絶頂感を味わった。

映画祭一本目の滑り出しは上々。 今晩も一本は見たいぞ。 ワクワク!

2010-12-21

師走

あっという間に年末だ! 今年はブログ書かなかったなー。

今年は何かの"間"にある感じの不思議な一年だった。 自分が大学生じゃない事には慣れた。 でも勿論まだばりばりのジュニアデザイナーで、全く自律して仕事が出来るようなシニアじゃない。 というか、そんなにまだデザイナーですらないし、ビジネスのこともよくわかってない。 ごろんと生々しく、弱々しく、いまいち事の顛末を理解していない成熟していなく能力のない自分がいる。

仕事は忙しかったし、挑戦もあったし、難しかった。 それでも気楽だった。 人と働くってそういう事なんだなと知った。 協力できる事、信頼できる事の力強さを発見した。 リラックスして、いろんなことに挑戦できた。 職場の人達に心底感謝。

今年はたまたまよく日本にも帰った。 日本にいる時と、こっちにいるときと…、本当に生活が違うから、こっちで日本の事を思うと、ほとんどファンタジー小説に出てくる別世界を想像しているような状態になる。 逆もしかり。 随分と、住んでいる所によって生活ってのは変わるものなのですね。

国籍がある国が自分にとっての国なのか、住んでいる所がそうなのか。(現実的に言えば、両方自分の国なんだろう。) そこでも二つの間で、ぷらぷら過ごした感じがする。

税金を払っていて、そして日常生活がある、NZの方が自分の国だという意識が強い。 ここにある共同体に属していると強く感じる。 私が社会的な事で、"私達"というときは、大抵NZにいる人達が含まれる。 日本に対しては"あなた達"。 勿論日本に税金を払って、そして日本で日常生活を送れば、日本に対して愛着を持つようになるんだろう。 日本にいる人達の事を"私達"とよぶんだろう。 そんなもんだ。 そんなもんなんだなぁってのが意外と自分がやってみるまで分からなかった。

人間関係や家族関係でも、変化の途中、結構宙ぶらりんな時期にいる感じがする。

親が子供のころの事を想像すると、ちょっとキュンっとくる。 可愛かったんだろうなぁとかってさ。 親が親になってからの事を思っても、キュンっとくる。 なんて素晴らしい、愛に溢れた親なんだろうって。 でも親が"子供"と"親"の間にいた時の事ってなんだかいまいち想像できない。 要するに、産まれてきた家族と、新しく作った家族の間で、一人でプラプラしていた時期の事がなんだかいまいち想像できないんだ。

だからかなぁ。 何となく自分もその、オリジナルの家族と、新しく作りたい家族の間でプラプラしている、やっけに気楽で、匿名性が強くて、どこの記録にも記憶にもたいして残らない、ゆるーい期間にいるような気がしちゃうんだよね。 すごく面白い。

でも実際は様々な面で、のるかそるかなスリリングな時期なんだけどね、でもどっかやけに気楽だよね。

そういう意味では変わった一年だったなぁ。 後から思い出したら、キラキラした思いでとかがある一年になるのかな。 不思議ね、一年一年、色彩が違う。

2010-12-19

ぽいぽい

 久しぶりに服を捨てまくっている。 無駄な、部屋の垢のような状態になっているいらない服を、勇気を出して捨てている。 

あぁ、なんて虚しい作業! なんて悲しい作業。

なにがこうも虚しくて、なにがこうも悲しいのか。 勿論払ったお金の事を考えるとゾッとする。 新陳代謝が行い終わっていないので、私の服の一部は親のお金を使って買った物だったりする。 もう、本当に申し訳ないよね、こんなゴミになる物に大金使ったって事自体が! 「マジでごめん、もうしないから許して!」と心の中で親に手を合わせて服を捨てて行く。

昔の私の服はいちいち高かったくせに、本当に短いシーズン以外着れないタイプの奇を狙ったのばっかりで、二年以上経った物は、本当に全く着れない。 見るも無惨な物が多い。 馬鹿!! 考えたらずの私の馬鹿!

以前は女性の難民の為に寄付したりしていたけど、穴開いているのとか、あまりにもアヴァンギャルドなワンシーズン用の物とか、貰った方が迷惑だろうと思って今回は捨てている。 ここも虚しいよね。 何考えて買ってたんだろうねぇ。 本当に全く…、当時の自分に「何か計画とかあったんですか?」ってこんこんと問いつめたいよ。

穴が開いていて、ボタンももうなくて、しかも洗濯に失敗して縮んでしまって、クローゼットの奥の奥に一年以上押しつぶされておいてあった物とか、反省材料以外の何物でもないよ。

自分の雑さに、自分の荒々しさに、自分の洗濯の下手さに、そして自分の買物べたさに。 虚しー!

今回のこの作業でさ、もっと計画的に生きる事を決心したよ。 まだ、どう計画したら一番良い結果が出るのか分からないけど、本当に、計画が必要、考えなきゃ…。

そもそもどんな格好をしている自分になりたいのかってあたりから考え始める必要がある気がする…。 

中性的で、おっぱいの形が格好よく見えて、お腹が目立たなくて、頭そこまで悪そうには見えなくて、なおかつ職場で尊敬されるような…、そんな服装がしたいんですが、どうしたらいいんでしょうか。 誰か教えて!

2010-11-25

部屋

巣作りをするのは楽しい。

最近久しぶりに巣作りに対する情熱が戻ってきた。
これはオークランドに引っ越してきてから全く情熱がなかったので、二年ぶりぐらいか。

とても居心地が良い家なので、もっともっと居心地を良くしたいという情熱にかられている。

私は空中庭園みたいな場所が好きだ。 
だから、一階に住むより二階に住みたい。
窓から植物の上の方が見えるのが好きだから。
あと風の吹き込みかたも大切。

そして布が沢山ある部屋が好きだ。
家具の素材は木材と布が良い。
木材ちょっとと、布沢山。
ふわふわしているとなお良い。
どうしてこうも柔らかいものに包まれたいのか。

照明も暖色の間接照明が好きだ。

ベッドにぽーんと飛び込んだ時に、枕元に沢山の枕やクッションがあって、
ちょっと固めのさっぱりとした素材のシーツが肌に触る感じも大切。

小さいときからベッドに入る度に笑い声を上げて喜んだ。
今でもぱりっとベッドメイキングされたベッドに飛び込む瞬間に、嬉しくてたまに声を上げて笑ってしまう。 沸き上がってくる喜びが止められないのだ。 トランポリンで飛ぶ瞬間のお腹がくすぐったくなる感じが、ベッドにぽーんと自分を投げ出す時にもするんだよね。

柔らかくて、そよそよしていて、そしていつも若干温かい環境が好きなのだ。

どうしてこういうのが好きなんだろうと考えるとちょっと分かんなくなる。
小さいときに住んでいた部屋に似ているから?
それともたまたま?

