Showing posts with label 季節 初秋. Show all posts
Showing posts with label 季節 初秋. Show all posts

2012-03-25

今でも

今でも昔好きだった人の事が好きで好きでたまらない。

環境も変わったし時間も流れたし
相手の事も具体的には忘れたし
相手が私の人生にいない事は
徹底的に普通になっているんだけど
それでも相手の事を思い返したり、
思ったりすると、
好きな気持ちがぐわーっと溢れる。

今でも、これからも、これまでもずっと好き。

初恋の麻疹恐るべし!

心が時間とか越えちゃうのよ!
風が野山を駆け巡るごとく。

いやー、すごいね、人間の感情って。
すっごく単純。

2012-03-23

海外就職

最近海外就職ネタをよく聞く。
ついに出稼ぎ一般化か。

これはいいことだと思う。
人間とか社会って挑戦がある方が成長する。
人生において何をどこまでやるかっていう、
スコープが大きければ大きい程伸びる。

「自分の社会に閉塞感を感じている」とか「出稼ぎが必用」とかっていう
要するに一旦、自分を、立場的には弱い挑戦者の立場に置くってのは良い事じゃないだろうか。

私の場合は高校大学でいた場所で就職したから
海外就職って言う程の海外就職じゃないんだけど
それでも挑戦だった。

自分の母体じゃない社会の中で
競争をするってのは非常に楽しい経験だった。
もー、やりたい放題。

自分と似通った奴らとドングリの背比べをする、
消耗合戦とはひと味違う経験になったと思う。

何しても人と違うからね。
瑣末な事に悩まなくてすむ。

だから皆若いうちに数年感位やってみりゃいいと思う。

2012-03-18

プロポーズ

知り合いの50歳の誕生日パーティーに行った。

派手で陽気でヒッピーな中年達が沢山いる森の中での深夜のパーティー。
結構クールだ。

彼女が子供みたいにキラキラと喜びながら、
誕生日ケーキのロウソクを消した。
「来てくれてありがとう! この場に来てくれた人、本当に愛してる。
これ以上に幸せな事ってない!」とニコニコしながら言った。
で、「あ! 結婚しよ!」と思いつきで言った。
周りは、一瞬きょとん。
で、その後うわーーーっと盛り上がった。
その場に担ぎ出される彼女の三十年来のパートナー。
「結婚しよう!」と彼女がいたずらっ子っぽく、我が儘な感じで言うと、
彼は大げさに、仕方がない、その我が儘受け入れるしかないって演技をしながら、
「オーケー、イエス、イエス、イエス」と答えた。

その場で誕生日パーティーは婚約パーティーに変わった。

産まれて初めてプロポーズの現場に居合わせた。

私の連れ合いは、一昔前の"自由な人"願望がある。
なのでそのヒッピーな知人をロールモデルとしてうっとりして眺めている。

自然な流れで「あー、あのプロポーズ、本当に素敵だった。 あー、本当に素敵だった。 あーいう感じで結婚したい!」とその後もずっと言っている。

どうやら連れ合いのロマンティック願望を満たしてあげるためには、
20数年後、私の50歳の誕生日の深夜の森で、
酔っぱらったついでにプロポーズしてあげなくてはいけないようだ。

まあね、それも素敵だよね。
問題は特にない。

こっちでだとデ・ファクト(事実婚)や
シビルユニオン(連帯のための市民契約)
とか制度がいろいろあるから
マリッジは特にしない人が多い。
多分それで余計にマリッジには独特のロマンスが漂う。
「丘の上の小さなお家」的な、なんかすっげーキリスト教っぽい感じのロマンス。
すごく宗教的で秘技っぽい感じがする。