私は小さいときから屋根裏部屋に住んでいた。
最初は大きなテラスのついている小さな屋根裏部屋。
梯子で登る部屋だった。

ダブルベッドを置くと床のほとんどが覆い隠されてしまう部屋だった。
天井の一番高い所がぎりぎり160cmの私が立って頭が当たらないぐらい。
部屋のはじっこに行けば行くほどに(そして部屋のはじっこはすぐそこにある)ギューンと天上が低くなる。

屋根裏部屋の一面は屋根の上にあるテラスに繋がる窓になっていて、テラスは部屋よりも広かった。 そこも私の空間だった。 その二部屋(?)が私の幼少期の部屋。

実家が今の家に引っ越してきてからは、もっと広い、そして頭が天上には当たらない屋根裏部屋があてがわれた。 天窓と、中庭が見える小さな窓がある以外は外部から遮断された、鬱蒼とした感じの部屋。 森の中の家なので、まあ、それはそれで丁度いい。 トトロの穴蔵みたいで好きだ。

両方とも、どこか包まれる感覚のある部屋だった。
子宮のような、繭のような。

部屋には心地よさや、安心感、温かさ、柔らかさを求めてしまう。
どうしてなんだろうね? よっぽど母が恋しいのだろうか。

そういえば、昔、部屋に男の子が来る度に、自分の部屋の女性らしさに驚いたものだ。

私は別に自分の部屋が女性的だとかロマンティックだとか考えずに暮しているんだけど、実際男の子が部屋に入ってくると、自分と身長も違うし、動きも違うし、大概「お花畑に熊が来た…!」って感じになっていた。 そしてとても驚くのだ。 相手の巨大さと、相手の荒々しさに。 街やら学校で会っている時はそんな事感じないから、多分、私の部屋とのコントラストでそう見えているのだ。 ってことはよっぽどフェミニンな部屋を私が持っていたってことだろう。

(ましてや好きな男の子が来た時なんて、もうウルトラドギマギだよねっ! 自分の柔らかい繭みたいな部屋に、自分が世界で一番野生とか生命力とかを感じている相手がいるんだもん。「っか、形が変わるっっ!」って思ってクラクラ。 ああ、今思いだすだけでも、ドギマギしてきた…! あの、好きな人の体とか動きを通して、自分の部屋がものすごく女性的なんだって気がついた瞬間の感じ、ものすごいものがあるよ。)

anyway, 熊からしてみると、「こんなにいい環境があるのか…!」と心打たれるらしく、しょっちゅう来るようになる。 「だって、居心地いいんだもん」という理由で。 だったらお前の部屋も柔らかくて温かい感じにすれば良いじゃんと私は思う。

逆もあるみたいで、私が相手の部屋に座っている所を見ると、私の体の形とか服とか、雰囲気とかとのコントラストで、相手は「うわっ、確かに俺の部屋、明るさとか華やかさとか、色彩が無さ過ぎる…!」って気がつくらしい。

何なんでしょうね、この巣作りの不思議。

どうしてこうも自分の一番大切な感じの感覚が溢れ出てしまうんだろう、部屋の中には。

不思議だー!!

2010-11-21

Who do you think you are?

オークランドの一番大きな図書館の横に引っ越してきてから、毎日会社帰りに図書館に寄っている。 こっちはDVDとかも無料で貸し出してもらえるので、テレビなんかで放送されていたドキュメンタリーなんかを夜寝る前に見たりしている。

Who do you think you are?は、元々BBCが初めた家系図に関するドキュメンタリー番組。 現在は、カナダ版、アメリカ版、アイルランド版、オーストラリア版、イスラエル版、スウェーデン版、南アフリカ版がある。

毎回現在生きている一人の人に焦点を当てて、その人の家系図をひもといていく。 これがめちゃくちゃ面白いのだ。

私が見たのはオーストラリア版なんだけど、目から鱗の連続で、考えさせられるし、毎回世界を見る目がちょっとずつ変わる。 私はオーストラリア史をあまり知らないので、余計に面白いのだと思う。 番組から知らない事を沢山知る事ができる。

オーストラリアは移民の国なので、一人一人の持っている歴史が全く違う。 みんなの御先祖様の来た所も違うし、来た理由も違う。 大げさじゃなくてね、見ていると人類ってなんて凄いんだってあっけにとられちゃうんだ。

例えばRon Barassiっていうオーストラリアのラグビープレーヤーのおじいちゃんが焦点だった回。 傑作だった。

撮影当時74歳だった彼は、父親の記憶がない。 彼が4歳の時に戦争で亡くなっているから。 まず父親に関して調べる事から番組は始まる。 色んな公的な書類を見つけていき、最終的に戦争で同じ隊にいて、彼が亡くなる所を見ていた隊員を見つけ、色々な話しを聞く。

次に父方の祖父の事を調べていく。 そして、祖父と曾祖父の関係、曾祖父と、高曾祖父とさかのぼっていく。 どうしてオーストラリアに来たのか、どこから来たのか、もっと正確に言うと、どこのどこから来たのかって具合に段々と自分の家系図を通して自分の産まれてきた背景を知っていく。

彼の父方の家系はスイスのイタリア語圏から、オーストラリアで当時おこっていたゴールドラッシュを追っかけて移住してきた人達だと分かる。 (地球の裏側からだよ! 200年近く前に当時の技術で!! この時点で結構素直に人間ってすごいと感心してしまう。) しかしスイスで聞いたゴールドラッシュは噂でしか無く、地球の裏側のとんでもなく過酷で、どこともつながりの無いような未開の地で、その移民達は何年も失敗に失敗を重ねて行く。 とんでもない努力と重労働は水の泡。 なので今度は果樹園を始め、それは成功していく。 この果樹園はRonの覚えている祖父の代まで続く。

もう、この時点で最近仕事が難航している私は、この不屈のフロンティアスピリッツに感動し、励まされた。

地球の裏側の未開の地で情報やらから遮断され、意味の無い巨大な穴をひたすら数年続け、しかもそれが無駄な努力だったとかって、もう、サーバーが上手く動かないとか、本の製本がずれるとかっていう私の悩みと比べ物にならないよ。 だってオーストラリアの自然は凄いもの。 当時の写真を見る限り「日本国土規模の富士の樹海のような場所に俺が一人ぽつんといる」って感じだよ。 私のオフィス、エアコン付きだし、私、もっと頑張れるって思いました。

番組ではこれらの情報をヨーロッパからの貨物船の記録とか、昔の市役所の記録とか、郷土史を研究している人達とかの協力を通じて発見していく。 私はここに凄く感心してしまった。 どれだけ記録マニアなんだ人類、というかヨーロッパの人達。 googleの遺伝子を感じてしまった。 200年近く前の貨物船の記録って、おい!