それも悪くないなと最近は思う。

もしかしたら生きている間で行う最大の宗教行事なのかもしれないし、
やったらやらないより、魂ほっくりして長生きしそう。

まぁ、当分(20数年)はプロポーズの必要はない様子なので
とりあえず今は忘れとこ。

とにかく、デ・ファクトであれ、シビルユニオンであれ、マリッジであれ、
伴侶に対して持つべき心構え…、
相手の生命への讃歌と、繁栄の祈りみたいなのは一緒。

皆好きに生命讃歌しやすい方法で勝手にくっつきゃいいと思う。
どんな形であれ「この人と繁栄したい!」って思っちゃったなんて、
すっげー良い話しじゃん。

2011-05-07

お金がない

浪費しすぎた。 本当にお金がない。 今週、どう乗越えたら良いのだろうか。 芋の皮でもかじるか。 ジャパセンで柿の種買い占めして、見事にお金がつきてしまった。 むむむん。 クリエイティブに過ごさないと、かなり厳しい気がする。 こんなに手持ちのお金がないの仕事始めて以来始めてだ。 困った〜。

友達の友達はウヒョッ

友達と自分は大抵似ている。 だから自分の周りは自分に似た人ばかりになる。 そしてなんとなく「世の中ってこんな感じ」って勘違いしながら暮らす事になる。 

そんな錯覚にあふれた真空状態から、ポンと抜け出す瞬間ってのがある。 そういう時は「ウヒョッ!」ってなる。 ウヒョ・モーメント。 心の中で、ひょっとこみたいな顔面表情をしてしまう瞬間だ。



ウヒョッ!



例えば、選挙。 なかなかの、ウヒョ・モーメント。 私の周りでその政治家を支持している人なんて一人も会った事がないって人が、ダントツで当選したりする。 世の中には私と利害関係が全く一致しない人たちがわんさかといるのだと知らされる瞬間。

あと本。 「こんなんどこの誰が興味があんだよ」と思うものが案外売れている。 誰かは買っているのだ。 量的には私の興味がある分野の本より興味がない分野の本の方が圧倒的に多い。 なぜなんだ? 私の世界では、工学とデザインと建築と美術の本以外、本屋にある必要なんて特にないのに。 ここでもうっすら、「ウヒョッ! もしかしたら私は真空状態の中にいて、世間の幅広さを知らんのかもしれん。」と思う。 もしくは、社会の片隅に大きな穴があいていて、そこに私の興味のない本をじゃんじゃん投げ込まないと、社会そのものが穴に引きずり込まれてしまうっていう困った状況があるのかもしれない。 でもそんな穴は、多分、ない。

そして圧倒的にウヒョッ・モーメントなのは、「友達の友達」に出会うときだ。 特に友達の古い友達(幼少期からの友達など)に紹介されると、ウヒョってなる。 距離が近いから油断している分、差に驚く。 完全にウヒョ肝を抜かれる。 まさに、一寸先は闇。 友達の友達はウヒョ。



ウヒョヒョヒョヒョッ

 こんな世界があったのかの連続だ。 「友達の友達」って距離感で自分が「世界」とか「世の中」と思っていた幻想が音を立てて倒れる。 心の中ではひょっとこが踊り狂う。

 仲がいい男友達に紹介された女の子がギャルだったとき。 友達の友達が妙にアラサーだったとき。 友達の友達が同い年とは思えない程に立派な人だった時、心の中はウヒョで溢れる。 ああ、世界ってのは広い。 思わず、「私、こんなんで大丈夫?」となる。 そしてその刺激にいつのまにか中毒。 もっと、もっと驚かせてとなっていく。 心のひょっとこは多い方が良いね。 選挙結果とかだとシャレにならないけど、友達の友達が若干異界の人だってのは、大抵素敵だ。

 踊らせておくれ、おいらの心のひょっとこ。

2011-05-04

ちょっとだけ

別にたった今にでも、とか、誘拐してでもとか、夢にまで見るとかってのではないのですが、
ほんのりと最近子供が欲しいなぁと思うようになってきた。

数年前よりかは、結構「期は熟して来ているぜよ」って実感もある。 こういう感情を持つようになったりするもんなんだね。

って言っても、向こう数年はちょっとまだ具体的には考えられないけどさ。 

周りの男の子たちも、立派になってきた気がする。 なんかみんな年々素敵。 時々、この子と結婚して子供が産まれたらどんな感じなんだろうと思う。 結構いろんな人に対して思う。 大概「結構なかなかに素敵なんじゃないだろうか」と思わさせられる。 ここは私が一気に素晴らしい感じの女性に生まれ変わって、同じような感情を誰かに持っていただく必要があるだろう。