母方だったか、それとも父方の誰かだったかは思い出せないんだけど、彼にはアイルランド系の血も入っている。

スイス系の祖先達が来た頃と同じ頃、彼のアイルランド側の祖先は、妻を殴り殺し、オーストラリアに島流しにあう。

オーストラリアに流された人達は、イギリス本土の人工口減らし目的だったので、軽犯罪者達をじゃんじゃん流刑したんだそう。 パンを盗んで地球の裏側の未開の地へ島流しっていう「おいっ!」っていう時代だったのだ。

その中で殺人者が送られたのは非常に、非常にレアなんだそう。 殺人者が死刑に会わなかった事自体がレアなので。

どうしてそうなったのか。 理由は、殺人現場を目撃していた彼の子どもたち(当時十歳ぐらい)にある。 裁判の途中で、子どもたちは父親が母親を殺した事を証言している。(ここもすごい) 父親が母親を殺したのだと証言し、その現場の説明をし、そしてその結果、法がその父親を処刑した場合、この子どもたちは「自分達が罰されている。 自分の証言が父親を殺した。」と思う事になる。 それはいかんと言う事で島流しになったらしい。(この時点で私あっけにとられた。人に歴史あり。壮絶なり。)

これらの情報を当時の新聞や裁判記録を読み解き探し出していく。(実はこの殺人を犯した父親と、息子は名前が一緒であり、当初は同一人物だと思われていた。 でもそうすると色々と符合があわないと分かり、調べていくにつれ、別人である事、そして父親の方がオーストラリアに来た原因の人物であることが分かっていく)

かなりファインなラインで、自分の御先祖様の命は繋がり、現在の自分の命に繋がっているのだと知った、Ronおじいちゃんマジであんぐり。 驚きまくっていた。 そもそも自分にアイリッシュの血が入っている事すら知らなかったのだ。

anyway, その島流しにあった父親、当初は勿論一人で島流しにあった。 しかしRonおじいちゃんはオージーに現にいる。 どういういきさつで子どもたちはオーストラリアに来る事になったのか。 殺人事件がおこった当時、10歳を筆頭に6人の子どもが彼にはいた。 彼はオーストラリアでの生活がある程度軌道にのりはじめた時点で、地球の裏側にいるその子どもたちを必死に、(ものすごい努力が必要とされたのだろうってことは簡単に想像がつく)呼び寄せる。

貨物船やら裁判記録やらでは分からない側面は、果たして、子どもたちと父親はまた親しくなれたのか/打ち解ける事が出来たのかという事だ。 感情的な所は分からない。

番組は今度は彼らの居住記録に注目する。 なんと父親と、父親の殺人を裁判で証言した(事件があった当時は10歳)だった息子は、後年シドニーで同じ家に住んでいた事が分かる。 今度はその家のサイズや間取りを探していく。 そしてその家は現在のロックという地域にある、二間の小さな家だと分かり、「嫌い合っていたらこのサイズの家に一緒に住む事は出来ない。 職業記録などを見ていても、彼らは一緒に住みたくなかったら住まずにいられたような収入があるし、打ち解けたのだろう」という推測にたどり着いていく。

もうRonおじいちゃん、言葉を失っていたよ。

気持ちは分かる! 私も結構色んなレイヤーで言葉を失った。

人びとの人生も凄いし、ヨーロッパ人達の記録+アーカイブマニアっぷりもすごいし、当時の法制度やらもすごいし、移動距離も凄い。

あっけにとられた。

で、この規模の話しがみんなにあるんだよね。 それが番組を見ていると分かるんだ。 人類の命の繋がりって、すごい。

ミクロネシア出身の人なんて、自分の御先祖様の歌声を、ケンブリッジ大学の文化人類学研究所経由でロンドンのナショナルアーカイブの鑞で出来たレコードの中から見つけて、おったまげていた。 この人の回も凄かった。

とりあえず面白い。
人類凄い。
そしてヨーロッパ系の人達の記録マニアっぷりも本当に凄い。

もし私に子供が産まれたとして、そしてその子供に子供がうまれたとして…って考えてみる。
その子(私の孫)は、祖父母四人、両親二人の人生やら命の連鎖やらの結果であるわけだ。
過去を振り返れば、半端無い数の人達の命がある。

自分の命と今地球上に生きている、
想像もできないどっかの誰かの命の連鎖が繋がって、
新しい命になっていく訳じゃん。

自分の孫なんて、半分以上、私の命の連鎖以外で成り立っている。

自分の命が見ず知らずの誰かの命と遠い未来で繋がる可能性があるのかぁと考えると、
なんかえらく感心してしまうよ。

「自分の孫」なんて考えると、なんか自分の命からの連鎖って感じにしか見えないけど、
実は私の命が他の人達の命と繋がりあって、どの人の人生の背景にもダバダバダバダーって色んな歴史や背景があるのだと考えると、世の中の一筋縄ではいかない感じが実感できて面白い。 なんか変なきっかけだけど、社会性が若干自分の中で芽生えたよ。


おまけ
アメリカ版だとサラジェシカパーカーとかが素材になっていて、彼女の御先祖様が魔女刈りで殺されていた事とかが分かったそう。 アメリカ版も凄そうだな…。

2010-11-20

The man in the hat

The man in the hatという映画を見た。





Wellingtonのアートディーラー、Peter McLeaveyに関するドキュメンタリー映画。
想像以上に素晴らしい映画で、終止心が揺さぶられた。

彼は私の大学のすぐそばで、40年以上ギャラリーを経営しているアートディーラーだ。 NZで最初に現代美術を取り扱いはじめたギャラリーで、NZの現代美術史は彼の狭い、しかし美しいギャラリーの壁の上で綴られ続けてきた。

彼は私の尊敬する、そして私の心の深く、そして一番求めている部分に触れてくる作家達を、沢山見つけ出してきた。
そんな奇跡みたいな仕事がどうして可能だったのか、映画を見ていて、理解できた気がした。

そして私が彼のギャラリーに行く度に感じた事を、映画も見事に描き出していた。 彼の見つけてきた作品の素晴らしさ、ギャラリーの功績、そしてなによりも彼の人となりの素晴らしさについて。

初めて私が彼のギャラリーに行った時、入り口で握手をされ「君がここに来る事を42年間待っていました」と言われた。 それから沢山の話しをした。 そこで展示される作品がとても好きだった。 私の知らない世界をいつも見せてくれた。 私だけでは開けられなかった、自分の中の、世界と触れ合う為の感受性の扉を沢山開けてもらった。

同時にピーターのあまりにも優しく、まっすぐで、力強い彼の言葉に私は励まされ続けてきた。
彼は言葉の人だ。
彼の言葉との関係により、私は改めて言葉の持つ、自分と世界を繫げてくれる力を知りなおした気がする。
的確に自分の感じている事を伝えよう、表現しようとする、人としての向上心を、彼から感じたんだ。
嘘が無くて、明確で、そして何よりも言っている事の内容が良い。
しっかしとした言葉の骨格と、綺麗な単語達を効果的に混ぜて、言うべき事を言っている。
それって凄いことだよ。 とても難しい。

大抵ワーディーな文章や、やけに形容詞連発して当人の感受した事柄に付いての話しは退屈で、残念な感じがする場合が多い。 脳みそだけが空廻ってしまった感じがして、そのアンバランスさがめんどくさくて苦手なのだ。 自由な魂を持っていて様々な事を感じる為の扉が開いているのと、神経質なのやら未熟なのってって全く別の話しじゃん。





私をピーターのギャラリーに連れて行ってくれたのは、ウェリントンで当時同居していた男の子だった。

私は大抵、一緒にいるその時には、その子から与えてもらった事柄の量に全く気がつけていない。

同居人とかになると距離が近くてなんでも見えてしまう分、大抵若干相手との関係をめんどくさいと思っていたり、相手を大した奴じゃ無いと思ってしまったりする。

でも、後から考え直してみると、本当に信じられないぐらい沢山の事を、一緒に住んだ相手からは学んでいる。

彼から教えてもらった事や気がつかせてもらった事に、いまだにかなり影響されていて、そして素晴らしいと思っている自分に、自分で驚く。 その時はそこまで価値を見出していなかったから。

絶対にかなりの生活の知恵と喜びを彼らから得た。 不思議なもんだ。 友達として気が合うとか、そういう次元以外でも人間関係って尊い果実を実らせる事ができるんだよね。

だから彼の事を懐かしく思い出しながら、映画を見ていた。

そして自分が価値を見出せていなかったり、尊さが分かっていない事柄が、
未来から見てみたら、今日の生活の中にも溢れているんだろうと思えて、救いを感じた。





それにしても映画の中に出てくるウェリントンが、私の見ていたウェリントンにとても似ていて、本当に懐かしくて胸が温かくなった。 「これこれこれ! これが私を育ててくれて、そして私の愛してやまないウェリントン!」ってなりました。 自分の中の大切な景色が、このドキュメンタリー映画にも沢山記録されていた。 目線が似ていた。


ウェリントニアンは普通に国会議事堂の敷地内を通って通勤する。 誰でも入れる。 敷居がめちゃくちゃ低い。 というか、ほとんどない。 映画の中にもその景色が出ていた。 よそではちょっと考えられないよね。 近道だから国会議事堂の敷地内を横切って行こうぜとはならないだろう。 

これはアティチュードの問題なんだと思う。 「国会議事堂は開かれた公園のような場所であるべきだ。」っていう人びとのアティチュードが、色んなルールを作り上げて行くんだよね。 ウェリントニアンのアティテュードが映画の中に偶然色々写っていて懐かしかった。

他の街に住んでみて、ウェリントンが結構特種なコンディションの上で、ああいう感じなんだなってのも知って、どこもかしこもウェリントンのようになれば良いとは思わなくなったけど、それでもやっぱり好きだな。

2010-11-12

引っ越し つながり直す

久しぶりに引っ越しをした。 久しぶりって言っても、今年4回目の引っ越し。 一体どういうタイムスパンを久しぶりとよぶのか…、個人の感覚が問われますね。

今回の家は90年代初期に倉庫から住居用に改築された、都心のマンション。 街のど真ん中なんだけど、横が大学の大きな大きな公園で、窓からは植物しか見えない。 部屋にいる時は茂りに茂った植物を窓から眺めている。 マンションを出ると、都会。 とても良いコントラスト。

私は多摩美に通っていた間、自分がNZに住んでいた事があった事すら忘れていた。 当時の東京にはイギリスの学校の同窓生や彼らの友達なんかが沢山いたから、自分がイギリスに住んでいた事による縁が日常に溢れていた。 だから、イギリスにいた事の実感はあったんだけど、ウェリントンの事は生活に全く関係なかった。

東京を去り、ウェリントンの大学に戻った始めの頃、東京での自分にはあまり登場しなかった、自分のクオリティーがぐんぐん戻ってくるのを感じた。 特に、高校のときからの友達と遊んでいる時や、街を散歩している時に。 ウェリントンを歩きながら「ああ、私は確実にここで育ったんだ。忘れていたけど、ここで私は長い時間を過ごしていた!」と感慨を受け続けた。 自分の中の東京の生活では使われていなかった感受性のチャンネルが、また外界と繋がり直すのを感じた。 それはとても素晴らしい感覚だった。

今回、引っ越したマンションで私はまた似たような感覚に襲われた。 多分、建築様式や空間の質が実家と似ているからだろう。 実家にいる時の自分の感覚がぐんぐんと戻って来たのだ。 鎌倉の親元での自分と、オークランドにいる自分が重なりあった感じがした。

そして今回は家中、私の空間。 始めてフラットメイト無しの生活。 台所の感じ、お風呂場、化粧台、本棚、全てに私の物だけが溢れている。

荷物を適切な場所に配置した瞬間に、「あらら、こりゃ実家のミニチュア版だ!」とぶったまげた。 元々似ている建築に、自分の持ち物だけを並べましたら、簡易版実家になりました!

ぶったまげたよ。 12歳から、26歳までの間ずーーーーーーーっと、大勢の他人と住んでいたからさ。 こんなにはっきりと他人のスペースと境界線が引かれた、自分だけのプライベートな空間を持った事が無かったんだ。 で、そのクリアな線の内側を始めてはっきりと見たら、そこには見事なミニチュア版の実家があった!

こんなに自分が家を引きずるなら、あがなっても無駄だなと思いましたよ。 しょうがない。 私は一生自分が育った家を「家ってのはこういうもんだ」と無意識で思って、似たような空間を世界中のどこにでも作ってしまうんだろうし、きっと子供にもそういう強烈な刷り込みをするし、私の孫だってきっとそう。 将来自分の孫の家を見て、きっと私は私の親を思い出して泣くだろう。 そういうもんなんだなと思いました。 空気の感じ、布の感じ、明かりの感じ。 「ここちよさ」のディフォルトがはっきりと形づけられてしまっている。

物に関して言うとね、お風呂場に溢れる親と同じ香水たち、同じメーカーのボディーケア用品、化粧台に散らばる親から貰ったアクセサリー、台所にある廉価版の実家の台所道具、寝室の本の感じ、クローゼットの服、作業部屋のMac。 考えてみたら、私はなんでも親と同じメーカーの物を使っている、とことん親離れできていない人間なのだ。 そしてそれらの雑多な置かれ方。 まさに実家と一緒。 プチ日本。 日本製の物はそんなに無いのに、明らかに日本人の家。 すっごいよ、この刷り込み。

「変われないのかもしれない」と強く思った発見でした。 これは小さな絶望だね! そして同時に若干の喜びでもあるよ。 ああ、あたし、きっとそんなに変われない。

2010-11-07

ガイフォークス

大学時代の友達の家に泊まっている。

彼の家のフラットメイトが誰もいなくなる週末なので、一晩ぐらいひたすら居間を占拠してDVDやらテレビやらを見て、ソファーでゴロゴロしたりしようやってことになったのだ。

ってことで、二人で夕飯ぐらいの時間から、ひたすら居間でゴロゴロしている。

彼の家はソファーが二つあるので二人で向かい合う形でねっころがっている。
お互いソファーと一体化しているので、お互いに飲み物を渡し合うときも、お互いに腕を延ばせるだけ延ばして、「うぎぎぎぎ」ってなりながら渡している。 ファイト一発オロナミンCのCMに出てくる状況並みに「うぎぎぎぎ!」ってなっている。

二人して完全に不細工。
物によっていかに行動がコントロールされていくかの良い例ですね。

家にテレビとソファーは置いちゃいかん!!
時間を吸い取られるぞ!!
せめて「友達の家にある」って距離感がちょうどいい。



さて今日はガイフォークスのお祭りの日です。


NZでは花火の販売と個人使用が11月2日から5日までの三日間と決まっている。 未遂で終わった火薬陰謀事件を花火を使って代わりに達成してあげる(?)ようす。

ものすごい勢いで花火がバンスカあがる数日間。

しかし規制しても危険性を報道しても、毎年一件ぐらい家が全焼しているらしい。
なので職場でも同僚たちが「全部規制するべきだ」と言っているのを聞く。

規制もされていないし、そんなに家が花火で全焼したとも聞かない国からきた私には信じられない光景。 どれだけ野蛮なんだニュージーランド人。

本当に花火に罪はないですよね。
使い方に問題があるのです。
規制するから、興奮して数日間の間にバンスカ気が狂ったみたいに国民一斉に花火をあげるような暴挙に出てしまうのです。