まあ、現実問題私が夢にまで見るほどに欲しいものは、柿の種なんだけどさ。
(夢で特大サイズの柿の種を買った。超嬉しかった。食べる直前に目が覚めた。)

大学の同級生の男友達とサルサの授業を受けている。 過換気症候群になってから「お前もうちょっと運動するべきだ」という運びになり、サルサのクラスをプレゼントしてもらった。 これがとっても楽しい。 

"ブラジャー燃やせ"ってタイプのフェミニストの人からしたら吐き気がするだろうし、ゲイの友達にも申し訳ないが、「男性と女性の社交」って感じがとても楽しいのだ。 見つめ合ったり、微笑み合ったり、甘え合ったり、ふざけ合ったりしながら二人で踊るってのは本当に良い。 「良いじゃんこういうの!」ってなる。

それでなんか子供がほしくなった。

こういう感じで毎日が過ぎていって、温かさとか、キラキラした感じとか、生命力が蓄積されていくと良いなと思う。

よしもとばなながエッセイで、小沢健二の音楽を阪神大震災や地下鉄サリン事件がおこった後での日本の音楽だと言っていたのを思い出す。 よしもとさん、あなたの小説も結構そうだと思います。 世代的なものなのか、それとも好みの問題なのか。 ある日、いつも、ふとした瞬間に彼らが歌っているような景色が胸に広がる。 温かさや、生命についての景色で胸がいっぱいになる。

しかしとりあえず今は柿の種が欲しい。 ぐわしって掴んで、ぼりぼりと食べたい!

未来の事

職場で未来の事を考える会があった。 とても面白かった。

NZは地球上の辺境の地にある。 あまりにも周りと遮断されているので動植物は独特の変化を遂げている。 その歴史的事実を真摯に受け取ると、「周りを注意深く観察していないと、自分たちだけ変な方向に進んでしまう/もしくは全くどこにも進まない」という危機感が強くなるのは必至。

ってことで、たまに行政がNZ内のCEOたちをつれて先進国のウルトラ最新技術を開発している企業やゲームセッターになるような企業に視察旅行に行く。 今回の「未来を考える会」では、うちのCEOがその視察でみてきた話をいろいろ紹介された。

まず、医療と教育についての未来予想を聞いた後に、だんだんと自分たちの今いる産業の変化についての話をした。

医療と教育を例題として出した理由は、その領域に起こるだろう変化がほかのどれよりも強烈で、そして人生の根幹に関わる変化だからだ。

出てきた話は極端な話なので、SF程度に聞いていたのだけど、とても興味深かった。 医療の進化に伴い、これから20年後ぐらいに生まれる人たちは推定として、150歳ぐらいまでは生きるようになるそう。 そして彼らの人生の中のある時期からもしかしたら、死そのものが、非常に稀なものになるかもしれないという話だった。 すごいね。

いろんな医療器具のプレゼンを受ける。 いろんな技術が戦場で使うために開発されたもので、先端技術のためには戦争って最高の実りの場なのね。 

もしかしたら私は人類史上、最後に寿命があった世代に属するのかもしれない。 自分が死ぬ頃には、自分の親の事とかを思い、「なんて遠い過去に彼らの人生はあったのだろう。そして私自身の命も、その遠い、遠い過去に投げ捨てられるのだ」なんて切なく思うかもね。 死なない若造たちに囲まれながら、死の床にて親を思うとな。

教育についての変化も面白かった。 Kahn Academyという組織が例として出て来た。Kahn Academyは誰にでも、世界水準に教育を提供する事を指名としている非営利団体だ。 すごく若い兄ちゃん(カーンさん)が始めて、あっという間に世界中に広がった。 

是非下のビデオを見てみて。



これは面白い! それにすごくいい! もしかしたら私の子供は、どこかランダムな場所に住んでいても、カルカッタの子供に数学を教えてもらったり、カタールの子供に歴史を教えたりってするのかもしれない。 どれだけ楽しいんだ。

そして出版や印刷技術、物流などの話しになっていった。 「例えば10年後、自分たちのビジネスが同じような形で残っているか、成長しているか」という話しになった時点で、強烈に「変化を受け入れて、変化を楽しまないと、多分お先真っ暗」って気持ちになった。 同時に強烈にワクワク。 楽しいことがきっと沢山待っている!