ということはどこかにテレビとソファーと家で優雅な関係を築いている人がいたりするのでしょうか。 だとしたら是非教えてもらいたい。

そんなことを悶々と考えている、ガイフォークスの夜。

2010-10-07

主夫

私の友達は研究者やデザイナー、建築家など
結構家で仕事ができる人が多い。

結果的に大学をでた今、私の友達はやたらと主夫になっている。

完全なる専業主夫はいないけど、
大抵家で一日に数時間ずつ働いて後は家事をしている。

何故こんなに最近回りの友達は主夫なのか、
悶々と考えてみた。

元々私の父が専業主夫だった。
今では専業ではないが、それでも家事のリーダーシップを取っている。
なので、そういう生活が好きな人とは感覚があう。
多分それが因果の一つ。

そして私は男子校のような環境にずっといたので、
圧倒的に男の子の友達が多い。(残念な位に周りに女の子がいなかった。)
私自身は別にマッチョな男子じゃないので必然的に中性的な男の子と友達になる事が多かった。 多分これも因果の一つ。

また私は、作りが雑なので、かなりのハイメンテナンスが求められる。
インド車のアンバサダーが人間になったらこういう感じだろうという作りだ。
必然的に私は甲斐甲斐しい人と友達になる事が多い。
結果人種性別年齢問わず、私の友達は菩薩系の方々が揃う。
友達勢揃いの時なんて、ほとんど涅槃。 菩薩勢揃いで曼荼羅状態。
彼らが立身出世とかよりも家庭を選ぶのは大変理解できる。
なんか、そういう方向に頭が向いていないのだ。
菩薩だから。

こっちは大学院に行く前に結婚するケースが結構ある。
片方が働き、もう学生をする方を経済的に支える為だ。

私の友達は、カップルで大体一年ずつ交互に学生と労働を繰り返している。
学生側の貰う奨学金と、労働者側のお給料で二人の生活を成り立たせている。
そして家で論文を書いている側が大概の家事をする。
そんな生活を考えてみたらここ4年位交代しながら彼らはしている。

他にも片っぽが外部の建築事務所で働き、もう片っぽは家でその事務所のサポートをしながら家事をしているとか、まあ色々ある。

勿論不景気も手伝っている。 元々そんなに外でビジネスマンになるようなタイプの人達じゃなかったから、「ガッツリ働くより、家庭を守ろう」って方向に行くんだろう。

まあ皆素晴らしい伴侶がいて、家庭があるから、そこでオーケーならいいんじゃんと思って眺めていた。(家庭願望がある奴らが多かったみたいで、友達みんな今伴侶持ち)

で、実際自分も働きはじめて、私の連れ合いも働いていてって生活をしてみて、どっちかが仕事をカットダウンする事の意味がはじめてわかった。 両方ともフルタイムで働いていると、家に帰った後に家事をするだけで時間が取られて、なんか"生活"が無くなるのだ!


2010-08-23

鉄平

多摩美にいた頃、鉄平見たさにMTV見まくっていた。

YUKIちゃんの物まねをする鉄平、幼少期に家族の食卓で「お母さんはお父さんのチンコくわえるの?」と聞いたんだよねけろっと言う鉄平、ささやき戦術で「恋に臆病になっているんだよね」とほざいた鉄平。 全てが笑えた。 そして「こうありたいものよ」と思ったもんだ。

そんな鉄平が癌になった。 自分のラジオ番組とブログで、癌になった事を発表した鉄平。 なんて潔くて正直なんだ。 そんな所まで鉄平らしい…。

若いのに癌。 癌って、身近な病なんだなぁ…。

鉄平、鉄平、鉄平。

頑張れよ鉄平。
元気玉鉄平に送るぞー。 鉄平! 今日本中のMTVっ子が元気玉送ってるぞーーー!! 鉄平ーー!

2010-08-22

夢の病院を作ろう


 時々ここで買物をする。

 会社に入って初めて、世の中の多くの人がなんだかの形で定期的に、そして積極的に募金や寄付をしていると知った。 学生は寄付されて暮しているようなものなので、全く知らなかった。

 稼ぎ始めると、周りの人達とお金の話しをする事が増える。 全体の何パーセントを貯金に回しているかとか、どれぐらいを短期間で消費する目的のお金として取り扱っているかとか…、そして何パーセントを寄付に回しているかってのも出てくる。 人によってはどれぐらいを祖国にいる家族/親戚に仕送りするかってのも含まれてくる。

 一部のキリスト教教会に属している人達は、義務として収入の10%を教会に寄付する。 ポリネシア系の人達の行く教会にそれが多く、彼らは当然の事として収入を寄付して行く。

 そしてたまにそれは職場で、ディスカッションの対象になる。 何故お金なのか。 人に捧げる事が出来る自分のプロパティーは、時間であったり、思いやりであったり、一緒に考えてあげる事であったり、代わりにやってあげる事であったりもする。 お金でなくても良い訳だ。 無批判にお金を誰かに渡すってのが、結果としていい事に繋がる訳じゃないってのは、これまでのエイドなどでの結果で誰しもが知っている。

 祖国の人びとに仕送りをしている同僚は、親族に「お前馬鹿じゃないの?!」っていうお金の使われ方をしているのを知り心を痛めている。(親に何年も仕送りしてもらい、「お前本当に馬鹿だろ?!」ってお金の使い方をしてきていた私としては耳がマジで痛い話しだ。)

 そんなことをたまに話す。

 大概の同僚や上司達は、無宗教でもキリスト教的素養が強いからだろう、10%ぐらいの収入を自動的に寄付や募金に回している。 貧困状態にある片親家庭へのスポンサーになっていたり、海外の子供の里親をしていたり、やり方は様々。 意見も色々ある。 

 「NZは政府の福祉がある程度ある訳だから、スポンサーする必要はない。 それよりも、政府の福祉が機能していない地域の子供にお金を渡すべきだ」「いやいや、それは理想論。 政府の福祉じゃ足りないし、貧困問題は結局の所は自分の地域社会を荒ませてしまうのだから、自分の地元の子供の成長の為にお金を渡すべきだ」などなど。

 お金だけじゃなくて、時間を捧げている人達も多い。 週末に片親家庭の子供を預かる(例えば母と息子だけの家庭の場合は、子育てが終わった男の人が週末に息子を預かって一緒に遊ぶなど)事をしている人達も多い。

 理想はまんべんなく人びとのケアが行き渡る事だろうから、多様性はいい事だ。 人と違う事をする事が大切な領域の一つだと思う。 面白いなあと思いながら眺めている。

 で、私の場合は何となく自分がコンスタントに続けられて、自分にとっての大切な人達の為になるサービスは何なんだろうと思って探した結果、「夢の病院を作ろうプロジェクト」を選んだ。 まず何となく、日本の子供に寄付がしたかった。 別に身内に癌の子供がいる訳でもないのだけど、コンセプトを読んでいたり、買える物を読んでいるうちに「これは必要なんだな」と思えたから。 読んでいるうちに、必要性に納得させられたってのがここを選んだ大きな理由だな。 これが良い選択理由になっているのかは分からないんだけど「デザインがきちんとしているから」ってのも理由のうちには含まれる。 工業デザインという活動のうちの大きな動機の一つを、このプロジェクトを見ていると思い出させてくれる。