私のじいちゃんは、明治生まれだ。 私にとっての太平洋戦争的近過去は、じいちゃんにとっては江戸時代だった。 そして青春を数々の戦争、社会人として油がのってきた頃に第二次世界大戦終戦、その後は高度成長期、死ぬ頃には日本は経済大国になりバブルまっただ中だった。 それぐらいのイベントと変化が人の一生の間にはおこりうると考えてみると、とりあえず、自分の子供が私とは全く違う環境で育ち、社会人になるだろうって事は軽く想像できる。

会社の人達と、私にとっては私の子供世代が成人するぐらいの年代(2030年ぐらい)に、自分自身が社会の中で仕事の出来る人として残れているかっていう話しをした。 むむむん。 分からん。 でも残ってなくちゃ話しにならないから、残るしかないだろう。

2030年ぐらいのときって、自分は一体どこの誰と仕事をしているだろうか。 出来るだけエキサイティングで面白い若い子と仕事ができているといいよなと思います。 今の世界地図上でだと想像もつかないような所出身の子だと良いなぁ。 「うわ〜! 君が産まれたときぐらいの、君の出身国のニュース見たよ! あそこで育ったのかぁ」って感慨に浸りたいね。

2011-04-26

グランドな感じ

サンフランシスコのグランドな感じはとても私をわくわくさせた。 元々雄大であったり、壮大な感じの様式は好きな方だ。 好きな方だ…、というよりも、かなり好きだ。 だからサンフランは本当に心にぐっと来た。 モダン建築であっても新古典主義の建築であっても、基本的にとてもダンディーな建築が多くて美しかった。 とても好みだった。








窓にサイン






サンフランシスコの街頭で、窓に直接企業名とかが書かれているのを頻繁に見た。 非常に美しい。 ニュージーランドでは、よっぽど古い弁護士事務所とかぐらいでしか窓に直接書かれた、こういうデコレーションは見ない。 

アメリカではニュージーランドでは見ないフォントが沢山あった。 本当に美しかった。 フォントの多さは、多様性を表す。 フォントは様々な民族の、歴史の、文化の断片。 いろんな所から人がきていればいるほど、数多くのフォントが持ち込まれる。 フランスのフォント、イギリスのフォント、ドイツのフォント、中世のフォント、近代のフォント。 持ち込まれた文化が多い分、使われるフォントも多い。 美しかった。 

「こんなフォント見た事がない!」ってのもいっぱい見たし、「うわ〜本当にこのフォントを普通に使う状況があるのかぁ!」と感動させられる伝統的で美しいフォントもいっぱい見た。

同じ本でも、イギリス版とアメリカ版では大抵表紙が違う。 使われるフォントも変わる。 ニュージーランドで売っている本は大抵イギリス版なので、単純にアメリカには見た事がないフォントが空間に沢山溢れていて面白かった。 とてもとても面白かった。

過換気症候群、超sick

昨日、胃腸が弱り、終止吐き気と戦っていた。 風邪なのかアレルギー反応なのか食あたりなのかもよくわからず、とりあえずぐったりしてた。

胸がムカムカするから、息をいっぱいすっていた。 途中から息苦しい感じがしてきたので、余計に吸った。 そうしたら、ものの見事に過換気症候群になってしまい、NZでの救急車呼び出しデビューをしてしまった。

初めてなったので、自分の手足や口が強烈に痺れるのも、心臓がばくばくするのも、息苦しいのも、冷や汗がでるのも、なんでなのか分からない。 これはビビった。 怖かった。 手がどんどん開けなくなるんだ。 指先がまるまってっちゃうの。 救急車くるまでに「このまま痺れ続けて心臓まで痺れちゃったらどうしよう!」と結構怖かった。