 貧困層や、片親家庭、同年代の障害がある人達…、自分の収入の一部をこういった人達に届けたいと思う相手は沢山いる。 「自分がこの立場になったら助けが必要になる」と思う人達は沢山いる。 その中でなんで癌病棟なの?なんで子供用なの?と聞かれるとズバっとは答えられないんだけど、(優先順位を決めるのはとても難しい)とりあえず今はここ。

 買物をするのが好きな人は、是非ここで買物をしてもらいたい。 寄付っていうと抵抗があっても、買物はみんな好きでしょ? 私は、「プラスチックじゃない容器」をよく買います。

2010-08-21

むっふん

以前シドニーで奇妙な彫刻を複数見た。

街のど真ん中に誇らしげにあった噴水。
全体像はこんな感じ…。




私はこの彫刻は変だと思う。





鼻の穴から水出てるし…。

しかも白人男性(マッチョ)が獣を征服する像って、街の真ん中にあっちゃぁいけないんじゃないかと、見ていてかなり不愉快になった。
「野蛮なのはどっちかって言うとお前だ!」と彫刻の男に向かって喧嘩を売りたくなる。







腰のしなりかたとか、ホモエロティック。




股間を凝視。
混乱させられる。




所変わればだなぁ…。







新しい若者向けのショッピングモールにも雄牛がいた。
でかい玉をぶら下げて。

私はあまりこういうマッチョ彫刻に縁がない地域で育ったので、
町中にこういうムキムキで権威的で、
無駄にリアリスティックな彫刻に溢れたシドニーは強烈だった。

地元の人達からしてみたら誇りなのだろうか。
カルチャーショック。

2010-08-06

ベビ蔵

 朝から歩んちのベビ蔵(はやて君、生後三週間位)の写真を、連れ合いと二人で、穴があく位まで眺めるのが日課になっている。

 ベビ蔵、局地的に超ポピュラー。 「ベビ蔵、今日元気そうだ。」とか、「今日のベビ蔵の泣き顔はいぶし銀的に渋いね。」とか言いあってから出勤。

 はぁ…、大ファン、友達んちの赤ちゃん。

 欲を言いますと、「ベビ蔵とパパ」とか「ベビ蔵と歩」とか、「ベビ蔵一家」とかそういう、ファン心的にはもっとプレミアな喜びを与えてくれる写真を求めております。 ファンだから。

2010-08-02

風邪 色褪せていく

 七月は用事が連なり、毎週末飛行機で旅行に出かけた。
 結果として最後の週は、半分ゾンビ状態になった。

 勝手に自分は体力がある方なのだと信じ込んでいたのだけど、決してそうでもないと知った七月だった。

 弱って行くにつれてだんだんと、夜らへんとか自分の心の色彩が褪せて行ったのを感じた。

 こういう時は頭の中で勝手に自分の身の上におこっている事を、フォトショップ的に認識し始める。

 「ああ、レイヤーが複製されて、上に置いた方のレイヤーがイメージアジャスメントされて、色調と、彩度が、両方とも-100にされた…。 そして、上のイメージ全体の透明度が60で、退色加工終了…。ここで透明度がゼロになったら、ああ…、その時は世界はモノクロ!!」ってさ…。 

 写真で説明すると、下の写真が夜らへんに普通の疲れた時の状態。 疲れているけど、どっかは気持ちがいいし、まあ、普通に日が暮れて行く感じを体感する。 






で、これが疲れた上に、風邪をひいた時の心的風景。(この写真は上の写真にフォトショップで退色加工をしたもの。) 多分、言語感覚がもっと発達した人は、ストレートに「うつうつとしている」とすぱっと言い切れるんだろうと思う。 私はそう言い切る前に、ずっと「フォトショップでならこんな感じ…」と変な分析をしてしまう。 職業病だと思う。


 


とにもかくにも、今週末の私は滞在先のウェリントンで風邪引いて大変暗かった。

友人の送別会に参加している間も、輝くような美男子の友人らとお洒落なカフェでアフターヌーンティーをしている時も、めためたに私の心の中は暗かった。

滞在先で夜、熱を出しながら、うつらううらと、陰惨な事柄に胸を馳せていた。 「海外に引っ越して行く友人を見て、私もそうしたいと思うけど…、もし引っ越し先でこういう心の色調になっちゃったら、多分私耐えられない…。」とか「ああ、もうきっとお先って真っ暗なんだわ…。」とか、「今まで私はなんて呑気に物事を考えていたんだろう。物事がそんなに簡単で心にやさしいわけないのに。 きっとズタボロに傷つけられて、ルサンチマンいっぱいの状態で朽ち果てるんだわ…。」とか、出てくる出てくる、暗い発想。

風邪と疲労、恐るべし。 疲労の恐ろしさを痛感した。


多分新しいところに引っ越したら、こういう心理状況にはなりやすいだろう。 そうなった人を結構知っているし、今回旅行しまくって疲れた結果、自分自身も陥った。

でも結局は移動の多い、色んなところに行くライフスタイルを自分は求めている。 ってことはある種のコーピングメカニズム(対処方法)を見つけ出さないと、自分で自分の首を絞める事になる。

それで悶々と考えた結果、「疲労を貯めない/疲労回復を上手にする」ってのが一番良いコーピングの方法なのではないかと考えがまとまった。

今回は「回復をする為の体力が無い」っていう変なスパイラルに自分が入った気がした。 それこそ、「寝ても寝た気がしない」ってのから始まってさ。 そして気がついたら、結構悪い状況に自分自身を立たせた。

もうこういうのは嫌だ。

疲労回復がすんなりと行える程度への体力は、最低限必要だ。
体力向上させるぞーー!

2010-07-30

シドニーの電車

公共の物を壊したり、汚したりしたいっていう衝動が私にはない。 多分、多くの日本の人達にも無いと思う。 だから日本は街も電車もいつも大概綺麗だ。

アジア圏以外の街に行って、いつも不思議でしょうがないのが、街や公共の物に対する暴力行為だ。 どうして落書きをするのかが分からない。 どうして物を壊すのかが分からない。

誰がどういうメンタリティーでやっているのかが、本当に分からないのだ。 そのアグレッションが本当に理解できない。












電車の中で禁止とされている事も、なんでそれをわざわざ言わなくちゃいけないのかが分からない。




掃除になっていない掃除も分からない。 やるならちゃんとやれよ。

こればっかりは全く理解できない。

現実のシドニー そしてテレビから演歌




オーストラリアの国章はカンガルーとエミュー。 こういうのを見ると路上にきゃつらがゴロゴロいるのかとワクワクするよね。 「やあ!」ってカンガルーに言われたらどうしよう♥と、一人ときめく。

ちなみに下のがニュージーランドの国章。 こっちは何故か人。 いつも右上のぐったりした羊が気になる。 死骸…、なのか?






本家であるイギリスの国章はこんなん。 ワキャーーーっ!ってしてますね。 イギリスはキンキラキンの空想の獣達で装備されています。







一番上のライオンの顔面表情とか、もう、どうしちゃったの…?って感じよね。 ユニコーン、鎖で繋がれてるし。 鎖無かったら、イギリスから走って去って行くのかい、ユニコーン?