過換気症候群って、呼吸を必要以上に行った結果、必要以上の二酸化炭素を体から吐き出してしまう事から起る。 二酸化炭素が体から足りなくなると、まず息苦しさが生じる。 体は息をこれ以上のペースでする必要がないと制御するので、息がしずらくなるのだそう。 でも知識がない人は「やばい、息がうまく吸えない」と焦り、どんどん激しく呼吸をおこなってしまい、二酸化炭素を吐き出してしまうという悪循環が生じる。(私はこれに完全になった。) 結果、体内の化学成分のバランスが崩れ、動悸、めまい、手足や唇の痺れや朦朧とした感じ、死の恐怖なんかが襲ってくる。

対処法はきわめて単純で、呼吸の回数を自然な量に戻す事。 水を飲む、人と話す、飴をなめるなど、呼吸の回数が減る行為を行うのも有効だし、単純に落ち着いて、意識的に呼吸の回数を減らすってのもありなんだそう。 私の場合は30分ぐらい水飲んだり、人としゃべったり、意識的にゆっくり呼吸をしていたら、体のしびれがとれた。 そうすると、本当にけろっとなおっちゃうの。 緊急治療チームが家に来て、彼らの指示通りに水を飲んだり、彼らと会話をしているだけでも結構体の痺れがとれていくのは分かった。(こっちの救急車のシステムは、救急治療チームが家に来て、家で治療出来る事は家で治療し、病院に連れて行く必要があるときだけ連れて行かれる。 今回は家で治療された)

それにしても、呼吸の回数が乱れて、体内に二酸化炭素が足りなくなっただけなのに、ずいぶん大げさな症状だなと思われるだろう。 対処方法も本当に単純だし、そんなに酷い訳ないと文字面では思う。 でも、実際なってみると驚くほどに恐ろしい症状が出るんだ。 多分二回目だったり、メカニズムが分かっていたらこんなもんだと思えるんだろうけど、初めての場合は結構どんな人でもビビると思う。 そんでビビって、呼吸が荒くなって悪循環でもっと悪くなる。

私は回りに過換気症候群になった事がある人が結構いたから、知識としては知っていたし、救急車をよんだときも、オペレーターの人に、過換気症候群になっているのかもしれないと伝えた。

でもここまで体のコントロールがきかなくなるのかってのはなってみないと分からない。 口では過換気症候群かもと言いながら、頭の片隅では「もしかしたらくも膜下出血とか癌??? 私死ぬ?」となかなかのスリルを味わっていた。 ああ、初めての事ってどうしていつもこうも大げさに心に迫ってくるのでしょう。

会社の上司に連絡したら「私も以前過換気症候群になった時は心臓発作になったんだと勘違いして本当に怖かったわ」と言われた。 みんな、自分の中の“最悪の状態”をとっさに思い浮かべるのだろう。 

過換気症候群って、ニュージーランドでは結構多くの人達がなっていて、話しとしてはよく聞く。 「けろっとなおるけど、なってる最中はすっごい怖いのよぉー。」と人が話していたのを思い出して、本当にその通りだなとなってみてからしみじみと思う。

思い返してみると私はこれまでも規模は違えど、興奮したり不安になったり緊張すると、手足が若干痺れた。 そういう体なんだろう。 つきあってくしかないねー。 

2011-04-24

さよなら石膏像

我が実家にずるずるとずっとあった、美大受験用の石膏像を、今度多摩美のグラフに行く近所の子に譲った。 その子が送ってくれた写真。 こうやって、新しいお家に運ばれていく石膏像達。 あっはっは! ちゃんとシートベルトしている! うける!!




いつまでもこの石膏像が実家にあってもしょうがないので、誰かデッサンをしてくれる人が貰ってくれて本当に良かった。 でも若干寂しいね。 さらば、青春。

この石膏像を貰ってくれた子が、これからすごく良い大学時代を過ごして、すっごいクールなデザインをしてくれると良いな。 頑張れー! 陰ながら新しいオーナーを応援しろ、(元)我が石膏像達よ!