さてイミグレを通過して、オーストラリアに入国してみたら、まず人が沢山いて驚いた。 シドニーの人口はニュージーランドの総人口と一緒なので、ニュージーランドの感覚で人の群れを見ると、確かに人が多い。 それは想像済み。 でも日本の感覚での人の多さとは違うだろうと覆っていたんだけど、結構日本的に混んでいて驚いた。 シドニー空港の込み具合はヒースロー以下だけど成田並。 

ここで「オーストラリアでは90年代まで神奈川県と同じサイズの牧場を二人の男が管理していたぐらいに土地がある」って情報からもたらされていた偏見が、シドニーでは通用しないと知る。






旅行先に付いたらまずお金をおろしますよね。 ANZは、オーストラリアニュージーランド銀行。 銀行は一緒でした。 自分の銀行を使ってお金を下し(ただATM機はオージーの方がお洒落だった)、極彩色のお金を手に入れました。 オーストラリアのお金、メチャクチャ派手だった! そしてお札は、ニュージーとも一緒で、プラスティック製。 紙じゃないの。 なんだ一緒じゃーんと親近感。






食べ物が一個一個大きくて驚いた。 こんなに食べれるのかと。 周りを見渡すとサーフボードを担いでいる人達が多い。 きっとサーファーだとお腹がいっぱい空くのだろう。






そしてクリスピークリームドーナツがハラール済みなのにも驚いた。 イスラム教徒でも問題なくドーナッツ食べれます。









私がいつも外国に来たんだなあと実感するのが天気予報を空港で見る時。 中心にオーストラリア。 飛び上がって喜びたくなる。






大陸だから天気予報の規模がでかく、長かった。 オーストラリア全土の天気を伝える為には、日本、ニュージーランドの数倍の時間をかけなくてはいけない。 









空港のテレビ、最近では珍しく日本製だった。 

私が子供だった頃は、こういう場所は大概全部日本製の物で占めていた。 

でもここ5年ぐらいの間に、今度はほとんどすべてが韓国製になった。 空港の中で車の展示とかしていても、やっぱり韓国車。 大きなイベントのスポンサーも韓国企業。

日本製の物や、日本企業が、韓国製品や韓国企業に塗り替えられる流れを、私はずっと国外で見ていた。(日本のプレゼンスって本当に、驚愕するぐらいにこの数年間で激減した。) 

久しぶりに日本製の商品を目立つ所で見て、ちょっと嬉しかった。 

っが、ロゴの照明についているセロファン、片っぽ落ちてます。 おいっ! 
日本の面子の為にも直してくれ!と、日本の家電メーカーのサラリーマン家庭で育った私は切に願う。 

ここで私の演歌心爆発。 元々判官びいきのきらいのある私。 何故かこのセロファン片っぽ落ちているテレビのロゴに強烈に同情する。

このロゴは鬱病での自殺や、過労死した人達、残業残業で家にも帰れず空虚な家庭を作り上げた人達の犠牲の上にあるのだ。 会社に入るまでも壮絶な競争を早ければ小学校に入るときから始め、入ってからも競争し、人生を捧げた人達にとっての成功とゴールの象徴なんだよ! せめて、セロファンぐらい…、武士の情けで直しておくれよ。 よよよよよ。

はやく行くぞと、連れ合いに引っ張られ、何をそんなに見ていたのだと聞かれ、事の顛末を話す。 「自国製」とか、「自国の企業」ってのが、愛国精神と入り交じっている東アジア人独特の感覚が分からない連れ合いに、かなりぽかんとされる。 「日本人からしてみたら、松下、トヨタってのは、政府より偉くて、日本の誇りなんだ! 世界にテレビと自動車が供給できていたのが、日本人的にはとても嬉しかったんだ!日本人は日本国民であり市民である前に、日本株式会社の社員なのだ! そして演歌。 今の私は紅白歌合戦並みに、唄心で満ちています。 お能らへんから、日本文化説明させてもらったら、きっとあんさんにもこの感じわかるからっ!」と一応、この感覚を説明してみるも、勿論通じる訳も無く、ずるずると引きずられて空港を後にしました。

止められてなかったら、今度は駐車場でどこ製の車が多いかの調査を始めていたと思う。

演歌。 日本関連の物事を見た時の私のリアクションは、演歌。 よよよ。

想像上のシドニーと現実のシドニー

私にとって未知なる大陸だった、オーストラリアに週末行ってきました。

オークランドからシドニーまでは、飛行機で三時間ぐらいなので、とても近い。

でも精神的距離が非常に遠く、南半球に住んで8年ぐらい立つけど一回も行ったことが無かったんだ。

大概のニュージーランド人は、大阪の人が東京を毛嫌いするように、オーストラリアをけちょんけちょんに言う。 だからさ結構素直にオーストラリアってのは、地獄の釜の底みたいな場所なんだろうと思っていた。

特にシドニーは、オークランドのでっかい版として、本当に酷い所だと聞いていた。

ウェリントンの人達はオークランドが大概嫌いなのね、そしてそういう土地柄の親分みたいなシドニーはもっと嫌いで、みんな悪口ばっかりいっていたんだ。

キャピタリズムによって支配されたシンシティーなんだろうと思っていたんだ。 っていっても私は地上にあるキャピタリズムの楽園、東京出身なので、「ほうほう」とシドニーの噂を聞きながらも「そんなん東京の比じゃないよ」とは思っておったがな。

またまた歴史背景も、オランダ人がこの大陸を見つけて、イギリス人に勝手に$1で売ったとか…、

そしてたまたま冬の砂漠地帯を見たイギリス人達が「ここは流刑地にぴったりだ!」って思って、イギリスの犯罪者を島流しにしたところから移住が始まったとか、

その送られてきた荒くれ者達が、現地の人びと(アボリジニ)を虐殺しまくって、差別しまくったとか、

でも夏はすごい実りの季節で、好物も山ほどあるから、アボリジニから強奪した土地から金目の物をごっそり抜き取って、今じゃお金持ち国家とかって、

ちょっと話しのスケールが大きすぎる。 「それホラじゃね?」って言いたくなるような漠然と広大な感じの歴史。 微に入り際に入りな日本史に慣れていると肝抜かれるわ。

って事で行っていなかった。 心の中で「アメリカとオーストラリアは世界に存在しない事にしておこう。大陸ってのはわけ分からん。」と勝手に片を付けていたのだ。

ところがさ! 行ってみたらさ、本当に素敵な所であった。 今まで行った事がある街の中でも、私の感覚からすると一番美しかった。 人びとは往々に優しかったし、多文化主義の行き届いた町並みだった。

本当に私は偏見に満ちていたなと驚き続けた週末だった!
もっと荒んだ感じの場所を想像していたのに、実際はキラキラした輝いた街だったよ。

見事にニュージーランド人のルサンチマンにだまされていた。

韓国に始めて行った時にも同じような事を思った。
私はとても親密な韓国人の友達が沢山いて、いつも「日本の噂話しや、ニュースで聞く韓国が、彼らを育てた土地だとはどうも信じられないが、きっと彼らが特種なんだろう」と思っていた。 

しかし行ってみたら、文化的で歴史が深く、人びとは親切で愛情深い、素敵な国土を有する場所だった。

今回の経験と抱き合わせて考えると、結果はクリアだ。
要するに、隣近所の人の言う事はあんまり信じちゃいけん。
これ鉄則。


シドニーは本当に美しい港町で、いつも私が何となく思っている事、
結局の所都市の力や魅力は、元々の自然環境にかなり影響されるっていうのを強く実感させてくれた。

シドニーの自然と、そしてそこに人間たちが建てた建築がの呼応が本当に美しかったんだ。

こんな場所が地球があるのかと驚いた。 

連れ合いも始めてオーストラリアに行ったんだけど、終始「なんて素敵な場所なんだ…! 今まで完全にだまされていた!」と驚き続けていた。

馬鹿は私だけじゃなかったか。

二人で手を取り合い、ひたすら街の美しさにうっとりする週末を送った。

オーストラリア万歳!