いやー、それにしてもこれから多摩美行くとか本当にうらやましいな。 また行きたいよ私も多摩美。 今思い返しても楽しい気持ちになる。 すっごく良い大学だった。 楽しすぎて、遊びすぎていて、そういえば大学の広報誌の表紙になった事もある。 あはは、でもその広報誌の表紙になる人って中退率すごく高くて私も翌年中退。 あっはっは。 中退上等! でももしなんだかの幸運が訪れてまた多摩美に行く事になったら、今度こそ卒業しよう。 あっはっは。




そうえいば今年の年始に、赤ちゃんが実家に遊びに来たときに、石膏像と並べてみた。 こうやってみると石膏像でかいよねー。

サッチモのWhat a wonderful worldの歌詞の中で、
"I hear babies cry,
I watch them grow,
They'll learn much more,
Than I'll ever know.
And I think to myself,
What a wonderful world"
"赤ちゃんが泣くのが聞こえる
彼らが成長するのを見る
彼らは僕が知り得る事以上の事を学ぶだろう
だから思うんだ
世界ってなんて素敵だろう"って部分がある。

この歌はベトナム戦争を嘆いて作らせた歌らしい。
でも、ただひたすら目の前にある世界の素晴らしさを歌っている。
本当に音楽ってすげえなと思わさせられる一曲。

この赤ちゃんと石膏像の写真を見ると、思わず私もすっごいしかめっ面の笑顔をしながら、「世界ってなんて素敵なんだろう」と思ってしまうわ。


心が隣にある人

クライストチャーチの震災で実家が全壊してしまった友人がいる。 彼女の親と兄妹は住む所を失った。 別の家に暮していた祖母と叔父も家を失ってしまったそう。

その叔父さんは、レスキューチームにいて、まずクライストチャーチの震災のレスキュー、続いて東北に移動し、レスキューを続けた。  本当に頭が上がらない。 

その被災をし実家を失った友人と、日本の震災がおこってから初めて会った夜、彼女は「東北の人達の事を思うと涙が止まらない。 胸が痛い、胸が痛い。」と言いながらオイオイと泣いた。

同じ国民だからとか、同じ言語を話すから、心が隣にある訳ではないのだよなと、彼女を見ていて思った。 多分今回東北の人達の心の隣にいた多くの人達は、世界中の家を失った経験のある人、自然の猛威で家族を失った人達なんだろう。 今きっとその人達は東北の事を思い、比喩ではなく実際に心を痛め泣いているのだろうと思った。

本当に、震災以降、色んな人達に声をかけられて、日本の事を訊ねられた。 口々に、クライストチャーチにいる彼らの親戚や友人の話しをされた。 どうにかして私に、「自分は痛みが分かる。いてもたってもいられないんだ。」と主張してきた。 多くの人達が自分の持っている生き物としての熱が、どうにか東北の人達の心の横に届かないものかと願っていた。 日本人を見たら、話しかけずにはいられないという心理状況になっていた。

町山さんがキラキラの映画解説のコーナーで、彼が会ったアメリカ人の震災に対する反応を話していた。(17分あたりから) 相変わらず町山節たっぷりで面白いんだけど、最後にぽろりと彼が「神様はいると思った」と言っていたのが印象的だった。 そう思わずにはいられないぐらいの被災者へ向けられた愛と、心配と、共感と、祈りを目の前で見たから。 これは海外にいた日本人みんなが感じている事なのではないだろうか。 私も、本当に、圧倒的なものを感じた。

いつか被災地の方々に、なんだかの形で世界中で彼らに向けられた言葉と愛と心配と祈りが届けば良いと本当に思う。 何年か経ってからでも、何十年経った後でもいいから届いてほしい。 この祈りが心を温めて、一瞬一瞬を支えるささやかな杖になれば良いのにと思う。

多分、それは海外で直接その思いを受け取ったものが、なんだかの形で記録をしたり、日本語の文章にしたりして、どこか目につく場所に置いておかなくてはいけないんだろう。

クライストチャーチの震災の時は私はアメリカにいた。 その時も沢山の言葉をかけられた。 近くにいるから、体が隣にあるから出来る事ってある。 でも距離が遠くて余裕があるから、出来る事や思える思いもあるのだよなぁと日々実感する。

2011-04-22

雑誌

雑誌を作っています。 もうすぐ出来ます。 楽しみ!
その際は、皆様、ガッツリ買ってくださいね。

2011-04-17



年末の写真。 こっちは年末が春。 日本桜が咲いていると聞いて、写真を引っ張り出して来た。 写真を見ながら一人でお花見。