2010-07-28

お味噌汁とか、おっぱいレイディーとか。

 会社に行きたくないと拗ねてみた。

 そうしたら連れ合いが、日本の朝ご飯をリサーチし、「お味噌汁と白いご飯を炊いたから、今すぐ立ち上がって朝ご飯を食べるのだ!」と励ましてくれた。

 なので最近は朝ご飯和食。 和むわー。

 親友に赤ちゃんが産まれて、彼女は最近おっぱいレイディー道、一直線なママライフを送っている。 私の親友にここまで尽くされるなんて、赤ちゃんは本当にラッキーボーイね。

 きっと彼はスーパークールな奴になって、後々脱おっぱいレイディーをした彼女にいっぱい尽くしてくれるだろう。 その時が楽しみだね! そして言うまでもなく、きっと今も大変だけど、すっごい楽しいはず。 だって、私も勝手に想像するだけでワクワクするもん。 毎日君たちの幸福を祈ってるよーー! にこにこしててねーー!

 朝ご飯が和食なだけで一日が素敵になったり、誰かが私にちょっと優しいだけで、やる気が戻ってきたり。 こういう日常の単純な喜びの基礎を作ってくれたのが両親なのだよなと最近特に実感する。 特にママだね。 ダディーも頑張ってるけど、何故かママには敵わない。 ママが私の楽観さとかの基礎を作ってくれた。

 今その基礎作りを、おっぱいあげながら、新しく産まれた赤ちゃんのなかにいっぱい建てている我が親友は、それだけで頭をなでくりまわして、胴上げしてあげたい位にクールだ!

 そういう事を考えると、今日もとりあえず仕事に行こうと思える。 なんでだろう。 不思議と繋がってるね。

2010-07-12

Wellington

 友達の送別会に行く為に、ウェリントンに行ってきた。

 彼は私の恩師であり、ボスであり、悪友である、とても親密で素敵な友達。 二人で自転車操業の研究室を運営していた。 こっちの夏休みになると、二人で研究の為に冬の日本に帰り、一緒に冒険をした。

 彼のパートナーは当時ミラノに住んでいて、クリスマスになると私達と合流しに東京に来て、私の多摩美の頃の友達も交えて、何年間かとても素敵な冬を過ごした。 

 そんな彼のパートナーは、ブラジル、ミラノと建築家として放浪した結果、ロンドンに居を落ち着けた。 そして長らく超遠距離恋愛をしていた二人は、一生これから一緒に過ごそうと決心したらしく、NZの大学をやめて、彼はロンドンに引っ越す事に決めた。 

 私は冬の度に、東京で恋人としての二人と行動していたので、唯一彼ら二人を良く知っている人だった。 多分、だから彼からしたら私は大切な友達だったんだと思う。 私はいつも彼の行動を、彼と彼の恋人、二人の為の行動として認識していたし、こっちからちょくちょく彼の様子を彼の恋人にも伝えていたし。 私は二人の関係がとても好きで、彼らを思うと胸が温かくなる。

 送別会では彼を好きな人達が沢山来ていた。 彼の生徒も沢山来ていたし、同僚たちもいて、彼の業績や人柄の素晴らしさ、情熱、聡明さを讃えていた。

 通常のケースなら、そこには彼のパートナーがいて、彼の事をすっごい誇らしく思って、心を温かくしたんだろう。 パートナーの不在をすごくすごく残念に思った。 だって、みんなすっごく去って行く彼を讃えていたから。 現場にいたら、本当に本当に誇らしく思っただろうな。

 その事を今度ロンドンにメールして、伝えてあげなきゃって思っている。 「想像するだけでもすっごく嬉しくなっちゃうぐらいに、みんな君の恋人が大好きで、特別だと思ってるんだよ!!」ってさー。 結婚(って言っても、デファクトにするらしいけど)への最強のはなむけだよね!

 私も、こんなに素敵でかっこいい子と、友達な事がすごく嬉しくて、去っちゃう事は寂しかったけど、すごく幸せだった!

 彼の素晴らしい所の一つは、わざとらしくない、でも上品で親密な愛情表現だと思う。 私には数人ウェリントンにとても親しい友人がいる。 高校生の時からの友達で、彼も私を通じてたまに会っていた。 そのうちの二人とは東京で一緒に旅行をしたし。

 でも送別会に呼ぶほど親しくはないだろうと思っていたので、最初彼らを招待したと聞いた時はその太っ腹ぶりに感心した。 彼は「お世話になった人達に感謝の念を示したい」って事で送別会の為にかなりの額を自分で出したし、私の飛行機代も出していたので。

 ぼけーっとしている私は、案外すごく彼らの事が好きだったのかなあと思っていたんだけど、後になって私の友達に「あんながすごく楽しめるように、あんなの好きな人達もみんな呼びたかった」って言ってたよと言われた。 友達は彼に「招待してもらうのは申し訳ない!」と言ったみたいなんだけど、「来てくれたらあんなが喜ぶから」って言って誘ったみたい。(勿論彼らが、そこまでいっぱい遊んだ訳じゃないけど、お互いにとても好意は持っていて、いい関係だってのが前提にある)

 私はそれを聞いて、すごく感心した。 なんて良い人なんだろうか。 私は感情的であけっぴらに「大好き大好き」ってやるから、そうしない彼は、「まあ、悪くないんじゃない?」って程度に私を好きなんだと思っていた。 でも、考えてみたら、いつもすごくサポーティブでいてくれたし、支えになっていてくれた。 そして私の友達にもとても優しかった。

 今回は自分の送別会の中に、マトリョーシカみたいに、私の親密な友達同士のパーティーも内包してくれた。 そういう男なんだよなあと、すごく相手の事を誇らしく思った。

 なんて素敵な男の子なんだろうね。 本当に本当に誇らしかった!

 彼に対して大好きな気持ちでいっぱいで、とても幸せだったその夜を、私の他のとても大切な子たちと一緒に過ごせたのは最高だった。 私は高校のときの友達と手をつなぎながら、みんなが去って行く彼に言う素敵なスピーチを聞く事が出来た。

 高校の時からの友達には「彼は本当に素敵で、愛情深い人だね。こんな友達がいてよかったね!」と言われて、結構ほろりときた。

 去って行く彼からは、ロンドンで新しい生活をパートナーと始める事で、大興奮で、とても幸せなのが、横にいてひしひしと伝わってきた。 それもすごく嬉しかった。 で、彼のいろんな人にたいして持っている強い愛情と忠誠心は、パートナーとの関係が充実しているからなんだよなってすごく納得した。

 私は多分、ホスピタリティーとか思いやりを実行する技をまだあまり持っていないんだと思う。 いつも友達の私にしてくれることを通じて「こんなに人に優しくしていいんだ」って知る。 その度に、温かくなれる。 熱を分けてもらえる。 体の細部に血が巡る。

 嬉しいね。